助けあいジャパン

December 31, 2010

爆笑ファンタCM(総集編)

おまけ

ネットで検索していたら、偶然見つけた爆笑画像。2010年は笑いで〆られた。


テレビをあまり観ないので知らなかったわ。これは傑作だ!ドラゴンと黒ひげ先生が秀逸、最後の校長も好きなネタ。

2011年に向けて、再起動ボタンを圧そう

昨日から僕以外の家族は東北のかみさんの実家へ。僕も今年は可能であれば、むこうで年越しをする予定だったけれど、直前まで未定だった。結局「朝から大雪だし、まあムリしなくてもいいんじゃない・・・」ってことになり、僕は自宅にてのんびり過ごすことになった。久しぶりの雪の東北のお正月を楽しみにしていたのだけれど、仕方ない。オヤジが亡くなって一人になったオフクロのこともあるし、1泊だと忙しないし。

そもそも今年の年末年始は「ちょっと長めの週末」くらいの期間しかない。でも、ちょっと集中してモノゴトを進めた(仕事じゃなくて趣味の世界だけれど)かったので、その意味からは最適の環境ではある。ふふふ。ゆっくり休んでじっくり取り組もう。午前中は書斎の整理やら掃除やら。急遽こちらにいる事になったので、全然準備していなかった「おせちモドキ」を一応用意するべく、午後から昼ご飯を兼ねて買い物へ。すごい人出だった。日本の社会にとってお正月三が日の「新年を迎える」というイベントは、4月1日とともに大きな社会的「リセット」機能がある。この「社会的盛り上がり感」は日本特有だと思う。活気づいて華やいだ街から僕も元気を貰った感じ。ラッキーな事に「あずま」で特選黒毛和牛のテールが入手できたので、年末年始恒例のテールスープを今年も2日がかりで作る事にした。

それにしても2010年、早かったな。
毎年毎年、この時期には同じ事を書いているけれど、ローラーコースターで1周回って戻ってきた感じがする。やれやれと溜め息ついてしまう事が多かった年だった。さはさりながら・・・最良のこともなかったし最悪のこともなかったということは「そんなに悪くはなかった」ということで、今年を〆ることにしよう。大殺界(だっけな?)も抜けるし(笑←信じている)明日からの新しい年に僕も想いを馳せながら・・・再起動ボタンを圧そう。せーの「りーーせっっと!」。

さあて、2011年何をするかな。今度の誕生日で54歳(ええっ?)。折り返し地点もとうに過ぎている訳だから、もっともっと人生を楽しまなければいけないと思うのだ。自分にとって大切な事をより大事にして、どうしたら自分の人生をより楽しめるのかについて常に意識して生活して行きたい。アレもしたいし、コレもやりたいし・・・まだ人生に対するスケベ心まんまんの体力と気力もある(十分でないのはお金だけ)。とまれかくまれ、2011年が楽しみだ。

このブログを読んで下さった方々、本年もいろいろとお世話になりました。来年もどうぞ宜しくお願いします。

December 30, 2010

ん?今朝のニュース

その1:母なのか父なのか、それとも?

英歌手エルトン・ジョン(Sir Elton John)と同性婚のパートナーであるデヴィッド・ファーニッシュ(David Furnish)が、代理母の出産した男の子の両親となった。 カリフォルニア州現地時間25日に生まれた男の子には、ザカリー・ジャクソン・リーボン・ファーニッシュ・ジョン(Zachary Jackson Levon Furnish-John)君という名前がつけられた。体重は3.6キロだという。(以下略)

このニュースを初めて読んだ時にその意味がわからず、かなり困惑した(笑)。それにしても僕の頭では理解不能な親子関係だな。この子の生物学的母親はだれなの?それにしてもこの子はどういう育ち方するんだろうか?ストレイトには育たない気がする。


その2:自衛官かいちん事件
46歳自衛官 ドライブスルーで自身の下半身露出
 ファストフード店のドライブスルーで女性店員に下半身を見せたとして、埼玉県警川越署は29日、公然わいせつ容疑で、陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京都練馬区)所属の陸曹長***容疑者(46)=同県志木市=を現行犯逮捕した。容疑を認め、「女性店員の驚く顔を見たかった。趣味のラジコンをしにいく途中だった」と供述している。(以下略)

まったく、とほほの46歳。自衛官なら「かいちん」しなくちゃいけないのはもっと別のものがあるでしょ(笑)。このニュースを読んだ時には、「ドライブスルーでどうやってやるのか」全く映像的に想像できなかった(爆)。さらに、供述が理解不能。「女性の驚く顔」に興奮することと(わからん!)と、その次に続く「趣味のラジコン」がどうしても繋がらない(笑)。変態にはいろんな人がいて面白い。

December 29, 2010

パンドラの箱

29日水曜日。多くの会社が昨日御用納めをした関係で、朝はガラガラの通勤電車。午前中は朝8時からの会議に引き続き、外来は嵐の忙しさだった。げろぴーが年齢を問わず、相変わらす大流行していて予想通り。ところが、午後はぱたっと客足(笑)が途絶えた。きっと一般的に、病院はもう休みモードに入ったと勘違いしているのかも。僕らは明日の午前までで通常診療が終了とはいえ、病気や怪我に年末年始はナイから、救急指定の僕らには関係なく24時間365日で動いている。もちろん、年末年始はいいリセット期間ではあるのだけれど。

そんなこんなで、午後ちょっと時間ができたので、ちょっと手狭になった自分のオフィスの本棚とファイルボックスを整理し始めたら、ド壺にハマってしまった。まさに「パンドラの箱」を開けてしまったみたい(笑)。院内院外問わず、いろんな書類やらファイルを詰め込んでいたので、いつかやろうと思いつつ、ここ5年くらいは整理していなかったのだ。まあ出てくる出てくる大量の書類やらパンフレットやら原稿やら・・・。ばっさばっさと捨てまくりシュレッダーしまくり、約3時間で段ボール4箱分。これでやっと半分かな。結局はテンポラリーな保存期間を過ぎれば、「その時重要だと思ったもの」の大部分は「捨てられる」ってことなんだよな。わかっちゃいるんだけれど「堆積」するさまざまなモノ。結局途半ばで今日の作業は断念した。夜は家族で品川のシンガポール・シーフード・リパブリックにてマッドクラブ三昧。今夜はチリクラブとホットスパイシーガーリック。ちょっと殻の処理があって食べ難いのが難点だけれど、味は後者が好きかな。

December 28, 2010

爽快工房「とろべー」


かみさんが見つけてきて、最近僕がハマっている「とろべー」。これが美味しい。食べ始めたら「止められない止まらない」状態になってしまう(笑)。子供の頃から「甘いお菓子」は特に苦手。子供の頃から、おやつはお煎餅とかポテトチップスとか「しょっぱい」系をちょっとだけ食べるのが好き。この「とろべー」が秀逸なのは、昆布の薄さと軟らかさ。極薄い塩味と上品な旨味。ああ、おやつでもおつまみでも最高。へえ、爽快工房「上田昆布」って広島の会社なんだね。絶賛!

