助けあいジャパン

December 31, 2011

2011大晦日

今年がこんな年になるなんて、一年前の大晦日には考えもしていなかった。忘れちゃいけない1年となった。 311の衝撃。自然の脅威を前にして僕らは言葉を失い茫然自失した。その後の怒濤のような日々。54歳。人生の折り返し地点をとうに過ぎて、世の中の事を何でもわかっているようなフリをして生きていた自分。実は何にも理解していなかった。謙虚さと感謝を忘れ、ぬくぬくとした毎日を過ごしエラそうに生きていた自分の未熟さと無力さを実感した年でもあった。今までの自分の人生で積み上げてきたもの(それはとても些細なものなのだけれど)を、どうしたら未来のために役立てる事が出来るのかも考えた。個人でやれる事はささやかな事だけれど、僕らオッサン世代が今こそ率先して動かなくてはいけないと感じた。俯いてどんよりと泣いている時間はない。人生の時間は限られているのだ。 日本と日本人にとって、これからもさらに厳しい現実が待っている。でも新しい仕組みや価値観を創るには、このピンチがチャンスになるかもしれない。 日暮れて道遠し。まだまだ精進が足りないんだけれど、進むべき方向は少し判った。 人生はエンジョイしなくては(とことん味あわなければ)いけない。
今年は助けあいジャパンの活動を初めとしたソーシャルメディアを通して、今年は本当に多くの素晴らしい人たちとの出会いがあった。有り難い事だと思う。 皆様、本年はお世話になりました。ありがとうございました。 2012年もどうぞ宜しくお願いします。 Marc

December 29, 2011

年の暮れに託す思い

世の中の多くの企業は昨日が仕事納めなんだろう、朝の通勤の電車はがらがら。だいたい通常の60%くらいだろうか。午後からは研究日。施設在宅はお休みなので有楽町で所用を済ます。正月を前にして何となく街が華やいでいる感じ。クリスチャンの宗教的な基盤がない日本人にとって、クリスマスは作られた商業的イベントではあるけれど、お正月は違う。年の暮れの正月を迎えるワクワク感はいくつになっても特別だ。2011年という年は僕にとって非常に大きな年だった。震災の体験は日本人としてのアイデンティティを見つめるきっかけになったし、未曾有の出来事に際して人生の儚さや自分の生きる意味みたいなもの、天命、運命を考えた。死ぬまでの限られた時間を意識したのも今年だ。人生はエンジョイしなくてはいけない。享楽的に生きるのではない、味わって(エンジョイ)して日々を過ごそうと思った。日本人にとって年越しは4月1日とともに「節目」であり、精神的なリセットのきっかけとなる。2012年をいかに生きるか。やるべき事、やりたい事がいっぱいある。そんなことを考えつつ、その後は板橋のオフクロのところに見舞いに顔を出した。

December 28, 2011

NHKオンデマンド

遅ればせながらNHKオンデマンドに登録して、さっそく番組を購入した。見逃した番組やアーカイブされた昔の名作などを見放題。これはスゴい。ドキュメンタリーの質の高さ、ドラマのお金のかけ方、ニュース番組の情報量など、やはりNHKの信頼度(情報のcredibility とかreliability)はダントツだと思う。まあ国営放送として「多少の胡散臭さ」とか「官僚的な固さ」もあるかれど、最近じゃサラリーマンNEOみたいなゆるゆるの番組なんかもあるし、この人たちは真面目なのか不真面目なのかよくわからない面白さがある。垣間見える衆愚主義のようなもの(ウチら優秀だもんね、いっぱい知っているもんね...という感じ)もあるんだけれど、それでも番組の質は民放と較べるまでもなく高いのだ。以前2008年に「NHKスペシャル」に出演して感じたのは、彼らのちょっと恣意的な編集方針で、意図する主義主張に誘導させられるコワさではあるけれど、その意味じゃ民放のほうはスポンサーやグループ本体の商業主義の縛りがあるわけで、マスコミというものはそういうものなんだろう。さはさりながら、NHKの番組がオンデマンドで見られるメリットは大きい。問題はそれを観る時間がないことだ(笑)。

December 27, 2011

Enoughということ

毎年この時期になると思い出すストーリー。メキシコ人の漁師とアメリカ人のビジネスマンの会話。 浮き世に生きるという事は、すなわち消費欲を最大限に肥大化させられることで、その中で「足るを知る」ということはなかなか難しい。でも、この歳になりそれなりの社会的な立場で世の中を多少なりとも俯瞰して見られるようになると、この寓話の真理に合点がいくようになる。その教訓として、「アメリカ人の資本家は愚かだ」というのも誤っているし、「だからメキシコの漁師であるほうがイイ」というのも安直過ぎる。というか、両方とも正しく、両方とも誤っている、というのが教訓だろう。そのくらい人がこの世の中で生きていくのは楽じゃなく、それぞれの価値観からしか見られない。コインの表裏。

December 26, 2011

僕らは何ができるんだろう?

悲しい話を読んだ。「東日本大震災:67歳、仮設住宅で孤独死…9カ月の朝」(毎日新聞12-26-2011) =====  東日本大震災から9カ月の今月11日、津波で妻を亡くし福島第1原発事故で故郷を追われた福島県双葉町の男性(67)が、白河市の仮設住宅で亡くなった。独り暮らしで、冷え込んだ朝に風呂場で心臓発作を起こしたとみられる。(中略) 双葉町で生まれ育った男性は、左官業や農業で生計を立ててきた。3月11日、津波に流され一命を取り留めたが、一緒にいた妻は泥水を大量に飲んで亡くなった。4月上旬から避難生活を始めた。家族、自宅、故郷を一度に失い、初めは言葉少なだった。そのうち男性が中学にほとんど通えず字を書くのが苦手だと知った人たちが、災害弔慰金の申請などを手助けするようになった。避難住民は「お世話になっているお礼に」とホテルの庭や道の草刈りボランティアを始めた。男性はリーダーを任され、炎天下で率先して汗を流した。自治会長を務めた天野正篤さん(73)は「悲しみをのみ込み毎日ボランティアに打ち込む姿に、『自分も頑張らないと』と思った人は多かった」と振り返る。(中略) 周囲にはよく「春になったら、また草刈りに行かないと」と話していた。(中略)再会イベントを楽しみにしていた男性は、亡くなる前夜、仮設住宅の友人にこう話していたという。「ひげ生やしたままだとみんなに笑われっから、明日の朝に風呂さ入ってひげそんだ」===  彼がどんな状況で最期の時を迎えたかのかと思うと、悲しく、切なく、やりきれない気持ちになる。 先日の東北の旅で会った助け合いジャパンの仲間が、いかに仮設住宅が寒いかについて話してくれた。薄い壁、はっきり言って安普請。すきま風はガムテープを張って凌いでいるらしい。全戸にエアコンは付いているらしいが、東北の厳しい冬にはこれだけでは厳しい。ましてやお年寄りや幼いこども達にとっては厳しいだろう。石油ストーブや電気カーペットの支援もあるらしいけれど、電気代や灯油代を心配して我慢する人達もいるらしい。東北の人たちは我慢強いし、彼らにもプライドがあるだろう。医師として何かできることがないか?支援する方法として何かないか?を今考えている。仮設住宅とはいえ、仮の人生というのはないのだから。
画像は先日訪れた野蒜小学校のボランティア用の仮設住宅。この住宅は気密性が高く温かそうではある。さすが寒冷地のドイツ製。でも実際には寒いんだろうな。

すべて中途半端でダラダラと過ごした日曜日

昨夜遅くに東北から帰宅してから、妙に気持ちが昂ってしまい夜遅くまで駄文を書きながらちびちびと飲みつつ、被災地の事を考えていた。 久しぶりのアポなし日曜日の起床は8時すぎ。本来の予定では、年賀状を作る事と家の大掃除をすることだったんだけれど、ネットを見たり調べ物をしているうちに昼になってしまった。昼ご飯はパスタ。ちょっと閃いて頂きものの天然物の鰻白焼きを使ってペペロンチーノと和えてみたら、これが存外美味しかった。午後からちょっと外出し帰宅したら「報道の日」ということでTBSが震災の特集「記憶と記録で残す東日本大震災」。震災の起こった時間に記録された映像を時系列に流すという番組。昨日までの現地の体験もあって、テレビから離れられなくなってしまった。制作サイドの想いもあるし(視聴者を釘付けにするという意味で)秀逸な企画なのだけれど、さまざまな記憶が蘇ってきてちょっと辛い気持ちになった。けれど、現地の人はもっと辛いんだろうなと。ただ番組の構成上のCMでの中断が多すぎ。ま、これは仕方ないんだけれど。 夜はかみさんと神田小川町の「川菜館」へ。食事後は東北のボランティアツアー「クリエーティブの可能性」に行っていた末娘のさとちゃんを迎えに麻布十番へ。甘ちゃんの彼女にとっては今回で2回目の東北ボランティアなのだけれど、今回も色んな人とふれあい語り合って得るものが多かったようだ。これからも多くの若い世代にどんどん被災地のボランティアを体験してもらいたいと切に思った。 で結局、大掃除は殆ど出来ず、年賀状は完成せず。ジムにも行けず。すべて中途半端に終わった感じの最後の週末。やれやれ2011年らしい年の暮れだ(笑)。

December 24, 2011

東北行き2日目

6時すぎに起床して朝の散歩に出ようとしてあまりの寒さ(氷点下)にビビって退散して大浴場へ直行。この時間でも朝風呂のお客が結構いたのには驚いた。仙台は当分復興景気が続くのだろう。朝ごはんのバイキングも美味しく及第点。9時出発。今日は東北自動車道を北上して一ノ関から陸前高田へ。陸前高田の津波にのまれた広大な土地には今改めて驚いた。震災直後の瓦礫の山はキレイに分別されて、今はかなり撤去されている。今は静かな美しい海に面した街。かつては繁華街だったところや住宅街などの生活の場が「何もなくなってしまった」と表現するしかない広大な空間。 正午すぎに情報レンジャーのいしじゅんたちと助けあいジャパンのメンバー、さらにはぼボラツアの学生たちのグループと落ち合う。さとちゃんが参加しているけれど、「父兄参観」(笑)みたいなのはイヤだろうし、とくに声をかけず。
7万本あった高田松原でたった一本だけ残った「奇跡の一本松」を見るのは初。復興のシンボルとして一所懸命メインテナンスしていたにもかかわらず、力つきて枯れてしまったという。その松をクリスマスイブにライトアップするということで、ボランティアが動いてる。時間的に今夜のライトアップのイベントに立ち会うことは困難で断念。Ustreamで見ることにする。復興のシンボルの一本松は枯れてしまったとしても、その移植養殖で松林が再生するプロジェクトがあるのは素晴らしい。学生たちもそれに関与する事が出来て有意義な体験になっただろう。今夜のライトアップは様々な想いを込めたものになっただろう。
広田半島に寄ってから気仙沼を経由して仙台へ戻るロングドライブ。今回は星野夫妻とそのお友達のUさんとの4人で移動した。限られた時間ではあったけれど、被災地の今を心に焼き付けることができ有意義な旅になった。今年を一区切りの総括する意味で。

