助けあいジャパン

September 27, 2013

祈り 念について

昨年の不思議な経験について追補。

荏原病院で発見された膠芽腫の手術。発覚から手術まで1週間という緊急手術にも拘らず、有名人のさとなおくん達がFBなど僕の手術についてディスクローズしてくれて、
多くの人たちが手術の成功を祈ってくれた。

本当に有り難かった
僕自身は全身麻酔なので意識はないのだが、
手術が始まる少し前から不思議な感覚があった。

何と表現したらいいのだろう///
波動?
背中を押してくれる
大きな温かな掌のようなチカラ

「みんなの気持ち」
祈り;念
ベクトルとして「動きを作る」

コンサートやライブで
素晴らしいパフォーマンスと
出会った時に感じる
鳥肌が立つ「あの感じ」にも少し似ている

人と人が「共鳴」する
快感に近いか?
コーラスや
読経なども近いかもしれない

心を真っ新にして
誰かの為に念じる
メッセージを「共有する」

今回の手術(9/25)もネットでのさとなお君の呼びかけのチカラが大きい
当日の午後から感じ始め翌朝まで続いた。ありがたや、ありがたや

今回は、全身麻酔とは違い、6時間近くウツラウツラしていた。
驚いた事にFBとブログ(Sand and Gem)のアクセスが、少しづつズレていたものの、ほぼパラレルで動いていたことが興味深い

システマティックに
突き詰めて行くと、これは一種の
「宗教儀式」なんだろうけれど
僕はこの「自発的な祈り」の体験に
寛く静かに、同意したいと思う。

「人気」や「空気」には、人知の及ばない何かある。

September 26, 2013

Head Clipper:医学のチカラを信じる

昨年9月(ちょうど1年前、9-21-2012!)パーシモンホールで講演会をさせて頂いた。200人以上の方がたの出席を頂き大盛況で感激した。
http://sandgem.blogspot.jp/2012/09/blog-post_4489.html

そして1年。正直に告白すると、あの講演会以後、こんなに元気に生き永らえるとは思っていなかった。医師だからこの病気の悪性度、浸潤進行の速さについては、ある程度わかっていたつもりだったが、先がわからないのが人生なのだ。アタリマエなのだけど。

誰にでも同じように死があり。先の事は誰にもわからない。

僕が膠芽腫であってもなくても人生の様々なご縁で繋がって僕らは生きている

生きるという事に肯定的に捉え、さまざまな柵からの肩の荷が下りたことで
人生のご縁に感謝する気持ちに接する毎日。今までの日常が「あれこれと忙しかった」反動なのか、日々の生活はeneventfulに淡々と生きてきた。自分の生を愛おしく思う「ふつうの生活」。

最近は食欲がちょっと落ちたものの、元気。波がある。痛みや苦痛はほとんどない。長い患者さんのお宅に往診にいったり、外来に少しずつ出たりしていたのだが、一筋縄で行かないのがこの病気。

そして先週。病気発覚から6ヶ月の昨年9月の講演会からさらにぴったり1年が経過して、再発が発覚した。先週の医科研での月一回の定期MRIで反対側の再発病変が見つかったのだ。全く神経学的な異常がなかっただけにショックだったが、膠芽腫の再発は進展が早い。

 その日のうちに東大医科研病院から、NTT関東病院のガンマナイフのスペシャリストの赤羽先生に紹介してもらい、9/24(火曜日)に入院、手術となった。彼らの迅速な対応に感謝。professional coutesyに感謝。

 昔から脳外科医のことをスラングでHead clipperと呼ぶが、そのまんま(笑)の装置で頭部を固定する。局所麻酔と鎮痛薬でほとんど痛みもなくガンマナイフの手術は淡々と進む。まさに達人達の世界だ。

