娘3人の子育てしか経験がないので、大して偉そうなことは言えない。でも、男の育て方についてのメモダンダムを記しておく。娘たち、あるいはまだ観ぬ自分の孫たちへのメッセージとして。
男の子は甘えん坊である。女の子が生物学的な個体ととしての「強さ」をはじめから持っているアドバンテージがあるとすれば、男の子はひ弱でデリケートだ。精神発達発育上からも、弱わっちーい。小さい頃から女の子としての個性があって自立する指向性があるのに対し、弱い男の子は、お母さんにべったり依存するが大好きだ。
というか、おかあさんのおっぱいの甘い呪縛から決して逃れることはできない。歴史上のどんな偉人もひとりの女性から生まれたのだ。
さて、様々な成長の過程を経て(大事なところをかなり端折っているが:笑)、男の子は男になるわけだ。厳密に言えば男として育てられその役割を演じるようになる。その状況で大切なポイントは「褒めてあげる事」だ。褒めて煽てて認めてあげれば、いくらでも仕事を喜んでするようになる。男は単純で刹那的に情熱的なので、感性とか知性とか正義をこねくり回す理屈より、若い頃は「さしあたりヤッテしまう」事の方にかなりのプライオリティがあるのは認めけど。
かように、上手に褒められ煽てられていれば、男はいくらでも女の下僕になる。このパワーは男女間の感謝の連鎖があれば、さらに幸せの連鎖が繋がり、さらに幸せになる。そういうものなのだ。古今東西、人類はそうやって生きてきた。
論理的飛躍は承知で上で、(女が)幸せになりたかったら、褒めることの大切さを知ることだ、と思う。
さらにこの文脈で、男の子の叱り方を考察すると、多くの女性がその配偶者、旦那、パートナー(まあどうでもいいけど)と口論の種になるものとして、
「どうしてあなたはXXXなの?」
「なんでXXXなわけ?」
と、何かおこってしまった事態に対して、Why と聞くのだ。多くの女性は。お母さんに対する男の子、あるいは奥さんに反論しようとする旦那の典型的な図。すごくざっくりした言い方をすれば、8割の怒り方(不平)はこれだ。
口喧嘩して女に勝てるわけない。
そんなこと言われてもさあ。。。というのが多くの男性からの一般的反応だろう。
口ごもって反論を試みる男性。でも勝てるわけない。
まあ、ふつうは不機嫌にイライラしつつ嵐の通り過ぎるのを待つわけだ。
でもこの喧嘩に勝者はいない。やめたほうが双方にとっていい。
何で?と聞かれて答えれるんだったら、はじめからトラブってない。女の方も、何で?という原因の「それ」を聞いているわけではないから。
これも幸せになるためには、できるだけ避けたほうが無難なことがら。
でも、それにしても多いよなあ、女の「なんで?」(笑)
以上、これから結婚をしようとしている君たちへ、のメモランダム
August 23, 2012
食いしん坊の神様
今晩は八沢川に発作的に行く事にした。鰻はもともと大好物なのに、病気してからは、あの「照り」と味が濃く感じる「異味症」で閉口していたのだ。折角の大好物を食べて逆にがっかりするのが怖くてずっと我慢していたが、今日の夕食前ふと思い出したら、もうタマラナイ。思い立ったら即実行。はじめは、おっかなびっくり食べ始めたけれど、大丈夫。美味しく完食した。女将もお店のご主人もお店の人たちも全員心配して顔を出してくれた。がっつりと美味しくいただけて幸せ。
食いしん坊の神様がまだまだ僕に味方してくれている感じ。満足満足。
明日早朝より次回化学療法のクールを再開予定。うなちゃんパワーでチャージしたし、これからやる治療の副作用で凹んでいても仕方ない。前向き上向きで、どーせやるなら上機嫌で行こう!
食いしん坊の神様がまだまだ僕に味方してくれている感じ。満足満足。
明日早朝より次回化学療法のクールを再開予定。うなちゃんパワーでチャージしたし、これからやる治療の副作用で凹んでいても仕方ない。前向き上向きで、どーせやるなら上機嫌で行こう!