December 23, 2011

東北に来ている

仙台でレンタカーをピックアップして三陸の海岸線を廻った。今日は石巻、女川、牡鹿半島、松島。海岸線の瓦礫の山もかなり片付けれれてはいるものの、津波で洗い流されてしまった広大な空間に人がいない。復興と一言でいっても、まだまだこれから。やっと片付けが済み、何かを始める準備ができた、という程度。この何もなくなってしまった土地で本当に人が戻って来て生活が出来るようになるまでには、ここまでも大変なことだが、これからの方がさらに何倍かの労力と精神力が必要になるのだろう。
画像は「復興2号」@野蒜小学校と再会。「赤べこプロジェクト」@横浜レンガ倉庫で中古の軽自動車を被災地に送る運動に些少ながら寄付させてもらって書いたメッセージ。一応記念撮影。
冬の夕暮れはつるべ落とし。あっという間に暗くなる。高い所にある(感じの)東北の空は一気に夜になる。夕日に向かって松島経由で仙台方面へ戻る。 仙台のアパヴィラホテルは、あのアパホテル系で実は正直あまり期待していなかったけれど、清潔快適で合理的な作りで値段もリーズナブルで驚いた。露天風呂なんかもあって、小さなビジネスホテルとは一線を画するレベル。あれはウケるだろう。晩御飯は、近藤商店というコメントがあったけれど、看板なしの一見さんお断りという情報にビビって断念。さとなお君のサイトから調べて牛タンの雅。地味な雑居ビルの地下一階にあって、ずいぶん道に迷ってしまった。さすがに、牛タンづくしでどれも美味&大満足。EXILEのメンバーのお気に入りのお店で、仙台に来ると食べにくるらしい。もう4回も来てくれたんです、とうれしそうにお店のおばちゃん。

December 22, 2011

極私的な今年の総括としての東北行き

今年もあと10日足らずで終わる。2011年という年は忘れられない年になった。1945年の太平洋戦争の敗戦を境とした「戦前戦後」という大きなパラダイムシフトが、近代日本の一つの区切りだとすれば、今年の311を境に日本の社会は「震災前、震災後」で確実に別のステージに移ったと思う。 最近15年の日本の経済の衰退と日本社会のシステムの制度疲労についてはすべての日本人が「同時代的な心象」として「なんだヘンだなー、やばいなー、このままでは・・・」と感じていたと思う。そこにあの巨大で破滅的な大震災と原発事故が起こった。まだまだ復興までには長い道のりが待っている。 311からの恐怖心と虚無感を皆で共有して、日本社会は確実に変わったと思う。それが日本人の「絆」という人もいるだろうし、「新しいシステム」という人もいるだろう。内側に向かうナショナリズムもあるかもしれないし、個人的な宗教的体験として自らの人生を考えた人も居るだろう。僕自身はどのように変わったのかはまだ総括できていないのだけれど。 個人的体験としては、4月に医療支援で現地に赴きやっと復旧の始まった被災地の姿を見たし、そこで微力ながら医療支援をおこなったことは大きな事だった。人生の折り返し地点をとうに過ぎて「もう世の中のほとんどの事がらがわかったような顔をして生きている」くせに(笑)、実際の自分がいかに小さな存在なのかも感じた年だった。 また、助け合いジャパンの活動を通して多くの素晴らしい人たちと出会えたし、SNSを通して世代や立場や職業など「個人の属性」を超えた人たちと、広くフラットな関係を作る事が出来たのも今年の大きな出来事だった。 ということで、明日からもう一度被災地を訪れてみようと思う。 今年を締めくくるためにもどうしてもやっておかなくてはならない事のような気がするから。

December 21, 2011

心優しき天使達

毎年恒例のキャンドルサービス。看護部が中心となって心のこもった手作りのカードを渡しにキャンドルを灯して入院中の患者さんのところにうかがう。患者さんの顔がぱーっと明るくなり微笑んで頂いた時、彼女たちの微笑みがさらに明るく輝く。病んだ人を癒し,喜んでもらえるために本当に彼らは献身的に仕事をする「看護」のプロ。それがナース。仕事は過酷で常に緊張を強いられる。体力的にも精神的にもタフでなければできない、ハードな職業だ。ナイチンゲール憲章を開くまでもなく、看護の基本の精神は博愛だ。ジェンダーの難しいことは置いておいてナースの本質は母性だと思う。医師が科学(理系)偏重の医学教育で医療を学び、「父性」的な立場で仕事(いうまでもなくそのパターナリズムには問題が多い)をするのに対し、ナースはまず文学(文系)とか(精神論や宗教や哲学)から学びに入り、技術としての科学的な看護を「実践する」ことでキャリアを積む。 「あなたはナースのことを理解しようとしていない。ハナから医師の方がエラいと思っている」云々と僕の発言に対して、ナースであるかみさんから指摘されて、それが引き金となって若い頃はよく喧嘩をしたものだけれど。
さはさりながら、うちの天使達は本当に素晴らしい。

December 20, 2011

ヌーベル京料理@Cafe de Isis

北朝鮮の金正日の死去。メディアで伝えられる北朝鮮の人たちの悲嘆にくれる姿。かなり異様だ。集団ヒステリーそのもの。トンデモナイ国のトンでもないシステムに翻弄される人たち。ただ、それを観ていて思った。先進諸国が北の人民が一方的に不幸だというのは真実とは的外れな気がする。彼らは独裁国家の鎖国の価値観の中で生まれ育ち生活しているので、自分を(もしかしたら)そんなに不幸だとは感じていないのではないか?と。外の世界を知ってしまった人たちにとっては地獄の世界だろうけれど。だから外から僕らが独善的に「あんたたちは可哀想だ」と思うのは誤っている。それにしても今後の朝鮮半島はどう変わるは要注意だ。
夜は医師会の移動理事会@Cafe de Isis. 自由が丘の一軒家レストラン。なんとヌーベル京料理。一品一品にサプライズのある料理だった。ランチの予約はなかなか取れないらしい。

December 19, 2011

水風呂の正しい入り方

忙しい年の瀬の月曜日の仕事を終わり、いつものように8時すぎにジムへ。10本500m を軽めに気持ちよく流してお風呂エリアへ。ジャクージでまったりとしてから、いつもの様にぬるめのシャワーを浴びてから水風呂へ。僕は通常サウナの後ではなく、前に水風呂に入ることにしている。サウナ後は冷水シャワーのみ。水風呂の効用は泳ぎとお風呂で温まった身体をクールダウンすることで、僕はいつも後頭部まで漬かって頚を冷やす様にしている。というか、水風呂というものはそういうものだと思っている。本場の北欧やロシアではサウナからそのまま外に出て、プールに飛びこぶのが普通だというし。日本の場合、どこのジムやサウナに行っても水風呂の浴槽はそれ故に深いのだ。ところが、今日先に入っていたジジイが一言。「あんた、頭まで入るなんて非常識だ。やめてくれ」とのたまう。深く頚まで漬かっているだけで潜っている(笑)わけじゃない。初めはそのジジイが何を言っているのかわからなかったけれど、どうも水風呂をふつうの風呂の浴槽と同じように考えているらしい。ジジイとそこで議論する気はないし面倒くさいので「あ、すみませんねえ、へへへ(意味不明の笑い)」で先にでてサウナに向かった。たしかにサウナから出てシャワーも浴びずに水風呂に飛び込む輩や、水に潜っている輩もいて、僕もたまに「いやだなあ」と思うことがあるけれど。あの勘違い唯我独尊的なジジイの態度は思い出すとムカムカする。とまれ、人というのは「自分の常識が世間の常識だ」と思いがちなんだろうなあ。人のフリ見て我がフリ直さねば。

December 18, 2011

鳥精進酒精進だって

入院中の知人のお見舞いがてら伊豆の河津峰温泉へ。小学校の悪ガキ3人組だったトシピロとケイイチロー、中学から今に至るまでの親友じょうじの4人のオッサン道中。夜到着して河津駅の近くのお店で忘年会。わいわいがやがやと楽しくバカ話をしながら酒を酌み交わす。ガキの頃からの知り合いである彼らと、今でも(今こそ)仲良くツルんでいられる幸せ。 ところが、「鳥精進酒精進」という彼の地にとっては特別な夜ということが判明した。我々よそものにとっては関係ないといえば関係ないだけれど、24時過ぎたらお酒は飲めない(笑)。
以下Wikipedia=== 河津の鳥精進酒精進(かわづのとりしゅじんさけしょうじん)は、静岡県賀茂郡河津町田中の杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ、河津来宮神社とも)の氏子の間に伝わる風習。伊豆七不思議の1つである。昔、河津の郷に杉桙別命(すぎほこわけのみこと)という武勇に優れた男神がいた。 ある日のこと、命が酒に酔い野原の石にもたれ眠っていると、そこに野火が起こりあっという間に周りを囲まれてしまった。 そこに無数の小鳥が飛んできて河津川から水を運び火を消し、命は難を逃れた。 この出来事の後から杉桙別命は、酒を慎み村人にも一層慕われる事となった。 この伝習に由来して、河津では命が災難にあった12月18日から12月24日の間 鳥を食べない 卵も食べない お酒を飲まない という「鳥精進酒精進(とりしょうじんさけしょうじん)」が守られており、この禁を破ると火の災いに遭うと信じられている。 === 泊まったのは「菊水館」 ケイイチローの知り合いの紹介。カジュアルな温泉旅館で実にリーズナブル。気持ちのいい露天風呂と真冬でも泳げる屋外の温水プール(ニュージーランドみたいだ!)もあって、日頃から口うるさい僕らオッサンたちを唸らせた素晴らしさ。河津桜のころがピークらしい。
朝イチでご飯前にさらりと気持ちよく泳いで、ゆったりと朝ご飯の後、例の由緒ある「杉桙別命神社」。いい雰囲気の静かな佇まいの神社。この御神木(天然記念物の樹齢1000年以上といわれる)楠のパワーを気持ちよく感じた。訪ねて良かった。
熱川温泉病院にお見舞いをしてから東に向かい、真鶴小田原道路のいつもの渋滞にハマって2時間以上かかってケイイチロー推奨の鰻の名店「小田原・友栄」へ。ここで白焼きと鰻重。「青うなぎ」は脂が乗っていて肉厚で美味しかった。充実の週末。画像など。 神社の写真とプールの水面の写真はわりと上手く撮れている(自画自賛)/w

December 16, 2011

家ご飯の素晴らしさ

師走。この季節の典型的な忙しさ。それにしても今日は朝イチから帰宅まで凄まじく忙しかった。手術が長びいて行く筈だった歯科はキャンセル。ヘロヘロになった時はジムで泳ぐのが一番なんだけれど(アクティブレスト)、残念ながら金曜日は定休日。仕方なく直帰する事にした。

考えてみれば今週は家ご飯は一度もなかった。熱々のご飯、みそ汁、お漬け物、そめたか君から頂いた奥様の故郷の秋田の佃煮。秋田の佃煮は絶品で、ほんのりと優しい甘さと滋味溢れる上品な旨味が美味しい。昨年頂いてその美味しさに感激した。かみさんも娘たちも大好物で大喜び。メインは、これも頂き物の広島牡蠣。ゆっつんが鉄板でバター焼きを作った。こういうシンプルな「家ご飯」の素晴らしさを認識したのは最近で、50歳過ぎてから。銀行の役員で連日夜の接待だった亡父が、たまに家でご飯を食べると「ああ、こういう普通のメシが一番美味いんだ」と言っていたのを憶い出す。

