December 31, 2011
2011大晦日
December 29, 2011
年の暮れに託す思い
December 28, 2011
NHKオンデマンド
December 27, 2011
Enoughということ
December 26, 2011
僕らは何ができるんだろう?
すべて中途半端でダラダラと過ごした日曜日
December 24, 2011
東北行き2日目
December 23, 2011
東北に来ている
December 22, 2011
極私的な今年の総括としての東北行き
December 21, 2011
心優しき天使達
December 20, 2011
ヌーベル京料理@Cafe de Isis
December 19, 2011
水風呂の正しい入り方
December 18, 2011
鳥精進酒精進だって
December 16, 2011
家ご飯の素晴らしさ
考えてみれば今週は家ご飯は一度もなかった。熱々のご飯、みそ汁、お漬け物、そめたか君から頂いた奥様の故郷の秋田の佃煮。秋田の佃煮は絶品で、ほんのりと優しい甘さと滋味溢れる上品な旨味が美味しい。昨年頂いてその美味しさに感激した。かみさんも娘たちも大好物で大喜び。メインは、これも頂き物の広島牡蠣。ゆっつんが鉄板でバター焼きを作った。こういうシンプルな「家ご飯」の素晴らしさを認識したのは最近で、50歳過ぎてから。銀行の役員で連日夜の接待だった亡父が、たまに家でご飯を食べると「ああ、こういう普通のメシが一番美味いんだ」と言っていたのを憶い出す。
December 15, 2011
Let it be! ということなんだね。般若心経
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな。
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
羯諦 | ぎゃーてー | 行きて |
羯諦 | ぎゃーてー | 行きて |
波羅羯諦 | はーらーぎゃーてー | 悟りの彼岸に行きて |
波羅僧羯諦 | はらそーぎゃーてー | 悟りの極みに行きて |
菩提薩婆訶 | ぼーじーそわかー | 悟りよ幸あれ |
般若心経 |
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
December 14, 2011
元赤坂 ながずみ
December 13, 2011
絆についての雑感
December 12, 2011
感激した!素晴らしいパフォーマンス@忘年会
December 11, 2011
歩くために歩いた日曜日の午後
December 10, 2011
三回忌&親孝行
三周忌で名古屋に来ている
December 8, 2011
ステキな金縛りの安心感
当直明けにはなぜか映画が観たくなる。今日は午後の施設在宅往診のあと、「ステキな金縛り」(三谷幸喜監督)へ。この映画は深津絵里のための映画っていう印象。彼女の魅力がキラキラと輝いている。キュートで、明るく活発で、ちょっと抜けていてドジな所もあって、彼女特有の親近感があって、そしてセクシーだと思う。三谷監督ってほんとに深津絵里という女優が好きなんだろうなって思った。思わず惚れそうになった(笑)。そのくらい彼女の魅力を引き出している。竹内結子も好きな女優だけれど、この映画のコミカルでエキセントリックな演技はちょっと新鮮だった(固くてちょっと痛かったけれど)。三谷作品の常連達が脇を固める安心感(というか予定調和)。ただ、西田敏行の演技はイマイチ好きじゃない。意見の分かれる所だろうけれど。
三谷監督の映画は、ちょっと(意識的に)古臭く、バタ臭く、芝居がかっていて、クサいギャグが満載で、観客はそれが判っていてその世界に浸りたくて観に来ている。ぎゃはは笑いではなく、クスっとかフフフっと軽く笑えるのがいい。三谷監督とは、以前あるご縁があって「有頂天ホテル」の医学監修をしたことがある。それ以来作品を観続けてきたけれど、この作品はある意味、三谷ワールドの集大成的な位置づけなんだろうと思う。笑ってちょっとだけ泣けた。この安心感安定感で☆☆☆。
December 7, 2011
性格は顔に出る
科学的にまだ解明されていないだけで、僕らが思っている以上にその人の生き方や価値観というものは実際の「顔」とか「雰囲気」とかに表出しているものなのかもしれない。昨日の出来事もあって、今日はそんな事をつらつらと考えていた。
路上であった犬や猫が何か意味ありげにすっと視線を外したり、逆にこちらを見据えるような行動をするのは、たぶんを動物行動心理学の研究はどういう(意味のある)ことなのか?。などと考えていたら、いつもの空想の世界へ。
人間の脳科学や行動心理学や進歩すると、占いや人相などの分析が科学的もっと正確にできるようになるはずだ。静的な分析(というか非科学的な統計学)が従来のものだとすると、動的な分析が進むだろう。そうすると、「ある人のある表情やとった行動」などを逐次モニターして、高度な嘘発見器とか行動分析なんかもできるようになる。いくつのプロットを考えたのだけれど、これは相当にコワイ世界だ。
東京ルール当直中。以前は「Zip City」とか「月光恋歌」とか当直中に歌詞を書いたりしたんだけ、最近は忙しすぎてだめだな(笑)。そろそろ書こうとは思うけれど。
December 6, 2011
Time out, folks!