在留邦人113万人

尊敬する成毛眞さんのブログを読んでいて興味深い記述があった。忘れないうちに記録しておこう。彼のブログのある記事(彼の今年のベスト本)についてツイッターでつぶやいたそうな。ちなみに、彼くらいになると3万1000人のフォロワーがいるとのこと。ツイッター投稿後の自分のブログ(日本語で書いている)へのアクセス解析をしてみると・・・という話。

①自分のアウトプットに対してどのくらいのレスポンスがあるのかを、冷静に分析するという彼の姿勢
②つまり、自分のアウトプットに対する責任感
③解析したデータの読み方、考え方

これは素晴らしい。いい勉強になった。

ちなみに、その分析の中で以下の記述が興味深かった

===(以下、部分引用)
外国からのアクセス総数は156人であり、全体の3.9%である。いっぽうで、日本の人口は1億2700万人、外務省統計では在留邦人は113万人である。つまり海外に住む日本人はわずか0.09%でしかない。つまり、在留邦人は国内にすむ日本人の40倍近く、ボクのツイッタを読み、ブログの記事に関心を持ったことになる。もちろん時差によるアクセス数の偏りもあるだろう。しかし、海外にこそ日本人の知的フロンティアがあるのかもしれないのだ。

この「在留邦人113万人」という数字と「海外にこそ知的フロンティアがあるかも」という言葉が印象的。

December 27, 2010

圏外孤独とな(笑)

バナーで見つけたGoo辞書編集部の「日新語月歩」というサイト。中高生の間で使われる新語の解説をしている。ふむふむ、割と深いのもあって面白い。

以下、メモとして===

【養殖天然】ようしょくてんねん
本当の天然ではなく、おもに男子からの注目(人気)を集めるため、わざと天然らしく振る舞うこと。また、そういう人。『あいつ絶対、養殖天然だよ』。

【圏外孤独】けんがいこどく
旅先などで自分の携帯電話が圏外になってしまい、メールも電話も不通になり孤独に陥ること。『山小屋では圏外孤独になりがちだ』。

【鮭る】しゃける
①自分の実家に帰る。『明日から一週間、鮭るから』。
[語源]自分が生まれた川に帰る鮭の姿から。
②(街などで)人の流れに逆らい進む。『今朝、電車で鮭った』。
[語源]産卵期の鮭が川を遡上することから。

【ホス毛】ホスげ
前髪を長くたらし、目と目の間に先端がくるように固めた、ホスト特有の髪型。
『最近はホス毛の中学生が増えている』。

いらしけい【いらし系】
無意識の言動により、周囲の人をいらつかせてしまう人。
[反]癒やし系

【モスキーボイス】もすきーぼいす
蚊の鳴くような、よく聞こえない声のこと。『緊張のあまりモスキーボイスになってしまった』。

【彦姫】ひこひめ
天の川をはさんで年に一度しか会えないという、彦星と織姫のような恋愛。遠距離恋愛。『もういい加減、彦姫には疲れたの』。

【世話肉】せわにく
自分が食べようと思って、丹誠込めて焼いた焼き肉。
『父さん、それ僕の世話肉だよっ!』。

December 26, 2010

フィギュアスケートのおもひで

今日の昼はじょうじ君と打ち合わせ昼ご飯@キッチンジロー。カキフライ&スタミナ焼定食。学生街の定食屋、さすがのコストパフォーマンス。うまし。彼の遭遇している「謎の事件」について、ふたりで推理をして約2時間。いずれにしろ早急に解決するといいね。新年早々の練習で、セットリストはその時に決める事になり、実際のハックル打ち合わせは5分くらいか(笑)。おお、そういえば、今日弾いた新しいシリーズのマーティンのギターは素晴らしかった。やっぱり定番の安定感。先日のTAKAMINEとは違った老舗の良さがある。こうなったら両方買っちゃうか(笑)。

解散後、ジムで軽めに6本300m流して、サウナでまったり。年末の日曜日の今日は異様に混んでいた。ゲストみたいな人も多かったし。じょうじ君から貰った先日のライブの動画を編集したDVD。帰宅してから観てみたら・・・うぎゃーーー。やっぱりライブの映像はダメだわ。とても自分ではハズカシくて観てられない。やっぱり自意識過剰か。僕ってすごく揺れているのね(爆)。夜は「ザーサイ・トマト・レタス鍋」。干しえびの出汁、豚ばら肉の脂の甘さがおいしい。〆は中華麺(喜多方の坂内の麺)。

かみさんと娘達がフィギャスケートを観戦するのが大好きで、今夜も日本選手権をテレビで観ていた(のを横目で僕は観た)。日本のフィギュアのレベルって、今現在世界最強なんじゃないかな。男子はどーでもいいけれど(興味ない)、女子のレベルと選手層の厚さはスゴい。売り出し中の村上佳菜子ちゃんはまだ16歳。この子には華がある。将来が楽しみな選手。今季絶不調だった浅田真央ちゃんの復活、プレッシャーの中での安藤美姫ちゃんの美しい完璧な演技。それぞれにドラマがあった。

華やかなスポーツだけれど、身体的にはかなりキツいんだろう。本番に力を出し切る精神力も大切。体力とテクニックはもちろんのこと「美しく」なければいけない。まず、そこに一つのフィルターというかハードルがある。どんなにテクニックがあって素晴らしい演技をしたとしても、スタイルが悪くて「ぶ☆」だったら、絶対に勝てないものなあ(笑)。その昔の日本の女子フィギュアの選手は、ロシアとかアメリカとかカナダの選手とまず「そこ」で完全に勝負にならなかった。時代とともに日本人の体型が変わったって事だろう・・・女も男も。それから、興味深いのは、選手ひとりひとりの雰囲気というか「オーラ」みたいなものがあるかどうか?その辺も「勝負」の要素になるのだね。これはそれぞれが持って生まれたものだろう。ふむふむ。

実を言うと、僕が小学校低学年のころフィギュアスケートを習わされていた。というのは、フィギュアスケートが好きだった母親の影響で姉が習っていたのだ。コーチは都筑さん(その道では有名な人)。知り合いから紹介されて池袋のリンクに通っていた。姉はけっこう筋が良かったというか、巧くて10歳くらいまでやっていたと思う。僕もオマケみたいに習っていた(だから結構今でも滑れる)わけだ。長く日本の男子チャンピオンだった佐野稔は僕の2つ上で「兄弟子」(笑)。彼は当時、毎週山梨からお父さんとリンクに通っていた。そのくらいやらないと一流にはなりえない世界。朝学校に行く前に練習、帰ってからまた練習というのは、ウチの姉にとってはどだいムリな話で、さらに上を目指すにはその実力が足りないということを、彼女も親も悟って辞める事にしたのだろう。お金も随分かかった筈だし。

December 25, 2010

コラアゲンはいごうまん@すべらない話

 5年前、かぜさんの番組の収録で初めて会った時のことを憶い出した。汗だくでひたむきに語る芸人。必死さだけがちょっとイタくて、笑う以前にキツかった。話は面白いし奥行きもある。でもスゴく荒削りでじょうじくんと「これじゃ、ちょっと難しいかも。芸能人オーラが全くないし。でもいい奴だよね、コラアゲンはいごうまん・・・」

その後彼は「僕の細道」で日本を4巡した。アルバイトをし自腹で旅をしつつ様々な体験をして、彼なりの話のスタイルを作っていった。小さな喫茶店、彼を応援する人の自宅の居間、自衛隊の駐屯地、寂しい旅館の宴会場・・・。苦しくて涙した日もあっただろう、自虐ネタをしつつ、現実の自分の不運を恨んだ時もきっとあったと思う。でも彼はそれを続けた。ピン芸人としてのプライドだと思う。その笑いに対するひたむきな彼の姿を観ている人は観ている。

年末の週末ゴールデンタイムに出ている彼の姿を観て、僕は涙が出た。あそこまで辿り着くためにどれだけ彼が苦労し、人知れず涙を流したのか知っているから。ワハハ本舗の柴田さんの「学芸会に出る子供を観ているみたいな気分」っていうコメントは、そのまんま僕の気持ちだった。

