http://redondonokaze.seesaa.net/article/277278570.html
「レドンドの風」
June 30, 2012
June 27, 2012
スルーするという選択
予定通り化学療法の2クールが開始。食欲もあるし特に痛みや吐き気などの不快な症状はないんだけれど…一日中眠たい。ちょっと油断するとすぐ寝入ってしまう。走っていて体感する自分の速度と実際の速度に、ずいぶん乖離がある感じ、というか。ま、焦っても仕方ない。ダメな時はダメ、スルーしましょ。
書きかけの課題や今考え中のことなど、たくさんある(どんどん増えている)んだけれどLet it be
書きかけの課題や今考え中のことなど、たくさんある(どんどん増えている)んだけれどLet it be
June 25, 2012
へえ、2000ログだって
2006年の5月にこのサイトを開いてから今日で2000ログだそうな。つまり2000本のなんらかのアイテムを投稿していることになる。自分では全然意識していなかったけれど。あっという間のような気もするなあ。
http://sandgem.blogspot.jp/2006/05/sand-gem-bbs.html
ちなみに、↑これが第一声。
当初は音楽活動のことを中心にメモ的に記録する意味で書いてたのだけれど、徐々に自分のための生活記録的なものになり(これはもちろん、さとなお君の影響が大きい)今に至っている。いつどこで何をやったとか、観た、聴いた、読んだなど、(本当に些細な事ばかりではあるけれど)日々の生活を記録していることで、過去の自分の行動を容易に振り返ることができる。継続することで予想していた以上に大きなメリットがある。部分的とはいえ、これだけでもウェブ上で永遠に残る「自分史」があるわけだ。その意味では、僕は時代に「間に合った!」と感謝するべきなのだろう。これは前に書いたEpitaphの話に繋がるわけだけれど。
http://sandgem.blogspot.jp/2006/05/sand-gem-bbs.html
ちなみに、↑これが第一声。
当初は音楽活動のことを中心にメモ的に記録する意味で書いてたのだけれど、徐々に自分のための生活記録的なものになり(これはもちろん、さとなお君の影響が大きい)今に至っている。いつどこで何をやったとか、観た、聴いた、読んだなど、(本当に些細な事ばかりではあるけれど)日々の生活を記録していることで、過去の自分の行動を容易に振り返ることができる。継続することで予想していた以上に大きなメリットがある。部分的とはいえ、これだけでもウェブ上で永遠に残る「自分史」があるわけだ。その意味では、僕は時代に「間に合った!」と感謝するべきなのだろう。これは前に書いたEpitaphの話に繋がるわけだけれど。
June 24, 2012
かぜさんオフ会
かぜさんのオフ会があることは事前に知っていたけれど、まさか実際に歌っちゃうなんて実は思ってなかったんですね。でも昨日久しぶりにじょうじ君と話していて急遽参加させていただくことに。
http://www.satonao.com/archives/2012/06/40_2.html
かぜさん、こらあげん君、さとなお君、幹事のHecoさんはじめ、皆をびっくりさせてスミマセンでした。一応サプライズということで、当日朝までどうなるかわからなかったけれど、いつものメンバーさんたちに温かく迎えていただき、本当に嬉しかったです。みなさんから手書きメッセージも頂き感激。
いつもは饒舌なくせに、こういう場でちゃんと皆さんに挨拶したりお礼を言わなくちゃけない時に話せない失礼なヤツで、ほんとうに申し訳ありませんでした。
一段とアップグレードした、こらあげんのトークはやはり最高に楽しかった。
きょう、ぶっつけ本番で「携帯電話のなかった時代」と「猫目地蔵」を生歌で歌わせてもらったのは、皆さんの優しさだよなあ…としみじみ、今思ってます。せめて1−2回くらい練習とか打ち合わせしとけばよかったな(笑)。でももう少しリハビリして元気になったらライブをやれるかも…って希望と勇気が少し湧いてきたりして…。感謝感激の一日だった。
http://www.satonao.com/archives/2012/06/40_2.html
かぜさん、こらあげん君、さとなお君、幹事のHecoさんはじめ、皆をびっくりさせてスミマセンでした。一応サプライズということで、当日朝までどうなるかわからなかったけれど、いつものメンバーさんたちに温かく迎えていただき、本当に嬉しかったです。みなさんから手書きメッセージも頂き感激。
いつもは饒舌なくせに、こういう場でちゃんと皆さんに挨拶したりお礼を言わなくちゃけない時に話せない失礼なヤツで、ほんとうに申し訳ありませんでした。
一段とアップグレードした、こらあげんのトークはやはり最高に楽しかった。
きょう、ぶっつけ本番で「携帯電話のなかった時代」と「猫目地蔵」を生歌で歌わせてもらったのは、皆さんの優しさだよなあ…としみじみ、今思ってます。せめて1−2回くらい練習とか打ち合わせしとけばよかったな(笑)。でももう少しリハビリして元気になったらライブをやれるかも…って希望と勇気が少し湧いてきたりして…。感謝感激の一日だった。
June 23, 2012
身体が覚えている
数日前から実は密かにギターを持ち込んでいたのだけれど、新しい弦を張ることと、もしうまく弾けなかったらさらに凹むだろう…という不安感があって、今まで躊躇していたのだ。今日はじょうじ君に来てもらってセッティングをしてもらった。つまり背中を押してもらったわけだ。やはり持つべきものは友だねえ。ありがとう!
弾いてみたら…ぐふふふ。そこそこ弾けるではないか!
