「君はどのくらい泳げるんだい?」と、Mr. Bell Pepperが聞いた。
いつも彼の質問は唐突で気まぐれだ。「まあ、体調さえ良ければ1000mは泳げるだろう」と何気なく答える僕。
「ゲームをしないか?」
「どんなゲームだい?」
おかしそうに嗤うMr. Bell Pepper
「君は、どんな状況でも100mなら泳げるかい?」
「まあ、たぶんね。」
「たぶん、かい?君はいつでも、そう言うな」
「いや、{たぶん}絶対さ」
「僕の言う条件で100m泳げたら、5万ドル、っていうのならどうだい?」
5万ドルっていうのは、ただ100m泳ぐだけという対価としては悪くない金額だけど、命をかけるほどの金額でもない。全然。あまり興味がわかないけど、少なくとも面白そうな話だ。
「あっ、わかったぞ。身体に鉛を50キロ着けて・・・みたいな条件とか、悪天候の海とか、急流を泳ぐみたいな話なんだろ。そんな仮定を突然持ち出すなんてフェアじゃないよ、Mr. Bell Pepper.」
「まーく、そうじゃない。僕のいう「状況」は、君が一番体調いい状況で、君の{好きなときに、好きな格好で}泳いでもらっていいのさ。それで出来るのか?って話さ。」
「ほほう、それならOKだ。自分で決めて良いんだろ?大丈夫。僕には自信がある。」
「ふーん。皆そう言うのさ。自信満々にね。でも、それが出来たのは今まで2人と1匹だけさ。」
「年老いた漁師と盲目のギタリスト、それに、飼い主を喪ったばかりのメスのレトリバー。」
「えっ?たった100m泳ぐだけだろ?」
「そうだよ、たった100m泳ぐだけだよ」と、含みのある言葉を復唱するMr. Bell Pepper
☆☆☆☆☆☆
「このゲームに参加して、僕の話を聞いてくれればその時点で1万ドルだ。その話にのって実際に泳ぎ出せば1万ドル上げよう。ただし、トライ出来なければ逆に僕に3万ドル払ってもらう。そして、実際に成功すれば、僕が君に3万ドルだ。悪い話じゃないだろう?フェアなゲームだと思うが。」
「もう一度確認しよう。僕は、僕が選んだ条件で好きなときに好きなように100m泳げばいいんだね」
「そのとおり。僕が決めるのは、{その場所}だけだ。」
不敵に哂うMr. Bell Pepper
「ゲームを始めよう!」
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11月の新月の夜だ。時間は午前1時すぎ。ちょっと肌寒いが絶望的なほどの寒さではない。僕は漆黒の闇の中、一人で海に出ている。風はそんなにないが、太平洋の波は確実なうねりを繰り返している。風の音はほとんど聞こえないが、重低音のごーっという腹の底に共鳴するような黒潮の響きを感じる。乗っている船は小さなゴムボートだ。十分な装備もある。ゴムボートの底は十分な厚みのゴムで出来ているが、僕は身体の下に直接海の鼓動を感じている。木の葉のように揺れる、っていう程じゃない。舵なしで潮に流されている。でもボートは上に下に、背丈のおよそ2倍、3m位のうねりの中にいる。この海域では、「ごく普通」のうねりの中に、居るわけだ。せり上がってうねりの頂上にいると、底のほうは絶望的なくらい深く暗い闇の底に見える。それ自体が、根源的な恐怖。畏怖。何に対しての?
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そうだな、確かに怖いさ。
でも大丈夫。たった100m泳げばいいんだろ。そのくらいできるさ、「必死になれば」。
ははは、そうだろうな。「必死になれば」そのくらいできるだろう。勇気を振り絞ってね。オレも「君なら出来る」と思ってるさ・・・その時点ではね。
★★★★★
漆黒の闇、深いうねりの中で、僕は何度か海面を覗き込んだ。夜の海、うねりがある。水温だって決して十分とはいえないだろう。今まで経験したことがない状況で、海に入るリスクをかけることはない。
恐怖?YES
後悔?Yes, but...
ああ、そうか、ゲームを降りるという選択肢もあるわけだ。3万ドル渡して。僕にとっては大金だけど3万ドルは払えないわけじゃない。こんなゲームに命をかけるほどのものでもないだろう。差し引き1万ドルじゃないか、リタイヤするのはそんなに難しくない。
No, but...
僕は朝が来るまで待つことに決めた。あと5時間もすれば夜が明けるだろう。
Mr. Bell Pepperは、何も言わない
★★★★★
夜明け前。
でも、まだ君は本当のことを知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく。
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水平線がぼんやりと明るくなったと思ったら、急に周囲の海の色変わった。漆黒から濃紺、そして乱反射する波面。太陽があがった。
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やめるなら今のうちだよ。実際の深さをまだ君は知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく
教えてあげよう。君は今、日本海溝の上にいるのだ。
午前1時、最深部が8020Mの日本海溝の真上の海上にいる。うねりは約3m。
新月の真っ暗な夜だ。うねりの底の暗黒の深い底には8020Mの海底があるんだ。
十分な時間もある。君が100mは泳げるんだろ。「どんな状況でも」。
嗤うMr. Bell Pepper.
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僕とMr. Bell Pepperの本当のゲームは、ここから始まったのだ
続く・・・(今日はもう眠いのでここまでっ!)