満を持した「ヌーディストの話」と「永ちゃんのネタ」は、大成功だった。知っているネタなのに笑った。泣きながら笑った。番組中、贔屓目じゃなくて一番おもしろくて光っていたと思う。松本人志にもいぢられたし、鶴太郎、かたせ梨乃、篠原全日本柔道監督にも「一番面白かった」とコメントを貰ったし、本当にによかったね、コラアゲン。来年はブレーク必至だね。楽しみ楽しみ。

上の画像は巨匠DANの撮った画像。コラアゲンの一所懸命さを表している。いい写真だなあ。

December 24, 2010

2010イヴ

年末の休日明けの一日。さすがに今日は予想通りの忙しさでバタバタだった。昼ごはんは、こーめい先生が自宅から持ってきた渾身の「カレー」をごちそうになった。先日の「海自レシピ『お艦の味』」の本を教えてあげたら、彼のカレー魂が盛り上がったそうな(笑)。本格的なビーフカレーで、その素晴らしい出来映えに驚きつつ、がっつりと頂いた。香ばしいカレーの香り、グレービー&ドミグラスの深み、マンゴーチャツネの甘み、ガラムマサラの香り、ホクホクした食べごたえのあるすね肉がゴロゴロと入っていて、これも大満足。サフランライスとの相性も素晴らしかった。これは家庭で作ったカレーのレベルじゃないわ、お世辞じゃなくて。隔週で金曜のお昼ご飯は、海軍カレーの習慣をまねて、こーめいカレーの日にしましょー(笑)。

仏教徒なのでクリスマスは特別な日ではないけれど、やはり何となく華やいだ気分になるイヴの夜。日本では1980年ころからだろうか?クリスマス・イヴは恋人と過ごす夜っていうのが一般的になっているけれど、海外ではクリスマスは家族と過ごすのが一般的。その意味では日本の「お盆」に近い感じだな。今年のお盆はキミと過ごしたい!なんて言ったら、まず100%引くだろうな(爆)。エラそうな事を言っても、僕も若い頃はしっかりと世の中に踊らされて、クリスチャンでもないのに付き合っていた彼女(クリスチャンだった)と教会にミサに行ったりして、盛り上がったりしたもんだ。あーハズカシい。子供達の小さかった頃には、サンタさんを信じていた彼女たちのために夢を壊さないように努力したりしたりして。その意味からは、クリスマスって懐かしくも温かい思い出の宝庫だね。

今夜のイヴは、かみさん&ゆっつんと、鮨屋へ。えっ、イブに鮨?(笑)。ま、もういいでしょ。

December 23, 2010

未熟なのか無粋なのか無節操なのか

最近さかんに報道される若手の歌舞伎役者の酔態事件とか、昨日からテレビでさかんにやっているいい歳こいた大人の男女(この人たちの顔は見た事あるけれど、どの人が何者なのかはわからない・・・というその程度の人たち)の不倫騒動など。日本の「マスコミ」の未熟さ、見苦しさ、品位のなさと、節度のなさ・・・全くイヤになってしまう。ここ10年で確実にヒドくなった気がする。

欧米だったらタブロイド紙、日本だったらスポーツ新聞の記事、低俗な女性雑誌のゴシップ記事になる程度の「ニュース」に、公器を使って「報道」する価値はあるのか?

ないでしょ。全然(笑)。

他に伝えるべき事は山ほどあるはずなのに、一般大衆の衆目を集める(のか?本当に。それも疑問だ)情報だけを「垂れ流す」だけの彼らの姿勢についての反省はみたことがない。ということは、今後も続くんだろうな。歌舞伎役者の事件だったら、こんなことがあったという客観的な報道だけで十分で、それを延々と「引っ張る」だけの社会的な意義はない。自宅前に陣取る制作会社の取材陣ってパパラッチそのもの。今回のアラフィフ男女の痴話騒ぎだって、偽善的な立場にたったマスコミが当事者達の「不幸」を面白おかしく報じるだけの意味しかないのだから、良識がある会社なら「黙殺」するくらいの品位があっていい。マスコミだけの責任じゃなくて、そんなクズみたいなニュースを面白がっている受け手のほうの責任も大きい。まあ、日本の首相クラスのスキャンダルだったら、わからないわけではないけど、今回のはあまりにもマイナーすぎる。かっこ悪すぎ。井戸端会議(死語!)的な噂話レベルだもの。

イタリアのベルルスコーニ首相くらいのレベルののスキャンダルだったら、まあアリかな(笑)。あっけらかんとしているし。ちょっと調べてみると世界中に流れる報道にはいろんなのがある。こんなのとか、こんなのとか。ここまでヤンチャだったら、呆れた国民の政権支持率50%ってのもわかる気がする。てか、イタリアだもんな。日本ではアリエナイ。

December 22, 2010

2010年という年

2010年もあと10日足らずでおしまい。思い返してみると、今年は溜め息ばかりついていたような気がする(笑)。最高にいいことも最悪に悪い事も起こらなかったけれど、僕はlow moodのまま突っ走った一年だったかも。桜が咲く頃までは、昨年末のバタバタから続く、落ち着かない気持ちで過ごした。諸事雑事が多かった春。仏教について改めて考えいくつかの本と出会った。春から初夏にかけてはなんとなく地に足がつかず、日々の忙しさに埋没した。宇宙と自分について考えた。「はやぶさ」に思いを馳せた。そして猛暑の夏には、もしかしたら将来に花開くかもしれない「種子」を見つけた。花開くのは数年先かもしれないし、そのまま乾涸びてしまうかもしれないけれど(笑)。秋の風を味わう暇(いとま)もなく11月。友達と素晴らしい時間を共有したライブ。そのままの勢いで12月に入り、あれよあれよという間に今に至る。

特別新しいことをしたわけでもなく、大事な決定をしたわけでもなく、粛々淡々と泡沫(うたかた)の日々を過ごした。ま、これが大殺界の年の「正しい過ごし方」なのかも。占いは全然信じないけれど、運命と(自分なりの)運勢は信じている。その意味では、大過なく過ぎ去ろうとする今年に感謝している。

さあ明日は忙しい12月の貴重な旧慈雨、じゃなくて休日。のんびりと年賀状を完成して、大掃除をして・・・来る年の準備をしよう。
おっ、↑↑「旧慈雨」ってターム、ミスタイプだったけれど、イメージがわく言葉だな。

December 21, 2010

壺中庵


医師会の移動理事会。この会は毎年、この時期に忘年会の会食を兼ねて開催される。もう理事として4期8年も仕事をしている。早いもんだと、会長としみじみ。時間的にもかなり束縛されるので、そろそろお役御免にしてもらいたいけれど、今の立場上なかなか辞められないだろうな・・・当分は。理事をする前までは、医師会という権威主義的な組織に対して冷ややかな態度をとっていたけれど、実際の医師会の仕事を始めて考えを変えた。そのほとんどのものは、泥臭くて地味なボランティアみたいな仕事で、設立の基本にある「世のため人のため」という公益性を維持するために僕らが頑張っているわけだ。ここまで足を突っ込んだら、まあ、あともう少し頑張るしかないのかなと思う。

とまれかくまれ、この移動理事会は日頃プライベートでは(高すぎて)まず行かない名店に行く。今日は白金の八芳園の料亭「壺中庵」
画像は今日のメニュー。

先付けから始まり、タラバ蟹や雲丹、河豚刺し、和牛網焼、松葉蟹の焼き物とコレデモカ!と進み、満を持してメインは雪見鍋。この雪見鍋は豆乳仕立てで、氷見鰤のしゃぶ。この寒鰤の薄いしゃぶしゃぶは上品な脂が乗っていて、さすが。さらに、鰤のつみれは絶品。〆はこの鰤のだし汁を使ったベトナム麺フォー(えっ?というオドロキ。これも美味しかった)と、ふっくらご飯。日本酒は日頃あまり飲まないけれど、今日の料理にはやっぱり日本酒でしょう!ということで、日本酒に詳しいK先生の意見で様々な銘酒を頂いた。どれも、んめー♡!その中でも、「黒龍」の大吟醸。これには参りました。

