助けあいジャパン

July 31, 2013

アルバムの写真

昭和30年代の僕らの世代は日本の高度成長期
それまで写真館に行って撮影していた写真が
手軽にハンディなカメラで撮影できるようになり
劇的に映像の世界が変わった

僕らは子供の頃から身近に
カメラがあった初めての世代だ
当時は「写真機」と呼んでいた(笑)

日本の精密機器のレベルは高く
今に至るまで世界をリードしてきたことは
間違いない。
これだけ個人の写真のある国は
珍しいだろう

1990年くらいまでは、
写真(プリントした)の山、
アルバムの山はどの家にあり、
そこには確かに「あの時代の空気」が
写っている

写っている画像そのものより
あの時の記憶と空気は
しっかりと切り取られている

いまだに「ハイチーズ」なんて
撮っている人もいるけれど(笑)
現代の子供達は
デジタルカメラの登場で
枚数を考えず撮影できるので、
当時とは随分撮り方が
変った。

たしかに、手軽に写真が撮れるようになり
そこに込められた気持ちとか
「有り難み」がなくなった気がする。

子供の頃の写真を観て喜ぶのは
本人より親と爺婆だろう
極言すれば
子供の写真は
子供の為というより
親の記憶の為に
撮っておくものだ。

山のようにある飲み会や旅行のスナップ、記念写真や仕事場の
行事のスナップなど、はっきり言えば捨てるに捨てられない写真の多さに
辟易しているのは僕だけじゃないだろう。

自分の膨大な画像、動画のデータを
どうアーカイブして分類して保存するか?
あるいはダウンサイズしてそのまま遺すのか?
お宝写真が眠っている可能性だってある。

また、極言すれば
全部いらない、すべて捨てて良い
という選択だってあるわけだ

なかなか難しい問題だ。

業務連絡ですが
今は「何でもアリ」の方針で進めるつもり

第16クール、昨日より開始。
御陰さまで、今のところ順調です。

July 29, 2013

人気オーラについて

石川遼
久しぶりにテレビでの姿を観た
天才ゴルフ少年と云われて
「遼君」「僚くん」と、もてはやされ
あれだけ脚光を浴びて輝いていたのに
ここ最近は不調で、スランプに喘いでいる

天才少年だった彼も
いつのまにか、プロゴルファーの
one of themになっている。

残念ながら今の彼には
人を引きつける
「人気オーラ」
が感じられない

ちょっと痛々しい感じがした
そのくらい厳しい世界

賞賛が大きかった分だけ
落胆や失望が大きかったはずだ

チヤホヤする人たちが
イヤというほど寄ってきて
騒ぐだけ騒いで居なくなったんだろう

陰と陽は裏表
人生は突然暗転する

スポーツ選手に限らず
一瞬先は誰にもわからない

人「気」の停滞している時
つまり、雌伏の時には 
もがけばもがくほど
ドツボに嵌まるものだ
その流れに逆らわず
「死んだフリ」を
するしかない

実力と実績、人気を持っていた人なので
まだまだこれからチャンスがあるだろう
再起してブレークすれば
今度こそ、本物になるはずだ

食い物photoあれこれ

最近、3人のそれぞれ関係のないFB繋がりの方々から
marcさんの写真は「どれも美味しそう」(W)という
お褒めの言葉を頂いた。

うははは、ウソでしょ。
i-phoneで撮影しているだけなんですけど(笑)
もちろんデジカメの影響が大きい
でもちょっとだけ嬉しい。

ブログには確かに圧倒的に食べ物の写真が多い
本当はもっと人間を撮りたいんだけれど
好きこそものの上手なれと云う事か(W)

唯一、心がけている事は
sizzle感
あれこれ凝らないで
出来るだけぐぐぐっと寄って
近接することは意識している

実際にはいろんなテクニックは
あるんだろうなあ
興味ある

画像は寿福(自由ヶ丘)街の中華屋さん

July 28, 2013

三崎のシーマンのシュウマイ


「牡丹」三崎 シーマン達の御用達 しみじみ美味しい

July 27, 2013

買い物に行ったサザエさん状態

テモダールの効果だろう
ちょっと油断すると、
うつらうつらしていることが多い。
みっともないくらい寝入ってしまう
眠り姫ならぬ、居眠りおじさん

コンピューターで喩えると
マシンの動きがガクッと落ちて
フリーズしないまでも「考え中」になってしまう。

脳の機能が落ち
極端に眠くなる
自己防御反応なのだろう
そうなると眠くなり
覚醒していられない

何かアイデアを
想起できたとしても
保持できないので
すぐに忘れてしまう

ごまかし ごまかし
思いついた事や
考えている事を
何でも出来る限り
メモる事にしている

問題は時々dyslecsiaのせいで
メモった文字が読めないこと。
ぐじゃぐじゃの文字が
何のメモだっけ?ってことになる。

まさに「買い物に行ったさざえさん」状態(笑)

実は、さっきショックなことがあった。
「ここがどこで」「今がいつなのか」
かなり長い時間考えても
わからなかったのだ

ふと目が覚めたら病室のベッド
朝4時過ぎ(実際は午後16時)頃と勘違いしたのだ
約12時間くらい過去の記憶がない!
時計やカレンダーをみても辻褄が合わない
さらに混乱

ぼんやりした意識の中で
ひとつひとつの事実を確認して
今は午後なのだ、と自分が納得できるまで、
10分くらいかかったかもしれない。

寝惚けたり、勘違いしても
通常はすぐ気がつくものだ

焦った
焦れば焦る程
混乱した

冷静になって考えれば
簡単に訂正して
適応できることも

思い込みと勘違いで
さらに混乱に拍車がかかる

周囲が温かい目で見て
あるときは一緒に悩み
あるときは笑い飛ばせるのが
理想的なんだろう

それにしても
今日は焦ったなあ(笑い事じゃなく)

July 26, 2013

さらさらさらっと認める(したためる)