December 15, 2011

Let it be! ということなんだね。般若心経

さとなお君のFBでシェアした「般若心経 新訳」。湯河原の家で、毎朝読経する曾爺さんの隣にちょこんと坐っていたら、いつの間にか般若心経を暗唱してしまったヘンな子供だった。大人になって般若心経を改めて読んでみて、読むたびに新しい発見があることに驚き、その深さと広がりにここ5年くらい、精神的に辛くなると写経をしている。先日の台湾でも台湾版の般若心経の写経本を買ったし。不思議と心が落ち着く字列と言葉の響き。で、この新訳(超意訳)はアリだと思う。読んでいるとハハハと笑いつつ、すーーと腑におちる力がある。

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな。
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

羯諦ぎゃーてー行きて
羯諦ぎゃーてー行きて
波羅羯諦はーらーぎゃーてー悟りの彼岸に行きて
波羅僧羯諦はらそーぎゃーてー悟りの極みに行きて
菩提薩婆訶ぼーじーそわかー悟りよ幸あれ
般若心経

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

December 14, 2011

元赤坂 ながずみ

友人夫婦に、元赤坂「ながずみ」にお連れいただいた。
最年少でミシュランの☆を貰ったというオーナーの料理は、(朝からそれが楽しみで、ムフフフと一人笑いをする位)最大限に膨らんだ僕の期待にしっかりと応えてくれた。10席たらずのコの字形のカウンターはその若い料理人・小河さんのステージだった。手間ひまかけた下ごしらえと想像力をかき立てられるユニークな料理。客の期待にしっかりと応える誠実で真摯なオーナーの態度にも好感が持てたし、客に媚を売らない潔さも気持ちよかった。

写真を撮るなんて野暮なことはせず一品一品を楽しませて頂いた。ああ大満足。すべての品が美味しかったけれど、ここでは個々の感想は書くまい。僕の貧弱なボキャブラリーと文章ではあの素晴らしさを表現できないので。でも〆の鯛茶漬けの素晴らしさだけは書いておこう。今までの人生で経験した中で、最高の〆のお茶漬けだった。完璧に炊いた佐賀産のお米も秀逸。ダイエット中なので、初めはご飯2/3でお願いします!なんて言っていたのに、あまりの美味しさに恥ずかしげもなく「お代わり」をしてしまった位(笑)。あれだけでご飯3杯いける。

シャンパン、吟醸冷酒、焼酎(芋)と進んだのだけれど、酒に関するオーナーのサジェスチョンがまた絶妙で、これも特筆すべきだと思う。別れ際に話をしていたら、なんとかつてはウチの病院の近くに住んでいたとのことで、何回か僕も会った事があることが判明。ああ、そういえばあの時の!と大爆笑。本当に楽しく美味しく素晴らしい時間を共有できた夜だった。Thanks, God!

December 13, 2011

絆についての雑感

今年の文字は「絆」。大震災や原発事故という未曾有の危機の渦中にあって、今日本で生活している僕らはまさに国難に直面している。日本中、さらには世界中の人たちの気持ちが繋がった1年だったと僕は信じたい。ある意味照れくさい言葉ではあるけれども、今年は「絆」を感じ力付けられたと思っている。震災というパラダイムシフトを体験し、新しい「震災後の日本」のエンジンになるのは若い人たちだろう。

彼らをサポートする責任が僕らおっさん&おばさん世代にあるのだ。そう思っている。

そんなこんなで、今日のHさんのFBで紹介していた『「絆」連呼に違和感』(毎日新聞)という文章(斉藤某という精神科医&評論家)に腹が立って、僭越ながら反論した。

僕はこういう言葉の遊びを、したり顔でいう輩は大嫌い。ウチら左翼系知識人はちょっとオメーらとは違うのさっていう、上から目線の浅薄なニヒリズムというか。精神科医にいるんだよなあ、こういうタイプ。それでいて、自分達のことは「さておき」ってやるんだ、奴らは。

僕は本当にこういう「高見の見物」をする似非左翼が虫唾が走るくらい嫌いなのだ。久しぶりに本気で怒ってしまった。べつにHさんに楯突く訳ではないんは決してないのだけれど。

別件で、「ばんそうこう」の「ばん」は「絆」なんですよ、とFB友達から教えてもらった。商売道具なのに(笑)、寡聞にして知らなかった。ああ、確かに「絆創膏」だわ/w

December 12, 2011

感激した!素晴らしいパフォーマンス@忘年会

毎年恒例の職場の忘年会。今年は某ホテルの宴会場。実はあまり雰囲気とかサービスとか料理の味とかについては期待していなかったのだけれど、実際にはなかなかよかった。100人という規模にしては広めの会場も良かったし、いろんな人達と話ができたのがよかった。皆楽しんでくれたみたいだ。圧巻だったのは、看護部(幹部)の出し物で、内容を事前に誰も知らなかったこともあって、出席者全員が唖然として大感激。素晴らしいレベルのダンスに正直驚いた。あれは「余興」のレベルを遙かに超えてた。皆が「なりきっちゃている」のも素晴らしかった。この忙しい日々の生活のなかで、いつ準備をして練習してたんだろう?彼らの「皆を楽しませたい!」という気持ちがびしびしと伝わって本当にうれしかった。いんちょが大したことない分、素晴らしい人たちがスタッフとして集ってくれているという幸運に浸りながら、最終電車ラス前で無事今年は帰宅。

December 11, 2011

歩くために歩いた日曜日の午後

気持ちのいいスコーンと抜けた青空の冬の日曜日。名古屋から帰り、年末に向けてこれからが忙しい。今週は毎晩夜の用事が入っているので、ジムに行けそうもない。ということで歩く事にした。法事の用事でデパートの外商に行かねばならず、10時の開店とともに用事を済ませてから歩き始めた。今日の目標は30km。唯一のルールは日没まで立ち止まらないで歩き続ける事。

たまプラ〜溝の口〜二子玉川〜駒沢公園〜駒沢通り〜中目黒〜代官山〜青山通り〜赤坂〜麹町〜市ヶ谷〜九段〜神保町と歩いた。27.8km , 4時間35分。平均で6km/h, 9分30秒/km、今日はトータルで1990Kcal消費。全然楽勝。このペースならまだまだ行けると思った。休日に40kmなら全然問題なさそう。次は5時間40kmを目標で歩いてみよう。今日も何にも考えずに、いっぱい考えた。エンドルフィンがたくさん出たと思う。このナテュラルハイはくせになる。

僕の人生の不得意科目(たくさんある!)の一つに、実は長距離走があって、フルマラソンを走る連中を、羨望と嫉妬を感じつつ眺めていたのだけれど、もしかしたら、「やればできるかもしれない」という「希望の光」がうっすらと見えてきたかも(笑)。

神保町に到着し、三香園に直行。トイレを借りて着替えてから、朝からV8のジュースとタリーズのホットドックだけだったので、ビールと餃子で自分ご褒美(笑)。たまプラに電車で戻り、ジムのジャグージ&サウナでまったり。至福の時。

たまプラから渋谷まで/ 時間 3:21:41, 20.37 km, マップ: http://j.mp/u2DE2e, 平均 9:54 /km, 1402 カロリー.

渋谷から神保町まで/時間 1:12:57, 7.37 km, マップ: http://j.mp/uLOLE9, 平均 9:54 /km, 588 カロリー.






December 10, 2011

三回忌&親孝行


三回忌。滞りなく無事終了。八事のお墓は曾爺さんの作った立派なお墓で、真南を向いている。お参りをしている間中、温かい陽光が背中側から当たりとても気持ちがよかった。このなんとも不思議な感覚は昨年も感じた。ご先祖様の温かい視線を感じるイメージというか。僕の貧弱なボキャブラリーで言語化すると陳腐になってしまうのだけれど。日頃不義理をしている親戚というのも有り難いものだと、こういう機会に認識する。御清めの席で、孫娘達4人に囲まれ幸せそうなゴッドマザーの図。これも親孝行だろう。

三周忌で名古屋に来ている

おやじの三回忌で名古屋に来ている。2009年の暮だったから、もう三回忌なのだ。亡くなる直前まで入っていた介護マンションのクリスマス会に出て、アルコールも飲んでタバコも吸って、入浴中に昏倒し救急搬送された。半年前から病気はわかっていたが手術は選択せず、いつかは来るその日がまさにその日だった。搬送された病院のICUで、家族と会話をして「少し疲れた。お前たちも少し休め」と言って目を瞑り、そのまま永眠した。苦痛もなく直前まで好きなように生活し、家族に看取られ別れを言って、静かに人生の幕を引く。理想的な死に方だと思う。暮れということもあり近親者のみでの密葬となるタイミングも彼らしい。正月休みで家族一同が精神的にリセットできるというタイミングも絶妙だった。さすが我が父、波乱万丈で特に晩年はいろいろあったけれど、あっぱれな人生。僕も人生の折り返し地点をとうに過ぎて、煩悩に惑わされまだまだ未熟な自分を痛感するとともに、どんな死に方をするか?について考えるようになった。今まででも十分幸運に恵まれた人生だとは思うけれど、まだまだ未熟で努力が足りないと思う。2011年は僕にとって残りの人生をどう生きるべきか?について内省するきっかけを作った年だった。法事の効用って現世の者たちに人生を顧みるキッカケを与える儀式なのだな。ふむ。

December 8, 2011

ステキな金縛りの安心感

当直明け。4時過ぎに来院した救急車に対応した後、固く狭い診察台の上で寝返りもできずに仮眠をとったので、身体ばりばりで目覚めた。いつもの事だけれど、身体的にはキツいわりには、当直明けはメンタル的には逆に妙にハイな感じの一日。

当直明けにはなぜか映画が観たくなる。今日は午後の施設在宅往診のあと、「ステキな金縛り」(三谷幸喜監督)へ。この映画は深津絵里のための映画っていう印象。彼女の魅力がキラキラと輝いている。キュートで、明るく活発で、ちょっと抜けていてドジな所もあって、彼女特有の親近感があって、そしてセクシーだと思う。三谷監督ってほんとに深津絵里という女優が好きなんだろうなって思った。思わず惚れそうになった(笑)。そのくらい彼女の魅力を引き出している。竹内結子も好きな女優だけれど、この映画のコミカルでエキセントリックな演技はちょっと新鮮だった(固くてちょっと痛かったけれど)。三谷作品の常連達が脇を固める安心感(というか予定調和)。ただ、西田敏行の演技はイマイチ好きじゃない。意見の分かれる所だろうけれど。

三谷監督の映画は、ちょっと(意識的に)古臭く、バタ臭く、芝居がかっていて、クサいギャグが満載で、観客はそれが判っていてその世界に浸りたくて観に来ている。ぎゃはは笑いではなく、クスっとかフフフっと軽く笑えるのがいい。三谷監督とは、以前あるご縁があって「有頂天ホテル」の医学監修をしたことがある。それ以来作品を観続けてきたけれど、この作品はある意味、三谷ワールドの集大成的な位置づけなんだろうと思う。笑ってちょっとだけ泣けた。この安心感安定感で☆☆☆。


December 7, 2011

性格は顔に出る

性格や考えていることってすごく正直に顔に出ている。

科学的にまだ解明されていないだけで、僕らが思っている以上にその人の生き方や価値観というものは実際の「顔」とか「雰囲気」とかに表出しているものなのかもしれない。昨日の出来事もあって、今日はそんな事をつらつらと考えていた。

多分我々は、言語的なコミュニケーションを一義的なものとしてその重さを信じているけれど、実際には言葉以外でその人が出している「もろもろの情報」のほうがプリミティブなもので、言葉はそれに付随しているだけのものなのかもしれないと仮定してみると、様々なことが見えてくる。

路上であった犬や猫が何か意味ありげにすっと視線を外したり、逆にこちらを見据えるような行動をするのは、たぶんを動物行動心理学の研究はどういう(意味のある)ことなのか?。などと考えていたら、いつもの空想の世界へ。

人間の脳科学や行動心理学や進歩すると、占いや人相などの分析が科学的もっと正確にできるようになるはずだ。静的な分析(というか非科学的な統計学)が従来のものだとすると、動的な分析が進むだろう。そうすると、「ある人のある表情やとった行動」などを逐次モニターして、高度な嘘発見器とか行動分析なんかもできるようになる。いくつのプロットを考えたのだけれど、これは相当にコワイ世界だ。

東京ルール当直中。以前は「Zip City」とか「月光恋歌」とか当直中に歌詞を書いたりしたんだけ、最近は忙しすぎてだめだな(笑)。そろそろ書こうとは思うけれど。

December 6, 2011

Time out, folks!

