June 28, 2006

Tさんの話

先日かぜさんのサイトで、「貧乏(不幸せ)vs非貧乏(幸せ)」の境目の金額ってどのくらい?という問いかけがあって、考察してみた。経済状態を幸せを尺度で測るというのは、多少ムリがあるのは承知で、貧乏=不幸(幸せではない状態)ということを前提とすると、僕の場合は「財布の中に(いつも)1万円が入っている状態」は少なくとも貧乏感というか不安感はずいぶん薄らぐと思った。

でも、その根拠はないんだよね。実際に今日の僕の財布には1万円札は入ってなかったけど、そこそこ幸せな、というか普通の生活は出来ているワケだから。べつに1万円あったからって、何かを買うわけでもない。じゃ1000円だったら? 実は生活はあまり変わらないのかもしれない。

なんなんだろ?お金って。幸せはお金では買えないということは、この歳になれば十分理解できているけどね。その逆もまた真実で、ある程度のお金がなくては最低限の生活は成り立たないハズで、だからこそ僕らは働くんだけどね。

さてTさんの話。最近であったホームレスの人。黒澤年男さんそっくりの60歳。清潔なポロシャツと短パン、キレイなスニーカー。腕には金のロレックス。礼儀正しく言葉使いも丁寧な紳士。5年前に破産して今は多摩川の河川敷でテント生活。彼は、なーんにもなくなった今の生活が「人生の中で一番幸せな時間だ!」と言い切るわけ。家族には捨てられたけど、助け合う友達がいて、周囲の人たちがいろいろと助けてくれて、コンビニにいけば食事には困らない。海が好きな彼は、三浦海岸で密漁すれば月に2-3万はキャッシュが入ってきて、それで十分なんだと。。。。ある意味では、すごく豊かな生活。ま、元気ならば、の話だけれどね。

あそこまで割り切ることが出来れば、それはそれで幸せなんだろうけど、僕には喉に小骨が刺さったような居心地の悪さも感じる。

きっと、お金ってのは、幸せの原資にはならないけど、触媒なんだろうな。