助けあいジャパン

June 30, 2011

ぴーぽーくんの憂鬱と倫理的考察の一日


7時半から東京☆消防庁☆相談センター(☆は検索回避)。今日も様々な医療相談のディレクション。守秘義務があるのでここには書かないけれど、本当にいろんな相談がある。連れて行った研修医のF君にもいい経験になっただろう。おお、そういえば救急医療部門のHさんと久しぶりにセンター内で会った。彼の発災翌日から被災地視察の話など。こういう我が身を挺した任務遂行がその後のサポートの基礎になったわけだ。心よりご苦労様、と伝えた。勤務後、購買部でTFDレスキュー・チームのオフィシャル(たぶん)Tシャツをゲット(ふふふ)。

昼ご飯は共栄堂のカレー。うまし。こういう酷暑の日の昼ご飯はやはりカレーだ。午後から用賀に移動して施設在宅往診。USE(ウルトラスーパー・・・以下略<笑)あいちゃんにSmith'sで見つけた指サック(滑り止め)をプレゼント。ちょっとかわいい色なんだよね。気に入ってくれたみたいでよかった。画像は施設に飾ってあった「ひまわり」。そういえばゴッホのひまわりもこんな感じの「もへもへした感じ」のひまわりだったな。帰路突然降り始めた雨の中、用賀まで車で送ってもらい、ジムへ直行し軽く10本500m泳いでから、18時すぎに病院へ戻った。

夜は「倫理委員会」@八沢川。トリウミくんとコヤマ先生に正式にメンバーに入って頂き、今夜はなかなか深い内容で盛り上がるディスカッション。たぶんこのアイテム3回分位くらいのコンテンツがあるはずだ(笑)。そんなこんなで高カロリー&盛りだくさんの一日。

June 29, 2011

酷暑の夜に暴れ回る辛さに悶絶する



朝一、8時から経営会議。本年度はまずまずのスタートが切れたみたいだ。それもこれも優秀なスタッフのお陰だ。僕は先頭というか神輿の上で旗降っているだけなんだけどね、実際。有り難いことだとしみじみ。次のステップに向けて、これまで考えてきたヴィジョンをそろそろ明らかにしてもいい時期かも・・・などど考えつつ。

酷暑の一日だった。いくらなんでも梅雨は明けたんだろう。肌にぎりぎりとひりつくような陽光、重ささえ感じる暑い風。エコで冷房は絞っているもののやはりさすがにそのままではキツかった。これからの夏本番にむけてまだまだ工夫が必要だろうな。夜は、山田町医療支援の「同窓会」的な会@永利(池袋)。画像は激辛「牛肉水煮」。スクエアにしてソリッドで鋭角的な辛さ。参加者全員が「うむむむっ」と唸りつつ爆食。白いご飯にぶっかけてわっしわっしと頂く。汗が吹き出し、口腔内に辛さが暴れまくったけれど、その後の爽やかさに感激。これはここんちしかない味だわ。

June 28, 2011

月のセレナーデ



画像はこの週末に山田町に行っていたこーめい先生のお土産。花巻にもワイナリーがあるんだね。復興支援の一助になればいい。キンキンに冷やして一緒に頂いた小岩井牧場のチーズスティックをおつまみに頂きます。ありがとうございました。

山田町の写真を見せてもらったら、この3ヶ月あまりで復興に向けて確実に動いているのは解るのだけれど、まだまだ道は遠い。彼の地の人たちが、心から寛いて本来の生活に戻るまでには、まだこの先気の遠くなるような労力とお金が必要なんだろう。いしじゅんさんが言っていたように、世界最大級の災害には世界最大級の優しさが必要だ、確実に。

僕らがサポートしていた県立山田病院の仮診療所が、市街地からちょっと離れた山の上の方の町営グラウンドに完成して、来週から診療がはじまるとのこと。震災前から医療過疎だった地域で、被災後に医療の灯火を消さないために現場の人たちは必死に頑張っていた。都会にいる僕らが出来る限りのサポートをするのは当たり前のことだ。そして次のステージに入った。これからは震災直後と違って「立ち位置」が難しい。被災地の人たちの本当に望んでいる「これからの医療サービス」を、現地のスタッフの「邪魔にならないように」継続的に支えるような体制が望ましい。言うは易し行うは難し。

仮設住宅もどんどん建ち上がっているらしい。多くの人々の「生活する場」がごっそり流されて「無」になってしまったわけだから、総論で「リセット」したとしても、各論では様々な問題があるとのこと。ううむそうだろうなあ。個々の人生がかかっている問題だから、文字通り「命がけ」の決断を迫られる。そういう人たちのストレスを思うと心が痛くなる。

瓦礫は、僕の行った時期の画像と比べてみると、確実に減ってはいるものの町にはまだ生活の匂いは全然なく、あのころと基本的に状況は変わっていない。でも、パチンコ屋さんが開業したり、100円ショップが開店したり、洋品店(しまむら)が開店準備をしていたり、郊外のモーテル(ラブホ)は盛業中とのことで・・・、生き残った人たちのヴァイタリティはしっかりと前に向かっているらしい。うれしい。

僕は今後も山田町のサポーターでありたいと思う。たぶん年単位のことになる。差し当たり来月、遅くとも8月にはもう一度、東北を訪れるつもり。

June 27, 2011

嫌ならヤメればいいじゃん、という覚悟について(メモランダム)

今週はスケジュールがぎっしり。昼間のルーティン&サブルーティンがたてこんでいるだけでなく、夜の予定もエクストラで毎晩続く。昨日の夜カレンダーをチェックしていて思わずsigh。でもね、そうなんだ、これではダメだと即反省した。

自分の仕事や立場や役職や役割は基を正せば「すべて自分で決めて始めた事」であって、不可抗力で強要されたり無理矢理していることではないという事なのだ。つまり自分で納得してはじめた事だとすれば、それに付随する忙しさや責任の重さとか非難とかに対して、不平不満を言うのは、まったくスジ違いなのだ。それが嫌ならヤメればいい訳だし、そんなつもりも覚悟もないのであれば「やるしかないだろう」というシンプルなロジック。あらためて考えてみれば、今週なんて忙しいだけで別になんてことないスケジュールで、ちょろい・ちょろい(笑)と。ジムに行けない事とか家での食事ができないこととか睡眠時間がたぶん少ない事とか新しいギターが弾けないこととか・・・今週の不満の種なんて本当に些細な事なんだ。

そんなこんなで第一弾は、埼玉で理事会、全体会議。22時帰宅。軽いぜ(笑)。
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以下、メモランダムとして
いったん投稿して読み直して思った。これは教育論なのだ。子供の頃から減点主義だと「自分にとってネガティブな状況」に対して自己保身的な反応をするようになる。怒られてばかりで育った子供は、何か不都合な事が起こった時に反射的に「言い訳」を言うようになる。こ戦後の教育システムのなかで団塊世代の受けてきた教育はまさに熾烈な競争原理に基づく受験戦争を基盤にしたもので、これはたぶん今50歳代の僕らの世代のちょっと下まで続く。僕らの世代の「言い訳」の上手さは、その教育の裏返しなのだ。今日の経産省「西野審議官」のスキャンダル(といえるのか、こんなチンケな報道を)に対する彼の反応。このみっともない言い訳のしかたが実に典型的。さらにそれを「鬼の首を取ったように」報道する週刊誌の程度の低さ。その雑誌の発行人は僕の幼稚園&小学校の同級生(爆)。あーあ、話がずれるけれど。

