助けあいジャパン

February 5, 2009

遊ぶために働くという美学

日本人が働き過ぎで、「遊べない」ことの不幸について。このところ読んでいる浅田次郎の「カッシーノ」を読むと、なるほどふむふふむ、と唸ることしきり。日本社会は「よく学びよく働く」ことが美徳とされ、「休んで怠けること」と「遊ぶこと」が等価同義とされて「罪悪」になってる。明治以降の富国強兵政策、戦後の高度成長期を通して、それが現代日本的にモディファイされていったものの、学歴社会、競争社会のなかで、いつの間にか手段が目的化してしまった。。「一所懸命遊ぶ」ことも、心して係らないと到底達成はできないことなのだ、という事実。もちろん本業というか生業がしっかりしていて、十分な余裕があるというのが基本であるのだけれど。

幸福を希求しつつ一所懸命働いた挙げ句、本当の幸福を知らずして人生を終わるなんて、これは一生の不覚だ。世界中にはまだまだすばらしい事がたくさんあって、精々ひとりの一生の間に体験できる事なんでいうのは、たかが知れているのだから。働くために休んだり遊んだりするのではなく、遊ぶために働くっていうのが理想の姿なのだ。一番の問題は、自分の体に染み付いた貧乏性なんだ(笑)けど、齢50も過ぎれば折り返し地点はとうに過ぎているのだから、もはや猶予はない。人生は楽しまなくてはいけない、と思うのだ。

この世界中のカジノを旅するなんてのは、超売れっ子小説家だから可能なんだよと嘯くのは簡単だけど、その心意気だけは忘れたくないと思う。

うーーー、それにしても、うらやましい。久しぶりにラスベガス行くかな?
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