どれも最高に美味しかったし、大満足&ほろ酔い気分で帰宅した。

でもね、やはり貧乏性の僕はプライベートでは行かないだろう。あの値段だったら僕は美味しいB級中華に20回行くかも(笑)。ごちそうになっておいて失礼だとは思うけど。

December 20, 2010

じゅるじゅるの一日

昨日の日曜日は朝からなーんとなく怠くて風邪気味だったので、ルーティンの休日の泳ぎにも行かず、一日中ソファでだらだらと昼寝>読書>昼寝の繰り返しで休養した。いくらでも眠れる感じ。デスク周りと本棚と廊下の暮れの大掃除「第一弾」をする予定だったけれど、パスすることしした。こういう区切りというか自分なりの儀式というか「禊」みたいなものは、体調充実の時にしよう。さとなおくんが偶然、彼のブログで書いていたけれど、「捨」のダウンサイズすることで区切りをつけることは大切だと思う。自分にとって必要なものを見極め、不要な物は捨て去ることで、本当に大切な物が見えてくる。人生はいつか来る大切な日のためにあるのではなく、いかに日常の時間を豊かに過ごす事が出来るかが大切なのだという、彼の意見に僕も激しく同意する。僕も実は来るべき新しい年に向けて、この暮れはキレイさっぱりと身の回りを整理整頓しよう!と思っていたのだ。一年を通して貯め込んだ様々な「ネガティブな気」は今年中に処理してしまおう。

今朝からひどい鼻づまりでティッシュ2箱使ってしまった。鼻のかみすぎで、がびがび&ひりひり状態(涙)。熱もないし元気なのに、とにかくジュルジュル鼻水&涙目で辛くて仕方がなかった。マスクで顔を被い涙目で診察していたら患者は「引く」よなあ。心配かけてすんませんでした。

夜はジムに寄らず直帰してゆっくりめの半身浴&がっつりご飯。夜は「中原の虹」第2巻を読みながら、満州の広大な大地に思いを馳せる。「満州馬賊」に対して今まで僕が持っていたイメージって、野卑で低俗なアウトロー達っていうものだったのだけれど、任侠の義族&愛国者という一面もあるのだね。壮大な時間軸の中で、浅田マジックが実に魅力的な人物像を紡いでいく。ううう、いいなあ、当分はこの世界に浸っていたい(笑)。

この満州の地で、亡くなったオヤジはどんな青春時代を送ったんだろう? 日本人としてアウエーの地、平壌で生まれた彼が18歳の時、大学に入学するべく初めてさらにアウエーである満州の地を踏んだ時、どんな気持ちだったんだろう?たぶん溢れる希望と夢を胸に長春の街に降り立ったと思う。そして、そのころの長春の街はどんな街だったんだろう? 彼の学んだ建国大学っていうのは、どんな学校だったんだろうか。Wikiを読むと民族共存を理想とした壮大な実験としての帝国大学だったみたいだ。建学の基となった石原莞爾の「アジア大学」構想は日本帝国主義の唯我独尊的な面ははあるけれど、壮大でユニークななものだったことは確かだ。石原莞爾という天才については、いろんな著作があるみたいだけれど、まずは福田和也の本を読んでようと思う。ちなみに、Wikiによると今年2010年6月に「最後の同窓会」が開かれたとのこと。一つの時代の終わりの象徴かもしれない。

December 19, 2010

サザエさんの話

日曜夜はやっぱり「サザエさん」だな。ネットで見つけた爆笑画像。たしかに似てる(笑)。世田谷・桜新町のサザエさん一家みたいな家族は、今はもう少ないんだろう。大家族で濃い近所付き合いがあって、波平さんもマスオさんもいわゆる「昭和のサラリーマン」で明るい未来を信じていられた。専業主婦のフネさんとサザエさんも、つつましくも安定した幸せの中で生活している。子供達は外で遊び宿題をして、おとーさんたちは帰り道に一杯やってほろ酔い加減で帰宅し、皆で一緒に食卓を囲み、テレビを一緒に見て、早く寝る。40年前までは普通にあった日本の典型的な家族の姿っていつのまにか過去のものになっている。ちなみに、世界中で人気のある日本アニメも「サザエさん」だけは人気がない、というか日本文化や習慣があまり理解されないみたいだ。ま、そうだろうな。

December 18, 2010

鎚くじらのタン&ユニクロの奇跡の軌跡。

土曜日午後。鰻割烹の自由が丘「八沢川」にて昼ご飯。誰でも「鰻はここんちが最高!」っていう鰻屋さんがある。僕の場合、石切橋の「はし本」、本郷の「石橋亭」、最近では上野毛の「神田きくかわ」。でも職場の近くで時々通っているうちに、八沢川の鰻重が定番になった。タレがキリッとしていて「だら甘くない」のが好き。その鰻重が出る前にサーブされる「柚子胡椒味の鰻の蒸し汁のお吸い物」を頂いていたら(後で出る「きも吸い」とは別)、佐々木オーナーから「鎚クジラ」の「タン」の2枚の薄切りをサービスされた。この店は、鰻だけでなく割烹料理でもオーナーのこだわりがあって時々美味しいものを出してくれるのだ。彼曰く、あまり普通では食べられない「珍味」だそうな。これを料理するのに3日かかるらしい。へーーっと、酢橘を絞って頂くとトロリと一瞬で蕩けた。すげーなコレ。薄い塩味で風味は確かに「鯨」なんだけれど、これはその「タン」。今まで口にした事がない肉の食感だった。こんな「脂」があるんだ。一緒にサービスで饗された「カブのお漬け物」にはいつも感激する。絶妙な塩加減の「甘さ」が素晴らしい。鯨>かぶ>鯨>かぶのローテーションがエンドレスになりそうだった。鰻重はもちろん美味しく頂いて大満足のランチ。

帰路、ヒートテックのシャツと靴下を購入するべく青葉台のユニクロへ。週末のセールで大混雑(だって安いんだもん)。ユニクロが出始めの頃には、世の中の多くの人にとって「どうせこの値段なんだから品質の悪い安物なんだろう」という偏見があった。でもその時期に大ヒットしたフリースの品質の良さと値段のギャップには皆驚嘆した。「へー。わりといいじゃん」。その後様々な大失敗と大成功の波を経て、柳内さんの非凡な経営戦略で今やユニクロは大企業となった。その奇跡の成功への軌跡を僕らは消費の当事者として体験した。

ユニクロの現時点での僕の印象:
①他の商品とは頭一つ抜けるくらいの圧倒的な高品質の商品、コストパフォーマンスの良さ。顧客のほとんどが「満足」して買い物をしている、という事実。
②ちょっと前までは「ユニクロを着ている」>「安い買い物」>ファッションをケチっている>「ちょっとハズカシい」というブランドイメージがあった。皆一家で同じ物を着てたり(笑)。
③今やユニクロのブランドは、従来の「ブランドの付加価値だけに頼っている老舗ブランド」とは、「一線」を画している。これは世界のファッション界の潮流なんだろう。老舗ブランドの「実のないもの」は淘汰される時代になった。今の時代、わざわざそんな商品に多額のお金を払うのは、劣等感に塗れた成金ばかりだろう。
④今日、店内を回っていて、店を訪れた誰もが「おっ、これいいなあ、買おう!」って思う高品質の商品を周到なマーケティングをもとに多層的に配置しているのに驚いた。この厚みは、かなりの進化だと思う。まとめ買いしたくなるラインナップと商品配置。

