December 31, 2006

2006年大晦日

時の流れの速さに感嘆するのはここ10年くらいの毎年のことだが、今年も同じ感覚で大晦日。早回しの画像を見ているような感じ。今年もいろんなことがあったなぁ。

母親が秋にくも膜下出血で緊急入院をしたってこともあった。医師としてみればかなり厳しい状況だったけど、さすが我が母、その危機的状況からも、しぶとく回復してくれつつある。僕自身は夏に結腸のポリープ切除をしたけど、これはご愛嬌みたいなもんで、今年も絶好調で過ごせた。うちの家族は皆快調、元気一杯。

春先から、ハックル関連ではSAKUちゃんの参加、彼の隠れ家「さくら」基地。彼を通じて新しい出会いがあって、ライブも5本CDも2枚完成した。浅草の面白さを再認識したり、新しい音楽仲間が増えてこれからの展開がすごく楽しみな感じで年の瀬をむかえられた。

仕事面では忙しさはいつもの通りだったけど、年初に考えていたことは概ね達成したか。人事の問題で頭を悩ませたこと、が多少あったな。毎日が忙しく必死こいて動き回っている週日と、まったり音楽を楽しみ仲間と時間を過ごす週末のメリハリはしっかりとできて救われたな。これは本当に有難いことだと思う。今後ともよろしく>ハックルおじさん達

2007年2月には50歳。自分では35歳くらいの感覚なんだけどね(笑)。ひとつの区切りであることは確かな歳なのですね・・・来年・今後の計画・目標ってのは実はあるけど、もちろんブログには書かないことにしとこう(笑)。

December 27, 2006

Kenさん

今日の午後、15年来の友人のKenさんが亡くなった。当時黎明期だったニフティのパソコン通信のチャットで知り合って以来のお付き合い。僕より10歳年上なのに、その年の差を感じさせない人だった。

酒とタバコを愛し、夜の街とカジノと、旅が大好きだった。全共闘世代として青春期を送り、生涯そのラディカルな生き方を貫いた。生活は超楽観的で、ある意味では、とても享楽的なところもあったし、仕事面ではその「適当さ」に、僕自身は閉口した時期も(実は)あったのだけど、彼の穏やかな人柄と少年のような無邪気なところは、大好きだった。

一緒によく飲んだし、ニュージーランドの自宅を訪ねてきてくれたり、ラスベガスで落ち合って2回一緒に遊んだ。六本木にある彼の家に家族でお邪魔したこともあった。窓から見えるデコレーションされた東京タワーが、僕のクリスマスツリーだなんて冗談を言っていた彼。楽しかった思い出の数々・・・

ここ2年くらいは諸般の事情で会っていなかったのだが、10月にひさしぶりに病院に来て出会った彼は、80歳の老人のように老け込んでいて本当にびっくりしたのだ。が、彼自身は病気のことはその時点でうすうす感じていた(いや、たぶん確信していた)と思う。

医師として友人を看取るのは、辛いものだ。でも僕は、彼の人生の最後のフライトのランディングをしっかり見届けて、できるだけソフトランディングするよう最大限の努力をしたつもりだ。その意味で、医者として悔いのないケアは出来たのではないかと・・・今はそう思いたい。

直前まで朦朧としつつも意識があり、お見舞いの人たちと談笑していたのだが、彼らが帰ってその直後に意識が薄れ、本当に眠るように逝った。妹さんに看取られての最期だった。安息の地に着いて微笑んでいるような顔だった。

彼らしいといえば彼らしいランディング。

Kenさん、享年59歳。

合掌

December 25, 2006

南半球のクリスマス

僕の仕事の関係で、ニュージーランド(NZ)に住んでいたのが1993-94年。南半球のクリスマスは、実にオモシロイ。12月は初夏のいい気候なのですね。北半球の僕らにとって「クリスマス」=冬っていう図式は頭にこびりついているから、どうも彼の地の「グリーン・クリスマス」っていうのが違和感を感じちゃいます。でも、すごくいいもんです。

で、NZの人たちのクリスマスの過ごし方は、やはり家族そろって庭でBBQしたりするのが一般的。街はクリスマスシーズンになるとやはりデコレーションするんだけど、クリスマスツリーには雪はない(笑)。多くの人たちは他の国と同様に24日くらいになると年が明けるまで休暇となるので、街はのんびりしているしね。

今日みたいに冷たい雨の降るクリスマスの夜には、あのグリーンクリスマスを思い出します。

December 21, 2006

とんかつ北品川な人たち

昨夜は、友人たちと総勢10人で、あの「とんかつ北品川」にて忘年会。参加者は、さとなおさん、伊藤さん、酒井君、竹内君、じょうじ君、さくちゃん、DAN君、安野君、そしてこの店を紹介してくれた鳥海君。まーく繋がりで集まってくれました。皆それぞれ社会でご活躍中の人たちで、改めて人脈ってのは有り難いものである、と感謝感謝。場所のセッティングの関係で、全員とゆっくりと話ができずにちょっと残念だったけど、みんな食事は楽しんでもらったようで、幹事としてはほっとしています。

さて、昨夜のお料理
①鴨のスモーク
②アワビの煮物
②穴子のフライ
③牡蠣フライ
④名物の肉厚「とんかつ」;焼きかつ
⑤大根の煮物
⑥特大たらば蟹
⑦茄子の煮浸し
⑧デザートは、スイカ!
番外編として、洋梨、アコヤガイの貝柱(おみや)

ん?なんだか忘れてるかな?
あ、そっか、刺身だ。「大間のマグロ」と「シマアジ」「メジ」が厚切りで、どかん、と出たのでした。

それと、開いた赤ワインは計7本(たぶん)、でした、だは。

またこのメンバーで春先にでもやりたいな。しみじみ

December 19, 2006

師走

この季節、仕事のほうが忙しいのはどの業界も一緒なんでしょうが、今年は例年以上の忙しさ。世界的な感染性胃腸炎の大流行で、てんやわんやの騒ぎです。会合も多い季節。忘年会も例年並だけど今月だけで9回(今夜もいれてあと3回!)。そんなこんなで、このブログも書き込めなかった(・・・と言い訳)。

時の流れの速さに感嘆するのは、ここ10年くらい毎年のことなんだけど、それにしてもなぁ・・・今年は速かった。いろんなことが加速度的に速くなっているという実感。公私共に、密度も高かった一年。齢50という年齢(まだもう少しあるけど)は、たぶん人生の中の「社会生活」というセグメントで見てみれば、いろんな意味で一番充実している時期なんだろうな。

ま、でも、自分自身としてはまだまだ「精進せねばっ!」っていつも思いながら生きているワケです。師走とはいえ、この一年を静かに振り返るような余裕もなく突っ走って大晦日なんだろうな。

December 7, 2006

今日のニュースから

[ナッシュビル(米テネシー州) 6日 ロイター]
 米ワシントン発ダラス行きのアメリカン航空便が4日、途中にあるナッシュビルの空港に緊急着陸した。原因は、女性の乗客が飛行中、自分の放屁のにおいを隠そうとしてマッチで火をつけたため。同空港のスポークスマンが6日明らかにした。
 それによると、他の乗客からマッチの燃えた匂いがするとの通報があったものの、女性はその場では名乗り出なかったという。
 同スポークスマンは「もちろん彼女には怖さと恥ずかしさもあったでしょうが、乗客全員が飛行機を降りざるを得なかったうえに、検査犬を導入するなどして全荷物を検査しなくてはならず、事態収拾までに約3時間かかりました」と語った。
 女性には同じ便への再搭乗は許可されず、アメリカン航空の利用も拒否された。
 ただ同スポークスマンは「悪意があった訳ではなく不測の出来事だったので、彼女は何ら罪には問われません」としている。
(ロイター) - 12月7日16時22分更新
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疑問
①火をつけて消さなくちゃいけないほどの「おなら」ってどんなんだ? そもそも効果があるのか?
②マッチで火をつける行為は大問題だけど、緊急着陸するほどのもんなの?以前は機内でふつうにたばこを吸っていたのに。
③女性がその場で名乗り出なかったのは理解できるとしても、名乗り出たら「まるく収まった」のか?たぶんNOだろうな(爆)
④真実はどうやって判明したのか?これが一番の疑問

ま、どうでもいいことなんだけど、こんなニュースを世界中に配信するってのも。。。

December 4, 2006

今日は今日、明日は明日

仕事場で{いろんなこと}が起こる日は、本当に同時多発的に{困ったこと}が起こるもんだ。
まさしくマーフィーの法則。こういう時には、因果応報なんだろうなって考えることにしている、最近は。

Mr. Bell Pepperに相談してみるかな(笑)

今日は今日、明日は明日。がんばれ、オレ!

December 2, 2006

ぷらいべーと

僕のこれまでの信条として、仕事とプライベートをできるだけきっちりと分けるようにしてきた。
僕という個人はひとつだから、実際にはなかなか容易ではない。

これは事実。
 でもね、だからこそ・・・

音楽活動や拙文をしたためることも、大切な僕のプライベートの領域なのですね。

で、今日の話は・・・難しいんだよな。

説明不足で、これを読んでくれている人には判らないかもしれないけどね。

ああ、どうしようかなぁ・・・悩んでます。

November 29, 2006

BUSSTOP

という言葉そのものに、心の奥底の、懐かしく切ない記憶がインスパイアされる・・・

高校生だった頃書いた歌、があった。
そのときは、言葉が迸る様に出てきて、自然に曲がついた。たぶん僕の曲作りの原点みたいな曲。

今想い出してみると、実に稚拙で中途半端な歌なんだけど、一昨日の夕方に街を歩いていて、高校生のカップル(だろう、たぶん)が、バスを待ちながら話をしている姿を見て、フラッシュバックした。

November 21, 2006

棟梁の話

子供の頃、近所にあった大工さんの「マンタロさん」のところに行くのが大好きだった。今考えてみると、大工さんとばかり思っていたが、お店があって、そこで家の欄間とか床の間の木工品を作っていたのだと思う。棟梁のマンタロさん(多分、萬太郎さんとかいうんだろうが、みんなマンタロさんって呼んでいた)という、昔かたぎの爺さんの職人は、仕事中でも近所の子供が遊びに来ると、いつも「おお、ボウズ達よく来たな!」とダミ声で言って、僕ら悪がきたちを、笑って迎えて入れてくれた。

別に一緒に遊んでくれるわけでもないし、お菓子をくれるわけじゃない。ただ僕らは、彼と丁稚達(お弟子さん?)が、作業場で仕事をしているのを見ているか、店の前の路地で「ダルマさんが転んだ」とか、「水雷艦長」とか、「三角ベース」とかをしていたと思う。

マンタロさんの孫でカイチ君(嘉一くん?)という子がいたが、歳はたぶん僕らより2-3歳小さかったように思う。たぶん一緒に遊んでいたはずなのだが、実はあまり印象がない。いつもニコニコ笑いながら僕らの後を付いて歩いているみたいなコだった。

マンタロさんは、「これで、そこで遊んでな、坊主たち。」なんて言って、仕事場にある木片をくれた。大きいものもあれば小さいものもある、でも僕らはその木片を使って、見よう見まねで「船」を作ったり、飛行機を創ったりした。トンカチで怪我をしたり、とげが刺さったりしたけど、男の子たちにとって夢中になる機会を作ってくれたわけだ。

いい爺さんだった。今考えてみると、あの頃には日本中どこにでも「子供に媚びない」「背筋の伸びた」「オトナの見本」みたいな人たちがいたように思う。

ある時、マンタロさんが僕ら悪がきにマジメな顔をして言った。きっと彼は、素朴で、無骨で、飾り気のない、素直な言葉を、子供たちにくれたのだ。僕はその言葉を忘れない。

「オレは小学校しか行ってない。だけど学校も勉強も好きだった。今は職人としてお天道様に恥ずかしくないように生きていて幸せだ。でも、きっと学校に行って、もっと勉強していたら、もっといろんなことがわかって楽しかっただろうし、もっと幸せになったはずだ。それが残念といえば残念だ。小僧達は、お父さんお母さんの言うことをちゃんと聞いて、学校で一所懸命勉強しなくちゃいけないぞ!頑張るんだぞ!」と。

今、この歳になって思うに、これは凄い事だと思う。近所の子供達に、そんな真っ当なことをマジメに諭すオトナなんて今居ないもの。

November 18, 2006

お蔭様で・・・

オフクロが倒れてから、早いもので1ヶ月。
やっと状態は落ち着きつつあるので、自分の病院でリハビリしてもらうことにした。

今日は板橋の病院から自分の勤務する世田谷の病院まで移動。
それにしてもすごい交通渋滞。
今日は世の中のすべての人が「紅葉狩り」をするような気がした。
ラジオの話だけどね(笑)

無事に移動を完了し、ほっと一息で。

November 16, 2006

斜め45度、上空3m

小さいながらも組織のリーダーとして仕事をしていると、いろんなことがある。柄じゃないんだけどね。
そんなわけで、少なくとも週に1-2回は、ヤなことがある。ま、大体が人間関係のこと。

ヤなことで、できることなら目をつむってシカトしちゃったり、無視できればいいんだけど、立場上真正面からモロに受け止めることが、僕の仕事なのですね。ある意味、最後の砦だから。

