助けあいジャパン

September 30, 2010

B☆竹ライブ,VOL.4

Huckleberry Finn 1972 presents

B☆竹ライブ, vol.,2010

“Cool&Crispyな猫目地蔵が呟く「未来への伝言」
      ハンダスの猫は今どこに?”

ハックルベリーフィン1972、恒例の秋のライブ・パーティです。
晩秋の日曜日の午後の公園通り裏のライブハウスで、ハックル・ワールドに浸ってみませんか?あの時代(ころ)のお友達とお誘い合わせの上、是非お越し下さい!

日時:2010年11月21日(日曜日)
開場:16:30
開演:17:00

出演:
Huckleberry Finn 1972 & the Happy Troops
Submarine Sandwich Unit 
コラアゲンはいごうまん(ワハハ本舗):友情出演

場所:J-Pop Cafe: http://www.j-popcafe.com/
入場料:3000円 (自由席。飲み放題!)

入場整理券: huckle.live@gmail.com までメールにてお申し込みください。
①お名前(ハンドルネーム可)②人数 ③ご連絡先(携帯番号など)

後日メールにて「入場整理券」をお送りします。人数分をプリントアウトして当日お持ちください。
なお、この入場整理券はお席を保証するものではありません。当日はお早めの入場をお勧めします。

September 29, 2010

我が家の子育てが終了した日

末娘さとちゃんの20歳バースデー。3人娘全員が成人したということで、我が家の「子育て」が無事終了、といういことになる。ぱちぱちぱち(笑)。

うううむ、かなPが生まれた1985年10月から今日まで25年間、永かったようで短かったようで。まあ、子育てしながら、自分たちも成長してきたみたいなところがあって、感慨ひとしお。まずは3人ともこれまで大きなアクシデントにも見舞われず、グレる事なく、それぞれがそれなりにすくすくと大きくなってくれたことに感謝。3人とも社会に出て一人で生きて行けるだけの最低限の「力」は得てくれたようだし、生物学的に言えば、自分たちのDNAを次世代に伝えるという使命は果たしたということ。こっから先は本人の考え方と努力でいくらでも人生は変るだろう。自分を信じて真摯に生きて行く事ができれば、未来は明るいはず。

これからはアドヴァイスはするけれど、口は出さない。大学を卒業するまでは学費は出すけれど、これは「貸し」にしとくからね(笑)。

September 28, 2010

上を向いて歩こう、若者達よ。

何が日本の若者を俯かせるのか?伊東乾 (日経ビジネス ONLINE)

日本の未来を託すのは若者たちだ。誰が何と言おうと次世代が輝いていない国は、滅びて行く。僕らの世代が育った時代には、まだ日本に十分な「伸びしろ」があって、個人も仲間も会社も地域も、すべてのユニットが「日々頑張れば」、確実に「今日より明るく素晴らしい明日が来るであろう」と信じていられた。

でも、いつのまにか、たぶん1990年くらいを境に、日本は成熟から爛熟そして変性・腐敗の過程に入ってしまった気がする。信じたくないけれど、残念ながら実感として感じる。熱い気持ちと勢いが「正しく」、静かで落ち着いた社会が「間違っている」というわけではない。でもどっちがその中の人間にとって素晴らしいか?は自明だろう。だから、貧しくも自分のために努力して勉強してキャリアを積んでいくことが「アタリマエ」のアルゼンチンの話は、正直羨ましいと思った。日本の大学大学院制度の問題点については、全く同感。一応、非常勤ながら大学の教員の一人として。

実際に、日本の若者達の格差は僕らの世代の想像を遥かに越えるくらい大きくなっている。「優れた」「秀でた」一握りの人材の下に、「ふつう」の大きなマスがあってこの人たちはある意味「諦めちゃっている」(これが凄く問題)、その下には「さらに諦めちゃって自信を喪失した」底辺の膨大なマスがある(社会の不安定要素としてさらに問題)。富士山的な裾野の広がりの社会というか。

未来にむけて日本復活はあるのか? たぶん従前の日本の勢いをとる戻すのは難しいだろう。
でも、だからといって手をこまねいているわけにはいかない。やはり一にも二にも最大のプライオリティは「教育」だと思う。
僕らの世代の責任は重大だよなあ・・・

September 27, 2010

理解と納得のギャップ

ぐっと涼しくなった朝の通勤。月曜日のオフィスでの朝イチの電話に衝撃を受けた。うううむと絶句。28年間医者をやっていても、まだまだ自分の未熟さを痛感する時がある。医者として今までベストを尽くしたのか?コミュニケ−ションを本当に巧くとれていたのか?理解すること(してもらうこと)と納得すること(してもらうこと)のギャップ。さらに人の感情の機微。一日中、その難しさを自問しつつ、忸怩たる思いで過ごした。医者ということだけでなく、人間としてまだ未熟だと反省。そんな日に限って超多忙モードで、サブルーティンと緊急事態ばかりで夜まで。へろへろで帰宅。

September 26, 2010

童話「ごんぎつね」

昨日気になっていた山崎ナオコーラのエッセイの中の話で、「伝わらない」というドラマについて。「ごんぎつね」のこともちょっと書いてあって、どんな話だったっけなーと調べてみた。
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ごんぎつね (新美南吉の作品)(サイトより一部引用)

中山の近くの山中に「ごんぎつね」という狐がいた。ごんはひとりぼっちだったが、畑を掘り散らかしたり、つるしてあるとうがらしをむしりとったりと、たいそういたずら好きな狐だった。
ある日、ごんは川で網をはって魚をとっている兵十を見かけ、こっそり魚籠に入れてある魚を逃がしはじめる。
最後にうなぎを逃がそうとした所で兵十に見つかり、首にまきつけたまま逃げ出した。

十日ほどたって、兵十の母親が死んだ事を知ったごんは、一人ぼっちになってしまった兵十に自分と同じ憐れみを持つと同時に、兵十の母親はきっと最後にうなぎを食べたかったに違いないとと思い、自分のしたいたずらを後悔する。