ヘロヘロに疲れてしまい帰宅したのが24時を回っていたので、実はレトロスペクティブ投稿。

どんな組織でも、人が集まって居る限りは様々なフリクションや葛藤、場合によっては喧嘩別れや空中分解、分裂などのリスクがある。その発端はやはり人と人の関係で、その原因のほとんどが突き詰めれば「言葉」である。

初めから悪意を持って敵愾心をむき出しにした言葉(かの国から聴こえてくる言葉なんかがいい例だ)をいう人はいない。相手のことを自分なりに慮って出た言葉が、ちょっとだけ違ったニュアンスで受け取られ、その返信がさらに意図と違ったニュアンスをもって受け取られ、言葉に乗ったそれぞれの感情がどんどん増幅されて、悪い方向にデフォルメされていくと、されにその周囲の人間にまで影響を与えてしまう。

特に今の時代、メールでのやり取りは、いくらでも誤解曲解をされてしまうリスクがある。リアルの会話なら、言葉にも声のトーンや間、表情や相槌などの、様々な非言語的なコミュニケーションの要素であるので、その「空気」が緩衝材になっていて、コミュニケーションの破綻につながるような極端なことになることは比較的に少ないのだけれど。

1980年代のコンピュサーヴ・ニフティサーヴのパソコン通信時代から、僕はこの世界のいざこざを幾度となく見てきた。ソーシャルメディアの時代になって、コミュニケーションのスピード感が格段に上がったものの、それが故に言葉が先鋭化してトラブル(とまではいかないけれどインシデント)が急増している。今回のケースでも当事者は、本当に素晴らしいキャラの穏やかな人達なのだ。時代の最先端で走っているこの人たちでさえそうなのだから、僕みたいな「普通の人」は言わずもがな、なのだ。

そういう負のスパイラルが組織の中で始まると、誰が何をやっても「建設的で健全な」思考回路を維持するのが困難になる。最初は小さな亀裂であったものが、時間の経過とともに大きくなり、最後は修復困難な状態になる。これは困る。そんな時は大事な決定をするなんてナンセンスだ。

大人の喧嘩に中途半端な「仲直り」はありえない。それぞれのプライド(意地)の落ち着き場所を見つけられるかどうかなのだ。ということで、ここらでちょっとTime out, folks!

December 5, 2011

幼馴染み

幼馴染みのきみちゃんがLAから昨日帰国して、溝の口のディープな居酒屋でサシ呑み。幼稚園の同級生(笑)とこうやって楽しく飲める状況は有り難い事。アメリカで公認会計士として自分の事務所を経営している彼。一人息子の彼としては、日本の母親の介護のことでいろいろと悩むこともあって、このところ頻繁に相談に乗っている。

今日の話題は、まあ人生いろいろあるよね、というおっさん話題で、その意味じゃアメリカも日本もあまり変わりない。あと彼は、日本に居る僕ら以上に彼は日本人に対して危機感をもっていた。韓国、中国の台頭と日本の衰退は本当に顕著みたいだ。

Let it be! 色んな意味で。

December 4, 2011

アクティブ・ウォーキング 20km

 11時から歯科K先生の華麗なテクニックで1時間。微睡んでいるうちに終了。歯科治療っていうのは特殊で我々医師は全然その内容が判らないものなのだ。ましてや自分の口の中のことは判らない(笑)。信頼の於ける歯科医に任せるしかないのだ。幸い僕はいい歯科医に恵まれている。まだまだ治さなければならない部分があるみたいだけれど、美味しく食べられることは健康の基本で、歯は大切だと思う。

快晴。空気が澄んでいて気持ちのいい天気だ。カメラと着替えのTシャツとタオルをメッセンジャーバッグに詰めて、歯科の後、歩き始めることにした。今日の唯一の決め事は、信号以外、立ち止まらない事。たまプラから渋谷まで。渋谷からジムへ直行しジャクージとサウナでまったり。極楽極楽。瞬間最低体重で67kg。ふふふ。

Walkmeter ルート: たまプラから渋谷方面, 時間 3:51:26, 20.49 km, 32960歩、
マップ: http://j.mp/tZF5Ye, 平均 11:18 /km, 1403 カロリー.


一定時間歩き続ける間中、いろんな事を(まさに煩悩を抱えて)考えている。でも、矛盾するようだけれど、論理的なことは何にも考えていない。まさに無心無我の心境になる気持ちのいいエンドルフィンが出るみたいだ。宗教の修行だったら「行」。今日の20km程度だったら、ちょっとコツを掴むことと自分あった靴があれば、ふつうに歩く分には全然苦にならない。だから、24時間マラソンとかでタレントが100kmくらいジョッギングするのは半年くらいかけてトレーニングすればそこそこ可能なんだろう。これは新たな発見だった。次の目標は30kmウォーキング(距離)と、10km/1h(スピード)。このスピードになるとジョッギングとウォーキングを混ぜて走らざる得なくなる。スピードはある意味どうでもいい。時間内完走をめざすのだから。当分は時間を見つけてアクティブウォーキング続けようっと。

うまい・巧い・美味い!

お昼に八◎川(◎は検索回避)へ鰻重を食べににうかがったら、ご主人からサービスで希少な「炙り鰤(あぶりぶり)」を頂いた。上品な脂が美味絶品だった。ご飯を少なめにしてもらったけれどさすがにカロリー摂り過ぎ(笑)なので、ジムへ直行してしっかりと1200m泳いだ。今日はがらがらで気持ちよく泳げた。

一休みしてから半蔵門線で微睡んで「瞬間移動感覚」で九段下へ。クラプトン&ウィンウッド@武道館のライブ。クラプトンが特に好きというわけではいけれど、やはり一度は生のプレイを観てみたいと思っていたところ、今回の講演は黒澤楽器presentsという御縁もあって行くことになった。イーグルスにしてもジェームステイラー&キャロルキングにしても、客層がばっちり僕達の世代で、おっさん&おばさんたちがみんなニコニコしている。同世代の連帯感と安心感の漂う空間。1階席の最前列正面やや上手という最高の席。ノセてくれる所は過不足なくしっかりとノセてくれるし、ブルースで泣かせてくれるところはしっかりと聴かせてくれるのは流石だ。今さらだけれど、巧いなあ・・・。構成も音響も照明も映像も完璧に「出来上がった」ショウで、予定通りきっちりと2時間プラスアンコール。

Had To Cry Todayから始まり、ブルース&ロックのクラシックともいえる懐かしい曲が多数。Hoochie Coochie Man, Georgia On My Mind(懐かし!),Wonderful Tonight(最高!), Voodoo Chile(ジミヘン!20分くらい演奏していた)が良かった。途中、ふとあっちの世界に行きそうになる気持ちよさというか。エリッククラプトンもいい感じの枯れたジジイになっていて「匠の技」を拝聴する、みたいな感じ。もちろん脇を固めるドラムス、ベース、キーボード、コーラスの黒人女性2人組も素晴らしいのだけれど。

終演後、神保町に歩き、かみさん&娘たちと合流して「くろぶたきよし」へ。流石の三清堂六白黒豚。脂が甘いのだ。和水してある焼酎で薩摩揚げなど。美味。大量の葱と昆布と椎茸のお出汁でいただく、絶品しゃぶしゃぶ。葱は徹底的に流水に晒してぬめりをとるんだそうな。〆は稲庭うどんと、さらにおじやも追加して今夜も大満足。ほろ酔いニコニコで帰宅。

December 2, 2011

グルメ大国ということ

日本がグルメ大国だということには異論を挟む人はいないだろう。特に東京は世界でダントツのレベルの多種多様な料理を楽しめる都市だ。一定の舌の肥えたポピュレーションがあることで各店が切磋琢磨して、たぶん世界中でもっとも美味しい料理が食べられる。


和食はもちろんのこと、フォーマルからB級までの中華、フレンチ、イタリアン。。。と、世界中の料理を食すことが出来て、これに比肩できるのはたぶんニューヨークくらいだろうと思う。欧米、特にイギリスやドイツの食生活の質素さ(単調さ)は、単に粗食(といってもカロリーは高い)というより、そのバリエーションのなさに閉口する


ニュージーランドで生活していた時、食生活に関して驚いたことがいくつかある。

娘たちの学校のランチに、日本風のごく普通のお弁当を持って行ったら、彼らのクラスメートの子供達に驚かれた。卵焼きやソーセージとかが入っている、日本ではごく普通のお弁当。向こうの子供達のランチは、リンゴとチーズとミルクくらい程度が一般的で、サンドウィッチなんかをランチに持って行っているのは、ごく少数派。よく誤解されるのだけれど、マックのハンバーガーだって彼らにとって「ご馳走」なのだ。その彼らからしてみれば「とんでもない豪華なご馳走を持ってくる日本人」という印象になる。

 日本の場合、だれでも今日の昼ご飯はお蕎麦にしようかとか、パスタにしようとかの「選択肢」があるのが普通だけれど、当時の僕の職場の同僚達にとっては奇異に感じだようだ。ボスのケヴィンは毎日チーズ・オン・トーストを食べていたし、部下のレジストラの女の子は毎日リンゴとサワークリームとクラッカーを食べていたし、手術室のテクニシャンの同僚は、毎日オフィスのキッチンで自分でチーズサンドウィッチを作って食べていた。僕はどんなに忙しくても昼休みには自宅に帰ってランチを摂るようにしていたんだけれど。

アメリカ人(ステレオタイプなアメリカ人)の場合には、今日のランチ何を食べようか?という話題になることもあるけれど、これもごく一部の豊かな人の話で、一般的にはマックを毎日食べていても何に疑問も感じない人たちなのだ。それが普通。アメリカ時代のボス(超お金持ちだ)が日本に来た時、彼の講演会で出た幕の内弁当に、素直に感激していたのが印象的だ。

 日本人の食生活は、ちょっと前までは「毎日蕎麦」とか「毎日おにぎり」とか「毎日のり弁」が普通だったのにいつの時代からか豊かになり、月並みな言い方をすれば「一億総グルメ」になった(させられた)わけだ。兎にも角にも、僕らは飽食の時代に生きている。
この考察は、そのうちにやろう。

December 1, 2011

釣瓶落としの夕暮れ時

昨日は縦書きで書いて、横書きに流し込んでみた。こうやって昨日のログを読み返してみると、むむむ、やはり縦書きだと何か違うな。ちょっと文章が硬くなったみたいな気がする。以前に考察した通りで、縦書きだと自然に(横にある)前後周囲の文字が目に入るので、自然に修正される感じがする。一番の違いは、思考の流れ方かな。うまく説明できないけれど。当然ながら文節や文章の切れ方も違ってくるのも面白い。ブログの文章はいつも大体15分くらいで書きなぐっているのだけれど、やっぱり見直しというか校正しないと、自分でも何を書いているんだか判らない文章ばかりになってしまう。ちょっと反省&計画。

