助けあいジャパン

January 31, 2008

論文小説

医学部と薬学部の兼任講師として学生や研修医たちの教育に、今でも携わってはいるものの、研究という面ではアカデミックキャリアから遠ざかって、早いもので10年以上経っている。今は臨床の現場にどっぷりの日々だけど、僕のCV(研究論文や発表などの業績集)を久しぶりに見てみたら、若い頃は多いときで年に5本、少ないときでも3本くらいの論文は発表していた時代があったんだ、しみじみ。

科学論文というのは・・・
1)抄録(サマリー)
2)序(はじめに):研究の目的(仮説)を述べる
3)対象と方法:研究対象と研究方法
4)結果:実験の結果を述べる
5)考察:結果について考察して、文献的な検討を加えて結論へ導く
6)結語:まとめ
7)参照文献
8)謝辞:研究をするにあたってお世話になった人へのメッセージ
という構成。

安月給で四苦八苦しながら、日本・アメリカ・ニュージーランドでよく頑張ったなぁ。英語で論文を書いたり国際学会で英語で発表することが、全然苦痛じゃなかった。むしろ自分から進んで挑んでいった。日本の学会で海外からの発表があると必ず質問したし・・・(目立ちたかっただけかもしれないけど<爆)。ま、でも、あの頃の自分にヨシヨシしたくなったのは事実。

もうひとつ感じたのは、物語としての論文の可能性。学会で注目を浴びてヒットするような質の高い研究論文っていうのは、面白い小説みたいに感動するものだってこと。最近この感激(書く喜び、読む喜び)から少し遠ざかっているなって反省した。

小説(物語)の流れは「起承転結」が基本だけど、科学論文の定石である上の方式1〉→ 8)で書いてみたら面白い(ある意味斬新)かもしれない。あ、でも、業界ウケするだけかもな(爆)

その昔、医局の後輩の結婚披露宴での祝辞で、学会発表形式でスライドを使ってやったら内輪では最高にウケたけど、一般の参列者はキョトン、シラーっとしてた(恥!)もの。

January 29, 2008

馴染みBarと客の心理

自宅から徒歩1分のバーがお気に入りで、5年前の開店直後から通い詰めていた。オーセンティックなバーで、スコッチのモルトのコレクションは素晴しいし、何より店の雰囲気とバーテンたちの人柄が素晴しく、週に2-3回は帰宅途中に軽く引っ掛けて帰る習慣、だった。夜の会合や会議やら仕事関係のパーティの後は、必ずとい言っていいほど「口直し」に寄ってたし、フードだって一捻りあるものばかりでレベルも高くおいしかった。

今でもお店に対する不満は全然ないのに、なんで「過去形」かというと・・・

昨年の冬から帰宅前に泳ぎ始めて早10ヶ月。メンタルな疲れを、フィジカルな負荷でバランスする快感を知ってしまうと、家の至近にある(ありすぎる!)バーに寄る理由がなくなっちゃったワケ。で、週2-3回はコンスタントに泳ぐようになって、始めのうちはヒューガルデンとかギネスを引っ掛けて帰っていたけど、面倒くさくなっちゃった。

仕事場でヘロヘロでも・・・とにかくジムに直行>1時間のプールとジャクージ&サウナ>5分で帰宅>家で軽めの食事&ゆっくり飲んで、遅くとも11時には就寝・・・てパターンが、妙にしっくりくる。

結果、4kgは無理なく痩せたし、体調もいい。さらに月に10回は行って遣った月ウン万円の出費がなくなったわけだ(笑)。全然お金遣ったことには後悔はないんだけど・・・。

さらに、あまりにもあの店の「常連」になっちゃったので、急に行かなくなって、逆に行きづらくなってしまったのも大きな理由のひとつ。この辺は、通い詰めていた店(レストランとか・バーとか・床屋さんとか…etc)に、何らかの理由で行かなくなっちゃうと、ヘンに避けたくなったり、億劫になったりする心理と同じだね。

僕が自意識過剰なのかな?