その後のプレ団塊ジュニア世代(今40歳代前半から30歳代後半)はバブル破綻前に育った世代で日本の爛熟期に育った。「ま、いいじゃん」の無責任世代。その後は自分の存在がいつも揺らいでいて自信が無い「自分探し」世代、さらには「ゆとり教育」という訳の解らない亡国思想の教育を受けた「茫洋世代」、その下はその反省というか反動の影響を受けた世代。

それぞれの世代の「言い訳の仕方」とか「責任のとり方」とかについて比較検討して考察するのは面白いテーマだ。

June 26, 2011

まーく5号:あやちゃん

6時過ぎに起床して午前中はネット作業やら掃除、テラスの整理、さらには溜め込んだ本の同時進行読書など。FBでボランティアでリサイクルの鉢植えを山田町に送ったといいう岩手日報の記事に出会ったことで、彼の地の現状についてリサーチを始めたら、今日の午後「山田町合同慰霊祭」とのこと。3ヶ月が過ぎやっと一区切り。そういう時期になったということか。しみじみと山田町で出会った人たちに想いを馳せる。山田町に今朝から行っているこーめい先生に早速メールした。

12時に神保町でじょうじ君&星くり君(SSU)と待ち合わせ。いつもの中華で乾杯しキンキンに冷えたビールをぐびりとしてから今日の作戦開始。ライブ用の新しいギターを買うべく物色するのが目的だ。大人なんだからたかがギターを買うのに「つるむ」ことはないんだけど(笑)。まず星くり君のアドヴァイスでHobo'sという小川町のギター屋へ。僕らは神保町は中学生の頃から歩き回っていて結構知っていると思っていたけれど、こんな名店が地下にあったなんて知らなかった。センスのいい逸品ばかりの品揃え。今日は日本のギターSugiやYokoyamaを弾き比べる。Yokoyamaは中古品だけれど新しくきれいなギター。優しく円やかな音。さすがに音鳴りはすばらしく、単音だけでなくストロークのバランス。作りもYokoyamaらしく美しい。このギターは値段が新品のほぼ半額というのも魅力的だった。ただねえ、残念だったのはトップのデザイン(この画像の形)がイマイチ好みじゃないこと。
それにしても、あのクラスの日本のギターの実力はダントツだと思った。喰わず嫌いだったから知らなかったけれど、同じくらいの値段のMartinでは全然及ばないくらいの差があるかも。目からウロコの発見。

その後、Dr.Soundsで2週間前に一目惚れした例のギターをあらためて弾き直す。キラビやかでヴォリュームのある音。小ぶりでライブ用としては取り回しが良さそうで、(あとで知ったけれど)フィンガーピッキング用に開発されたというギター。同時に12年間主にライブに使用したOvation Custom EliteはDr. Soundsにトレードインした。その後はいつものムームーダイナーで今年後半の作戦会議など。新しい彼女は酔っぱらいオヤジたちによって「まーく5号:あやちゃん」(えっ?)と仮命名。その後は「世界の山ちゃん」へ移動して、むふふの手羽先を各自お土産に。いい日曜日。

June 25, 2011

インとアウトを意識しないとシュリンクする

これはネットで書評を読んだり話題の本を見つけた場合には、アマゾンで買う事が多いのだけれど、基本的にはやはり本は本屋さんで選びたい。というか、昔から本屋さんの空気が好きなのだ。本屋さんという「場」に関しては子供の頃の本屋体験も原風景としてあるのだろう。最近では、「本を選ぶ」ということそのものがエンターテインメントになっていて、いろんな新しいパターンの本屋さんがあって楽しい。店のポリシーとセンスの差も大きいけれど。今日の午後は自由が丘のBOOK 1stで2時間。小説2冊、対談集1冊、新書1冊、講演集(講義録)1冊、雑誌Mook 1冊。あーあ、これから読む本がどんどん増えていく。てか、これが僕のパターンだけれど。本を買う気になる時は、わりとポジティブな気分の時。日々の生活が刺激的で様々な体験が糧になる若い頃とちがって、インプットとアウトプットを自ら意識してし続けなければ、どんどん自分がシュリンクする危機感がある。その後はジムに寄りがっつり泳いでから、夜は家族で飯田橋「おけ以」をリピート。むふふふっと、今夜も大満足。

June 24, 2011

今だから笑って言える時代のこと

毎年恒例の医療連携の会@自由が丘。もう14回目になる。改めて時の流れの速さに驚く。

開院当初は文字通り「オープンホスピタル」として病院の待合ロビーで研究会や講演会をして、連携医(アテンディング・ドクター)と語り合い、病院の紹介や連携の組織作りをしたものだ。規模も徐々に大きくなり、近くの中華レストランでやるようになってから、もうかなり経つ。7ー8年か。今でこそ笑い話だけれど、開院当初は医師会からバッシングを受けて、日々気苦労が多かった。それに突然やって来た「正体不明のよそ者」に対する地域の厳しい目。ヘンな噂を立てられたり。当時僕は40歳になったばかりで、自信過剰でコワいもの知らずだったので、院長などというストレスフルな仕事を引き受ける気になったんだろう。ワカゲノイタリともいえるし、まさしく人生における「縁」なのだけれど。

自分たちにできることを真摯に正直に心をこめて診療すること(だってソレしかないじゃないか!)、それを日々継続することにより、少しづつ少しづつ周囲の信頼感を熟成していったのだ。そう、まさに「信頼を熟成」すること。「戦略」というより「そうせざるを得ない状況」だった。数年経ち、僕自身医師会の仕事に関与するようになって、地域の医療を俯瞰的に観られるようになった事も大きいと思う。

日本中の小規模の急性期病院が厳しい医療情勢の中で四苦八苦し、ばたばた倒産や廃院する中で、僕らはチームワークとフットワークだけを武器にして何とかサヴァイヴした。もちろん、病院グループ(TMG)からの支援なくしては成し得なかったことは明らかだ。そして、あっという間に14年。医師としての仕事は現在進行形で過去を振り返って、まだ「総括」する歳ではないけれど、小さいながらも組織をとりまとめる立場としては、あの辛い時期があったから今の自分(と「場」としての病院)があると、常々自戒することにしている。

June 23, 2011

プチ夏休み的研究日午後

研究日。今月は木曜日が5週あるということで、午後からルーティンに行っている施設在宅往診がお休み。ちょっとプチ夏休み感覚だ。午後から有楽町に行き、昼ご飯は交通会館「ひょっとこ」にて和風柚子ラーメン。ここんちの柚子塩味の細麺ラーメンは最近のお気に入り。万世麺店が凋落してしまった昨今、有楽町でラーメンといえばfirst choiceはここんちだ。その後はBICで単焦点レンズのプロテクター(フィルター)と液晶の傷防止のシートなど。

さて・・・実は今日の午後はカメラを持っていて街歩きしながらスナップショットの練習をしようかな?と思っていたのだ。夏休み撮影旅行(仮題)で、ぶらぶらと街を歩きながら、ごく普通の街並や自然な表情の人たちを撮るためには、それなりのテクニックが必要で練習がいるだろうと。ところが街に出てみたら今日は真夏日30度越えで「あぢー」。重いバッグを持って歩いて撮影する気が一気に失せてしまった。つーか、とくに今日は撮影したい対象があるわけではないので、外に出て3秒で「あ、だめだこりゃ」と断念した。根性のない奴だ>自分。