どんな組織でも、人が集まって居る限りは様々なフリクションや葛藤、場合によっては喧嘩別れや空中分解、分裂などのリスクがある。その発端はやはり人と人の関係で、その原因のほとんどが突き詰めれば「言葉」である。
初めから悪意を持って敵愾心をむき出しにした言葉(かの国から聴こえてくる言葉なんかがいい例だ)をいう人はいない。相手のことを自分なりに慮って出た言葉が、ちょっとだけ違ったニュアンスで受け取られ、その返信がさらに意図と違ったニュアンスをもって受け取られ、言葉に乗ったそれぞれの感情がどんどん増幅されて、悪い方向にデフォルメされていくと、されにその周囲の人間にまで影響を与えてしまう。
特に今の時代、メールでのやり取りは、いくらでも誤解曲解をされてしまうリスクがある。リアルの会話なら、言葉にも声のトーンや間、表情や相槌などの、様々な非言語的なコミュニケーションの要素であるので、その「空気」が緩衝材になっていて、コミュニケーションの破綻につながるような極端なことになることは比較的に少ないのだけれど。
1980年代のコンピュサーヴ・ニフティサーヴのパソコン通信時代から、僕はこの世界のいざこざを幾度となく見てきた。ソーシャルメディアの時代になって、コミュニケーションのスピード感が格段に上がったものの、それが故に言葉が先鋭化してトラブル(とまではいかないけれどインシデント)が急増している。今回のケースでも当事者は、本当に素晴らしいキャラの穏やかな人達なのだ。時代の最先端で走っているこの人たちでさえそうなのだから、僕みたいな「普通の人」は言わずもがな、なのだ。
そういう負のスパイラルが組織の中で始まると、誰が何をやっても「建設的で健全な」思考回路を維持するのが困難になる。最初は小さな亀裂であったものが、時間の経過とともに大きくなり、最後は修復困難な状態になる。これは困る。そんな時は大事な決定をするなんてナンセンスだ。
大人の喧嘩に中途半端な「仲直り」はありえない。それぞれのプライド(意地)の落ち着き場所を見つけられるかどうかなのだ。ということで、ここらでちょっとTime out, folks!
December 5, 2011
幼馴染み
December 4, 2011
アクティブ・ウォーキング 20km
快晴。空気が澄んでいて気持ちのいい天気だ。カメラと着替えのTシャツとタオルをメッセンジャーバッグに詰めて、歯科の後、歩き始めることにした。今日の唯一の決め事は、信号以外、立ち止まらない事。たまプラから渋谷まで。渋谷からジムへ直行しジャクージとサウナでまったり。極楽極楽。瞬間最低体重で67kg。ふふふ。
一定時間歩き続ける間中、いろんな事を(まさに煩悩を抱えて)考えている。でも、矛盾するようだけれど、論理的なことは何にも考えていない。まさに無心無我の心境になる気持ちのいいエンドルフィンが出るみたいだ。宗教の修行だったら「行」。今日の20km程度だったら、ちょっとコツを掴むことと自分あった靴があれば、ふつうに歩く分には全然苦にならない。だから、24時間マラソンとかでタレントが100kmくらいジョッギングするのは半年くらいかけてトレーニングすればそこそこ可能なんだろう。これは新たな発見だった。次の目標は30kmウォーキング(距離)と、10km/1h(スピード)。このスピードになるとジョッギングとウォーキングを混ぜて走らざる得なくなる。スピードはある意味どうでもいい。時間内完走をめざすのだから。当分は時間を見つけてアクティブウォーキング続けようっと。
うまい・巧い・美味い!