だな、そう思う(爆)。

January 26, 2008

人間関係

AとBという人間関係で、「合わない」ということは、ままある。その人達の言葉・価値観・志向性・経験値・感性・・・多くのことで「合わない」のだ。これはある意味当たり前のこと。さらにAとC、AとD、AとE。それぞれの関係で「合わない」こともありえるワケで・・・。

でも、AとB、AとC、AとD、AとEが「合わない」場合、ほとんどの場合やはりAという人に問題があるんだよな。Aの人格を否定するわけじゃなくて、Aにそのことを気付いてもらいんだけど・・・たぶんムリだなって思った。昨日職場で。

人間関係っていうのは難しい。

C1000タケダ事件

前夜の大活躍(笑)の疲れもなく、翌朝はいつもの通り6時起床で出勤。自由が丘のコンビニでいつもの通りC-1000タケダとお茶を買ってから、朝食(その2)のオニギリを買おうとしたら・・・手許が滑ってC-1000タケダのボトルを落としてしまった!信じられないくらい大きくきれいに弧を描いて落ちるボトル。

ガッチャーン!

割れて飛び散る黄色い液体!

隣の若いサラリーマン風の男性にモロにかかってしまった!!

「すみません!申し訳ありません!」

憮然とする男性(当たり前だよね)。一瞬置いて怒りの表情。
「どーしてくれるだよっ!」と怒声。これもある意味当然の反応だ。

「申し訳ありませんでした!」と、ハンカチを出して濡れてしまった彼のかばん、コート、靴を拭く僕。
100%僕の過失だし、心から謝った。店の人に言ってタオルを持ってきてもらい、さらに丁寧に拭き取る。

「ん?」何も言わず全然動かず、僕に拭かせているその男に気付く。
ちょっと不自然だな、と感じた。僕が彼の立場なら、「あ、別にたいしたことないし、もう大丈夫ですよ」と言う程度のダメージなのだから。

目が合う。真正面から彼の目を見る。もう一度「すみませんでした。怪我はありませんか?」と聞く僕。
一瞬、彼の目が揺らいだのを見た。「あ、怪我はしてない。濡れただけ。」

「ごめんなさい。申し訳ありませんでした」と僕。

そして彼は言った
「えっ?それだけ?それだけなの?・・・」

この瞬間。この男の考えていたことがわかった。つまり、誠意(お金か何かだろう)を見せないの?ということなんだろう。もちろん、僕も彼の濡れてしまったコートや鞄を拭きながら、クリーニング代としてお金を渡したりしたほうがまるく収まるかな?とか、彼の持っている買い物分位ならを僕が出してもいいかな?とか、考えてはいたのだ。でも同時に、自分が起こしてしまった事故のダメージを冷静に観察して、「ああ、よかった!それほどのダメージじゃないな」とも判断していたのだ。

さらに沈黙・・・5秒。ある意味駆け引きとも言える時間。

もう一度、「それだけなの?・・・」と、さっきより心もち弱いトーン・盛り下がり(笑)の声で言う。
不機嫌な表情の男。でも目が落ち着きなく動いている。

僕は彼の目を見てから、意識的にゆっくりと言った。
「申し訳ありませんでした。大丈夫ですか?」

さらに5秒の沈黙

最後に男は「・・・・・もう、いいよっ!」と言い、キャッシャーに向かった。

100%僕の過失だったし、気の毒なことをしたとは思う。
だけど、どうなんだろう?あの程度のダメージだったら、僕の感覚なら「何かを期待しない」だろう。盗人猛々しいとの批判をあえて受けるとしても、「権利は最大限主張して義務は最小限、できればパスしよう!取れるものなら取ってみよう!」という現代の風潮を垣間見た気がした。

でも、本当ごめんね。過失は認めます。

田園都市線1月24日

1月24日木曜日。夜7時半ごろ田園都市線渋谷駅に到着すると、5時半ころ起きた人身事故の影響で電車が遅れて大混雑。ホームへの入場制限で20分くらい待たされて、やっと乗った電車はぎゅーぎゅー詰め状態で乗客はいらいらしているところで、さらに桜新町直前で緊急停車。用賀駅でレール故障!開けられる車両のドアからホームへ降りるとホームはさらに大混雑。どうも復旧までにさらに時間がかかるらしい。ホームでは携帯電話もワンセグもインターネットも繋がらないので、仕方なくどこかでタクシーを捜すかな、と歩き始めると・・・ホームの先のほうに救急隊がいる。

どうやらこの大混雑で気分の悪くなった人達が多数出たらしい。人の流れに逆らって救急隊のほうへ向かい協力を申し出る。僕は医師会の救急担当理事だし、現場が世田谷なので、顔見知りの救急隊員が多数。「あれー!先生、こんなところで会うなんて!協力宜しくお願いします!!」」ということに(笑)。

