助けあいジャパン

June 12, 2011

まったり日曜日@神保町


まったり日曜日。6時すぎに一旦起床したものの、二度寝の誘惑に負けてソファでうつらうつら。このぐだぐだ感が休日の醍醐味・・・。こんな「ささやかな幸せ」で十分満足だと思う。今かけている生命保険の見直し期限のことや、亡父の残した負の遺産の清算処理とか、相続関係などでも法的な処理もしなければならず、このところ自分の人生についてつらつらと考えていた。人生というものは極私的な個人的体験であるけれども、人との関係や社会との繋がりあって初めて成り立つものなのだなあと、しみじみ&つくづく思う。喩えば、自転車に乗って進んでいるのはたしかに「自分」で、その体験を体感する主体ということだ。進む道路の状況やその場所の環境で、最高に気持ちよくすいすいと進む時もあれば、突然吹く風でよろめく事もあるだろう。危険な雨の日もある。道々で出会う様々な人たち。僕らはそれぞれの個人的体験に影響を与える「条件」に影響を受けながら右往左往しながら、日々生きていることになる。

僕もお金がたくさんあったほうが(ないよりは)もちろんいいと思うし、日常のいろいろなモノを好き勝手に買うことができれば「多分楽しい」だろうな、と思う。でもたぶん、自分の買いたいもの、欲しいものというのは、ちょっとしたエクストラのお金で十分達成できてしまい、それ以上の「大きな買い物」については、あまり興味がない、ということに気がついてしまった。僕はもうフェラーリは欲しくないし、バカみたいに広い家も欲しくはないし、モナコやニースで長期間のバカンスを過ごす事もない。海の見える場所に豪華な別荘を所有するのもいいけれど、年に何回行けるかリアルに想像すると、それが仮に実現しても、たいした意味がない(勿体ないだけ)ということになる。今後もバカみたいに高いレストランで希有なワインを飲みたいとは思わないし、アラブの王族の所有するような(笑)大型クルーザーも欲しくはない。今の年齢と立場になってみると、僕にとって「何が何でも手に入れたいもの」というものはそれほど多くなく、これらの「バブリーな夢」こそ「はかないもの」で、僕という主体にとっては「なくても全然困らないもの」ということになっている。もちろんこれらのモノゴトを「否定」するわけではない。僕にとって、ということだ。それらを今本当にエンジョイできている人たちは、若い頃から今までの結果として、「それ」を得ているのだから。

もうこの歳になって今更フェラーリを手に入れたとしても、技術が伴っていない運転は楽じゃないし車を維持するのも大変だ(笑)。素晴らしいクルーザーを手に入れたとしても今さら自分で操船できるわけでもなく、所有したら新たな心配や苦労が増えるだけみたいな気がする。つまりはっきり言って、僕にとってそれらは「豚に真珠」ということで、それは自分が一番良くわかっているわけだ。若く未熟な20代30代のような無節操でギラギラした欲望は全然なくなって、かなり淡白になっていることを実感する。どんなにお金を稼いでも死ぬときは持っていけないわけだし、人生の黄昏時にいるご高齢の「金持ち」といわれる人たちの日常と接していると諸行無常を感じざる得ないのだ。さまざまな煩悩や欲望や物欲からはまだ完全に解脱してないとしても、どれも大それたものはなく、ささやかなものばかりなのだ(笑)。この歳になって「身の程」を知ったということかもしれないけれど。

昼からハックルメンバーと「江南居」にてランチ打ち合わせ。美味しいし、コストパフォーマンスの高い。その後は駿河台の楽器屋を冷やかしていたら、Morrisのキュートな美女(画像)と出会ってしまい、ぐらっと。こういう物欲はまた旺盛(笑)。さらっと買えてしまえるプライスなだけに「スン止め」(だって有り難みがないではないか!ww)した。Muu Muu Dinerで、ビア&シガーでまったりゆったり日曜日の午後。画像は今日のベストショット@ムームー・ダイナー。ハワイ島のコナのカフェのまったりオヤジの昼下がりって図(笑)。僕の鼻には「ブリーズライト」がついてます(特殊効果ではない/w)
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