午前中から位置決めをして、午後からガンマナイフを施行。
画像はガンダムごっこをしてるコスプレおじさんではない。

痛みは全くないのだが、途中短時間の休憩を挟んで5時間以上身体を動かせないのが辛かった。目を瞑ってじっとしているしかない。修行ですな、これは。治療終了後の安心感&開放感は、筆舌尽くしがたい感じだった/

終了して病棟に戻ったら18時過ぎていた。
ふらふら。ばりばり。画像は頭部4カ所のクリップの痕。

夜いつもは爆睡する僕も、さすがに昨夜は眠りが浅かった。

ということで、今回のガンマナイフ治療はまずは大成功。
マージンの削り取りなど彼らのプロ仕事に感嘆する。
今後は脳浮腫や放射線壊死などの今後の後遺症などに注意が必要。

今後、テモダールの化学療法は継続。さらにアヴァスチンを併用開始する予定。運命の流れに任せて生きてゆくつもりです。
ベストを尽くして天命を待つ

写真のおでこのテープが手術跡。
食事は夕食から開始して、翌日歩いて帰れる。
大手術だったのにスゴい時代になったもんだ(W)
〜〜〜〜〜〜

下は昨年の講演会のスライドです。

以下も昨年のスライド

さなメモ:




この他にも多くの方々にコメントや感想、応援メッセーッジを頂いた。宝物。

〜〜〜〜〜
なお、今回の手術についても
多くの方達がFB呼びかけに反応してくれて
「祈り」「念」を送って頂きました。
今回もしっかり届きました。
本当に有り難うございました。

この不思議な波動感については
別件のエントリーにします。


September 21, 2013

朝日に向かって吠えろ!

昨年4月に脳腫瘍(膠芽腫Grade 4)が発覚。
荏原病院にて手術、放射線療法、高圧酸素療法、
化学療法(テモダール、ステロイドなど)を行い、
順調な経過で推移していましたが
先日19日、東大医科研のMRIで、
別の部位に新たな病変が発見されました。

残念ながら、膠芽腫の再発です。
急遽、来週早々に別の病院に転院することになり、
ガンマナイフ治療をすることになりました。
終了後は化学療法を追加して継続する予定です。

現在は物忘れが以前にも増してひどいのと、
多少のフラツキがある位で、お陰様で元気にしております。
ガンマナイフ後の状態がどのようなものなのか
自身で経験していないのでわかりませんが、
運を天に任せ優秀な診療スタッフを信じて
「まあ、なんとかなるでしょ」という心境です。

「あまちゃん」最終週となり
皆様ご多忙とは存じますが
9月25日(水曜日)の手術日に
『五反田方面』に皆様の「気」をお送りいただければ
幸甚に存じます。

可能な限り早くFB等でレスポンスしたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。

marc

写真は朝日に向かって吠える、奥沢神社の狛犬様。

September 14, 2013

SHORT HOPE & LONG PEACE

彼はいつものように
実に美味そうに
タバコの煙を吸い込んで
十分その香りを楽しんでから
ゆっくりと煙を吐き出した

紫煙の中の
密やかな自由の味
Short hope
or Long peace?
///
Long hope,
or Short peace?

せこせこするなよ
あくせくするなと
いつも決まって
斜め上を向いて
口をすぼめて
煙を吐き出す
大きな背中だった
大人の匂いがした

紫煙の中の
密やかな自由の味
Short hope
or Long peace?
///
Long hope,
or Short peace?

嘘をつくなら巧くやれ
勝てなかった勝負にも誇りを持て
いつも決まって
斜め上を向いて
口をすぼめて
煙を吐き出す
大きな背中だった
大人の匂いがした

紫煙の中の
固い男の約束
Short hope
or Long peace?
///
Long hope,
or Short peace?