その後は、桜新町のホームで、次々と運び出される人達の救護とトリアージを行う。傷病者の総数17名、うち搬送8名。あの状況でパニックになってしまい過換気になって気分が悪くなった人や起立性低血圧(立ちくらみ)の人などの軽症がほとんどだったけど、中には病院への搬送が必要な人もいて、パニック障害の発作を起こした女性、狭心症の男性を自分の病院に連絡して搬送した。

あれだけの人が居たんだから、何人か同業者のドクターがいたはずなんだけど、結局医者は僕一人(怒)。自分はナースですと申し出た女性2名、心理カウンセラーだという男性1名、CPRの講習を受けていて何か手伝えないか?と申し出た男性1名。大多数の乗客は、野次馬ないしは無関心。傷病者をホームから道路まで搬送する手伝いとか道を開けて誘導する手伝いとかのボランティアを申し出る人は一人もいない。そんな状況でさえ、事故処理にあたってテンヤワンヤの東急の職員にクレームを付けている(つるし上げていると言った方が適切か?)アホ達も十数名いたりして。大地震・大災害が東京を襲ったら、どうなるんだろう!

電車が走り出したのが10時少し前。幸いすべての傷病者は処理して事なきを得たということで。6隊出動した救急隊が撤収を開始したのが11時ころだった。ふー、大事に至らずよかったよかった。その後、記者の取材を受けて帰宅。ニュースを見たら17万人が足止めされて大混乱だったらしい。やれやれ。

翌25日の朝、消防庁から感謝状を贈りますという連絡を頂いたけれど、丁重にお断りする。だって当たり前のことしただけなんだから。それにしても、「大群衆のパニック」っていうのを現場で体験してみると、いろんなことがわかる。不謹慎かもしれないけど、いい経験になった。

January 23, 2008

ステテコ&靴下を履く動作

昼過ぎまで雪の日。朝の気温は3度。さすがに寒く感じるけど、僕はコノくらいの寒さはぜーんぜん平気。つーか冬はこのくらい寒くて当たり前、コレでよろしい(笑)。

8時過ぎから2日ぶりにジムへ。ちょっと疲れ気味&痛めた腰のぶり返しの予感があったので15本で上がりサウナでまったり。寒い夜だったけどプールは結構混んでいた。

で、今日の本題。ステテコ(ズボン下)についての考察。ジムのロッカーで見ていると、かなりの人達が「ステテコ」を穿いている。大体60歳を境にして上の世代の人は80%位穿いている印象。一度も穿いたことがない僕としてはちょっと驚いた。寒かったからなのかな?僕らの世代でズボン下を穿いているヤツは皆無だろう。海外の男性用ロッカーでいわゆる「ズボン下」形状の下着を穿いている人って見たことないもん。これは日本独自の肌着であるのは間違いない。それに「ステテコ」って、どんな由来の言葉なんだろう??。ポルトガル語などの外来語なのかな???と疑問がふつふつ。

で、調べたら・・・・

ステテコは主に男子が着用する、裾が股より長く膝下丈まであるズボン下である。着物や袴の下に履く下着として、明治以降の日本の近代化に伴い全国的に普及した。・・・(中略)。語源は俗に初代(本当は三代目)三遊亭圓遊の「ステテコ踊り」の際に、着物の裾から見えていた下着であったためであるといわれている。(後略)。Wikipediaより

だってさ(爆)。僕的トリビアだった。

それと、もうひとつの発見は、「ステテコを穿いている世代の人達は、ほぼ100%の確率で座って靴下を履いている」こと。「年寄り」度(笑)というラダーを考えると、「ステテコなし&靴下座り履き」が続き、「ステテコなし&靴下立ち履き」と続くワケだ、世代的には。

僕はステテコなし(当たり前だ!<笑)、靴下も立って履くよ(爆)。

January 22, 2008

うーーー、やーーー、たぁーーーーーっ!

少年ジェットのミラクルボイス攻撃。白マフラーでオートバイに乗った少年は、名探偵の助手って設定で、危機的状態で敵に対すると、ヤルわけだ。
「うーーー、やーーー、たぁーー!」。
そうすると、嵐は起こるし地割れは起こすし、敵も木っ端微塵に粉砕する(爆)。今日、ひょんな事からフラッシュバックした。

ネットで調べてみると、僕がリアルタイムで憶えているのは少年ジェットの「続編」らしい。1961年の7月からの番組ということだから、当時僕は4歳なんだな。それにしては鮮明にドラマの場面を憶えているのが驚きなんだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88

不思議なのは、その後の場面とか展開を全然憶えてないことなんだな。ドラマのヒーローっていうのは、超現実的な無敵の武器を持っている反面、例外なく「現実的な弱みというか弱点」があって、そこに葛藤があるっていうのが定石なんだけど・・・少年ジェットの弱点って何だったんだろう???

