助けあいジャパン

September 30, 2009

不思議な繋がり感覚

昨夜twitterで、さとなおくんが「鳩山首相とご飯」の実況中継していて、ぶっ飛んだ。今まで経験した事のないような、不思議な「繋がり感覚」を体感した人って多いと思う。毎日サイトを読んでいる知人のさとなおくんが、一国の首相と居酒屋で飲んで話している。その反応がリアルタイムでわかるという驚き。今一番旬な人物に対する「親近感」という言葉だけでは括れない、フラット感覚というか空気感というか・・・。これだけのことなのに、僕の鳩山首相に対するイメージとか民主党に対するイメージとかが、潮目が変わるように変わってしまうなんて!

こりゃ、すごいこった。
もう少し考察してみたい事。

一夜明けたらスゴい事になっていて、Yahoo Topicsになっていた。

September 29, 2009

19歳の誕生日の日に

早生まれの僕の19歳の誕生日が、まさにその後の人生を決める事になった大学受験の日だった。文科系だった僕が、浪人して進路の方向転換をして医者になることを決心したのは、今考えてみれば若気の至りというか勢いというか。でも、その「勢い」っていうのが僕の「運命」だったと思う。それのターニングポイントになったのが19歳の誕生日だったというわけだ。考えてみれば19歳という歳は、大学に入学して初めて半人前の大人として扱われ始めた歳だったし、初めて自分でお金を稼いだのもこの歳だった。アメリカに初めて旅したのも19歳だったし、自分の力を過小評価して自信をなくしめちゃくちゃ凹んだのもこの歳だったし、逆に根拠のない自信で自己を過剰に評価して、ナルシティズムに浸ったのもこの歳だった。ああ、恥ずかしい。今思うに、19際の僕は、本当に生意気で鼻持ちならないワカモノだったな(笑)。自意識の塊だった。

今日は末娘の紗仁子(さとこ)の19歳の誕生日。ついこの間まで赤ちゃんで、オツムしてたんだけどな(爆)。19歳のあの頃の自分と、今の彼女が同じ歳ってことが、非現実的でどうしても体感的に理解できないんだけれど。

September 28, 2009

新しいアプローチは滑り出し順調みたいだ

怒濤の月曜日。楽しかった週末の出来事が、醒めたばかりの夢の中の事のような気がする。夢の余韻に浸っているほど、ナイーヴでもデリケートでもないと(笑)、自分を奮い立たせて一日を過ごす。

新政権が、鳩山由紀夫の気持ち悪いあの笑顔に対する世論の「不信感」&「嫌悪感」に対し、どうやって対処するのかな?と思っていたら、外交ではまずまずの滑り出しの印象。それぞれの閣僚も官僚相手に粛々と手を打ち始めてるみたいだ。新政権の新しいアプローチは、正直なところ大衆迎合の人気取りなのだろうと思っていたけれど、彼らの意図する改革っていうのが「もしかしたら結構本気なんじゃないか?」と感じさせるような滑り出し。55年体制から思考停止になっている、我々大衆のほうも変わらなくてはいけないのかも。ふむ、政権交代っていうことは、こういうことだったんだと今更ながら感じ入る。医師会(医政連)も変われるのか?って議論は、僕らの世代の責任なんだろう。それにしても、野に下った自民党のシュリンクした様っていうのは、無惨。どのくらい立ち直りにかかるのかは全然見えない。それを支持した(させた)団体のリーダーたちの責任は質すべきだと思うな。

September 27, 2009

鎖骨のきれいな女

僕の考える美人の条件の一つとして、「鎖骨がきれいなこと」がある。医学的にいえば、①姿勢のいい事、②きれいな鎖骨の見える体型であること(肥えていない)、③そして、その清楚で真剣で聡明なイメージを体現しているってこと、か。

鎖骨フェチ(爆)

そんなことをかみさんに話したら、「あーた、自分の体型を考えたら、そんなこと思ったとしてもふつう言えないでしょ(爆)」と。
その通りなんだけどさ(笑)。娘達にバレエか合気道を習わせるべきだったな、もう遅いけど。

ル・ファーレ合宿@房総ちんちん先端

9月26−27日の週末は、南房総でハックル・バンド(ハックルと愉快な仲間達)の合宿@ルファーレ白浜 夏前に今年はバンド合宿をやりたいなあとサイト検索していて、偶然発見したスタジオ付きのヴァケーションハウス。

26日土曜日昼前に集合して一路南房総へ。道路も混雑なくアクアラインを経由して、るんるん&すいすいと館山到着。千葉って対岸の神奈川とは微妙に樹木の群生の感じとか土地の使い方が違うんだね。人口密度が低い。高速の出口近くの(観光客向けの)市場にて昼食。海鮮丼グループとねぎとろ丼グループ。ともに及第点かな、安かったし。昼食後は市場にて晩ご飯の食材調達。さんま、かつお、ホタテ貝、サザエ、あさりなど。大期待していた「伊勢エビ」は発見できず。想像するに、日本一の漁獲高を誇る千葉の伊勢エビも、あくまでも一般向けには売ってないってことなんだろう。三崎市場みたいな生け簀でたくさん売っていると思い込んでいた僕はがっくり(笑)。

その後もスーパーをふたつハシゴしつつ飲み物などを調達し白浜到着14時過ぎ。大きなハコみたいなデザインのヴァケーションハウスで、期待通りのおしゃれで快適な空間に一同感激.