メールでのやりとりが
中心となった昨今でも
患者さんとご家族から
お手紙を頂くことがある。

いつも感心するのは、
或る80代の女性の方、
もうお一人は
60代の女性の方だ

二人とも筆まめで、達筆
それぞれ美しい毛筆とペン字で
折に触れてお便りをくださる

さらさらさらっと
姿勢よく座って
お便りを認(したため)て
いる姿が想像できる。

教養と才気あふれる
ヒューモアを感じさせる文面
毎回、取っておいてお手本にしたい程
洗練された心遣いの溢れる手紙だ。

生来の几帳面な性格なのだろうが
女性的な「可愛らしさ」もある

日本伝統の心遣い、
さらには、型通りの安心と調和感

毎回感服する「雰囲気」がある
これは一朝一夕でできることではない

それにしても、我々の親の世代は、
みんな達筆で文章も巧かった。
男性であれば「一筆啓上」(筆で、さらさらさら〜)
というのが「大人のたしなみ」だった時代。

今は短いテキストと画像でのやりとりが
主流(というか、それのみ)になっている。

それを「嘆かわしい」と感じるか
利便性は進歩なのだと割り切るかは、
個人の考え方だろう

しかしながら、
アナログの手書きの「心のこもった」手紙の
圧倒的な温かさは
デジタル時代だからこそ
逆に新鮮で新しさを
その心遣いに感じる。

新しいアイデアの
ヒントになる気がする

画像は、頂いたご本人用の名入りメモ用紙(一筆箋)。オシャレだ。

July 24, 2013

気持ちの悪い謎のデザイン

選挙も終わりぼ〜〜とテレビを観ていたら...

ん?じぇじぇじぇ/

下の丸が子供のお絵描きのようにギザギザだ。

何かの間違いだろうと思ってネットで調べると
二つの円と二つの球を表現しているらしい。

今まで意識していなかったし。

意図的ギザギザのデザインだそうな
説明を読んでもよくわからない
すっきりしないこの気持ち悪さ
ネットで調べたら、有名な話らしい。
ま、どうでもいいけど、
センスの無さを露呈してることは明らか

あれでは大敗を喫するでしょ


海老のクミンシード炒め

海老のクミンシード炒め(まーくのテキトウお料理レシピ)

(諸般の事情で再掲載)

①車エビ(使ったのはホワイトタイガー10尾)の下ごしらえ。背わたをとってキッチンペーパーで水気をとり、クミンシードパウダー、花椒塩、胡椒、ガーリックパウダー(画像)をパラリ。少なめでいいみたい。数分落ち着かせてからボウルに投入。


②ボウルに片栗粉大さじてんこ盛り2杯と卵白(一個分)を加え、さらにナンプラー小さじ2杯、紹興酒小さじ1杯、韓国で購入した「秘伝・黒ごま油」をちょろっとを足して、もみもみするとこんな感じ。









③最近、多用しているのは桃屋の「きざみニンニク」。これが便利だし隠し味が絶妙。となりは昨日台湾から帰って来たこーめい先生にお願いして買って来て頂いた(←3年前の話)「寧記」のChili Shrimp Sauce。激烈な辛さなので、小さじ1/4で十分。それを今日初めて使うので「試し舐め」したら、マジで舌が痺れた。すげーぞ、コレ(笑)。いろんな料理に応用できそう。




④炒めに入る。きざみにんにく(大さじ2杯)、台湾みやげの激烈唐辛子(小さじ1/4杯)、クミンシード(パラパラ程度)をサラダオイル(大さじ3杯)で炒める。極弱火から始めて、香りが立って来たら中火に。








⑤炒めはこんな感じ。ココからは強火にして・・・香りがたってきたら、ボウルから海老を1尾ずつ丁寧に投入。

焦って一気に入れるとコロモが付きすぎて油っぽくなるので注意。


⑥蓋をして煽る。画像は僕のお気に入りのフライパン蓋。かわいいでしょ。








⑦このくらいになったら、仕上げは強火で煽りまくる。ううーーんいい香りがしてきた♡








⑧キッチンペーパーに海老を上げて油を落として(これをしないと油っぽくなる)、盛りつけ。カリカリのニンニクをパラパラして完成。僕的にはさらに刻んだ香菜をパラパラするのが好きなんだけれど、うちの家族が香菜キライなので今日はなし。

エスニックの香ばしい、カラリ炒めのぷりぷり海老!熱々にレモンを絞って・・・うまいっすよ!

July 23, 2013

どうせ降るなら土砂降りの雨

カミングアウトしておこう。
この曲はフィクションではあるけれど、実は亡くなったオヤジのことを書いている。彼の晩年の事を思うと、とても辛い経験だったが、この歌を書いたことで気持ちが整理できた気がする。ライブで歌っていると、様々な想いがこみ上げてきて、毎回泣きそうになる。事情を知っているはずなのに、相方の篠根丈二は、何も聞かず何も言わず、この曲の作曲とアレンジをやってくれた。彼の心遣いが有り難かった。
原詩は「春の嵐」、季節は違うけれどあの日も今日のような豪雨だった。

DanがYoutubeにアップしてくれました。

春の嵐
作詞:松村光芳 作曲:篠根丈二

1)
投げつけられた言葉に
すぐに身を構え
甘かった自分に
腹を立てる余裕さえなかった

今まで積み上げて来た
ものをすべて捨てて
思い出だけで生きてゆくのは
哀しすぎる

 せめてこの雨に
 想いを込めて
 流した涙も
 苦しかったあの時も

どうせ降るなら土砂降りの雨
すべての哀しさを洗い流せ
せめて今夜は土砂降りの雨
すべての空しさを押し流せ

2)
ひび割れた自分の
手をきつく握りしめて
愛してきた人たちに
言葉する余裕さえなかった

いままで積み上げてきた
ものすべて捨てて
思い出だけで生きてゆくのは
哀しすぎる

 せめてこの雨に
 想いを込めて
 流した涙も
 傷ついたあの時も

どうせ降るなら土砂降りの雨
全てのやるせなさを洗い流せ
せめて今夜は土砂降りの雨
すべての哀しさを押し流せ

(間奏)

せめてこの雨に想いを込めて
流した涙も苦しかったあの時も

どうせ降るなら土砂降りの雨
すべての悲しさを洗い流せ
せめて今夜は土砂降りの雨
全ての虚しさを押し流せ

どうせ降るなら土砂降りの雨
全ての悲しさを洗い流せ
せめて今夜は土砂降りの雨
全ての虚しさを押し流せ



July 21, 2013

メキシコの海岸線で海老を食べたこと

メキシコの国境を越えると、急に土埃っぽくなる。
国境の街ティワナを越えて、エンセナーダに向かってドライブした。
灼熱の乾燥した風。ヒリヒリするような熱い空気。

海岸沿いのフリーウェイの傍らに、掘っ建て小屋のような店がある。

店に入ると数を聞かれる。オーダーするのはそれだけだ。
少年達が路肩から海岸線のほうに降りて行き、
生け簀の中から大きな伊勢エビ(ロブスターではない)を
ひとり一尾づつ持ってキッチンに上がってくる