ただ、それだけ、なんだけど(爆)

January 20, 2008

FMサルース、突然生放送出演


昨夜は京王プラザである研究会の司会進行役。毎年この時期の恒例行事。今回は途中で発表用のパソコンの不具合があり焦ったが、なんとか3演題を時間内に収めることが出来ほっとした。その後、同じホテルの宴会場でパーティに出席してちょっと早めに帰る。帰路、PCのノートンが期限切れである事に気付き、渋谷で途中下車してBICに寄ることにした。広場でストリートミュージシャンが演奏していて、その中でも一風変わったパーカッションの男の子の演奏が面白くて聴いてしまった。歌系はダメだね、ああいう場では。聴くに堪えるレベルのに当たったことがない。帰宅して焼酎を飲みながらPCのメインテナンスをして早めに寝る。

朝ネットでメールやらブログやらHPやらを巡回していたら、香月さんが昨日誕生日だったとのこと。泳ぎに行くついで(といっちゃなんだけど<爆)に、お花を買って生放送のスタジオを訪問することにした。お祝いを言ってお花を渡したら、「じゃ、せっかくだから、まーくさん出演していけば!」という話に急遽なってしまい、生放送にお邪魔しちゃった。いつもの彼女のテンションで乗せられて、今年のハックルの活動予定など、気持ちよくお話させていただき、最後に「流れ星」をかけてくれた。

ありがとうね、香月さん&まなさん。今度はまた3人で遊びに来ます。

その後は、ジムで20本(1000m)&サウナでまったりしてから遅めの休日ランチ。Earth Dining KUFUにて「カキフライ」ランチ。今まで知らなかったけど、この店友人の志太さんのお店だったのね(笑)。ビールでほろ酔いのまま、九州物産展をしていた東急SCで博多・鉄なべ餃子&今夜の野菜鍋の食材を買って帰宅。お出汁に凝って肉系の全く入っていない「野菜鍋」に今夜は挑戦する予定。わくわく。

アッコちゃんの時代

林真理子の「アッコちゃんの時代」が文庫本で出たので読んだ。ここ数年の「懐かしい系」で取り上げられることが多いバブリーな時代の話。小説というより、一般週刊誌(週刊新潮とか週刊文春)的な記事を読んでいるみたいで、2時間で読める。つーか、2時間以上かける価値はないな(笑)。林真理子ってこんなんだっけ・・・。ま、文庫本だし暇つぶしとして読むならそれなりに面白い本ではある。あの時代のことを描写しようとはしているんだけど、表面的というか、いまいち物足りない。つーか、たぶん林真理子本人がその時代にあまり遊んでなかったというか、その世界から遠いところにいたっていうのが透けて見えちゃうんだな。それと、善意の傍観者みたいな立ち位置が鼻につく感じ。頭のいい彼女のことだから、あえてその立ち位置をとったんだろうけどね。

当時の成金の一番手であった最上興産の早坂某の愛人になった後、奥さんの風吹ジュンと争ってキャンティの御曹司と略奪結婚しちゃう主人公(アッコちゃん)ってのは、どんなに魅力的な女なんだろうってネットで検索したら、本名で出てるんだね。川添明子さん。ユーミンに「よっ、魔性の女!」って言わしめたというのは実話らしい。

http://samech.web.fc2.com/dinform/geinou/g070506.html

↑↑ ま、普通にきれいな人ではあるけど、それほどのモンじゃないんだよな。
観なきゃよかった・・・かな(爆)

January 18, 2008

明日の広告

さとなお君の新刊「明日の広告」アスキー新書。広告業界の外側にいる僕ら(というか広告の受け手:消費者)にとって、広告が「コミュニケーションの方法論」のひとつであるという発想自体が、目からウロコなんだよね。その世界では常識なんだろうけど。うん、確かにその通りだと思う。でも、コミュニケーションというからには、双方向の流れがあるはずなんだけど、それがなされていなかったってことなんだろう。インターネットの時代になって、その当たり前のことが明白になったってことか。

