あれは確か26歳のころ。社会に出てまだぺーぺーの頃だ。日々の仕事に必死だったあのころ。外科医の修練時代は本当に過酷な日々。そんなある日、2月の北海道の学会の研究会に5年先輩(彼は偶然なのだけど、僕の中学の先輩だった)と出席した。文字通り仕事場に「住み込んでいる」ような状態だったから、仕事場の外に出て、旅に出ること自体が珍しいことで、子供みたいにはしゃぎたくなる気持で出発したわけだ。午前中は時間ギリギリまで仕事して、午後一番の便の飛行機で札幌へ。夕方から深夜までの研究会で缶詰にされた後、すすき野で絶品の蟹をたらふく食べ、卒業後札幌へ戻った同期のオゴリでガッツリ飲んで、爆睡。久しぶりにぐっすりと、ホテルのまともなベッドで眠って...。翌日の日曜日の朝食の時、いつもは(すごく)厳しい先輩が「お前も目一杯頑張っているから、今日はサボっちゃえよ。オレが出席のスタンプ(学会の更新スタンプ)貰っておくからさ・・・」と、いたずらっぽく笑いながら言った。
有難く先輩の厚意を頂き、一日の自由を満喫することにした。(その10年後、彼は若くして急逝してしまうんだけど、その話はあまりにも哀しい話なので、いつか書きます。)僕は彼のその時の彼の笑顔を忘れない。
さて、この話はここから始まる。
日曜日の10時。解放された僕は、札幌から室蘭方面へあてもなく(本当にあてもなく、だ)列車に乗り込んだ。正味半日しかないし、学生時代に行ったのある函館の街を室蘭経由で訪れれば、今日の夜の便か月曜の早朝の便で東京に帰れるだろう(月曜の朝の教授回診に間に合う)、と思ったのだ。実質12時間の「自由」。
吹雪に近い雪が降るものすごく寒い冬の朝だった。僕は窓から見える道南の景色を眺めながら、久しぶりの開放感を感じていた。同時になぜか「今僕はこんなに幸せな雰囲気に浸っているけど、本当にいいの?サボってこんなに自由な気持ちでいて、いいんだろうか??」という「罪悪感」を感じていたのも事実。今でもその感情を鮮明に覚えている。
道南から列車は室蘭に向かう海岸線に入る。外は細かい雪が斜めに降っている。その年はわりと暖冬で(今年と同じだ)雪の降り始めるのが遅かったのだが、その日の雪は半端じゃなくすごい勢いで、斜めに「落ち」ていた。まるで、雪の塊が鉛色の低く重い空から、今までの鬱憤を晴らすように、怒って自らの存在を示すかのように。
海岸線に降る雪。沖のほうでは白波が立っていて、かなり強い風が吹いているのに、海岸線に打ち寄せる波は、拍子抜けするほど穏やかな波。そして雪。斜めに落ちる冬の塊。濃い灰色の浜辺には波打ち際を避けるように白い部分があり、雪が海岸に積もっているのが判る。朽ち果てそうな廃屋の漁師小屋。痩せこけた犬が走り回る。
その瞬間、閃いた。というか、衝撃を感じた。
海に 降る雪は 積もらない
海に 落ちる雪は 残らない
僕はその時、白波の立つ沖の海面を見つめた。
海に 降る雪は 積もらない
海に 落ちる雪は 残らない
(続く・・・)