本屋さんに寄ってからいつものようにジムに行きがっつり20本1000m、帰路DEXEE Dinerに寄りキンキンに冷えたロングボードで〆。プチ夏休み。

June 22, 2011

自由が丘PICO

まあ、人生いろいろある。今夜は人生相談@自由が丘PICO

ひな鶏唐揚「とよ田」が臨時休業だったので、セカンドベストだったけれど、シラス&ニンニクのピザ、アンチョビとトマトのピザ、トマトとニンニクのスープパスタなどで満足しつつ。ま、なるようにしかならないわ、結局は。

CMのチカラ




これはズルい(笑)。泣いてまうがな。。。

June 21, 2011

「一定のめど症候群」

毎週火曜日朝の職場の朝礼。開院以来14年間すっと続けている。冒頭にちょっとだけスピーチをすることになっており、そのネタは大体その日の朝の通勤電車で考える事にしている。今日のネタは、朝の産經新聞に出ていた「一定のめど症候群」について。この記事は教育現場で子供達が「いますぐにやるべき事をやらない言い訳」として「一定のめどが立つまで」という言葉を使って困るという教師の言葉から始まる。まあ、これは絶対にウソだと思う。ヤラセではないまでも事実をかなり自己中心的に誇張しているだろう。「今やろうと思ってたのに!」というのが古今東西のこどもの言い訳だ。仮に本当だとしたら、実に子供っぽくない言い訳だと思う。さはさりながら、この記事の本論は日本人の美意識では一番みっともないとされる、例の「引き際が汚い、勘違いバカ男」のことを糾弾したいわけだけれど。

「一定のめど」を設定する事は、有象無象の跋扈する浮き世で流れていくためには「しかたのないこと」なのかもしれない。でも、これは浮き世に生きる僕ら市井の民の話で、「震災後」の国家の一大事に、旧来の古い秩序や権威やシステムも壊して新しい事を始めるためには、スピード感が大切なのだ。そこで「ちょっと待ってね・・・今やってることのめどが立つまでは・・・」は問題外だろう。退場は潔く速やかにというのは常識だろう。試合はエンドレスで続行しているのだ。

 そして、そのパラダイムの大変換に際して「それが出来ない理由」は簡単にいくらでも出す事が出来る。その言い訳としては耳に心地よいのは「今やっている事の一定のめどが立つまで」なのだ。でも大きな過ちや失敗に気付いた時に「もう始めちゃったんだから”一定のめどが立つ”まで・・・」というのは自殺行為だ。まさに今回の震災復興のプロセスの大切な時期に、愚かな男はその言葉をはいた。僕の30年間の医師としての経験から、5月の時点で彼は視野狭窄と思考停止に陥っていて、正常の判断は出来ていないと判断した。側近はどうして動かないんだろう。刺し違えるくらいの覚悟はあってしかるべくなのに、自己保身が大切なんだろうか?それほどのもんでもないでしょう?

 太平洋戦争末期の大本営首脳部がそうだったろうし、最近では原発の問題がまさにそうだろう。小さいながらも組織の長としての自戒の言葉として意識した。あとは時間の問題。

夜は地区医師会の災害時医療支援チームのミーティングの司会進行。今回の震災を経験して真剣なディスカッションが出来たかな。

June 20, 2011

A Song For Japan


世界中のトロンボーン奏者が淡々と奏でる音楽。心の深い所に響いて共鳴する。感涙。

王様の金庫(寓話)2007-9-25再掲載

昔々のある日の午後、王様が一番信頼できる家来達に言った。

「わしは、大切な宝物が一杯ある。我が王国の賢者達よ、その宝物をわしが安心して置いておける金庫を作って欲しい。絶対に開けられない金庫じゃ」

一番賢者アーサーが言った
「恐れながら王様、{絶対に開けられない金庫}というのは矛盾しています。{王様だけが開けられる}という意味ならわかりますが。」

「うむ、その通り。アーサーの言う通りじゃ。わし以外の誰もが開けられない金庫を作って欲しい」

「御意・・・・」

賢者達は考えた。

ある天才数学者は、連続的な解答不能の問いを繰り返す迷路を考え始め
ある天才地質学者は、世界中で一番地質の安定した場所を探して、巨大な穴を掘り始め
ある天文学者は、ブラックホールの向こう側にある場所をスーパーコンピューター使い計算し始め
ある心理学者は、万人の心の奥底にある「欲望」という名の「空洞」を世界で一番深いマリアナ海溝の底まで捜しに行き
ある物理学者は、素子の「ささやき」と我々の宇宙の果てにある「時間のねじれ」の違いを考え始めた
ある医学者は、完璧な金庫を開ける権利のある王様のための不老不死の薬を研究した

そして1週間後の賢者の会議で、議長が言った

「賢者達よ、君たちの結論は出たか?」

賢者全員が大笑いをした。

「議長! 私達の求めているのは{真理}なのです。それが1週間で見つかるわけがありません!」と物理学者と医学者が言った。他の賢者達がうなづいた。

「賢者達よ、それなら、どのくらいの時間が必要なのだ?」

一番賢者のアーサーが代表して議長に答えた。

「私達にもわかりません。しかし賢者は賢者なりのベストを尽くし、年老いた{王様の生きているうち}に解を見つけるべく鋭意努力します。」

議長が言った。

「賢者達よ。汝等のベストを尽くすが良い。王様は待っておられる。」

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で、賢者達は何を見つけ何を思ったんだろう???

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「で、この話の教訓は?」と彼女は言った。
「何にもないさ、だたそれだけの話さ」と僕。
「えっ?そんなことないでしょう?世界中の賢者達が一所懸命考えたんでしょう?」
「そうさ、そうだよ。でも賢者達は解を見けられなかったんだ。」
「じゃあ、王様は{絶対に開けられない金庫}は得られなかったってこと?」
「そうだよ。でも、彼は意外なことにすごく身近に見つけたんだ、{絶対に開けられない金庫の鍵}を」
「そうか、そうなのね。絶対に開けられない金庫は、出来たのね!」

「答えはYESでもありNOでもある。{絶対に開けられない金庫}なんて、初めから世の中に存在しないのさ。でも、王様はそれを判っていて賢者に命令した。そして、彼(王様)はその鍵を見つけたのさ。」

「わからないわ、あなたの寓話は。起承転結の結が見えないわ、私には」

「鍵は開けるためにあるんだ。開けられない金庫は存在したとしたら、その金庫には鍵はないだろ。それ自体自己矛盾なんだ。それは紀元前1600年の殷の時代の象形文字に記されているという。つまり{真理}なわけだ。」

「だとすれば、王様のその問い自体が意味のないことじゃない」

「もちろん、王様はわかっていたさ。その問いの意味のないことに。でも彼の素晴らしさは、その問いかけをすることで、王国のすべての人が幸せになることをわかっていたことなんだ。」

(後略)==============

June 19, 2011

IKEA地獄に溺れつつ「漢文提要」ついに発見!の週末

もー、アナタの忙しいのは判るけれど、自分で約束したんじゃない!地下の整理整頓どうなってるのよっ!と、かみさん。はいはい(笑)。「断・捨・離」ということで、昨年来、時間のある時に自宅リフォームをしているのだけれど、なかなか進まない。少し寒さが緩んだ3月頃にやろうかなーと思っていたけれど311の騒ぎで、それどころでなくなり諦め状態だったのだ。