従来の(一方通行の)広告っていうのは、消費者にヘンに媚びていたり、やけにタカビーだったり、奇を衒ったりすることばかりに力が入っていたりて、衆愚的な大衆を相手にしたものだった、と思う。夢のような消費生活に憧れた高度成長期や、モノと金に浮かれたバブル期、ソレに続く失われた10年、IT革命(死語か<笑)と加速度的に増える情報の洪水・・・を経験した消費者は、もはや従来の方法論では「モノを買わなくなった」「心を動かされなくなった」って事。そう、最近の情報の洪水の中で、いろんなメディアから流れてくる膨大な情報に相対して、僕ら消費者は食傷気味というか、斜に構えて受け流すことが、自己防衛のためのフツーの態度になってきていたわけだ。この本で、色んな角度から非常に丁寧に述べられている「消費者が変わったのだ」という記述を読んで、うんうん、そうなんだよね・・・と腑に落ちた。

この本にある、スラムダンクのキャンペーンの話は感動的だ。新しい広告の予感がする話。

あえてツッコミをいれるとすれば、「消費者を味方に付ける」とか「消費者の立場・視点に立って」とか「とことん消費者を分析して戦略を立てて」とか「消費者をパートナーに」っていうのは、広告業界にとっては昔も今も当たり前すぎるくらい当たり前のことなんだろうなって感じた。だって昔から「心に残るいい広告」っていうのは、そういうもんなんだもん。つまり、極言すれば一般的なテクニックの問題よりも、一番のポイントは、その広告を作る個人&チームの資質とセンス+コンテンツを作り上げる力量(技術力)なんだろうって思う。

とはいえ、広告を作る側の意識が変わってくれれば、僕ら消費者にとっても、もっともっと面白いことが起こってきそうな気がする。この本を読んで、これからが楽しみって素直に思えた。広告はエンターテインメントなんだから。

清々しい読了感。

January 17, 2008

一転多忙と海馬の働き

昨日ヒマだなんて書いた舌の根が乾かないうちに(笑)、一転して多忙な一日。ま、そんなモンだよな。
2月は行政関連の会合やらイベントやらが目白押しで、ばたばたスケジュールになりそうだし。そんなこんなで、あっという間にお正月>春>夏ってパターンなんだよな、いつも。

時間の流れの速さを憂うのはオトナの常なんだけど、それは色んなことを「憶えている」からなんだと思う。若い時には「忘れちゃう」ことをオトナは逐一憶えている。だから何年前のことも、何ヶ月前のことも、昨日のことも、今日の朝のことも、ついさっき前、つい昨日のことのように感じてしまうんだな。だから経過した時間を短く感じる。同じ時間の枠の中で色んなことがあるのは、コドモもオトナも全く一緒なんだけどね。コドモは経験した事柄を感性で受け止めつつ取捨選択して(未熟な自分に都合の悪いことは忘れ)微分的に記憶するけど、オトナは今までの経験知を積分的に記憶する。つまり忘れ(られ)ない。

そっか、そっか、歳をとって認知症でボケちゃうと時間と空間のずれが生じて短期記憶がなくなっちゃう(例えば朝ごはんに何を食べたのか忘れてしまう)のは脳の防御機能なのかもしれないワケだ。つまり、傷つかないようにコドモに戻っちゃう。

脳の可塑性。換言すれば海馬の働きなんだ、コレも。脳科学者からすれば当たり前の事実を気付いたぞっ、ははは。

January 15, 2008

回遊魚

通常、この季節っていうのは病院は一年で一番忙しい時期のはずなんだけど、今年はなぜかヒマ。僕らのような救急医療機関の場合には、かなり忙しさに波があるには事実なんだけど。今日は医師会の会合があってひとしきりその話題になった。この地域の医療機関は、皆同じような印象のようだ。ま、世の中に病気や怪我の人が少ないのはいいことなんだけどね(笑)。モノを作ったり売ったりする商売とは違って、生産や在庫の調整もできないし、常に僕らは準備を怠らず待つしかない。そこが経営サイドにとって辛いところなんだけど、お年玉セールやら販売促進キャンペーンなんて出来ないもんな(爆)。

でも、ああヒマだぁ・・・なんて言っていると、次の日はとんでもなく忙しかったりするんだよね。通常の忙しさに慣れてしまって、ヒマであることに不安感を感じるなんて、常に泳ぎ続けないと死んでしまう回遊魚のような性格になっちゃったのかもしれない。

やれやれ

January 14, 2008

やりすぎっ!