一休みしてから半蔵門線で微睡んで「瞬間移動感覚」で九段下へ。クラプトン&ウィンウッド@武道館のライブ。クラプトンが特に好きというわけではいけれど、やはり一度は生のプレイを観てみたいと思っていたところ、今回の講演は黒澤楽器presentsという御縁もあって行くことになった。イーグルスにしてもジェームステイラー&キャロルキングにしても、客層がばっちり僕達の世代で、おっさん&おばさんたちがみんなニコニコしている。同世代の連帯感と安心感の漂う空間。1階席の最前列正面やや上手という最高の席。ノセてくれる所は過不足なくしっかりとノセてくれるし、ブルースで泣かせてくれるところはしっかりと聴かせてくれるのは流石だ。今さらだけれど、巧いなあ・・・。構成も音響も照明も映像も完璧に「出来上がった」ショウで、予定通りきっちりと2時間プラスアンコール。
Had To Cry Todayから始まり、ブルース&ロックのクラシックともいえる懐かしい曲が多数。Hoochie Coochie Man, Georgia On My Mind(懐かし!),Wonderful Tonight(最高!), Voodoo Chile(ジミヘン!20分くらい演奏していた)が良かった。途中、ふとあっちの世界に行きそうになる気持ちよさというか。エリッククラプトンもいい感じの枯れたジジイになっていて「匠の技」を拝聴する、みたいな感じ。もちろん脇を固めるドラムス、ベース、キーボード、コーラスの黒人女性2人組も素晴らしいのだけれど。
終演後、神保町に歩き、かみさん&娘たちと合流して「くろぶたきよし」へ。流石の三清堂六白黒豚。脂が甘いのだ。和水してある焼酎で薩摩揚げなど。美味。大量の葱と昆布と椎茸のお出汁でいただく、絶品しゃぶしゃぶ。葱は徹底的に流水に晒してぬめりをとるんだそうな。〆は稲庭うどんと、さらにおじやも追加して今夜も大満足。ほろ酔いニコニコで帰宅。
December 2, 2011
グルメ大国ということ
和食はもちろんのこと、フォーマルからB級までの中華、フレンチ、イタリアン。。。と、世界中の料理を食すことが出来て、これに比肩できるのはたぶんニューヨークくらいだろうと思う。欧米、特にイギリスやドイツの食生活の質素さ(単調さ)は、単に粗食(といってもカロリーは高い)というより、そのバリエーションのなさに閉口する。
ニュージーランドで生活していた時、食生活に関して驚いたことがいくつかある。
この考察は、そのうちにやろう。
December 1, 2011
釣瓶落としの夕暮れ時
ちなみに、この文章はオフィスで横書きで書いている。研究日の夕方、今日は映画「ステキな金縛り」でも観ようかなと南町田グランベリーモールに着いたところで緊急コール。映画が始まっていて携帯の電源を切っていなくてすんでのところで間に合ってよかった。急遽病院へ戻ることになって、現在待機中。
家でリラックスして書く文章は、当分の間は縦書きを楽しんでみるつもり。
November 30, 2011
幸せの形
November 29, 2011
縦書きって面白い
先日のログによると、彼はまず縦書きで文章を書いてから横書きのFBに書き直しているとの事。考えてみれば当たり前なんだけれど、日本語の読み書きのデフォルトが縦書きなんだから、縦書きの方が日本語の発想が自然にできる。この縦書きの効用については、以前にココに書いた事がある。で、今夜それをちょっとやってみたら、実にオモシロいことに気がついた。考えて書くというより、ちょっと未来形の現在進行形で自分が読む文章を書いている感覚・・・というか。
November 28, 2011
ライブ終了後腑抜け状態の一日
B☆竹ライブvol.5, 2011
海岸線を歩いている。たぶん朝の散歩。向こうから来た釣り人2人が親しげに声をかけてきた。「実はクエが釣れてしまったんです。大きすぎて持って帰れないので、貰ってくれますか?」と。「えええっ、幻の魚クエですか?」「ええ...」と当惑気味の人。ふと彼らの足許を観ると体長1m位の魚(たぶんクエなんだろう。釣った事ないけど)が確かに2尾。「有り難うございます!でも、僕これからライブがあるんですよね...」困惑気味の釣り人。ライブ会場にこんな大きな魚を持っていけないし、会場では捌けないし、だいいち僕らのライブに「クエの刺し身」似合わないし/w。。。なんて、へらへらと悩んでいる所で目覚めた。いい感じの夢見だった。
ということで、毎年恒例の秋のライブ。今年も楽しかった。ライブのことはいつも記録しておきたいと思いつつも、自分で文章にしたとたんに実際の楽しかった時間がどこか遠くに行ってしまうようで、書けない。実際にはミスも多かったし反省することも一杯あるんだけれど、当分の間は、この充実感と達成感も幸せの余韻に浸っていたいというか。そうこうしているうちに1年が経って次のライブになってしまうのだけれど(笑)。
中学生のころ歌い始めたガキ達が、いい大人になっても一緒に歌を作って歌っていられる幸せ。そしてそれを聴きに来てくれる方々がいるということ。本当に僕らは幸せ者だと思う。
Thanks, God!