車を買う事を考えた時に、もうフェラーリは要らない(少なくとも僕は、だけれど<笑)。リーズナブルな性能と価格のトヨタに乗ったほうがずっとかっこいいい時代になっている。フェラーリが本当にに好きならば、そしてそれに見合う対価を払えるならば、好きにすればいいと思う。これは芸術の領域であり、「趣味の世界」だから、その判断が正しいとか間違っているとか、他人がどうこう言うのはフェアじゃないよね。好きにすればいい。でも日常生活する中で、そのブランドにしか作れないもの以外は、ユニクロ的商品で必要にして十分なものが手に入る。つまり、従来とは逆で「こんなに安いのに、素晴らしい品質である事がわかっている、という事がカッコいい」というイメージだよね。これは、ただ単に消費者が賢くなったってことじゃなくて、そういう方向に世の中を変えた企業サイドの努力の結果なんだろう。やっぱ、すげーな/

そんなこんなでユニクロってすげーすげーと呟きつつ、帰路ジムへ。ちょっと風邪気味だったので軽めに10本500Mを流す。

December 17, 2010

物語的には調和した似非ケイオスの中で

今夜は職場の忘年会。毎年思うけれど今年も早かったなあ。大過なく健全経営できたことはスタッフ一同の個々の努力の賜物だ。ありがたや、ありがたや。今夜の会場はちょっと動きづらい構造で、皆と話しづらかったのが難点だったけれど、事前の準備や進行を仕切って頑張ってくれたスタッフのおかげで、楽しい時間だった。来年も頑張ろーね。痛飲してべろべろに酔っぱらって中央林間の終点まで行ってしまい、逆の上りの終電で途中で降ろされてしまい、エラい目にあった去年の忘年会の轍を踏まず(笑)、抑えめで飲んで、一次会で帰路についた。付き合い悪くてゴメン。

さて、金曜日夜の渋谷は今年の忘年会のピークなんだろう。今夜もスゴい人出。ハチ公前のオープン交差点では一度の青信号で移動するのは2000人とか以前どこかで読んだことがある。様々な状況にあるその2000人が、ワサワサとそれぞれの目的地を目指してアトランダムに渡ってる状況って改めて考えてみると、すごいことだ。交差点だけでなく周辺のペーブメントも人だらけ・・・ってことは、今夜の渋谷のあの辺りにざっと見積もっても1ー2万人は屯していたんだろう。すげーすげーとか思いながらほろ酔い気分で歩く。何がどうスゴいかはあとで考察するとしても、今夜はただ「すげー」って思った(笑)。やっぱり、あの「圧倒的に平和でぬくぬくと生温い安心感」のある空間ってのは、世界中の都市のなかですごく特別だと思った。大きな危険や想定外の物事が起こる筈のないくらい調和のとれた「似非ケイオス」のメタファーとしての渋谷の交差点。僕らは先人達の必死に築き上げた平和という虚構にぬくぬくと埋没して生きている。いい意味でも悪い意味でも。

帰宅してから、気になって軽めに検索してみたら、こんなのとか、こんな研究を見つけた。膨大な社会学や心理学の研究対象としては文系理系問わず興味深い空間なのだろうな。素人の僕でもすぐに2−3の考察文は書けそうだ。

でも、どうして今夜そんなことを考えたかというと、近々書き始めようとしている文章のある場面のテーマが、「ケイオスの中の孤独」なので。プロットを書きながら考えを進めよう。

December 16, 2010

クリスピーな忘年会

浅田次郎「中原の虹」にハマっている。「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」からじっと続編を読みたいのを我慢して文庫化されるのを待っていたのだ。正月休みにじっくりと読もうと思っていたんだけれど、先日「マンチュリアン・レポート」を読んでいたら辛抱堪らなくなり読み始めてしまった。満州という場所は亡くなったオヤジが青春時代を送った(彼は満州建国大学の出身だ)場所で、行った事はないけれど子供の頃から親近感とある種の思い入れのある場所として感じていた。あと3巻。早く読み切ってしまいたいような、じっくりと味わって読みたいような「この感じ」ってちょっと久しぶり。また故宮博物院を訪れたくなった。

夜はプチ忘年会@自由が丘「とよ田」。絶品の雛鳥唐揚げ。彼らは自分の娘みたいな年代なんだけれど(僕は彼らの親とほとんど同じ世代)、しっかりした自分の考え方を持って自立してるよなあ。立派なもんだ。僕としては精神年齢は35歳くらいで止まっているつもりなので話していてあまり歳の差の違和感は感じないのだけれど、彼らからすれば確実に僕は「オッサン」なんだろうなあ(爆)。楽しい飲み会だった。あいちゃん、しずかちゃん、しょうこちゃん、ありがとう!

帰宅したら、FMサルースのまなさんからこんなサイトを教えてもらった。James Taylorのギターレッスン。彼のやさしさとかナイーヴな感性とかを感じられる画像。いるんだよなあ・・・アメリカにはこういうやさしくてちょっと理屈っぽくて「自分のこだわり」のあるカッコいいオッサンが。この路線もいいなあ、65歳くらいになったら、僕も目指すかな?(笑)

December 15, 2010

海自ごはんLOVE


アマゾンから届いた「海自レシピ お艦(かん)の味」(小学館)。ぐふふふ、この本は面白い。船に一度乗ったら陸に上がるまで、厳しい毎日の兵隊さんたちにとって、食事は唯一の癒しであり最大の楽しみだろう。海軍の伝統で明治の時代から食事に関してはこだわりがあったそうな。今でも海上自衛隊のすべての艦艇には、それぞれ専属の料理担当の自衛官が乗っていて、明治の時代から引き継いだ伝統をもとに、彼らが開発した独自のレシピで進化した「門外不出」のもの(曰く、国防機密<笑)らしい。それも艦艇ごと、給養員長(現場のチーフ)毎に独自のレシピがあるのが面白い。艦艇内の狭い保管庫にある限られた材料で、大食漢の自衛官達の満足する料理を、一日ひとり1000円(!)でいかに美味しくつくるか?という工夫って、僕の想像を越えたご苦労があるんだろう。以前読んだ「南極料理人」の西村淳さんの本に一脈通じるものがある。

「海軍カレー」(すべての艦艇で毎週金曜日の昼ご飯はカレー)で有名なカレーは彼らの一番のこだわりメニューで、本書では1/3はそのレシピについて書いてある。どれも「むふふ、うまそー、これは作ってみたい!」と思わせるものばかりで、その写真をみているだけで楽しい。さらにその艦艇の写真とスペックも載っていて、これも「働く自動車」とか「働く船」の大好きな僕の好みなのだ。子供の頃に無中になった「図鑑」の楽しさなんだな。

この本はB級料理好きにはタマラナイおすすめ本、☆☆☆☆。

December 14, 2010

ストーリーを語れる人

今の立場上、壇上に立ってスピーチをすることが少なくない。オフィシャルな場での挨拶だったり、学会や研究会での講演だったり、学生への講義だったり、毎週の職場の朝礼だったり。最近では毎週のラジオの番組のコーナーもある。決して人前で話す事が「得意」なわけじゃないのだ。場慣れというのか、昔からあまりアガるということはないけれど、やはり緊張してしまい、内容的には自分で「まあ、うまくいったな」と思うことは十に一つだ。いつも「ああ、もっと巧く話せたハズなのになあ・・・」と後悔とも反省ともつかない忸怩たる気持ちになる。その昔、先輩達がいとも簡単に上手なスピーチするのを「すごいなー!」と羨望の眼差しでみていた。それに比べれば、僕の話なんて取るに足らない「時間の無駄」みたいな気がする。ブログやHPでの独り言や日記だって、自分の書いている内容を考えればどーでもいいことを書きなぐっているだけだし。

