October 4, 2006

キラー・メッセージ(小説)

その手紙の封を開けた瞬間、僕の部屋の空気が揺れ、ごく微かな、乾いたポプリの香りがした。

ポストで2ヶ月ぶりの彼女からの手紙を見つけて、僕は跳ぶように走って、アパートの3階にある自分の部屋に戻り、深い深呼吸をしてから、その手紙と向かい合ったのだった。

カリフォルニアの熱く乾いた風が、一瞬通り過ぎたような気がした。

ピンクの縁取りがある小型の便箋で、右肩アガリのすこし丸みがかった、彼女の懐かしい文字。用箋をあまり気にしないのは、いつものこと。本当は気が小さくて弱虫なくせに、時々周囲をびっくりさせるような大胆な行動をとったりする彼女の性格を表していて、大きめの文字が飛び跳ねている。

きっと、走り書きみたいに急いで書いたんだろう。右側の文字のいくつかがインクで汚れている。インクの文字が乾ききる前に、キモチが先走ってしまって、飛び出してくる言葉を追っかけるのに、きっと一所懸命だったんだろうなって、僕は思った。

僕達が別々の場所で生活するようになってから、もう半年と2週間。別れた直後のお互いの気持ちの高まりは、波が寄せては返す運動を繰り返すごとに徐々に収束するように、今は落ち着いてはいたけど、心の深いところにある「灯火(ともしび)」のような温かさとなって存在していたのは真実だ。彼女のことを愛していた、と思う。たしかに。

彼女のことを考えない「夜」はなかったけど、すごく正直に言えば、彼女のことを考えていない「昼間」は、(少しずつだけれど)多くなっていたかもしれない。

はじめのうちは、毎週やり取りしていた手紙も、突然凪いでしまった海のように、来なくなったし、僕も出さなくなっていた。彼女は新しいセメスターが始まって、毎日の講義のレポート作成に追われているという理由を言い訳にして、僕は僕で、新しい実習の実験結果をまとめるために連日学校に缶詰になっている、という理由で、自分と相手を納得させていたのだ。それは、初めのうちはお互い99%は真実だったんだけど、残りの1%の比率が徐々に大きくなるのには、そんなに時間はかからなかった。

今みたいに簡単かつ頻繁に国際電話をかけられる時代じゃなかったし、メールだってなかった。そんな時代の話。手紙を書くことは、遠く離れた相手に自分の心を届ける一番の方法だった。


結論を先に言えば、その手紙を読んで僕はスグに航空会社に電話をし、翌日なけなしのお金をかき集めて、LA行きの飛行機に飛び乗ったってわけだ。でも、もっと先の結論までいえば・・・、そのさらに半年後に、僕らの絆は、凪ぎの海から沈没して、深い海の底に沈んでしまったのだけれど。

彼女からの手紙の内容は、一緒に暮らしたパサデナの街の変わらない様子や、学校のこと、友人達の近況など・・・ごくごく普通の彼女の生活が、意外なほどさりげなく書いてあった。「愛している」とか、「あなたに逢いたい」の一言もない手紙。2ヶ月ぶりの手紙で、こちらからも出していない引け目もあったりして、なんとなく「別れの手紙か・・・」という不安感と緊張感を持って読み始めた僕は、急に膝の下から力が抜けたような脱力感と同時に、妙な安堵感を感じたのだった。

ただ、彼女の書いた最後の文章。あえてここには書かないけど。まさにキラーメッセージ。

さらに、その隣にあった「涙の痕」のような微かな便箋の乱れを見て、僕は居ても立ってもいられない気持ちが湧き上がってきたのだ。

心に響くというようなキレイなものじゃなくて、(今すごく正直に言えば)下半身を直撃するような衝撃だったな。あの年代の男の子を経験した大人の男なら、わかってくれるはずだと思う。

男は単純だ。

あとで彼女に聞いたら、あれは涙の痕じゃなくて、くしゃみをして「ハナミズが垂れた」のだ、と言い張って、笑っていたけど・・・。

真実だとすれば・・・
ウソだとしても・・・

知能犯

彼女は「愛すべき犯罪者」だったことになる。