昨日はさくらに集合してひさしぶりのヘッドフォン・バー練習。特にライブやらレコーディングやらの懸案事項のない練習は、いいリフレッシュになった。夕暮れ時の薄暗い部屋で音楽に没頭するのは、アルファ波が出まくって至福の時間。その後は、じょうじ君作の水炊きパーティ。鳥新の鶏肉は最高でした。今年の予定としては、さしあたり北海道遠征とCD作りかな・・・なんて話が進む。友人のI病院のI先生からの頂き物の大吟醸の冷酒(年に2回、彼は素晴しいお酒を送ってくれるのだ)をがっつり飲んで、満腹大満足で千鳥足で帰宅。危うく乗り過ごしそうになった(いつものことだ<笑)。

爆睡して、目覚めたのが6時過ぎ。ぬくぬくとベッドでまどろみ二度寝してしまい8時過ぎまで。睡眠時間9時間って・・・、(笑)。二日酔いなしですっきり目覚める。朝のルーティンの後、ジムに向かう。かみさんは同時刻のエアロへ。連休休日の午前はプールが空いていて気持ちよくレーンを独り占めして泳ぐ。12-13ストローク/25mのペースで泳いでいるうちに、だんだんストロークが短くなってしまい、工夫しつつ「もっと、もっと・・・」という気持ちになってしまい、予定以上に泳いでしまった。いつもの20本(1000m)を過ぎてからは、かなりきつくなったけど、その苦しさが逆に快感になってしまい、結局、断続だけど7本(350m)多く泳いだ。それなりに達成感があったんだけど、フィジカル的にはtoo muchでジャグージで漂いながら眠りそうになってしまった。やりすぎっ!歳を考えなさいっ(笑)。

昼ごはんは、新しく出来てわりと評判のいい中華「花楼香(かろうか)」。ビールを飲みつつ、ふかひれ餃子&海鮮五目そば。前菜もデザートもついているし、味のバランスもよくて満足。休日の昼ご飯リストに加えることにした。午後はソファーに寝転んで高校サッカー選手権の決勝戦を観ながら、うだうだ。流経大柏は高校レベルとは思えない位の、素晴しいチームだと感心する。彼らの個人技の素晴しさは僕らが高校時代にやっていたサッカーとはまったく別次元(爆)。FWの大前君はしっかりとJで育てて世界で十分活躍出来るんじゃないかな・・・。

January 13, 2008

知的好奇心強化月間(笑)

このところ本業以外の本をどっさり買い込んでる。日常の生活というのは、ルーティンとサブルーティンの繰り返しではあるけど、日々の生活の中で「ん?」とか「ほほう!」とか「おおっ!」とか「むむむっ!」とか感じられる「感性」というのを、常に大切にしたいと思う。この歳になると。

「そんなの知ってる」とか「もうわかってる」という感覚が先に立ってしまい、自分で「わかったつもり」になっている事って意外と多いのだよね。そこで思考停止してしまい、展開をしない。油断していると。つまり「好奇心」というのは常に磨いていないと、どんどん収束してしまう。歳をとっても魅力のある人っていうのは例外なく「好奇心」があって、自分の言葉で自分の世界を語れる人だもんな。

January 9, 2008

promised young men

Promisedという言葉は、「将来有望な」というニュアンス。今日午前の外来では、司法試験の勉強に一所懸命の女子の学生、公認会計士試験を目指して頑張っている浪人中の男の子、午後は医学部の学生のSGD講義ということで、いわゆるpromisedな若い人たちと話をする機会があった。みんなそれぞれが自分の将来を信じて頑張っている人たち。でも彼らはラッキーなわけだ。自分の将来の夢に向かうパスが見えるし、一応今現在進行形でその路線を進む権利を得ているわけだから。ま、そのまま精々頑張りなさい(爺笑)。

今の世の中、僕らの世代が若かった頃と違って、出世や成功パターンが描きにくくなっている。キャリアパスにしても社会システムそのものが激動期にあって、ほんの10年前の常識が非常識になってしまい、新しい知識や技術がすぐに陳腐になってしまう。その変化のスピードに、皆ついていけなくなっているということで、上記の「勝ち組」以外の大部分の若者にとっては、きわめて厳しい現実が待っている。いい(というか高偏差値の)学校を出て、いい(給料や社会的信用のある)職場に就職をすることがイコール「将来にわたっての幸せ」を必ずしも意味しないことが、みんなわかってしまったワケだ。

じゃ、勉強しても意味ないじゃん、楽に楽しく過ごそうやって気持ちになったとしても、そんなに不思議じゃない。でも将来、相当厳しい状況が待ち受けているわけだ。成り上がるっていっても、それはそれですごく大変なことだ。昔も今も。チマチマと机に向かって勉強するとか、へりへろになるまで没頭して修行するとかが軽んじられてしまい、どうも「一発逆転」みたいなギャンブルを志向する若い人が多くなっているような気がするのは僕だけだろうか?