AとBが合わないことはある。人間だからね。いろいろあるわけだ。

でも

AとBが合わなくて、AとCがしっくりいかない、AとDとの間にも微妙な問題がある・・・とすると、
やはりAに問題があるというのは、確かなんだな。

ふう・・・

そんな時、僕はいつも自分の部屋にいったん戻り、
目を閉じて深呼吸を3回。
そして
斜め45度、3m上空から
そんな自分を 眺めてみる
ことにしている。

November 12, 2006

賢者の贈り物

かぜさんの「人生を変えないラジオ」の今回の御題が「クリスマス」ということで想い出した。
短編小説の巨匠オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」。たしか高校の英語のリーダーだったかな。

ジムとデラという貧しい夫婦がクリスマスにお互いに贈り物をする。お金がないので、デラは自慢の美しい長い髪の毛を切って売り、ジムの懐中時計につける鎖を買う。ジムは、自分の宝物の懐中時計を売ってデラに髪飾りを買うっていう話。題名は「賢者の贈り物」で、「愚者の……」でないところがポイント。つまり、二人はすごく愚かなんだけど、行った行為そのものは気高く美しい「賢い」ものなのだ、っていう話ですね。

当時の僕は、この貧しくも愛し合う二人の、美しく哀しい物語に、素直に感激したわけですね。

でもさ、この歳になってみると、この話の根底には、クリスチャンの偽善的な部分が透けて見えるように思えてならないのですね。シニカルな見方をしてしまう、僕の悪い癖かもしれないけど。

デラが美しい髪を売る決心をしたのは、「髪なんてそのうち同じように生えてくるもんじゃない。」っていう気持ちがどこかにあったんじゃないか?とか。ジムにしても、そんなに生活が苦しいんだったら、大切な懐中時計を売るなんて行為は愚かなことで、今年のクリスマスにはプレゼントをあげられないけど、もっとしっかり働いて来年はプレゼントをあげられるように頑張るから、ってデラに言えばいいじゃない、とか。

だから・・・
この二人は、お互いを愛し尊重しているようにみえて、実は自己欺瞞の愛情に浸っているだけじゃないか?って思うのね。現実的な生活ってのは、そんな甘いもんじゃないんだからさって感じ。ムリすることないよね。

でも、それが若さってことなんだけどね(笑)

November 6, 2006

Mr. Bell-Pepper プロット原案(改定)

「君はどのくらい泳げるんだい?」と、Mr. Bell Pepperが聞いた。

いつも彼の質問は唐突で気まぐれだ。「まあ、体調さえ良ければ1000mは泳げるだろう」と何気なく答える僕。

「ゲームをしないか?」

「どんなゲームだい?」

おかしそうに嗤うMr. Bell Pepper

「君は、どんな状況でも100mなら泳げるかい?」
「まあ、たぶんね。」
「たぶん、かい?君はいつでも、そう言うな」
「いや、{たぶん}絶対さ」

「僕の言う条件で100m泳げたら、5万ドル、っていうのならどうだい?」

5万ドルっていうのは、ただ100m泳ぐだけという対価としては悪くない金額だけど、命をかけるほどの金額でもない。全然。あまり興味がわかないけど、少なくとも面白そうな話だ。

「あっ、わかったぞ。身体に鉛を50キロ着けて・・・みたいな条件とか、悪天候の海とか、急流を泳ぐみたいな話なんだろ。そんな仮定を突然持ち出すなんてフェアじゃないよ、Mr. Bell Pepper.」

「まーく、そうじゃない。僕のいう「状況」は、君が一番体調いい状況で、君の{好きなときに、好きな格好で}泳いでもらっていいのさ。それで出来るのか?って話さ。」

「ほほう、それならOKだ。自分で決めて良いんだろ?大丈夫。僕には自信がある。」

「ふーん。皆そう言うのさ。自信満々にね。でも、それが出来たのは今まで2人と1匹だけさ。」

「年老いた漁師と盲目のギタリスト、それに、飼い主を喪ったばかりのメスのレトリバー。」

「えっ?たった100m泳ぐだけだろ?」
「そうだよ、たった100m泳ぐだけだよ」と、含みのある言葉を復唱するMr. Bell Pepper

☆☆☆☆☆☆

「このゲームに参加して、僕の話を聞いてくれればその時点で1万ドルだ。その話にのって実際に泳ぎ出せば1万ドル上げよう。ただし、トライ出来なければ逆に僕に3万ドル払ってもらう。そして、実際に成功すれば、僕が君に3万ドルだ。悪い話じゃないだろう?フェアなゲームだと思うが。」

「もう一度確認しよう。僕は、僕が選んだ条件で好きなときに好きなように100m泳げばいいんだね」
「そのとおり。僕が決めるのは、{その場所}だけだ。」

不敵に哂うMr. Bell Pepper

「ゲームを始めよう!」

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11月の新月の夜だ。時間は午前1時すぎ。ちょっと肌寒いが絶望的なほどの寒さではない。僕は漆黒の闇の中、一人で海に出ている。風はそんなにないが、太平洋の波は確実なうねりを繰り返している。風の音はほとんど聞こえないが、重低音のごーっという腹の底に共鳴するような黒潮の響きを感じる。乗っている船は小さなゴムボートだ。十分な装備もある。ゴムボートの底は十分な厚みのゴムで出来ているが、僕は身体の下に直接海の鼓動を感じている。木の葉のように揺れる、っていう程じゃない。舵なしで潮に流されている。でもボートは上に下に、背丈のおよそ2倍、3m位のうねりの中にいる。この海域では、「ごく普通」のうねりの中に、居るわけだ。せり上がってうねりの頂上にいると、底のほうは絶望的なくらい深く暗い闇の底に見える。それ自体が、根源的な恐怖。畏怖。何に対しての?

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そうだな、確かに怖いさ。
でも大丈夫。たった100m泳げばいいんだろ。そのくらいできるさ、「必死になれば」。

ははは、そうだろうな。「必死になれば」そのくらいできるだろう。勇気を振り絞ってね。オレも「君なら出来る」と思ってるさ・・・その時点ではね。

★★★★★

漆黒の闇、深いうねりの中で、僕は何度か海面を覗き込んだ。夜の海、うねりがある。水温だって決して十分とはいえないだろう。今まで経験したことがない状況で、海に入るリスクをかけることはない。

恐怖?YES
後悔?Yes, but...

ああ、そうか、ゲームを降りるという選択肢もあるわけだ。3万ドル渡して。僕にとっては大金だけど3万ドルは払えないわけじゃない。こんなゲームに命をかけるほどのものでもないだろう。差し引き1万ドルじゃないか、リタイヤするのはそんなに難しくない。

No, but...

僕は朝が来るまで待つことに決めた。あと5時間もすれば夜が明けるだろう。

Mr. Bell Pepperは、何も言わない

★★★★★
夜明け前。
でも、まだ君は本当のことを知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく。

~~~~~~~~~~~~
水平線がぼんやりと明るくなったと思ったら、急に周囲の海の色変わった。漆黒から濃紺、そして乱反射する波面。太陽があがった。
~~~~~~~~~~~~

やめるなら今のうちだよ。実際の深さをまだ君は知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく

教えてあげよう。君は今、日本海溝の上にいるのだ。
午前1時、最深部が8020Mの日本海溝の真上の海上にいる。うねりは約3m。
新月の真っ暗な夜だ。うねりの底の暗黒の深い底には8020Mの海底があるんだ。

十分な時間もある。君が100mは泳げるんだろ。「どんな状況でも」。

嗤うMr. Bell Pepper.

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕とMr. Bell Pepperの本当のゲームは、ここから始まったのだ

続く・・・(今日はもう眠いのでここまでっ!)

November 5, 2006

駒込の夜は更けて・・・

昨日は、さくちゃんの隠れ家のある駒込で集合。スタジオ練習の後に、駒込を散策しました。うううむ、なかなか面白くて奥が深い街です>駒込。なぜか焼肉屋とふぐ割烹が多い。面白いのは店の名前。
①割烹「ふで春」、この「ふで」っていうのは「筆」ですかね?意味不明、なんとなくクスグッタイね。
②スナック「ニューうさぎ」:以前見つけた巣鴨商店街の姉妹店なのかね。でも、なんで駒込で「うさぎ」なのか?
③その隣のスナックは「樺恋」:「かばこい」って読むのか?何れにしても意味不明
④焼肉「桃太郎」(これも面白いネーミングだ)が閉まっていたので入った焼肉屋「味一(あじいち?)」ってのは、安くておいしかった!これはアタリでした。

その後は、さくちゃんの次男アツシ君の20歳バースデーで、彼と彼のガールフレンドが参加して、いつものHIROSHIの店「Pousse Cafe」ココんちは、雰囲気が素晴らしい、和みます。このアタリから僕は結構酔っ払い店のギターを弾いたな(笑)。その後、「さくら」に戻り「昔の話:爆笑大会」で、駒込の夜は更けていったのでした。

November 3, 2006

とんかつ北品川

今晩は、高校時代の同級生のトリウミ弁護士の紹介で「とんかつ北品川」へ。
ハックルブログにも書きましたが、スゴイわ、このお店。
ぶっ飛びました!

「とんかつ北品川」 品川区北品川1-1-1
電話:03-3458-7250

November 2, 2006

芸能人と出会う日

だな、今日は。今日午後は研究日。明大前のクリニックに向かうべく新宿の「万世」で、肉みそパーコーメンを食べていたら、僕の相席の前がおすぎとピーコのおすぎさん。一人でパーコーメン食べてた。その後、明大前のドトールコーヒーでコーヒーを飲んでくつろいでいたら、斜め前に座ったのが若い俳優さん。たしか「僕たちの戦争」で一人二役やってた子。名前がわからなかったけど、それなりに存在感のある人だった。今調べてみたら森本未来という人。帽子かぶって目立たないようにしていたけど、周りの若い子たちは気づいていたみたい。おすぎさんにしても森本君にしても。プライベートなのに周囲に気にされて、気に毒だな、って思った。ま、それだけですが(笑)。

October 31, 2006

Huckleberry Weblog休止中

っていうか、ここ数日アクセスできない状態ですね。DAN巨匠の話では、サーバーの乗せ買え作業中の事故みたいですが、最悪飛んじゃっている可能性がありますね。とほほ。復旧できればいいのだけど。

October 29, 2006

10月29日、癒しの休日


ま、いろいろとあったこの2週間。このコラムで書き綴れば、5回分くらいの出来事がありましたね。こんなときもあるね。台風が去った直後の怒涛の川原に呆然と立っているって感じかね、比喩的に言えば。まだ当分は続くんだろうな。ま、でも僕は元気です。ご心配頂いた皆さん、暖かいお言葉ありがとうございます。

さて、今日の午後は、久しぶりに「さくら」に集合して、スタジオ入り。どっぷりと音楽の世界に浸り(ああ、こんな時間を持ち望んでいたんだよな)、癒されました。緊張した神経の弦を緩めて、深呼吸。ふーっ。僕には音楽があるっていう幸せ。

ありがとう>じょーじ君、さくちゃん

ところで、むつらさんのところに男の子が生まれたそうな。おめでとうございます!!>むつらばーちゃん(~_~) 可愛いんだろうなぁ、孫ってのは、たぶん。それ以上にばーちゃんも可愛いぞ、きっと(^_^)

僕は自分自身の孫っていうのは、まだ実感がないけど、そんな遠い将来じゃないんだろう。ちなみに今日は次女有季子(18歳)、明日は長女加南子(21歳)のバースデー。

つらつら

October 26, 2006

権利を最大限主張し、責任は最小限果たす

っていうヤツを見ていると、哀しくなる。
コドモオトナ・オトナコドモ。

自己犠牲が美徳だった時代は、当の昔に過ぎている。
もちろん!僕だって条件付で賛成さ。

でもね・・・
自分の責任の重さを測るのは自分なので、いくらででも「逃げ」が打てるシステムには問題がある。
育ちの問題なのか、教育の問題なのか?はたまた世の中全体がそういう「雰囲気」なのか?

「個人」だけの問題ではないと思う。

組織の中での自由っていうのは、内省的な自己が確立できないヤツには、無条件では与えてはいけないんだなって今更ながら思った。年齢や経験は関係ない、その人の生き方の問題だ。自分の信じる道には「労を厭わない」ってのはアタリマエのことじゃないか。

っていうか、わからんヤツはいつまでも判らないんだろうな。

てなことを考えてる。
職場のぐちですが・・・。

October 23, 2006

Acoustic Days Live in Akihabara 延期のお知らせ


来る11月26日(日曜日)に予定しておりましたライブを、都合により延期とさせていただくことになりました。楽しみにしていた方々、大変申し訳ありません。急遽キャンセルになった理由として、①メンバーの仲間割れ説、②メンバーの女性問題発覚、③酒の飲みすぎによる体調不安説等、様々な説が飛び交っておりますが、全て本当のこと(爆)のように思えるフシがありますが、ぜんぜん違いますので、ご心配なく!

