膨大な画像データが、さまざまな思い出とともにそこにある。
開始してすぐに、これがいかに大変な作業なのか判った。
今までのアルバムを整理して、裁断してダウンサイズしてから、タグを付けて
PDFファイルにしたものをデータベースにする。
今日はあの大きなアルバムをバラして
作業のスキャナーのテストをするだけで精一杯だった。
というかかなり体力の必要な事が判った。
アルバムって重いし、かさばる。
断捨離して、かなりスッキリしそうだ(現在進行形)
数年前に、僕と姉の子供の頃の写真が
母親が家の中を整理する時に出てきた。
母にとっては懐かしい写真でも僕らにとっては
特に思い入れのあるものではなかった。
自分の記憶が、そもそもない頃のことなので、
自分の記憶が、そもそもない頃のことなので、
母が持っておきたいものだけで十分だった。
懐かしいという感覚は
意外なほど持てないものなのだ
懐かしいという感覚は
意外なほど持てないものなのだ
結局、残されている貴重な画像を
できるだけ取り込んでおこうと
できるだけ取り込んでおこうと
意気込んで始めたけれど、実際にはポイントとなるものを
押さえていれば、それだけで十分で、
むしろそのほうがいいのかな?と。
むしろそのほうがいいのかな?と。
今回の子どもたちの写真にも同じような事がいえる。
アーカイブは必須なんだろうな
見る人のためにも
子供の頃の写真は親(あるいは爺婆)のために
撮っておくものだと再認識した。
それに、現代の子どもたちは、好むと好まざるに関わらず、生まれた時から様々なメディアで記録されているので、写真と動画や音声に関する敷居が完全になくなっている。
撮っておくものだと再認識した。
それに、現代の子どもたちは、好むと好まざるに関わらず、生まれた時から様々なメディアで記録されているので、写真と動画や音声に関する敷居が完全になくなっている。
今後は更に進化し多様化するのだろうな〜。