掛尾良夫(小学館文庫)
これは創業者である矢内廣とその若い仲間達のサクセスストーリー。「ぴあ」の1972年の創刊から2011年の休刊までの歴史は、日本のサブカルチャー/文化史そのものだ。この時代の若者達にとって「ぴあ」は生活に密着した情報であり、学習取得するべき知識であり、常識であり文化的素養であった。
我々社会に巣立ったばかりのナイーブで不防備な若者達は「ぴあ」という窓を通して様々な世界を観ることができたのだ。昭和30年代生まれの我々の世代は、常に彼らの背中を意識しながら後を追ってきたといえる。極端な話、「ぴあ前」と「ぴあ後」では、あきらかに社会が変わった。そのくらい「革命的なこと」だったのだ。その前の世代(いわゆる全共闘世代)が、大騒ぎした割には何も生み出せなかったのとは、対照的だ。
会社の黎明期から雑誌メディアの「ぴあ」の終焉まで、バブル経済崩壊後の変化については、さらりと述べているが、インターネット後の世界には、大きな経営的な環境の変化があったと思う。多くの読者が同じ感想を持つと思うが、廃刊の報に接し「ぴあ」に心から「ありがとう」と「お疲れさま」というのが一番ふさわしい感情だと思う。
この期間のさまざまな同時代性が、個人的な記憶や懐かしさとともに思い出されて、一気に読んでしまった。「携帯電話のなかった時代」の資料としても、巻末の資料はすごく面白かった。また、巻末解説の泉麻人氏の「1950年生まれが作り出したユートピア」という文章は、秀逸で再読必至。付箋多数。
我々社会に巣立ったばかりのナイーブで不防備な若者達は「ぴあ」という窓を通して様々な世界を観ることができたのだ。昭和30年代生まれの我々の世代は、常に彼らの背中を意識しながら後を追ってきたといえる。極端な話、「ぴあ前」と「ぴあ後」では、あきらかに社会が変わった。そのくらい「革命的なこと」だったのだ。その前の世代(いわゆる全共闘世代)が、大騒ぎした割には何も生み出せなかったのとは、対照的だ。
会社の黎明期から雑誌メディアの「ぴあ」の終焉まで、バブル経済崩壊後の変化については、さらりと述べているが、インターネット後の世界には、大きな経営的な環境の変化があったと思う。多くの読者が同じ感想を持つと思うが、廃刊の報に接し「ぴあ」に心から「ありがとう」と「お疲れさま」というのが一番ふさわしい感情だと思う。
この期間のさまざまな同時代性が、個人的な記憶や懐かしさとともに思い出されて、一気に読んでしまった。「携帯電話のなかった時代」の資料としても、巻末の資料はすごく面白かった。また、巻末解説の泉麻人氏の「1950年生まれが作り出したユートピア」という文章は、秀逸で再読必至。付箋多数。
(藤井秀樹先生ありがとうございました!)