助けあいジャパン

May 5, 2011

TMG医療支援チーム(4/29-5/3) ①:プロローグ

4/30 - 5/3に岩手県宮古市山田町の被災現場へTMG医療支援チームの一員として参加した。その記録をこのブログに記しておく。これは僕の通常行くようなお気楽な旅行記ではない。あくまでも自分のためのメモランダムである。今の時点で現地は、万全とは云えないまでも電源も固定電話回線も繋がっているし、携帯電話もdocomo, auそしてsoftbankもほぼ問題なく繋がってはいるので、リアルタイムでログをアップすることは技術的には十分可能だったのだ。しかし、夜の食事のあと何もすることがない暗く長い夜、十分な時間な時間があったにも拘らず、どうしてもいつものように気楽な気分でその日の出来事や思った事をブログに書き出す事ができない心理状態だったのだ。その間に色んな事を考えたし、仲間とも話たし被災地の医療現場で踏ん張っている人たちの話も聞いた。書き残したいことが山のようにあったのだけれど、簡単にアップしてしまうより少し時間をかけて考えてみたかった。自分のためのメモランダムなので、この記録は内容と時系列が多少ばらばらになっている。僕がMOLESKINEに書き留めたものとiphoneに入れたメモ、それから現地で撮った写真(写真撮影については自分なりにすごく注意を払ったつもりだ)のいくつかを含めて、レトロ・スペクティブにアップすることにしよう。
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今回のミッションは、県立山田病院をベースにした被災地の医療支援。3月16日から活動していた昭和大学の医療チームは引き上げた後、僕の所属する病院グループTMGの医療支援チームがそれを引きついたものだ。救急救命のための多数の医療チームは、発災直後に現地入りした。しかし、今回の大震災の被害は地震そのものによるものはそれほど大きなものではなく、殆どが津波によるものだった。だから2万人もの死者と行方不明者が出ているにも拘らず、負傷者は多く見積もっても全体で数百人程度といわれている。つまり津波に巻き込まれたら最後、ほとんどが命を落とすことになった。倒壊した建物やその後の火災での負傷者はほとんど居ない、All or noneの厳しい状況。この災害が直下型地震であった阪神淡路大震災などの災害と根本的に違うところだ。ということで、世界中から集まった災害医療チームは正直なところ「手持ち無沙汰」の状況だったという。被災地の復旧から復興のプロセスが始まったばかりだ。そのプロセスの中で、崩壊してしまった現地の医療システムの支援、というのが僕らのミッションということになる。311以来、僕も現地に赴いて力になりたいと思い続けて忸怩たる想いだったのだが、今回TMGが参加するということで、迷わず志願したというわけだ。情報収集と準備をしつつ出発当日の朝を迎えた。
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