ただ3週間前の状態だったら絶対に難しかった。それと楽器そのものを触る気力さえなかっただろう。とにもかくにも、これは昔取った杵柄。身体が覚えているもんだ。もう3ヶ月ギターを触っていないわけだから、巧く弾けないのは仕方がないけど、一応弾けるということを確認できて幸せ
画像はHD28-VC(Vintage Custom) 一番の気に入りのギター
病室なので音が出せないので、sound suppressorを装着。ふふふ、これが渋くて予想以上の効果を発見。スタジオで新しい音源を録音する日が来ることを夢みて、それを糧に頑張ってみるかな。弾かないまでもギターを触っているだけでリハビリになるし。
June 21, 2012
June 19, 2012
Marc, marc, まーくの由来
僕がいわゆ「パソコン通信」(うわあ、なんという懐かしい言葉!、死語)を始めたのは1985年か1986年。アメリカの研究施設に当時、ものすごい勢いでビジネス部門に参入していたIBMが、ATとかXTのMS-DOSのマシンを全米の研究機関に「配った」んだと思う。ある日突然オフィスがPCだらけになった。この劇的な変化は世界中で起こったわけだけど、総論はさておき、PC同士が繋がる「通信」に関しては僕は随分初期の頃から関わることになったわけだ。音響カプラーで、ぴ~が−と通信を始めた頃からすれば現在の状況は、隔世の感がある。
まず仕事場の通信はCompserve、日本に帰った1988年からはNiftyserve。当時の新しもの好きたちはこぞってその世界にハマった。
アメリカのCompserveのころからすでにフォーラムや会議室が多数存在していた。この時点ですでに僕はmarcと名乗っている。アメリカ時代はmitsuyoshi, ie., mitsu だった。いつのまにかmarcになったのは、単に呼び易かったからだろう。だからアメリカ時代の友人たちMitsuで1988年以後marcになっている。他にもMarkが多数いたことともあり、わりと自然にmarcになった。以後、日本語でのやり取りでのハンドルネーム(うわっ!懐かしい響き)はmarcになっている。たしか初期の頃はIDでも認証していたと思うので、ハンドルネームは今から思えば懐かしい。もう20年以上前のことなのに、未だに親しくお付き合いいただいているメンバーもたくさんいる。
インターネットが普及していったのはもっと後で、多分1995年ころだと思う。ニュージーランドの病院生活を紹介していた「ウェリントン通信」(という連載があった)は、まだパソ通との移行期だったと思う。
ただ、1988年以降、アメリカから帰ってからのネットを介したお付き合いは、以後marcなので、その意味では「本名」みたい(ある意味では芸名みたいなもんか)になっていいる。ちなみにその後ニュージーランドのライセンスにもMarcをミドルネームで入れてある(その辺りはテキトウ(笑)。
長い間中断していた音楽活動やブログ、其の他の本名以外での文章もMarcないし marcにしてあるのはただ単に僕が自分的に区別を付けたいだけで、とくに理由はなし。ただ、自分的にはmarcさんとか呼ばれると「安心する」というか「本来の素のリラックスした自分」に戻った感じがするんですね。
というこで、何故 marc, Marc, まーくさんなのですか?という質問の答えです。
だれも聞いてないか(爆)。
キラーメッセージ(2006-10) 再掲載(メモ)
この文章も2006年のもので1980年前後ことを描いているフィクションのひとつ。
また恥ずかしいけれど発見してしまった。これも「携帯電話のなかった時代」の一連のものだったと思う。この文章を読んで爆笑苦笑してしまうのは、自分としては「もっとも書きたかったこと」なのに、一番大切な部分を書くことが「あまりにも恥ずかしくなってしまい」できずに「ま、そのうちに書こう…」とか、自己逃避しているうちに時間が経ってしまったこと。全然尻切れトンボで意味不明な文章(大爆笑)。
だって大切なところを書いてない(爆!)
手書きの手紙と国際電話とか。。。の時代だなあ。
その手紙の封を開けた瞬間、僕の部屋の空気が揺れ、ごく微かな、乾いたポプリの香りがした。
ポストで2ヶ月ぶりの彼女からの手紙を見つけて、僕は跳ぶように走って、アパートの3階にある自分の部屋に戻り、深い深呼吸をしてから、その手紙と向かい合ったのだった。
カリフォルニアの熱く乾いた風が、一瞬通り過ぎたような気がした。
ピンクの縁取りがある小型の便箋で、右肩アガリのすこし丸みがかった、彼女の懐かしい文字。用箋をあまり気にしないのは、いつものこと。本当は気が小さくて弱虫なくせに、時々周囲をびっくりさせるような大胆な行動をとったりする彼女の性格を表していて、大きめの文字が飛び跳ねている。
きっと、走り書きみたいに急いで書いたんだろう。右側の文字のいくつかがインクで汚れている。インクの文字が乾ききる前に、キモチが先走ってしまって、飛び出してくる言葉を追っかけるのに、きっと一所懸命だったんだろうなって、僕は思った。
僕達が別々の場所で生活するようになってから、もう半年と2週間。別れた直後のお互いの気持ちの高まりは、波が寄せては返す運動を繰り返すごとに徐々に収束するように、今は落ち着いてはいたけど、心の深いところにある「灯火(ともしび)」のような温かさとなって存在していたのは真実だ。彼女のことを愛していた、と思う。たしかに。
彼女のことを考えない「夜」はなかったけど、すごく正直に言えば、彼女のことを考えていない「昼間」は、(少しずつだけれど)多くなっていたかもしれない。
はじめのうちは、毎週やり取りしていた手紙も、突然凪いでしまった海のように、来なくなったし、僕も出さなくなっていた。彼女は新しいセメスターが始まって、毎日の講義のレポート作成に追われているという理由を言い訳にして、僕は僕で、新しい実習の実験結果をまとめるために連日学校に缶詰になっている、という理由で、自分と相手を納得させていたのだ。それは、初めのうちはお互い99%は真実だったんだけど、残りの1%の比率が徐々に大きくなるのには、そんなに時間はかからなかった。
今みたいに簡単かつ頻繁に国際電話をかけられる時代じゃなかったし、メールだってなかった。そんな時代の話。手紙を書くことは、遠く離れた相手に自分の心を届ける一番の方法だった。
結論を先に言えば、その手紙を読んで僕はスグに航空会社に電話をし、翌日なけなしのお金をかき集めて、LA行きの飛行機に飛び乗ったってわけだ。でも、もっと先の結論までいえば・・・、そのさらに半年後に、僕らの絆は、凪ぎの海から沈没して、深い海の底に沈んでしまったのだけれど。
彼女からの手紙の内容は、一緒に暮らした街の変わらない様子や、学校のこと、友人達の近況など・・・ごくごく普通の彼女の生活が、意外なほどさりげなく書いてあった。2ヶ月ぶりの手紙で、こちらからも出していない引け目もあったりして、なんとなく「別れの手紙か・・・」という不安感と緊張感を持って読み始めた僕は、急に膝の下から力が抜けたような脱力感と同時に、妙な安堵感を感じたのだった。
ただ、彼女の書いた最後の文章。あえてここには書かないけど。まさにキラーメッセージ。
さらに、その隣にあった「涙の痕」のような微かな便箋の乱れを見て、僕は居ても立ってもいられない気持ちが湧き上がってきたのだ。
心に響くというようなキレイなものじゃなくて、(今すごく正直に言えば)下半身を直撃するような衝撃だったな。あの年代の男の子を経験した大人の男なら、わかってくれるはずだと思う。
男は単純だ。
あとで彼女に聞いたら、あれは涙の痕じゃなくて、くしゃみをして「ハナミズが垂れた」のだ、と言い張って、笑っていたけど・・・。
真実だとすれば・・・
ウソだとしても・・・
彼女は知能犯「愛すべき犯罪者」だったことになる。
また恥ずかしいけれど発見してしまった。これも「携帯電話のなかった時代」の一連のものだったと思う。この文章を読んで爆笑苦笑してしまうのは、自分としては「もっとも書きたかったこと」なのに、一番大切な部分を書くことが「あまりにも恥ずかしくなってしまい」できずに「ま、そのうちに書こう…」とか、自己逃避しているうちに時間が経ってしまったこと。全然尻切れトンボで意味不明な文章(大爆笑)。
だって大切なところを書いてない(爆!)
