助けあいジャパン

December 17, 2009

携帯電話のなかった時代の海外旅行

人生モラトリアム期間中(笑)の末娘さーちゃん(紗仁子)が、来月早々にイギリスの片田舎の、日本人のほとんどいない英語学校に短期留学するので、その準備をしている。自分でやれるところまでやってごらん・・・っていうスタンスで、僕もかみさんも観ている訳なんだけれど、甘ちゃん&内弁慶&実は小心者の彼女に、本当に一人旅ができるのか?、安い航空券を買った(往復で10万円)ので、パリのシャルルドゴール空港でちゃんとマンチェスター行きの便に乗り継ぎができるのか?、さらにマンチェスターに夜に到着してから、シェフィールドまで自力で移動できるのか?///ちょっと心配(笑)。

今日調べていたのはイギリスの携帯電話事情。(過保護な>笑)父親としては、何かあった時に日本から、あるいは日本への連絡がすぐとれる携帯電話を持たせたい。現地で調達するか?あるいは日本の携帯の海外ローミングするか?などなど。いろいろ検討して、結局モベルのワールド携帯電話にした。まあ緊急連絡用だし、MSMも使えるし、いいチョイスかも。まあ、でも便利になったものだ。しみじみ/

さて、僕が初めてアメリカ放浪旅行に出たのが19歳の時。バックパックを背負ってLAからSan Diegoへ、そこからAmtrakで北上してSFに向かい、そこで滞在して2ヶ月間。ふらりふらりと一人カリフォルニアを旅した。雑誌「POPEYE」の影響をモロに受けていたな。つーか、当時そんなにカリフォルニアのリアルな情報なんてなかったし(笑)。

旅の間に結構危ない目にもあったし、笑っちゃうような失敗や頭を抱える事態も体験したけど、それらの危機(笑)をなんとか乗り切って日本に帰ってきた。あの一人旅で得たものは大きかったし、あの旅が僕にとって「子供」と「大人」の境目だった気がする。16歳の時のイギリスは100%親に依存した旅だったのに対し、あの旅は自分で考え自分でお金を作って行った旅だった。その後は毎年、大学を卒業するまでアメリカの放浪の旅を続ける事になったのだけれど、それはあの19歳の頃の旅から始まった訳だ。とはいえ、男女の違いはあるけれど、夢みたいなことばかり言ってたあの頃の僕より、今の彼女のほうが、もしかしたら数倍「したたか」で「しっかりしてる」かも知れない。

その昔、2ヶ月海外に行くということは、日本の人間関係の柵(しがらみ)から「ほとんど』音信不通になってしまうことだったし、日本のニュースや世間の事情なんかも全然わからなくなることだった。今は携帯で簡単に連絡はつくし、インターネットでほぼリアルタイムで日本のニュースがわかるんだもの、便利な時代だ。この辺の事情については、もっともっと書きたいことがある。

そういえば、あの頃はまだ羽田の赤絨毯から旅立ったんだ。たぶん羽田の国際空港としての最後のほうだったんだろう。
おおっ!そういえば、あの日見送りに来てくれた、当時付き合っていたRちゃんと(まるで刑務所の面会窓みたいな)ロビーのガラス越しに、うるうるとサヨナラしていたら・・・、彼女の隣に何となく見た顔が!なんと、ニッポン放送で当時お世話になっていたディレクターのSさんだった。彼も友達を羽田に見送りに来ていたのだった。いやーあの時は本当にびっくりした。今、唐突に憶い出した思い出(爆)
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