まずは乾杯

天井が高く開放的。近くの小川からのせせらぎが聴こえる。窓が大きいので空をそのまんま体感できる。目の前は畑の向こうには太平洋。白浜は房総半島ちんちんの先端なのだ(笑)。


一休みして15時半頃から一階にあるスタジオにて練習開始。今度のライブの練習を中心に3時間。このスタジオのクオリティは、従来のバンド合宿用の宿泊施設にあるちゃちなスタジオもどきの施設とは全然ちがっていて、満足のいくクオリティ。今度は曲作りやレコーディングでも十分使用できると思った。

夕焼けがきれいだった。19時ちょっと前に仕事で遅くなったさくちゃんが到着して全員集合。川沿いのBBQサイトにてBBQ開始。オーナーさんが炭火起こしをしてくれて至れり尽くせり。前述した現地調達の食材の他、僕が持参した山形牛の「みすじ」ステーキなど。みんな「うまいうまい」と言いつつ、ばくばく食べてぐびぐび飲んでげらげら笑い・・・とことん楽しんだ。美味しかったなあ。でもこれは田舎ならではで、東京で同じ事やったら「隣からクレーム」必至でしょう(爆)。

さて、星空を楽しんでから、さらに盛り上がったメンバーはふたたびスタジオへ。さくちゃんも参加してこの日2回目の練習1時間。このあたり(多分22時頃)で「まともな練習」は限界に。以後、ま、せき、ねづ、さくちゃんバージョンで、さくちゃん絶唱バージョンとか、ブルースバージョンとか、怒濤のセッションがあって///じょうじ君は早々に沈没・・・さらに・・・べロベロ状態の、ま&せき&ねづの3人がヘベレケ・セッションを終了したのは、午前1時近く。時間の感覚は完全にトンでしまってた。こんなに音楽に没頭できる環境って素晴らしい!就寝は1時半頃だったのかな?ちゃんとしたroll-awayのベッドでとても快適で寝やすかった。早寝早起きの僕としては非日常的夜更かしで、気持ちよく爆睡。

5時半、夜明けちょっと前に起床。一番乗りだと思いつつ、階上のリビングに上がって行ったら根津さんがすでにシャワーを使ってた(笑)。このシャワーもオープンで気持ちのいいバスルーム。露天風呂感覚で気持ちいい。

しっかり朝から空腹状態で、朝食はサービスの自家製パン(もちもちで美味)、ソーセージ&生ハム、昨日僕が仕込んでおいたボンゴレロッソのパスタ。糖度の高いトマトがうまし。朝から皆でがっつり食べる。朝食後は、テラスでまったりしたり、ベッドにもどり気持ちのいい風に吹かれながら二度寝したり、各自勝手に楽しんだ。

海岸までだらだらち散策してからチェックアウト@10時。大満足の時間と空間。僕的にはリピートすることは確実で好印象。差し当たり、曲作りとプチレコーディングに使用したいけど、他にもいろんなパターンの使い方が出来そう。あんな感じの空間なら多少無理してでも所有してもいいかな?と真剣に考え始めるきっかけになったかな。画像は題して「おっさんの海」。クリックすると拡大できます。海辺を寂しげに歩くおっさんの姿はそれだけで「ドラマ」です(爆)。

チェックアウトの後、房総ちんちん先端の野崎灯台の絶景を楽しんで、お土産の干物を買ってから帰路についた。解散2時半@大塚。横浜の自宅に帰る首都高速でさすがに眠くなり、サンルーフ全開で必死に大声を出して(目覚めて)走った。無事帰宅して2時間午睡後、ジムのサウナで〆。


晩ご飯はお土産に買った「本かますの干し物」。店の爺ちゃんが自慢するだけあって、脂が乗った素晴らしい干物だった。
以上、ご報告。

September 25, 2009

妄想BBQ

やっぱりメインは伊勢エビだと思う。それに近海物の魚の一夜干しもおいしそうだ。おお、そういえば今の季節は今年大漁のさんまも脂がのっててシンプルに焼きいて、ふーふーいいながらビールをきゅーっと行っちゃたら満足だな。箸休めに地物の茄子とかタマネギをそのまんま焼いて、生姜醤油で食べてもうまそう。焼おにぎりで〆か。

なんて妄想する

ふふふ、この週末が楽しみだあ。

September 24, 2009

ひぇええ、僕ってこんなにデブってた?

5連休後の初日ということで、ばったばたの一日。想定内想定外のルーティン&サブルーティン入り乱れての忙しい一日。今度の週末(最期の夏休み)を楽しみに頑張るしかない。例年通り、今年も10月から年末に向けて仕事やプライベートでもいろんなイベントのスケジュールがびっしりと、加速度的に入りつつある。忙しくて大変だ!と言いつつ、いつも泣きながら笑ってるんだけれどね。

この先、ある程度長生きできたとして(そんな保証はどこにもないし、「ある程度」で僕は十分だと思っているけれど)、この激動の日々を「穏やかに懐古する時間」が先の人生のどこかに、ささやかにでもあるとすれば、それはすごくラッキーな事なんだろう・・・と思う。仕事で年配の方達を診たりお話を伺うにつけて、自分にとって「今」の大切さを殊勝にも神様に感謝しなくてはと思ったりするのだ、今は瞬間的に、そして直感的に、なのだけれど。

ニュージーランドのタウポ湖の湖畔にあるHuka Lodgeをイメージした舞台の近未来的なプロットを書いたことを思い出した。
どこかにファイルしてあるので見つけてまた書き始めてみるかな。
こんな忙しい今日みたいな日に限って、そんなイメージが湧いてしまう。
おお、そういえばMr.Bellpepperのプロットも仕上げたい。

ま、それはそれ。さはさりながら、時間がないのは100%自分のせいだ。画像は憧れのHuka Lodge

さて、昨日のスタジオ練習の時、5月の大江戸バンドセッションの時のDVDのコピーをもらった。照れくさいので、このテのライブ画像モノは、早送りでさらっと1回流して観るのが精一杯。その後はどこかに仕舞って決して二度観る事はしない。今夜も見始めたら、やはり超照れくさいというか恥ずかしくて、早送り&先送り。それにしても、あの日のライブってMCもろくすっぽやってない(観客のことを全然考えていない)し、すっげー素っ気ないステージだったんだね。自分たちが楽しむ事しか考えてない感じで、僕が客だったら差し当たり怒るね(爆)。すみません反省しました、今更ですけど。