手書きの手紙と国際電話とか。。。の時代だなあ。
キラーメッセージ
その手紙の封を開けた瞬間、僕の部屋の空気が揺れ、ごく微かな、乾いたポプリの香りがした。
ポストで2ヶ月ぶりの彼女からの手紙を見つけて、僕は跳ぶように走って、アパートの3階にある自分の部屋に戻り、深い深呼吸をしてから、その手紙と向かい合ったのだった。
カリフォルニアの熱く乾いた風が、一瞬通り過ぎたような気がした。
ピンクの縁取りがある小型の便箋で、右肩アガリのすこし丸みがかった、彼女の懐かしい文字。用箋をあまり気にしないのは、いつものこと。本当は気が小さくて弱虫なくせに、時々周囲をびっくりさせるような大胆な行動をとったりする彼女の性格を表していて、大きめの文字が飛び跳ねている。
きっと、走り書きみたいに急いで書いたんだろう。右側の文字のいくつかがインクで汚れている。インクの文字が乾ききる前に、キモチが先走ってしまって、飛び出してくる言葉を追っかけるのに、きっと一所懸命だったんだろうなって、僕は思った。
僕達が別々の場所で生活するようになってから、もう半年と2週間。別れた直後のお互いの気持ちの高まりは、波が寄せては返す運動を繰り返すごとに徐々に収束するように、今は落ち着いてはいたけど、心の深いところにある「灯火(ともしび)」のような温かさとなって存在していたのは真実だ。彼女のことを愛していた、と思う。たしかに。
彼女のことを考えない「夜」はなかったけど、すごく正直に言えば、彼女のことを考えていない「昼間」は、(少しずつだけれど)多くなっていたかもしれない。
はじめのうちは、毎週やり取りしていた手紙も、突然凪いでしまった海のように、来なくなったし、僕も出さなくなっていた。彼女は新しいセメスターが始まって、毎日の講義のレポート作成に追われているという理由を言い訳にして、僕は僕で、新しい実習の実験結果をまとめるために連日学校に缶詰になっている、という理由で、自分と相手を納得させていたのだ。それは、初めのうちはお互い99%は真実だったんだけど、残りの1%の比率が徐々に大きくなるのには、そんなに時間はかからなかった。
今みたいに簡単かつ頻繁に国際電話をかけられる時代じゃなかったし、メールだってなかった。そんな時代の話。手紙を書くことは、遠く離れた相手に自分の心を届ける一番の方法だった。
結論を先に言えば、その手紙を読んで僕はスグに航空会社に電話をし、翌日なけなしのお金をかき集めて、LA行きの飛行機に飛び乗ったってわけだ。でも、もっと先の結論までいえば・・・、そのさらに半年後に、僕らの絆は、凪ぎの海から沈没して、深い海の底に沈んでしまったのだけれど。
彼女からの手紙の内容は、一緒に暮らした街の変わらない様子や、学校のこと、友人達の近況など・・・ごくごく普通の彼女の生活が、意外なほどさりげなく書いてあった。2ヶ月ぶりの手紙で、こちらからも出していない引け目もあったりして、なんとなく「別れの手紙か・・・」という不安感と緊張感を持って読み始めた僕は、急に膝の下から力が抜けたような脱力感と同時に、妙な安堵感を感じたのだった。
ただ、彼女の書いた最後の文章。あえてここには書かないけど。まさにキラーメッセージ。
さらに、その隣にあった「涙の痕」のような微かな便箋の乱れを見て、僕は居ても立ってもいられない気持ちが湧き上がってきたのだ。
心に響くというようなキレイなものじゃなくて、(今すごく正直に言えば)下半身を直撃するような衝撃だったな。あの年代の男の子を経験した大人の男なら、わかってくれるはずだと思う。
男は単純だ。
あとで彼女に聞いたら、あれは涙の痕じゃなくて、くしゃみをして「ハナミズが垂れた」のだ、と言い張って、笑っていたけど・・・。
真実だとすれば・・・
ウソだとしても・・・
彼女は知能犯「愛すべき犯罪者」だったことになる。
June 18, 2012
忘れていた「Pledge」
MAY 31, 2006
2012 6-発見:懐かしいプロット:「携帯電話のなかった時代」の続編として書いた。
多分1−2時間で書いた。
「約束(Pledge)」
タケルのエピソード:
7:00 AM、5月。Hermosa Beach, CAこの季節、カリフォルニアの朝は、ほとんど毎日曇っている。でも、いつも昼頃になると、朝の曇り空をすっかり忘れてしまったかのように、あっけらかんとしたカリフォルニア・ブルーの青空が広がることになる。カリフォルニアの朝の曇り空は心地いい。海沿いなのに空気が乾いているせいで、開け放った車の窓からは、ちょっと肌寒いくらいの風が入ってくる。
僕とステファニーが一緒に暮らしていたハモサ・ビーチに海に面したアパートメント。ベッドルームの開けっ放しの窓からは、いつもこの風が入ってきて、僕らに目覚めの時間を教えてくれた。でも、今日の朝は特別だ。心地いいのが、逆にとても辛い。みぞおちの辺りが重く、一度でも「ため息」をついたら、心が崩れてしまいそうなほど哀しい気持ちで、僕は胸が一杯だった。きっと、きっと彼女も同じだった・・・と思う。Tokyoに向かう彼女を見送るために、僕はLAX(LA国際空港)に向かって車を走らせていた。彼女にとって初めてのTokyoに向けて、今日旅立つのだ。
僕の生まれ故郷、東京。故郷を離れてもう7年が経つ。僕も一緒に行こう(戻ろう)か?って何回も思った。でも彼女は頑として、「タケル(僕)はポートランドに移るべきなの、せっかく自分で苦労して掴んだチャンスじゃない、って言い張ったのだった。ビーチサイドの薄いべージュのビルの壁面。ジョギングする人たち、犬を連れた老夫婦。いつもの・・・、昨日まで当たり前だった、風景が通り過ぎてゆく。
