院長という仕事について
前回エントリーを書いた
これはその続き
たまたまご縁があって
僕は医師となり
院長という立場で
仕事することになった
考えてみると
僕が「院長」であるのは
僕以外の周りの人たちが
「まあ頼りない奴だけど、やらせてみるか」と
たまたま「院長」という立場にしているだけだ
院長になった、のではなく
院長という立場にさせて頂いている
というのが正しいだろう
つまり
ステージの上で
便宜上の院長という「役」を
精一杯演じているにすぎない
みんな同じだと思うのだ
すべての物事は同じだと思う
自分で何かをやったつもりでいても
実は何もしていない
自分以外の動いた結果なのだ
実は「全てが繋がった」世界の一部
考えてみると
学校の先生も
魚屋のおじさんも
女優も
小学生も
ヨボヨボの爺さんも
人生のステージで
それぞれの役を
背一杯演じている
すべての人には
それぞれの関係性があり
生まれてから
死ぬまで(死んでからも)
「その人」なのだ
俯瞰的にみてみると
自分でその位置を
決めている気になっているが
じつはすべて
「ご縁」なのだ
いつも同じ結論に
思い至るけれど。