もちろん、僕らの時代にも「勝ち組」と「負け組」の間には厳然とした「格差」はあったんだけれど、僕を含む大多数の「普通の人たち」=「どっちでもない組」にとっても、そこそこの明るい未来は用意されていたんだけど、これからはその「格差」が更に大きくなっていくんだろうな、日本の社会では。

じゃ、どうすりゃいいのか?

やはり基本に戻って若いうちは「勉強すること」なんだと思う。学校の成績は二の次としても、自分のための勉強をすること。人生どこかで必死になって何か学んだり、技術を取得したり、自分に向き合った時期があるかどうかがポイントなんだろう。そういう泥臭いことってやはり尊いんだよ、やっぱり。

その努力もしないで、今の自分は「仮の姿」で「本当の自分」は別にいるっていう幻想を持つのは、若いうちはよくあることだ。自分探しの旅に出たりしてね。でも、根拠のない自信や努力に裏打ちされていない夢は、残酷なようだけど単なる「淡い希望」や「現実からの逃避」でしかないんだよね。

やっぱり精進するこったね>すべての若い人

January 8, 2008

占い

以前にも書いたことがあるけど、僕は占いって全然信じてない。でも少しは気になるんで(そこがミーハーな処なんだけど<笑)、今朝チェックしたら六☆占術では「最悪:大殺界」、四柱推命では「悪くない、でも健康に注意、来年に期待」、西洋星占いでは「仕事運最高、金運そこそこ、健康運は絶好調、家庭運注意必要」とのこと。つまり、どーゆーことなの??結局は未来はわからない!っていうコトじゃん・・・。

ま、当たり前の結論だな。
占いごときでわかるわけないんだよな(笑)。

人生は明日のことがわからないからこそ面白いと思うし、わからない未来を信じて「より良い明日のために」日々精一杯努力していくものだと思う。言い換えれば、人は生まれながらにいろんな運命があるとしても、自分の人生に「納得」することが出来れば、それでいいんじゃないかと。生まれながらに重い病気を背負って生まれてきた赤ちゃんや、それまで人生順風満帆だった人が事故や病気を境に急転するのを、いつも診てきた僕としては、「人生一瞬先は闇」というのは揺るぎない真理だということが骨身に沁みているから。

つまり基本的には「絶対運命論者」なんだけど、努力すれば「どんな運命だって自分が努力して切り開けるし、納得できるならば、いいじゃん!」という、「現世原理主義者」ということになる。

今年も楽しみたいね。

January 6, 2008

初週末

今年初めての週末。なーんにも予定を入れず、のんびり・まったりの週末。6時過ぎ起床。乾いた空気、スコンと抜けた青空。PCに向かい、メールをチェックしてから、e-mobileとPCを連動して今年の漠然とした計画を立てる。ま、今年も結構いろんなことがある年になりそうだな。

とにかく家族皆が心身ともに健康であることが一番だと思う。

長女はデート、次女はバイト、三女はW塾に(彼女はいよいよ来年受験なのだ)、僕はジムへ。痛めた腰をかばいつつストレッチして20本(1000m)&サウナ。午後は読書&お昼寝&書斎の整理。娘達はそれぞれ外出中なので、かみさんと二人でJade Gardenでディナー。僕らがたまプラに住んで早いもので7年目なんだけど、ここ1-2年ですごく変わった。再開発計画後の街並みはこれからどんな風に変わるんだろうね。

そんなフツーの週末なんだけど、十分充電した実感。
明日からが今年の本当の幕開けって感じだ。わくわく

January 5, 2008

腰痛去りて・・・

年末から年始にかけての突然の腰痛。椎間板ヘルニアの再発。僕の場合には、左の股関節からお尻にかけての鈍痛と太ももから左のハムストリングスへの痺れが来る。それから、突然両足底がつりそうになるのも辛っかった。今回は思い当たるような「きっかけ」となるような動作もなかったし、実は凹みまくってたんだよね。だって、原因がわからないんだもん、対処のしようがないっ!