Pier Aveを通り過ぎて、左折。Sepulveda Blvd.を北上。LAX(LA国際空港)に行くには、Artesia Blvd.を右に回って405のフリーウェイを使うのが普通なのだけれど、今日の僕達はそのままSepulvedaを北に進むことにした。彼女の出発まで、十分な時間があったから。フリーウェイを使えば15分で着いてしまう。どちらから言い出すわけでなく、このルートを選ぶことになった。
言葉を捜す僕。でも、でも何も言えない。ちらっと横にいる彼女の方を見ると、まっすぐ前を見つめている。いつも、そうだ。いったん言い出したら絶対にキカない、気の強い彼女のことだから、悲しくたって僕の前では涙は見せたくないのだろう。
少しずつ明るさを増しつつあるカリフォルニアの陽光が、彼女の白い頬にあるソバカスを照らし出す。流れ込む風が、彼女のちょっと赤みがかった金髪の香りを運んでくる。ついさっき、抱きしめた時に感じたあの香りなのに、なんだか懐かしい気持ちになる。それだけで僕はたまらなくなり、また、もう一度(いや何度でも!いつまでも!)ステフを抱きしめていたいって、心から思った。でも、できなかった。
あの時はまだ自分の人生に自信がもてなかったのだ。正直なところオレゴンでの新しい生活は不安で一杯だった。その意味ではステフのほうが、僕より3つ下なのに、ずっと自立している大人だった。日本語の話せない彼女にとってTokyoの生活は、僕にとってのポートランドの生活より、ずっとストレスフルなハズだから。
月並みな表現だけど、走馬灯のようにめぐるハモサでの想い出。いや、想い出なんていうような、一回ため息をつけば抜け落ちてしまうような、あやふやで儚いモノじゃない。体の芯にしっかりと存在している。
たった4ヶ月だったけど、一緒に生活したあの時間は、僕達にとって、大切な記憶。LAXに向かう車の中で、僕達はお互い何も言わず「それぞれの記憶」を反芻し、感じていたのかもしれない。
Century Blvdを左折。もうすぐLAXに到着する。あと5分。その時、突然彼女が言った。「タケル、約束(Pledge:固い約束)してくれる?」突然の言葉に戸惑う、僕。「Promise(ただの約束)、じゃなくてPledge(誓い)?」「そうよ、Pledge」その時の彼女の表情を、僕は一生忘れられないだろう。
まっすぐ前を向いて彼女は言った。「楽しかったわ、タケル。本当に。これから私は大好きだったあなたの国に行くわ。」
「大好きだった、かい。うん、わかっている。僕もさ(Same to you!),Steph」
「そう、過去形。でもね、過去(昨日)がなければ今(今日)はないし、昨日と今日がなければ、明日はないでしょ!」
「・・・・そうだね(You bet!)・・・・」
「だ・か・ら、私はあなたの生まれた町Tokyoに行くのよ」
「うん、何回も何回も、それを僕も一緒に行こうか(帰ろうか)って考えた・・・」
ちょっとした静寂・・・
「私がLAXを飛び立って、4時間経ったら私のことを思い出してね。そしてあなたの心の中で一杯私を抱きしめて。」
「うん、4時間だね。午後1時半だね。わかったよ、ステフ!約束する。誓う(Pledge)よ!」
「ありがとう、タケル」
「でもなぜ?なんで4時間後なの?」
「あなたのことを、忘れるためよ・・・」
意外なほど明るい表情で彼女は言った。
「??????」
LAXに到着してからのことは、ここで敢えて書くまでもない。僕達は「諸般の事情で」別れる、「フツーの恋人達」を、ごくごくフツーに演じ、(典型的な映画みたいに)涙を流す彼女を、やさしく抱きしめ、じゃぁねって言って、サラリと別れ、お互い後ろを振り返ることなく、それぞれの道を進んだのだった。
午後1時半。彼女のフライトがLAXを離れてから、4時間が経過。ずっと彼女を感じていたのだけど、僕は彼女との約束どおり、あらためて彼女を想い出し、彼女を心の中で抱きしめた。
また、彼女の髪の香りがよみがえってきて、胸の奥がきゅんと軋んだような音がした。
その瞬間、理解した。4時間。彼女は日付変更線をその時越えたのだ。
彼女は「明日」へ行き、僕は彼女にとって「永遠に昨日」にいることになった。つまり「僕達は永遠に{会えない}」のだ。どちらかが太平洋を越えない限り。それが簡単なことはわかっているから、だから逆に彼女の気持ちを痛感させられたのだ。
そのとき、僕の心の底から笑いがこみ上げてきた。
USCで心理学のメジャーでカムロディーをとっただけのことがある。さすがだ!あっぱれ!!!バカな僕は、完膚なきまでに、フラレたのだってことに、その時初めて気付いたのだった!
フラれたことは悲しかったけど、あまりにも天晴れな女性(オンナ)だと。でも、この笑いは僕を救ってくれた。そんな天晴れな女性(オンナ)に恋したことは光栄なことだってさえ思わせられたから。(小説「約束」続く・・・, drafted on 5-17-2006, by Marc)
7:00 AM、5月。Hermosa Beach, CAこの季節、カリフォルニアの朝は、ほとんど毎日曇っている。でも、いつも昼頃になると、朝の曇り空をすっかり忘れてしまったかのように、あっけらかんとしたカリフォルニア・ブルーの青空が広がることになる。カリフォルニアの朝の曇り空は心地いい。海沿いなのに空気が乾いているせいで、開け放った車の窓からは、ちょっと肌寒いくらいの風が入ってくる。
僕とステファニーが一緒に暮らしていたハモサ・ビーチに海に面したアパートメント。ベッドルームの開けっ放しの窓からは、いつもこの風が入ってきて、僕らに目覚めの時間を教えてくれた。でも、今日の朝は特別だ。心地いいのが、逆にとても辛い。みぞおちの辺りが重く、一度でも「ため息」をついたら、心が崩れてしまいそうなほど哀しい気持ちで、僕は胸が一杯だった。きっと、きっと彼女も同じだった・・・と思う。Tokyoに向かう彼女を見送るために、僕はLAX(LA国際空港)に向かって車を走らせていた。彼女にとって初めてのTokyoに向けて、今日旅立つのだ。