August 22, 2012
クラスメート的連帯感
眩しいくらいの朝焼け。まだ暑いけれど、いつのまにか季節が秋に進んだ。空気の密度がちがう。
午後から短時間だけれど往診。僕が来ることを待っていていただける患者さんの顔を見て、こちらの方が力を逆にたくさん頂いた。毎日のこういう出会いとご縁の積み重ねなのだ。ヘンな話ではあるが手を合わせたくなる心境。有難いことだ。
午後2時過ぎより、まさえちゃん&ひろこちゃんがお見舞い。高校生16歳の頃からのお付き合い。僕は高校2年(彼らは高校1年)だった。感受性豊かなその時期に、夏にイギリスに短期留学をした。今でこそいろいろな海外生活のチャンスがあるけれど、当時としては画期的な体験だった。いろんな意味で大人から子供の中間地点にいた僕らにとってものすごく意味のある時間だったと思う。
そんな意味でも「恵まれた子供たち」だったのだ、僕らは。その後、なんとなく疎遠になるわけれど、10年くらい前にまさえちゃんと再会。彼女の父上の主治医として最期を診ることになったのも、本当に不思議なご縁。まさに仏縁といえるだろう。若いころの共有体験とか価値観とかが非常に近いものがあるので、たぶんいろんな意味で「安心する」んだと思う。兄弟姉妹的な安心感というか。
今日話しをしていて思いだした数々のエピソード。医学部を目指したきっかけとなった出会いとか、その後お付き合いをした女性たちの話とか(結果的にはほとんど全員に振られた)とか、いろんな事を思い出して大笑い失笑苦笑。人生って面白い。そう言えば、今日も話したけれど、55歳という年齢の今が「もしかしたら一番異性にモテている」という事実に気づいた。シニカルな意味ではなく、実際にそう感じるから。ただ、今日思ったのは、僕がもう少し長生きができたら、彼女達ともっとすてきな「じじいばばあフレンド」の関係になれていたのにね。ヘンな意味でなく、かっこいい意味で。それがちょっと残念ではある。
その後、病室に大学同期の阿部君が来院。大学入学の初日に出会った彼ともいろんなご縁を感じるお付き合い。大学時代のこと、アメリカの旅、LA留学時代のこと、カンサスでのドタバタもあった。彼とはまだ小さかった加南子も連れてサンタバーバラへ旅行したし、車でドライブして、マンモスマウンテンに1週間スキー旅行をした。雄大なアメリカのスキー場もいい思い出。ロッジも快適だったなあ。アメリカ時代楽しい思い出を一杯思いだした。思い出に浸る、という至福はもちろんあるのだけれど、さらに言えば「その人生の至福の時間を共有できる」という幸せ。
人生はご縁であり、日々感じる幸せの環のもとには、必ずそれがある。
August 20, 2012
August 19, 2012
あきん亭(岐阜)食べに行く価値あり
名古屋の叔父から「お取り寄せ」を送っていただいた。岐阜の恵那市の「あきん亭」。
彼によく若いころ連れて行ってもらった湯河原の「大西」のラーメンを彷彿とさせる。
ばっちり好みの味。スープの澄んだ醤油味、縮れの少ない直麺。もちろん固めでいただく。スープは上品な魚介系プラス鶏がらで優しい。全体的なバランスがとても良く、クラシックの直球勝負という感じ。厚みがあって食べごたえのあるチャーシュも美味しい。メンマも僕の好み。大満足で食べ終わった直後にもう一杯食べられそうって思ったのは久しぶりかも(笑)。うまうま。
ばっちり好みの味。スープの澄んだ醤油味、縮れの少ない直麺。もちろん固めでいただく。スープは上品な魚介系プラス鶏がらで優しい。全体的なバランスがとても良く、クラシックの直球勝負という感じ。厚みがあって食べごたえのあるチャーシュも美味しい。メンマも僕の好み。大満足で食べ終わった直後にもう一杯食べられそうって思ったのは久しぶりかも(笑)。うまうま。
人生の収め方(レクチャー・メモ)
4月9日に脳腫瘍が発見され、12日に緊急入院で16日に緊急手術。あまりにも緊急事態だったので、医師である僕でさえ状況を把握するだけで精一杯だった。前日までまったく健康の不安もなかったし身体の不調もなく普通健康に生活してきた「元気なおっさん」に突然起こってしまった人生の緊急事態。人生一瞬先はわからないのだ。でも、誰にでも起こりうるのだ。
その直前まで全力疾走で社会生活を送っていた。だから、入院や手術で突然生活を中断することになって、これは困ったぞー、と。「身辺の整理」だけでも、最低でも1−2週間はかかるだろう…と思ったのだ。いろんな人に連絡したり調整したり複雑で気の重いあれこれがあるもんだと思ってた。
ところが、実際には愕然とするほど生活の整理はできてしまうものだった。それも驚くほど短時間に、それほどの労力を使わずに。これは本当にオドロキだった。様々な人と複雑に関わっている仕事関係、人間関係、組織のこと、プライベートでは保険とかローンとか教育の様々な事柄も、もっともっと複雑で多大な労力を費やすものだと思い込んでいた。しかし、結局時間が限られてしまうと、大切な連絡を2−3箇所入れるだけで、ほとんどすべての連絡は済んでしまった。結局は「なるようにしかならない」わけで、事実「なるようになる」(する)ものなのだ。僕の場合、数時間で概ね終わり、事務的なことも大きな方針さえ決まれば、その他のことは1日で大部分は終わってしまった。結局入院までの2日間くらいで、呆気ないものだった。