この週末は地下の廊下に収納スペースと書架と作るべく、IKEAで買い物して準備。テラスに大きな段ボール4箱。バスルームの棚作りの時に新しい電動ドリルやIKEA製工具も揃えたし、何回かの大失敗をレッスンにしてIKEAの「解説書を読み解くコツ」が判ってからは、かなり楽しい作業になった。今日は150cmX150cmのわりと大きめの収納棚(兼、4X4の書架)と、娘たちの収納用の衣類クローゼットの組み立て。IKEAの家具はしっかりしていて完成品の満足度はかなり高いんだけれど、いかんせん部品が重い。組み立ての手順を頭でシミュレーションしながら、えっちらおっちらと部品を地下の廊下に運び、狭い所で独りで組み立てるためには様々な工夫が必要で、今日はちょっとアクロバティックな技も使った(笑)。今日はビールをちびちび飲みつつ休みながら5時間くらいで無事完成。IKEA地獄にハマって、ひーひー言いながら家具を組み立てる悦びを感じた。朝からV8だけで晩ご飯までプチ・ファスティングだったし(はは、マゾかよ!<笑)。

その後は書架の整理。書斎の本棚に入れきれなく段ボールに詰めてあった本300冊を50冊にダウンサイズ。自炊すればほとんどを捨てることができるんだろうけれど、それは今後のお楽しみということで、BOOK OFF行き。結構な額の買い取りに驚く。その後はジムで軽めに500m/サウナ&ジャクージでまったりした。晩ご飯は「かつくら」でがっつりと。
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閑話休題。
書架の整理をしていたら、ずっと捜していた高校時代の漢文の教科書を発見。「漢文提要」。このサブテキストは日比谷高校生にとってバイブルみたいな本。今まで捨てられずに持っていたのだけれど、書架の奥の方に紛れてしまって、ここ10年くらい行方不明だった。しみじみ懐かしい。妹尾勇先生の名講義で僕らは受験の漢文に関してはダントツに試験の点数が取れた。今でも四書五経を空で言えるのは日比谷の卒業生くらいだろう。下の画像は「漢文提要」と何となく意味ありげな(笑)昨年リリースのCD「未来への伝言 Le message au futur」


当時は割と真面目に勉強していたらしく、本文はアンダーラインだらけでぐちゃぐちゃ、余白にメモやら落書きやらでこれも懐かしい記憶。今見直してみるとものスゴく読みづらいし、文章も難解なんだけれど。あの時代には「理解するのが難しい事』=「高尚な学問の理」って思い込んでいた(笑、かわいいもんだ)。文科系から医学部受験に方向転換した時に受験の役に立ったし、その後の医学生時代や研修医時代にも、時々この本を紐解いたのだ。


今年中に「断・捨・離」プロセスをさらに進めよう。地下室の簡易スタジオ作りまで出来れば最高なんだけれど(妄想)。

June 18, 2011

美人に弱いワタクシ

もともと今夜は大学医局同門会&医師会関連の同窓会のダブルブッキングで、気が重かったのだ。あっち立てればこっち立たず(笑)。でも風邪気味ということで(実はそんなに体調は悪くない=絶好調 なのだけれど)、朝から喉が痛く嗄れ声なので、しめしめ(笑)。早々に連絡しスケジュールを調整して夜の予定はキャンセルとした。午後から神保町へ。共栄堂のスマトラカレー。チキンのブラック。黒澤楽器で例のギターをもう一度見に(逢いに)行った。今日対応してくれたのは、初めて会った若い女の子の店員さん(美人!)だった。ギターもそこそこ弾けるし、ミュージシャンの卵っぽいな。やはり美しく、バランスの良いギター。取り回しが楽だしライブ用には最適かも。シダーのトップ、ハカランガのサイドとバック、ネックはマホガニー。その美人ちゃんが一所懸命に説明してくれるのだけれど、ふふふ、おじちゃんは、キミが生まれる前からギター弾いているんだよ(笑)。今日買ってしまってもよかったんだけれど雨が降り始めていたし、来週も来る予定だし、もう少しこのシリーズのギターも弾いてみたくもあり(そんなに急いで買う必要もない、という冷静な判断もあって)今日は帰る事にした。買うとしたらキミから買うからね(スケベオヤジ根性丸出し<w)

さとちゃんの慶應のダンス公演に行っていたかみさんとゆっつんと合流して、夕食は自由が丘、奥沢「イル・ピアット」へ。ここんちは有名な隠れ家イタリアンだけれど、あまりにも仕事場に近すぎてあまり行けない。家族で行ったのはひさしぶり。話好きなシェフとマダムとの会話を楽しみながら、いつも感激するウニのプリン、じゅん菜入りコンソメ・ジュレ(画像①)。ううーーん、美味。アンティパストの盛り合わせ(画像②)もパスタ(2種盛り)も絶品だった。あわわ、昨夜のダイエットの誓いはどうなったの?ま、明日は肉体労働なのでカーボンロードということで・・・と、ムリヤリ納得した。




TVの映画「イーグルアイ」目が離せず。やるじゃん、さすがスピルバーグ。

June 17, 2011

夏に向けてダイエットに燃えるってか

FBでの話題。「先生最近ちょっと太ったんじゃありませんか?」と患者さんやスタッフから言われることがあって、その度に「あれっ、そうかな、ははは」と誤摩化していたんだけれど、実は去年の秋口から2kg増えているのだ。今日もオペ室でスタッフから「最近お腹が出ているんじゃないですか?」と言われて、その通りなので「反論」出来ず(笑)。もうちょっとで大台に乗ってしまうということで、昨年暮からダイエットを開始しているのだ、実は。週3ー4回のジム通いは変わらず、平均すれば750mくらいは毎回泳いでいるからアウトプットは変わらないはずなんだけれど。震災直後にはプールがクローズしていて、ジムのマシンをトライしていたけれど、最近はマシンはパスして泳いでいる。時間がかかっちゃう事(最短でも1時間はジムにかかる)とマシンだと「やりすぎてしまう」事で翌日まで疲労を残してしまうので。

(みっともないので)密かに炭水化物は通常の半分に減らして大台に乗る事は踏みとどまって入るものの、効果はいまいち。若い頃は体重のコントロールは自由自在だったんだけれど。しみじみ。やはり年齢とともに基礎代謝が低くなっている(エネルギー効率が悪い)ということなのかも知れない。食べすぎなんだよな、結局は。でも美味しいもの食べてなんぼの人生。あとは人生の中でバランスの問題だと思う。

ジムの鏡の前でうっとりと自分の身体に見惚れるナルシストおっさんにだけはなるまいと固い決意(・・・いるんだよな、結構)。今までそんなに本気でダイエットなんてしたことないんだ、実は。今回は結構マジでやってみるかなって思った、後学のためにも。

June 16, 2011

レクチャー・往診・無休完泳・炊き込みご飯の研究日


今日往診した施設のフラワーアレンジメント。おもちゃみたいなレンズでも結構撮影できるな。恐るべしi-phoneカメラ。

研究日。朝の回診後に消防署のレクチャー。東日本大震災の被災地医療支援の話とスポーツ医学のトピックスなど、約1時間。救急隊員とうのは身体を鍛えるのがある意味仕事みたいな所があって、フィジカル・トレーニングの「超回復」とか「アクティブレスト」とか「PFCレシオ」の話など興味津々みたいだった。震災ネタについては彼らにとっては切実な問題として捉えている。心優しいプロアスリートたちだ。