僕の生まれ故郷、東京。故郷を離れてもう7年が経つ。僕も一緒に行こう(戻ろう)か?って何回も思った。でも彼女は頑として、「タケル(僕)はポートランドに移るべきなの、せっかく自分で苦労して掴んだチャンスじゃない、って言い張ったのだった。ビーチサイドの薄いべージュのビルの壁面。ジョギングする人たち、犬を連れた老夫婦。いつもの・・・、昨日まで当たり前だった、風景が通り過ぎてゆく。
Pier Aveを通り過ぎて、左折。Sepulveda Blvd.を北上。LAX(LA国際空港)に行くには、Artesia Blvd.を右に回って405のフリーウェイを使うのが普通なのだけれど、今日の僕達はそのままSepulvedaを北に進むことにした。彼女の出発まで、十分な時間があったから。フリーウェイを使えば15分で着いてしまう。どちらから言い出すわけでなく、このルートを選ぶことになった。
言葉を捜す僕。でも、でも何も言えない。ちらっと横にいる彼女の方を見ると、まっすぐ前を見つめている。いつも、そうだ。いったん言い出したら絶対にキカない、気の強い彼女のことだから、悲しくたって僕の前では涙は見せたくないのだろう。
少しずつ明るさを増しつつあるカリフォルニアの陽光が、彼女の白い頬にあるソバカスを照らし出す。流れ込む風が、彼女のちょっと赤みがかった金髪の香りを運んでくる。ついさっき、抱きしめた時に感じたあの香りなのに、なんだか懐かしい気持ちになる。それだけで僕はたまらなくなり、また、もう一度(いや何度でも!いつまでも!)ステフを抱きしめていたいって、心から思った。でも、できなかった。
あの時はまだ自分の人生に自信がもてなかったのだ。正直なところオレゴンでの新しい生活は不安で一杯だった。その意味ではステフのほうが、僕より3つ下なのに、ずっと自立している大人だった。日本語の話せない彼女にとってTokyoの生活は、僕にとってのポートランドの生活より、ずっとストレスフルなハズだから。
月並みな表現だけど、走馬灯のようにめぐるハモサでの想い出。いや、想い出なんていうような、一回ため息をつけば抜け落ちてしまうような、あやふやで儚いモノじゃない。体の芯にしっかりと存在している。
たった4ヶ月だったけど、一緒に生活したあの時間は、僕達にとって、大切な記憶。LAXに向かう車の中で、僕達はお互い何も言わず「それぞれの記憶」を反芻し、感じていたのかもしれない。
Century Blvdを左折。もうすぐLAXに到着する。あと5分。その時、突然彼女が言った。「タケル、約束(Pledge:固い約束)してくれる?」突然の言葉に戸惑う、僕。「Promise(ただの約束)、じゃなくてPledge(誓い)?」「そうよ、Pledge」その時の彼女の表情を、僕は一生忘れられないだろう。
まっすぐ前を向いて彼女は言った。「楽しかったわ、タケル。本当に。これから私は大好きだったあなたの国に行くわ。」
「大好きだった、かい。うん、わかっている。僕もさ(Same to you!),Steph」
「そう、過去形。でもね、過去(昨日)がなければ今(今日)はないし、昨日と今日がなければ、明日はないでしょ!」
「・・・・そうだね(You bet!)・・・・」
「だ・か・ら、私はあなたの生まれた町Tokyoに行くのよ」
「うん、何回も何回も、それを僕も一緒に行こうか(帰ろうか)って考えた・・・」
ちょっとした静寂・・・
「私がLAXを飛び立って、4時間経ったら私のことを思い出してね。そしてあなたの心の中で一杯私を抱きしめて。」
「うん、4時間だね。午後1時半だね。わかったよ、ステフ!約束する。誓う(Pledge)よ!」
「ありがとう、タケル」
「でもなぜ?なんで4時間後なの?」
「あなたのことを、忘れるためよ・・・」
意外なほど明るい表情で彼女は言った。
「??????」
LAXに到着してからのことは、ここで敢えて書くまでもない。僕達は「諸般の事情で」別れる、「フツーの恋人達」を、ごくごくフツーに演じ、(典型的な映画みたいに)涙を流す彼女を、やさしく抱きしめ、じゃぁねって言って、サラリと別れ、お互い後ろを振り返ることなく、それぞれの道を進んだのだった。
午後1時半。彼女のフライトがLAXを離れてから、4時間が経過。ずっと彼女を感じていたのだけど、僕は彼女との約束どおり、あらためて彼女を想い出し、彼女を心の中で抱きしめた。
また、彼女の髪の香りがよみがえってきて、胸の奥がきゅんと軋んだような音がした。
その瞬間、理解した。4時間。彼女は日付変更線をその時越えたのだ。
彼女は「明日」へ行き、僕は彼女にとって「永遠に昨日」にいることになった。つまり「僕達は永遠に{会えない}」のだ。どちらかが太平洋を越えない限り。それが簡単なことはわかっているから、だから逆に彼女の気持ちを痛感させられたのだ。
そのとき、僕の心の底から笑いがこみ上げてきた。
USCで心理学のメジャーでカムロディーをとっただけのことがある。さすがだ!あっぱれ!!!バカな僕は、完膚なきまでに、フラレたのだってことに、その時初めて気付いたのだった!
フラれたことは悲しかったけど、あまりにも天晴れな女性(オンナ)だと。でも、この笑いは僕を救ってくれた。そんな天晴れな女性(オンナ)に恋したことは光栄なことだってさえ思わせられたから。(小説「約束」続く・・・, drafted on 5-17-2006, by Marc)
投稿者 marc 場所 Wednesday, May 31, 2006
June 17, 2012
この一瞬が一生の宝ものなのだ
SFCのダンスサークルW+I&S(ドゥブルベ)の春 公演!