そしてまだ動いているその巨大なエビを
頭から尾っぽまで半分にスパーンと切る。
キッチンには大きな鉄板があってそこに並べ
オリープオイルをさらさらさら〜とかけて
香ばしく焼けた伊勢エビに
塩と胡椒で味を付け
ライムを絞って噛りつく。

それだけ(笑)

溶かしバターとか
サルサとか、一切なし

言葉が出ない程、美味しかった
30年以上前の記憶でも
あの味ははっきりと憶えている

その後、プエルトバジャルタの高級リゾートに
学会で宿泊した事もあるけれど
同じ料理は見つけられなかった。

美味しい記憶は刻み込まれている。

July 18, 2013

おっさんたちも頑張る

最近、優秀でやる気のある若者達との出会いが多い。
特に311以後に日本で起こっているムーブメントには、
日本の社会に、確実に新しい何かを感じる。

今も昔も、男子にとって
若さ故のガムシャラさと
根拠のない自信と、
「女子もてたい」気持ち(笑)
(これがメインかもしれない)は
前進のエンジンだ。

若者達には、どんどん頑張って欲しい。
勉強をしたり自分を高める事に
「もうここまで」という限界はないのだ
おっさんたちも頑張るから(笑)。

歩き始めた当初は
本当にこれでいいのか不安になったり
本当に前に進んでいるのか
後ろに戻っているのか
不安になって、しゃがみ込む事も
あるかもしれない

でも、今までの自分の人生を
高速リヴァースして
振り返って観られたとしたら
(恥ずかしいからイヤだけど、笑)
全ての物事には
必然性、蓋然性があるはずだ。

サボればサボっただけの
報いはあるし
「やはりこれしかなかった」と
いうチョイスをする
真摯な努力は報われる。

神様(仏様)はどこかで必ず見ている。
因果応報

今でこそエラそうな事を
言ったり書いたりしているが、
僕自身は自信を持ってなかなか
一歩を踏み出せないヘタレだったと思う。
向こう見ずなふりをしていたが
実ははエーカッコしーの小心者だった。

岐路で悩んで
自分で決断をしたつもりだとしても
すべて「ご縁」の
神様(か仏様)から観れば
実はすべて
掌の上のことで
「お見通し」だったような
気がする。

現在あるプロジェクトが進行中。
鈍いながらも鋭意、頭の中を整理している。

July 16, 2013

バックステージの恍惚

スポットライトを浴びるより
ライブ直前のBack stage の
緊張感とワクワク感が好きだ

段取りを考えたり
準備する事は
いくら大変でも苦にならない

自ら演じる側に立つより
創作演出したり、
キャスティングを考えたり
脚本を書くほうが
自分では性に合っていると思う
(実際の才能の有無は別にして>笑)

July 15, 2013

はじめてのおつかい

はじめてのおつかい
http://www.ntv.co.jp/otsukai/

以前からこの番組、大好き。
毎回笑いと涙が止まらない。
番組の歴史を感じさせるエピソードに感激しつつ。

田園都市線通勤者(田通)の会

2011-9-28のログを発見

混んだ電車内でカバンの床置き、危ないから止めなさい!>若者たち。。。(後略)。。。という僕のエントリー(2011-9-28)から始まった。
「田通会」発足の瞬間(笑)

=======
(略)
ひきた よしあき 大井町線で、コンビニ弁当をかきこんでいる女子高生の集団を見たことがあります。サルかと思いました。
2011年9月28日

(略)
ひきた よしあき 桜井さん、ありがとうございます。友達になってください。
2011年9月28日

桜井 明弘 蟇田さん、有難うございます。蟇田さんのウォール、面白く考えさせられる書き込みに読み入っています。
2011年9月28日

松村 光芳 ↑↑↑ ふふふ、まあ立ち話も何ですから、田園都市線仲間ということで一度呑みませんか? 
2011年9月28日

ひきた よしあき 師匠、よろしくお願い致します。昔、田園都市線通勤車の会、略して「田通会」というのを。。。(後略)

松村 光芳 大賛成!再結成いたしましょう!!梶ヶ谷のS兄弟や、たまプラのK兄弟にもお声がけをしましょう。FBイベントにするか/w
2011年9月29日 6:52

=========
今日、ひょんなことから、過去ログ発見。
随分昔みたいな気がする。

「ならぬものはならぬ」と、ぶれない

八重の桜も、戊辰戦争で前半のヤマ

本来は京都守護職であった会津が
オセロをひっくり返したように
朝敵とされた悲劇
この辺りの歴史は複雑で
いまだに僕は理解できない。

はっきりしていた事は
大混乱のなかで
日本人が
敵か味方かはっきりしない戦いを
強いられていたことだ。

殺しあったり、憎しみあったりする
欧米の戦争の歴史とちがい
日本の民は
みんな仲良く
慎ましく生きて来たのだ。

そもそも、考えてみれば
手紙くらいしか情報伝達の方法のない時代に、
どうやって「戦う」のか?
戦う相手さえ正確にわからないではないか。

「ご一新」の世であっても
明治初期までは
名前や立場を変えて
全然別人として生まれ変わることが
わりとあったらしい。

国内の戦の最中でも
庶民は冷静に
「この戦、どっちについた方がよかべ〜か?」と
クールに構えていたらしい。

つまり、どの視点で見るかによって変るのだ。
従来の薩長中心の歴史観は、
かなり歪んだものだった。
江戸の民は、新しい為政者となった
薩長中心の明治新政府を
田舎者とバカにしていたことは
有名な話だ

さらに興味深いのは、
一般庶民の「市民意識」で、
あの当時の日本の民度は
世界に冠たるレベルであったことだ。

資源の無い、極東の島国が
欧米の列強と対等に戦えるところまで
発達できたのは
その根本にあったのが
教育システムだった。

「読み書き算盤」の出来る聡明な人々
「ならぬものは ならぬ」と

ぶれない価値観
誇りを守る文化

大人、男、女、子供  
それぞれの「規範」と「モデル」があり
目指すところが「道」として明確だった。
だからぶれない。
ぶれさせない。

良い悪いとか、
正しい間違っているは
別として、
昔の人たちは
矜持を持って生きていた。

立派な日本人。

July 14, 2013

失い喪うもの(訂正加筆)