^^^^^^^^^^^^^^^^^
かつては僕もヘビースモーカー。
ストイックな禁煙主義者たちに捧げる。
豆腐の角で頭をぶつけて死んても知らないからさ。


2008-11-10

SHORT HOPE

NOVEMBER 11, 2008

数年前に亡くなったCRさんは、アメリカ人のミュージシャン。最期を看取るご縁となった。日本での活動はもう20年以上でヒット曲も数々ある。彼が日本で活動を始めた初期のバンド名が、SHORT HOPEっていうことを彼のHPで知った。

SHORT HOPEって、なかなかセンスのあるタームだ

タバコのショートホープ(短い紙巻タバコのホープ)からの由来だろうけど、Hopeの形容詞に長い短い(時間的なターム)を使うと、アメリカ人の感覚からすると、侘び寂びの世界っていうか・・・「刹那」とか「涅槃」みたいな感性をイメージする

LONG PEACE ってのも、その意味では面白い。これは「極楽浄土」。

SHORT HOPE &  LONG PEACE

逆に SHORT PEACE & LONG HOPEは、さらに「禅の世界」?

ということで歌詞をインスパイアした
~~~~~~~~~~~~

徒然ブログ

2006年以来、Face Bookに拙文を書き始めて7年目になる。
はっきり言って殆どが駄文だけれど、
ニフティサーブのフォーラムの頃からだから、結構な量だ。

本当はちゃんと
推敲しておきたいのだが、
もともと人様に読ませるものとして
書いている訳でもなく
ほぼ毎日「筆の赴くまま」
書き散らかしてきた

日記的に自分のために
メモを書くというスタンスなので、
何を食べたとか、誰と会ったとか、
そんな日々の他愛ない事ばかりを書いている

習慣になっているので、自然にネタ探ししている。
書きたくて書いているくせに
ネタを探すなんて本末転倒なのだが
「FB友達」からの「いいね!」やコメントは
我々素人ブロガーにとっては、
サイトを続ける大きな励みになるものなのだ

アイデアを想起しても
ちょっとした事で、内容を忘れてしまうので
最近は少しコツを覚えて
ネタになりそうな内容のキーワードを
10本くらいストックしてくようになった。

でも昨年、脳腫瘍が発覚して死を意識して以来、
日々の生活を淡々と記録してきた、このブログの
(自分にとっての)意味を改めて感じている。

September 10, 2013

形を残せる仕事は素敵だ

2020のオリンピックが決定した。
日本人として何はともあれ「誇らしい」気持ちになる。
僕はもともと右寄りを自負しているが、
精神の根っこにあるナショナリズムを刺激される。

昨年来の20年ぶりの日本経済の「上げ潮」感覚が
オリンピックの開催地に東京となったことで
大きなトレンドに変ったことを実感している

すごいなあ
こういう変化というか
運勢というか、流れというか
人知を越えたところで
人と社会は動いてゆく

何となく良いことが
起きそうな期待感
大人も子供も
男も女も...etc

この空気=「好景気」の実態なんだろう。

今後オリンピック開催の
様々な施設や巨大な建造物
新しいビル、商業施設
交通システム...etc
がどんどん作られるだろう

僕達(男の子)は、子供の頃から
大きな建造物に対して
無条件で畏敬する傾向がある

橋や道路やビルや
あんなに大きな建造物、その部品、ネジが
人間の手で実際に作られることの
素晴らしさに
わくわく
感激するのだ

職人さんは、
「あの高層ビルのボルトは
俺が締めたんだ」という実感があるとすれば
何と素晴らしい仕事なんだろう

こういうプロの仕事(職人芸)を
僕は無条件でレスペクトするところがある

自分が創った証
自分たちが作った「実感のある仕事」が
長期間、形に残る素晴らしさ

医師には体験できない

September 5, 2013

September 3, 2013

妄想ごっこ

子供の頃
空想遊びをよくした
幼稚園に入る前だろう

自分の時間であれば
現実と空想の世界を
自由に行ったりきたりできる