November 26, 2011
ライブ前日練習
November 25, 2011
ロバの耳に糸電話
===========
「王様の耳はロバの耳」についてのメモランダム:
FB友達のHさんの文章で再認識したイソップ寓話。僕もそのあらすじを誤って憶えていた。
王様の耳がロバの耳で、その髪の毛を刈る床屋が口止めされているにも関わらず、どうしても誰かに話したくて井戸に向かって「王様の耳はロバの耳だ」と話す。するとその声が全ての井戸に通じていて街中に広がって聞こえてしまう。王様が困って、耳について「これは皆の意見を良く聞けるように ロバの耳になっている」と弁解する。噂の広がりのコワさと、切羽詰まったとしても、誤摩化すことは悪い事だ、正直であれ!という教訓を表していると僕は思い込んでいた。
しかし、正しくはもっと深い話らしい。
アポロンを侮辱したミダス王。アポロンに懲罰として、無理矢理その願いを叶えられるという罰を与えられる。手で触れるものすべてが黄金になってしまうのだ。黄金を得る代わりにすべてを失ってしまう、という過酷な罰。反省して許しを乞うミダス王。それでは...と、アポロンはミダス王の耳を「ロバの耳」にしてしまう寓話がベースにある。そして、前述した話に続くのだが、結末が全然違う。
ロバの耳の秘密をバラした床屋を殺そうとする王様。しかし、その時彼は気がつく。自分だってアポロンに殺されていたかもしれないくらいの罪を犯したではないか。それを寛容したアポロンの慈悲に気付くのだ。そこにアポロンが現れ、「よく気がついたな。お前の罪を解いてやろう!」とロバの耳を治してくれました、という結末。つまりこの寓話の教訓は、人間の寛容について述べたものだという。
ふーーむ。なるほど。たしかに子供の頃、そんな劇を観た気がする。
November 24, 2011
今週2回目の月曜日みたいな木曜日
長女かなPがインド旅行より帰宅。彼女は世界中どこでもプラッと
November 23, 2011
勤労感謝の日
November 22, 2011
99%の不満について
格差社会の問題が世界中で噴出している。世界中のいたるところで、公共の場所を占拠してデモンストレーションをする人たち。「1%のお金持ち」と「99%の非お金持ち(自分たち)」がいるのは不公平・不平等で「フェアじゃない!」と主張しているらしい。「らしい」というのは、もちろんマスコミからの受け売りで、正直な所彼らが何を主張してどうして欲しいのかが全然見えない。
彼らが主張する「正義」はどこか嘘っぽくて軽いのだ。単なる空虚な戯言として聞き流すには影響力があるようにも見える。でも、(こんなことは当たり前なんだけれど)正論が必ずしも正しいとは言えない。
今日の産經新聞の記事にあったように、ウォールストリートのどこかの企業のCEOが「よーし、わかった!君らの言う事は正論だ。ここにいる全員にひとり1億円あげるからデモを解散してくれ」と言ったとしたら、何が起こるだろう?