一休みしてから、いつもの施設在宅往診。ウルトラスーパーエクセレント医療秘書&ナースを激写!(i-phone with Fisheye attachment Lensで撮影)。帰路、ジムに直行してがらがらのプールで、しっかりと20本1000m休憩なしで完泳。晩ご飯は、新生姜と鶏肉と葱の炊き込みご飯、とろとろ牛肉塩煮込み、とろろ昆布のお吸い物、エクストラで残り物で作った新生姜の浅漬け。

June 15, 2011

スピーチと手術と武道の達人の共通点

人にわかりやすく説明することは容易ではない。複雑な事や抽象的な事であればあるほど難しい。演説や講義や講演の上手い人は、いかにも簡単そうに話をする。人に伝えるためには自分がその何倍も理解して自分の言葉で納得できていないと、うまく伝わらない。アナウンサー的に滑舌よくペラペラと話していても、「あ、この人わかっていないんだな」とか透けて見えることも多いし、そんな場合には「騙されないぞ!」と身構えてしまうこともある。テレビショッピングとかで、あまりにもペラペラとしゃべくりすぎると逆に売れないというのもわかる気がする。逆に訥々と話しているんだけれどすごくシンプルな言葉であっても、わかりやすい説明が出来る人もいる。ジョブスじゃないけれど、上手い人は皆人知れず努力して準備して練習しているのだ。先日ある人のレクチャーを聞いていてしみじみ思った。不思議なもので人というのは「本当に言いたいこと」は何回もくどくどと話してしまうものなのだ。自分が伝えたい事ばかり話をしていちゃダメだ。人のフリして我がフリ直そうって話なんだけれど。複雑で難しいことをやさしい言葉で話せるようになりたい。スピーチ文化のある欧米ではみんな本当に上手にスピーチをするんだけれど、これは個人の資質だけでなく子供の事からの経験なんだと思う。いいスピーチを多く聞けば自分の上手くなるだろうし、いいオーディエンスにもなる。

そうだ、難しい事をいとも簡単そうにできるのは技(テクニック)なのだ。たとえば手術が上手いと言われるような人の手術をみていると、いつも窮地に陥る事もなく淡々と簡単そうに手術をやっていることが多い。あたかもその名人は、「いつもイージー」なケースばかり当たるかのように見えるのだけれど、そこが違うのだ。これこそ達人の技(テクニック)ということで。武道の達人がいつも「勝てる相手としか闘わない」というのにちょっと似ている(似ていないか)。

June 14, 2011

1973年夏、そして2011年の恩返し

1973年の夏、高校2年生の夏にイギリスのケンブリッジに短期留学をした。当時高校生の海外短期留学をすることはまだ珍しいことだった。1ポンド800円の時代だ。何でそんな夢のようなことが実現したのか?については、今でも僕らの間では謎で、一言で言えば「勢い」でしかないと思う。さーちゃんが昨年シェフィールドに短期留学した時にスゴく憶い出したけれど、イギリスでの様々な出来事については16歳の感性には響きまくったと思う。僕にとっては16歳の夏に海外の生活を体験した事が、その後の人生にすごく影響を与えたと思う。イギリス1973年夏のことについては今までいろいろと書き散らかしているので、そろそろどこかに纏めておかないといけないんだけれど、それそれとして。

ご縁があって2008年に35年ぶりに再会したIさんに再び再会した(この劇的な再会についてはこれとかこれ)。そのIさんと今日再びお会いした。
若い頃お世話になった方に、プロとして恩返しをすることが出来る幸せを神様に感謝した。

June 13, 2011

朝の予感的中&一目惚れの話

バタバタと忙しかった一日。朝5時過ぎに起床した時に「今日は忙しくなりそう!」的な予感があったのだ。大体、その朝の予感は当たる。以前、このブログでも書いた事があるけれど、実はこの朝の感覚って子供の頃からあった。この予感はほとんど外すことがなかったので、逆に誰にも言えなかった(笑)。今日も予感通り、緊急入院などで超多忙☆。

昨日のギターについてブログだけでなくFBで呟いたら、コメントや「いいね!」多数。確かに一目惚れ感覚だったのが、さらに確信に変わった(爆)。次に訪れた時に僕をを待っていてくれたなら、これは「ご縁」でしょう。恋に落ちるプロセスっていうのは、まさにこれだ。ふとしたことで出会い、相手との未来に「運命」を感じ、その感動でさらに心がフォーカスしていき・・・恋に落ちる、というか。オッサンが今書くのはスゴく気恥ずかしいんだけれど(爆)、そういう「プロセスに酔う」のが恋の特徴だと思う。

June 12, 2011

まったり日曜日@神保町


まったり日曜日。6時すぎに一旦起床したものの、二度寝の誘惑に負けてソファでうつらうつら。このぐだぐだ感が休日の醍醐味・・・。こんな「ささやかな幸せ」で十分満足だと思う。今かけている生命保険の見直し期限のことや、亡父の残した負の遺産の清算処理とか、相続関係などでも法的な処理もしなければならず、このところ自分の人生についてつらつらと考えていた。人生というものは極私的な個人的体験であるけれども、人との関係や社会との繋がりあって初めて成り立つものなのだなあと、しみじみ&つくづく思う。喩えば、自転車に乗って進んでいるのはたしかに「自分」で、その体験を体感する主体ということだ。進む道路の状況やその場所の環境で、最高に気持ちよくすいすいと進む時もあれば、突然吹く風でよろめく事もあるだろう。危険な雨の日もある。道々で出会う様々な人たち。僕らはそれぞれの個人的体験に影響を与える「条件」に影響を受けながら右往左往しながら、日々生きていることになる。

僕もお金がたくさんあったほうが(ないよりは)もちろんいいと思うし、日常のいろいろなモノを好き勝手に買うことができれば「多分楽しい」だろうな、と思う。でもたぶん、自分の買いたいもの、欲しいものというのは、ちょっとしたエクストラのお金で十分達成できてしまい、それ以上の「大きな買い物」については、あまり興味がない、ということに気がついてしまった。僕はもうフェラーリは欲しくないし、バカみたいに広い家も欲しくはないし、モナコやニースで長期間のバカンスを過ごす事もない。海の見える場所に豪華な別荘を所有するのもいいけれど、年に何回行けるかリアルに想像すると、それが仮に実現しても、たいした意味がない(勿体ないだけ)ということになる。今後もバカみたいに高いレストランで希有なワインを飲みたいとは思わないし、アラブの王族の所有するような(笑)大型クルーザーも欲しくはない。今の年齢と立場になってみると、僕にとって「何が何でも手に入れたいもの」というものはそれほど多くなく、これらの「バブリーな夢」こそ「はかないもの」で、僕という主体にとっては「なくても全然困らないもの」ということになっている。もちろんこれらのモノゴトを「否定」するわけではない。僕にとって、ということだ。それらを今本当にエンジョイできている人たちは、若い頃から今までの結果として、「それ」を得ているのだから。