さらに、①ステージでいつもぴょんぴょん跳ねてる自分ってみっともなくて最悪(ギャーー!)。②いつも狭いステージでしかやっていないので、あの大きな浅草公会堂のステージを持て余しちゃってるメンバー(うおーーっ!)、さらに③当時すごくデブっているように見える画像を客観的に観て、かなりショックを受けた。そういえば、写真を録りに来ていたDANがさかんに「Marcは太った!」って言っていたけど、当時体重的には(そんなに)変化なかったんで「んなわけないでしょ!」なんて言っていたんだけど、DAN君が正しかったってことだ。あーみっともね。

やれやれ。

今度からライブはみっともなくピョンピョン跳ねないように「基本的には座って演奏」することにするかな。

September 23, 2009

連休最終日

6時すぎから、一気に仕事を仕上げにかかる。わりと、短期集中でががががっと勢いで仕上げちゃうのは得意なのだ。11時にコンビニで書類一式を税理士さんに送りまずは一安心。その後は巣鴨に向かい、ご飯を食べようと歩いていたら、根津さん&かおるちゃんに遭遇。3人で大戸屋で昼ご飯となった。さんま定食、サイドオーダーで餃子&ビールで1000円!このコストパフォーマンスには満足。13時から3時間WRSで練習。この週末には合宿があるし、さらに熟れるでしょう。

練習終了後はまっすぐに帰り、ジムに直行して軽めに泳ぎリラックス。夜は外食の後、閉店&最終セールのSCのモールに行き買い物(娘達に買わされちょっと散財。秋物のジャケットなど。僕も第一園芸でテラコッタの鉢2個50%オフで買ってしまった)。

夜はこれから、さとちゃんとシミュレーション&準備。今は頑張るしかないでしょ。

September 22, 2009

声と顔のギャップ

午前は休日診療のバックアップ。さすがにインフルエンザの患者さんが多い。やはり第一波のピークの立ち上がりか。幸い重症の患者さんはいないようだ。午後ジムに寄って帰宅。連休ということでなのか、今日はプールもがらがら。軽めに泳いでサウナ&水風呂でまったりする。その後は自宅でデスクワーク。延ばし延ばしにしていた仕事で、さすがにデッドラインが見えてきたので、このシルバーウィークのうちに仕上げるべく。

以前どこかでも書いたけれど、J-Waveの秀島史香の声って素敵だなあ。低めで落ち着いたトーンで、かすかにハスキー。「ふふふ」と笑うタイミング感もいい。ネットで検索すると、彼女の声のファンはたくさん居るんだな。顔は意外に「幼い」感じ(でもそれなりのご年齢ではある>笑)で、あのセクシーな声とのギャップにちょっと驚いた。

声と顔が一致しないって僕もよく言われる(笑)。

べろべろ瞬間移動

昨日はブログ更新できず爆睡してしまった/

10月3日のライブに向けてのスタジオ練習。連休ということで巣鴨の地蔵通り商店街はじーーちゃん&ばーちゃんで、ごったがえしていた。わいわいがやがやとすごいパワー。今後も爆発的に日本の老人人口が増え、当然僕らの世代も仲間入りするわけで、あと20年くらいしたらこの巣鴨界隈の賑わいが、渋谷周辺に移動したりして(笑)。

さりとて されど さりながら

スタジオではバンドバージョンの練習。いい感じに仕上がりつつある。その後はさくちゃん別宅「さくら」にて、飲み会。懐かしの音楽を聞きながら絶品ローストビーフと昨日仕込んだバーニャ・カウダでヴェジスティック。おお、そういえば松茸のソテーもおいしかった。ビール>ワインと進み、最高に楽しい時間。じょうじ君の仕込んだキューバ葉巻も美味しかった。後半はみんなべろべろ状態。気の置けない仲間と飲みで、連休真っ最中ということもあり、ガードを目一杯下がってしまい、とことん飲んでしまった。関さんに(たぶん>笑、もしかしたらさくちゃんかも?)支えられて、タクシーに乗せられたのはおぼろげに覚えているけど、自宅近くで目が覚めるまで全く記憶なし。瞬間移動感覚。ここまで痛飲するのは、たぶん年に1−2回じゃないか?やっとこさたどり着いた玄関からベッドに直行し前のめりに倒れ爆睡。ワインの後の二日酔いはつらい。

ちと反省(してないけど>爆)。

September 20, 2009

ラジオ生本番電話インタビュー

この歳になっても、まだまだ「初体験」ってあるのだ(笑)。よくラジオでやっているアレですね。アレを体験させてもらった。
今日の午前中は、インフルエンザ流行の始まりで混雑が予想される休日時間外外来のバックアップ。昼までに15人で、それなりの忙しさではあったけど、インフル大爆発というほどではなく、ほっとしつつ電話待ち。本番開始前の11時45分に確認の電話。携帯の電波状態がイマイチだったので、有線に変更することになった。その後は、外来をバックアップしつつ放送本番へ突入。12時40分に自分のデスクに戻り、スタジオからの電話待ち。電話が繋がったら、いつもの生本番と同じで、香月さんの質問に僕が答える感じで、ささささーーーっと生本番終了しちゃった。やっぱり、香月さんのリードがうまいんだろうな。緊張するヒマなし(笑)。ふむふむ、生本番電話インタビューってこんな感じでやるんだな、と。

午前の外来が落ち着き帰宅。昼ご飯は自由が丘ブラームスで「メンチカツ」定食。ここんちのメンチカツは隠れ人気メニュー。小ぶりなんだけれど、からりと揚げたシェルと肉汁たっぷりのお肉は。ご飯のお代わりを我慢するのに苦労するほど。みそ汁とお新香がついていれば満点なんだけど(笑)。

