今日同行したナースの話によると、地震があって津波が来る事は皆わかってたのだと。でもまさか「これほどのものが来るとはだれも思わなかった」ので、実際には町に残ったり戻ったりした人が結構いたらしい。山田町には堤防を遥かに越えた山のような波が襲ってきて町役場のある中心部や繁華街は一気に流され、織笠川の水門を越えて川に沿った地域もかなり上流の方まで一気に洗い流された。港町なので漁船に使う重油タンクが燃え始め、ガソリンスタンド、各家のプロパンガスなどに引火し、中心部は3日3晩燃え続けたという。現場はまるで絨毯爆撃を受けた後の町のようだ。不謹慎な表現かもしれないけれど、まるで映画のセットのような現実感のない空間。
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夕方10時間かかって次のチームが到着。今後の山田町の医療体制についての会議から帰ってきた院長、事務局長、初雁リーダーも合流して鍋の夕食。先発隊の大越くんと馬目さんは2週間の最後ということで、酒盛りが始まって0時すぎまで。もともとかなり深刻な医療過疎の問題があったこの地域が、津波によってさらに大きなダメージを被ったのだ。それをどう再建するかについての熱い議論。よそ者である僕らが勝手な意見を言うの憚れたが、僕はやはりある意味、再構築のためのいいチャンスなのではないか?と思った。
下の画像は、夕陽に佇む(笑)我がTMG医療支援チーム
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