たぶん、ほぼ全員が万歳して「ラッキー!」とか言いながら解散しちまうんじゃないか?
そんな志のない安っぽい革命は現実にはおこりえない。
つまり「ゴネ得」とか「あわよくば億万長者」みたいな風潮を助長したのがSNSというとこは言えるのかもしれない。SNSのようなソーシャルメディアの功罪。そして僕の大嫌いな「プロ市民」の存在。アラブの春やエジプト革命が、卓越したリーダーがいなかったにもかかわらずSNSで「民衆が連帯して」成功したことになってる。しかし、あの革命プロセスの場合には、そもそもバックグラウンドが全然違う。長年に渡り民衆を搾取し続けて倒れるべくして倒れた旧体制のシステムがあって、その崩壊は、市井の民衆にとっては「妥当な出来事」だったのだろう。つまりSNS はツールになったかもしれないけれど、きっかけにすぎない。世の中にきっかけとなるようなエネルギーがあるから、それかツールとして機能したんだろうな。
とにかく、「自分たちには99%の支持があるはずだ」といって、傍若無人に何をしてもいいというのは、違うよなあ。
November 21, 2011
マーフィーの法則の日
November 20, 2011
感覚的思考が優位な時間
今日もまたとっとこ歩くことにした。来年秋の目標に向けて頑張るのだ。今日は南に向かい、目的地は横浜駅まで。港北ニュータウンの遊歩道は設計は素晴らしい。歩くたびに発見がある。アクティブウォーキングとはいえ、色んなことを考えながら歩いているはずなのだけれど、あまりその内容は覚えていない。論理的思考ではなく感覚的感情的な思考が圧倒的優位だからか。ここにはちょっと書けないような内容の出来事を憶い出し(すっかり忘れていた!)ウスラ思い出し笑いしながらウォーキングするおっさん。きっとかなり不気味だっただろう。CWーXは実に快適で、18kmを全然問題なく完歩。この機能的スポーツタイツは発明だな。Tシャツは2枚着替えた。距離的にはこの倍は行けそうな感じ(笑)。歩く事でリフレッシュできることを知ったのは大きいな。今更だけど/
帰路、ジムに寄り軽めに5本ストレッチ代わりに泳いでからジャクージでまったり。夜は自由が丘にて、いしじゅんと食事@笑門 。のどぐろの刺し身、のどぐろのカマ焼、白子焼き、地鶏焼き、天然鰻の白焼きなど。〆は新蕎麦。どれも美味しく大満足。
今日のコース
November 19, 2011
レンソイスに行ってみたい
寡聞にして知らなかった場所。不思議なデジャヴがある。子供の頃から空を飛ぶ夢を見るたびに「こんな情景」を観ていた気がするのだ。この10m−20mくらいの超低空を飛ぶ夢。
骨の髄までシティボーイ(笑)なので、現地の過酷な気候には耐えられないかもしれないので、せめて空から観たいもんだ。ブラジルでめちゃくちゃアクセスが悪そうなのが、面白そう。ま、夢のような夢として夢見ておこう/w。
インテリジェンス後進国に忸怩たる思い
彼が言うように、これは「失敗」の物語で、自分たちに都合の悪いことは決して書いていない。真実はコインの表と裏のようなものなのだと思う。この文庫本版の巻末にある東日本大震災直後に出された彼の言説やアドヴァイスが、じつに的確なものであることに感嘆した。
午後から職場の理事会@池袋サンシャイン文化会館。思わず笑っちゃうくらい「昭和の香り」のするビル建築とわさわさとした人混みに「アジアの雑踏」をみた。まるで1980年代にタイムスリップしてしまったみたいな気持ちになった。あと50年頑張れば、ここは世界遺産登録だわ/W。