午後は青葉台のBOOK FIRSTとMUJIとユニクロで買い物。大降りの袋3つを抱えつつジムに寄り今日もがっつり20本1000m。休日のためか結構がらがら。帰路、キッチン212の処分セールで前から欲しかった「WOK&蒸し器」を衝動買いしてかみさんに怒られる。ジーマティックのウチの自慢のキッチンも、さすがに手狭になってきた。そりゃそーだ、思いつくままに新しい調理器具を買ってくるんだものな。20%オフということで物欲もりもりで買う事を決めた時、回転棚の後ろの方にある古い蒸篭を処分しようと思ったんだけど、かみさんが指摘するように、大きな肉まんの蒸しとか、赤飯とかは僕が買ったものでは出来ないことが判明(涙)。

すみません、買い込んだまま使っていない調理器具は処分します。

September 19, 2009

シルバーウィーク初日の週末

巷は5連休とかで、シルバーウィークとやらで盛り上がっている。今年はインフルエンザ大流行開始という事もあり、カレンダー通りの休みははじめから望むべくもない状態。そこそこ休めれば良しとしなくてはね。溜まりに溜まったデスクワークや締め切り仕事も何とかこの休み中に処理しなくては。

今日午後は残り番。午後からの入院3人でばたばた。帰路の田園都市線で目を瞑ったら、瞬間的に眠っていた。たまプラーザ駅の改修でさらに近くなった(さらちか)のジムで今日は20本1000mきっちりと泳ぐ。そうそう、今回の改修で夕方になると、駅の構内にBGMでジャズが微かに流れてる。ユニーク!ジャズが流れる駅ってなかなか素敵だ。

夕食は今月のDANCHUを参考に、ボンゴレのビアンコとロッソの2種盛り。ボンゴレのソースは「はじめから弱火」「殻が開いたらスープのみを分離する」というコツは目からウロコだった。渾身のトマトソースは、チャンキーのイタリアントマトとデザートトマト、プチトマトの三種、オリーブオイル、タマネギ、ニンニク、生バジルとともに。これも弱火で1時間。しっかりと漉して潰していい香りのトマトソースに仕上がった。甘さと酸っぱさのバランスよし。隠し味に先日に仕込んで作り置きしてあるバーニャガウダを入れてみた。サラダはアボカドとエリンギ&椎茸のマリネ。ライム香りの醤油風味。これも大成功&大好評。クッキングはイメージで遊ぶクリエーティブな作業。ストレス解消には最適な趣味のひとつ。東急SCの閉店セールのキッチン202で衝動買いしたお皿、フライパン、まな板とかが大活躍。

明日は午前は外来のバックアップだし、昼過ぎにはFMサルースに電話生出演ということになりそう。

September 18, 2009

リーダーの孤独

南北線の六本木1丁目の駅から、オークラへ向かう。最近の六本木から溜池裏のアークヒルズの裏手の場所の変わりように、驚いた。25年くらい前にアークヒルズが出来る前、僕らが日比谷高校に通っていたころまでは、北斜面のあの辺りは昼間でも薄暗く、静かで木々の緑の深い場所だった。独特の湿っぽい匂いがある場所だった。赤坂見附から溜池を通って屋敷町を上りきり、オークラをかすめて飯倉、そして六本木にむかうルート。「意味もなく」怪しい高校生が歩くと、ほぼ100%どこからともなく出てきた警備の警官に職務質問されちゃうような、そんな、それなりの由緒のある大きな石垣塀に囲まれた屋敷町だった。アメリカ大使館周辺は、今と同様に昔も、すごく細い路地裏にも警官はいたし。

さはさりながら、知らぬ間にあんなに無機質なビルが密集するオシャレなエリアになっちゃったんだね。

今夜はオークラにて医学部のある教室の教授就任パーティ。400人以上の出席者の大規模な催し。見知った顔多数と歓談。これから14年間の彼の職務の責任の重さを、どれだけ周囲が支えられるか?を考える。大変だろうけど健康に注意して頑張ってほしいと思う。彼がリーダーの孤独をひしひしと感じるようになるのは、これからなのだろうけど。

最近よく考えるんだけれど、「立場」というものはあくまでも相対的な人間の関係性の上で成り立っているものなのだと。「その人がその立場でいい仕事できる」ということは、いわゆる「ご縁」そのものではないか?と思うのだ。つまり、周囲の人が居て初めてその人がその立場に立てるということ。立場のある人、いわゆるエラい人、それも「本物のエラい人」っていうのは、古今東西の例外なく、謙虚だ。

September 17, 2009

鳩山内閣のメンバー

民主党への政権交代。ううむ、どうなるのか?国民にとっても未体験ゾーン。第一印象は手堅い布陣かな・・・と。来年の参議院選までの暫定的なものなんだろうけど、スタートでコケたら挽回はかなり困難だということで、彼らなりに考えた背水の陣なんだろうし。

18人の閣僚の経歴をみて数えてみたら、8人が東大(1名中退)、京大2名、早稲田2名、慶應2名、中央2名、東工大1名、神戸大1名。学歴社会にどっぷり浸かった僕らの世代(つまり今度の政権を担当する連中の世代と、ある意味シンクロしている)の目線でみると、わりとコンサバというか「穏当」な選択だったという印象。あまり破天荒な経歴の人はいない。つーか政権交代だからといってそんなに変わるもんじゃないんだね。日本の知性とか感性を育てる教育システムというものが、政権交代ということでブレてしまってはいけない。別の話として、民主党政権と日★組との密接な関係っていうのが、僕としては気がかりではある。とはいえ、野に下った自民党ってのもかなり手強そうだし(そうでなくては困る)、双方のお手並み拝見ってとこかな。

午後、Good Newsあり!神保町の予備校で勉強していたさとちゃんと、プチお祝い(笑)@川菜館。
本番はこれから!なのだ>さとちゃん ベストを尽くして悔いのない準備をすること!