ちなみに、この文章はオフィスで横書きで書いている。研究日の夕方、今日は映画「ステキな金縛り」でも観ようかなと南町田グランベリーモールに着いたところで緊急コール。映画が始まっていて携帯の電源を切っていなくてすんでのところで間に合ってよかった。急遽病院へ戻ることになって、現在待機中。

家でリラックスして書く文章は、当分の間は縦書きを楽しんでみるつもり。


November 30, 2011

幸せの形


何の仕事をしているのか職業不詳(もしかしたら無職)で毎日遊んでいるようなのに、上品で愛想が良くて、いつも様子のいい格好をしていて、何不自由のない生活をしている様に見える人が居る。

日々の生活であくせくしていないし、些細な事では動じない。いつも微笑んでいられるから、例外なく「いい人」だ。他人から嫌われることも敢てやらないし、物腰は上品でそつがないから、どんな人も味方にはならないまでも敵にすることはなく、ふわりふわりと浮き世の流れを生きている。

でも、それほど親しくないから、彼・彼女の生活が実際にどのようなものかは判らないし、知る術もない。一見楽しそうにしているのだけれど、彼らが本当に幸せかどうかは僕には判らない。

やはり太陽が上がるとともに起きあがり、日が沈むまで労働し、豊かなハーヴェストを神様に感謝しながら、愛する家族と共に食べて、心穏やかに眠ることができる人間が、世界中で一番幸せなんだろうと思う。

今日の午後、ふと思った。


November 29, 2011

縦書きって面白い

FB友達のHさんの文章をいつも楽しませて頂いている。彼は毎日、鋭い視点で彼特有の軽妙な文章をアップしている。起承転結のハッキリした判りやすさも、文章の展開の意外性や柔軟性も、僕にはマネのできないものでとても勉強になる。僕はこのブログに毎日拙文を垂れ流しているわけだけれど、彼の文章に較べれば、小学生と大学生くらいの差だ。もう少し気配りして時間をかければ、もとマシなものを書けるかもしれないけど、基礎体力と力量(筆力というのか)が彼とは全然違いすぎる。。

先日のログによると、彼はまず縦書きで文章を書いてから横書きのFBに書き直しているとの事。考えてみれば当たり前なんだけれど、日本語の読み書きのデフォルトが縦書きなんだから、縦書きの方が日本語の発想が自然にできる。この縦書きの効用については、以前にココに書いた事がある。で、今夜それをちょっとやってみたら、実にオモシロいことに気がついた。考えて書くというより、ちょっと未来形の現在進行形で自分が読む文章を書いている感覚・・・というか。

November 28, 2011

ライブ終了後腑抜け状態の一日

「たかがライブ、されどライブ」なのだ。あんなこじんまりしたライブでも僕らにとっては 年に一度の大イベントで、それが終了すると毎年のことなんだけれど、へろへろ腑抜け状態になる。もちろん、本業の仕事はそつなくやっているんだけれど、頭のどこかが「まだあそこにいる」感覚というか。身体的には腑抜けでも精神的には昂揚した状態の一日だった。夜はジムに直行して20本1000mきっちりと伸びた。「くら寿司」に初めて行った。驚愕の値段。それでいてそれなりに「美味しい♡」と感じる自分。でもね、あれは「鮨」ではなくて「寿司のようなもの」だと思う。そうでなれば、日本の寿司文化がへんな方向に行ってしまうんじゃないか?なんて真剣に思ったりして。

B☆竹ライブvol.5, 2011

ライブ当日。すごいヘンな夢を観た。

海岸線を歩いている。たぶん朝の散歩。向こうから来た釣り人2人が親しげに声をかけてきた。「実はクエが釣れてしまったんです。大きすぎて持って帰れないので、貰ってくれますか?」と。「えええっ、幻の魚クエですか?」「ええ...」と当惑気味の人。ふと彼らの足許を観ると体長1m位の魚(たぶんクエなんだろう。釣った事ないけど)が確かに2尾。「有り難うございます!でも、僕これからライブがあるんですよね...」困惑気味の釣り人。ライブ会場にこんな大きな魚を持っていけないし、会場では捌けないし、だいいち僕らのライブに「クエの刺し身」似合わないし/w。。。なんて、へらへらと悩んでいる所で目覚めた。いい感じの夢見だった。

ということで、毎年恒例の秋のライブ。今年も楽しかった。ライブのことはいつも記録しておきたいと思いつつも、自分で文章にしたとたんに実際の楽しかった時間がどこか遠くに行ってしまうようで、書けない。実際にはミスも多かったし反省することも一杯あるんだけれど、当分の間は、この充実感と達成感も幸せの余韻に浸っていたいというか。そうこうしているうちに1年が経って次のライブになってしまうのだけれど(笑)。


B☆竹ライブ、2011@原宿クロコダイル

ハックル・アコースティック
小春日和
月光恋歌
ふたり
日曜日の午後の雨
風になりたい
流れ星


ハックル・バンド

CC タケダ
Take it Easy
テネシーワルツ

携帯電話のなかった時代
California Dreaming
ともしび
雨の日とパンプス
猫目地蔵
⑧DowntownDown
⑨(アンコール)未来への伝言


中学生のころ歌い始めたガキ達が、いい大人になっても一緒に歌を作って歌っていられる幸せ。そしてそれを聴きに来てくれる方々がいるということ。本当に僕らは幸せ者だと思う。

Thanks, God!

November 26, 2011

ライブ前日練習

B☆竹ライブ vol.5  〜マジに噛むなよワニ!子猫に恋したシーサイドは千葉〜
原宿クロコダイル 開場12:00 開演12:30-
出演:ハックルベリーフィン1972, Submarine Sandwich Unit (SSU), GIFT

ライブ前日練習@巣鴨ホワイトロードスタジオにて。九州からCCタケダも駆けつけてくれて、リハーサル4時間みっちり。バンドとしての決め事も大体抑えてあるし、あとはライブを自分たちでいかに楽しめるか? 以前のライブではMCなんかも決め事をしていたけれど、今回はまあテキトウに...と全然考えていないけど、まあなんとかなるでしょう(笑)。昔からの仲間達とともに音楽を楽しめる幸せをしみじみ感じつつ、明日来て頂けるお客さん達にもその幸せ感を共有できでばいいなあ、と思う。成行きで参加予定(まだ全然打ち合わせしていない!)の「む・ちゅ・りみシスターズ」、昨日参加表明のあったギタリストSho Ohyamaとのコラボはどうなるのか??? ふふふ、楽しみだ。

練習終了後は駒込の中華料理屋さんで打ち合わせ食事会。紹興酒ボトルを2本空けてしっかりとエネルギー補給をした。ほろ酔い気分で帰宅。

November 25, 2011

ロバの耳に糸電話

紗高樓綺譚「糸電話」(浅田次郎)。この短編もぞっとする話だ。主人公は精神科医。幼少時に出会った薄幸の少女との「予期せぬ偶然の出会い」が繰り返される。統合失調症や人格障害という「病気」であればまだ救いがあるのだけれど、「そうではなかった」という設定のコワさ。底なしの暗黒を覗き込んだような読後感になる。小説の中でこまごまと状況設定の描写をしすぎないことが、さらにコワさを増すという技に、唸ってしまった。天才の技に翻弄される快感なのだな。

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「王様の耳はロバの耳」についてのメモランダム:

FB友達のHさんの文章で再認識したイソップ寓話。僕もそのあらすじを誤って憶えていた。

王様の耳がロバの耳で、その髪の毛を刈る床屋が口止めされているにも関わらず、どうしても誰かに話したくて井戸に向かって「王様の耳はロバの耳だ」と話す。するとその声が全ての井戸に通じていて街中に広がって聞こえてしまう。王様が困って、耳について「これは皆の意見を良く聞けるように ロバの耳になっている」と弁解する。噂の広がりのコワさと、切羽詰まったとしても、誤摩化すことは悪い事だ、正直であれ!という教訓を表していると僕は思い込んでいた。


しかし、正しくはもっと深い話らしい。


アポロンを侮辱したミダス王。アポロンに懲罰として、無理矢理その願いを叶えられるという罰を与えられる。手で触れるものすべてが黄金になってしまうのだ。黄金を得る代わりにすべてを失ってしまう、という過酷な罰。反省して許しを乞うミダス王。それでは...と、アポロンはミダス王の耳を「ロバの耳」にしてしまう寓話がベースにある。そして、前述した話に続くのだが、結末が全然違う。


ロバの耳の秘密をバラした床屋を殺そうとする王様。しかし、その時彼は気がつく。自分だってアポロンに殺されていたかもしれないくらいの罪を犯したではないか。それを寛容したアポロンの慈悲に気付くのだ。そこにアポロンが現れ、「よく気がついたな。お前の罪を解いてやろう!」とロバの耳を治してくれました、という結末。つまりこの寓話の教訓は、人間の寛容について述べたものだという。


ふーーむ。なるほど。たしかに子供の頃、そんな劇を観た気がする。

November 24, 2011

今週2回目の月曜日みたいな木曜日

水曜日が休日(勤労感謝の日)だったので、月曜みたいな気分で目覚めた研究日。週の真ん中のお休みは貴重だわ。午前は病棟回診、午後からいつもの施設在宅。スーパーウルトラエクセレント医療秘書のあいちゃんがいてくれるお陰で、今日も快適にすいすいと回診。その後は、たまプラーザの保育園の健康診断へ。かみさんも参加して、可愛い天使達とのひと時に癒された。かみさんは碑文谷のジムへ、僕はまたプラのジムへ。今日はがっつりと途中の休憩をいれて20+10本で1500m。後半は結構必死で泳ぎ切った。達成感あり。夜は二女ゆっつん&三女さあちゃんと3人で、お好み焼き「こぐま」へ。ここんちは人気店でや予約がなかなか取れない。今日はラッキーな事に時間が早かった事もあり即入店できた。うまし。

長女かなPがインド旅行より帰宅。彼女は世界中どこでもプラッと行ってしまう。1週間の旅行中、朝ご飯以外は「すべてカレー」だったそうな。お腹も壊さず歩き回ったらしい。娘ながらアッパレなヤツだ。アメリカで生まれた彼女は、日本に帰国してから小学校で今度はニュージーランドへ。英語がろくすっぽできない時期から学校で手を挙げちゃう「怖いもの知らず」で親はハラハラさせられた。大学生になってからは、ひとりでプラッと海外へ旅行してしまう楽しみを知るようになり、社会に出てからはその傾向が加速してるみたい。毎年休みになるとアメリカをバックパックで旅行した僕に似ているのかも。我が家では「かっとびかなP」と呼ばれてる。

November 23, 2011

勤労感謝の日

浅田次郎の短編集「紗高樓奇譚」(文春文庫)「小鍛冶」。稀代のストーリーテラーの技を堪能。読み初めてすぐにその世界に入り込んでしまった。この人は長編はもちろんだが短編の独自の空気感が好きだ。どんでん返しもいい形で読者を唸らせる。巧いなあ。

ライブの練習。今日はバンドバージョン。ある程度出来上がっているので決め事の確認など。あっという間の2時間だった。「でかんしょ」でクールダウンしてから原宿へ移動してクロコダイルで打ち合わせ。いいハコだと再認識。ライブ本番が楽しみだ。晩ご飯は渋谷「麗郷」にて。

充実の勤労感謝の日。

November 22, 2011

99%の不満について

以前にもここに書いた、最近の "Occupy Wall Street"運動について。
格差社会の問題が世界中で噴出している。世界中のいたるところで、公共の場所を占拠してデモンストレーションをする人たち。「1%のお金持ち」と「99%の非お金持ち(自分たち)」がいるのは不公平・不平等で「フェアじゃない!」と主張しているらしい。「らしい」というのは、もちろんマスコミからの受け売りで、正直な所彼らが何を主張してどうして欲しいのかが全然見えない。

彼らが主張する「正義」はどこか嘘っぽくて軽いのだ。単なる空虚な戯言として聞き流すには影響力があるようにも見える。でも、(こんなことは当たり前なんだけれど)正論が必ずしも正しいとは言えない。

今日の産經新聞の記事にあったように、ウォールストリートのどこかの企業のCEOが「よーし、わかった!君らの言う事は正論だ。ここにいる全員にひとり1億円あげるからデモを解散してくれ」と言ったとしたら、何が起こるだろう?