その後ごんは山の中でとれた栗やキノコをこっそり兵十の家に届け始めた。兵十は誰がくれたのかむろん分からない。
いつも届けられる栗やキノコは神様がくれたと思いはじめた兵十にごんは少し不満を感じたりもしたが、ごんはいつものように栗を届けに行った。しかし、ごんがこっそり入ってきた事に気付いた兵十に火縄銃で撃たれてしまう。ごんを撃って近づいた兵十は土間に置かれた栗に気付きびっくりする。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」

ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずいた。兵十は火縄銃をばたりととり落した。青い煙が、まだ筒口から細く出ていた。
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哀しい話。幼稚園だったか小学校低学年だったか、初めて読んだ時には泣いたな。たしか教科書に載っていたのだ。
子供心にすごく切ない気持ちになったのを憶えている。
「ごんぎつね」っていえば、学芸会の定番のお話で、その劇を観ても泣きそうになったんだ。泣いているのを友達に気付かれないようにするのに苦労したこととかも憶えている。ああ、懐かしい。

September 25, 2010

人魚姫の話

夏休み。朝はちょっとゆっくりめに起床。先日の雨が暑かった今年の夏の記憶を洗い流してしまったみたいだ。秋分の日を境にはっきりと秋になった。午前中はどんより曇り空だったけれど、昼前からからりと晴れ上がって秋空。
ちょっと涼しい曇り空の朝>風が吹いて>昼前からカラリと晴れ上がる>乾燥した空気と陽射しの強さ>午後から急速に涼しくなる>夜。
このパターンって、南カリフォルニアの海沿いの気候と同じ。午前中はネットと原稿の下書き。黒龍で「サンマー麺(横浜名物野菜タップリうまに麵)」のあと、有燐堂で2時間過ごしてしまった。時間を気にせずに本屋さんを徘徊する至福の時間。実は午後からはやぶさ号でちょっと遠出をして某所にご飯を食べに行こうと思っていたのだが、気が変わった。夜は自由が丘で買い物していたかみさん&ゆっつんと落ち合って、名店「とよ田」。連荘で絶品の鶏料理(笑)。帰路、ゆっつんにおねだりされてしまい、ささやかな散財。

おお、そういえば、今日の本屋さんで山崎ナオコーラのエッセイ「指先からソーダ」を立ち読みしていて、妙に気になった部分。人魚姫の話。「伝わらない」ということが、ドラマの一つの大きなテーマって話。

「人魚姫」のストーリーって王子に恋をした人魚姫が、足を魔女からもらうことと引き換えに声を失う(つまり、告白できなくなってしまった)という哀しい話だったっけな?って思ったんだけれど、調べてみるとアンデルセンの本編はもっとリアルで複雑だったんだね。

=========(Wikipediaより一部引用)
人魚の王の6人の娘たちの内、末の姫は15歳の誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から王子を救い出した人魚姫は、王子に恋をする。人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じる事になるとも・・・。

王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話す事が出来ず、王子は人魚姫が命の恩人である事に気付かない。そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘が命の恩人と勘違いしてしまい、やがて王子と娘との結婚が決まる。

悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れる事を教える。愛する王子を殺す事の出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていった。
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「ごんぎつね」の童話も調べてみようっと。

September 24, 2010

秋分の日&半日夏休み

昨日の秋分の日。本当は白浜ルファーレでのスタジオ合宿を画策していたのだけれど、一歩出足が遅くて予約できず断念することになり、さくちゃん別宅・秘密基地「さくら」に集合。California DreamingのともPのベース、さくちゃんのパーカス(タンバリン)のレコーディング。DANも参加して写真撮影。その後は、いつもヘッドフォンバー状態でまったりと、今度のライブに向けての新曲の練習など。久しぶりの練習はα波が出まくって気持ちよかった。夜は、あづまの山形「手の子牛」のしゃぶしゃぶも美味しかった。ビール、さくちゃんのワインセレクションから、ワイン(何本開けたんだろう?>笑)、日本酒など。もう途中からは懐かしの音源シリーズで酔いが周り記憶が朧げ。結局、終電で帰宅。

今日は午後から夏休みをとることにした。何だかんだでバタバタしていて、今年はまだ夏休みをとっていなかったのだ。いつものように恒例の一人旅でリフレッシュしたいところだけれど、今年はタイミングが悪く計画を立てようにもなかなか立てられない。明日もオフとしてちょっと緩めることにした。午後から渋谷で買い物ついでにライブ会場で打ち合わせ。夜はかみさん,ゆっつん&さとちゃんと、横浜「てっしょう」で絶品焼き鳥。うまし/

September 23, 2010

どん底の人

社会の頂点の「輝かしい場所」から真っ逆さまに「どん底」に落ちてしまった人と会った。まだ若い(50歳そこそこ)のに仕事もせず日がなぼーーーっとして生活しているらしい。短パン&汚れたTシャツ姿。髪はぼさぼさで無精髭。つねにおどおどと視線が泳いでいて、まったく生気がない。テレビで見ていたころの面影はまったくない。まさに「抜け殻」みたいな印象。そんな状況でも、礼儀正しいし言葉使いは丁寧で、育ちの良さと人柄の穏やかさが垣間見え、それが逆に彼が受けた仕打ちの厳しさを物語っている気がした。

名門の出身で華麗な閨閥、さらに彼自身も努力したんだろう、東大を出てる。当時(調べてみたら、ほんの2年前)は清潔でばりっとしたスーツ姿だったし、自信溢れて順風満帆の人生を進んでいた人。それが、ある事件をきっかけにどん底に突き落とされた。当時のマスコミのバッシングは激しく情け容赦ないもの(さらにいろんな所で「笑い者」にされた)で、僕(だけでなく世間は皆)は「こいつは悪いヤツだ」という印象を植え付けられたくらい。育ちの良さや彼自身の立場(大金持ちで社会的立場も高い)に対する完全なやっかみや妬みが、逆の形でその「社会的苛め」を助長したのだ。ある意味、社会のスケープゴートにされた。いつでもマスコミは「正義の味方」を徹底的に演じるのだ。でも今考えてみると、ハトヤマとかオザワの資金問題ほうが全然悪質だと思うし、彼らがそれでも開き直っているぶん、さらに気分が悪い。