失うもの 喪うもの
2006-9−20
http://sandgem.blogspot.jp/2006/09/blog-post_20.html
8年前のエントリー。

以下の文章はオリジナル改で、脳腫瘍(膠芽腫)が発見される2012-4以前の文章

ーーーーー

失うもの、喪うもの

外来でのTさんと会話。結腸癌の手術をして早いもので6年目になる僕の患者さんだ。一通りの診察を終えたところで、Tさんが切り出した。

「最近、人様に「鬱」というほどでもないのですが、気持ちが何となく重く、塞いでしまうことがあります。この歳になってもメランコリーな気分になるものなんでしょうか。」

「ええ。」

「歳をとり身体が衰えるというのは、哀しいことです。先生はまだお若いから、わからないでしょう。こういう気持ちは・・・」

「Tさん、僕に少しはわかる気もします。今年で僕は50歳になります。」(膠芽腫の発覚前で、今から6年前の話だ)

「そうですか。ええ、そうかもしれませんね・・・。私も、あなたの歳頃には、必死で仕事をしていましたな。悩む暇がないくらい忙しかった。忙しくて家族が生きて行くのに必死だったけれど、充実した毎日でした。」

「はい。」

「ところがこの歳になると、毎日毎日{失うもの}や{喪うもの}ばかりなのです。」

「失う(喪う)もの、ばかりですか・・・。」

「病気の妻(彼の妻も進行ガンなのだ)のことを考えますと、真夜中にどうしようもなく寂しくなります。もう十分覚悟は出来ているはずのに・・・」

「夫婦で若い頃に買った瀬戸物が、先日突然割れたと思ったら。。。先生もご存知でしょう、12年一緒に過ごしたロンが、私たちの犬ですが、先月急に死んでしまいました。学生時代の友人達の便りは、ご家族からの死亡通知ばかり。生き残っている自分達が、逆に特別な存在みたいで・・・」

「でも、Tさん、日々の生活では、いろんな楽しくなることもあるでしょうし。ああ、そういえば、末の息子さんの所の御孫さんも、この春に生まれたし、お子さん達の成長は、嬉しいでしょう

「ええ、もちろんです。でも私たちの日々の生活は、単純で淡々としたものです。先生のおっしゃるような{いろんなこと}っていうのは、そんなに多くはあるものじゃない。私と妻にとっては、残された、限られた人生の時間の中で、圧倒的に失うモノのほうが多いんです。」

「(頷きつつ)ええ、でも・・・」


「(にっこり微笑んで)でも、先生。こんな爽やかな秋を感じる日は、少しは私も「救われた気持ち」になります。今日先生とお会いして話を聞いて頂いたただけで、ずいぶん気持ちが楽になりました。人間ってのは単純なものですね」

「はい。」

「人生は・・・冬に始まり秋に終わるんだそうです。中国の古典ですが・・・。」

「収穫の秋っていう意味ですね?高校の漢文の先生から聞いたことがあります。」

「はい、冬を背負った秋は、本当に悲しくて、寂しくて、切ない・・・。でも人生の終着駅というもんは、そんなものなんでしょうね。最後に「すべて」を失って、たった一人のマッサラの自分に戻り・・・。そして神様は(Tさんと奥さんは敬虔なクリスチャンだ)、人間達に実り(収穫:ハーベスト)を与えてくださる。」

「Tさん、こんな若造の言うことに気を悪くなさったらごめんなさい。逆に{人生の中で失われないもの}って、あるんでしょうか?」

「は?どういう意味ですか?」

「僕は仏教徒です。特定の宗派ではありませんが。実は先日、夏休みを頂いて、高野山に行ってきました。奥の院に向かう森の中の、巨大な墓地の中で思ったんです。太く・短く生きた武将達や、歴史上の偉人達、大金持ち、軍人達、若き英霊達、その他の多くの、名もなき(僕みたいな)普通の人生を生きた人たち・・・そんな、様々な人たちの墓と向かい合って、人生は終わってみれば、皆同じなんだ、ただ土に還るだけなんだ、と(いい言葉が見つからないんですが)僕はすごく{安心}したのです。」

「(はい)」と、静かにうなずくTさん。

「で、そう思ったら、なんだか吹っ切れた気がしたんです。実は、ここ2-3年、僕もずいぶん悩んでいて、折り返し地点は過ぎている自分の残りの人生をどうやって全うするべきか、って考える時がありました。{鬱}っていうほどはっきりしたものではないのですが、焦燥感とか不安感を感じることがありました。」

無言で僕を見つめるTさん。

「色即是空」っていうのは、厳然とした、決して動くことのない真理です。諦念ではなくて・・・、どんな人も生きている限り、いつかは真正面から向かい合わなくてはならない、ものなのでしょう。宇宙の存在の中では、泡沫のような人の人生なのですから・・・青臭いかもしれませんが、雨の高野山を歩いていて、僕は確かにそう感じました。うまく言葉に出来ないのですが。」


「いい夏休みでしたね、先生」

「はい」


「私も先生の話を伺って、高野山をまた訪れたくなりました。実は奥の院に、学徒出陣で一足先に逝った親友の墓があるのです。」

「そうだったんですか。Tさん・・・」

「こんな爺の話を真剣に聞いていただいて、ありがとうございました。」

「とんでもない、Tさん。僕の方こそ偉そうなことを言って失礼しました。それでは、来月お会いしましょう。お大事に・・・」

にっこりと微笑して、Tさんは席を立った。


救われたのは、実はこの僕だった。

July 13, 2013

後出しじゃんけん

どんな場合でも、何々が「ある」というのは容易いが、
「ない」と言い切るのは難しい。

たとえば癌の診断にしても、
「癌組織があれば」診断できるが、
「見つからなかった場合、癌ではない」と
言い切れない。その場所で見つからなかった
可能性があるのだ

可能性はあるが、現時点では確証はない」とか
可能性が否定できないだけでなく、現時点では確証もない。とか
誠実かつ正確になるほど、抽象的になってしまう。

医学、医療の世界では
ぼかすとか、はじめから誤摩化すことを
意図しているわけでななく、
断言できない事のほうが圧倒的に多いのだ。

それを揚げ足取りをする
巨大な医療関連の情報産業や、
巷にあふれる「似非医療」の専門家や
各種の「評論家」という
歪んだマスコミの視点が
わざわざ問題を複雑化し
大きくする。