September 16, 2009

オージーおっさん

今日も、予想通りの濃い一日だった。ジムに直行し軽めに10本で伸びた。

帰路の電車で座ったら、隣の方からオージー英語が聴こえた。どうも日本に住んでいる息子さんファミリーを訪ねてきたオーストラリア人の旅行者たち。これと同じシチュエーション、たしか以前もあったな。まさか同じ人たちじゃないだろうけど・・・。

ニュージーランドのほうに僕はシンパシーは感じるけど、オージー達のあっけらかんとした田舎っぽさも嫌いじゃない。実際、オーストラリアとニュージーランドっていうのは、「英語を話すイギリス系の南半球の国」と日本では一括りされがちなんだけれど、ぜーんぜん違う価値観を持った国で、兄弟関係的な仲の良さと悪さがあるんだけれど。そのことに気付くまでにウェリントンに住み始めてから数ヶ月かかった。ちなみに南半球のイギリス系植民地では、南アフリカの白人っていうのも特有。あのプライドの高さって日本人にとっては、理解困難な領域だと思う。ま、それはそれ。

今日のおっさんもそうだったけれど、オーストラリア男の「半ズボン&靴下」率って、世界一だと思う。あのダサさがオージーなのよ、僕に言わせれば(爆)。

September 15, 2009

僕のPC遍歴

マックと初めて出会ったのは1984年。当時僕はNECの80シリーズを初めて買った頃。ハドソンのRPGの黎明期で、一画面変わるのに数分かかる(爆)時代。メモリーが64Kくらい。メディアは磁気テープのカセットだった。AMIGAのゲーム用のPCがものすごく斬新だったけれど、新しいもの好きの友人の¥に遊びに行った時に観たApple IIの画像のきれいさにと速さにぶっとんだのだった。当時の値段でNECが50万くらいだったけれど、AppleIIは確か80万位していたと思う。

1985年からのアメリカは、まさにPCの夜明けの時代。僕の居た病院にもIBMのXTとかATが「ただ」で配られ、パソコンのスタンダード覇権をとるための熾烈な戦いが始まった所。1985年当時使ってたのはBASIC。そのうちにL-DOCというDOSがLAでは流行った。Tandy-Radiosharkという安売り家電メーカー(のちにIBMに吸収合併)のものだった。今考えてみると、ビル・ゲイツのMS-DOSの黎明期だったんだ。当時のプライベートのPCはTOSHIBAのラップトップで、液晶の画面はオレンジの単色。画期的に速度が速く、アメリカ国防省のシステムに標準装備されていたもの。汚職でこの話はおじゃんになったんだ、たしか。でも当時としては最高級のラップトップの名機で、アメリカ時代の安月給でたしか2ヶ月分近くの給料をはたいて買った。その当時、研究室で時々見かけるオシャレなハコ。これがマックのクラシックだった。このマシンのユニークなところは、他言語に対応することとユーザーフレンドリーなOS、さらに当時から遊び心があってオシャレだった。でも、僕には大枚をはたいて買ったTOSHIBAがあり、自前のアップルを購入することなく帰国した1988年。

当時の研究生活での文章作成は、当時はもっぱらワープロ専用機。シャープの「書院」とかソニーのワープロ専用機(Produceだっけ?)、研究データの集計や統計処理にはパソコンという形式だった。この形式で博士論文を提出した。1990年、さらに進化したマックを購入。初めて買ったマックはCX、さらにハマってFXを衝動買い。学会や研修でアメリカにいくたびにアップルのディープなソフトを買ってきた。パソコン通信にハマったのも当時からかな。

その後、縁があってニュージーランドへ。マックのPowerBookを持って行ったのだけれど病院のほとんどがWindowsのため、やむなくふたたびWindowsに宗旨かえ。でもこの頃の「宗旨替え」っていうのは、アメリカをはじめとして世界各地で起こってた事みたいだ。今でもしばしばジョークでやっている「宗旨替え」の喜悲劇。

I don't want to "rattle your CAGE"!

ここで「ぎゃははは」と皆で笑う意味が判らなかったな、当時。

さてニュージーランドで帰国してからは日本ではもっぱらWindows.
長いものには巻かれた10年だった。2007年ころからアップルの元気が出てきて、自宅ではマックとウィン併存ということになって、最近ではマックへ移行しつつある、ってわけだ。

September 14, 2009

許容範囲を越えたスパイス地獄

料理することは全然苦じゃないけど、基本的には週末以外はあまり料理することはない。でも今夜はかみさんが仕事で遅くなり、娘達もご飯が要らないということで、一人ご飯@自宅。台湾で買ってきたスパイス調味料で「満を持して』(笑)、Crispy prawn with spicy saltを作ってみた。SOGOの地下の食料品フロアで山積みされていた調味料なので、多分現地ではそれなりに人気のあるものなんでしょう。

①殻付き海老を軽めに油通しをして
②ニンニク(2片)、唐辛子(鷹の爪)、ピーマン、ネギのみじん切りを炒め、香りを立て
③そこに①を投入し...カラリと強火で炒める

ココまでは完璧。味見した海老はサクサク&クリスピーで、そのままでもうまひ。(つーか、これで良かったのに)

④そこに、台湾スパイスを投入して、鍋をあおり満遍なくスパイスを絡めた。見た目には完璧!うっ、うまそう!

