助けあいジャパン

June 18, 2008

エドはるみのイタさ

彼女のイタさについて、考察するのは社会学的に意義のある研究だと思う。たぶん、今年の学生の卒論のテーマとして流行するんだろうな。わかりやすいけど(笑)。

ネットを初めとするメディアで言い古された感のある、彼女のイタさに「裏打ち」された面白さの根本にあるのは、①彼女が(わりに)整った顔をしている美人であること、②哀しいくらい正直に現実の年齢も見せていること、③正しい(風)の日本語を話すこと(つまりマトモに見えること)、紹介される経歴も苦労人というよりは、ええっ、なぜソコまでするの!という驚きを喚起する。④昭和の香りのする「古臭い」ギャグを滑りながらも全身で演じること、つまりとことんクサい、⑤以上のことが「確信犯」的に彼女が「わかって」やっているということが、観客に「わかる」=「共感」されること。⑤がポイントかな。

イタくてクサい「私」を見てください!という、ある種の潔さを観客は感じるわけ。
嗤って、哂って、笑ってちょーだいっ!っていうサービス精神。そこがイタいワケだけど。


つまり、基本形は「イタさ」を「真面目さ」で修飾し、観客の笑いを自分への賞賛(アプローズ)に向ける(自分を落として観客を乗せる)という実に古典的なアプローチなのに、その(本当だったら恥ずかしくて誰もできないような)姿を、今の時代に絶妙のタイミングで曝した・・・というのが、彼女しかできないオリジナリティだと思う。運だけでない頭のよさ(ズル賢さともいえるかも)を感じる。僕は、嫌いじゃない。

ちょっと前からウケた西岡某という女の芸人さんが、テレビで大股開きをして「女王様」を演じているイタさ(彼女にとってはかなりキツイ場面だ。ふつうの女の子なのに何もそこまでしなくても・・・って多くの人は思うだろう)は、たぶん期間限定というか一時的なものだと思う。彼女の場合、使い捨てされちゃうキャラなんだろう。かわいそうだけど。だって女王様キャラは全然彼女に「似合っていない」という、そのイタさ自体が一番のウリだったのだから。それを彼女の制作サイドが気付いていない(か、見切っている)のが致命的かも。

エドはるみの場合には、今後大化けすれば「徹子の部屋」的な司会者としての展開までありうるとまで僕は思っている。あのイタさというのは、タモリが初めてメディアに登場したころの雰囲気にちょっと似ている位のインパクトを醸し出しているから。頭の回転もいいし。

ああ、でも、難しいんだろうな。あの時代とは今のメディアの複層性と多重性が違うし、なにより情報量もスピードが違うもんな。
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追記(6月19日):↑↑てなことを昨夜書いたら、今年の24時間マラソンの走者は、その「エドはるみ」さんなんだと。やっぱり「旬」なんだね。ふーーん
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