帰路、ジムでがっつり1200m泳いでから、かみさん&さとちゃんと「月の音」にてご飯。創作おでんに舌鼓。ここんちの大根はすごいっ!感激してお代わりしてしまった。
November 18, 2011
蜘蛛の糸
必死の形相で駆け込んでくる人に、既に乗っている乗客の立ち位置として、①協力して乗せてあげる、②踏ん張って入れないように妨害する、③自分は意志をもって動かず、なるようにしかないと流れに任せる、という選択があるとしたら、③65%>①20%>②15%だろうな。まあ、どうでもいいけれど、みっともないことはするなよって、思わず今日呟いてしまった。
November 17, 2011
0歳から100歳まで
終了後、かみさんはジムのイベントへ。僕とゆっつんは、センター南で買い物(セーターをおねだりされた)の後、「マネーボール」を観て帰宅。ブラピって役作りの幅の広い役者だと関心した。ストーリー自体は単純で2005年のオークランド・アスレティックスの破竹の20連勝の話。この騒ぎはリアルタイムで知ってはいたけれど、ふーんこういう事だったのだ。たしか日本へは辣腕監督の采配と神懸かり的な選手のプレーという形でシンプルに紹介されていた。メジャーリーグの知識があればもっと楽しめるのかも知れないけれど、素人としては「踏み込み」が足りないというか、最後にどんなクライマックスがるのかと思って観ているうちに終わってしまった感じ。映画としての質感は悪くないんだけどちょっと残念。夜ご飯はゆっつんと夢幻で小籠包。
November 16, 2011
田園都市線通勤者の会(田通会)
November 15, 2011
アポなし営業はお断り
職場に直接かかってくる「営業」の電話に関してはほぼ100%応じる事はしない。彼らの仕事からすれば1000回電話して2−3回でも話を聞いてくれればソレでよしとしているんだろう。「アポなしの必死さとか熱心さ」だけで、その商品の味方になるだけの器量は、僕ははじめから持ち合わせていない。そもそも顔の見えない相手の職場に土足で踏み込んでくるような輩に使う時間はない。マンションやら投資信託やらFXやら、秘密クラブやら怪しい投資話やら(笑)の電話の相手が必死になっているのに、しらっと素っ気なく電話を切るのは(ある意味)心苦しいのだけれど仕方ないと思っている。不況が続くこの世の中で、小さいながらも病院のいんちょをやっていると、よっぽど無駄なお金が有り余っていると思っているらしい。その認識がそもそも間違っているわけだけれど、わかってないんだろうなあ/w。
今日も朝から夜21時まで超多忙な一日だった。
November 14, 2011
皺伸ばして擦るなんて気色悪すぎ
November 13, 2011
がっつり泳いでがっつり食べた
ジムに寄り今日はがっつりと泳いだ。レーンが空いていて(というかノンストップで泳いでいたら空けてくれたみたいで1ー2本泳いで別のレーンに移る人多し。土日は初心者が多い)、今日は久しぶりに気合をいれて泳いだ。たぶん30本1500m(20本以後は数えるのを止めたが泳いだ時間で判る)。夜はかみさんとゆっつんと根元先生に教えてもらった緑が丘の隠れ家的な家庭的洋食屋へ。
女性プロテニスプ
今日は(も)カロリー消費より供給の方が確実に上回ったな(笑)。
November 12, 2011
揺れる「間」の気まぐれグルーヴ
November 11, 2011
Tucker!
