助けあいジャパン

May 20, 2012

昔は病院の公衆電話で皆泣いていた

1970年代。男の子が女の子の声を聞くために(それだけのために!)真冬の夜の公園の電話ボックス(!)に向かって走ってたわけですね(笑)。なんという牧歌的な時代。この2006年の僕らの「携帯電話のなかった時代(ころ)」という曲の発想そのものがすでに、セピア色の思い出をエンハンスしてあってねえ。でもこの時代の価値観とか立ち位置、生き方みたいなものは僕らの世代の「根っこ」に在ると思う。

この件については別項にて軽めに。

さて今日書き始めたのは、コミュニケーションの観点からの入院生活について

入院生活を余儀なくされている患者にとって、外部とのコミュニケーション(簡単にいえは「繋がっている感覚」がどれほどは救いになっているのか?について、僕も自分が当事者にならなければこれほど痛切に感じることはなかったと思う。

ほんのちょっと前の話なんだけれど。昔の入院生活とはまったく違う。夢みたいな話だ。

病院内の公衆電話(!)がふつう、だったのだ。あの辛く長い夜を、どれだけの人達の涙がああったんだろうか。あの薄暗く暗く寂しい空間・底の見えない不安感に押しつぶられそそうな絶望感、寂しさ、悲しさ、後悔。。。それを思うだけで胸が張り裂けそうになる。

大切な人ひとことひとことを五感で噛み締める、そんなコミュニケーションの濃度、密度

昔は良かったって話ではない。全くの逆。
本当に素晴らしい。こういうのを本当にテクノロジー恩恵というんだろうな。

そう、だれとでもいつでも繋がれる(可能性がある)ということ、どれだけ救われるのか医療関係者はもっと認識するべき。反省自戒をこめて。

ちょっと閃いた、いい考えあるんだけどなあ。。。
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