慶應SFCの3年生、末娘さーちゃんダンス公演。彼女の代の集大成公演で、随分前から準備ををしていたことは知ってたけれど、あそこまでの規模とレベルの高さとは思っていなかったの正直おどろいた。自由が丘から湘南台のまでの大旅行で、身体的にはかなり大変だった(まだ体力が戻っていない)けれど行けてよかった!本当に大満足の公演だった。学生のレベルじゃないわ。大したもんだ。
この夏公演が、彼女の代の晴れ姿。こういう経験は一生の思い出になる。その意味で、その場に僕も一緒に行けてよかった。
若いころの経験と苦労した時間、そこから得たものは大きい。何より皆で一つの舞台をつくり上げる達成感は、一生の宝ものだ。一所懸命にステージを動きまわる彼女を観ていたら、感無量でボロボロになってしまった。よかったね~。
若いころの経験と苦労した時間、そこから得たものは大きい。何より皆で一つの舞台をつくり上げる達成感は、一生の宝ものだ。一所懸命にステージを動きまわる彼女を観ていたら、感無量でボロボロになってしまった。よかったね~。
ステージの後、お腹が減ったので、某ステーキハウスへ行くことに。「父の日」ということで、かなPが「今日は私が出す!」ということで、ここでも感激して有り難くご馳走になることに。オヤジとしては感涙にむせんだ次第。
ああ、幸せ♡
ああ、幸せ♡
June 16, 2012
なまぐさ坊主の独白
正直に告白すれば、もともと「仏教もの」というか宗教系思索考察に関しては、自分なりの立ち位置とかこだわりは持っていたのだ。
若い学生時代も、医者になってからも、大体定期的に「発作的ともいえる仏教本ブーム」があって、それなりにハマったこともある。ただし、カルトは論外としても、特定の宗派に関する興味は全然ないだけでなく、既存の葬式仏教的態度がデフォルトになっていることに対する嫌悪感や不信感があって、最近ではむしろ否定的に近い「固くな態度」をとってたのも事実。好きなのに嫌いというアンビヴァレンとなかんじというか。でも、まあ、この年齢になればセレモニーも含めた「常識としての仏教」の知識や「現代に生きる日本人のごく普通の死生観」について興味がむくむくと湧いてくるのも自然の流れなんだろう。
今回の病気で僕が死と直面していることが大きいのではあるけれど、こんな状況とはいうものの、ごく普通に生きているということを実感できるという「幸せ」。
もっと広く深い意味での死生観&世界観へ向かう扉が少しだけ自分に向けて開かれたような実感がるのだ。非常に抽象的で曖昧である意味では情緒的な「感覚」「体験」なのであるけれど。
ということで、
一昨年出会った「釈徹宗:いきなりはじめる仏教生活」、「いきなりはじめる浄土真宗:内田樹・釈徹宗」を読み返してる。3回目。現代的解釈のこの「軽さ」(実は非常に重く深い世界観なのだけれど)をさらりと出す「気持ちの良さ」が魅力だなあ。
以上、プロローグとして。
June 13, 2012
吐き出すこと
要は「吐き出す」ことなのだ。あえていえば、「吐き出し切る」ことか。
古今東西、様々な理屈をつけてそれらしい「理論」らしきものが数多あるのだけれど、つまり言っていることはただ一つ。
吸ったら吐け。十分に吐き出す。
「吐き出すこと」それだけ。
ピリオド。
例外なく、精神的に辛い時には「息を詰め」呼吸を止め、重い深い「ため息をつき」、下を向き、表情が消える。
程度の差こそあれ「それが自然な反応」なのだ。それが苦しみのもとなのだ。苦しむために苦しむ、という堂々巡りに陥る。
逆に、笑っている時は大いに「吐き出している」。というか息を吸いながら笑うことはできない。大泣きをしながら大きく息を吸っている人はいない。当たり前のことなのだ。要は意識して「身体から出す」こと。辛く苦しい時ほど無理矢理にでも「出す」べきなのだ。
吐かないから苦しくなる。緊張収縮vs弛緩脱力。吐いちまえばいのに、飲み込んで呼吸を止めてしまう。反作用で繊細な人は逆に過換気になったりする。これも防御反応なのだけれど。精神的安寧のためには、入れることより出すことなのだ。逆に、出るものが出るので自然にはいる。
「苦しんでいる」のは、苦しまされている(苦しめられている)のではなく、自分から苦しみの渦の中に入っているのかもしれない。
古今東西、様々な理屈をつけてそれらしい「理論」らしきものが数多あるのだけれど、つまり言っていることはただ一つ。
吸ったら吐け。十分に吐き出す。
「吐き出すこと」それだけ。
ピリオド。
例外なく、精神的に辛い時には「息を詰め」呼吸を止め、重い深い「ため息をつき」、下を向き、表情が消える。
程度の差こそあれ「それが自然な反応」なのだ。それが苦しみのもとなのだ。苦しむために苦しむ、という堂々巡りに陥る。
逆に、笑っている時は大いに「吐き出している」。というか息を吸いながら笑うことはできない。大泣きをしながら大きく息を吸っている人はいない。当たり前のことなのだ。要は意識して「身体から出す」こと。辛く苦しい時ほど無理矢理にでも「出す」べきなのだ。
吐かないから苦しくなる。緊張収縮vs弛緩脱力。吐いちまえばいのに、飲み込んで呼吸を止めてしまう。反作用で繊細な人は逆に過換気になったりする。これも防御反応なのだけれど。精神的安寧のためには、入れることより出すことなのだ。逆に、出るものが出るので自然にはいる。
「苦しんでいる」のは、苦しまされている(苦しめられている)のではなく、自分から苦しみの渦の中に入っているのかもしれない。
June 12, 2012
新生助けあいジャパン、発進!
お陰様で放射線療法後の回復も順調。フィジカルにもメンタルにも元気が戻って来ていることを実感している。本当に有難い。今後も焦らず進んでいこう。
昨日は「助けあいジャパン」の会合に出席することができた。直前まで体調をみていてエイヤッ!と出席して良かった。突然の登場で皆をサプライズさせてしまったけれど、久しぶりに、みんなと会うことができて本当に嬉しかったし、元気をもらった。
http://www.satonao.com/archives/2012/06/post_3424.html
助けあいジャパンとの出会いは僕にとって、ある意味運命的なものを感じる。いろんな意味でとても大切なものなのだ。その意味で昨日は新生「助けあいジャパン」の現場に立ち会うことができて嬉しかった。
これからもどうぞよろしく。
昨日は「助けあいジャパン」の会合に出席することができた。直前まで体調をみていてエイヤッ!と出席して良かった。突然の登場で皆をサプライズさせてしまったけれど、久しぶりに、みんなと会うことができて本当に嬉しかったし、元気をもらった。
http://www.satonao.com/archives/2012/06/post_3424.html
助けあいジャパンとの出会いは僕にとって、ある意味運命的なものを感じる。いろんな意味でとても大切なものなのだ。その意味で昨日は新生「助けあいジャパン」の現場に立ち会うことができて嬉しかった。
これからもどうぞよろしく。
June 10, 2012
Mr. Bellpepperのプロット(改定前メモ)
NOVEMBER 6, 2006
Mr. Bell-Pepper プロット原案(再改)
Mr. Bell Pepperが口を開いた。
いつも彼の質問は唐突だ。
「ゲームをしないか?」
「今度はどんなゲームだい?」
「君は、どんな状況でもある程度の距離を泳ぐことができるかい?」
「距離にもよるけれど、たぶん、そこそこは泳げるさ。」
「たぶん、かい?君はいつでも、そう言うな」
「いや、{たぶん}絶対さ」
「僕の言う条件で100m泳げたら、50万ドル。」
えっ?たった100mかい?