代替医療の胡散臭さ
新興宗教に限りなく近くなった団体もある
ネット社会の怖さ...etc

それに対し、小説を最後まで読んでから、
その展開について文句を付けるような
「後出しじゃんけん」の気分悪さがある。

娯楽としての医療関連情報番組や
ネットなど、コンテンツを制作する側の
責任と自覚も大きいと思う。

比較的ちゃんとリサーチしている事が多いNHKの
わりと「ためしてガッテン」医学系は番組としては好きだけど
これは「娯楽番組」コンテンツであり、
彼らだって本当の「責任」は初めからとるつもりはないだろう。

爆笑回文迷作集(再掲載)

大爆笑したTwitter回文ネタ
メモランダムとして記録

異様に暑いので、こういうバカバカしいのがいい。
 
わしのまたのたまのしわ

わしの股の玉のしわ
イタリアでもホモでありたい
ぎゃはは、凄いな、コレ(爆)

ネットで調べてみると結構笑えるネタがあった。

「お疲れカツオ」
 「夜ワカメ変わるよ」
「たまにガニマタ」
「リモコンてんこもり」
「住まいが近いな。都内か?違います。」
「阪神は だめだよだめだ 阪神は」
「新年だ 今朝のこの酒 断念し」

回文の作り方 http://www.nobi.or.jp/i/kotoba/kaibun/howto.html
OCTOBER 27, 2010

July 11, 2013

突発的事態の対処について

外科医を30年間やってきた間には、
いろんな事があった。
いわゆる突発的偶発的に起こる事態を
何回も、すれすれで回避して来た。

en-expected,
un-pleasant accidentや
adverse effectなどの
予期していなかった不幸な出来事

人間はまず反射的に
自己防衛反応が働くものだ
目の前の事実を認めようとしない
きっと何かの間違いに違いない、
と思うのだ
ぞっとするような
最悪の事態が「目の前で起きていても」
「こんなはずない」と
今の現実を認めたくない

希望と現実の乖離
タイムラグがある
福島で起こった事が
まさにそうだった

リスク管理のプロ集団でも
右往左往して大混乱する事態

現実を認めて
アクションで対処するしかないのだが
それでも人間は
「現実感のない悪夢」として
何とかなるはずだ
誰かがなんとかしてくれる?と
思っている。
生存本能が、バランスを試みるのだ

しかしながら
中途半端な解決は
結果として墓穴を掘る事が多い

人はどうしても
自分のフォールトを
過小評価し
成果を過大評価す

手(人)を変えたり
オペレーションを全く変えてしまうことは
(教科書的には)あり得るが、
福島の場合の不幸は
影響するあまりにも規模が大きく
様々なタイミングが悪すぎる。

しかしだからといって
立ち止まっている余裕はない

「その時」に遭遇した我々の世代の責任として
「何とかする」という責務を負わされた

そして僕らの世代は
未来のDNA達に正しく
それを伝える責務がある

July 10, 2013

吉牛BEEF BOWLのおもひで

1985年初夏。
無知であるが故の、まさに怖いもの知らずで、アメリカで生活が始まった。
「はったり」と「くそ度胸」と仕事のコツを覚えるのは昔から得意だった。
というか、それしか勝負するものがなかったのだ。
医師としての実績はゼロ。ライセンスの書類1枚、紹介状1通のみ。
日本の医局からのコネのある「お留学」とは全然違う。

もう今さら帰れないし(笑)。

何カ所面接に行っただろう?
それぞれの場所での真剣勝負のプレゼンで
サヴァイヴする術(といえば聞こえは良いが、いわゆる口八丁手八丁だ)
を駆使して、その年の秋口に正式なフェローになれた。

自分で言うのも何だけどよくやったと思う。
ひとつも決まらなければ、その時点で日本に帰ってくるしかなかった。
ラッキーな事に、人と出会いに恵まれた。
恩師Weiner先生のおかげが大きい。

USC(南カリフォルニア大学)のフェローとして
まず職を得たのがパサデナのCCSGだった。
LA小児病院の仕事との掛け持ちすることは、大変だったけれど、
給料を貰える事と健康保険が使えるようになった事は大きかった。
自分から頑張るしかない状況に追い込んだのだ。

さて、また食い物ネタ。
その当時の事で、今日思い出したのが、
当時良く通ったYoshinoya Beef Bowl。

あの若き日々。
多くの若者達が、当時アメリカで
どれだけ牛丼に励まされ、助けられ、癒されたか!
(誇張ではなく、本当にそう思う)
やはり日本人は米飯じゃないと
力が出ない

パサデナの店には
安くて旨くて、
本当に良く通った。
オレンジ色の看板を観ると
条件反射で入ってしまう位だ

CCSGのLab には
Larry君という黒人の青年がいて
彼といつもツルんで食べに行った。
Beef Bowl クラブだ!なんて言って
僕も彼も牛丼が好きで、
週に2−3回は行っていた。

彼はCal TechとCal Stateの工学専攻の学生
ナイジェリアからの留学生。
人懐っこい笑顔の良い奴だった。
その後、没交渉となっているのが残念だ。
元気だろうか?探してみたい人だ。

驚いた事に、パサデナの吉野家は
いまでも同じ場所にあるみたいだ。
http://www.yelp.com/biz/yoshinoya-pasadena
写真を見ると、似て異なる「別物」か?

ということで、僕の吉野家牛丼LOVEは筋金入りなのだ(笑)。

=====
原稿メモランダム

当時の僕の神経芽細胞腫Neuroblastomaの研究では
日本でも取り上げあれ、
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3379552
その後の研究はイギリスの雑誌ランセットでも紹介された
http://www.lancet.com/journals/lancet/article/PII0140-6736(91)91072-3/fulltext
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1678107
アカデミックキャリアを引退する前の、今は昔の話だ。