超名門の家に生まれ、お金も十分に持っているし、さらに自身の能力だってあるのに、「転落」するとあんな状態になってしまう。社会的に葬られるって、本当にコワいなって思った。今の彼の無念さと虚無感は、どんなものなんだろう。あの状態だと立ち直って、一からやり直すにはまだ時間がかかるだろうけれど、彼にはその能力があると思いたいし、神様はどこかでそれ見ていると信じたいんだけれど。

タイムマシンにお願い

一昨日、こーめい先生の自宅Macのシステムトラブルの話を聞いて、僕の自宅のMacのTimeMachineを新たに設定しておこうと思い立った。ところが、あれこれいじっているうちに、まずAirMacがおかしくなった。インターネットに接続できなくなってしまい、家中のマック(娘達のマシン)がネットに接続できないので、娘達から大ブーイング。最近では大学のシラバスやら講義の登録やらレポートの提出は、すべてネットで行うらしい。ま、そういう時代だわな。仕方ないのでフレッツのモデムから設定し直して(実はここに問題があった)、マックのネット診断を使って再起動を繰り返しているうちに、とうとうOCN直結でも接続できなくなってしまった(涙)。家にはまだCATVのネット環境も残っていてAtermの無線LANの電波もそのままにしてあるので、さらに複雑。Macの「ネット自動検出機能」は便利なんだけれど、これも話を複雑にしてる。こんな時のためにもTimeMachineを設定しておこうと思ったのに、自業自得。結局酔っぱらってやるのは得策ではない(同じ事を繰り返して失敗するだけ>笑)ので諦めて、早朝から苦戦して、今やっと接続できるようになった。でもまだAirMacの作動も不安定だし、この接続を切ったらまたダメになりそう。やれやれ&よれよれ。

September 21, 2010

「あるところにはある」でも、「そんなに幸せじゃない」という事実

今朝の産經新聞によると、中国で資産1千万元(1億3000万円)を越える資産家は2008年時点で82万5千人いるそうな。共産党独裁での経済開放政策下の中国での話であることに、まず驚いた。まさに格差社会。

ちなみに、野村総研の統計(2007年)によると自由主義経済社会の日本では「2007年時点で金融資産を5億円以上保有する世帯「超富裕層」、及び1億円から5億円の世帯「富裕層」をあわせた「富裕層・超富裕層マーケット」は90.3万世帯、金融資産総額は254兆円に及ぶことが明らかになった。これは全体に占める割合としてはそれぞれ1.8%・21.6%に相当するとのこと。

中国の「資産1億3000万円」と日本の「金融資産1億円」という定義の違いはあるとしても、現在は「そのくらいの差」しかない、ということに驚いた。ただ中国社会の「富裕層」とは、、ベースとなるパイ(人口=マーケット)の大きさが中国は日本の少なくとも6倍あるということと、実際の貨幣価値から言えば日本の消費社会の5倍(位だろう、今なら)ということを加味すると、5X6倍=30倍くらいの「余裕」があるはずということになる。したがって、その影響力が今疲弊した日本の経済に及ぼす影響って、大きいものなんだろうと思う。現在、四苦八苦している日本企業が中国に目がいくのは当然で、日本の産業の空洞化も自明のことなのだ、ちょっと寂しいけれど。

とはいえ、今日こーめい先生と話をしてて、それでもまだ日本には「トンでもない(前述の統計に含まれていないような)超金持ち」がソコココ居るのだということも、再確認した。先日彼の招かれたあるお宅の話を聞いていて「なるほどなあ」と。つまり、自由主義資本の日本社会においては、まだまだ「あるとこにはある」ということ。でも、(僕らの知っている)その人たちが、ほとんど例外なく皆「あまり幸せそうにしていない」という事実。これは、たぶんかなり深刻な問題なんだと思う。

最近読んでいる「これからの「正義」の話をしよう:Justice」(by Michael Sandel教授)でも言及しているように、「正義のある社会」においては「超・お金持ちである事=幸せな事」ではないらしい・・・、つまり「幸せの度合いはお金では計れない」という、結局は「童話的な単純明快な結論」に至るのだけれど。「今以上に豊かになるために一所懸命努力することを是とする」自由経済の社会において、これらの逆説的な結論に、持たざる僕らは愕然としてしまうわけだ。逆に(建前とはいえ)共産主義の中国においては「嘘をつく事や何か人を騙すような狡い事をする事」が、経済的な成功に結びつく事になる。共産党政権の特権階級は蜜の味を享受しているんだろう。そのくらい中国という国は現在から未来に向かって、危ない橋を渡っているのだ。このままでは「革命」が起こるのは歴史の必然かもしれない。

人間は何のために努力するんだろう?
「いつの日か宝くじ当たったら、あーしてこーして・・・」なんて夢見ている僕ら庶民の夢があって、たとえそれが幻想だとしても、そんな「庶民のささやかな夢のベクトル」で、世の中は動いているものなんだと思う。日々の生活を頑張ることで得られる満足が、それの対価としての報酬に見合ったものであれば、それで十分なのかもしれない。

足るを知る。英語でいえば、You can not have everything! という事だ。

September 20, 2010

かっとび「かなP」の冒険

我が家の長女かなP(加南子)は、もうすぐ25歳。薬剤師。入った会社の豊橋支店に配属されて一人暮らししつつ修行中。ま、学生時代とはうって変わり無遅刻無欠勤で(笑)、けっこう真面目に頑張っているみたいだ。一昨日の深夜にふらりと帰ってきたかと思いきや、翌日朝にはもう居ない。かみさんにどこに行ったの?と聞くと、「たしか一週間くらいMちゃん(彼女の親友)と、イスタンブールに行くって言って出てったわ。」「はあ、イスタンブール?、今度はトルコかい!)」

彼女は学生時代から、バイトして一人で小さなトランク一つで世界中いろんな所に行ってしまうのだ(旅に関しては、僕は一度も経済的な援助をした事はない)。若い女性の行きたがるパリとかニューヨーク、ロンドンには興味がないらしく、「あ、面白そう、ここに行こう!」って思っちゃうらしい。僕が知っている限りでは、北京、イタリア、上海、ベトナム、タイ、バリ島(何回も)、カンボジア(アンコールワット)、エジプト、スペイン・・・で、今度はトルコ(笑)。僕ら家族での渾名は「かっとび・かなP」あるいは「鉄砲玉かなP」。一度飛んで行ったらいつ帰ってくるかわからない。親としてはいちいち心配していたらキリがないので、彼女の問題解決能力と適応能力を信じて見ているしかない。言っても聞くようなヤワな娘じゃないし(笑)。