そうだよ、100m、成功すれば50万ドルだ。
「このゲームに参加して、僕の話を聞いてくれれば、その時点で10万ドルだ。その話にのって実際に泳ぎ出せばさらに10万ドルだ。ただし、トライ出来なければ逆に僕に30万ドル払ってもらう。そして、実際に成功すれば、僕が君に30万ドルだ。悪い話じゃないだろう?フェアなゲームだと思うが。」
「もう一度確認しよう。僕は、僕が選んだ条件で好きなときに好きなように100m泳げばいいんだね」
「そのとおり。君はそこで泳ぐだけでいい。」
不敵に哂うMr. Bell Pepper
ただ100m泳ぐだけという対価で50万ドルは悪くないベットだけれど、命をかけるほどのももんでもない。なあMBP、この話はいつもの君のゲームにしては随分安直すぎる感じがする。
いったい何を企んでいるんだ?どうせ「身体に鉛を50キロ着けて泳ぐ・・・みたいな条件とか、悪天候の海とか、急流を泳ぐみたいな話なんだろう。
「No, そうじゃない。僕の出す条件は一つ。そこを泳ぎ切ること、それだけだ。それを、いつどうやるのかを決めるのも君自身だ。
「自分で決めて良いんだな。OK,面白そうだ。もちろん僕には自信がある。」
「皆、そう言うのさ。自信満々にね。でも、それが出来たのは今まで2人と1匹だけだった。年老いた漁師と盲目のギタリスト、それに、飼い主を喪ったばかりのメスのレトリバーだけだ。
厳密に言えば…その先は知らないほうがいいだろう。
MBPは冷ややかに嗤った。
「えっ?たった100m泳ぐだけだろ?」
「そうだよ、たった100m泳ぐだけだよ」と、含みのある言葉を復唱するMr. Bell Pepper
☆☆☆☆☆☆
不敵に哂うMr. Bell Pepper
「ゲームを始めよう!」
============================
11月の新月の夜だ。ちょっと肌寒いが絶望的なほどの寒さではない。漆黒の闇の中。太平洋上の大きな波のうねりの中に移動させられたことに気づいた。腹の底に共鳴するような超低音の黒潮の響きを感じる。乗っているのは小さなゴムボートだ。周囲を見渡してみると、小さいながらも十分な装備もあるようだ。舵なしで潮に流されているボートは上に下に、背丈のおよそ2倍、4m位のうねりの中にいる。この海域では、ごく静かなのうねりだ。せり上がってうねりの頂上にいると、底のほうは絶望的なくらい深く暗い闇の底に見える。それ自体が、根源的な恐怖。畏怖。何に対しての?
====================
そうだな、確かに怖いさ。
でも大丈夫。たった100m泳げばいいんだろ。そのくらいできるさ、「必死になれば」。
ははは、そうだろうな。「必死になれば」そのくらいできるだろう。勇気を振り絞ってね。MBP、僕も「君なら出来る」と思ってるさ・・・
★★★★★
漆黒の闇、深いうねりの中で、僕は何度か海面を覗き込んだ。夜の海、うねりがある。水温だって決して十分とはいえないだろう。今まで経験したことがない状況で、海に入るリスクをかけることはない。
恐怖?YES
後悔?Yes, but...
もちろんゲームを降りるという選択肢が一番現実的な解決方法だろう。命をかけるほどのものでもないだろう。
No, but...
僕は朝が来るまで待つことに決めた。あと数時間この海の上で我慢すれば夜が明けるだろう。
Mr. Bell Pepperは、何も言わない
★★★★★
でも、まだ君は本当のことを知らない・・・と、MBPがつぶやく。
~~~~~~~~~~~~
水平線がぼんやりと明るくなったと思ったら、急に周囲の海の色変わった。漆黒から濃紺、そして乱反射する波面。太陽があがった。
~~~~~~~~~~~~
やめるなら今のうちだよ。実際の深さをまだ君は知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく
教えてあげよう。君は今、日本海溝の上にいるのだ。
最深部が8020mの日本海溝の真上の海上にいる。
うねりの底の暗黒の下は、水深8020mの海底があるんだ。
十分な時間もある。君が100mは泳げるんだろ。「どんな状況でも」。
たった100mだよ。
嗤うMr. Bell Pepper.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
僕とMr. Bell Pepperの本当のゲームは、ここからが本番だったのだ。
いつも彼の質問は唐突だ。
「ゲームをしないか?」
「今度はどんなゲームだい?」
「君は、どんな状況でもある程度の距離を泳ぐことができるかい?」
「距離にもよるけれど、たぶん、そこそこは泳げるさ。」
「たぶん、かい?君はいつでも、そう言うな」
「いや、{たぶん}絶対さ」
「僕の言う条件で100m泳げたら、50万ドル。」
えっ?たった100mかい?
そうだよ、100m、成功すれば50万ドルだ。
「このゲームに参加して、僕の話を聞いてくれれば、その時点で10万ドルだ。その話にのって実際に泳ぎ出せばさらに10万ドルだ。ただし、トライ出来なければ逆に僕に30万ドル払ってもらう。そして、実際に成功すれば、僕が君に30万ドルだ。悪い話じゃないだろう?フェアなゲームだと思うが。」
「もう一度確認しよう。僕は、僕が選んだ条件で好きなときに好きなように100m泳げばいいんだね」
「そのとおり。君はそこで泳ぐだけでいい。」
不敵に哂うMr. Bell Pepper
ただ100m泳ぐだけという対価で50万ドルは悪くないベットだけれど、命をかけるほどのももんでもない。なあMBP、この話はいつもの君のゲームにしては随分安直すぎる感じがする。
いったい何を企んでいるんだ?どうせ「身体に鉛を50キロ着けて泳ぐ・・・みたいな条件とか、悪天候の海とか、急流を泳ぐみたいな話なんだろう。
「No, そうじゃない。僕の出す条件は一つ。そこを泳ぎ切ること、それだけだ。それを、いつどうやるのかを決めるのも君自身だ。
「自分で決めて良いんだな。OK,面白そうだ。もちろん僕には自信がある。」
「皆、そう言うのさ。自信満々にね。でも、それが出来たのは今まで2人と1匹だけだった。年老いた漁師と盲目のギタリスト、それに、飼い主を喪ったばかりのメスのレトリバーだけだ。
厳密に言えば…その先は知らないほうがいいだろう。
MBPは冷ややかに嗤った。
「えっ?たった100m泳ぐだけだろ?」
「そうだよ、たった100m泳ぐだけだよ」と、含みのある言葉を復唱するMr. Bell Pepper
☆☆☆☆☆☆
不敵に哂うMr. Bell Pepper
「ゲームを始めよう!」
============================
11月の新月の夜だ。ちょっと肌寒いが絶望的なほどの寒さではない。漆黒の闇の中。太平洋上の大きな波のうねりの中に移動させられたことに気づいた。腹の底に共鳴するような超低音の黒潮の響きを感じる。乗っているのは小さなゴムボートだ。周囲を見渡してみると、小さいながらも十分な装備もあるようだ。舵なしで潮に流されているボートは上に下に、背丈のおよそ2倍、4m位のうねりの中にいる。この海域では、ごく静かなのうねりだ。せり上がってうねりの頂上にいると、底のほうは絶望的なくらい深く暗い闇の底に見える。それ自体が、根源的な恐怖。畏怖。何に対しての?