CCSG
http://en.wikipedia.org/wiki/Children's_Cancer_Study_Group

酒癖

その人の場合、
気分良く酔っぱらっているうちは
全く問題ない。

意味不明の事(昔の事など)を
くどくど言っているうちは
気分は悪いけれど、まあ仕方がないなあと
周囲も見ている。

そのうち目が据わって来て
呂律があやしくなり
陰湿な(本人は自覚がない)
言葉を吐き始める。

暴れる事はないが
周囲の人からは
楽しい雰囲気が去り
みんなが不愉快になってしまう。

くどくどくどくどと
ねっとりと酒臭い
陰性の言葉を
言い続ける

そうなると最悪

すでに判っている人たちは
す〜っと、いなくなる
今までに
泣かされた同僚は
一人や二人ではない
スルーできるなら
スルーするのが一番得策

一番の問題は
どれだけ周囲が
イヤな思いをしたり
迷惑を蒙っているかを
本人が全然判っていないことだ。

それを理解していたり
空気を読める人なら
初めから問題にならない。

年少者や弱い立場の人にとって、
そういう傍若無人のキャラは
無自覚型パワハラの典型

さらに言及しておくと、
いまだに(いい歳こいて)
うるさく酔っぱらって、騒ぐ輩がいる。
はっきり言って
こいつもアホであるが、

社会性のない単なる
「サル」だと思えば
本気で腹も立たない。

July 8, 2013

男の産休

1985年秋
長女 加南子ソフィア

先日、メージャーリーグの選手の奥さんが出産で
産後の休暇について誰か話していた
今や夫の産休は
アタリマエなので
サンキュウという必要もない(笑)

アメリカでの二人だけの出産
若かったからできた
ある意味、無謀だったけど
毎日がきらきらと
輝いていた日々

その前日に、たまたま新しいベッドを買うことになり、
急遽大きなベッドマットを、中古のBMW320の天井に積んで
バタバタしながら移動した。
その夜、産気ついた。

ボクも尚子も医療従事者ではあるけれど
自分の事としては初めての体験

産気づいたのが夜。
電話連絡して
自分たちで運転して病院へ向かった。
早朝に生まれて
次の日の朝退院した。

全てが夢の中の出来事のような
気がした。
ところが、現実はその夢のように
うまく行くとは限らず、
すぐに毎日の生活の中に
突然現れた「かわいい怪物」に
若い僕らは右往左往することになった。

さしあたり買い物が必要だったので、
僕が自分で運転して新生児用のベッドを括り付け
その夜、ラルフスに買い物に行った。

前の日に出産したばかりの尚子
僕は「まだ名前のついてなかった」赤子と
二人で車で待っていた。

壊れてしまいそうなくらい
小さい赤ちゃん
ひ〜ん、ひ〜んと
まだ弱っちい啼き声
本当にこれから育てて
いけるんだろうか?という不安

この腕で抱いた時
これからどんな事があっても
一番先に、一番強力な助っ人になって
守ってあげようと思った

「何が何でも守ってあげる」
「こいつらのためなら何でもできる」
という想いが
ふつふつと湧いて来た
すべてが愛おしかった

翌々日、病院に出た。
日本の感覚で、僕としてはこの5日間病院を休むことで
申し訳ないなあ、と思って出て来た訳だが、
突然現れた僕を見てスタッフはビックリしている。
その彼らの姿を見て、逆に僕の方がびっくり。
スタッフは当然僕が尚子とベイビーに付きっきりで
当分病院を休むものだと思っていたのだ。

こんな時にMarcは何をやっているの?
男って本当にだらしないわ。
尚子は大丈夫? と応援多数。

結局2週間の産休が認められ、職場に復帰した。
ああ、懐かしい日々。
あれから時間が経っているので
アメリカの事情も随分変ったんだろう。

嘔気と嘔吐について

すぐ気持ちが悪くなって、よく吐く子供だった
生あくびが出て
顔色が悪くなって
そのうちに 
酸っぱい胃液が上がってきて
どば〜っと吐く

嘔吐 気もちの悪さ
吐き気でぐったりする。
小学校1年生の面談で、
親子面談で、この子は
「じかちゅうどくで」よく吐くんですと
言われた事を憶えている。

小学校入学前わりと頻繁だったから
異様に心配性だった母親も
絶大の信頼を置いていた主治医の意見を聞いて
「あら、また吐いてるわ」と。
わりとのんびり構えていた。

当時は「自家中毒」周期性嘔吐症
アセトン血性嘔吐症といわれた
http://jikachudoku.811cc.com/ 

神経質な子供に多い(実際に多い)
小児の心身症の一つとも言える。

だから腫れ物を触るように、の逆である。
主治医と両親は僕を、伝手を頼っていろんなところに行かせた。

美土代町のYMCAの体操教室が良いと言われれば連れて行かれ
駿河台のYWCAの水泳教室が良いといわれればそこに通い
さらには、野間道場で剣道に通い
武士の必修科目として習字まで習うことになった。
ちなみに我が家は武家の家ではない。
夏のキャンプ、冬と春のスキー
すべて、憎き「じかちゅうどく」克服のためだ。

幸い3年生になるころには、すっかりよくなった。
その後は、学生時代に痛飲して吐いたことがある位(笑)だ。

時は流れ、昨年の膠芽腫発覚。
現在はテモダール化学療法中
抗がん剤は様々な副作用がある。
食欲不振、嘔気、嘔吐、吃逆(しゃっくり)。。。

以前、小児がん今まで診て来た患者の姿がだぶる。
何も口にする事が出来ず(口内炎、食欲不振、嘔気、嘔吐、脱水)で
もだえ苦しむ姿を、何とかならないかと忸怩たる思いで
診察していた。
こんなに副作用が辛いのなら
いっそ死にたいと言った人も数多かったし、
家族も周囲の人たちも、辛かった。

現在は抗がん剤だけでなく、さまざまな薬剤が統合的に使われる。
僕はイメンドとナゼアという画期的な制吐剤の
恩恵を受けて、本当に助かっている。
これは以前の状況とは全然違う。

ステロイドの影響がある時は、むしろお腹が減るくらいだ。
今夜はお土産を頂き、吉野家牛丼大盛り、お新香、温玉。
これだけ食べられて、辛いなどど言ったら、罰が当たる。

有り難い事だと思う。

July 7, 2013

最強のふたり "Intouchable"



身障者を卑下しているような若者ドリス(オマール・シー)が首から下の神経が麻痺した億万長者の障害者フィリップ(フランソワ・クリュゼ)の世話役。

原題「Intouchables」は「触れられない者同士」と訳せばいいのでしょうか、(フランス語の辞書では複数形で「(インドの)不可触民」とも出てきます)肌の色、教養、貧富、あらゆる側面からしてあまりにも差のある二人が健常者と障害者と言う壁をも崩し、友情以上の関係を築き上げて行くと言うストーリー。

http://yaplog.jp/nontage_bonbon/archive/2363



以前レミゼを観に行った時に、予告編が気になっていた映画。今回、上妻先生のブログで思い出した映画。「最強のふたり(邦題:Intouchable)」。i-tuneで病室で観られるのが有り難い。