小さい頃から好奇心旺盛で、とにかくコワいもの知らず。理系の数学とか物理が得意で、興味のある科目は抜群の成績(T学園でトップクラス)なのに、興味がないと全く勉強しない。従って、成績の凹凸たるやヒドいもので、もうちょっと「まともに勉強すれば」たぶんもっと偏差値の高い学校に行っていた筈だ。薬学部時代も遅刻とサボりの多さで指導教官に呆れられた。でも頭の回転の良さと如才なさは抜群なので、クラスメートや指導教官には一目置かれていたみたいだ。僕は、彼女は社会に出てからのほうが真価が発揮できるであろうなって思っていた。まあ今はその通りになってる。ふつうの家庭のふつうの主婦には(たぶん)向かないだろうけど(笑)、彼女なら世界中どこでも生きていける。我が娘ながら、あの好奇心と無鉄砲なくらいの行動力はあっぱれ。

September 19, 2010

すっきり大掃除&モーガン夫妻

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。連休。厳しい暑さが通り過ぎたので、やっとテラスとクローゼットの大掃除に取りかかる事にした。まず、作業途中で止まったままだった納戸とクローゼットの大整理。テニスの古いラケット(たぶんもう使わない)、ボーリングのボール(かみさん&僕の二人分、かみさんの友人夫婦とある時期よく行った。でも、たぶんもうそんなに使わない>笑)、古いスキー用具一式、ブギーボード、旅行用トランク、整理棚として使っていた大きなプラスティックの収納ケース(これが大きくて簡単には捨てられない)などなど。ばっさばっさと処分してかなりすっきりした。

パソコン2台を含んだ様々な不用品の処分をどうするかが問題。特にPCはリサイクルが大変だ。PCについてはメーカーに連絡して送らなくてはならないし、古い物は処分するだけでお金がかかる。さまざまな不用品の粗大ごみの手続きをするのもかなり面倒くさい。悩んだ挙げ句、不用品回収サービスの会社に頼む事にした。悪徳業者も多いと聞いていたのでちょっとどきどきしながらフリーダイヤルで電話をすると、わりとしっかりした対応。すぐに来てくれた。まず見積もりをしたら、作業費を入れて12000円とのこと。「高っ!別の業者にも電話しているので、もうちょっと考えてみます。明日も休みだし頼むとしても明日にしよっ。」と呟いたら、「じゃ作業費はサービスさせてもらって9000円でいいです」と(笑)。何なの、その見積もり(笑)。PCのリサイクル代が6000円くらいなので、商談成立。あっという間にトラックに積み込んでくれてスキッリした。結局はこのスッキリ代と時間節約代だな。

その後は夏草で荒れまくったテラスを大掃除。かみさんに言われつつ、この夏は暑すぎて延ばし延ばしにしていたのだ。掃除して古い鉢の土の再生をしていたら、あっという間に時間が経ってしまった。最後にテラコッタの床をごしごし洗い、すっきり。わりと徹底的にやらないと気が済まない性分なのだ(笑)。こういう単純な肉体労働って何にも考えず黙々とやって、いいリフレッシュになる。そういえば日常の仕事が激務だったオヤジが休みの日になると、散歩の途中で近くの第一園芸から草花を買い込んできて、マンションのベランダでやってたな、なんで思い出した。

夜は「噂のモーガン夫妻 "Did you hear about the Morgans?" 」サラ・ジェシカ・パーカー&ヒュー・グラント。NYのセレブ夫婦の話。夫の浮気がきっかけで別居中のふたりが、殺人事件に巻き込まれワイオミングのド田舎で生活することになる。そこの素朴な生活から二人の関係を修復してゆく、というストーリー。ワイオミングの田舎の人たちのキャラ設定もいかにもアメリカ的で、お約束のハッピーエンドに安心して楽しめた。このセレブ夫妻の設定はたぶん45歳くらいか。子供が欲しいアメリカ人のこの世代のカップルの持つ「悩み」とか「いらだち」とかがベースにあって男と女の視点の違いがうまく出ていて、ふむふむと頷ける台詞も多い。サラ・ジェシカ・パーカーって不思議な女優。やはりこの人はセックス&ザ・シティのイメージが大きい。決して美人じゃないんだけれどチャーミングで、身近な存在感があるというか。かみさん曰く、観客の女性としては感情移入しやすいキャラなんだそうな。

September 18, 2010

秋彼岸

彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。「彼岸会(ひがんえ)」は、仏事雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされている。

浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。
(Wikipediaより一部抜粋)

六波羅蜜多
布施:人に優しさを与える事
持戒:十善戒 正しい事をすること
忍戒:じっと我慢すること
精進:何事も一所懸命になること
禅定:座禅。心の安寧
智慧:道理にかなった知恵。慈悲心

昨年末に亡くなったオヤジの秋の彼岸。そっかー、彼岸の7日間というのは本来は生きている(此岸にいる)人間が「死(向こう側の岸)について真面目に考える」時間なんだ。大人の常識としての仏教については、まだまだ知らない事ばかり。残りの人生を豊かに生きるためには、必須の知識かもしれない。ジジイ臭いかもしれないけれど、これを知るのと知らないのとでは大きな違いがある気がする。

September 17, 2010

毛蟹三昧の夜


東北のかみさんの実家は時々(突然、思いついたように>笑)、素晴らしい三陸の海の幸を送ってくれる。お義父さんが八戸に用事があって行ったとかで、今日は最高級の巨大な「活き毛蟹」と「活き鮑」が届いた。到着時にはまだ動いていて、家にいたゆっつんが「まだ動いているよお!」とおののいていた(爆)。画像は我が家の大皿に乗っている巨大毛蟹。東京で普通に目にする毛蟹の2倍くらいのサイズだ。しかも身がびっちりと詰まっている。かに味噌も新鮮で最高に美味しかった。2ハイで食べきれないほど蟹三昧の夕食。感激している僕に向かって「こんなの子供の頃は普通に食べてたよ、家では、一人一パイで(笑)」とかみさん。食べにくい(手が痛い)けど、やっぱり味は毛蟹が最高だと思う。