ところがダメ。ぜんぜんダメだった(涙)!!
何となく感じる香りが、プルプルするほど「臭い」、そしてなんとなく「甘い」。久しぶりの大失敗。期待が大きかっただけに、ショックも大きかった(笑)。④の工程は、ただ単に塩胡椒と花椒だけで十分だったってことと反省!スパイスに関しては、僕はかなり守備範囲というか許容範囲の広い方だと思っていたけれど、あれはダメだわ。根本的な味覚の嗜好っていうのは、ちょとやそっとではそのラインを越えられないっていうことなのか。特定の食文化の中に生まれ育った人にしかわからない味覚&香りというか。納豆の香りがどうしても好きになれないアメリカ人の感じなんだろうな。

しゃーないので、冷凍の塩炒麺作って食べた。やれやれ(笑)。

September 13, 2009

「おせーて♡まーくせんせ」収録第3回

FMサルース「サルース・ファミリー・テーブル」の「教えて♡まーく先生」のコーナーの収録第3回目。午前中は、まなさん&香月さんから送ってもらった「お題」をどう話すかの原稿作り。やはり慣れないアマチュアだと、準備していないと「話さなくていいことを話し過ぎ、本当に話したい(話さなくちゃいけない)内容が時間内に話せない」ってことになるので。

香月さんたちの生放送終了後に、いつものように収録開始。今回収録したのは5回分。

①アメリカの患者さんの着ている割烹着みたいな、アノ服について:診察システムの違いなど.パンツは平気で脱ぐのに靴は脱がない(爆)って話。
②サプリメントについての質問。飲み合わせとか、危険なサプリ、とか。
③公共交通機関で移動中の「急病人発生、医者いますか?」の話。新幹線で豊橋に緊急停車の話
④おたふく風邪と水疱瘡。予防接種について。
⑤熱性けいれんについて

香月さん&まなさんのおかげで、収録の合間の会話(の方)が断然面白くて(飲み屋の会話のノリ>爆)楽しみながら、いつものようにさくさくと収録して頂いた。さすがプロの仕事。いつもながら感心。

帰宅後、ジムに直行して軽めに5本&サウナでリフレッシュ。夜はちょっと前から気になっていた「バーニャ・カウダ」に初挑戦。レシピ通りでそれなりに美味しくでき、ふふふ、好評。

September 12, 2009

雨の日とパンプス

10月のライブに向けての、久しぶりのスタジオ練習3時間。今日は、ま&じと関さん&根津さんの4人。バンドとしての流れというかメンバー間の信頼感というか安心感が出てきた感じがする。

「雨の日とパンプス」のバンドバージョンがいい感じで仕上がってゆく。この曲の歌詞のもとになった短編を書いたのは、かれこれ10年くらいになるんじゃないか?僕としては、わりと気に入っていて、ハックル活動が再開してから早速このプロットをもとに歌詞を書いたら、じょうじ君がイメージ通りの曲をつけてくれた。活動再開後のわりと初期の作品。

複雑な恋の行方とあっけないエンディング。一寸だけ迷った挙げ句、泣き笑いしながら、どしゃぶり雨の中をスウェードのパンプスで走り出す女の姿・・・を、聴いてくれる人が想像してくれればいいな。

September 11, 2009

疑似インフル?

今朝起きたら、なーんなとなく熱っぽい感じ。軽い腰痛と右の股関節の張りがある。むむむっ、これはインフルエンザかも!と、横になりながら今日のスケジュールを思い出す。外来>回診>手術>会議>会合>会食と今日も忙しそう。しかし、もしインフル感染ということであれば、即病院からは退出ということになり、すべてのスケジュールを組み直す必要がある。やっべー、と思いつつ、しかし、やっぱりな、なんて考えつつ、起き上がり朝のルーティン。通勤の時もなーんとなく目の奥が重いし、いつも読んでいるi-touchの産經新聞も読む気になれない。ますますヤバい・・・。

ところが、仕事場に到着した直後から病棟の呼び出しがqって、ばたばたしているうちに、体調が悪いことも忘れてしまった。そのまんまの勢いで外来へ突入。。。と、あーら不思議、時間の経過とともにどんどん元気が出てきて、昼頃には至極快調のるんるんモードへ。その後は朝の不調が嘘のように快調に飛ばして、午後は予定通りに手術、回診、会議。夕方サブルーティンのアクシデントがあって、予定の夜の会合&会食は欠席としてしまったけれど、結果的はこの怒濤の一日を難なく過ごせた。それにしても朝の疑似インフル症状、想像妊娠的な妄想だったのか(笑)、単なる二日酔いか(あまり飲んでないけど)?

仕事場のWinのPCがいよいよ限界。朝立ち上げるのに15分はかかるようになって、突然のフリーズが頻繁におこるようになり、最近はいつHDがクラッシュするかヒヤヒヤだったので、外部HDにファイルを移動。今回、仕事場にも自宅と同じくマックを導入。Snow Leopard ふふふ、マック遍歴については明日にでも。途中永い浮気をしたけれど、1984年頃からだから結構長い。

September 10, 2009

後ろ髪引かれるエンディングが基本

小説とか映画とかドラマとか、もちろん音楽もそうだけれど、そのストーリーのエンディングに向かいつつある瞬間に「ああ、まだこの世界に浸っていたいなあ・・・」って思えるかどうかが、僕がその作品を評価する「基準」なのだ、ということに最近気付いた(笑)。

それぞれのストーリーの展開の心地よい流れの中で、その作者の意図する展開に、うまく騙されたり翻弄されたり盛り上がるのは、ある意味当たり前というか「織り込み済み」。作品を作る立場から言えば難しい客。だからこそ、ハマるとどっぷりとハマる、コア(この棚の本、全部下さい!って感じ>笑)なファンになるんだけど。

6本300m

September 9, 2009

09−09−09



2009-09-09なのだね、今日は。09−09−09。でも正直な所、今朝twitterを読むまでは、今日という日の事は全然意識してなかった。基本的には全然迷信とか数字合わせとか占いを信じてないし、だからどーしたって感じだけど、その割には運命論者で、このテの話題はわりと面白がる方かも。リアリスティックなロマンティシストだけどナルシストじゃない(爆)。

1988年の8月8日(88−8−8)に、自分がどこで何をしていたかは、ぜーんぜん記憶にない。おお、そういえば中国ではラッキーナンバーが8なので、当日は役所に結婚を届け出るカップルが殺到したなんてニュースをどこかで観た記憶があるけど、そのニュースをシニカルに観ていたことは憶えてる。1999年9月9日(999−9−9)は全然憶えてないんだけど(笑)。

同じ文脈で、2010年10月10日(10−10−10)は1年ちょっと先の話だし、2011年11月11日(11−11−11)てのは、2年ちょっと先だけど、僕はその日にどこで何をしているんだろう?