たぶん、ほぼ全員が万歳して「ラッキー!」とか言いながら解散しちまうんじゃないか?
そんな志のない安っぽい革命は現実にはおこりえない。

つまり「ゴネ得」とか「あわよくば億万長者」みたいな風潮を助長したのがSNSというとこは言えるのかもしれない。SNSのようなソーシャルメディアの功罪。そして僕の大嫌いな「プロ市民」の存在。アラブの春やエジプト革命が、卓越したリーダーがいなかったにもかかわらずSNSで「民衆が連帯して」成功したことになってる。しかし、あの革命プロセスの場合には、そもそもバックグラウンドが全然違う。長年に渡り民衆を搾取し続けて倒れるべくして倒れた旧体制のシステムがあって、その崩壊は、市井の民衆にとっては「妥当な出来事」だったのだろう。つまりSNS はツールになったかもしれないけれど、きっかけにすぎない。世の中にきっかけとなるようなエネルギーがあるから、それかツールとして機能したんだろうな。

とにかく、「自分たちには99%の支持があるはずだ」といって、傍若無人に何をしてもいいというのは、違うよなあ。

November 21, 2011

マーフィーの法則の日

今日はマーフィーの法則そのまんまの一日。こんな日が年に3回くらいある。思い返してみて、今年はその倍くらいあったかもしれない。そのくらい2011年は僕にとって辛い事が多かった年だった。目覚めたのが5時過ぎ。「まだ夜」の感じで、実は目覚めた瞬間から嫌な予感がしたのだけど。ま、長い人生の中には、そんな日もある。

November 20, 2011

感覚的思考が優位な時間

気持ちのいい天気。ぽかぽかの小春日和。ライブまで1週間ということで、ちょっと準備しつつネットを観ていたら、embarrassするような出来事が進行中とのことで、ショックを受ける。が、今の僕の立場としてコミット出来る事は決まっているので、新たな展開について前向きに考えていくしかないという結論になった。

今日もまたとっとこ歩くことにした。来年秋の目標に向けて頑張るのだ。今日は南に向かい、目的地は横浜駅まで。港北ニュータウンの遊歩道は設計は素晴らしい。歩くたびに発見がある。アクティブウォーキングとはいえ、色んなことを考えながら歩いているはずなのだけれど、あまりその内容は覚えていない。論理的思考ではなく感覚的感情的な思考が圧倒的優位だからか。ここにはちょっと書けないような内容の出来事を憶い出し(すっかり忘れていた!)ウスラ思い出し笑いしながらウォーキングするおっさん。きっとかなり不気味だっただろう。CWーXは実に快適で、18kmを全然問題なく完歩。この機能的スポーツタイツは発明だな。Tシャツは2枚着替えた。距離的にはこの倍は行けそうな感じ(笑)。歩く事でリフレッシュできることを知ったのは大きいな。今更だけど/

帰路、ジムに寄り軽めに5本ストレッチ代わりに泳いでからジャクージでまったり。夜は自由が丘にて、いしじゅんと食事@笑門 。のどぐろの刺し身、のどぐろのカマ焼、白子焼き、地鶏焼き、天然鰻の白焼きなど。〆は新蕎麦。どれも美味しく大満足。
今日のコース 
時間 3:28:15, 18.75 km, マップ: http://j.mp/sxCZ3w, 平均 11:06 /km.





November 19, 2011

レンソイスに行ってみたい

レンソイス・マラニャンセス国立公園 世界にはまだこんな場所があったのか!
寡聞にして知らなかった場所。不思議なデジャヴがある。子供の頃から空を飛ぶ夢を見るたびに「こんな情景」を観ていた気がするのだ。この10m−20mくらいの超低空を飛ぶ夢。
骨の髄までシティボーイ(笑)なので、現地の過酷な気候には耐えられないかもしれないので、せめて空から観たいもんだ。ブラジルでめちゃくちゃアクセスが悪そうなのが、面白そう。ま、夢のような夢として夢見ておこう/w。

インテリジェンス後進国に忸怩たる思い

交渉術(佐藤優、文春文庫)。この人がただもんでないことは、彼が逮捕されて、外務省を去ってから発表したの数々の著作や記事、対談などでの発言で感じていたけれど、今回文庫本で出たこの本を読んで、その感を新たにした。やっぱりスゴイ人だ。逮捕当時はこの人にしても鈴木宗男氏にしても、日本外交をダメにした極悪人的な捉えられ方をされていた。当時のおバカなマスコミの報道は、完全に外務省からの情報を鵜呑みにしたもので、それに惑わされていたのだと思う。こういうメディア情報のリテラシーってレセプターの問題なのか。自らを振り返って反省しきり。この本を読んでいると、日本の貧弱なインテリジェンス(諜報)システムも、彼のような優秀な人材がいれば「世界標準」に変わっていたかもしれないのに、それが結局は出来なかったことに対して忸怩たる思いがする。省益とか国益とかって言葉にすること自体がおかしいのだけれど、結局はどんな組織でも人間が動かしている訳で究極的には「人間のエゴ」で動いている事になる。獄中に入った彼と鈴木宗男の蹉跌の原因のひとつとして、「他人の嫉妬を過小評価したこと」という記述は当たっているんだろう。北方領土問題の進展は当分は望めない状況になってしまっているのは事実だし、こういう世の中だからこそ「清濁併せ持つ政治家の丹力」が今こそ必要なのだろうけどね。

彼が言うように、これは「失敗」の物語で、自分たちに都合の悪いことは決して書いていない。真実はコインの表と裏のようなものなのだと思う。この文庫本版の巻末にある東日本大震災直後に出された彼の言説やアドヴァイスが、じつに的確なものであることに感嘆した。

午後から職場の理事会@池袋サンシャイン文化会館。思わず笑っちゃうくらい「昭和の香り」のするビル建築とわさわさとした人混みに「アジアの雑踏」をみた。まるで1980年代にタイムスリップしてしまったみたいな気持ちになった。あと50年頑張れば、ここは世界遺産登録だわ/W。

帰路、ジムでがっつり1200m泳いでから、かみさん&さとちゃんと「月の音」にてご飯。創作おでんに舌鼓。ここんちの大根はすごいっ!感激してお代わりしてしまった。




November 18, 2011

蜘蛛の糸

ほぼ満員の朝の電車。ドアが閉まる直前に駆け込んでくる人が必ず居る。入る隙間はほとんどないけれど、すでに乗っている乗客を奥に押し込めば乗る事が出来る。僕だったら、余程の事がない限り次の電車まで待つのだけれど、彼らなりの理由があるんだろう。

必死の形相で駆け込んでくる人に、既に乗っている乗客の立ち位置として、①協力して乗せてあげる、②踏ん張って入れないように妨害する、③自分は意志をもって動かず、なるようにしかないと流れに任せる、という選択があるとしたら、③65%>①20%>②15%だろうな。まあ、どうでもいいけれど、みっともないことはするなよって、思わず今日呟いてしまった。

November 17, 2011

0歳から100歳まで

研究日。朝の病棟回診、消防署の産業医レクチャー、施設在宅往診と流れ、最後はセンター南の保育園の乳幼児の健康診断。日本広しといえども今日一日で、0歳から満100歳まで幅広く診察した医師は僕くらいじゃないか?(笑)。半年に一度の保育園の子供達の検診はかみさんと楽しみにしている。無邪気で天使のようにかわいい子供達。診察しながら癒されるっていうのもヘンな話ではあるけれど、彼らの「無垢な気」に接すると心が洗われる気がする。かみさんとも話したけれど、全員成人した我が家の娘たちのあの頃のことを忘れてしまっている。アメリカ>日本>ニュージーランド>日本と移動して、あの頃は子育てが大変だったけれど、ある意味至福の時間だったのだと今になって感じたりして。

終了後、かみさんはジムのイベントへ。僕とゆっつんは、センター南で買い物(セーターをおねだりされた)の後、「マネーボール」を観て帰宅。ブラピって役作りの幅の広い役者だと関心した。ストーリー自体は単純で2005年のオークランド・アスレティックスの破竹の20連勝の話。この騒ぎはリアルタイムで知ってはいたけれど、ふーんこういう事だったのだ。たしか日本へは辣腕監督の采配と神懸かり的な選手のプレーという形でシンプルに紹介されていた。メジャーリーグの知識があればもっと楽しめるのかも知れないけれど、素人としては「踏み込み」が足りないというか、最後にどんなクライマックスがるのかと思って観ているうちに終わってしまった感じ。映画としての質感は悪くないんだけどちょっと残念。夜ご飯はゆっつんと夢幻で小籠包。

November 16, 2011

田園都市線通勤者の会(田通会)

今夜はFBのお友達のなかで「田園都市線」というキーワードで繋がった人たちとの飲み会。僕の独断と偏見で選ばせて頂いた素晴らしい方々と溝ノ口の「海藤花(かいとうげ)」。知る人ぞ知る、すし割烹のお店。お刺身も焼き物もおいしかったけれど、特に感激したのは「特製山かけ」(画像)。ウニ、イクラ、鮪、お新香、黄身、万能葱&とろろ。これをぐちゃぐちゃにして頂く。美味しかったなあ。白いご飯にのっけて食べたら多分悶絶もんだろう。参加者はFBの論客揃いで魅力的な人たちとの楽しい時間は、あっという間に過ぎて名残惜しく11時前に解散。みなさん、有り難うございました。またお会いしましょう!