====================
そうだな、確かに怖いさ。
でも大丈夫。たった100m泳げばいいんだろ。そのくらいできるさ、「必死になれば」。
ははは、そうだろうな。「必死になれば」そのくらいできるだろう。勇気を振り絞ってね。MBP、僕も「君なら出来る」と思ってるさ・・・
★★★★★
漆黒の闇、深いうねりの中で、僕は何度か海面を覗き込んだ。夜の海、うねりがある。水温だって決して十分とはいえないだろう。今まで経験したことがない状況で、海に入るリスクをかけることはない。
恐怖?YES
後悔?Yes, but...
もちろんゲームを降りるという選択肢が一番現実的な解決方法だろう。命をかけるほどのものでもないだろう。
No, but...
僕は朝が来るまで待つことに決めた。あと数時間この海の上で我慢すれば夜が明けるだろう。
Mr. Bell Pepperは、何も言わない
★★★★★
でも、まだ君は本当のことを知らない・・・と、MBPがつぶやく。
~~~~~~~~~~~~
水平線がぼんやりと明るくなったと思ったら、急に周囲の海の色変わった。漆黒から濃紺、そして乱反射する波面。太陽があがった。
~~~~~~~~~~~~
やめるなら今のうちだよ。実際の深さをまだ君は知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく
教えてあげよう。君は今、日本海溝の上にいるのだ。
最深部が8020mの日本海溝の真上の海上にいる。
うねりの底の暗黒の下は、水深8020mの海底があるんだ。
十分な時間もある。君が100mは泳げるんだろ。「どんな状況でも」。
たった100mだよ。
嗤うMr. Bell Pepper.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
僕とMr. Bell Pepperの本当のゲームは、ここからが本番だったのだ。
June 9, 2012
LFMBP メモ未修正
メモランダムとして:LFMBP
原案修正は2011−7版
Nの魔力のプロット
天使の環
徐福伝説
プロローグ
冬春夏秋というサイクル
「起」としてのストーリー
孤独な老人 仙人
ordinary people
夢のような生活が実現したとしても、という当たり前の結末
輪廻、再度の夢:夢から醒めた夢をみている:承
託されたメッセージの意味?
IZUM? 神社の社 礎石 苔むした庭
転①
鋭角的な都市と その暗喩として乾燥した荒野
対比としての 海辺の町 港町
転②③ 起承(ウラ)
時空を超える
日本海溝の洋上 ゲーム
転:
記号としての「大富豪」と「大貧困」
転結(ウラ)
結:
エンディング①
エンディング②
エピローグ
トリビュート:杜子春
天使の環
徐福伝説
プロローグ
冬春夏秋というサイクル
「起」としてのストーリー
孤独な老人 仙人
ordinary people
夢のような生活が実現したとしても、という当たり前の結末
輪廻、再度の夢:夢から醒めた夢をみている:承
託されたメッセージの意味?
IZUM? 神社の社 礎石 苔むした庭
転①
鋭角的な都市と その暗喩として乾燥した荒野
対比としての 海辺の町 港町
転②③ 起承(ウラ)
時空を超える
日本海溝の洋上 ゲーム
転:
記号としての「大富豪」と「大貧困」
転結(ウラ)
結:
エンディング①
エンディング②
エピローグ
トリビュート:杜子春
投稿者 marc 場所 Friday, July 22, 2011
June 8, 2012
keep calm and carry on !
放射線療法の終了後のダルさ。一日中眠くてまどろんでいる感じ。とはいえ、眠いだけで苦痛はない。一日中だらだらしているので、一日が長い(というか時間感覚がおかしくなる)。夕方になってやっと目覚める感じ。でも確実に放射線療法の影響からは時間とともに少なくなっていくだろう。できることから少しづつ。
ブログ(表も裏も)も、徐々にペースを戻しつつ進めていこう。
Keep calm and carry on !
どうせなら、上機嫌で行こう!
今日は以前に一緒に仕事をしていた面々がお見舞いに来てくれた。一緒に仕事をして頑張った「戦友」みたいな感じ。本当に僕は素晴らしい人達との出会いに恵まれている。今改めて、ご縁に感謝。
ブログ(表も裏も)も、徐々にペースを戻しつつ進めていこう。
Keep calm and carry on !
どうせなら、上機嫌で行こう!
今日は以前に一緒に仕事をしていた面々がお見舞いに来てくれた。一緒に仕事をして頑張った「戦友」みたいな感じ。本当に僕は素晴らしい人達との出会いに恵まれている。今改めて、ご縁に感謝。
June 3, 2012
素麺は偉大だ
最後の急勾配。もう少しの辛抱。全身だるくていつも眠い。午後4時くらいから少しづつ動ける感じ。食いしん坊を自負するこの僕でもさすがに食欲がなくなってる。ただ、この日本には、食欲が全然ないときにも「なんとか口にできる」素晴らしい食材があるのですね。
それは「素麺」そうめん!
全く食べれないだろうな…と諦めていても、あーら不思議、素麺ならば大丈夫。うどんでも、そばでもなく、ましてやラーメンとかでもなく、素麺がいい。このオールマイティの食材の偉大さ。僕がまともに食べられないことを知って、今日はこーめい先生が自宅からお手製の「素麺お弁当」を作って持ってきてくれた!彼の心配りに感激。
それにしても今の日本ほど質が高く、きめの細かい「病院食」を出す国はないってことを一般の人は知らなすぎる。もっと誇りにしていいと思うな。
それは「素麺」そうめん!
全く食べれないだろうな…と諦めていても、あーら不思議、素麺ならば大丈夫。うどんでも、そばでもなく、ましてやラーメンとかでもなく、素麺がいい。このオールマイティの食材の偉大さ。僕がまともに食べられないことを知って、今日はこーめい先生が自宅からお手製の「素麺お弁当」を作って持ってきてくれた!彼の心配りに感激。
それにしても今の日本ほど質が高く、きめの細かい「病院食」を出す国はないってことを一般の人は知らなすぎる。もっと誇りにしていいと思うな。
June 1, 2012
そうだ!上機嫌で行こう!
上機嫌で行こう
http://www.satonao.com/archives/2012/06/51.html
さとなおくんの51歳の誕生日のコメント。光栄なことに彼との会話について書いてくれた。
うん、そうそう、本当に心から今僕は思ってます。
生まれてから死ぬまで、すべての事がみ~んな繋がっている。
それぞれの人生を精一杯好きなように生きればいいんだ。
毎日を、有り難く感謝しつつ、楽しんで!
http://www.satonao.com/archives/2012/06/51.html
さとなおくんの51歳の誕生日のコメント。光栄なことに彼との会話について書いてくれた。
うん、そうそう、本当に心から今僕は思ってます。
生まれてから死ぬまで、すべての事がみ~んな繋がっている。
それぞれの人生を精一杯好きなように生きればいいんだ。
毎日を、有り難く感謝しつつ、楽しんで!
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