このように急遽中止とすることとなり、その結果として、僕らをサポートしていただいている多くの方々にご迷惑をおかけすることになり、本当に申し訳なく思っています。

近日中に、日時・場所などを仕切りなおして、新たにライブの告知ができると思いますので、その日をどうぞお楽しみに。これからもハックルベリーフィン(元祖)をどうぞよろしくお願いします。

2006年10月23日

ハックルベリーフィン Marc, joji and Saku

October 19, 2006

希望的期待値の収束点

人生、一寸先は闇って言う言葉。これは真実ですね。僕らは普通に一ヶ月先の予定だとか、1年先の予定、はたまた自分が70歳になった時には。。。なんて勝手に考えているけど、未来のことなんてわからない。予定や将来の約束っていうのは不確実で、時間と空間のベクトルのなかでは、それぞれが個人的な「期待値の収束点」でしかないんだね。つまり、月並みな表現だけれど、「今を信じて、自分のベストを尽くせ」ってことなんだろうな。

ていうか、それしかない訳で。

じつは、16日に母親が緊急入院してばたばたしてます。医師としての目でみて、かなり厳しい状況。やっと小康状態にはなってますが、当分は厳しい状況が続くと思います。こんな時、医師である自分の無力さを痛感しますね。

October 9, 2006

10月9日(休日)

一年のうちで、今日くらい爽やかで気持ちのいい気候の日っていうのは、そんなにないだろう。いつものように6時過ぎに目覚めた僕は、窓を開け、入ってくる爽やかな微風と明るい陽光のなかで約2時間くらい眠り込んだ。意識と無意識の境目の心地よい場所。

最高だね、こういう朝は。
懸案事項は棚上げ、最優先のリストもこのマドロミには勝てない。

8時過ぎに、軽くストレッチしてから近くの公園に行き、コンビニで買ったサンドウィッチとグレープフルーツジュースを飲む。新聞をいつもの3倍くらいかけて熟読。

10時に開く、「すすき野・ゆけむりの里」へ。
休日おじさんの聖地(笑)。
露天風呂に漬かり、昨日のハックルおやじパーティの楽しかった時間を反芻する。
くーっ、タマリません。

脳みそが溶けちゃうくらい、何も考えずぼーっとする。
爽やかな風のなかで全裸で陶酔状態のおじさん(僕)>爆

帰路、サンルーフを開けて快調に走る車。サンルーフをつけてよかったな。ああ、こんな日には。そのまま走って黒崎の鼻までいけたら最高なんだろうな、って思ったけど、今日は家でのんびりとしよう。

昼ごはんは、蕎麦会席「郷林坊」にて、天せいろと生ビール。
うまし。秋葉原の尾張屋さんとは勝負にならないけど、ま、それなりに満足する。

ネットをチェックすると、かぜさんが昨夜の放送で僕の駄文とZip Cityをかけてくれたようだ。素直に嬉しい。この歳になっても自分達の創った音楽が、電波に乗って深夜の街に飛んでいくのを想像するとワクワクした気持ちになる。ありがとうございます>かぜさん。

帰宅してからは、モデム交換やら書斎の整理やら、たまっている仕事を済ます。これから昨日の打ち合わせをもとに、11月のライブのチラシチケットつくりをしましょう・・・

いい休日です

October 4, 2006

キラー・メッセージ(小説)

その手紙の封を開けた瞬間、僕の部屋の空気が揺れ、ごく微かな、乾いたポプリの香りがした。

ポストで2ヶ月ぶりの彼女からの手紙を見つけて、僕は跳ぶように走って、アパートの3階にある自分の部屋に戻り、深い深呼吸をしてから、その手紙と向かい合ったのだった。

カリフォルニアの熱く乾いた風が、一瞬通り過ぎたような気がした。

ピンクの縁取りがある小型の便箋で、右肩アガリのすこし丸みがかった、彼女の懐かしい文字。用箋をあまり気にしないのは、いつものこと。本当は気が小さくて弱虫なくせに、時々周囲をびっくりさせるような大胆な行動をとったりする彼女の性格を表していて、大きめの文字が飛び跳ねている。

きっと、走り書きみたいに急いで書いたんだろう。右側の文字のいくつかがインクで汚れている。インクの文字が乾ききる前に、キモチが先走ってしまって、飛び出してくる言葉を追っかけるのに、きっと一所懸命だったんだろうなって、僕は思った。

僕達が別々の場所で生活するようになってから、もう半年と2週間。別れた直後のお互いの気持ちの高まりは、波が寄せては返す運動を繰り返すごとに徐々に収束するように、今は落ち着いてはいたけど、心の深いところにある「灯火(ともしび)」のような温かさとなって存在していたのは真実だ。彼女のことを愛していた、と思う。たしかに。

彼女のことを考えない「夜」はなかったけど、すごく正直に言えば、彼女のことを考えていない「昼間」は、(少しずつだけれど)多くなっていたかもしれない。

はじめのうちは、毎週やり取りしていた手紙も、突然凪いでしまった海のように、来なくなったし、僕も出さなくなっていた。彼女は新しいセメスターが始まって、毎日の講義のレポート作成に追われているという理由を言い訳にして、僕は僕で、新しい実習の実験結果をまとめるために連日学校に缶詰になっている、という理由で、自分と相手を納得させていたのだ。それは、初めのうちはお互い99%は真実だったんだけど、残りの1%の比率が徐々に大きくなるのには、そんなに時間はかからなかった。

今みたいに簡単かつ頻繁に国際電話をかけられる時代じゃなかったし、メールだってなかった。そんな時代の話。手紙を書くことは、遠く離れた相手に自分の心を届ける一番の方法だった。


結論を先に言えば、その手紙を読んで僕はスグに航空会社に電話をし、翌日なけなしのお金をかき集めて、LA行きの飛行機に飛び乗ったってわけだ。でも、もっと先の結論までいえば・・・、そのさらに半年後に、僕らの絆は、凪ぎの海から沈没して、深い海の底に沈んでしまったのだけれど。

彼女からの手紙の内容は、一緒に暮らしたパサデナの街の変わらない様子や、学校のこと、友人達の近況など・・・ごくごく普通の彼女の生活が、意外なほどさりげなく書いてあった。「愛している」とか、「あなたに逢いたい」の一言もない手紙。2ヶ月ぶりの手紙で、こちらからも出していない引け目もあったりして、なんとなく「別れの手紙か・・・」という不安感と緊張感を持って読み始めた僕は、急に膝の下から力が抜けたような脱力感と同時に、妙な安堵感を感じたのだった。

ただ、彼女の書いた最後の文章。あえてここには書かないけど。まさにキラーメッセージ。

さらに、その隣にあった「涙の痕」のような微かな便箋の乱れを見て、僕は居ても立ってもいられない気持ちが湧き上がってきたのだ。

心に響くというようなキレイなものじゃなくて、(今すごく正直に言えば)下半身を直撃するような衝撃だったな。あの年代の男の子を経験した大人の男なら、わかってくれるはずだと思う。

男は単純だ。

あとで彼女に聞いたら、あれは涙の痕じゃなくて、くしゃみをして「ハナミズが垂れた」のだ、と言い張って、笑っていたけど・・・。

真実だとすれば・・・
ウソだとしても・・・

知能犯

彼女は「愛すべき犯罪者」だったことになる。

September 28, 2006

六星占術 by 細木数子

僕は昔から、占いって割と好き。でも、矛盾しているんだけどぜーんぜん信じていない。一応、科学者ですから(笑)、長年培われてきた文化としての統計学的なところが面白いって思ってる。

高校生、大学生くらいの頃は、雑誌に出ている星占いなんて結構読んでたね、四柱推命なんかも興味持ったし。占いは遊びとして、良いことが書いてあれば信じる、っていうスタンス。若い頃は、占いなんて非科学的さ、なんて思っていても、書いてあることに結構影響受けたりしたなあ(笑)、多分自分にいろんな意味で自信がなかったんだと思う。それ以上でもそれ以下でもなくて、社会に出てからは全く興味がなかったりした。

さて、本日ひょんなことから細木数子さんの占い本、買ってみました。薄っぺらいんだけど560円もするの(笑)。それにしてもこの人「ズバリ言うわよっ」なんて言ってTVのゴールデンタイムを張っちゃうくらいだから、人気あるんですね。結構言っていることはマトモなんですよね。ある意味で非常に保守的。娘たちに聞かせたいようなことをすんなりと言っちゃたりしてる。

で、この本では冒頭で要約すると以下のようなことを書いている。

「占いは非科学的である。しかし自然、運命、人生なんてものは、もともと非科学的なのである。たとえば1を3で割ってみなさい。0.333333...で割り切れないでしょ。でも手を使って3分の1には簡単にできるでしょ、ほうら、科学的じゃないから真実ではない、っていうのは詭弁なの」

ふむふむ、なんて多くの人を納得させられるような文章だ。でもさ、この主張の非論理的な部分は、やんわりと実に巧妙に隠しているんだよね。でも当の本人はたぶん悪気はないんだろうな、非論理的なことを言って人を騙そうなんて思ってもいないんだろうな。心底信じているんでしょうね。そこが、彼女の、そして六星占術が人気のある所以かもしれない。とんでもなく尊大な態度で、はっきりモノを言っちゃうのが、ある意味面白い、というか天晴れな人だ。

さて、僕は「水星人(ー)」なんだそうな。書棚の前で、自分の星はどれだろう、なんて本持って考え込んだりして、ちょっとマヌケで恥ずかしかったです。生まれながらの運勢として、家庭運:あまり良くない、結婚運:あまりよくない、恋愛運:あまりよくない、そうな(笑)<=自分ではわりといい線いっていると思うんだけどな(爆)。セックス運:抜群(絶倫)だと!(大爆!)、金運/財運:6つの星のうち最高。ぜーんぜん当たってないじゃん。。。ってそれなりに面白いんだよね。また、同じ星でも、プラスとマイナスがあって生まれ年で違う。運勢が丸々1年ずれているみたいだ。

今年の後半から来年にかけての運勢が書いてあるんだけど、金運、仕事運、家庭運などは最高に良いみたいで、そのいい部分だけは信じよう!と思ったのでした(笑)

それにしても、本当に久しぶりに占い関連の本を読んだ。

September 20, 2006

失うもの、喪うもの

外来でのUさんと会話。結腸癌の手術をして早いもので6年目になる僕の患者さんだ。

「鬱、というわけじゃないんでしょうが、最近気分が塞いでしまうことがあります。この歳になってもメランコリーな気分になるものなんですね。」

「はい。」

「歳をとるというのは、哀しいことです。先生はまだお若いから、わからないでしょうが。こういう気持ちは・・・」
「・・・はい。でもUさん、僕にも少しはわかる気もします。今年で僕は50歳になります。」

「そうですか。ええ、そうかもしれませんね・・・。私も、あなたの歳頃には、毎日毎日必死で仕事をしていましたな。」

「はい。」

「この歳になると、毎日毎日{失うもの}や{喪うもの}ばかりなのです。」

「失う(喪う)もの、ばかりですか・・・。」

「病気の妻(彼の妻も末期ガンなのだ)を、喪う日のことを考えますと、真夜中に気が狂いそうになるほど寂しい気がします・・・例えが悪いかもしれませんが、二人で若い頃買った瀬戸物が、突然一昨日割れたりするし。先生もご存知でしょう、12年一緒に過ごしたロンが、私たちの犬ですが、先月死にましたし・・・。学生時代の友人達の便りは、ご家族からの死亡通知ばかり。生き残っている自分達が、逆に特別な存在みたいで・・・」

「でも、失う(喪う)ものばかりではないでしょう?日々の生活では{いろんなこと}があるし。ああ、そういえば、末の息子さんのお子さんもこの春に生まれたし、お孫さんの成長は見ていてうれしいものでしょう。」

「ええ、もちろんです。でも私たちの日々の生活は、単純で淡々としたもので、先生のおっしゃるような{いろんなこと}っていうのは、そんなに多くはないんですよ。私と妻にとっては、残された、限られた人生の時間の中で、圧倒的に失うモノのほうが多いんです。」

「(頷きつつ)でも・・・」

「でもね、先生。こんな気持ちのよい秋を感じるに日は、少しは私も{救われた気持ち}にもなります。人間ってのは単純なものですね(微笑)」

「はい。」

「人生はね・・・冬に始まり秋に終わるんだそうです。中国の古典ですが・・・。」

「収穫の秋っていう意味ですね?高校の漢文の先生から聞いたことがあります。」

「はい、冬を背負った秋は、本当に悲しくて、寂しくて、切ない・・・です。でも人生の終着駅というもんは、そんなものなんでしょうね。最後に{すべて}を失って、たった一人のマッサラの自分に戻り・・・。それを神様は(Uさんと奥さんは敬虔なクリスチャンなのだ)、生きながらえる人間達に、実り(収穫:ハーベスト)を与えてくださる。」

「Uさん。今考えたのですが・・・、あなたから見れば、こんな若造の言うことに気を悪くなさったらごめんなさい。逆に、{人生の中で失われないもの}って、あるんでしょうか?」

「は?どういう意味ですか?」

「僕は仏教徒です。特定の宗派ではありませんが。実は先日、夏休みを頂いて、高野山に行ってきました。奥の院に向かう森の中の、巨大な墓地の中で思ったんです。太く・短く生きた武将達や、歴史上の偉人達、大金持ち、軍人達、若き英霊達、その他の多くの、名もなき(僕みたいな)普通の人生を生きた人たち・・・そんな、いろんな人たちの墓と向かい合って、人生は終わってみれば、皆同じなんだ、ただ土に還るだけなんだ、と(いい言葉が見つからないんですが)僕はすごく{安心}したのです。」

「(はい)」と、静かにうなずくUさん。

「で、そう思ったら、なんだか吹っ切れた気がしたんです。実は、ここ2-3年、僕もずいぶん悩んでいて、折り返し地点は過ぎている自分の残りの人生をどうやって全うするべきか、って考える時がありました。{鬱}っていうほどはっきりしたものではないのですが、焦燥感とか不安感を感じることがありました。」

無言で僕を見つめるUさん。

「色即是空」っていうのは、厳然とした、決して動くことのない真理です。諦念ではなくて・・・、どんな人も生きている限り、いつかは真正面から向かい合わなくてはならない、ものなのでしょう。宇宙の存在の中では、泡沫のような人の人生なのですから・・・青臭いかもしれませんが、雨の高野山を歩いていて、僕は確かにそう感じました。うまく言葉に出来ないのですが。」

「いい夏休みでしたね、先生」

「はい」

「私も先生の話を伺って、高野山をまた訪れたくなりました。前に旅行したのは60年前ですか・・・学徒出陣で一足先に逝った親友の墓があるのです。」

「そうだったんですか。Uさん・・・」

「こんな爺の話を真剣に聞いていただいて、ありがとうございました。」

「とんでもない、Uさん。僕こそ偉そうなことを言って失礼しました。それでは、来月お会いしましょう。お大事に・・・」

微笑してUさんは席を立った。

救われたのは、実はこの僕だった。

そんな秋。

September 18, 2006

Downtown Down

昨日は、スタジオで新曲「だうんたうん・だうん」の歌入れレコーディング。この曲の原詩は、都会の乾いた空間で漂う泡沫(つまり僕ら)の、不安感・怒り・哀しみ・諦めみたいなものを、笑い飛ばしちゃう、っていうイメージ。そこから(ビジネス街(仕事場)=猥雑な「イロマチ」)、飛び出そう!っていうフレーズは、じょーじ君が追加したものですが、これでこの詩が「歌」になったのでした。このプロセスが面白いのですね。タイトルのDowntown Downってのは、特に意味のない言葉の遊び。

さて出来上がった曲は、アコースティック・ロックという感じで、僕は大変気に入ってます。イーグルスのGET IT OVERのイメージに重なるかな。今度のライブでもやる予定です。乞うご期待!