だれでもそのスイッチがあったハズだ

子供の頃よく
「突然別の世界に行っちゃって、ぼ〜っとしてる」と
云われた

たぶん親や教師が心配するくらい、
本当にぼ〜っとしていたんだと思う。
(当時の写真を見ると、どれも口を半分開けてぼ〜っとしてる)

時空を超えて空想の世界に遊ぶ
その、たまらない気持ちの良さ
時間を忘れてやってた
ふと気がつくと外が真っ暗になっていて
驚いたことも何回もある

小学校低学年までは
想像の内容(コンテンツ)がある程度決まっていて
テレビ番組を観るように繰り返し繰り返し
「空想していた」空想遊びだった。

よくやったのが アニメやドラマ、
現実の世界と空想世界に遊ぶ
今考えれば、アドベンチャー系とか
少年探偵団系とか、忍者部隊「月光」系とか、
大好きだったコルベットの出てくる系とか、
男児らしい劇もあれば、はちゃめちゃな
大人のドラマもある

あれは今考えてみれば
絶対安全な場所で
自由に空想すること
夢を育むことは
子供に必須の遊びだったと思う

思春期のある時点から、
空想の興味は(かなりの部分)
異性へ興味へシフトするわけだけれど、
これは自然な事だろうな(笑)

いかに才能表現するか

どんなに優れた才能(タレント)であっても
その才能をうまく表現できなければ
活かす事が出来ない
いわゆる「宝の持ち腐れ」になってしまう

そんな例は古今東西、枚挙にいとまない。
むしろ「良い例」の方が圧倒的に少ないのではないか。
ほとんどが才能に潰されて「普通の人」になってる

運やご縁も大きいだろう

才能が開花する為には、ある種の思い込みと偶然が必要だ。
そしてその抜きん出た能力を「正しく表現するのこと」は
同じくらい大切だ。

これを誰かが指導することが大切なのではないか?
「初めの一歩」の時期には
どんな天才にも絶対に指導者が必要なのだ

才能のある人は
例外なく
ナルシストにしてエゴイストだ

労を厭わず真摯に
「道」を究める真面目さも
狂気に近い拘りや頑固さも
才能の一部だと云えるだろう。

自分を極限まで表現することを
求められる

僕のような凡人には解らない
「厳しい世界」なのだろう。

宮崎駿さんの姿を観て思った

September 2, 2013

宮崎駿さんの引退に際して

宮崎駿監督が引退を表明した。

監督としての「創造的な期間は10年しか続かない」と。

彼ほどのクリエーターであっても、10年。

重みのある言葉だ。
たしかに、どんなに偉大なクリエーターであっても
感性、技量、経験、体力、人間関係...etc すべての「総合力」が
ピークとなる時期は限られている。

また、あれだけの大作を作り上げられる人が
毎回毎作品毎に、心血を注いでいくからこそ、
もうこれ以上できないという心境になれるのだろう。

彼自身は「自分のピークは過ぎている」ことを知っていたはずだ
今回の監督の「引退宣言」は、彼なりの美学なんだと思う。
本当のプロフェッショナルは、自分の引き際を知っているものだ

宮崎駿さんは2世代上。

僕にとってその「人生の特別な10年」は、どこだったのだろう?
一番輝いていた10年がどこかにある筈だ。

偉大な先人やその道のプロと較べるものおこがましいが
大切な節目となる「10年」は
我々のような「非生産的な」市井の民にもあるはずだ。

自分の人生を振り返ってみると、
10代、20代までは早く大人になりたかった
30代には40代に憧れがあり
40代になったら50代に憧れ
心身ともに充実した50歳代になってみると、
社会的にも成熟し一番居心地が良い(←確かに、イマココにいる)

60歳代から先は未経験だからわからないけれど
この世代が中心である事は間違いない。

自分がクリエーティブな人生を送っているかどうかは
はなはだ心もとないけれど、大多数の御同輩達が
へらへらと幸せそうに笑っていられる
日本の平和な社会っていうのは
僕は「悪くない」と思うのだ。
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