September 16, 2010

コラアゲンのライブに行った。

今夜はコラアゲンはいごうまん君の凱旋ライブの楽日@日暮里プロモボックス。彼から先週電話をもらい、5周めの日本全国一周の「僕の細道」ライブの締めくくりのライブを見届けにいく事にした。

彼と初めて会ったのは、たしか2005年。赤坂のスタジオでかぜさんの番組の収録時。今時珍しいスタンダップコメディで、汗だくで語る体験談の面白さは抜群なのに、イマイチ冗長というか尺が長過ぎて今のテレビ的な刹那的なギャグには馴染まず、いまだに売れない。ただ、芸歴23年はだてではなくて、地道に努力してきたことで、この数年で彼の芸風はどんどん進化している気がする。一所懸命で応援したくなるキャラなのだ。

今日は楽日ということで、ずいぶん気合いも入っていたみたい。初めから最後まで3時間飽きる事なく楽しんだ。今日のネタは、「国内最大手のアダルトグッズ卸し店(日暮里)」「ロケットうどん(愛媛)」「政権交代の日(神戸)」、「場末のハンバーガーショップ(加古川)」、「ハッテン場ダンクルに潜入(旭川)」、「違う意味で寄り付かない恐怖の洞窟(猿ケ京)」、「ツアー史上最大のピンチ!そして誰もいなくなった(中標津)」「「泣く子もだまる小梶部長(大阪)」。3時間しゃべくりまくり。最後はトリプルアンコールで大満足。客は彼のひたむきなネタ探しの過程にハラハラしつつ爆笑し、そこで出逢った人たちとの人情話にホロリとくる。今日は内容が濃かったな。今までで最高のライブだったかも。オンデマンド動画コンテンツの時代には彼の芸は最適かもしれない。あとはちょっとしたきっかけなんだろうけどな。これからも頑張ってね!>コランゲン君。

それにしても日暮里。変わったなあ。以前とは全然違う街になっていて、かなり戸惑った。こういう東京のエリアもあるんだ。

September 15, 2010

発掘された原石をいかに磨くか?

綾瀬はるかの演じている「干物女」ほたる。この脚本自体はイタいギャグが満載で、その役を精一杯やっている感じだけれどクサくはない。日本中で老若男女に好感度をもって受け入れられるのは彼女の持って生まれたキャラなんだろうな。この女優さんってすごく不思議でユニークだと思う。線が細いのに芯を感じさせるのが強み。数年前にテレビドラマのチョイ役で初めて観た時に、不思議に存在感があって印象に残ったことを思い出す。

古風な日本人女性を演じさせてもアリだと思うし、頭の大切な線が一本切れちゃっているボケキャラを演じさせてもこなせる。典型的な美人ではないけれど、きれいな人だと思う。「意外に巨☆乳(☆は検索回避)」でも有名らしい。・・・確かに(笑)。その昔の古き良きアメリカのコメディのゴールディー・ホーンとかルシア・ボール的の明るさに日本的な優しさのあるキャラを膨らませて成長できればいいなあ。シリアスな役をしつつコメディも演じられる女優になって欲しい。広島で原石の彼女を見いだして、今まで巧く磨き育てた彼女の制作サイドの力量に感服する。

September 14, 2010

行雲流水

今朝起きてシャワーの後にテラスに出たら、秋の風が吹いていた。確実に季節が動いている。暑かった今年の夏の昨日までの記憶は、たぶん脳の皺のどこかに記憶されたんだろう。それにしても時の流れの速さ。どこかで読んだのだけれど、10歳代の時間を基準にして人生を考えると、20歳代は2倍速、30歳代は4倍速、40歳代は8倍速、50歳代は16倍速、60代は32倍速で時間の流れを体感するんだと。

時の流れが2倍級数で加速するということは、年をとるにしたがって、生きていくことの楽しさや面白さ、逆に辛さや悩みも「あっという間に過ぎ去ってしまう」ということだ。

行雲流水

September 13, 2010

内田さんの視点

超忙しかった月曜日。夕方は横浜で定例の経営会議。車中で話題の新書「街場のメディア論」内田樹。小説やら新書やらエッセイやらクロスオヴァーしながら読む。この人のユニークな視点と深い思索は、僕のような凡人からは「目からウロコ」的な発見があり、知的な刺戟を受け「ううむ」「なーるほど」と唸りつつ、ページを繰った。「書いてある言葉を味わいつつ、ページを繰る」という行為って、電子図書では絶対に味わえない快楽だと思う。

以下、この本でアンダーラインした至言のいくつか(要約):

キャリア教育とは、与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように自分自身の潜在能力を「選択的に開花させること」。潜在能力というものは、その能力が必要とされたときにはじめて発動するものなのだ。天才的な素質に生まれついた人は、それが周囲の人から見てどれほど例外的に卓越した能力であっても、自分ではそれを「あまりたいしたことないものだ」と思っている。生まれた時から「あたりまえ」だったから。

「世論」の定義: 揺るがぬ真理であるのだが、自分の生身を差し出してまで主張しなければならないほど切実な真実ではない。

「社会的共通資本」(医療や教育も当然含まれる)は、政治にも市場にも委ねられてはならない。わずかな入力差が大きな出力差を生み出すような種類のシステム(つまり経済的利潤を生むべく機能するような市場主義)は、本質的に不安定なものなのだ。社会的共通資本は、職業的専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規範に従って管理・維持されなければならない(宇沢弘文)。

つまり、世の中には変わるべきものと、簡単に変わってはいけないものがある。すべての市場原理で動かせば、現状より良くなるはずだという考え方は明らかに誤りである。

メディアはもともと「弱者と強者の利害的対立」に際して、弱者に「推定正義」を適用するという原則がある。それは間違っていない。しかし、マニュアル化されたメディア(えせ正義の味方)が定型化した言葉を「匿名」で無責任に煽り立てることが当たり前になっているのが問題。さらに、その是非の検証はほとんどされていないのでは、メディアの暴走を止められない。「とりあえず(弱者にみえるほうに加担する)正義の味方」という狡さ(注;医療や教育に対する「とりあえず批判」的な言論がどれだけ現場を混乱させたか!)。