さてこの映画、解りやすいしストーリーにメリハリがあるので、観終わった後にじんわりと、やさしく爽やかな気持ちになる。全世界でヒットしたのは当然だろう。もっと「お涙頂戴」的な部分があるのかと思っていたら、全然なくてちょっと意外だった。

この映画の本質は、このタイトルのintouchableだろう。
本質を点いているタイトルだと思う。

どう対応し触れ合ったらいいのか?解らない不安感と、
身障者への偏見と差別という意味での「触ってはいけないもの」。
触れられない同士。つまり「解りあう事ができない」
調べてみると、インドの「不可侵民」の意味もあるようだ。
否定語で、さまざまな暗喩。

この映画の中で、日本と違うなあと思ったのは
「本音」語り合っていること(例えば男同士のオープンな猥談)。
マリワナを吸ったり、プロの女性のサービスに目をつむったり。
自己責任でそれもいいではないか?という「大人の社会」の
熟れた世界も垣間見せてくれる。
こういう「悪い大人」を許容するのもある意味
社会の懐の深さなんだろうな。

つまり「みんな本音で話そうよ」ってことでしょ。

身障者と健常者の関係性だけでなく、
人間は様々な関係(つまり、まさにご縁)の
な中で生きるている。

それと、この映画の最後のシーンで「新しい恋の予感」があるもいい。
いかにもフランス映画。

いい映画だった。

July 6, 2013

イメージを想起しても保持できない

今の自分にとって最大の問題を忘れていた(笑)

閃いたアイデアをすぐに忘れてしまうのだ。
さらに問題は、それを「忘れていることを、忘れてしまう」ことだ。

ついさっきまで自分が
「何を考えていたか」
「どんな事を思っていたか」
を憶えていないのだ。

たとえばブログの記事など、
「あの事について書こう」と思って
三歩歩くうちに、別の電話があって
その事を既に忘れてしまっている。

これは通常の加齢による「記憶力」や「記銘力」の低下だけではない。
高次脳機能障害といえるだろう。今までの荏原病院と東大医科研の
素晴らしい治療効果と引き換えに、僕が失ったものだ。

アイデアを想起して、展開し
組み立てたり、壊したり
遊んだりする

可塑性のある塊としての
イメージ
もっとそれを拡げれば
自由に動き回れる時空感覚

以前はイメージや概念とか
抽象的なものを
弄くり回す事が
得意だったけれど

今はそれが「保持できない」のだ。
せっかく発想した「何か」を
次の目的地に持って行く事が出来ない

それが一番の問題かもしれない。
仕方ないので、メモは必須で手許に様々なメモを置いている。
しかし、メモをとった事自体を忘れたり
メモった内容が判読不能なことも、しばしばある。

みんな「歳のせい」」とか
「自分と一緒」だとか
慰めてくれるんですけど(笑)
そんなに深刻に悩んでいません。
ボケてることを面白がっています/

July 5, 2013

どこが病気なのか?

身体的には問題なさそうだし、元気そうにしている。
特に苦痛がある訳でもなく、ブログの記事を読む限りでは
「普通の生活」に近い生活をしているようにみえる。

どこが病気なのか?
何が問題なのか?
何に困っているのか?

障害の内容や程度は
自分以外の人にはわからないものだ。

ディスレクシアについては
初めは戸惑ったが、
障害を今の自分の個性と考えれば
自分を「面白い」とさえ思えるようになった。
決して「負け惜しみ」ではなく
受け止めることができた。

読めるが、文字が正しく書けない
特に漢字がおかしい。
うそ字を書く。
簡単な漢字が想起できない。
つまり、本は読めるしパソコンは打てるが、うまく文字が書けない。
アルファベットは問題なく、英語は普通に読み書きできる。
むしろ英語の方が楽だ。
計算能力はかなり落ちている。

そしてこれらの障害の程度は一日のうちでも変化する。
睡眠時間や疲れと関係あるようだ。
まあ、でも「何とかなっている」
パソコンのなかった時代はさぞや大変だっただろう。

自分の自覚する
このWellness(いい感じ)の
Body imageを
出来るだけ身体的記憶
に留めておきたい。

これ以上の筋力の低下まずいし、
体重もFitしないといけないなあ。
ストレッチを継続しつつ
ウォーキングを再開してみよう。
どこまで行けるかわからないけど

ほんの1年ちょっと前までは、
パワーウォーキングで山手線一周なんて
やっていたんだし(遠い目)。

明朝で化学療法(テモダール)第15クール終了の予定。

思えばいつのまにか
遠くへ来たもんだ。

July 4, 2013

格好良すぎて嫉妬した

片岡義男「日本語と英語」その違いを楽しむ (NHK出版新書)

友人から頂いた本。興味深く読んだ。

片岡義男は昔からカッコいい。
自分が若くて未熟だった頃には、
格好良すぎて逆に「けっ!」って感じで
好きじゃなかった。僻んでいたんだな。
彼の一連の小説も、そんな先入観を持って読んでいるから、
楽しむ前にあら探ししたりして、
ヤな奴だったと思う(自分)。
もちろんそれは、
根拠のない劣等感の裏返しだった。

この歳になって、昔のハワイの話とかカリフォルニアの話を読むと、
不思議な郷愁感とともに、小説やエッセイを読んだ頃を思い出す。

この本は、英語と日本語の間で葛藤してきた彼のさまざまな
エピソードや膨大なメモ(インデックスカード)を公開したものだ。
僕のような英語オタクには、新たな驚きと発見多し。
アンダーラインと付箋だらけ。勉強になった。

やはり片山義男って人は、ただ者じゃあない。

現在は悠々自適でハワイで引退している外科医の先輩KK先生を思い出した。それにしてもこの人、その関西出身の外科医と年格好から雰囲気、現役時代のアメリカでの活躍ぶりなど、瓜二つだ。

