助けあいジャパン

January 24, 2013

唯一のお見合い体験

実は今まで唯一、お見合いをした(させられた)ことがある。

確か1983年。福岡で学会があり、週末で終了するのを聞きつけた親父に頼まれ事をしたのだ。僕にとっての初めての大きな学会出張だった。親父からは福岡のAさんの所にお届け物があるので、持って行って欲しいという電話だった。学会場にAさんからお迎えを出すので、その車に乗って福岡近郊にあるお宅に向かって欲しいとのこと。さっそく夜、お宅へ伺うことになった。

Aさんは外科医。福岡郊外で大きな病院を経営しておられた。ウチの親父と当時の中学校の同級生。あの時代の外地での日本人の同窓意識はすごく緊密なのだ。九州柳川の下級武士の出だった親同士が、一旗揚げるべく一所懸命に頑張ったんだろう。そして終戦。すべてを失って復員するのだが、その後の生き方がみんな逞しい。ウチの親父は銀行員、Aさんは医師として、戦後も激動の時代を生き抜いて、病院を大きく発展させていったという。

お迎えの車から降り、ご挨拶してから大きな大広間に通された。ご一家がみんな満面の笑みで「よく来てくれた」と歓待の宴が始まった。豪華絢爛な大皿には、これでもか!と新鮮なふぐ料理。僕は今に至るまで、自宅でこんなに立派なふぐ料理を食べたことがない。ホストのご夫婦、当時大学生だった娘さん、中学生の娘さん、小学生の息子さんのほか、ご主人のお母様がいらっしゃったと思う。大勢で和気あいあいの雰囲気のホームパーティーになった。

さて食事が終わり宴たけなわ。それでは、と見せていただいたのが、お嬢様のいわゆる「釣書」だった。僕は実はこの時までこの会食が「お見合い」であることは知らなかったので、かなりビックリしたのだけれど、この時点でやっと理解した(遅すぎ!)。空気読めなすぎ。

釣書を改めて見てみると、僕には勿体無いくらいの素晴らしい美人なのだ!(笑)。福岡で有名なミッション系学校に通っていて、体育会系クラブやっているとのこと。あの時はまだ大学2年生だったと思う。黒田メイサ似の、ハキハキしていて感じの良い美女だった。いい意味で全然擦れていないお嬢様の良さがあった。

新しい息子ができたみたいだと、はしゃぐA先生に、眼で「まったく子供みたいでしょ」と、わからないように口パクで話す奥様が、印象的でよく覚えている。その後、病院の見学をさせていただいたり、深夜になり娘さんの運転でホテルに送ってもらった。

その出会いはお互い「憎からず思った(笑)」けれど、数回電話したり頂いたりしているうちに、徐々にフェードアウトすることになった。超多忙の外科レジデント時代、遠距離恋愛なんて精神的余裕のあることなんか、考えもしなかった。つまり結論を言えば、ご縁がなかったということななんだろう。

ああ、前フリが長くなった。

先日のポストに関連して、ホイチョイの「私をスキーに連れてって」を思い出し、画像を観ていたら可愛かった頃の原田知世の懐かしい画像を思いだしたのだ。そのお見合いをした方に、感じが似ていたとさ(しみじみ)。ちゃんちゃん。
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