こんな話を人にすると、皆信じられない顔をする。もちろんお世辞もあるんだろうけれど、いつも自信満々で余裕で話をしているように見えるらしい。トンでもない!自分的には、全然本当に話したい内容のフォーカスからズレているし、ロジックも話し方も選んだ言葉も全然「ダメ」なのだな。結局、自意識過剰なのだと思う(笑)。正直なところ、どの場でも僕の話なんて、誰もろくすっぽ話を聴いていないんだから(笑)もっと気楽にやればいいのだけれど、「人によく思われたい」とか欲が出るのだろう。この歳になっても。修行が足りない。

で、今日昼休みにふと考えた。僕が好きなスピーカーにしてもブロガーにしても小説家にしても評論家にしても、上手に「自分の意見を語れる」人たちの共通点は、その時間内で「自分(なり)のストーリー(ノンフィクションでもフィクションでも)を構築できる」人なのだ。もちろん、スピーチであれは、声質とか、話す言葉とか、語るスピードとか、間とかの「語りのテクニック」も大切だろうし、書き物であれば、論理のシークエンスの巧みさとか、紡く言葉(単語)の的確さとか、比喩の上手さとかのテクニックも重要だろうけれど、本質的なところは同じだと思う。

ストーリーを自分なりに構築して、いかに人の心に届けられるか?という事じゃないかと思う。ストーリーのないスピーチは面白くないし、文章でも僕がシンパシーを感じるものには、必ず語る人独自の「ストーリー」と「世界」があるのだ。小説はいわずもがな。蛇足だけれど、いいスピーカーって人の見えない所で地道な「努力(原稿の推敲と練習)」をしてるものなんだね。自然に見えるスピーチほど、練習しているみたいだ(例:Steve Jobs)。僕自身、これはうまくいったなというスピーチは、例外なく十分時間をかけて練習している。そうそう、それをしないのが一番も問題なんだ。今、気づいた(笑)

December 13, 2010

休み明け&週明け、げろげろ超多忙の一日

先週後半は法事で休んでいたので、デスクの上にはカルテと書類と郵便物、FAXの山で「てんこ盛り状態」(笑)。さらに巷は「げろぴー」胃腸炎の大流行ということで、月曜日の外来はてんやわんやで13時過ぎまで。救急車の対応とかで昼ご飯は15分でかっこむ。14時から面会、その後、病棟回診などなど。オフィスに戻りメールへの返信やらてんこもり書類の処理やら・・・であっという間に一日が過ぎた。夜は行政関係の研究会&忘年会。関連領域のお役人との懇親会。いろいろキツい事を言われる立場だけれど、彼ら行政も限られた予算の中で精一杯頑張っていることがよくわかって有意義な会。今週は会合が連日続く。

僕ら「北品川の会」のメンバーである伊藤章良さんの「東京100年レストラン」がアマゾンから届いていた。(後で味わって読みたいので)ぱらぱらと読んでみると、伊藤さんの食に対する真摯な態度にはもちろん感嘆するだけでなく、軽妙な文章の行間に彼の思い入れのあるお店に対するレスペクトとシンパシーが鏤められている。この本は決して薄っぺらいレストランガイドではない。じっくり楽しみたい本。

December 12, 2010

安息日曜日

名古屋行きから一夜明けて、今日は完全休養日とした。午前中はテラスの手入れやらメールの返事など。気持ちのいい天気の下、テラスに出てみたら、早咲きクロッカスの芽が出ていた。へー、来春に向けて粛々と始動している自然のすごさ&したたかさ。ふと浮かんだ(・・・というのはウソだな、前から漠然と考えていた)プロットを、先日買った新しいMOLESKINEに書き留めた。その後はデパート外商で法事の諸雑事など。

昼ご飯は「汐そば屋」の特製醤油ラーメン。ここんちはもちろん塩ラーメンがウリなんだけれど、実はこの特製醤油ラーメンが僕は一番美味しいと思う。魚介系プラス鶏ガラの澄んだスープ。秀逸なのはちょっと固めに茹でた中太麺と焦がし醤油の調和。ここんちの麺は絶妙にシコってうまい。さらに炙りチャーシュー(ちょっと厚みが薄いのが残念)、たっぷりの葱(あわせ葱)、定番メンマ(味がしっかりついている)、固めの半熟たまご、のり、が載っていて、最後に魚粉がぱらりとかけて出てくる。懐かしくて新しい「現在の醤油ラーメン」って感じ。当分はハマりそうなラーメンだと思う。開店前は期待していたのに、本家の味とは全く違って、がっかりだったモールの「KJR軒」とは大違いだわ。

有燐堂で小説と新書を7冊買ってから、ジムで今日は黙々と20本1000m。久しぶりなので、ちょっとへばってしまい途中何回か休んだけれど、最後は意地で泳ぎ抜いた。ちょっとした達成感(笑)。その後は気持ちよくジャクージとサウナで伸びた。夜は年賀状のデザインなどを家族でディスカッション。それなりに色々あった今年も、暮れに向けて師走り出した感じ。今週は忘年会の嵐の週だ。

December 11, 2010

50年前の写真

オヤジの一周忌。親戚一同が名古屋に集まり、粛々と滞りなく法要と納骨。快晴で12月とは思えないくらいの暖かい陽射しの下、1年の喪が明けて「神妙にしてニコニコ顔」での法要は、自分でいうのもヘンではあるけれど心のこもったいい法要だったと思う。御様(おっさま)の読経もよかったし般若心経を一緒に唱えられたし。よかったね、オヤジ。

中華料理で御清め&偲ぶ会。精進料理で鯱張って(しゃちほこばって:名古屋だから>笑)湿っぽく御清めの会をするのでなく、皆でわいわいと中華を食べた方が故人のためにもいいと思って名古屋の叔父にリクエスト。日頃ご無沙汰している親戚とはこんな機会がなければ、なかなかゆっくりと話が出来ないし。一ひねりあるユニークな中華で美味しかった。人気店らしい。

オフクロが曾爺さんの葬式の時の集合写真(湯河原の屋敷の大広間で撮影したもの)を持って来ていて大いに盛り上がる。当時は写真屋さんが来て結婚式みたいな記念撮影を仏前でやったものだそうな。その写真は僕は今回初めてみたけれど、たしかに親戚一同が一堂に会している。昭和38年。懐かしい顔多数。50年前の写真とは思えないくらい鮮明でいい保存状態のモノクロ写真。若く凛々しいオヤジが喪主(彼は養子であるオフクロの婿で「義理の長男」ということになる)で、中央に坐っていてその膝の上に5歳の僕(曾孫なんだけれど、跡取り孫)がいる。当たり前だけれどオフクロも若い(31歳)し、爺さん&婆さんはじめ親戚一同若くて大爆笑。「時代」がそのまま撮影されている。さすがに50年経てば既に没している人たちも多くいるけれど、今ここにいる人たちの50年前の「そのとき」。その中で「この人はいったい誰だ?」みたいな話題(その後、没交渉になっている親戚や遠い親戚で今はおつきあいのない人など)や、「あの当時はこんなことがあった」みたいな話題は尽きない。簡単に個人で画像や音声が記録できる今の時代と違って、50年前のこの写真は1枚でものすごく多くを語ってくれる貴重な画像。この機会に、こんなサプライズ写真を持って来たオフクロの機転、ナイスでした(笑)。