例証:「患者様」と呼ばれた瞬間から、患者は消費者に代わる。消費者は、最低限の代価で最大限の医療サービスを要求することを「義務づけられて」しまう。「批判すればするほど、医療の水準は上がり、医療の質はよくなる」という幻想の信憑性/そして、その態度を「定型」化したメディアの功罪。

知性の質の総量はいつの時代でも変わらなく「同じ」である(村上春樹)。すなわち、現代も未来も「知性の劣化は起こらない」のだ。

電子図書の真の功績は、「読者に対するレスペクト」という視点を喚起したことにある。

書き手から読み手への「贈与」のスムーズな遂行を妨げるすべてのことは作物の「価値」を減じる方向に作用する。すなわち、読みたい本をすぐに読むという願いの実現を妨害するすべての社会的要因は出版文化にとってマイナスである。

書棚の愉悦についての視点(全く同意!)。読書人(消費者ではない:注)は「今ここにある欠如を満たすために本を選ぶ訳でなく、まだここにない欠如を基準に本を選ぶ」。この読書人の間口を広げる事がポイントであると。

じゃ、どーするべきなのか?については、さまざまな傍証や例証を示し、あとは自分たちで考えましょう。
Sauve qui peut (ソープ・キ・プ):「生き延びるものは生き延べよ」 だと。

カッコよすぎますぜ、内田先輩(笑)/
「日本辺境論」を読み直してみよう。

September 12, 2010

California Dreaming完成(ほぼ)

今日は、ま&じの二人で、今度の新しいCDに入れる曲作りとレコーディング。以前からAmシークエンス(実際にはEm)として作り始めていたもので、「あのコード進行」で1970年代のアメリカっぽい曲が書きたかった。しかし、歌詞を書く時の立ち位置がなかなか決まらなくて、いくつか書いた詩はどれも熟成塩漬けにして、未完成だったのだ。今日はじょうじ君が「あのころの僕たちは・・・」で始まるその歌詞の基本音源をもって来てくれて、アコギのレコーディング(じ)、間奏のシンセサイザー(ま)を、まず録音。

曲の骨格が出来上がってからは、歌詞を二人で歌いながら考えていく。僕の書き始めた時の「僕ら」というのは、「若かった僕ら」の意味で、それが主語となった「若さ故の苦しさ&エネルギー」みたいな歌詞だったのだけれど、今日書き進めていくうちにだんだん(ある意味ごく自然に、だけれど)センチメンタルなラブソングになってきた。幼くて不器用でぎこちなくて傷ついて壊れてしまう恋の話。曲のイメージ場面が浮かんだらもう完成間近。後は、ふたりで言葉さがしをして、歌いやすい形に整えていく・・・という作業を通してほぼ完成した(かな?)。

September 11, 2010

スリランカな木漏れ日にまったりした午後


午後から秋の恒例ライブの打ち合わせ@渋谷。じょうじ君と待ち合わせて、台湾料理の老舗「麗郷」へ。ここんちに初めて行ったのは30年以上前で、大学の教養課程の指導教官だった政治学の黄教授(台湾出身)のコンパだった。懐かしい。相変わらずの人気店で、本場の台湾料理を堪能した。定番「蜆のニンニク炒め」、有名な「腸詰め(香菜と葱を辛味噌で食べる)」をおつまみにビール。〆は「五目焼そば(もちもち太麺)」と「魚玉湯(白身魚のつみれが入ったあっさり味のスープ、台湾の定番)」。やはり名店だわ、ここんちは。値段もリーズナブル。その後、今年も昨年と同じ会場J-Pop Cafeを予約。今年は11月21日(日曜日)の夕方。この会場はアクセスもいいし、値段も非常に良心的でお客さんにも評判がよかったのだ。予約が取れて、まずは一安心。

さあて、ライブ会場も決まったしどこに行こうか?ということで、おっさん二人の足は自然にかつての聖地(笑)「代々木公園」へ。渋谷の地下街の雑踏でシガーを購入、近くで知り合いのアメリカ人のドラマーに遭遇して驚いた(彼も驚いていたけれど>笑)。センター街を通り過ぎNHK放送センターを横切り、代々木公園方面に歩いていたら、NHKホール横の広場で「スリランカ・フェア」をやっていて大勢の人たちでごった返している。エスニックな香辛料のいい香りに導かれ、お店をひやかすことに。なかなか面白かった。その後は懐かしの代々木公園の原っぱで、木漏れ日の下でまったり。ほろ酔いのおっさん二人が木漏れ日の下で寝っ転がって馬鹿話をしているサマって、一歩間違えればかなりイタいけど、この「ゆるゆる感覚」はくせになりそう(笑)な気持ちよさ。

帰り道に本屋さんに寄り、かみさんがモデルで出ているという「HERS」10月号(光文社)を立ち読み。ほほう、豹柄だって(笑)。ちょっと驚いた。

September 10, 2010

ばたばた金曜日は「佐藤」で〆

朝からばったばたの一日。ルーティン&サブルーティン入り乱れて大忙し。手術に入る前の15分間くらい目を瞑っていたら、眠ってしまったみたい。この短い時間の昼寝でリフレッシュして手術室へ。無事手術を終わり、回診をしていたら今度は緊急入院一件。さらにバタバタしていたら、とても予定していた会合に出席できそうもなく、キャンセルせざる得なくなった。例年、その救急関連の講演会の後は、今年入職した1年生のスタッフとの会食をしていたのだが、今夜は残念でした。またあらためて設定しましょう。

そんなこんなで帰宅が遅くなり、仕事帰りのかみさん、外出中のゆっつん、病状の復活したさーちゃんとともに、「佐藤」でご飯することになった。週末の夜で大混雑だったけれど、いつものように大満足。きんきの塩焼きが絶品だった。今日もリーズナブルな値段に驚く。

September 9, 2010

そうだ夕焼けを観に行こう



体調もまずまず復調。
気持ちよく目覚めた研究日。午後の往診を済ませて、がらがらの第三京浜を快調に飛ばす「はやぶさ号」。西日が眩しい。ふと、きっと今日は夕焼けがきれいだろうなって思った。
夕焼け>海>黒崎の鼻
と連想していたら・・・いつも降りる都筑インターを越えてた(笑)。


