March 31, 2011

アクアフォースに癒された(い・・・<笑)



震災後のPTSDなんだろう、僕もなんとなくlow moodが続いている。いつも頭のどこかが震災のほうに向いていて、落ち着かない気分。なんとなくどんより気分で3週間。きょうは研究日。精神的な疲れと身体的負荷とのバランスをとりたくて、夕方から身体を苛めるべくジムへ。照明を絞って薄暗い中を、5kmのラン、ストレッチ15分、マシン2セットx2、仕上げに6本300mのスイムで軽めに伸びてじっくり2時間過ごした。けっこうへろへろになったけれど、心地いい疲労感。マネージャーが、停電がない限り電力をセーブしながら、休館日なしで23時まで開けることにしたと。明日から4月だものね。桜も咲き始めたし、気分的に大きなリセットの時期かもしれない。

画像は新しい真木よう子さん Orbis アクアフォースのCM。いいなあ。
いい女を見るとさらに元気が出る僕(54歳男)ってどーよ(笑)。

こっちはバリスタの映像。これもいいなあ。でもこの女優さん、あまりしゃべらないほうがいいかも。

March 30, 2011

今まで知らなかった時間軸と空間軸の移動の仕方

うざかったのだ、Facebookを実際に使い始めた当初は。お節介だし、うるさいし、プライバシーを晒すのがリスキーみたいだし。まあ、こんなものはリアルの人脈の乏しい若者達のための「出会い系」サイトなんだろうなって思っていたのだ。たしかに、去年の夏頃からだったか、アメリカを初め海外の友人知人達が盛んにFacebookのアドレスについて言っているのを「ほへー?なんだろ?」と思っていた。でも当時の日本ではtwitterの方が人気があったし、その匿名性の気楽さは、それなりに心地よかったのだね。ネコも杓子も、もちろん僕もどーでもいいことを「つぶやき」始めてたんだ、あのころは。

なぜ今世界中の人たちに使われているのかが、今になってやっとわかってきた。オッサン世代は保守的で新しいものに対して「まず疑ってかかる」ことに慣れているので、偏見で随分遠回りをしてしまった気がする。リアルの「繫がり」を今の時代に最適化すると、こういう感じになるんだろうな、と今になって気がついたのだ(おそっ!<笑)。というのは、最近関わらせてもらっている「助けあいジャパン」プロジェクトは、FBを駆使して動いている。時代の最先端でFBを使いこなしている人たち。目からウロコだった。リアルに会った事がない人たちと、アップデートされた情報を共有し、ディスカッションし、アウトプットしていくプロセスは、アナログ主流の医療の世界の住民の僕にとっては新鮮だ。まだまだ機能的には未熟で現在進化中のものも多いのだけれど、進化し続けるはずのFBを使いこなしていけば、今まで以上に空間軸と時間軸を縦横無尽に動けるようになる気がする。いい勉強になった。今まで僕が知らなかった時間軸と空間軸の移動の仕方、かな。カッコつけて言えば。

それともう一つ。FBが出来上がって来たプロセスについては1月に観た映画「ソーシャル・ネットワーク」で知った訳だけれど、ある個人の属性を表すのに、年齢とか性別とか出身地とか職業だけじゃなく、卒業した高校とか大学とか大学院とかを書く事になっていること。これは学生の考えたネットワークだから...と、使い始めた当初は胡散臭かった。でも使ってみるとこれが意外に有意義なのだ。学歴や職歴をみればだいたいその人がどのような価値観でどんなことを考えているのはわかってしまう。ネット上に実名で(脱がないまでも)パンツ一丁でストリートを歩いているみたいな不安感があるんだけれど、実はここに意味がある。だって歩いているがみんなパンツ一丁だから(笑)。その素性が「なんとなくわかる」安心感というのは、意味が有ると思う。匿名性の高いネットの世界(2ちゃんとか)は人間の汚い部分がどうしてもどんどん淀んでくるけれど、FBのような世界では性善説でポジティブなベクトルに進む気がする。仮に悪い方向に進みそうになっても軌道修正のベクトルができるし。あ、パンツじゃなくてパジャマくらいのカジュアルさかな?

短期局所的な合理性の誤謬の可能性について(メモ)

内田樹先生のブログより:兵站と局所合理性について(3-24-2011)
引用:
短期的・局所的に考えれば合理的なふるまいが長期的・広域的に考えると不合理であるということはよくあることである。
集団の中で一部の人間だけがやる場合には利益を得るものがいるが、集団のほとんどがやりだすと誰も利益を得ないという営為は局所合理性の典型である。

泥棒という行為は、ほとんどの人が泥棒をしない社会では、しばしば多くの利益を泥棒にもたらす。だから、泥棒は局所的には合理的なふるまいである。しかし、ほとんどの人が泥棒をする社会では、全員が自分の財貨を護るためにある限りの時間とエネルギーを費やさねばならず、どうせ盗まれるものを生産する人もいなくなるので、遠からず全員が餓え死にすることになるから、全体的には不合理なふるまいだということになる。

原発はそれが「事故を起こさない」限りにおいては電力会社にも消費者にも地元民にも多くの利益をもたらすテクノロジーである。だから原発をどんどん建設することは局所的には合理的なふるまいである。けれども、いったん事故が起きた場合には、被曝での死傷者が大量発生し、国土の一部が半永久的に居住不能になり、電力会社は倒産し、政府が巨額の賠償を税金をもってまかなう他なくなる。原発事故によって失われるものは、貨幣に換算しても(人の命は貨幣に換算できないが)、原発の好調な運転が数十年、あるいは数百年続いた場合にもたらされる利益を超える。