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だうん・たうん・だうん

1)
アナログ列車に 飛び乗り
 都会のビジネス街(イロマチ)飛び出そう
夢の跡(あと)には 底知れぬ
 欲望が 渦巻いて いるから
DOWN TOWN DOWN
DOWN TOWN DOWN

くどき文句の破片(かけら)を
 今さら飾り立てても
話を聞くよな フリするなら
 気の利いた「さよなら」するさ
DOWN TOWN DOWN
 DOWN TOWN DOWN

*(さび)
空しい言葉の 意味(ひとつ)さえ 
今さら 並べたてても 
仕方(しよう)が ないだろう
涙を流すよな 時間があるなら
気の利いた 台詞(せりふ)でも 
ひねればいいさ

2)
歯の浮くよな お世辞こいて
 ゴタク並べるのは むなしいさ
デジタルなんかじゃ 伝わんない
 イチ・ゼロだけじゃ つまらない  

DOWN TOWN DOWN
DOWN TOWN DOWN

あなたまかせの 泡沫(うたかた)に
 恋の恨みを 重ねても
ウソで固めて 厚化粧 
笑い飛ばせよ ビジネス街(イロマチ)に

DOWN TOWN DOWN
DOWN TOWN DOWN

*(さび)
言葉たらずの コドモオトナが 
リクツ言うのは 恥ずかしいだろ 
涙を流すよな  時間が  あるなら
気の利いた 台詞(せりふ)でも ひねればいいさ


DOWN TOWN DOWN
DOWN TOWN DOWN

September 17, 2006

SONY MDR-EX90SL




本日午後は研究会、その帰路に寄ったBICカメラ渋谷店で衝動買いしてしまいました。だって音質が全然違うんだもの、別のインナー型のヘッドフォンと。今まではSHUREの独壇場だったインナー型ですが、スタジオモニターとしても使用できそう!

くふふ、明日のレコーディングに使っちゃおう!

September 15, 2006

秋の味覚


丹波の松茸を頂いた。正統派の「丹波の松茸」。さすがに香りが素晴らしい!早速、今晩は「土瓶蒸し」にして頂きました。おいしかった!くうーー、明日は松茸ご飯かな。

September 11, 2006

夏休み一人旅(その4:総括)

test comment をいじっていたら、本文が消えてしまった。まったくトホホです。

夏休み一人旅(その3)

9月10日(日曜日)。いつもの習慣で6時には目覚める。熱いシャワーを浴びてから朝食バイキング。なんで宿泊した次の朝の朝食ってのはこんなにおいしいんだろうな。和食バイキングでガッツリ食べる。

さて、昨日は熊野行きを断念したので、セカンドベストとして考えていた世界遺産「高野山」に行ってみることにした。ホテル周辺を散策しつつ京都駅に向かう。京都発10時の阪急特急で大阪梅田へ。関西は私鉄のネットワークがしっかりしていて、便利だ。1時間ほどで大阪に到着。地下鉄で「なんば」へ。「なんば」南海電車高野線で高野山に向かう。まったく準備していなかったので、次の電車まで1時間あるので、コーヒーを飲みつつパソコンで検索。インターネットつなげればいくらで情報が収拾できるので本当に便利。マックを持ってきて良かった!

さて、12時発。急行で橋本へ、そこで高野線に乗り換える。南海電車の走っている大阪郊外というのは本当にのどかなんだね。走り出してすぐに「ど」がつくような田舎の風景になる。奈良県に入り、和歌山県へ。森の緑がどんどん深くなる。橋本を過ぎてからは鈍行のいわゆる森林鉄道のような線路になる。どんどん山の中に入ってゆく。吉野杉の素晴らしい景色。今回の旅のハイライトだった。あまり期待していなかっただけに、感激ひとしお。深い緑のなか、かなりの急坂のカーブを回りながら列車は高野山に向かう。途中の鄙びた駅もいい雰囲気だ。俗界から神聖な霊界に入っていく感覚。それにしても1500年以上前に入山した時は、本当に霊界だったんだろうな、この森は。この山全体が世界遺産になっているのがわかる。この山は何か普通の山と違う「神聖なもの」を持っているのだ。

極楽橋が終点。駅以外何にもない。そこからケーブルカーに乗り、高野山駅へ。そこからバスで「奥の院」へ。弘法大師の祭ってある真言密教の聖地だ。高野山にはたくさんのお寺があり修行僧も1000人くらいいるらしい。途中ちょっとした集落があり、観光地的なみやげ物屋さんもあるが、全体的には落ち着いた雰囲気。奥の院の食堂で昼ごはん。関西風うどん、うまし。やっぱり、うどんは関西だな。

奥の院へ続く参道にはいろんな歴史的な人物の墓地。墓誌を読みながら約1時間歩く。苔生した杉木立の中に入ると、別世界。歴史の重みというんだろうか、一つ一つの墓が何かを語っている気がする。もしかしたらこれだけの墓を見たのは初めてじゃないだろうか。ご夫婦で医学教育のために献体なさったという墓誌のあるお墓があった。墓誌を拝見して合掌。どんどん奥に進み、奥の院に到着。祈祷の最中で有難く読経を頂く。本堂に響き渡る坊さん達の読経は迫力がある。不思議なハーモニーを聞いていると、僕までアルファ波が出るようだ。

一の橋までの墓地の路をさらに歩き、メインストリートに出る。このころから雨が降り始める。あっという間に土砂降りになる。傘を持って歩く意味がないほどの土砂降り。気持ちいい。本山の金剛峰寺に到着し、お参り。これは真言宗の総本山だから見ないわけには行かないんだけど、残念ながら改装中。ずぶ濡れだし、本堂の中に入るのは断念し、金剛力士像をみるのもそこそこに帰路に着くことにする。帰りのバスが1時間1本。バスを待つ間、仏具のお店に入る。マイ数珠を持ってないので、こんなときにでも買ってみようかと思うが、いいものはさすがに高いので、見るだけにする。

バス>高野山駅>極楽橋>なんばと、今度は特急の指定席に乗り大阪に戻る。今日の宿泊は心斎橋のホテル日航大阪。JALのマイレージがあってほとんどタダで泊まれるのだ。僕の大阪の常宿。結構歩いたのでヘロヘロになってホテル着6時。雨と汗でべとべとの服を脱ぎ捨て、シャワーに直行。さっぱりしてからインターネットで心斎橋周辺のお店を物色。実は鶴橋で焼肉を食べようかとも思ったのだが、ちょっと億劫になった。だってせっかく心斎橋にいるんだもの、東京なら渋谷と銀座を一緒にしたようなところのホテルに泊まっているのだから、わざわざあの猥雑な鶴橋に行って焼肉を食べることもない。一人じゃつまらないし。

ということで、鉄板焼きステーキハウス「一期一会」に決定し予約。この店は心斎橋の中心から少し離れた路地裏みたいなところにあるんだけど、良かった。サーロインの鉄板焼のコースをオーダー。これが正解、大満足!、ビール2杯、カルベネソーヴィニオン2杯。肉質も良かったけど、焼きも良いし、最後の野菜たっぷりの焼きパスタがおいしかった!

お腹も満足したし、ほろ酔い気分で心斎橋を歩く。コじゃれたお店や、よさそうな小料理屋、しゃれたバーもあるが、さすがに一見で一人では入りづらい。しゃあない、ホテルで飲みなおしか・・・と思って歩いていたら心斎橋のアーケードでストリートライブをやっている二人組。「トランク」という若者二人。アコギ1本と二人の歌。一言で言えば絶唱系のミスチルもどき、なんだけど、ふと立ち止まって聴きだしたら、結構いい歌なんだ、これが。インディーズで2枚CD出していて、関西中心としたライブ活動をやってるみたい。最前列で聴いていたのだが、だんだん女の子が集まってきて、最終的には100人くらい集客してた。さすが関西、MCも漫才的でノリが良いし、ライブ慣れしている感じ。プロデュースがよければメージャー可能かもしれないけどな。頑張ってね>若者って感じで、ライブを終了した彼らに声を掛け、CDを買った。

11時過ぎに部屋に戻り、ウィスキーをちびちび。テレビで「男たちの大和」の映画を見る。ちょっと説明不足の感のある話。映像は迫力があったな。楡周平の新しい小説「フェイク」を読んで就寝。アレだけ移動して動き回ったのに精神が妙に昂ぶって眠くならない。結局2時過ぎに就寝。

夏休み一人旅(その2)

伊勢市に向かうタクシーの運転手さんがこれまた親切なおじさん。お客さん、紀伊半島の南端のほうに行くのはいいけど、熊野のほうはあまり薦めないよ、特に計画なく歩くところじゃないし、第一この天気がどうなるか・・・。ううむ確かに。彼は伊勢市駅前にあるJTBまで行ってくれることになった。

あのう、これから南紀白浜に行って泊まりたいんですけど。。。と係の女の子に聞く。えっ、これからですか?と驚いた様子。もしこれから行くとすれば、近鉄で名古屋方面までもどり、多気でJR乗換えて紀勢本線。あら、でもムリだわ、これからじゃ、と彼女。え?だってまだ午後3時だよ、と僕。紀勢本線はこちらからだと昼前に出ないと難しいし、第一当日予約の一人旅を受け入れる旅館はないでしょう・・・と。いわゆるビジネスホテルはないし、一泊二食が基本の旅館ばかりだと。はほへ?そうなんだぁ。伊勢志摩、二見、鳥羽の観光地にしても一人旅は難しいでしょう、今からでは、との返事。

じゃあどうしよう?近鉄特急で奈良に行ってみようかな?と言うと、ええ?奈良ですか・・・と、彼女。奈良って観光地という勝手なイメージがあったのだが、ビジネスホテルは皆無、観光ホテルも少ないんだと。ううむ、確かに京都に泊まったほうが便利そうだ。奈良に泊まって斑鳩の里の散策、なんていうのもイメージしていた僕は、またがっくり。

じゃ、京都にしょう!さっきまで熊野とか白浜とか、はたまた奈良とかいって彼女に散々コンピューターを操作してもらっていたので、キョトンとした表情の彼女。近鉄特急で京都はダイレクトにココからいけるでしょう?ええ、まあ。じゃ京都のホテルを予約して、と僕。唖然とする彼女にお願いする僕。デイパックを背負って無精ひげ、古びたキャップ、ぼろのシーンズのこのおじさんは何を考えているんでしょって感じ(笑)。結局、一泊朝食付き1万円の河原町のビジネスホテルの予約が取れた。

京都行きの近鉄特急は、僕のほかに2-3組くらいしか乗っていない。がーらがら。列車は伊勢、奈良の深い緑の中を快調に進む。外の風景を眺めているうちに、どうやらウトウトしたようだ。5時半に京都到着。

雨も上がっているし、京都駅から河原町・五条のホテルまで歩くことにする。30分間の散策。ホテルはこじんまりとしたビジネスホテルだが、まあこの値段ならこんなもんでしょ、というホテル。寝るだけだからそれで十分。荷物を置いて即シャワーを浴びて、7時ころ四条へ向かう。

夕食をどうするかは決めていなかったが、いわゆる京都料理は一人じゃムリだし、名物の「にしんそば」は夕食には軽すぎる。京都で寿司はNGだし、小料理屋にはちょっと入りづらい。ああ、どうしよう、と歩いていのだが、イマイチ決めきれず、祇園裏手へ。目に付いたうなぎ割烹の「松乃」という、そこそこ歴史のありそうなお店に入ることにした。うなぎ割烹のコースと松茸の土瓶蒸し。ビールから初めて菊正宗吟醸の冷酒2本。うまし!

