November 21, 2006

棟梁の話

子供の頃、近所にあった大工さんの「マンタロさん」のところに行くのが大好きだった。今考えてみると、大工さんとばかり思っていたが、お店があって、そこで家の欄間とか床の間の木工品を作っていたのだと思う。棟梁のマンタロさん(多分、萬太郎さんとかいうんだろうが、みんなマンタロさんって呼んでいた)という、昔かたぎの爺さんの職人は、仕事中でも近所の子供が遊びに来ると、いつも「おお、ボウズ達よく来たな!」とダミ声で言って、僕ら悪がきたちを、笑って迎えて入れてくれた。

別に一緒に遊んでくれるわけでもないし、お菓子をくれるわけじゃない。ただ僕らは、彼と丁稚達(お弟子さん?)が、作業場で仕事をしているのを見ているか、店の前の路地で「ダルマさんが転んだ」とか、「水雷艦長」とか、「三角ベース」とかをしていたと思う。

マンタロさんの孫でカイチ君(嘉一くん?)という子がいたが、歳はたぶん僕らより2-3歳小さかったように思う。たぶん一緒に遊んでいたはずなのだが、実はあまり印象がない。いつもニコニコ笑いながら僕らの後を付いて歩いているみたいなコだった。

マンタロさんは、「これで、そこで遊んでな、坊主たち。」なんて言って、仕事場にある木片をくれた。大きいものもあれば小さいものもある、でも僕らはその木片を使って、見よう見まねで「船」を作ったり、飛行機を創ったりした。トンカチで怪我をしたり、とげが刺さったりしたけど、男の子たちにとって夢中になる機会を作ってくれたわけだ。

いい爺さんだった。今考えてみると、あの頃には日本中どこにでも「子供に媚びない」「背筋の伸びた」「オトナの見本」みたいな人たちがいたように思う。

ある時、マンタロさんが僕ら悪がきにマジメな顔をして言った。きっと彼は、素朴で、無骨で、飾り気のない、素直な言葉を、子供たちにくれたのだ。僕はその言葉を忘れない。

「オレは小学校しか行ってない。だけど学校も勉強も好きだった。今は職人としてお天道様に恥ずかしくないように生きていて幸せだ。でも、きっと学校に行って、もっと勉強していたら、もっといろんなことがわかって楽しかっただろうし、もっと幸せになったはずだ。それが残念といえば残念だ。小僧達は、お父さんお母さんの言うことをちゃんと聞いて、学校で一所懸命勉強しなくちゃいけないぞ!頑張るんだぞ!」と。

今、この歳になって思うに、これは凄い事だと思う。近所の子供達に、そんな真っ当なことをマジメに諭すオトナなんて今居ないもの。