どんな場合でも、何々が「ある」というのは容易いが、
「ない」と言い切るのは難しい。
たとえば癌の診断にしても、
「癌組織があれば」診断できるが、
「見つからなかった場合、癌ではない」と
言い切れない。その場所で見つからなかった
可能性があるのだ
可能性はあるが、現時点では確証はない」とか
可能性が否定できないだけでなく、現時点では確証もない。とか
誠実かつ正確になるほど、抽象的になってしまう。
医学、医療の世界では
ぼかすとか、はじめから誤摩化すことを
意図しているわけでななく、
断言できない事のほうが圧倒的に多いのだ。
それを揚げ足取りをする
巨大な医療関連の情報産業や、
巷にあふれる「似非医療」の専門家や
各種の「評論家」という
歪んだマスコミの視点が
わざわざ問題を複雑化し
大きくする。
代替医療の胡散臭さ
新興宗教に限りなく近くなった団体もある
ネット社会の怖さ...etc
それに対し、小説を最後まで読んでから、
その展開について文句を付けるような
「後出しじゃんけん」の気分悪さがある。
娯楽としての医療関連情報番組や
ネットなど、コンテンツを制作する側の
責任と自覚も大きいと思う。
比較的ちゃんとリサーチしている事が多いNHKの
わりと「ためしてガッテン」医学系は番組としては好きだけど
これは「娯楽番組」コンテンツであり、
彼らだって本当の「責任」は初めからとるつもりはないだろう。