そんなこんなで、故人を偲びつつ(これもヘンな話だけれど)楽しいひと時。僕もずっと何かつかえていたものが腑に落ちて、この年内に一区切り付ける事が出来てよかった。

December 10, 2010

こてこて名古屋泊


親戚もいるし墓もあるということで名古屋には親近感がある。我が家のルーツはもともと三重県の伊勢志摩のほうで、大昔は紀伊半島の英虞湾あたりを根城にした「海賊」(水軍)だったらしい(笑)。ご先祖さまは結構悪い事やってたのかも。僕の曾爺さんの代で名古屋に出て来て商売を始めた関係で名古屋の八事に立派なお墓がある。しかし、次の爺さん(婆さんの婿養子)の代の昭和30年代には商売をたたんで東京に出て来たので、僕の母親もその婿養子である亡父も名古屋に住んだ事はないのだ。本来であれば、先代の時点でお墓を東京に移しておくべきだったわけではあるけれど、それをしなかった関係で子供の頃からいつも「法事は名古屋」ということになっていた。実は、オヤジが亡くなった事で、お墓を移すいい機会なのかなと考えた時期もあったのだ。しかし僕の想像していた以上に「墓を動かす」ということは大変なことで、結局、雑司ヶ谷に一時的に安置していたお骨を今回の一周忌を期に八事に納骨することにした。年が明ける前にすっきりしたかったし。

ということで、名古屋。明日のための書類上の手続きなどを済ませて午後から栄周辺を散策。遅めの昼ご飯は、やっぱりきしめんでしょ、ということで、宮きしめん竹三郎。あの、お土産でいつも買ってる「宮きしめん」のお店なんだろうな。あっさり味の「親子とじ(コーチンと卵)きしめん」もおいしかったし、「味噌煮込み」も美味しかった。赤味噌は子供の頃から慣れ親しんでいるので好き。おしゃれなショッピングモールは日本中どこの都市も同じだね。こちらに来る車中で「日本三大「ぶ☆」都市」が名古屋、仙台と、あとどこだっけ?なんて話題で盛り上がってたので、それとなく僕は観察していたのだけれど、とんでもない!あれはまったくのデマで、美しい女性もふつうに多し(って、アタリマエだ>笑)。

夜ご飯はマリオットの宿泊組と合流して、名古屋っぽいものを、ということで味噌カツ「矢場とん」。皆あまりおなか減っていなかったのに、オーダーしたものが出て来たらしっかりガッツリと食べちゃった(笑)。しっかりと美味しかった。このコテコテの「濃さ」が名古屋!チェーン店ということで、どこかで見たなこの看板・・・銀座4丁目の新しい三越の近くにあったな、たしか。東京で受けるかどうかは未知数だけど、僕としては半年に一度くらいは食べたくなる味かも。

December 9, 2010

オヤジとの会話

明朝早くに、おやじの一周忌に名古屋に向かう。もうあれから1年なのか。

時の流れの速さに驚くのはいつもの事だけれど、この1年間の時の流れは本当に早かったと思う。ここで告白するけれど、おやじのことを思い出さない日(朝)はなかった。そのくらい彼をレスペクトしていたし、彼が僕にくれたものを思い感謝する日々だった。彼は僕のヒーローだった。

去年の12月。自由が丘で友人と飲んでいたら、おふくろから電話があった。ただ事ではない雰囲気。でも医師としての僕はその時、「ああ、その時が来たな」と、すごく冷静に思った。彼の大動脈瘤が破裂するリスクがあることは、半年以上前に判っていた。彼の考えていた通りの死に方だった。

その半年くらい前の彼との会話。
「おやじ。医者としての意見を言うけれど、おなかの大きな動脈が腫れていて、このままでは1年以内に破裂する可能性があると思う。手術するか?手術すれば今後5年は生き延びる可能性は高まる。でも手術しても後遺症で苦しむリスクもある。どうする?その道の権威は知り合いだから紹介できるけど。もしおやじはが望むならすぐ連絡するぜ。」

僕は彼の答えは判っていた。彼は何も言わなかった。ただ笑って言った。
「雨が来そうだ。早く帰れ。なおこさんと仲良くしているか。子供達は元気か? 四の五の言わずに、早く行け!」

医師としていろんな人生の最期を看取って来た経験からいって、これ以上幸せな死に方はないだろうという位の、穏やかで静かで苦痛のない人生の幕の引き方。あっぱれな死に際だった。

親父と息子は何も話さなくてもわかるのだ。

December 8, 2010

爆笑!生放送



ぎゃはははは。放送事故って、当事者からすればトンでもない状況なんだろうけど、僕ら視聴者からすれば大爆笑もんだ。ま、人間なんてそんなものだ。ミスをしない人なんて居ないわけだから。かつては放送して巷に流れてしまえばそれで終わりで、担当者は始末書か、最悪クビになる処分で事態収拾を図って〆ることができたのに、今の時代エンドレスで世界中にYoutubeに流れてしまうんだものね。その意味では厳しい時代。

December 7, 2010

Fastingは最高の前菜だ


2年毎の胃腸のチェックアップを同期のK君にやってもらうべく、昨夜は錦糸町の東武ホテルレバンドに宿泊して、胃腸のリセット。友人のS君と同宿。業界のトップランナーで忙しい彼も50歳ということで、今回は一緒にチェックアップをしてもらうことにしたのだ。お互い胃腸を酷使してるもんねえ(笑)。ということで、それぞれの部屋に分かれて、20時ころからマグコールP、22時からラキソベロン&プルセニド。いつものことだけれど速攻で効果が現れトイレとの往復が始まった。やれればいいなと思っていた原稿書きは早々に断念し、浅田次郎の新刊「マンチュリアン・レポート」を読み始めるが、集中力がなくて何回も読み直さないと筋が追えない(笑)。彼の一連の清朝末期から満州国建国までのシリーズのなかではちょっと異質な小説で、張作霖爆殺事件のミステリー。さすが浅田次郎、稀代のストーリーテラー。おろしろい!が、集中できない!というジレンマに悩みつつ往復を繰り返す。昨夜はわりと早く眠って6時過ぎに一旦起床。ルーティンのストレッチなど。7時過ぎ、明るくなったら窓から建設中のスカイツリーが目の前に見えた。8時から本番の経口腸管洗浄薬を開始。前処置の前処置を終了しているので、半分くらいで十分効果があったけれど、ダメ押しで最後2Lまで飲み干す。11時のチェックアウトまでは断続的にトイレ行きを繰り返し消化管は完全に空っぽのfasting状態になる。不思議に空腹感はなく、ぼわーっとした感じ。ロビーでS君と何をするでもなく(おっさん二人で酒もお茶も飲めず食事もできないとすれば何もやることなんてナイ>笑)おしゃべりしながら、ぼーーーーっと時間を潰し、小岩のKクリニックへ。クリニック到着後は「まな板の上の鯉」あるいは「ドンナ・ドンナの牛」状態で検査を受けた。さすがのK君の超絶内視鏡テクニックと鎮静剤の影響で全く苦痛なく爆睡しているうちにすべて終了。僕もS君も日頃の行いが悪いわりには(笑)、異常なし!ということで嬉々としてクリニックを後にした。よかったよかった。

さて、せっかく胃腸をリセットしたんだから、お腹の負担にならない回復食として何か美味しいものを食べよう!ということになっり、S君のおすすめで「新ばし しみづ」に鮨を軽くつまみに行く事になった。鮨グルメのS君の推奨だけあって、美味しく頂く。ネタの仕事は流石だし、酢が利いていて小気味いいシャリが口の中で美味しくばらける感じが素晴らしい。アルコール抜きでのFastingからの生還(笑)回復食としては、最高のチョイスだったかも。

さあ、レストアできたし、気持ちもリフレッシュしたし、明日からまた頑張ろう!

