助けあいジャパン

January 22, 2012

ALWAYS 三丁目の夕日1964

去年から公開を楽しみにしていた「ALWAYS 三丁目の夕日1964」 を家族で観に行って来た。有楽町スカラ座。公開2日目。大入り。

1957年生まれの僕は、1964年の東京オリンピックのことは実体験としてスゴく憶えている。開会式の朝の「晴れがましさ」を日本の老若男女問わず共有したのだ。じいちゃんは太陽に向かって拍手を打ち、父ちゃんたちは祝杯を上げ、子供たちは走りまわり、母ちゃんたちはそれを見て微笑んでいた。

確かに戦後日本の社会は、そのくらい熱気を帯びて走っていた。明日は必ず今より良くなる筈だという大人の楽観的な空気と社会の活力を子供心にも感じていた。戦争直後のこれより悪くなることはないという「どん底の時代」を経験している大人達からすれば、すぐ先の未来は常に明るく輝いていたはずだし、事実そのとおりになった。1964年の東京オリンピックは確実にひとつのエポックメーキングだった。そこには敗戦からの奇跡の復興には日本の社会の持つ「したたかさ」resilienceがある。バブル崩壊までの日本は確かに熱に浮かされたように異様に元気だった・・・と今になって思う(当時は思ってもいなかったけれど)。

この映画は素晴らしかった。ストーリーは奇を衒ったところは皆無で、シンプルに淡々と流れていく。でもCGを駆使した3D画像が素晴らしいし、そのストーリーの底を流れる「やさしさ」が観客には心地いい。それにしても、今見てみるとあの時代って人が多くて人口密度が高い(笑)。いろんな物(家とか家電とか車とか)が二回りくらい今より小さいのだ。あの「古き良き」時代の空気。生活する上では今のほうが格段に「便利」になったのだろうけれど、あの時代には何物にも代えがたい「温かい人間関係」があった気がする。単なるノスタルジーかもしれないけれど、良いものは良い。そんなこんなで、初めから終わりまで笑って泣いての繰り返し。恥ずかしげもなく劇場で今日は泣いた。当時の日本の社会の熱気、真面目さ、温かい人間関係。登場人物一人一人が愛すべきキャラクター。戦後の焼け野原からの復興を成し遂げたこの日本の姿は、きっと東日本震災で俯き気味の日本を元気にすると思う。観客は幸せそうな顔をしてニコニコと「よかったねえ」と話し合いながら会場を後にする。幸せの共有感/この感覚も素晴らしい。

エグゼキュティブ・プロデューサーが小学校同級生の奥田誠治君(日テレ)、制作が「助けあいジャパン」で知り合った加藤雅章さんのロボット、おまけに医学指導が友人の桜井明宏先生(クリニックさくら)で、これも何かの御縁を感じる。観終わってから、すぐにもう一度観に行きたいって思った久しぶりの映画だった。いいなあ、映画って。

夜は有楽町のSingapore Seafood Republic。うまうま。帰宅してから録画した「運命の人」真木よう子さん。こちらも大好き。
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