朝、田園都市線駒沢公園で人身事故があったらしく、たまプラーザから超満員の電車に押し込まれて最悪の状況でのろのろ運転。「電車の中の石ころルール」。車内に充満するイライラの空気は極限にまで高まって、本当に今にも爆発しそうだった。小学生が倒れて潰されそうになったり、女の子が悲鳴を上げたり、事故が起こらないのが不思議なくらいの混雑。のろのろ運転なので次の駅に到着するたびに、無理矢理乗ってくる乗客とそれを意識的無意識的に押し戻そうとする客のバトル。自分の足で踏ん張り倒れないようにする事はもはや不可能で、電車が揺れるたびにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。溝ノ口まで30分。そこからの大井町線もヘビーだった。1時間以上かかって自由が丘に到着した時には、正直へろへろだった。年に1ー2回偶発的に起こってしまう「超混雑電車」。やれやれ。
夜はウルトラ・エクセレント・スーパー医療秘書&ナースの美女3人とイタリアン。静香ちゃんの結婚お祝い食事会だった。今夜もがっつりとニュージーランドならさしずめ"Tucker!"って感じの美味しいイタリアン@トラットリア・チーボ。このところ通いつめてる/w . 今夜もどれも美味しかったけれど、今夜は「ウニのピリ辛トマトソースのパスタ」がとくに美味しかった。
November 10, 2011
晩秋の夕陽に心が締め付けられたこと
前後の状況は全然記憶がないんだけれど、あれは何なんだったろう?たぶん初恋の女の子をことでも思っていたんだろう。誰にでもいくつかある人生の原体験のひとつか。 午後の施設往診の後、ジムに寄り20本1000m軽く流していたら、その情景を唐突に憶い出した。
夜は自由が丘「べこ亭」にて会合。
November 9, 2011
助けあいジャパンチャリティ講演会
懇親パーティは職業や年齢やそれぞれの専門の全く異なる人たちが、漠然とした共感を共有して「繋がる」不思議な感覚の会。これはFBなどのソーシャルメディアの登場以来、急速に広がったもので、Something newな不思議感覚。色んな人とフラットにユルく繋がって自由に意見交換しつつ、それでいて結構具体的で建設的な議論が出来るというももで、その「何か」が(極端に言えば)世界を変えるかもしれないという「予感」や「期待」を感じさせてくれる。そんな高揚感に浸りながらタクシーで帰った。
November 8, 2011
めりめりハリハリ絞ってなんぼ
November 7, 2011
いらいらいらいらいらは自業自得
FBで教えてもらった須藤元気のパフォーマンス。今度はメキシコ。Bravo!
November 6, 2011
ピーチかぶのポトフ
てか、食い物と運動の話ばっかだな最近。
November 5, 2011
微妙にフォーカスのずれた一日
今日の星占い:水瓶座
少しくらい忙しくても、気合いと体力で何とかなる一日。人へ尽くすことに喜びを感じ、幸せな気持ちになれるでしょう。
むべなるかな
あな おかし
40ドルのメロン
LAで生活していた1986年頃、当時いろいろとお世話になっていたドクターのカップルが東京に行く事になった。僕らは東京の両親に電話してホテルの部屋にフルーツをプレゼントしてもらうように頼んだ。いわゆる「ウェルカムフルーツ」だ。両親としては息子夫婦がお世話になっているアメリカ人夫妻ということで、彼らなりに奮発して千疋屋のメロンを帝国ホテルの彼らの部屋に送った。当時も(今も)最高級のマスクメロンは10000円。為替と貨幣価値からすれば今の2倍位の値段と考えていいだろう。彼らが喜んだのは言うまでもない。LAに戻ってきてからすぐに電話をくれて「マーク、メロンをありがとう!とてもおいしかった!」と感謝の言葉。そりゃそうだろう(笑)。でも、彼らは絶対にあのメロンが一個10000円(当時のレートで一個40ドル)するなんて、想像できなかったはずだ。当時のLAの値段はせいぜい1ドルだったから。最高級としても、まあ5ドルがいいとこ。つまり、この40倍の売値のメロンというのは、日本の社会特有の「記号」なのだ。送られる方も送る方も「この千疋屋のメロン」という記号の意味を知っていて初めて成り立つ。だから、アメリカ人の彼らに理解しろというのが無理で、送り手のミス(というか一方通行の気持ち)なわけだ。その記号が今でも成り立っている(らしい)のを発見して面白かった。だって今時自分のために10000円のメロンを買う人は居ないだろう(いるとしたら、物の価値のわからない可哀想な人だ)。晩ご飯は、台湾の有名店、鼎泰豊@玉川高島屋 にて。うまし。
November 3, 2011
とっとこ歩いた文化の日
November 2, 2011
当直の夜の考察
今朝の大井町線の僕の前に座っていた男性(50代か?)のかつらがすごくみっともなくて、以下のコメントをFBへ
======
「かつら」っていうのは「禿げを他人に気付かれずに隠す」ために
======
そんなことを書いていたら、ふと「貧乳」というタームが気になって…追加
======
今さっき「貧乳」というタームをつぶやいて、ふと思ったのだが、
======
「貧」の反対は「豊」だし、「巨」の反対は「微」だ。ということは、巨>豊>貧>微ってことなんだな。ま、どうでもいいけど/W。