昭和30年代の僕らの世代は日本の高度成長期
それまで写真館に行って撮影していた写真が
手軽にハンディなカメラで撮影できるようになり
劇的に映像の世界が変わった
僕らは子供の頃から身近に
カメラがあった初めての世代だ
当時は「写真機」と呼んでいた(笑)
日本の精密機器のレベルは高く
今に至るまで世界をリードしてきたことは
間違いない。
これだけ個人の写真のある国は
珍しいだろう
1990年くらいまでは、
写真(プリントした)の山、
アルバムの山はどの家にあり、
そこには確かに「あの時代の空気」が
写っている
写っている画像そのものより
あの時の記憶と空気は
しっかりと切り取られている
いまだに「ハイチーズ」なんて
撮っている人もいるけれど(笑)
現代の子供達は
デジタルカメラの登場で
枚数を考えず撮影できるので、
当時とは随分撮り方が
変った。
たしかに、手軽に写真が撮れるようになり
そこに込められた気持ちとか
「有り難み」がなくなった気がする。
子供の頃の写真を観て喜ぶのは
本人より親と爺婆だろう
極言すれば
子供の写真は
子供の為というより
親の記憶の為に
撮っておくものだ。
山のようにある飲み会や旅行のスナップ、記念写真や仕事場の
行事のスナップなど、はっきり言えば捨てるに捨てられない写真の多さに
辟易しているのは僕だけじゃないだろう。
自分の膨大な画像、動画のデータを
どうアーカイブして分類して保存するか?
あるいはダウンサイズしてそのまま遺すのか?
お宝写真が眠っている可能性だってある。
また、極言すれば
全部いらない、すべて捨てて良い
という選択だってあるわけだ
なかなか難しい問題だ。
業務連絡ですが
今は「何でもアリ」の方針で進めるつもり
第16クール、昨日より開始。
御陰さまで、今のところ順調です。