もうこの歳になって今更フェラーリを手に入れたとしても、技術が伴っていない運転は楽じゃないし車を維持するのも大変だ(笑)。素晴らしいクルーザーを手に入れたとしても今さら自分で操船できるわけでもなく、所有したら新たな心配や苦労が増えるだけみたいな気がする。つまりはっきり言って、僕にとってそれらは「豚に真珠」ということで、それは自分が一番良くわかっているわけだ。若く未熟な20代30代のような無節操でギラギラした欲望は全然なくなって、かなり淡白になっていることを実感する。どんなにお金を稼いでも死ぬときは持っていけないわけだし、人生の黄昏時にいるご高齢の「金持ち」といわれる人たちの日常と接していると諸行無常を感じざる得ないのだ。さまざまな煩悩や欲望や物欲からはまだ完全に解脱してないとしても、どれも大それたものはなく、ささやかなものばかりなのだ(笑)。この歳になって「身の程」を知ったということかもしれないけれど。

昼からハックルメンバーと「江南居」にてランチ打ち合わせ。美味しいし、コストパフォーマンスの高い。その後は駿河台の楽器屋を冷やかしていたら、Morrisのキュートな美女(画像)と出会ってしまい、ぐらっと。こういう物欲はまた旺盛(笑)。さらっと買えてしまえるプライスなだけに「スン止め」(だって有り難みがないではないか!ww)した。Muu Muu Dinerで、ビア&シガーでまったりゆったり日曜日の午後。画像は今日のベストショット@ムームー・ダイナー。ハワイ島のコナのカフェのまったりオヤジの昼下がりって図(笑)。僕の鼻には「ブリーズライト」がついてます(特殊効果ではない/w)

June 11, 2011

餃子の店「おけ以」@飯田橋

ジャルジャル(昨年、彼らの主演した映画の医学監修をやった)が昨夜の深夜番組で、浅草のラーメン特集をやっていて、「あづま」みたいなB級中華の名店がむしょうに恋しかったからかもしれない。今日の午後、ジムでがっつり泳いで帰ってきたら・・・ごく自然に「行く?」→「行こう!行こう!」ということになり、久しぶりに飯田橋の餃子の店「おけ以」へ。神保町の裏道にあった時代から僕達は「おけ以」のファンで、創業オーナーのおけいさん(当時すでに70代だったろう)が、割烹着を着てしゃんとした姿でレジを仕切っている時代を知っている。満州から引き揚げてきたおけいさんが、女手一つで本場の味をひたすら追求してあの店を構えていったのは有名な話だった。あの頃からここんちの餃子はダントツに最高だった。若い頃の食欲全盛時には4皿くらいぺろりと食べたもんだ(笑)。でも、社会に出て海外生活をしたり帰国後は横浜に住んだこともあり、おけいさんが引退して次の代(息子さん?)になり神保町から飯田橋に移ってからは、なかなか行く機会がなかった。今日は本当に久しぶり(たぶん10年ぶりくらい)の再訪。土曜日の夜は車が空いていれば30分かからずに到着できる!といううれしい発見その①。さらに駐車場も近くにあり便利、その②。もちろんお目当ての餃子は、モッチリした皮厚、野菜多めのジューシーな餡、ぱりっぱりの絶妙の焼き。やっぱりここんちの餃子が一番好きかも、ということで・・・その③。さらにデフォルトのもやしたっぷりのタンメン、麺醤油味の太麺の炒麺、卵炒飯、五目そばなど。どれもこれも「んめー♡」と懐かしく美味しくいただく。やっぱりB級中華LOVE。大満足の晩ご飯だった。今後わりとヘビーローテーションで通っちゃうかも。

We're surely on the way. Otherwise whatever.

震災後3ヶ月が過ぎた。助け合いジャパンのFBから知ったサイト。
Mail Onlineより引用
The heart-breaking images of families desperately searching for loved ones amid the rubble of their homes sent shockwaves around the world. Now, three months on, these images show the Japanese people remain undaunted by the havoc nature has wreaked on their homeland as step by step they rebuild their nation.

そうそう、まだまだ問題は山積しているし、本格的な復興はなかなか進まない。原発の事故処理と放射線漏洩問題も深刻だ。でもこの3ヶ月間、市井の日本人は、真面目に、したたかに、着実に、しっかりと前を向いて進んでいるというのがわかる写真。

We are surely on the way. Otherwise whatever. 力が湧いてくる画像だ。世界中の支援をしてくれている人たちに見せてあげたい。

June 10, 2011

ダイハツ・クーザ シルク・ド・ソレイユ

アップフロントのにしじまさんにチケットを手配して頂き、「ダイハツ・クーザ シルク・ド・ソレイユ」にかみさんとゆっつんと行ってきた。開演30分前に会場に入る。入り口前に「タッチは軽く!」って張り紙があって、何の事やらわからないまま入場。かみさんと「きっとサーカスに出る動物とかに触れるのかもね」と入場したら、かわいい女の子達がハイタッチ(high five)してる。あれれ、誰なのかなあ・・・?と首をかしげつつ(笑)。今日はアップフロント貸し切り公演ということで・・・あっ、そっかー彼らが本物の「モー娘」なのねって後で気がついた。街で出会っても絶対にわからないだろう(笑)。

会場は懐かしいサーカス会場の雰囲気とハイテクを駆使したステージ機材。開演前からお約束のクラウン達が会場を盛り上げてくれる。どれもこれも素晴らしい肉体技。感嘆と驚愕、さらには感動。ステージそのものが美しいし、ドラマ性もあるし、客を飽きさせない演出はさすが。わああ!とかひょえー!とか思わず声が出てしまう演目はどれもスゴかったけれど、僕はWheel of Deathが一番すごかったな。中国雑技団の技多数。3時間があっという間で、最初から最後まで童心に帰って楽しんだ。いい席だったし、大満足のステージだった。

エンディングの後は、モー娘のミニライブ。ファンたちは「男の子」という年齢は遥かに越えた(はっきり言えば)おたっきーな人たちが多い。30代、いやいや40代もちらほら居たな。彼らが決まったフリで踊りながら声援を送るのだ。ファン以外の僕ら観客は唖然というか呆然とその変貌ぶりを眺める図(爆)。モー娘の8人のうち、一人がダントツに美しかったな、スタイルも良かったし。うはははっ、そんなこんなで、こんな機会でもなければモー娘のライブも観ることもないだろうから、これもいい経験だった。

かみさん、ゆっつんと大満足で公園通りを下り、久しぶりにセルリアンタワーのイタリアンOliへ。僕はオマール海老のトマトパスタ、かみさんは蛤とドライトマトのパスタ、ゆっつんはトマトとバジルのパスタなど。ドルチェも美味しかった。いいもの観たし美味しいもの食べた、豊かなインプットのできた最高の夜。

ピンからキリまで

「ピンからキリまで」の意味を全く逆に理解していたことを、今さっき知った。

僕は「ピン」が「最低のもの」で、「キリ」が「キリがないくらい上」の意味で「最高のもの」って思い込んでいたのだ。
でも正しくは逆で、以下部分引用:

・・・ピンは数の始めで、最高を意味する。ポルトガル語の「ピンタ」(点を意味する言葉でトランプカードの1)が語源で、サイコロを使った博打(ばくち)で、1つ目が出た時に「ピン」と言ったのから普及したと言われている。

キリは最低を表す言葉、これもポルトガル語の「クルス」(十字架)が語源で、十字架が「十」の数に変わり、限りがある事から「キリ」になった。

他にも、花札で1月をピン、12月をキリ(桐)としたところから来たと言う説もあるが、いずれにせよ、「ピン」や「キリ」といった言葉自体には大して意味は無いらしい。
ーーーーーーーーーだって。へえーーーーえ!