人生何があるかわからないし一瞬先は闇(それなりの人生経験を積んでくれば、2年先というものが、あっという間にやってくる事も、そして全然予測がつかない事も十分承知の上で)、たぶん今の生活とはそんなに違わない生活をしているんだろうと、全然根拠のない心情で思うのだけれど・・・。

上の画像は、リニュアーアル真っ最中の「たまプラーザ」。ジムが直結してますます近くなった。

September 8, 2009

そうなんだよね:全く同感

昨日のブログのログについて再考察。今日のさなメモのサイトと読者についての感想には、全く同感。

以下、部分引用:
「ボクは相手のことを何も知らないのに相手はボクのことを熟知している」という状況がすばらしく居心地悪いからである。相手は服を着ているのにボクだけハダカな感じ・・・(中略)・・・でもこの「忘れちゃう感覚」って毎日更新している人ならわかってくれるかな。数週間前のことがとんでもなく遠い出来事となり、何があったか(よっぽど印象深くない限り)忘れちゃうのである。(後略)

すげー、よくわかる感覚。もっとも、彼のサイトのアクセス数とは全然比べ物にならないので、彼のストレスたるや半端なもんじゃないんだろうけどね。

1990年ころのパソコン通信の世界で起こっていたことと、全く同じ事が今でも起こっている。アメリカでCompuserveのメンバーだった僕は、1988年に日本に帰国してから日本にもNiftyserveというサービスがある事を知り(あ、今でもあるけど>笑)、すぐにメンバーになった。会員番号は2000番台。黎明期のパソコン通信というコミュニケーションに飛びついたのは、僕ら新しいもの好きの人間達。僕の場合は、論文作成の為のMedlineというアメリカの文献検索システムにアクセスするためだった。あとはアメリカの同僚とのコミュニケーション。ついでに日本の他のメンバーとの親睦、かな。「ついで」のつもりがだんだんハマってしまったんだけれど(笑)。パソコン通信にはPC-VANから移行した人たちも含めて、「フォーラム」という(今考えてみれば実に小さい)コミュニケーションが乱立し、いわゆるオープンBBSなんだけれど今のSNS的なノリで、いろんな集団が爆発的に増えた時期だった。それも考えてみれば、猫も杓子も(もちろん僕も>笑)ブログをアップしだした、昨今の状況とシンクロする。当時も当然オフ会もあったし、迷惑メールや、それに伴う混乱とエチケット&ルール作りが当時の僕らの「大問題」だった。勘違いオタクや、ストーカーもいたし、炎上もどきも既にあったし。その後、ニュージーランドに移り住み、1995年からはインターネットの爆発的な普及に僕もどっぷりハマった。

結局はハードもソフトも飛躍的に進歩したとしても、ソレを使う人間ってのは(当たり前だけど)あまり変わらないってことなんだな。

September 7, 2009

戸惑いのブログ

最近、ここのブログの内容に対する反応(つまりブログ読んでる)をメールで貰ったり、面と向かって「ブログ読んでます」とか言われることが多くて、ちょっと戸惑ってる。僕が知っている人なら、まだ全然問題ないのだけれど、今年の春くらいからカウンターで一日100くらいだったのが、最近では一日200を越えるアクセスがあるようになった。これは僕の知らない人たちも読んでくれていることになるわけで・・・、正直戸惑っているわけです。今まで自由気ままに書いていたブログの内容もそんなに迂闊なことも書けなくなってしまった感じ。だって、ちょっと間違えたことを書くとツッコミが入ることもあるし。もちろん1990年頃からのニフティーサーヴのフォーラムの時代から、色んなことがあって、その経験を通して学んでるので、「またかよーっ!」ていう感じがするんだけど。IT技術もコミュニケーションの作法も進歩したはずなのに、結局あんまり本質は変わっていない感じがする。

今の所、それぞれのログに対するコメントはオープンにして受け付けているけど、すべて読ませてもらってから基本的にはアップしない方針です。なので、今は平穏だけれどね。僕のような一般人のブログが「平穏無事だった時代」ってのは、もう今は昔ってことなんだろうか。
ま、でも、基本的には今まで通りのスタンス(つまり僕の日記として、不特定多数の読者のためでなく自分のために書くという基本方針)を変えずに書いていこうと思います。

・・・って、しっかり「ですます」体で書いて、読者を意識してたりする(爆)。

September 6, 2009

現実逃避の日曜日なう

この週末は、やらなくちゃいけない仕事(友人とやっている会社の決算の書類の整理)をする予定をだった(過去形)。でも、その準備を昨日のうちにやってしまったら、準備だけでなんだか満足してしまって、どうしてもデスクに向かう気になれす今日は一日中うだうだ(笑)。

だってドライで気持ちよく晴れ上がった素晴らしい天気なんだもの。年に何回かしかない位、完璧に気持ちいい天気。

午前中はテラスで読書&床屋さん。FMサルースを聴きながら。メールで次の収録の「お題」も頂いたし、ぼちぼち準備しよう。午後からジムでがっつり泳いだ。このところ夜のお仕事(会合とか会食とか)が多く、ジムに寄ることがなかなか出来なかったので集中的に泳ぐことににした。混雑をモノともせず20本。気持ちよく伸びた。サウナ&水風呂2クール。