NBCには40分で到着。17時30分。へええ、こんなに簡単に来れちゃうんだと驚く。季節外れのNBCは予想通り、だーーーれも居ない。ビーチの草原で寝転んだら、秋の空を独り占め(上の画像/クリックで拡大)。
太陽がどんどん西の空に沈んでいく。波の音を楽しみながら、夕焼けを観る至福の時間。

ガラガラの高速で「はやぶさ号」を気持ちよくドライブして帰宅@19時。こんなに簡単に、素晴らしい時間を過ごせる場所に来られるんだったら、もっと早くトライしたら良かった。次回は、観潮荘で温泉に入って、荒崎の「たかのや」でご飯を食べて帰ろうかな(笑)。
2時間でできる最高に贅沢なリフレッシュ体験。

September 8, 2010

さーちゃんも発症した

昨夜から三女さーちゃんが腹痛。症状は違うけれど、発症のタイミングからいって、僕の夏風邪のウィルスと同じ。3時過ぎからかなり辛そうになり夜はほとんど眠れず、僕もかみさんも看病で睡眠不足気味。結局朝になるまで待って、僕が彼女を連れて車で職場に向かう事に。午前中僕が外来の仕事をしている間に、彼女は点滴治療。僕もさーちゃんもこのところの疲れがいつのまにか溜まっていて、夏風邪のへなちょこウィルスに感染してしまったんだろう。今日も大事をとって午後は早退して、家でテレビを観たり本を読んだりしてだらだらと静養。ほぼ復調したか。

September 7, 2010

ふわりぐらりの浮遊感

朝から体調不調でへろへろの一日だった。原因不明。朝のシャワーから上がったら、なーんとなく変。通勤の電車の中で異様に足許がふわふわしていて気持ち悪い。「めまい」ではなく、脱力感というか疲労感というか。立ちくらみみたいなふわっとした「血の気の引く」感じが時々する。血圧も正常だし熱もない。なんとか必要最小限のルーティンを済ませてしてから観念して、点滴をしながら3時間。休んでいたら、かなり楽になり復活50%。午後の手術に入ってから早退することにした。日頃から体調不良と無縁なので、スタッフに随分心配をかけてしまったみたいだ。すまんすまん。早退してから(いくらでも眠れる感じ)爆睡したら、志村けんのオバカ番組を観る頃にはほぼ復活した。体調がよければ普通は観ないけれど、こんな体調の時にはあのアナログ的なくだらなさが丁度いい感じ。晩ご飯もまあまあ食べられたし、たぶん明日までには治るだろう。なんとなく夏風邪っぽいのかも。このところ結構流行しているし、仕事場でめずらしく貰っちゃったのかも。ここしばらくはスローペースで様子をみることにしよう。つか、それしかないし。

September 6, 2010

サマータイム導入待望論


9月になっても猛暑が続く。寝る前にエアコンを安眠モードにセットして気持ちよく寝るのだけれど、夜明け前には暑くて目覚めてしまう。窓を開けると少しだけ涼しい風が入ってくるれど、もう二度寝できないくらい目が冴えてしまいてシャワーに直行して、今朝も5時前には目覚めてしまった。これでは、日本中寝不足にもなるだろう。マクロ的に日本全体でみれば、その影響たるや絶大なモノがあるハズだ。

逆説的だけれど、僕はこの夏期の早朝って好きだ。

徐々に明るくなっていく東の空、テラスの草花も生き生きと背伸びをしている。静かな街の始まり。遠くに聞こえる電車の動く音。静謐な空気の揺らぎ。今日あるであろうモロモロの出来事の「すべての始まり」をソコに居る自分が感じられる時間。しみじみと内省する時間を持てる幸せ。巧く言えないけれど「これまで」より、「これから」に目が行く時間。その「わくわく感」が力を与えてくれる気がする。

朝の思考は夜に比べて全然ポジティブだ。経済の停滞から抜け出せない日本社会の相当強力な「起爆剤」になるんじゃないかな。日本が熱帯化していることはもう議論の余地がないんだから、この際、欧米みたいにサマータイムにしてしまえばいいと思う。若い頃アメリカで生活していた時には、仕事に一所懸命で生活に余裕もなかったのでサマータイムってメンドクサイなあ・・・なんて5月の1ー2週間は思っていたけれど、そのうちに慣れてしまってこんなもんかな、って感じだった。でもニュージーランドで生活していた時にはエンジョイしたなあ。朝早い反面、夜はいつまでも明るくて帰宅してからも十分な時間があるので、かなり余裕をもって豊かな生活が出来た。病院から帰宅して娘達を学校に迎えにいき海岸に行って遊んだり。上の画像は当時よく行ったParaparaumuのビーチ。やはり人間は明るいうちに活動するものだし、日本中の人々が少しでもポジティブ指向になるだけでかなり「世の中の空気」は変わるだろう。

September 5, 2010

後半戦の作戦

じょうじ君と、打ち合わせ昼ご飯@神田薮そば。ここんちの居心地の良さは、さすがだ。老舗の風格というか。なぜか昔の湯河原の家のことを思い出した。古き良き時代の空気が似ているのかも。せいろうそばで〆。その後は小川町のドトールで打ち合わせ。今度のCDのレコーディングのスケジュールや、恒例の秋の「B☆竹ライブ」のことなど。日時と場所もほぼ決まり、ほっとする。考えてみれば、プライベートでは特別悪い事もなかったけれど、あまりいい事もなかった2010年。2/3過ぎたし、来年に向けて後半1/3でいい時間を過ごして終わる事が出来ればいいな。しみじみ。

堂々巡り

昨夜突然、自宅からネット接続ができなくなって、いろいろ試みるもダメ。マックの接続設定をやり直したり、再起動を繰り返してもダメ。最終的にはどうやら本体の問題ではなさそうだ・・・という結論に至り、昨夜は諦めて寝る事にした。こういう「探し物」的な堂々巡りって、気持ちわるいものだ。同じルートをぐるぐるぐるぐるぐる、回る。