9時に部屋に戻る。途中で買ったウィスキーの水割り缶を飲みながら、持参した「白州正子自伝」を12時過ぎに読了。魅力的な人だなあ、白州正子という女性。夫の白州次郎の本から始まり最近のマイブーム。東京>名古屋>宇治山田>伊勢神宮>伊勢市>京都と大移動の一日。気持ちよく爆睡・・・

夏休み一人旅(その1)

9月9日5時半ころ起床。曇り空。TVの天気予報ではこの週末は秋雨前線で不安定みたいだ。北にするか西に行くか、まだ迷っていた。北に行くとすれば下北半島から三陸海岸へ・・・と思っていたが、天気が悪くては厳しい。今回の一人旅は、全く無計画で気まぐれな一人旅を久しぶりにしたかったので、西に向かうことにする。熱いシャワーを浴びてから、いつものようにV8ジュースを飲んで出発。

半蔵門線で東京駅へ。本当は新横浜から新幹線が一番近いのだが。列車はガラガラ。東京駅出発と同時に缶ビールで一人乾杯。この旅の期待感がいいんだよね。ぶらり一人旅。一路名古屋へ。実は世界遺産に登録された「熊野古道」が以前から気になっていたのだ。ただ準備なしで熊野を歩くのはちょっとムリがありそうだ・・・アレコレ考えるうちに、名古屋に到着してしまった。駅の本屋で南紀・熊野・伊勢のガイドブックを買い、コーヒーショップへ。

ふむふむ、なるほど伊勢か、これは悪くない。久しぶりに伊勢神宮の静謐な森を訪れる気になり、近鉄特急で宇治山田まで行くことにする。熊野・南紀のことは道中考えればいいし。子供の頃志摩半島で夏休みを過ごしたので、なんとなく懐かしい列車だ。快適。20年ぶりくらいか。雲が低いが雨は降っていない。緑が深く窓を通り過ぎる風景を眺め、自分が旅という非日常の中に居るということを意識する。

宇治山田到着12時。まず外宮まで歩く。外宮は人も少なく落ち着いた雰囲気。宮内に入ったころよりミストのような細かい雨が落ちる。鬱蒼とした森。立派な杉木立。2000年の歴史。子供の頃来たときには全然わからなかったが、この雰囲気は素晴らしい。日本・日本人の美意識の根本にある原風景なんだろう。自然に背筋が伸び腹式呼吸をしていた。さりげない小屋、玉砂利の感触。。。神殿の屋根のカーブの素晴らしさ、苔生した岩、その完璧なコンビネーションに感激する。傘をわざとささずに歩く。

清々しい気持ち、大満足で外宮を後にして、タクシーで内宮へ。この旅行中感じたことだが、伊勢の人たちっていうのは皆優しいし親切だな。「お伊勢参り」というのは、江戸時代には日本人にとって人生の一大イベントだったらしい。日本全国から伊勢詣の人たちが集まってくる。人口3000万人のうち500万人が伊勢詣をしたっていうんだから、その規模の大きさがわかる。古市という日本最大の遊郭があったそうな。伊勢の人が旅人に親切なのはだから彼らのDNAなんだろう、って思った。

で、内宮に近づくにつれて車が渋滞、外宮とは全然違ってすごい人だ。運転手さんによると、実は全国の太鼓チームがこの週末に奉納する大会があるという。と、いうことで五十鈴川に渡る橋のたもとで、しばし演奏に聴き入る。やっぱり全国大会に出てくるチームの太鼓の迫力はすごい!内宮は広大。参道の規模はさすがに神道の総本山。「あの凛とした空気」は、日本の誇る文化なんだと素直に感じ入る。ああ、来てよかったなと、これまた大満足で内宮を後にして「おかげ横丁」へ。ここは全国から来る参拝客たちの精進落としの場所。俗世に帰ってきたって雰囲気だ。ただ、例の全国大会のためにすごい人出で、どこも一杯だ。待つ気にもなれず、いわゆる普通の食堂「えびや」に入る。「伊勢志摩定食」とビール。これは、伊勢うどん、てごね寿司、海老フリャー(中京地区ではmustでしょ、それも3本も!)。結論から言えばこれは×。伊勢うどんはただ太いだけのコシのないうどんで、たまり醤油をぶっ掛けただけのシンプルなうどん。ただそれだけって感じ。てこね寿司も赤身のヅケが乗っているチラシ寿司だし、ボリュームだけだったな。ま、そんなもんだろ。

またタクシーで伊勢市駅へ向かう。その時点で3時。実はそのまま南紀白浜か那智勝浦まで進んで、その辺りの観光地に一泊するつもりだったのだ。その考えがいかに甘かったかを、知ることになる。。。(その2へ続く)

September 6, 2006

「ツボ」って何だ?

ハックルおじさんたちがレコーディングする時、ある「ツボ」にはまってしまうと、もう後から後から笑いの洪水が心のソコからこみ上げてきて、止まらなくなっちゃうことがあります。この「笑いのツボ」ってのは、何なんだろうね???若いときからあったけど、今でも時々起こることがある。それも唐突に。なんの脈絡もなく。その時考えていることってのは、言語化できないんだな。つまり「何がどうおかしいのか?」を人に説明できない。でも、涙を流しながら腹を抱えて笑っちゃうツボに「ハマる」のね。

なぜかレコーディングの時の、さあテイクを録ろうっていう、その緊張の瞬間にふと起こるんだよね。このツボにハマると、その嵐が過ぎ去るまで当分はどうしようもない(爆)。

何なんだろうね。不思議だ・・・

さて、言葉遊びの好きなmarcですが、その発想を起点として、今日は通勤中にいろんなことを考察。

ツボってのは経穴(いわゆるツボですな)のことなんだろうね。押したりして刺激すると「痛気持ちいい場所」ですな。つまりSweet Spotっていうのか、trigger pointっていうのか、英語の辞書を引くとenergy centerなんていう言い方もある。ふむ、なるほど。そこから派生して「笑いのツボ」。「落としどころ」とか「きめ技」みたいなニュアンスがあるな、この場合。

でもさ、「そんなことをすれば、彼らの思うツボだ・・・」なんていう時は「思う壷」ですよね。

むむむ??この壷ってのはどんなツボなんでしょ? それに、この「壷」あんまりいい意味じゃないよね、この場合。「ドツボにはまる」のツボだよね。文章自体が受動的な内容だ。つまり、彼ら(敵)の「思う壷」に嵌められてしまう=良くない事態 だもんね、通常は。

てなことを考えた今日。

忙しいんだけどさ、そんな時に限ってヘンなこと考えちゃうんだよね(笑)

August 29, 2006

内視鏡検査を受けた

胃腸の調子は極めて快調なんだけど、もうすぐ50歳。そろそろしっかりとチェックアップをしなくちゃな、って以前から思っていたこともあり、今回内視鏡検査をすることにしました。やってもらうのは大学時代の同期のK君。彼の内視鏡の技術は僕は日本一だと思っている。自分の病院でやると皆に気を使わせちゃうし、その辺もあって小岩にある彼の内視鏡専門のクリニックに頼むことにした。

さて、28日は朝から水分のみ、昼は素うどん、夜はウィダーインゼリーのみ、というほとんどFASTING状態で、午後は早めに早退して錦糸町の東武ホテルレバントに宿泊することにした。6時過ぎにチェックインして、当初の予定では持っていった小説でもゆっくり読んだりしてのんびり過ごすつもりだったんだけど、実際には空腹感とソレに伴う妙な高揚感で、小説を読む気にもネットにつなぐ気にもなれず・・・午後9時。そろそろ薬を飲む時間。

ラキソベロンとマグコロールを一気に飲む。5分もしないうちに効果発現!くー、かなり来ます!!以後は朝までトイレとベッドとの往復。10回は行ったかな・・・(^_^) ほとんど熟睡できないくらいで、うとうとしているうちに朝になった。ああ、ホテルに泊まって正解。

7時。さて、本番、「ムーベン」2Lを飲み始める。昔のPGE溶液に比べればずいぶん味がよくなって(レモン風味)飲みやすいのだけれど、さすがに2Lを約2時間ちかくかけて飲み干す。これも即効果で、約2時間トイレとの往復。もう完全に胃腸は空っぽ状態になる。

その胃腸が完全空っぽ状態っていうのは、不思議な感覚。多少の低血糖もあるので「ふわー」「ぼわー」っとした感覚なんだけど、妙に気持ちいい・・・胃腸を完全に休養させるということもいいな、って思った。

11時にチェックアウトして、錦糸町から小岩のクリニックへ。着替えをして心地よい休憩室のイスで座っているうちにもウトウトする。その後点滴してからは、静脈麻酔がかかってしまい・・・胃カメラと大腸ファイバーを、K君の華麗なテクニック(だったんだろう、僕は眠っていてわからない)で、全然苦痛なく終了。気がついたら休憩室のイスに座っていた。胃と結腸にふたつポリープがありそれを切除したとのこと。あとは病理検査待ちだね、なんてK君が言うのを夢のなかの話みたいに聞いていた。ピロリの除菌もしなくちゃいけないし、本当にやってよかった。ありがとうございました>K君。

年に2回は健康診断をやっているけど、今後は年に1度はこんな風に検査をしなくちゃな、って思った。いいリフレッシュになったし。

August 25, 2006

夏休み2006(プロローグ;小説)

5時起床。かみさんを起さないように、ベッドを出る時、彼女の肩口がちょっとだけ動いた気がした。何も言わないけど、きっと気付いているんだろうな、って思った。

2年ぶりに夏休みをとることにした。

夏休み、いいじゃない、あなたには休みを取る権利はあるわ。このところ忙しかったみたいだもの。
思いっきりどこかに行ってくれば・・・どこかにいきたいんでしょ。ふふふっ、と笑って、昨夜彼女は言った。子供達も成長し、予約をしていく旅は、僕達はかなり前に卒業した。

少しずつ明るさを増しつつある朝のテラス。先々週2回目の花の散ったアネモネの葉の先に、小さな水滴が残っている。昨夜は淡い雨の落ちる静かな夜だったが、未明にはいつのまにか雨も上がったのだろう。暑いシャワーを浴びて、昨夜の酔いを醒ます。微かに残っていた吐息に残った昨夜のアルコールも、汗とともにできったようだ。西の空に高い雲。北西に向かう今の季節としては珍しい風にのり、動いている。

テラスのちょっとだけ湿っぽい風を頬に受ける。まだ夏の香りが残っているんだな、って思った。グレープフルーツジュースをグラスにたっぷり。心地よい酸っぱさが、まだ眠っている胃をやさしく起してくれる。そろそろ出発しようか、今日はパソコンの電源は入れない。いつもは起きて反射的に電源をつけるテレビも今日は静かだ。

まだ人のまばらないつもの駅。心なしか早足で向かう。手ぶら。携帯電話は書斎のデスクに置いていくことにした。ちょっとだけ迷ったが。だって夏休みをとるのだ。いつものしがらみから飛び出すとすれば、携帯電話を持っていくこと自体矛盾してるだろう。

北の方向に向かうことだけは決めていたが、電車に乗ってからどこに行こうかを改めて考える。三陸海岸から下北半島に行きたい。そう思った。荒い磯と切り立った崖の東北の海を見たかった。半蔵線を渋谷で下車。山手線で上野へ・・・。

August 23, 2006

ヤバイっすね、それ!

って、若い人が言う意味がわからんかったのですね、最近まで。僕からすれば、げげっ、そんなにマズい状況なの!ってびっくりするじゃない。形容詞としてのヤバイっていうのは、けっしていい意味では使わないでしょ、普通。でもどうも違うみたいなんだよね。「素晴しい!」とか「最高に良い!」というお褒めの言葉なんだそうな。はへ。

別の日の娘が携帯で友達と電話してた。「その問題ムズいね・・・」受験生の娘が友達と数学の課題のことを言っているらしい。「何?ムズい問題??なんだそりゃ?」難しい問題、という意味なんだそうな。ま、今書いて文字にしてみればわからんわけじゃない、けどさ。

August 20, 2006

さすがっ!プロの仕事

僕の家はメゾネットのマンションで、娘たちのピアノは半地下にあります。娘達も大きくなり、ピアノが不要になり、手狭になった部屋のスペースを作るためにピアノを下取りに出すことにしました。ピアノ買取ネットを使用すると、2-3日のうちに6社からオファーが届きました。13万5000円から18万円まで。現物を見ないでも値段が出るんですね。そのシステムの便利さに驚き、また買取の値段にもある意味驚いた。20年近く使用したピアノでも結構な値段を付けてくれるって事にも驚きました。

さて、本日はそのピアノの引き取りの日でした。予定の時間ピッタりに現れたのは、二人ともは60代の男性。てっきり若いオニイチャンが来るものと思っていたので、大丈夫かね・・・?とちょい不安になるような小柄(だけどそれなりにガッチリとした)な体つきのお二人。

で、一人は早速家に入ってピアノの位置を確認、無線で車を移動しクレーンを準備、部屋の本棚からベッドなどを、あっという間に移動して、地下のテラスへの移動ルートをシミュレーション。すっごいテキパキと仕事を進めます。ピアノって250kgもするんですよ。それを二人で動かしちゃう。

するするとクレーンを動かし、障害物の植木や鉄柵、植え込みを軽々と越えて、唖然とする僕を尻目に、約10分くらいで移動完了!きっちりとトラックの荷台にピアノを収納しちゃいました。すべての作業時間20分くらいでしょうか。これぞプロの仕事。完璧です。

仕事を終わってしばしおじさんたちと談笑。だってあまりにも仕事が鮮やかで、本当に感動したから。彼らによると、最近のマンションはエレベーターがあるから楽だけど、昔は大変だった、とのこと。この道ウン十年の彼らの言葉には、プロとしての自信と誇りが感じられました。