July 3, 2013

骨まで愛して♬

昨日、小学校低学年の頃のある雨の日を思い出したら、
連想イメージでいくつか思い出したことがある。

骨まで愛して
1966年の大ヒット曲

小学校低学年
「歌謡曲」は、不良の歌だから聴いてはいけない
大人になるまで待ちなさい、ふふふって感じだった。
もちろん、だめと言われれば余計聴きたくなるもの
ということで、大人は眉をひそめたけれど、
大人も子供も
「骨まで骨まで骨まで愛して、ほしい〜のよ〜」
と熱狂して、大ヒットとなった。

子供心に、これはちょっとまずいかも?と思った
歌詞というよりはタイトルか?
「骨まで愛する」ということがどういうことなのか
こどもの頭では理解不能だったけれども
なんとなく「恋愛」とか「情愛」には
子供がカンタンに口に出してはいけない
深い深いヒミツが
隠れているようだった。

今聴いてみると、別に何て事ない「艶歌(演歌)」
だけれど、当時としてはかなり濃い演歌「歌謡曲」だったんだろう。
彼の熱唱系ハスキーヴォイスは
たぶん当時の女性ファンのハートを鷲掴みした(んだろう、たぶん(笑)。

遠足のバスの中で、悪ガキ達がマイクを握ってこの歌を歌いだすと
カトウせんせいや、イヌマせんせいや、フルイチせんせいは
「困ったなあ」と、バスの中で露骨に眉をひそめていた。
それがおかしくて
我々悪ガキ達はさらにエスカレートしてた。

何しろバスの中では
♬静かな湖畔の森の影から♬とかが、
デフォルトだったわけだから(笑)

それにしても城卓也って濃い二枚目だ(笑)。
あれだけの楽曲ヒットと、ルックスと雰囲気で
長く芸能界で活躍したのかと思いきや、
あの大ヒット一曲のみで芸能界は引退しているようだ。
何かあったのかもしれない
1989年5月9日 : 逝去 享年53歳

「骨まで愛して」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E3%81%BE%E3%81%A7%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%A6

July 2, 2013

たなばたさ〜らさら

笹の葉さらさら、「のきば」にゆれる
この「のきば」(軒端)って何だっけ?という毎年の疑問。

ワンパターンだ(笑)
なぜか、「七夕さらさら」軒端にゆれると憶えていた

子供心の様々な記憶とともに
セットされた歌詞は
なかなか訂正できないものだ
たぶん死ぬまでそのままだな(笑)

ささのはさーらさら、のきばにゆれる
おーほしさま きらきら きんぎんすなご

「七夕」に関しては特に思い入れはないんだけど、
「真夏直前のワクワク感覚」ってのは特別だ。

〜〜〜〜〜〜

七夕 短冊
しとしと降る雨
午後の教室
境目の見えない
重い空

学校の湿った 廊下
きみは 濡れた傘で
なぞなぞを 書いていた

ひとつひとつ
書いては消す
一人芝居

目が合うと
少し恥ずかしげに
笑ったように みえた
微かな 石鹸と
汗の匂いがした

紫陽花の花は
何も言わず
ポニーテイルの後毛が 
返事をした

翌日 雷雨のあとの
体育館の裏
水たまり

ヒリヒリするような
胸騒ぎがした

夕暮れ 日没直前の
薄暗くなり始めた学校
体育館のマットの
湿った埃っぽい匂い

今まで知らなかった
秘密の匂いがした
現実感のない
自分の知らない世界の
入り口(か出口)が
そこにある(のか?)

この漠然とした
切ない思いは
どこから来て
どこに行くのか?

学校の湿った 廊下
きみは 濡れた傘で
なぞなぞを 書いていた

ひとつひとつ
書いては消す
一人芝居

目が合うと
少し恥ずかしげに
笑ったように みえた
微かな 石鹸と
汗の匂いがした

紫陽花の花は
何も言わず
ポニーテイルの後毛が 
返事をした

三色そ〜めん♡

 今日の当院の昼食(行事食)は「七夕」。

カメラの腕が悪くて「冷やし中華」みたいに見えるけど、
三色の素麺(ソーメン)。
お出汁がいい感じで絡んでツルツルと食が進む。
写真手前下は「おくら」で、これがいいお味。
おくらのネバネバ食感とサクサク感が美味しい。
山葵味で味が締まります/
写真ではよく見えないけれど、
冷凍みかんが2個入っているのも面白い。

後半は、お約束の天ぷら。
軽めの衣でさっくりと揚げてあるも好ましい。
かき揚げと茄子の天ぷらをお出汁で頂く。
いわゆる天つゆのような「甘だるさ」がなく、
最後まで、つつつっと頂く。今日も納得の美味しさでした。
素晴らしい!これからもどうぞ宜しく。

さて、日本の病院の食事のレベルの高さは、アベレージの比較でも他国の追従を許さないくらいダントツの内容とバリエーションなのだということは以前もここに書いた。
こんなにキメの細かい手間のかかる食事を出している国はない。断言できる。

今日改めて医事スタッフに確認してみたところ、入院中の食事代(食事療養費)は、なんと一食260円、一日780円!それ以外は大盛りにしようが、お代わりをしようにも同じ値段。一日、780円でっせ!都内で一日、朝昼晩と外食したら、ざっくり考えても最低でもその2〜3倍は必要だろう。以前よりずっと良くなったとはいえ、ありえない高品質のサービスだ。ちなみに糖尿病食な治療食は一食あたり76円加算される。えっ、一食当たり76円(つまりたったの1割り増し!)。一般の方にもこの現実をわかってもらいたいと思う。

乗り越えるべき試練とは

Dedication 献納、献身、専心
ひたむきさ 思いの強さ

http://sandgem.blogspot.jp/2010/04/dedication.html

2010年春に若い人向けに書いたエントリー。dedicationという言葉に思い入れがあって書いたものだ。The Last Lecture by Randy Pausch

The brick wall let us show our dedication.

乗り越えるべき試練(brick wall)
は誰にでもある。

ここで非常に興味深いのは、その「試練」に対して
キリスト教的な考え方では
let US show OUR dedication としていることだ。
つまり主体が「神様」なのだ。

そして「乗り越えるべき」
「対決すべき」存在
あるいは「克服すべき」ものとしての
未来がある、と捉えている。

仏教徒(似非だけど)である僕からすると
なんとなくすっきりしない部分があったけれど
すっきりしない事がわかって、すっきりした(笑)
本質は同じなのだ。

前にこの本を読んだ時から
時間が経って、大きく状況も変った。
膠芽腫になり死を身近に意識する事になり
改めて生きる事を考えている。

本日から化学療法15クール目開始!
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