ちなみに「ピン芸人」という言葉も誤解していて、「どん底に売れていない芸人」の意味だと思い込んでいたけれど、「(グループやコンビを組まずに)一人でやっている芸人」のことを「ピン芸人」というんだね。コラアゲンはいごうまん、完全に誤解して理解してました!ゴメンゴメン、すまんすまん(笑)。

あれれ、松竹梅ももしかしたら逆なのかな?・・・不安になってきたぞ。

June 9, 2011

「アジャストメント」な夕方


研究日。昨夜は東京ルール当番日で当直。外来診察室の診療ベッドの上で3時間くらい仮眠しただけなので、一日中体中が痛かった。ま、でも眠れただけでもヨシとしよう。当直明けはフィジカルにはもちろん疲労感があるけれどメンタルにはハイテンションなことが多い。50歳過ぎてからは若い頃と違って、この徹夜明けハイテンションが持続しない(笑)。

午後からは施設在宅。ウルトラ・スーパー・エクセレント医療秘書&ナースのあいちゃんとしょうこちゃんに助けてもらい(というか、彼らの言われる通りの段取りで動いただけ)スムーズに診察。そろそろ納涼ビールパーティを計画しよう!ということになった。

当直明けで疲れていたけれど、研究日夕方のお楽しみルーティンで南町田の109シネマへ。今日は「アジャストメント」(原題は The Adjustment Bureau)。ボーンのマット・デーモンだしネットで観た予告編の作りがもろにアクション系だったので、「(訳のわからない強大な組織的な)陰謀 vs 独り闘うマット・デーモン(役者)」というパターン(制作者側から言えば成功体験)だと思い込んでいたのだが、全然違った。これ、かなり真剣勝負のラブストーリー。そっち方面は(笑)全然期待していなかったけれど、そこそこ楽しめる展開で☆☆1/2。出した入場料分は楽しませてもらった感じ。

原題のThe Adjustment Bureau は「公的機関」のニュアンス。あえて訳せば「運命調整公社」。世界の時空と人の運命を自在に操作・調節し、世の中の調和とバランスを監視する組織。つまり「神様」のシステム。フィクションの世界では目新しいものではないけれど、この映画ではそのシステムが全知全能のスーパーマンじゃなくて、妙に生々しくて人間臭いおっさん達なのだ。ストーリーは欧米的な運命論。旧来の因果律的な価値観とか人生観とかベースにあるんだけれど、映画の脚本に落とし込む段階で、あまり真剣に考えていないんじゃないか?と思わせるような「ツッコミどころ」は満載。ネタバレするので書かないけれど、あのエンディングでは映画的に「どんでん返しになってない」よなあ・・・。ちなみに、原作はフィリップK.ディックというアメリカの作家のペイパーバックスの短編("AdjustmentTeam"、読んでないけれどこの展開のテンポは「いかにも」な感じ)。蛇足ながら、この作家は、あのハリソン・フォードの「ブレードランナー」の原作者らしい。へーー。とまれ、この映画はマット・デーモンの役者としての魅力で、最後まで押し切っている感じ。苦労人でたたき上げの民主党下院議員(でもあり上院議員候補)の役は、マッチョで素朴そうな彼にはぴったりだろう。相手役はエミリー・ブラント。美しい女優で、有名な映画によく出ている人なんだけれど、僕的にはごくふつーのアメリカ人のねーちゃんという感じ。もっと色気のある話にすればよかったのに中途半端にハードボイルドにするもんだから欲求不満感を感じるのかも。つーか、このプロットだったらコテコテのラブ・コメディーがぴったりじゃん。あ、でもそれじゃ当たり前すぎて面白くないか(笑)

June 8, 2011

ニューヨークの街並

Mindrelic - Manhattan in motion from Mindrelic on Vimeo.


この映像を観ていたら、あのNYの街のエネルギーがすごく懐かしくなって、久しぶりに行きたくなった。でも時間がないなあ・・・。どうせ行くなら最低でも2週間くらいぶらぶらと行きたいって、まあ贅沢な希望なんだけれど。

June 7, 2011

「反物質」という物質:メモランダム

「反物質を閉じ込めることに成功した」

以下一部引用====
理化学研究所(理研)は6月6日、欧州原子核研究所(CERN)の反陽子減速器(AD)を使って、反陽子(陽子の反粒子)と陽電子が水素様に結合した原子で、物理学の基本的対称性を高精度で検証するために適した系として注目されている極低温の「反水素原子」を生成し、磁気瓶に1,000秒以上閉じ込めることに成功したことを発表した。(中略)

反水素原子は、陽子の反粒子である反陽子と電子の反粒子である陽電子が結合したもので、反物質世界の代表格である。(中略)反物質の世界が人が住む宇宙とどのように違うか、あるいは同じかを、これまでにない精度で明らかにすることができるとされている。人の住むこの宇宙がなぜ物質だけでできているのかについての情報も提供すると期待されている。(後略)
ーーーーーーーーーーー
物理学を究めると、たぶんほとんと哲学的な問いになってしまう。
必死に勉強したとしても(していたとしても)、僕にはたぶん(絶対に)理解できない領域の学問。
すごい。ただただ、スゴい。

こんなのもある。物理学者と読む「天使と悪魔」

海外からの援助:メモランダム



東日本大震災に対する海外からの援助(外務省)。

June 6, 2011

妄想計画続行中

このブログでも再三書いているけれど、ここ2年くらい切実に断・捨・離して家の中をすっきりしたいと思っている。でもいつも、きっぱりさっぱりとまでいかなくて、「中途半端な整理整頓」なんだよなあ。遅々として進んでいない。昨日の休日一日、ココをこうしてアソコをああして・・・と家中いろいろと変える計画妄想。わりとこういう妄想は好きでいくらでもできる(笑)。まあ、当たり前だけけれどお金と時間をかければいくらでも変えることはできるんだろうけれど、それでは面白くないもんね。今年の夏休みに大々的にやっちまうかな。さらに今夜は空想&妄想中。ふふふ/

June 5, 2011

何事も形から入る人

午前中はネットと本で写真の勉強。写真の基礎の基礎。へーーとかほーーとか呟きながら勉強。ああ、学ぶ事って楽しい。乾いた砂地に慈雨がしみ込むように頭に知識が入っていくようだ・・・というのはウソでというか言葉のアヤで、四苦八苦しながら読み進む。理解する力はたぶんあまり変わらないんだろうけれど、若い頃とは新しいタームの記憶とかがダメだなあ。ま、でもこの「知りたい」という知的好奇心を持ち続けることは「不断の努力」しかないだろう。それにしてもデジカメになってからの写真の技術の進歩というのはスゴい。基礎の基礎だけ会得したら、あとはカメラの力で徹底的に楽をして(笑)撮影したいのだ。街場の写真を撮りたい。何事も形から入る人>自分(笑)

午後から買い物とジム。がらがらのプールで20本1000m軽く流す。夜は家族で浅草「龍圓」へ。渋滞なくすいすいと30分で移動できラッキー&今日も大満足。

神々しい風景

同じ作者の作品。これも素晴らしい。この美しさの前には言葉を失う。

The Mountain from TSO Photography on Vimeo.

美しい光

The Arctic Light from TSO Photography on Vimeo.



Facebookで教えてもらった映像。美し過ぎる!

