昔は、取っ組みあいのけんかも当たり前だったし、
ボディコンタクトの遊びが男の子の遊びの定番だった。
危なくなければ遊びじゃない、という意識さえあった(笑)
「おしくらまんじゅう」のような遊戯から
「水雷艦長」「缶蹴り」「馬跳び」などのゲームは
エネルギーの有り余った男児には定番の「遊び」だった。
怪我をするリスクがあるのは
スポーツでは当たり前なので、
最善最大の防護策をとるのは当然なのだが
怪我をするから、危ないから、
治安が悪くなったからと、
近所付き合いが希薄となって
いつのことからか
子供が外で遊ばなくなった
1975〜1980年頃が、境目か?
その頃までは
「〜ちゃん、あーそぼ」
と呼ばれたら、知らない子でも
とりあえず入れてあげる
年長の子供が仕切って
皆で遊ぶのが「全国共通」の
ルールだった
僕自身、何回も遊びに行ったところ(つまりアウェイで)
近所の子供達の仲間に入れてもらって遊んだ。
「あ〜そぼっ」と、初めて言う時の勇気、ドキドキ感。
そういう経験を通じて社会性を学ぶ
今、ふと思いだした
「あ〜と〜でっ」という断り方があった
今都合が悪いけど、今後機会があれば宜しくね、という
曖昧にして相手を慮る態度を、子供心に育んでいる
そういった伝統が日本的と云えるかもしれない。
トラブルシューティング
人間関係クレーム処理の仕方
さまざまな交渉と調整
子供同士の喧嘩に親は口を挟まないという
暗黙のルールがある
地域のしきたり
ルールや掟
子供同士の関係
友達
兄弟姉妹
年長者
大人との関係
家庭、近所、学校、地域とだんだん世界が広がるつれて
視野が広がって、さまざまな事に興味が出てくる、その原体験。
そこでさまざまな事を学んだ
1975~1980年頃の
この子供社会の一大変化は
日本の高度成長期の社会の変化と
表裏対になっていて、
ファミコンや家庭へのインターネット普及で
拍車をかかかったのは確実だ
いつも大人も子供も
どんな事でも傍観者的で
誰でも評論家的になってしまう
痛みがわからないので
程度がわからない
自分が痛い思いや
辛い思いをしていないので
やさしくなれない
そんな情景も今はもうないんだろうな。。。と、
ノスタルジックに、古き良き時代の日本社会を
思いだす
バーチャルな体験ばかりで
リアルな体験をしていない
どこかに歪みが出て不思議ではない
だからといって
後戻りは出来ないのだけれど