つまり、その程度なのだ。結局は、自分が思っているほど複雑でも大変でもなく、多方面に大きな影響を与えることもなく、あっけないほど簡単に整理できるものだった。つまり、僕らは自分では結構いろんなことをやっているつもりも、実際には大きな「ご縁の環」のなかで、人間は小さく細やかに存在しているにすぎないということなのだ。
ところが、実際には愕然とするほど生活の整理はできてしまうものだった。それも驚くほど短時間に、それほどの労力を使わずに。これは本当にオドロキだった。様々な人と複雑に関わっている仕事関係、人間関係、組織のこと、プライベートでは保険とかローンとか教育の様々な事柄も、もっともっと複雑で多大な労力を費やすものだと思い込んでいた。しかし、結局時間が限られてしまうと、大切な連絡を2−3箇所入れるだけで、ほとんどすべての連絡は済んでしまった。結局は「なるようにしかならない」わけで、事実「なるようになる」(する)ものなのだ。僕の場合、数時間で概ね終わり、事務的なことも大きな方針さえ決まれば、その他のことは1日で大部分は終わってしまった。結局入院までの2日間くらいで、呆気ないものだった。
つまり、その程度なのだ。結局は、自分が思っているほど複雑でも大変でもなく、多方面に大きな影響を与えることもなく、あっけないほど簡単に整理できるものだった。つまり、僕らは自分では結構いろんなことをやっているつもりも、実際には大きな「ご縁の環」のなかで、人間は小さく細やかに存在しているにすぎないということなのだ。
August 17, 2012
1973
ここ数日、James Bluntの"1973"が耳から離れない。このシンプルでセンティメンタルなメロディ・ライン。今日じょうじ君が見舞いに来てくれて、この歌の世界に浸る。
「携帯」の世界と通じるんだわ、これ。心のどこかに置いてある、大切な何かをリコールさせる
1973
SimoneYou're getting olderYour journey's beenEtched on your skin
SimoneWish I had known thatWhat seemed so strongHas been and gone
[Chorus:]I would call you up every Saturday nightAnd we both stayed out 'til the morning lightAnd we sang, "Here we go again"And though time goes byI will always beIn a club with youIn 1973Singing "Here we go again"
SimoneWish I was soberSo I could see clearly nowThe rain has gone
SimoneI guess it's overMy memory plays our tuneThe same old song
[Chorus x3]
And though time goes byI will always beIn a club with youIn 1973
「携帯」の世界と通じるんだわ、これ。心のどこかに置いてある、大切な何かをリコールさせる
1973
SimoneYou're getting olderYour journey's beenEtched on your skin
SimoneWish I had known thatWhat seemed so strongHas been and gone
[Chorus:]I would call you up every Saturday nightAnd we both stayed out 'til the morning lightAnd we sang, "Here we go again"And though time goes byI will always beIn a club with youIn 1973Singing "Here we go again"
SimoneWish I was soberSo I could see clearly nowThe rain has gone
SimoneI guess it's overMy memory plays our tuneThe same old song
[Chorus x3]
And though time goes byI will always beIn a club with youIn 1973
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