June 4, 2011

陸上自衛隊 軽装甲機動車LAV



Youtubeで見つけた「陸上自衛隊 軽装甲機動車」の画像。先日の被災地医療支援プロジェクトで釜石の市街で遭遇したけれど、本当にかっこ良かった!欲しいなあ、実物(笑)

被災地支援任務も、緊急出動から継続支援のフェーズに入り、全国から派遣されていた自衛隊員の方々のエンドレスともいえるような過酷な任務も、国防という彼らの本来業務に落ち着きつつあるらしい。本当にご苦労様だと思う。僕が現地で見聞きした隊員の方々の奮闘ぶりには本当に頭が下がる想いだ。今回の大震災の経験を通して日本国民は皆、自衛隊の方々に深く感謝しその大切さに改めて気がついたと思う。

国のため、国民のために、自分の命を賭けて任務を遂行する組織というのは「軍隊」しかあり得ないのだ。警察も消防も、もちろん行政機関も僕ら医療チームも、自衛隊がいなければ一寸先にも進めなかった、というのは厳然たる事実。

空虚な「反戦」を嘯く社民党とか日教組などの「へなちょこ左翼」の反論の余地はないだろう。

June 3, 2011

「生の気」が感じられない人に国は任せられない


だめだ、マズい。今日のテレビで観るあの人は、ひらひらと視線が泳いでいるし、声の張りもなく、「生の気」が全然感じられない。僕の30年間の医師としての経験からいえば、かなりの確率で視野狭窄と思考停止に陥っている。話している内容が支離滅裂だ。この難局に耐えられる「人器」ではないことは周囲だけでなく、本人が一番知っているはずだ。今、そんな状態の彼に我が国のトップとしての大切な決定をさせてはいけない。誰かがタオルを投げ入れるかドクターストップしてあげるのが一番いいのだ。首相周囲にそれなりの経験のあるドクターは居る筈なのに、きっと聞く耳をもたないのだろう。側近とか周辺の人たち(先日会った人たち)は極めて優秀で感性の秀でた人たちなのに、何を考えているんだ?

政治的空白は被災地の復興を遅らせるという観点から、今回の不信任案否決はたしかに避けるべきではあったけれど、この危機的な国難に際して舵を取る人が病んでいては長い禍根を残す。やはりここはスクラップ&ビルドしかなかっただろう。倒閣を試みた連中も本当にお粗末だった。倒閣のあとのヴィジョンを示す事さえしなかった(できなかった)。特に今回の騒動ではハトヤマさんは詰めが甘いといわれても仕方ない。男を(さらに)下げてしまった。

June 2, 2011

救急車・吉華・往診・ジム・シェ松尾、そしてポロシャツ


研究日。ご紹介頂いたSさんの母上を大学病院に転院することになり救急車に同乗。Sさんは初めてお会いしたのだけれど、なんだか初めてという感じがしない。働く女性の星として有名な方であることは知っていたけれど、勝手に10歳くらいお若いと思っていた。ところが、お話をしていたら僕とほぼ同年代で高校時代には「たむたむたいむ」を聴いていらした、とのこと。救急車の中でのけぞった(笑)。

昼ご飯は久しぶりに上野毛「吉華」。ザーサイ・タケノコ・豚肉の細切りそば。美味しかった。いつもの施設在宅に行ってからジムへ移動し20本1000m。今日のプールはわりと空いていて気持ちよく伸びた。一旦家に帰って着替えてから、医師会関連の食事会@シェ松尾。有名なフレンチで、もちろん十分美味しかったけれど・・・驚きがないというか、普通過ぎて感激がないのが残念。きっと高いんだろうけど(笑)、まず自腹じゃ行かない店。医局の先輩と隣同士の席で懐かしい話で盛り上がった。

閑話休題

オッサンのポロシャツ。今年はネットでA&Fをまとめ買いした。ちょっと前までは襟を立てるのはダサイ(オヤジ臭い)とされていたけれど、最近会うオシャレなオッサン達は皆襟を立てている。僕も最近その影響を受けて襟立てしてる(笑)。さすがにズボンには入れないし(爆)。

June 1, 2011

「愛の」遊び

たぶんこの遊びを始めたのは、浪人時代。35年前の話だ(爆)。

18歳の僕は完全に文科系、第一志望の国立H大学(亡くなったオヤジの母校)には玉砕して(当たり前だ、高校時代は受験勉強なんて無縁で、ギターと歌とサッカーとナンパしかやってなかった)、英語と数学だけは出来たので奇跡的にK義塾大学には受かって学籍はあったものの、入学する気は全然なくオヤジに頼みこんで浪人させてもらう事にした。

当時の僕は、生意気で自信過剰でシニカルで、頭でっかちな男の子だった(あああっ、今憶い出しても、すべてにハズカシい!)。お茶の水にあるS台予備校で浪人生活が始まって、すぐにクラスメートのMちゃんと付き合いだした。当時の美少女の典型である長いストレートの髪の、スタイルのいい活発な女の子だった。彼女はいつも白い(スゴくセンスのいい)Tシャツと洗いざらしのジーンズ姿。今でこそ「普通」だけれど、当時はきれいな洗いざらしのシーンズを自作すること自体が大仕事だったのだ。スタイルがよくて、白いTシャツの下に揺れる彼女の健康的な胸の膨らみにドキドキした。原宿MILKの服を着ているような、ちゃらちゃらヒラヒラした、それまで付き合っていたようなふわふわした「女の子」とは違った彼女の「クールなオトナの価値観」が新鮮で、僕はすぐに彼女を好きになって、5月初めには僕らは付き合い出した。

Mちゃんは、、S台予備校の実力試験でも模擬試験でもダントツの成績だったし、「すべて」において僕より優れていて、読んでいる本も聴いている音楽も周囲に居る大人達(大学生たち)も、僕には別世界のことだった。そして、彼女の姉さんはT大の教養学部のマドンナとして有名な美人だった。今考えてみると、彼女も偉大なお姉さんに対して劣等感があったのかもしれないけれど。

僕らはそんな全然釣り合わないカップルだったにも拘らず、なぜか6月下旬までは仲良く、毎日予備校の放課後に原宿の渋谷図書館に一緒に通っていたのだ。で、僕は6月24日に彼女に「突然フラレる」ことになる(ここでは長くなるので、詳細略)。
その後2週間して、僕は医者の道を目指す事になった。つまり僕は彼女と出会わなければ、医者になっていなかった。今Mちゃんが、どこで何をやっているのかは知らないし、今後も知りたいとは思わないけれど。
さはさりながら・・・。

その当時からオトナの彼女と話していた頃に、二人でよく遊んだのが「愛の」遊び。いろんなモノゴト、出来事、組織、会社、政党、大人達、宗教、学校・・・・思いつく限りのものに「愛の」をつけるのだ。高田馬場や原宿や代々木の喫茶店で。、18歳の僕らは、その噓くささに大爆笑した。

愛の、高校
愛の共産党
愛の創価学会
愛の立食いそば
愛のアオキイサオ(当時のヒーローだった)
愛の自由民主党

愛の・・・・

自分の立ち位置を確認する上でも、この遊びは有効かもしれない。つまり「愛の」という言葉を付けるだけでその本体の「嘘くささ」が透けて見えるのだ。さらに言葉を逆にすると面白い。

自民党の愛・・・・えっ???
カンナオトの愛・・・へっ?

つまり、そういうこと。真実が透けて見える遊びだ。
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