本当のプロの仕事を見せてもらったっていう気がした。すっげーよ、おじさんたち。

August 13, 2006

浅草NIGHT


最近知ったディープタウン浅草。この歳になるまであまり行ったことがなかった街なんだけど、イチローさんとの出会いは、僕らの世界を広げてくれました。

午後2時集合。その頃から雲行きが怪しくなってきたので、夕立土砂降りを見越して僕らが「居酒屋通り」と呼んでいる六区近くの、いつもの居酒屋さんへ直行。煮込みの有名なこのお店は、和みます。まずがビールで乾杯。おつまみは煮込み、おしんこ、肉じゃがなど。お酒はビールから始まり、ホッピーへ移行。ううむ、不思議なお酒だなホッピーてのは。うまいっ!っていうよりは、へーっ・・・ってオドロキ反応でした。

さて雨も上がり、イチローさんのオフィスへ向かいます。途中でコンビニでビールやお酒、お土産です。ついでにその後のことも考えて「ウコン」も飲んでおきましょう(笑)ってことになり路上でウコンをぐびり。イチローさんのオフィスはユニークです。いろんな人たちがイチローさんと奥さんのヒロコさんの人柄に引かれて集まってくる感じ。強烈な磁石があるんだね、この人たちには。

その後僕らは、イチローさんに連れられて、隅田川沿いを歩き、吾妻橋を渡って、アサヒビールのビル(通称「ウン×」ビルです)のオープンテラスでやっているビアガーデンのライブ会場へ。若い人たちのライブを聴きつつ、そこで秋のライブの打ち合わせ。渋谷での開催はいいとして、もう少しライブ自体のコンセプトを詰める必要がありそう。150人くらいのライブであれば、それなりの準備が必要でしょうね。ま、これから楽しみながら詰めていきましょう。。。という話。そのテラスで、またビール2-3杯。。。の後、7時半すぎに再びイチローさんのところに戻りましょう・・・、ということになりました。歩き始めて、さくちゃんが僕らの今日の「本来の目的」を思い出しました。そう、今日は浅草にさくちゃんのボンゴスタンドと周辺機器を買いに来たのでした!

時間を見るとあと15分で閉店じゃないですか!僕とさくちゃんは早足ウォーキングで楽器屋さん(JPC)へ。閉店5分前くらに滑り込みセーフ。かなりしっかりしたスタンドをさくちゃんは入手したのでした。いい買い物だったね、やっぱりパーカッション関連は浅草だね>さくちゃん

さてふたたびイチローさんのところで、打ち合わせ&音楽談義。じつはこの辺りから記憶があやふや。。。ものすごく気分よく酔っていて、心地よい空間を浮遊している感覚。

その後は、となりの小料理屋さん(さくちゃんは若くてかわいい女将のファンです)にてちょっと飲んだね。おおお、そういえばイチローさんがすごくいいこと言ってたな。勝手に要約すれば、「愛が世界を変える。音楽は愛だ!」みたいなこと。すごいな、イチローさん。肩の力を抜いてサラりと言うところがスゴイね、魅力的なオジサンだ。

その後合流したヒロコさん、ダイちゃんと皆で、餃子屋さんへ。ディープなお店。なかなかおいしかったです。僕は小腹が空いたのでラーメン。東京風支那そば大好きな僕としては大満足のラーメンでした。そこでじょーじ君の「若気の至り」系の話で独演会があったんだけど、長い付き合いの僕でも、へー初めて聞いたよっていう部分もあった(爆)。酔っ払いオヤジに完全になってました>じょーじ君

あまりにも心地よかったので時間の経つのも忘れてましたが、もう11時半。自宅への最終電車にあわや乗り遅れる時間だったんだけど、ダイちゃんが僕らを車で送ってくれて、都内の道をすっ飛んで・・・表参道で最終電車に間に合いました。ありがとうございました>ダイちゃん。田園都市線ではラッキーなことに席に座れて爆睡。千鳥足でふらふらと・・・自宅到着はもうちょっとで午前1時、って時間でした。ほぼ10時間、酒を飲みっぱなしなんだけど、浅草っていうシティエーションと素晴らしい人たちとの会話で、いい感じの酔いでした。Thank you, one & ALL!!!

August 12, 2006

すっげー楽しい夜だった!

手術が長引いて、予定では5時すぎに終了するはずだった手術の終了午後7時。今晩は小学校(小学校ですぜ!)の友達と会う約束のある自由が丘のアイリッシュパブへ。30分遅刻。

タケウチ君、ケイイチロー君と何年かぶりの再会。僕達は小学校の時にいつもちびっこ3人組でツルンでいたんだよね。5-6年前に本当に久しぶりに再会。でもお互い忙しい・・・「また会おうね!」なんて言っていながら、なかなか会えない日々が続いたのでした。今回は、僕らのグループを中学生時代に聴いていたという「さとなお」君つながりで、ケイイチロー君・タケウチ君と会うことになったのでした。

会うと瞬間的に当時に戻れる僕ら。本当に楽しい時間でした。

で、タケウチ君が妙齢の美しい女性を同伴。「ん?んん?どうこかでお会いしたような。。。」

なんと、小学校時代の同級生のイシイさんだったのでした。当時はおとなしくて図書館で静かに本を読んでいるみたいなイメージの女の子だったのですが、オトナになってお会いしたのは初めて。いやーひさしぶり!!小学校時代のエピソードがフラッシュバックしたりして、凄く楽しかったな。

で、9時半ころ自由が丘解散・・・

ちょっと小腹が空いたので、いつもの時代屋へ。

そこで、先日あるステージでお会いしたミヤケさんご夫妻。音楽仲間です。彼らの家が近いことは知っていたのですが、お気に入りのお店で偶然再会!音楽談義が爆発状態。楽しかったです。

素敵な夜でした。みんな、また会おうね!Thank you one and all!
神様に感謝!の夜。

August 6, 2006

砌橋(みぎりばし)

という音が、詩的なイメージ。石切橋っていう曲の演歌版として書いて見ました。

っていうか、書いているうちに艶歌になっちまいました(爆)。

この歳になると書ける歌は艶歌になっちゃうんかね・・・
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砌橋(みぎりばし):改題「石切橋」

揺らぐ心に 一滴(ひとしずく)
泪(なみだ)落としたら
砌(みぎり)橋

あなたは
未来(あした)の 物語(はなし)に
一緒に 来れますか?

ためらいの 言葉では
あなたには 伝えきれない
そんな もどかしさに 
今更 立ちすくんでも

この橋の袂(たもと)で
中秋の 満月
ただ 静かに
抱きしめてくれた

泪(なみだ)橋こえて
頃間(ころま)時(とき)にも
江戸柄(えどがら=えどがわ)橋の
流麗(るれい)の 隙間

砌(みぎり)橋まで
   流れ切れる まで
待っているの その時を
   待っているの その想いを

音もなく 流れる
 この時代(とき)の 
砌橋(みぎりばし)を
 越えて 涙枯れるまで
切ない思いが 
  途切れ 果てるまで
切ない思いが
  途切れ 果てるまで

August 4, 2006

石切橋

っていうのは、僕とじょーじ君が子供の頃住んでいた文京区水道・小日向の近くのバス停ので、神田川にかかる橋の名前です。ここから中学校に通った。つい先日、HuckleberryのBlogで石切橋の話が出て(昔じょーじが書いた曲のこと)すごく懐かしかった。

なんてことのない鉄製の橋。でも、なぜ石切橋っていうのかな? 
おおっ、石切じゃなくて砌(みぎり)が語源なんじゃないか!!!
なんて考え始めたら、結構おもしろい。
「砌橋(みぎりばし)」のほうが、江戸的(・・・って、なんだよ>笑)だし、詩的じゃあないですか!

ちなみにGoo辞書によると、「砌(みぎり)」とは、
〔「水限(みぎり)」の意。(2)が原義〕
(1)とき。ころ。おり。
「暑さの―いかがお過ごしですか」「幼少の―」
(2)軒下の、雨滴を受ける敷石や石畳のある所。
「九月のしぐれの秋は大殿の―しみみに/万葉 3324」
(3)庭。
「されば―を遶(めぐ)る山川も/太平記 39」
(4)ことが行われる場所。場面。
「彼所は転妙法輪の跡、仏法長久の―なり/盛衰記 39」
(5)水ぎわ。
「―の中の円月を見て/性霊集」

でもね、文京区の歴史のサイトにいって調べてみたら・・・
http://academic1.plala.or.jp/edogawae/koutyou/rekisi6.htm

江戸湾の満潮時には海水が文京区江戸川橋付近まで入ってくるため、江戸川橋の上流辺りに堰をつくり、そこで海水の入水をせき止めることにした。その堰の名大洗堰を・・・(中略)。大洗堰は切石を積み重ねてつくられ、この堰をつくるために大量の切石を必要とした。そこで、近くまで船で石を運び、適当な大きさに加工するための石切場が設けられた。現在、江戸川橋のすぐ下流に石切橋という名の橋が残る。(後略)

なんだそうな。ふむふむ

August 2, 2006

携帯電話のなかった時代(ころ)、小説プロット

を書き始めたのは、今年の冬。1月ころです。僕達ハックルベリーフィン(元祖)の「携帯電話のなかった時代(ころ)」という曲ができたのが昨年の9月ごろ。1970年代の少年少女(笑)の恋を書いてみたくなった僕が詩を書いて1週間くらいでじょーじ君が曲を書いてくれました。

携帯電話のなかったころには、今よりずっとゆっくりと時間が流れていたし、いろんなすれ違いやら誤解(もともと生じるものなんだよね若い男と女の間には)を、すぐにその人に連絡がとれないが故に生じたんだよね。その切ないドラマの数々を小説にできないか・・・ってずっと思っていて、曲が完成して歌っているうちにさらに、アノ頃の自分達の姿が見えてきたりして、書き出したってワケです。

50歳近いおじさんが、今更ティーンエイジャーの恋の話なって、ちょっと気持ち悪い気もするけど(自分でも<笑)、イメージの中で動いているシュン、タケル、カオリ、サトミとその友達たちを描いていると、僕はすごく懐かしくて切ないキモチになってくる。

大体の話の筋は仕上がったので、あとは局面を詰めていく作業と、小説としての体裁を整える作業が残っている(コレが大変なんだけどね)んですけど、ま、楽しみながらやっていくつもり、です。

くりえーしょん

なんだかココに書き込むのは久しぶりになってしまった。うん、ブログってのは、日記的に雑文でも何でも書き続けないといけないね・・・とちょっとだけ反省。

半年ぶりに「携帯電話のなかった時代(ころ)」の小説プロットを書き出した。きっかけはとくにないけど、このフトした弾みっていうのか、自分の中から自然に湧き上がって来るイメージの中で「遊べる」時ってのは、突然やってくる。

ま、これを生業としている人から見れば、笑っちゃうような話なんだろうけど、その瞬間は考えるヒマもないほど即攻で書き出しちゃったりする。いまあるイメージを切り取って記録するべく、記憶のつなぎ止めるような、そんな感覚

詩もそうだ。出てくるときは、ふとフレーズが出てきたり、ある時は曲になって迸るように出てくる。考えて作るんじゃなくて、出てくる。プロはそうじゃないんだろうな。そこがアマチュアなんだけどさ。

音楽をやっている時には、α波が出ている。創作活動(って程でもないけど<爆)のときも出ているんだろうな。無意識のうちにあっちの世界に入ってる自分がいる。終わってからものすごく「精神的に開放されている」自分を感じる。

この歳になって、ずっと忘れかけていたようなソンナコトをやってられることに、感謝。本当にありがたいことです。

ま、それが売れりゃもっと嬉しいんですけどね(爆)。

July 18, 2006

来た!振り込め詐欺(まがい)

本日僕のところに、「振り込め詐欺まがい」の郵便が来ました。病院の住所、僕の個人名あて。差出人は個人名で新宿の住所が書いてあります(でも封筒の差出人の名前と本文の名前が違う!)。さらに笑っちゃうのが、大阪の「淀川局」の消印なのですね、新宿の住所なのに。淀川局ってのは「十三」の辺りらしい(爆)。

内容は、「自分は広域巡回警備員(なんじゃソレ?<爆)である。お宅のお子さんの万引きを発見した(オイオイ!)。個人情報を聞き出してこうやって連絡している(何で病院なのさ?)。自分としては穏便な処理をしたい(ん、で?)。つきましては、以下のアドレスに連絡をして欲しい・・電話じゃなくてメールで返事を・・・(アホ!)」

「いつ、どこで、誰が、何をやったのか」は書いていない。笑っちゃうような稚拙な文章なんだけど、イヤーな気分になりますよね。アセッて連絡をしたら「振り込め詐欺」の開始なんだろうけどね。対決して徹底的にいじめてやろうかと思ったけど、それほどヒマじゃないもんね。無視するのが一番です。

半年くらい前に、医局の同僚に「あなたの人には言えないハズカシイ性癖を知っている。知られたくなければ・・・」という手紙が届いたことがあります(医局内で皆で大爆笑!)が、そういえば、それも「淀川局」の消し印でしたね。

けっ!

July 13, 2006

人それぞれ、ということ

前アイテムに関連して、怒りついで追加

「格差社会」の是非、問題点を指摘されるまでもなく、「均一性」「みんなで横並び一線」「出る杭は打たれる」などの予定調和的な「安定性」が特徴であった日本社会は、すでに存在しないってことなのか?