小心者で律儀な性格なので、サボることもわりと勇気がいるんだけど、午後は読書&音楽三昧でさらに現実から逃避(笑)。まだ税理士さんとの約束まで時間があるしいいか・・・と、ある時点からはまったく仕事をやる気なし。夜は自慢の「とろとろチャーシュ」(「あすま」で、ぴか一の黒豚ばら肉を発見した)と海老プリワンタン120個作り。台湾で買ってきた「寧記」というニンニク&唐辛子のスパイスとパクチーがいいバランスでうまひ。

September 5, 2009

公園通り2009

次女ゆっつんのマックが突然起動できなくなり、数日来いろいろとトライするも結局ダメで、原因はHDの物理的なクラッシュだろうということになった。ま、仕方ない。バックアップしていないデータは諦めるしかないね。バックアップしていない君(ゆっつん@涙)が悪い。いい勉強になったでしょう。

で、今回のトラブルシューティングで感心したのは、相談したアップルストア@渋谷のスタッフの対応。実に親切&的確な対応をしてくれた。これならカスタマーの満足度は高くなるだろうなと思った。コンシェルジェの女性スタッフのアドヴァイスも素晴らしかったし、予約せずに行った僕の事情を理解して、速攻でキャンセル待ちのリストに入れてくれたのもよかった。約1時間、公園通りのカフェで本を読みながらの時間をつぶすことになったけど、それはそれで楽しい時間だったし。それにしても公園通りを眺めていたら、圧倒的に元気な女の子と絶望的に元気のない男の子っていうパターンが多い。男も女も皆、不健康な感じの奴ら多し。あと、刺青の若者が予想以上に多いのも不気味。ファッションという仮面を被った「自傷行為」ってことに気付かないんだろうか。同じ刺青でも、日陰モンのやくざの入れ墨ってのは、堅気とは違う彼ら独自のポリシーというか文化として判らん訳ではないけど、ふつうのにいちゃん&ねーちゃんが安易に刺青しちゃう日本の将来は大丈夫か?・・・って、おっさんは思ったりして。ま、勝手にすればって思うしかないんだけれど。

全日本サーカーのオランダ戦。うううむ、ゴール前での力の差は歴然。後半25分までは遊んでもらったって感じなのか。後半の選手交代にもう少し工夫があれば1点はとれたかも。でも、ふーーー、そのくらい差があると思った。

September 4, 2009

デんしゃ? でンしゃ?

駅のアナウンスで「電車」という言葉のアクセントが、「で」にあること。「デんしゃ」。
一般的には「ん」にあるんじゃないか?「でンしゃ」。
ま、どっちでもいいんだけど(笑)、どうも気になる。

September 3, 2009

Tampa, Florida, 1982

ひょんなことから電話したら、旅行の予定を変更することになり(もともと糸の切れた風船みたいな無計画な旅だったのだけれど)、翌日のフライトでアメリカ大陸を横断することになった。ポートランド(オレゴン)からのフライトが、タンパ(フロリダ)の空港に到着したのは、かなり夜遅かったんだと思う。バックパックを背負って降りたった人気のない空港の待合いロビーで、その人は待っていてくれた。ブルーの大柄な花の描いてある白いワンピース姿。久しぶりに会った彼女は、アメリカでの一人暮らしを通してきらきらと煌めいていた。国家試験を終わったばかりで、へろへろ&へなちょこなモラトリアム状態の僕にはまぶしかった。伝えたい事はたぶん沢山あったはずなのに、口から出た言葉は「よ、久しぶり。元気?」「うん、元気」。そんなもんだった(笑)。

その後、彼女のベージュの2002でセントピートのチャイニーズに直行して、Sizzling Rice(おこげご飯)食べたんだっけな。脳の皺の奥底に仕舞ってあった懐かしい場面の記憶が、今日ふとよみがえった。

September 2, 2009

第一波はもうすぐ

行政関連の新型インフルエンザ対策の会議@品川ベイサイド。湾岸口って僕が知らなかっただけかもしれないけれど、ほとんどお上りさん状態で「ほー」とか「へえー」とか、その変化に驚くばかり。品川の海岸サイドって昔はなーんにもなかったのにな。たしかゴジラが上陸したのもこの辺り。

さて今夜の行政主導の会議はかなり緊迫した状況で、熱のこもった議論。まさに問題山積。新型インフルエンザは現時点では感染力は強いものの弱毒ということで、世の中のパニックが一番怖い。世界中で一番タミフルが消費されている日本の特殊性。僕は健常な成人男女には、よほどの事がない限りタミフルの処方は必要ないんじゃないかと正直な所は思っているんだけれど、まあ多分患者は納得できないだろう。これは世界的に非常に珍しいことであることは、行政の責任で広報することが絶対に必要だと思う。

定点観測施設で一日のインフル患者受診数が1.0を越えてから現在4週間が経過。統計解析上は8週間目くらいから10週目くらいに第一波の大規模流行のピークがあると予測されていることが発表された。現場はかなり混乱するだろうという予測。ということは・・・9月の大連休から始まる。早速具体的な対策を立てねば。

September 1, 2009

海南島だって

急に秋めいた感じの一日だった。この季節、日によって一足飛びに時間が進む。午前、午後と手術。病棟も忙しく走り回る。なんだか夏休み@台湾が遥か遠くの出来事のような感じ。

夜はT君と会食。高校のクラスメートの彼とは、医師と弁護士という立場でお互いの相談事&意見交換をしている。今夜は永利@池袋ディープチャイナにて食事。なぜか今まで食べる機会のなかった、ここんちの定番「豚肉背骨肉煮込み」を始めてトライした。うまひ。その他「春巻き」「海老のピリ辛塩揚げ」などなど、いつものパターンで堪能した。

中国関係の仕事もしていて中国通のT君によると、現地のお店みたいだそうな。その彼が絶賛していたのが、中国「海南島」の料理。初耳だ。ベトナムに近い南海の孤島。どんな料理なんだろ?
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