November 15, 2011

アポなし営業はお断り

仕事の立場上、いろんな業種の方達から面談を申し込まれる事が多い。製薬会社やら医療機器メーカー、問屋などの、直接的間接的に医療に関わる様々な業種が多い。これも大切な仕事の一つだ。でも、僕のポリシーとして基本的には事前のアポイントメントのない面談には一切応じない事にしている。今日もある製薬メーカーのアポなし面談をお断りする事にした。今日みたいに美人MRだからといって例外にはしない。でもこれ、別に偉ぶっているつもりは毛頭ないのだ。病院の中では殆ど「常に忙しい」し、そこにアポなしで割り込んでくる人たちと関わらないことが「(患者さんのために)本来の仕事」をする上で非常に大切な事だと思っている。それに、中途半端に飛び込み営業とかに関わってしまって、他のルールを守っている人たちに対して、不公平&不公正な態度をとりたくないのだ。一旦ルールを破ればなし崩し的になってしまうことが明らかだ。

職場に直接かかってくる「営業」の電話に関してはほぼ100%応じる事はしない。彼らの仕事からすれば1000回電話して2−3回でも話を聞いてくれればソレでよしとしているんだろう。「アポなしの必死さとか熱心さ」だけで、その商品の味方になるだけの器量は、僕ははじめから持ち合わせていない。そもそも顔の見えない相手の職場に土足で踏み込んでくるような輩に使う時間はない。マンションやら投資信託やらFXやら、秘密クラブやら怪しい投資話やら(笑)の電話の相手が必死になっているのに、しらっと素っ気なく電話を切るのは(ある意味)心苦しいのだけれど仕方ないと思っている。不況が続くこの世の中で、小さいながらも病院のいんちょをやっていると、よっぽど無駄なお金が有り余っていると思っているらしい。その認識がそもそも間違っているわけだけれど、わかってないんだろうなあ/w。

今日も朝から夜21時まで超多忙な一日だった。


November 14, 2011

皺伸ばして擦るなんて気色悪すぎ

超絶多忙の月曜日だったけど19時過ぎには出てジムへ直行。そこで気持ちよく20本伸びていつものようにお風呂&サウナで「やれやれ・・・」とリラックス。気持ちよく上がって、脱衣コーナーで信じられない光景を見てしまった。僕よりちょっと年齢の上でたぶん60代前半のおっさんが、ごしごしと身体を拭いている。風呂上がりにまるで「乾布摩擦」をしているみたいにゴシゴシとタオルで擦っているのだ。ジムには時々「ええっ!」という「個人的な習慣」の人もいるから、このおっさんもその変わった一人なのかと思っていたら、さらにびっくりの展開に。そのおっさんが、やおらしゃがみ込んだかと思いきや、股間をゴシゴシと擦り始めるではないか!まるで局所の皺を伸ばしてゴシゴシしたいみたいな擦り方。げげ、きもちわりー。しかもジムのタオルじゃないか!いくら入念にタオルをクリーニングをするにしても、あれを観てしまったら、どんな人もタオルを共用するのを躊躇うぞ。共有タオルにそんなことする輩がいるとは思いもしなかった。ああ、今憶い出しても気色悪い。まあ、本人としては「長年の習慣」で「何がいけないの?」という感じで罪の意識は皆無なんだろうけど。行為そのものはやっちゃいけないとは言わないし勝手にすればいいんだけど、共有スペースじゃなくて自分の家でやんなよって感じ。で、今日はよっぽどクレーム箱に投書しようと思ったけれど、「この事実を何て書くのか?」が大問題で、それを考えるだけで憂鬱になってしまいクレームせず(できず)。文字通りコウガンムチのおっさん!

November 13, 2011

がっつり泳いでがっつり食べた

歯科に行ってから、午後オフクロのところへ立ち寄る。早いもので2009年暮れに亡くなったオヤジの3回忌が来月なのだ。オフクロを見舞いがてら、その準備と打ち合わせなど。もともと心配性というか非常に細かい人で「先の先の先」位まで考える人なので、年老いてさらにその心配性の傾向が強くなった気がする。ただ頭は明晰で記憶力も衰えていない。2007年にくも膜下出血の再発で倒れてから奇跡的に復活して(このシブトさは、さすが我が母だ)シャント手術するまでは認知障害もあったのだが、術後は順調で今に至っている。身体的にも精神的にも元気だし、まだまだ人生をエンジョイしそうな感じだ。ぽっくりと逝ったオヤジは幸せな死に方だったと思うけれど、オフクロが元気なのは草葉の陰で喜んでいるだろう。そんなこんなで来月は名古屋へ行く。

ジムに寄り今日はがっつりと泳いだ。レーンが空いていて(というかノンストップで泳いでいたら空けてくれたみたいで1ー2本泳いで別のレーンに移る人多し。土日は初心者が多い)、今日は久しぶりに気合をいれて泳いだ。たぶん30本1500m(20本以後は数えるのを止めたが泳いだ時間で判る)。夜はかみさんとゆっつんと根元先生に教えてもらった緑が丘の隠れ家的な家庭的洋食屋へ。


女性プロテニスプレーヤーのKDKさんとカウンターで遭遇。日本に居る時には必ずここんちに来るそうな。すごく爽やかで気さくな方だった。かみさんが彼女の大ファンで大感激。でも負けず嫌いで「子供の頃から、じゃんけんで負けるのも嫌い/w」なんだそうな。今日はパンプキンのスープ、サラダ(たっぷり)、冷たいトマト、牛肉フィレステーキ(焼加減もソースも絶品!)、メンチカツ(肉汁たっぷり)、ハンバーグ(定番)。どれも大満足。


今日は(も)カロリー消費より供給の方が確実に上回ったな(笑)。





November 12, 2011

揺れる「間」の気まぐれグルーヴ

ライブのバンドパートのリハ練習@巣鴨WRS。あっという間の充実の2時間だった。バンドとしての決まり事を確認しつつ、グルーヴの盛り上がりを高めていく作業。今日気付いたのは「グルーヴの揺れについて」で「抜けた後の揺らぎ」的な「間」揺れがあると楽しいなあと。単なるブレークじゃない揺れは狙ってでるものではないのだな。それがバンドパートの楽しさ。リズムセクションの背骨がしっかりしているからこそできる「遊び」なんだけれど。練習終了後は巣鴨の「とん平」でがっつりご飯。阿佐開のミニボトルを飲んだ。その後はさくらにて。CCタケダとかDANの日比谷高校のクラス会を赤坂でやっているということで連絡したら、すでに彼らはべろべろ状態で何を言っているのか意味不明(笑)。色っぽかったTさんネタで盛り上がる。明日の予定があるので僕は今度のライブでデビューするギター「あやちゃん」(重い!)を担いで22時半に退散した。楽しい週末。

November 11, 2011

Tucker!

日々確実に夜が長くなっている。夜の明けるのが遅くなり、目が醒めてからベッドの中でぬくぬくとしていたい誘惑を感じる季節。身体が冬に向かって(冬眠の準備するのか/w)なんだか眠いしお腹も減るし。

朝、田園都市線駒沢公園で人身事故があったらしく、たまプラーザから超満員の電車に押し込まれて最悪の状況でのろのろ運転。「電車の中の石ころルール」。車内に充満するイライラの空気は極限にまで高まって、本当に今にも爆発しそうだった。小学生が倒れて潰されそうになったり、女の子が悲鳴を上げたり、事故が起こらないのが不思議なくらいの混雑。のろのろ運転なので次の駅に到着するたびに、無理矢理乗ってくる乗客とそれを意識的無意識的に押し戻そうとする客のバトル。自分の足で踏ん張り倒れないようにする事はもはや不可能で、電車が揺れるたびにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。溝ノ口まで30分。そこからの大井町線もヘビーだった。1時間以上かかって自由が丘に到着した時には、正直へろへろだった。年に1ー2回偶発的に起こってしまう「超混雑電車」。やれやれ。

夜はウルトラ・エクセレント・スーパー医療秘書&ナースの美女3人とイタリアン。静香ちゃんの結婚お祝い食事会だった。今夜もがっつりとニュージーランドならさしずめ"Tucker!"って感じの美味しいイタリアン@トラットリア・チーボ。このところ通いつめてる/w . 今夜もどれも美味しかったけれど、今夜は「ウニのピリ辛トマトソースのパスタ」がとくに美味しかった。

November 10, 2011

晩秋の夕陽に心が締め付けられたこと

晩秋はいつのまにか通り過ぎて、ぐぐっと冬に近づいた感じがした。 今年は秋が短かった。様々なイメージが膨らむのかこの季節。 小学校低学年だったと思う。オジキの運転する車で茅ヶ崎あたりを走っている窓から見えた、つるべ落としの秋の夕焼けを眺めながら、胸が締め付けられるような切ない気持ちになった。ホテルパシフィックの影。その感情に自分でもどう対処したらいいのかずいぶん戸惑った事を鮮明に憶えている。BGMはグルーウサウンズ。スパイダーズ「夕焼け、海の夕焼け、真っ赤な 空と海の色」。そのまんまじゃないか!(笑)

前後の状況は全然記憶がないんだけれど、あれは何なんだったろう?たぶん初恋の女の子をことでも思っていたんだろう。誰にでもいくつかある人生の原体験のひとつか。 午後の施設往診の後、ジムに寄り20本1000m軽く流していたら、その情景を唐突に憶い出した。 

夜は自由が丘「べこ亭」にて会合。

November 9, 2011

助けあいジャパンチャリティ講演会

助けあいジャパンチャリティ講演会@楽天2号館。品川シーサイドに向かうりんかい線の車内で、さとちゃんとロボットの加藤さんと偶然遭遇して会場へ。ゆっつんが運営の手伝いボランティア。さとなお君とループスの斉藤徹さん(彼らは駒場東邦の同級生)のチャリティ講演会と懇親パーティ。時代の最先端で今が旬の二人の講演会で300人以上の人が集まり大盛況だった。僕の専門とはまったく異なったフィールドの話ではあるけれど、医者になっていなかったら多分僕は「この分野」に進んでいた筈で興味深く二人の話を拝聴した。

懇親パーティは職業や年齢やそれぞれの専門の全く異なる人たちが、漠然とした共感を共有して「繋がる」不思議な感覚の会。これはFBなどのソーシャルメディアの登場以来、急速に広がったもので、Something newな不思議感覚。色んな人とフラットにユルく繋がって自由に意見交換しつつ、それでいて結構具体的で建設的な議論が出来るというももで、その「何か」が(極端に言えば)世界を変えるかもしれないという「予感」や「期待」を感じさせてくれる。そんな高揚感に浸りながらタクシーで帰った。

November 8, 2011

めりめりハリハリ絞ってなんぼ

来年の311までに5kg減量を宣言した手前、食事と運動には気を使っている。炭水化物を控え一日2000カロリー。とはいえあまり節制しすぎるのは僕の主義に反するので、摂るときは摂り絞る時にはしぼろうというメリハリをつけた方針。でも、たった1ヶ月あまりで苦労せずに1.5kgの減量を達成ということは、いかに今までウェイトゲインの誘惑に負けていたかということなんだな。来年12月に向けて(ふふふ、まだ公表していない)目標が出来たので、それに向けて頑張ろう。若い頃から、イメージ優先で夢を膨らませられれば頑張れる単純なタイプなのだ。夜は医師会理事会。助けあいジャパンへの寄付支援がディスカッションののち満場一致で承認された。ばりばりの保守本流の医師会も、たまには粋なことをするではないか!素晴らしい!このGood newsを帰路早速FBにアップした。昨日とはうってかわったサクサクの一日だった。Thanks God!

November 7, 2011

いらいらいらいらいらは自業自得

一昨日の微妙にズレてた一日について述べたが、月曜日の今日はそんなもんじゃなく「さらにズレズレ」の一日であった。まったく「とほほ」な一日。朝一歩家を出たら、家の前の横断歩道(一時停止)を歩行者無視で猛スピードで通り過ぎようとする車に飛び退き、そのアホ女ドライバーと目が合って「ガンつけられた」ことから始まり、駅から乗った満員の通勤電車では、すぐ後ろに立ったヘッドフォンおやじが時々する「溜め息」がウザクて・・・・いらいらいらいらいらした。月曜日でただでさえ忙しいルーティンに加えて、サブルーティンやアクシデントも含めて、仕事場でもさまざまなズレズレと遭遇するはめになった。つまり一日中不機嫌度75点くらいで過ごしたみたい。さすがにへろへろに疲れた帰路、ジムに立ち寄り20本軽めに泳いで、ジャクージに入りながら「なぜに僕はこんなにイライラしているのか?」を自問した。このいらいらした原因の半分は、たぶん(いや絶対に)自分の行動がもとになっていて、ある意味「自業自得」なのだということに気付いた。ああ、まだまだ人間としての器が小さいのだな。久しぶりに写経でもするかな/w 写経本を台湾で買ってきたんだった。


FBで教えてもらった須藤元気のパフォーマンス。今度はメキシコ。Bravo!