December 6, 2010

胃腸をリセット中

明日の内視鏡検査の前処置。朝のいつものV8のあとは、低残渣食で胃腸をリセットするべく、ゼリー食と素うどんのみ。食いしん坊の日常から離れて、たまにはストイックに胃腸を休めることにした。医学的にもFasting(絶食)の効能は明らかだ。傷ついて獲物が捕れなくなった動物達は、何も食べずにじっとしている。絶食は自然回復力を高める。明日の夜まで休息して、最高に美味しいご飯を食べよう(って、やっぱり食いしん坊>笑)。

December 5, 2010

12月のまったり日曜日

FMサルース「おしえてまーく先生」の収録。年末から年始の番組。アルコール消毒について(笑)、マイコプラズマ肺炎について、百日咳について、自転車の事故、雪見鍋、などの話題。いつものようにまなさんの仕切りで香月さんと楽しいトークをさせて頂いた。新春番組での「新年のご挨拶」で、今年の抱負として「今年は書き散らかしている文章を整理してまとまった文章にしたい」と話す。あ、そうだったんだ(笑)。しゃべりだしたら勝手にそんなこと話していた。たぶん僕の潜在意識にあったんだろうな。

午後から神保町でじょうじ君と昼飯打ち合わせ。その後は楽器屋さんをひやかしてギターをみる。ともPが先日買ったタカミネのHawaiian Koaのギターの鳴りが素晴らしくて新しいライブ用のギター欲しくなったのだ。タカミネは輪郭のはっきりした野太い生音がいいし、作りもしっかりしているし、定評のあるピックアップが使いやすそう。500シリーズのいいデザインのものと出会ったら、決まりでしょう(笑)。来年の楽しみにしておこう。その後は、いつものムームー・ダイナーにて来年の計画などをつらつらと話し合う。差し当たりスタジオ合宿@白浜を計画するかな。ハックル仲間で週末台湾遠征なんかも実現したいし。楽しみ楽しみ。帰路、軽めに5本250m。明日から2日間Fastingで胃腸をリセットする予定。

December 4, 2010

ひさしぶりの「ろっぽんじ」

六本木ヒルズ52階のMado Loungeにて知り合いの会社の設立10周年パーティ。彼らの立ち上げの時の苦労から知っているので感慨ひとしお。楽しいパーティだった。やはり社長のOK女史の器量なんだろう。彼女がマッキンゼイ時代からお付き合い頂いているけれど、(ハーヴァードのMBAまで究めているくらいの)賢い彼女の一番の武器は「ブレない信念」だと思う。時々危なっかしいなあと思わせる「隙」も彼女のキャラでうまくバランスしている。でも何より彼女がスゴいのはそれを自分で十分知っていることだろう。10数年前に初めて会った時、この人は美しい女性ではあるけれど、なんとなく「大阪のおっさん」的は人だな・・・って思った(笑)のは当たっていた。誤解のないように書いておけば、これは起業して成功する女性の大切な資質だと思う。褒め言葉です。単に美しく賢い女性(大好き!>笑)は巷にたくさんいるけれど、彼女は図抜けた「資質」を持っているということ。たいしたもんだ。

それにしてもクリスマスデコレーションで彩られた華やかな六本木ヒルズ。その昔六本木で遊んでいたのに、今はこんなイベントがなければ足は向かない場所。あのちょっと薄っぺらいキラビやかさはハズカシくて、用事がなければ僕ら東京ロコは、まず行かない場所なんだよなあ(笑)。Roppongi ろっぽんじ(笑)。

December 3, 2010

Ordinary People Under the Sky

今朝起床してぼーーっとしていたら、閃光&雷鳴。北の国が核兵器を打ち込んだのか!と一瞬焦ってしまった。天気予報をチェックしていなくて、こんな悪天候になるなんて知らなかったから(笑)。6時過ぎでも真っ暗で、もの凄い勢いで雨粒が落ちてくる。歩くのは断念して、はやぶさ号で出発。豪雨で環八が川みたいになっていた。低地では池みたいに冠水していて、停車したらエンストしそうでかなりヒヤヒヤしつつ職場到着。午後からは強い南風が吹いていて初夏みたいな天候にあっけにとられた。朝の激しい雨は夢の世界のことみたい。遅めの昼休みで目を瞑っていたら、上空30mくらいの超低空から俯瞰しているイメージが出て来て、5分間くらいそのイメージの中で遊んだ。夕方からは強風で雲が吹き飛ばされて、ほのかに暗くなった空は快晴。帰路の車内から家に電話して、夜は家族で汐見台のイタリアンFesta Piazzaへ。家庭的で安心できる味&リーズナブルな値段。駐車場から観た空が透き通っていて、星がきれいな夜だった。こんな空の下、僕らordinary peopleは「この日の記憶」を刻んでる。

♪♪ Ordinary People by John Legend

December 2, 2010

おやじの記憶

昨年暮れに急逝したオヤジの一周忌の準備をしているせいか、最近オヤジのことをふと思い出すことが多い。彼との関わりや会話、彼の生き様が自分にいかに影響を与えたのかを、今更ながら痛感している。たぶん3歳くらいの記憶から始まり、死んだ朝の事まで、息子として本当に些細なエピソード(ばかり)を憶えているものだ。

それは、ある夜のお風呂の場面だったり、オヤジに初めて殴られた日曜日の朝の事だったり、オヤジが酔っぱらって帰って来た夜のことだったり、初めてオヤジに腕相撲で勝ちそうになりわざと負けた日の事だったり、初めてのゴルフコースで「大人のルール」を教えてもらった事とか、受験することを秘密にしていて医学部に合格したことを伝えたら、驚きつつスゴく喜んでくれた日のこととか・・・。彼の晩年のことを思い出すと胸が痛い。死んでからわかるオヤジの有り難さ。オヤジとムスコというのは、面と向かってはなんだか照れくさくて本音は出せないものなんだけれど、今「有り難うございました」と。

生きている時に親孝行っていうのは出来なかったので、こうやって思い出す事が最大の供養なのかもしれない。

December 1, 2010

仏縁

「東○ルール」という、区西南部救急医療システムの当番日9:00 - 明朝9:00の24時間は「問答無用」で救急受け入れをする日。このルール、夜が本番なので現在当直中。今のところ「ルール事例」はないけれど、ふつうに忙しい当直。CPA一件、緊急入院2件。やはり僕のKarmaなのか(笑)。今はちょっと一休み時間。
さあ、朝まで粛々と頑張ろうね!>スタッフ&自分。

そうそう、今日名古屋のHさんからメールがあった。彼は高校時代の友達のMちゃんの義兄さん。すごく魅力的な方だ。Mちゃん姉妹のお父上(つまり彼にとっては義父さん)を、高校時代から30年以上経て、僕が拝診することになったというのも奇遇のご縁。その後、名古屋の彼の立派な山荘でライブパーティをやらせていただこともある。名古屋といえばいつも、ふと彼のことを思い出しつつ、このところご無沙汰していたのは僕の方だ。ところが、来週名古屋でオヤジの一周忌&納骨をすることになり、そんなこんな段取りを考えている最中に彼からメールを頂いたのでびっくりした。さらに、その添付された文章がHさんの父上の話。昔の人は品格とこだわりをもって立派だったという素晴らしい話なのだ。このタイミングで「名古屋>八事(彼のお宅は昭和区ですぐ近く)>父の話」と繋がって・・・やっぱり「仏縁」ってあるんだな、とつくづく思ったりした。
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