気になりつつ眠りながら考えていたんかもしれない(笑)、今朝目が覚めて「あっ」と気がついた。いや、逆だな、気がついて「あっ!!」と目覚めた感じ。AirMac Extremeの電源が切れていた(笑)。ある時点から突然家中のPCのネット接続ができなかったのだから、気がついてみれば、あまりに単純な事。机の裏のものを動かした時に床下に置いてある電源タップのスイッチを触ってしまったみたいだ。だいたい、このテのトラブルの原因っていうのはそんなもんなのだな。やれやれ、復旧。

September 3, 2010

眠くて仕方ない一日&PC短歌

目が覚めたら6時すぎだった。一昨日当直で寝不足だったせいか、昨夜はどろどろで早めに22時過ぎに寝たのだけれど、3時過ぎに一回、5時前に一回目覚めてしまったみたいだ。それも微睡むのではなく「ばちっ」と目覚めたのだ。その度に、あれっ、朝じゃないな、もう少し眠ろう・・・って思って目を瞑っているうちに、寝入ってしまう状況。なんだか「ふわふわした状態」で6時過ぎに起床した。

たぶん2回目の微睡みの時に観た夢。

もの凄く広い砂浜(たぶんニュージーランド)で、僕はおもちゃみたいな「建物」を組み立てている。大きな2枚の大きな板を組み合わせていると、ふたつのピースがちょっとだけズレていることに気付いた。でも、その不具合の修正ができるだろうか?、と思いつつ細部の細工を変更して(ノミやカンナを使いながらかなりリアルに)仕事をしている。陽射しは強いし、持っている工具は貧弱だ。でもいろいろ苦労した後、なんとかそれがうまくいって(ズレているハズの穴が予想外に気持ちよくピタッと嵌った!)、よかったー!と喜んでいる自分。多分、このところの仕事のストレスと、昨日の夕方に来た電気屋さん(リビングの天井ライトのコントローラーを修理してもらった)のイメージが重なっただろうな(笑)。

そんなこんなで今日一日中、昼ご飯を食べた後、午後の回診の後など、座っていたら、なぜか自然に眠かった。ふーーっと眠りそうになった。このところの疲れが出ているのか?

短歌生成ツールをTwitterで発見。これは面白い!

「星野しずる」作(ちょっとだけ改変)

水色の 深紅の猫の横顔に なるまで眠る 宇宙の下に
アラビアの ほんのちょっとの謎の死よ パラドックスを 見送りて
退屈な街に なったらいらだちはやさしい 群れをたしかめている
明け方の 十年前の歌の日だ テトラポッドを 待ち続けつつ
肉体を 失い夏の神さまを おぼえていよう あの夏の国

爆笑&感動!これはアリでしょう。

September 2, 2010

最猛暑の夏なんだと。

この夏は、113年の観測史上最も暑い夏だそうな。ふう、たしかに。実感。当直明けで2時間弱の睡眠時間、ふらふら状態で午後の猛暑の環八の歩道を歩いていたら、ふーーっと気が遠くなりそうになった。誇張じゃなくて。あの気温は、完全に体温を越えていたと思う。

そんな状況で上野毛の交差点を北に一本過ぎた所で信号待ちをしていたら、環八に左折した黒いポルシェ・カイエンに乗っているニーチャンと目が合った。サッカー全日本のサイドバック、長友佑都選手(チェゼーナ)。のけぞり加減で驚いた僕を観て、彼も「あれっ?もしかして知り合いかも?」と思ったのかどうかはわからないけれど、左折で一旦停止していた彼と5秒くらい見つめあってしまった(爆)。そんな感じがモロ出しで、気さくな雰囲気のあるニーチャンだった。僕は彼の泥臭くも献身的なバックスとしてのプレースタイルは好きで、ファンなのだ。明治大学出身で次女ゆっつんとの縁もあって、親近感を感じていたけれど、こんなこともあるんだな。今度の土曜日の全日本戦のために、松井とか内田とかとともに日本に帰ってるらしい。

夕方は久しぶりにジムで軽めに4本200m、指を庇いながら。サウナの後に水風呂に入っていたら、あまりの気持ちよさに眠ってしまい沈みそうになった。ジムから出て歩いていたら、仄かな風を感じて、少しだけ秋の気配がした。

September 1, 2010

Share the Responsibility

月一回の「東京★ルール(★は検索回避のため追加)」の当番日にて当直中。「東京★ルール」というのは、都内の救急対応の医療施設がブロックごとに「地域救急医療センター」を設定して、救急隊の「選定困難」なケースに対して対応するシステムだ。様々な理由で救急医療施設が受け入れを断ったケースを当番の日には「無条件で受け入れる」というルール。救急受け入れ先の「選定困難」ということは実際にはどういうことかは、現場を少しでも知る人ならすぐに理解できるが、一般にはあまり理解してもらえないかもしれない。マスコミは時に「たらい回し」みたいな悪意を込めた書き方をするけれど、どこの現場でも地域の救急医療を支えるべく毎日必死の努力をしているのだ。にもかかわらず、それが「できない」ということは、「それなりにリスキーなケース」ということになる。多くは薬物中毒、精神疾患、犯罪がらみなどで、医学的に問題があるというより社会的な背景に問題がある。とはいえ、誰かが対応しなくてはならない。その大変なケースを「皆でシェアして支えましょう」というシステムなのだ。欧米の病院でよく使われるターム:Share the responsibility!

稼働するまでには、エゴやワガママがぶつかり合って大議論だったが、新しいシステムを立ち上げる議論をしているのに「できない理由」ばかり主張して何もしようとしない連中には本当にアタマに来たことについて、以前ココにも書いた。が、とにもかくにもシステムは立ち上がって今日に至っている。今日もスタッフの必死の頑張りに支えてもらって、今夜も今のところはうまくいっているので、ほっと一息ついたところ。それにしても、救急現場というのは今も昔も過酷だ。当直をしている僕自身、仮眠はとれるかもしれないけれど(希望的観測)、今日の朝8時から明日の午後3時すぎまで連続31時間勤務だし(あくまでも予定)。患者さんの汚物にまみれたり、怒声と悪態に耐えながら、必死に頑張る現場のスタッフの苦労とストレスについて、十分に報われるようなシステムにまでにするには、まだまだ道は遠いというのが実感。それを主張して少しでも良い方向に持って行くが、医師会の担当理事としての僕の仕事なのだ。微力ながら。

さ、まだ明日の朝まで頑張らねば。
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