家の娘たちに、「君たちはまさか、電車のなかの公衆の面前で化粧ってやってないよね?」って聞いたら、「別にしてもいいんじゃない、人それぞれだから」という答え。「人前で化粧を直すってのは、トイレでお尻拭いている姿と同じくらい恥ずかしいもんじゃないの?」っていったら冷ややかに笑われた(爆)。で、その「人それぞれだから・・・」というフレーズが僕は妙に気になる訳です。字句通りであれば、「その通り!」なんだけど、その裏にあるある種の危うさを感じてしまう訳。

その辺については、こう少し考察してみる余地があるね。

おじさんには理解不能だ

きょうの午後は、世田谷松原のクリニックで診療の予定だったので、遅めの昼飯を自由が丘で食べてから、井の頭線で明大前まで。午後3時まで時間があったので、マックに入ることにした。いつも時間つぶしにはその真正面にあるドトールに入るんだけど、今日は何となく気分を変えてみたかった。店内は、うちの娘たちと同世代の大学生(たぶん明大の学生なんだろうな)と、制服姿の高校生で溢れている。ま、いっか、しょうがない、窓際の席に座りコーヒーを飲む。右後ろには、制服姿の高校生らしき女の子の3人。大きな声でしゃべりまくる彼女たち。僕は文庫本の小説を持っていてそれを読もうと思っていたものの、彼女たちの歓声/嬌声があまりにも凄まじくて、すぐに断念。で、彼女たちをそれとなく観察。

はっきりいって、だらしない格好。ま、でも、あの年代、「崩す」のはわからん訳ではない。でもね、あいつら汚いのですね。ちらっとみると白いブラウスの襟は汚れているし、ソックスなんてぼろぼろ。臭そう。清潔感皆無。大股開きで靴を脱ぎ、椅子の上に立て膝ついている女の子がいるのには、絶句。行儀が悪いとか良いとかのレベルの問題ではなくて、それを何とも思わず公衆の面前でしちゃう女。嗚呼!


彼女たちの会話が聞こえてくる。全然周囲のことなど気にしてないから、大きな声で話している。驚いたことに、確かに日本語を話しているのだが、1/3は意味がわからない。誇張ではない、本当に1/3は、何だか意味不明の言語。隠語??それにしても、男言葉も女言葉もないんだね、彼女たち。嗚呼!

で、僕が驚いた最大のことは、彼女たちが大きな声で、どうも猥談をしていたってこと。公衆の面前で「そりゃーないでしょ!」っていう内容の会話を、全然恥ずかしがる訳でもなく、あっけらかんと話しちゃっている!!!これには本当に驚いた。

きっとあいつら、自分たち以外の人は見えていないんだろう。社会性というか常識というか、今の時代のあの子たちに期待するのは無理なんだろうけどね。どの時代にも弾けちゃっている人はいたけど、彼女たちは今の時代、そんなに特殊な例じゃないんだろうな。嗚呼!

完全に「開ききっちゃっている」オンナたちだった。それに比べて、対象的なのは男子諸君。2−3人ずつ座っているんだけど、ほとんど例外なく、どのテーブルでも全く会話せず、全員がそれぞれの携帯電話でメールをしていたりゲームをしている。「会話なし」それぞれ「携帯」ってのが実に不気味。

嗚呼、日本の将来はどーなるんだろうね。

July 12, 2006

忙しい、って事

いつも忙しいんだけど、何が、どう忙しくてバタバタ走り回っているのか?が自分でもわからないくらい、この48時間はイソガシかった。ちょっと思い出しつつ記録しておこう。

ま、いいかBLOGだもんな。

月曜日午前外来。臨床研修医の指導をしながらの外来。月曜日の外来はいつも忙しいんだけど、それにも増して忙しい。午後は大学病院への転送があって救急車で大学まで。夜は何やってたんだろ?ほんの48時間前なのに憶えてないくらいバタバタ(笑)、ヘロヘロになって帰宅したのは深夜。夜の会合はなし。

火曜日。朝8時から回診。8時半から朝礼スピーチ。回診中に容態の急変あり。9時過ぎから手術一件。今考えてみると、手術中にも電話がかかってくるものの、手術室が一番落ち着く時間。午前中、ちょっとトラブルがあり、午後の手術の延期を決定。患者さんと家族に説明。ちょっとヘコむ。何とか納得していただき落着。気分的にはどーんと落ち込む。最悪の一歩手前の状態。ナースが慰めてくれる。病棟の外に出て深呼吸して立て直す。25年も医者をやっていれば自然に身につく気分転換方法。

15分間の昼食の後に、1時より医師会でミーティング。きっちり45分で済ませて病院へ戻る。戻ってみたら入院患者さんのトラブルがありその事態収拾に時間を費やす。一般病院ではケアするのが限界ギリギリの精神疾患の28歳女性。どーーーんと疲れて、午後5時より20分間自分の部屋で休む。午睡にしてはちょっと遅いよね。夢を見ていた気がするが内容は覚えていない。でも、これで救われた。ちょっとすっきりする。

夕方の病棟回診をしてから、6時半に病院を出て自由が丘の定食屋さんで夕食。おろしトンカツとさばの塩焼き定食。納豆のオプションをつけてスタミナを付ける。結構おいしいのです、この定食屋さん「チョップスティック」。ヘロヘロだけれど、これだけ食べられれば大丈夫!頑張れ、オレ!

夜7時半から医師会理事会。いつもの会議。自分のパートもそつなくこなして、ホッとする。取って返して9時半に病院へ。その夜は当直。残り番のN医師と申し送りをしてから、当直業務に入る。

10時過ぎに一件救急車。あとは午前3時半を最後に外来は終了。

医局のベッドで横になるが、冷房の効きすぎた部屋がどうもイケナイ。布団を掛けると寒いんだか暑いんだかわからない中途半端な状態でモンモンとする。体はどろどろに疲れているんだけど、神経が高ぶっているのか眠くならない。あっ、そうか今日は酒飲んでないんだ(笑)。モンモン状態のまま、いつのまにか眠りについたみたいだ。

6時半起床。横になっていたいんだけど、いつもの習慣なんだろうね、バチッっと目覚めてしまう。目覚ましは要らない体になってしまったのね(笑)。朝のテレビを見ながらコーヒー。その後救急一件をこなしてから朝食。いいなあ、あったかいご飯・味噌汁・野菜炒め、のり、フルーツの朝食。いつもはこんなに食べられないんだけど、妙においしくしっかり完食。

自分の部屋に戻りメールのチェックをしているうちに、新しい研修医が到着(8時)。オリエンテーションと病棟回診して・・・。9時から外来。予定入院2件。一昨日の入院の転院相談。こういうときに限って忙しい。U先生が助けてくれてずいぶん助かった。研修医の女医は、その忙しさに完全に目が点状態。だはは、一般臨床医の日常ってのは、こんなもんなんだよ(苦笑)。

11時50分。外来の残りのU先生にお願いして、埼玉の看護学校へ向かう。講義(90分)2コマをやるのだ。途中のコンビニで昼食のおにぎりを買い、講師室に到着したのは講義開始5分前。職員にパソコンを渡しておにぎりを食べる(5分)。

120名の学生を飽きさせないように、話をする。この段階ではハイテンションを通り越して、自分でも何を話しているかわかんない(爆)。2コマの講義を終えて、さすがにぐったり。乗り換えはしたけど、横浜の自宅までは記憶がないほど爆睡。

そんな怒涛の時間でした。今自分で書いてみて思うけど、もう若くないんだからちょっとはセーブしなくちゃいけないのかもね。全然反省してないけど(笑)

June 28, 2006

Tさんの話

先日かぜさんのサイトで、「貧乏(不幸せ)vs非貧乏(幸せ)」の境目の金額ってどのくらい?という問いかけがあって、考察してみた。経済状態を幸せを尺度で測るというのは、多少ムリがあるのは承知で、貧乏=不幸(幸せではない状態)ということを前提とすると、僕の場合は「財布の中に(いつも)1万円が入っている状態」は少なくとも貧乏感というか不安感はずいぶん薄らぐと思った。

でも、その根拠はないんだよね。実際に今日の僕の財布には1万円札は入ってなかったけど、そこそこ幸せな、というか普通の生活は出来ているワケだから。べつに1万円あったからって、何かを買うわけでもない。じゃ1000円だったら? 実は生活はあまり変わらないのかもしれない。

なんなんだろ?お金って。幸せはお金では買えないということは、この歳になれば十分理解できているけどね。その逆もまた真実で、ある程度のお金がなくては最低限の生活は成り立たないハズで、だからこそ僕らは働くんだけどね。

さてTさんの話。最近であったホームレスの人。黒澤年男さんそっくりの60歳。清潔なポロシャツと短パン、キレイなスニーカー。腕には金のロレックス。礼儀正しく言葉使いも丁寧な紳士。5年前に破産して今は多摩川の河川敷でテント生活。彼は、なーんにもなくなった今の生活が「人生の中で一番幸せな時間だ!」と言い切るわけ。家族には捨てられたけど、助け合う友達がいて、周囲の人たちがいろいろと助けてくれて、コンビニにいけば食事には困らない。海が好きな彼は、三浦海岸で密漁すれば月に2-3万はキャッシュが入ってきて、それで十分なんだと。。。。ある意味では、すごく豊かな生活。ま、元気ならば、の話だけれどね。

あそこまで割り切ることが出来れば、それはそれで幸せなんだろうけど、僕には喉に小骨が刺さったような居心地の悪さも感じる。

きっと、お金ってのは、幸せの原資にはならないけど、触媒なんだろうな。

June 25, 2006

日曜日の午後の雨

って曲を書いたのは、いつだったかな?今日みたいな雨の日曜日の情景。


たしか高校3年生のころじゃなかったかな。当時お付き合いしていた「るりちゃん」とデートした雨の日の午後。付き合いだして間もない頃だったと思うけど、30年以上時間が経ってしまうと、その辺もあやふや。でも、「るりちゃん」の表情と彼女がデートに着てきた「原宿MILK」の白い服は憶えている。

そんなに黙っていたらコーヒーが冷めちゃうよ

この歌詞は、あの時の情景がそのまんま、なんですよね。その後の「ストーリーの展開」を描いていない。っていうか描く余裕がないんでしょうね、自分に。

雨が降っているから、ユーウツな日だね、なんてつぶやきながら、言葉足らずで揺れていた・・・あの頃。

そんな時代がありました(爆)。

June 15, 2006

西荻窪「奇聞屋」「森の仲間たち」ライブ


6月14日は、おちよさんからの紹介で、吉川さんのやっている西荻窪の「奇聞屋」にてお呼ばれライブでした。各自、昼間の仕事をささっと片付けて、6時に「基地」であるさくちゃん邸(別名隠れ家「さくら」)に集合。リポビタンDスーパーで乾杯(笑)してから、ビールで景気つけして、タクシーにて西荻窪へ。

ライブは、「餡子」さんこと、「おちよ」さんこと、野口さん(だっけ、失礼な話だけど本名を伺っていなかったことに今気づいた!>ごめんね、おちよさん)の、さすがの歌声でオープニング。吉川先生のピアノ伴奏。おちよさんのお弟子さんの女の子も頑張ってました。先日のライブでご一緒した「中村くん」さん、3曲。松山千春系、正統派のフォークって感じです。

僕らは4曲を披露しました。
①携帯電話のなかった時代
②Moonlight 月光恋歌
③ふたり
④春の嵐に

そのあと、よしみちゃんと餡子(おちよさん、ううっ(涙)、ややこしい)の二人とともに、シモンズの「恋人もいないのに」をやりました。うん、なんだか学生時代のクラブ活動みたいな雰囲気だった(爆)。いいねえ、こういうの。

こじんまりしたライブハウスは、お客さんとの距離感が近くで、それはそれで楽しいですね、一体感が。

June 13, 2006

うううむ、オーストラリア戦・・・

昨夜の敗戦で、今日の僕はどんよりヘコんでました。
うううううううむ。くーーーーー。悔しいというより哀しい(;_;)

まだ予選敗退が決まったわけじゃないけど、かなり厳しい状況になってしまいましたね。
でも、彼らを信じて・・・・心機一転、応援しましょう!

ね、皆さん。

銀座TACTライブ


6月11日(日曜日)、「星夜の夜」ライブ@銀座TACTがありました。
スズキ・イチロープロデュースのライブイベントで、歌舞伎町の有名ホストクラブ「愛」の元ナンバーワン・ホストの星夜くんの仕切りでした。星夜君、なかなかいい男でした。ううむ、あの世界でナンバーワンになるというのは、やはりオーラというかカリスマ性がある、と感心しました。

僕らのライブは40分間。さすが名門ライブハウスの銀座TACTですね。ステージも広いし、音の返りもいいしすごく演奏していてエンジョイできるステージでした。

曲名は 

日曜日の午後の雨
流れ星
春の嵐
月光恋歌
携帯電話のなかった時代(ころ)
ふたり

個人的には、アリア・ミハルの声に一番感動したな。

June 10, 2006

Wカップ夢舞台

ついに始まりました、サッカーのワールドカップ。当分の間、サッカー熱でぼーっとする毎日ですね。嬉しいなぁ。サッカー好きにとっては、まさに4年に一度の祭典、夢舞台です。選び抜かれた各国のチームが、国の威信と名誉をかけて。戦う・・・。我が日本チームもベストを尽くして頑張って欲しいです。

6月18日の日本第2戦:日本vsクロアチアのチケットをゲットできたのに、諸般の事情で行けなくなっちゃったのが、返す返すもザンネン(;_;)です。チケットをアメリカのRazorGatorという国際ダフ屋ネットワークから買ったのが12月。予選組み合わせが決まった夜。まだこの6月の予定もたたないままに衝動買い。完全アウェイの第2戦なので、かみさんと一緒はムリ。でも、その後一緒に行く相方が見つからず・・・そのうちに僕の方の仕事関連の予定も入ってきてしまい、結局は友人に売却することになりました。僕の分まで現地で応援してもらい、クロアチアをボコボコにしてきてもらいたいモンです。

がんばれ、ニッポン!