ある角度、ある動きでその激痛が走るので、何かやろうとするたびに「あっ、これやるとイタイんだろうな・・・」とか、「まっ、いいか、この痛みが収まってから後でやることにしよう・・・、今は止めとこう」とか、常に自分の身体の言葉に耳を傾けざるを得ない状況。「俯き傾向のデプレ的な心理状態」。更に「いつあの痛みが襲ってくるんだろう?」という不安感がトドメを刺す。

そんなこんなで、昨夜の出来事。その辛い痛みが少しずつ遠のいていたので、リビングルームで恐る恐るストレッチをしていたら・・・突然「カクっ」って感じで楽になった。全身の力を抜いて仰向けに寝て下肢を捻りながら。ふーーーっと息を吐いていただけなんだけど・・・(笑)

その後は、ウソのように楽になった(^_^)

カイロの連中の云う、ごく普通の「マニューヴァー」のひとつなんだけど、こういう体験したら一般の人達はだまされちゃうんだろうな・・・って思った。お金払っちゃうんだろうな、この快感に。似非科学的で・・・ある意味文学的な文脈で説明したくなる「手技」は、十分ビジネスになるっていうことなんだろうけどね。そのくらい身体っていうのはわからない事ばかりなのだから。

ということで気分爽快。今朝もきっちり6時起床。ルンルンで仕事場へ行く。

午後から夕方は明治座で観劇会(仕事)を中座して半蔵門線でたまプラーザに戻り、1週間ぶりにジムに行く。だって腰痛が治ったんだもん。いつも以上にゆーっくり10本500m&サウナ。
これでやっと復活した感じがする。さあ、新年!って感じか(笑)

やれやれ

January 3, 2008

お正月

2日の事始は、恒例の黒崎の鼻焚き火BBQ大会。5時半にたまプラの拙宅集合で現地に向かう。快晴の素晴しい天気。黒崎の鼻は三浦半島の西岸。今年はくっきりと富士山が!新年初としては、これ以上ない状況に一同感激。今年もプライベートビーチ状態で爽やかな朝を皆で迎える。8時過ぎにチャイさん登場。ははは、昨年のデジャヴィみたい。焼き物は山形牛の三角カルビ、生たらば蟹。味噌味の鍋と飯盒炊飯のご飯をはふはふ(笑)。焚き火の元で、空を眺めながらなーんにも考えず、まったりとまどろんで、あっという間に11時。4時間以上居たのにね。ああ、癒されます>NBC。

帰路「すすき野・湯けむりの里」でまったりして2時半に解散。ビールを飲んでソファーに横になっていたら1時間くらい眠ってしまった。残念ながら初夢は憶えてない。でもすごく気持ちよく目覚めた。なんだかその朝のNBCが「初夢」だったみたい。夜はちびちび飲みながら読書三昧で、僕としてはちょっと夜更かしで1時就寝。

3日は朝から床屋さんへ。髪5mm、髭3mm。今年もこのパターンでいくかな(笑)。昼ごはんは「汐の屋」で今年初ラーメン。実は昨年来、持病の腰痛が再燃していて泳ぎにいけず、午後も読書三昧。計画では昨年書き溜めておいたプロットをこの正月に書き進めたかったんだけど、なんだか読むのが楽しくて自分で書くのが億劫になってしまったんだよね。そんなゆるゆるもお正月ならでは。

さて、明日から仕事始め。

January 1, 2008

2008年あけましておめでとうございます!

平成20年。昭和から平成に変わって早20年!この20年の世の中の移り変わりはスゴイもんだと、今更ながら驚嘆する。

自分史的に考えるに、この20年間は激動の時期だった。30代40代という社会人としての基礎を作った時期と重なる。結婚してアメリカ>日本に帰国>今度はニュージーランド>再度帰国してから現在の仕事場に落ち着くまでに、日本での引越し4回。いろんなことがあったなぁ・・・。その瞬間瞬間にベストを尽くしたと思うし、ひらりひらりと危機(というか様々な問題)をうまく乗り切ってこられたのも、周囲の人に恵まれたからだろうと思う。齢50になってもまだまだ未熟だし、精進が足りないと自覚してはいるけど、あの頃の(必死だった)自分を振り返ってみれば、少しは成長・成熟したのかな・・・(笑)。その時間軸で考えてみれば、僕だけじゃなくて人生のパートナーのかみさんも娘達も「家族」というステージで、少しずつ変化し成長(というんだろうか)しているんだね。しみじみ。今朝の初詣で出会った小さい子供を二人連れた若いカップルを観ていて、ふと感慨に耽ってしまった。爺臭いけど(爆)。

さて、今年も昨年同様、良い年にしたいものです。

皆様どうぞ宜しくお願いします。
Powered By Blogger