November 6, 2011

ピーチかぶのポトフ

一昨日Riseの地下にあった「ピーチかぶ」。お試しで梅酢のお漬け物を食べたらふくよかな甘さが素晴らしく、即買い。資料探しと原稿書きをしながら、午前中はそのカブを使って、ポトフを作った。冷蔵庫に残っていた玉葱と人参とセロリ、ベーコンとソーセージをル・クルーゼに容れてブイヨンでコトコトと煮込む。滋味深い甘さのカブが最高に美味しかった。身体に優しいポトフはこれからの季節の定番。午後からは巣鴨のスタジオでアコースティックパートの練習2時間。今日は根津さんが欠席で、3人だったけれど「むふふグルーヴ」を感じられて楽しい時間だった。家族で晩ご飯は神保町のきよしに行く予定だったけれど、日曜日で休みという事で急遽かなPのリクエストで自由が丘のチーボに変更となり移動。今日もがっつりと美味しく頂いた。まずい、否、美味しすぎて、よくない。今週も高カロリーの食事が連日続く予定。昼間の食事をセーヴして動かなければ。
てか、食い物と運動の話ばっかだな最近。

November 5, 2011

微妙にフォーカスのずれた一日

何かをやろうと画策すると、その前に別の何かが起こってしまい、結局断念して「そのままの予定」で動く日ってある。まさに今日がそんな感じ。6時過ぎに目覚めていつものルートで通勤。土曜日の朝は自由が丘のそば新で朝ご飯を食べることが多い。さて今日も入ろうかなと思ったら緊急のメールがあり断念した。午前中の仕事でも思惑と微妙にズレている現実。3時半の歯科の予約だったので、2時間半で自宅まで歩こうかなと思いたって歩き始めようとしたら、また病院から呼び出しなど。結局タイミングを逃してたまプラのモールで時間潰しをしてから歯科クリニックへ行く事になった。K先生の華麗なテクニックにお任せしているうちに、思わず睡魔で眠ってしまい、16時すぎ。歩けなかったので、ジムに寄って泳ごうかなと思っていたら、自宅でやることが出来てしまい、直帰。18時から曙町の荒井屋本店の会合へ。年に一度の会合。荒井屋はKCMCに居る時に一度行ったきりで20年ぶりの再訪。日本の牛鍋発祥のお店で、懐かしかった。

今日の星占い:水瓶座
少しくらい忙しくても、気合いと体力で何とかなる一日。人へ尽くすことに喜びを感じ、幸せな気持ちになれるでしょう。

むべなるかな 
あな おかし

40ドルのメロン

帰り道に二子玉川でかみさんとさとちゃんと合流して、ショッピングに付き合い散策。Riseが出来てから、このあたりも随分随分変わったんだけれど、人混みが好きじゃないので特別な用事がなければ自分から歩く事はない。つまり、どこに何があるのか、全然わからない。とまれ、通路は広いし、雰囲気もおしゃれでキレイで快適。特に地下の食品街の充実ぶりには驚いた。普段使いの食材から超高級食材まで幅広く取り揃えてある。マスクメロンが10000円なんて、今でも売っていてるんだ!と、懐かしい出来事を思い出した。

LAで生活していた1986年頃、当時いろいろとお世話になっていたドクターのカップルが東京に行く事になった。僕らは東京の両親に電話してホテルの部屋にフルーツをプレゼントしてもらうように頼んだ。いわゆる「ウェルカムフルーツ」だ。両親としては息子夫婦がお世話になっているアメリカ人夫妻ということで、彼らなりに奮発して千疋屋のメロンを帝国ホテルの彼らの部屋に送った。当時も(今も)最高級のマスクメロンは10000円。為替と貨幣価値からすれば今の2倍位の値段と考えていいだろう。彼らが喜んだのは言うまでもない。LAに戻ってきてからすぐに電話をくれて「マーク、メロンをありがとう!とてもおいしかった!」と感謝の言葉。そりゃそうだろう(笑)。でも、彼らは絶対にあのメロンが一個10000円(当時のレートで一個40ドル)するなんて、想像できなかったはずだ。当時のLAの値段はせいぜい1ドルだったから。最高級としても、まあ5ドルがいいとこ。つまり、この40倍の売値のメロンというのは、日本の社会特有の「記号」なのだ。送られる方も送る方も「この千疋屋のメロン」という記号の意味を知っていて初めて成り立つ。だから、アメリカ人の彼らに理解しろというのが無理で、送り手のミス(というか一方通行の気持ち)なわけだ。その記号が今でも成り立っている(らしい)のを発見して面白かった。だって今時自分のために10000円のメロンを買う人は居ないだろう(いるとしたら、物の価値のわからない可哀想な人だ)。晩ご飯は、台湾の有名店、鼎泰豊@玉川高島屋 にて。うまし。

November 3, 2011

とっとこ歩いた文化の日

当直明け。1時過ぎに診察ベッドの上で仮眠をとるべく横になってから、6時過ぎまで起こされずに眠れた。ただ、幅の狭い診察ベッドなので寝返りがうてないので眠りは浅くうつらうつらで目覚めたときは肩から腰にかけてダルい感じ。まあ、歳には敵わないなあ。若い頃は横になって寝られるだけで100%疲労回復できたんだけれど。あのころは患者搬送用のストレッチャーやら、事務椅子を並べて横になったり、ひどい時にはICUの床で眠ったものだ(遠い目)。7時頃来た救急車の対応をしてから、回診。昨夜の入院や面談をしているうちにあっという間に10時過ぎになってしまった。ふと思い立ち、都内中心部に向かってウォーキングすることに。ネットで検索すると神保町まで16kmくらい。2時間半くらいで歩くには丁度いい距離。奥沢から都立大を通り、駒沢通りを抜けて中目黒、代官山、渋谷をかすって246を抜け赤坂へ。弁慶橋を通って麹町を抜け靖国神社でお参りしてから神保町。ノンストップで2時間半。15kmくらいは全然楽勝で自信がついた。今日のコースは、子供の頃から土地勘のある場所で、あらためて歩いてみると、いかに東京という都市が複合的で文化的で魅力的な場所であるか実感できる。東京の持つ文化的な深さと厚みはアジアの他都市との比較するまでもなく圧倒的だ。ソウルや台北がどんなにがんばってもかなわない時間的空間的な「差」がある。彼らが憧れるのがこうやって歩いてみるとよくわかる。遅めの昼ご飯は神保町の共栄堂で、いつものスマトラカレー(チキン)とビール(最高!)。いつものように「カレー多め&ご飯控えめ&スープ追加」。ささやかな自分へのご褒美。ジムのサウナ&お風呂に寄ってから帰宅。夜はマッサージチェアに揺られながら、内田樹の「最終講義」再読。このおっさん(内田先輩)、やぱり視点の自由度と思索の深さがすごい。こういう人の考えることに政治家が耳を傾けるような「賢人政治」が実現する事はないのだろうか?

November 2, 2011

当直の夜の考察

休日前の「東京ルール」で当直中。わりと前半が忙しかったけれど深夜帯になり、今は静か。嵐の前なのかもしれないけれど。ということで、オフィスでデスク周りの整理と溜まったペーパーワークの処理など。

今朝の大井町線の僕の前に座っていた男性(50代か?)のかつらがすごくみっともなくて、以下のコメントをFBへ
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「かつら」っていうのは「禿げを他人に気付かれずに隠す」ためにある。つまり、「嘘をつく」ための道具だ。「他人にはたぶん気づかれてないだろう」と本人が思っているのに、ほとんどのケースで他人には「バレている」/w。たとえどんなに偽装技術が進んだとしても、本人の「後ろめたさ」と他人の「見て見ぬふり」という「虚構的関係性」は不変だろう。乙女が貧乳を上げ底するなら多少可愛げがあるんだけど、自分に自信がないのだな。男性ホルモンが人様より多めだという事を誇りにして(笑)潔く禿げようぜっ、ご同輩!(と、ハゲます)。
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そんなことを書いていたら、ふと「貧乳」というタームが気になって…追加


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今さっき「貧乳」というタームをつぶやいて、ふと思ったのだが、今普通に使われる「巨乳」などという劇画的かつ視覚的な言葉は昔はなかった。いつごろから誰が使ったのだろう?と素朴な疑問。GOROあたりの月刊誌のような気がする。
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「貧」の反対は「豊」だし、「巨」の反対は「微」だ。ということは、巨>豊>貧>微ってことなんだな。ま、どうでもいいけど/W。







November 1, 2011

OH WOW. OH WOW. OH WOW.

初めて買ったパソコンはNECの8シリーズで、1983年だった。研修医の頃、お正月三ヶ日のアルバイト(結構いい額になる)でもらった給料を握りしめて秋葉原で買った。記憶装置はカセットテープでBasicのコマンドを書いて、トコトコ動いていた。当時はまだ「電子計算機」なんて言い方が一般的で、靴を脱いでスリッパに履き替えて入る大学の「電算室」には巨大なロッカーみたな「電算機」が並んでいた。Amiga とかAppleの扱いは当時の僕の周囲ではゲーム機だった。1985年にアメリカでの留学生活が始まり、LDOSのTandy-Radio・shakのPCがオフィスにあって、DOSの便利さとか巨大なHDの便利さに驚いたもんだ。でも世の中で何かが変わり始めているのは実感していた。何がどう変わり始めているのかが判ったのはその後随分経ってからだったけれど。ディスプレイと一体となった可愛いclassicと出会ったのは、UCLAに留学していた日系カナダ人の友人のラボを訪れた時だった。安月給のフェローであった僕には高嶺の花。小児がんの研究ファンドが審査に合格してそのお金で買ったのがTOSHIBAのMS-DOSマシンのラップトップT-3100。当時としては画期的なマシンだったけれど、僕のはアメリカ版で(日本版はたしかJ-3100)今では信じられない話だけれど日本語MS-DOSが入らなかった(笑)。当時からマックが多言語対応だったのはスマートで羨ましかった。そして帰国して初めて念願のマックを手にしたのは、1989年くらいでII CX(画像)だった。圧倒的な画像の解像度と速さには大満足したけれど、当時のマックはすぐに機嫌を損ねて止まってしまい、sad Mac(泣き虫マック)には泣かされた。KCMCのシニアレジデントの冬のボーナスすべてを使うくらい(高い!)の価格で、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったと記憶している。以後、当時ほとんどマックの使われていなかったニュージーランド時代で改宗してから2005年くらいまで約10年間Windows。Jobsの復帰とアップルの復活とともにその後は今に至るまでMacを使っている。Steven Jobsの死に関しては、時代の寵児の死としてたしかに感じ入るもののあるけれど、巷のJobs教信者の狼狽ぶりや悲嘆のくれる姿は、ちょっとヒステリくすぎるような気がして「なんとなくヤダなー」って思っていた。でも、今日この記事を読んで、ついにじわーーっとキテしまった。なんで泣いてるんだろ、オレ。この人と同じ時代に生きた事を誇りに思う。
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