June 8, 2006

週末が待ち遠しい

ハックルベリーの活動を再開したのは2004年の春ころ。週末になると僕達は集まり、お酒飲みながらとりとめのない話をしたり、レコーディングをしたり、練習したり、時にはライブをやったり。。。音楽漬けの週末を送っています。ハックルベリーのP担当新メンバーのさくちゃんが、隠れ家「さくら」(怪しい呼称だね、笑)を買ってからは、駒込周辺をうろうろ、浅草近辺をふらふらと徘徊してます、最近は。

まあ月に2回はコンスタントに会ってるでしょうね。この歳になって仕事関係じゃない学生時代の仲間と、こうやって素晴しい時間を共有できるというのは、本当に有り難いことだと思います。この歳になると普通アリエナイですよ、こんな付き合いは。ゴルフ仲間、つり仲間、飲み友達ってのは、あるんでしょうけど、僕らの場合は、「高校時代そのまんまの仲間」に戻っちゃう週末。「おじさん達の正しい週末の過ごし方」を実践してます。

大人になってからの知り合いで、ずいぶん親しくなったとしても、ほぼ毎週会ったりしてたら飽きちゃうというか、話題がどうしても仕事関連になっちゃたりするもんね。学生時代の友人たちは、それぞれ根っこの部分をお互いよく知っているから、ストレスがなく時間を共有できるでしょうね。

June 2, 2006

6月11日「星夜の夜」ライブ@銀座TACT

浅草の不思議おじさんアーティスト「スズキ・イチロー」プロデュースのライブ!
名門ライブハウス「銀座TACT」にてハックルベリー・フィン(元祖)がライブを行います。

日時:6月11日(日曜日)午後5時開演
場所:銀座TACT  http://www.ginzatact.co.jp/tact/index.html
出演:スズキイチロー、イボンヌ、中村さん、ハックルベリーフィン(元祖)、星夜(司会)
オリジナルのファッション・ショーもあります。
入場料:3000円(フリードリンク)

皆さん、遊びに来てくださいね。

June 1, 2006

ふーん、簡単なのね


先日来、我らハックルベリーフィン(元祖)のブログ、http://huckleberry.kiy.jp に、スパムコメントの嵐が襲ってきて、BBSがぐちゃぐちゃになってしまいました。サイトの管理をしている、Dan巨匠の懸命の作業にも関わらず、それをせせら笑うかのようなスパムで、さすがの巨匠も半狂乱状態(うそ)になってしまう始末。じゃ、自分でやってみよっかな?ということで、最強googleのBloggerを使用してこのサイトを立ち上げてみました。けっこう簡単なのね。30分くらいでそれなりのものができちゃう。ま、まだまだどうやって管理するかは勉強する必要があるし、デザインそのものも改訂していく必要があるけどね。
それと、当たり前のことに気がついた。やっぱりブログは中身(コンテンツ)が勝負なのね。だはっ。
どうか皆さん、よろしゅうに・・・

May 31, 2006

6月11日銀座TACTライブ

6月11日は御呼ばれライブです
来る6月11日(日)はひょんなことから銀座タクトにて、ライブを演ることになりました。

夕方5時くらいから8時くらいまでで、僕らの他に2,3の親父バンドが出演するようです。

その他の出し物として、ファッションショーなんかもメニューにあるようです。どのように進行していくのか、お客さんはどういう方々なのか、さっぱりわかりません。たぶん僕らくらいの年恰好の方が集うのだとはおもいますが・・・。たぶん僕らは30,40分の演奏時間だと思います。

今の段階ではみんな「たぶん」なんです。もう少しはっきりしたことがわかりましたら、またご報告します。今回は新曲なんかもメニューに入っています

小説 Pledge(約束)

小説「約束(Pledge)」

7:00AM、5月。Hermosa Beach, CAこの季節、カリフォルニアの朝は、ほとんど毎日曇っている。でも、いつも昼頃になると、朝の曇り空をすっかり忘れてしまったかのように、あっけらかんとしたカリフォルニア・ブルーの青空が広がることになる。カリフォルニアの朝の曇り空は心地いい。海沿いなのに空気が乾いているせいで、開け放った車の窓からは、ちょっと肌寒いくらいの風が入ってくる。

僕とステファニーが一緒に暮らしていたハモサ・ビーチに海に面したアパートメント。ベッドルームの開けっ放しの窓からは、いつもこの風が入ってきて、僕らに目覚めの時間を教えてくれた。でも、今日の朝は特別だ。心地いいのが、逆にとても辛い。みぞおちの辺りが重く、一度でも「ため息」をついたら、心が崩れてしまいそうなほど哀しい気持ちで、僕は胸が一杯だった。きっと、きっと彼女も同じだった・・・と思う。Tokyoに向かう彼女を見送るために、僕はLAX(LA国際空港)に向かって車を走らせていた。彼女にとって初めてのTokyoに向けて、今日旅立つのだ。

僕の生まれ故郷、東京。故郷を離れてもう7年が経つ。僕も一緒に行こう(戻ろう)か?って何回も思った。でも彼女は頑として、「タケル(僕)はポートランドに移るべきなの、せっかく自分で苦労して掴んだチャンスじゃない、って言い張ったのだった。ビーチサイドの薄いべージュのビルの壁面。ジョギングする人たち、犬を連れた老夫婦。いつもの・・・、昨日まで当たり前だった、風景が通り過ぎてゆく。

Pier Aveを通り過ぎて、左折。Sepulveda Blvd.を北上。LAX(LA国際空港)に行くには、Artesia Blvd.を右に回って405のフリーウェイを使うのが普通なのだけれど、今日の僕達はそのままSepulvedaを北に進むことにした。彼女の出発まで、十分な時間があったから。フリーウェイを使えば15分で着いてしまう。どちらから言い出すわけでなく、このルートを選ぶことになった。

言葉を捜す僕。でも、でも何も言えない。ちらっと横にいる彼女の方を見ると、まっすぐ前を見つめている。いつも、そうだ。いったん言い出したら絶対にキカない、気の強い彼女のことだから、悲しくたって僕の前では涙は見せたくないのだろう。

少しずつ明るさを増しつつあるカリフォルニアの陽光が、彼女の白い頬にあるソバカスを照らし出す。流れ込む風が、彼女のちょっと赤みがかった金髪の香りを運んでくる。ついさっき、抱きしめた時に感じたあの香りなのに、なんだか懐かしい気持ちになる。それだけで僕はたまらなくなり、また、もう一度(いや何度でも!いつまでも!)ステフを抱きしめていたいって、心から思った。でも、できなかった。

あの時はまだ自分の人生に自信がもてなかったのだ。正直なところオレゴンでの新しい生活は不安で一杯だった。その意味ではステフのほうが、僕より3つ下なのに、ずっと自立している大人だった。日本語の話せない彼女にとってTokyoの生活は、僕にとってのポートランドの生活より、ずっとストレスフルなハズだから。

月並みな表現だけど、走馬灯のようにめぐるハモサでの想い出。いや、想い出なんていうような、一回ため息をつけば抜け落ちてしまうような、あやふやで儚いモノじゃない。体の芯にしっかりと存在している。

たった4ヶ月だったけど、一緒に生活したあの時間は、僕達にとって、大切な記憶。LAXに向かう車の中で、僕達はお互い何も言わず「それぞれの記憶」を反芻し、感じていたのかもしれない。

Century Blvdを左折。もうすぐLAXに到着する。あと5分。その時、突然彼女が言った。「タケル、約束(Pledge:固い約束)してくれる?」突然の言葉に戸惑う、僕。「Promise(ただの約束)、じゃなくてPledge(誓い)?」「そうよ、Pledge」その時の彼女の表情を、僕は一生忘れられないだろう。

まっすぐ前を向いて彼女は言った。「楽しかったわ、タケル。本当に。これから私は大好きだったあなたの国に行くわ。」

「大好きだった、かい。うん、わかっている。僕もさ(Same to you!),Steph」
「そう、過去形。でもね、過去(昨日)がなければ今(今日)はないし、昨日と今日がなければ、明日はないでしょ!」
「・・・・そうだね(You bet!)・・・・」
「だ・か・ら、私はあなたの生まれた町Tokyoに行くのよ」
「うん、何回も何回も、それを僕も一緒に行こうか(帰ろうか)って考えた・・・」

ちょっとした静寂・・・

「私がLAXを飛び立って、4時間経ったら私のことを思い出してね。そしてあなたの心の中で一杯私を抱きしめて。」
「うん、4時間だね。午後1時半だね。わかったよ、ステフ!約束する。誓う(Pledge)よ!」
「ありがとう、タケル」
「でもなぜ?なんで4時間後なの?」
「あなたのことを、忘れるためよ・・・」

意外なほど明るい表情で彼女は言った。
「??????」

LAXに到着してからのことは、ここで敢えて書くまでもない。僕達は「諸般の事情で」別れる、「フツーの恋人達」を、ごくごくフツーに演じ、(典型的な映画みたいに)涙を流す彼女を、やさしく抱きしめ、じゃぁねって言って、サラリと別れ、お互い後ろを振り返ることなく、それぞれの道を進んだのだった。

午後1時半。彼女のフライトがLAXを離れてから、4時間が経過。ずっと彼女を感じていたのだけど、僕は彼女との約束どおり、あらためて彼女を想い出し、彼女を心の中で抱きしめた。

また、彼女の髪の香りがよみがえってきて、胸の奥がきゅんと軋んだような音がした。

その瞬間、理解した。4時間。彼女は日付変更線をその時越えたのだ。

彼女は「明日」へ行き、僕は彼女にとって「永遠に昨日」にいることになった。つまり「僕達は永遠に{会えない}」のだ。どちらかが太平洋を越えない限り。それが簡単なことはわかっているから、だから逆に彼女の気持ちを痛感させられたのだ。

そのとき、僕の心の底から笑いがこみ上げてきた。

USCで心理学のメジャーでカムロディーをとっただけのことがある。さすがだ!あっぱれ!!!バカな僕は、完膚なきまでに、フラレたのだってことに、その時初めて気付いたのだった!

フラれたことは悲しかったけど、あまりにも天晴れな女性(オンナ)だと。でも、この笑いは僕を救ってくれた。そんな天晴れな女性(オンナ)に恋したことは光栄なことだってさえ思わせられたから。(小説「約束」続く・・・, drafted on 5-17-2006, by Marc)

Sand & Gemってナンですか?

Huckleberry Finnの2枚目のCD "Sand & Gem"。最近たびたびこの質問を、このBLOGに来て頂いた方たちから、いただきますので、以前のアイテムを再度(4回目)掲載します。
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昨年の5月某日の夜、僕とじょーじ君は新しいCD(注:1枚目のCD)の打ち合わせと称して、神保町の沖縄料理のお店で、飲んでいたのでした。そこで話題となったのは、「ハックリベリーフィン」というグループ名。30年前から僕たちは活動していたわけですが、数年前から3人組のロックグループが同じ名前でメジャーデビューしており、これは今後の我々の活動を考えると、ちょっと問題かもれない。。。ということになったのでした。

ほろ酔い気分で、カウンターの目の前にある焼酎のボトルを見ると、一升瓶に「三段絞り」・・・。九州の銘酒です!

銘酒 「さんだんしぼり」 > 名器 「三段締め」(=^_^=) を連想したのは、単なる酔っ払いオジサンの偶然かぁ???ただ単にオジサンたちが、エッチなだけなのかぁ???(爆)

「さんだんじめ」という音は、「三本締め」という、日本独自のリズムに近いし、音の流れがイイわけですよ。また「さん・だんじめ」は、「どん・きほーて」みたいな響きにも通じるではないですか(ぜんぜん言い訳になってない!)。

さらに、「さんだんじめ」の「じ」は、「ぢ」で、いきましょう!!ということになり、周囲の人たちがビックリするほどオジサンたちは盛り上がったのでした(完全に周囲の人たちは引いてました<爆)。

その晩は、「さん★だんぢめ」決定!ということで、上機嫌でホロ酔い気分の(迷惑な)オジサンたちは、「さん★だんぢめ」「さん★だんぢめ」。。。とつぶやきつつ(爆)、お互いの帰路についたのでした。

翌朝、また酔いの残る頭でふと思いついた訳です。さん・だんぢめ>SAND & GEMってどうかな・・・?と。

GEMというのは「宝石の中の宝石」「粋な人」「素晴らしい人」って意味。多少気取った感じはありますが、言葉のイメージとして、砂漠の中に埋もれる宝石、人ごみの中の素晴らしい人、哀しさの中の笑い、一攫千金、起死回生の気付き・・・って、いくらでも素晴らしいイメージが膨らむじゃないですか!!ということで(って、どーゆーことだよ!)、これが新しいグループ名になった(かもしれない)のです。

しかし、FMさがみに出演した時の、DJかぜ耕士さんの「そのままのグループ名で、いんじゃない!」という一言で、僕たちとしては、「ま、差し当たり、このままでいきましょう!」ということになったのでした。さあて、どーしましょ???

May 30, 2006

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