August 4, 2006

石切橋

っていうのは、僕とじょーじ君が子供の頃住んでいた文京区水道・小日向の近くのバス停ので、神田川にかかる橋の名前です。ここから中学校に通った。つい先日、HuckleberryのBlogで石切橋の話が出て(昔じょーじが書いた曲のこと)すごく懐かしかった。

なんてことのない鉄製の橋。でも、なぜ石切橋っていうのかな? 
おおっ、石切じゃなくて砌(みぎり)が語源なんじゃないか!!!
なんて考え始めたら、結構おもしろい。
「砌橋(みぎりばし)」のほうが、江戸的(・・・って、なんだよ>笑)だし、詩的じゃあないですか!

ちなみにGoo辞書によると、「砌(みぎり)」とは、
〔「水限(みぎり)」の意。(2)が原義〕
(1)とき。ころ。おり。
「暑さの―いかがお過ごしですか」「幼少の―」
(2)軒下の、雨滴を受ける敷石や石畳のある所。
「九月のしぐれの秋は大殿の―しみみに/万葉 3324」
(3)庭。
「されば―を遶(めぐ)る山川も/太平記 39」
(4)ことが行われる場所。場面。
「彼所は転妙法輪の跡、仏法長久の―なり/盛衰記 39」
(5)水ぎわ。
「―の中の円月を見て/性霊集」

でもね、文京区の歴史のサイトにいって調べてみたら・・・
http://academic1.plala.or.jp/edogawae/koutyou/rekisi6.htm

江戸湾の満潮時には海水が文京区江戸川橋付近まで入ってくるため、江戸川橋の上流辺りに堰をつくり、そこで海水の入水をせき止めることにした。その堰の名大洗堰を・・・(中略)。大洗堰は切石を積み重ねてつくられ、この堰をつくるために大量の切石を必要とした。そこで、近くまで船で石を運び、適当な大きさに加工するための石切場が設けられた。現在、江戸川橋のすぐ下流に石切橋という名の橋が残る。(後略)

なんだそうな。ふむふむ