火力発電や水力発電や太陽光発電や風力発電と比べたとき、原発は局所的には(費用対効果という点でも、環境負荷という点でも)きわめて合理的な選択だが、全体的には合理性に乏しい選択である。短期的・局所的な「金儲け」に限定すれば、原発は正解である。より長期的・広域的な「国土の保全と民生の安定」を基準に採れば、原発は正解ではない。

日本人は、そのような小学生にもわかる単純な理屈がわからなくなっていた。
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うううむ、そうだよなあ。

ここで先生は、「おおづかみに言うと、「貧しい環境」において、日本人は知性的で、合理的になる。「豊かな環境」において、感情的で、幼児的になる。」とし、後半で今後の日本復興へのグランドデザインをアトランダム(と断りつつ)列記しているのだけれど、どれも説得力のあるものだ。

March 29, 2011

自衛隊ライトアーマーLOVE








     もともと「働く車フェチ」なのだ(笑)。ブルドーザーのキャタピラのある重機とか、クレーンなどの建設機械、自衛隊の装備など、無骨でヘビーデューティな「働く車」たちが、ががががっと動いているのが大好きで、子供の頃からいくら見ていても飽きない。今回の震災で大活躍する自衛隊の人たちの装備をネットで見ていたら、このライトアーマー通称「LAV」軽装甲機動車が気になってタマらなくなり、ついにネットでオーダーして買ってしまった(笑)。画像向かって右が本物、左が僕のLAVでイラク派遣ヴァージョンで日の丸が付いている(これがタマラナイ<笑)。この重量感と質感がむふふ、なのだ。当分はハマりそう。

March 28, 2011

「たんま」について

今日、Timeout「タイムアウト」という言葉の使い方についてちょっと気になった。ここ2−3年の日本の医療リスクマネージメント関係の文献などで頻繁に見られる言葉。英語でいうと、なんとなくカッコいいように感じるんだろうけれど、こういう、誤用というか「へんな特別扱い」は、英語をあまり知らない(使った事がない)人たちが欧米の文献を「そのまんま」受け売りした時に起こる。このtime outのニュアンスを、マニュアル的に日本語で訳すと「全員注目!」(という行動)かな。皆で同時に「ちょっと待って!冷静になろうぜ!」って感じ。南部訛でだらっとして感じで"time out!"と言うと空耳で「タンマっ!」って聞こえなくもないな、そういえば(笑)。「タンマ!」は、日本では子供の頃からの決まり文句。あ、そういうことだったんだ!(笑)

「待った」繫がりで連想した日本的な相撲の「待った」について。

wikiより(引用)=====
待った(まった)とは、勝負事において、相手の行動に対して満足な状況でないことによりやり直しを要求する状態である。
相撲用語で力士が立合いで息が合わず
勝負開始が成立しないことを指す。(中略)大相撲では制限時間一杯になると行司が「待ったなし!」「待ったありません!」と声を掛ける。それ以降は、原則としては立つ(相撲を始める)必要があるから、特別な理由で待ったをする場合、はっきりとした意思表示が必要である。普通は待ったをする力士が前に片手をあげることで意思表示し、行司がこれを認めて相撲を止めることで成立する。
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この「空気感覚」がスゴく日本的。だって真剣勝負なのに「息を合わせる」って何なんだろう?格闘技の基本は闘いであり究極的には「殺し合い」なわけで、そこに「待った」はないハズなんだけれど。だから相撲は興行というか見せ物なんだろう。この「あいまいな優しさ」が日本の良さとも云えるかも。悪い意味じゃなくてね。

March 27, 2011

暗い中で黙々と汗をかく人たち

医師として29年のキャリアの中で培ってきた経験と人脈を駆使して、この未曾有の大災害とそれに続く「国難」に対処するために何が出来るか?「助けあいジャパン」プロジェクトで自分の出来る事を考え続けた日曜日。この際、四の五の云ってないで(笑)オールジャパンで力を結集する必要があるのだから、頑張るしかない。今やらなくていつやれるのか?って話だ。

震災後から、いろんなことが少しずつだけれど確実に変わっている気がする。午前中は震災関連の情報収集とメールの対応や原稿書きなど。現在は被災地への医療支援に関しては様々なレイヤーとセグメント(例えば日赤、医師会、NPO、医学部同窓会など)で同時進行しているものの、被災地の生の情報を網羅する縦糸と横糸が統合されていない。それを、民主導で官も巻き込んたプロジェクトでどう整理するか?

日本の大手医療系サイト2社とコンタクトをとったり(偶然だがこの2社とも僕は設立当時に関わっている)、さらに大きな組織(って、医師会のことだけれど)にアプローチする方法を考えていたら、あっという間に一日が過ぎてしまった。夕方からはジムでバイク30分間 level-3 平均80cpm、13km のあとマシンで約1時間身体を追い込む。大臀筋と大腿四頭筋が痛くなった(笑)。こんな時は意識して精神と身体の疲労のバランスをとることが大切だ。

僕が帰ろうとする18時過ぎからはジムの照明が落ちてスタジオとプールが薄暗い、つーか、間接照明で殆ど真っ暗に近いぼんやり照度(笑)。でもそんな環境でも今日は20時までやるんだって。僕は帰る時だったけれど、残ったメンバーはみんな黙々と身体を動かしていた。皆ストレスが溜っていて、ちょっと「ヘン」かもね(爆)。

March 26, 2011

震災後の社会の価値観の変換について

「 助け合いジャパン」サイトが立ち上がった/ 官と民を繋ぐコミュニケーションという、今まで「有りそうでなかった」新しい仕組み作り。大震災を期に日本が大きく変わろうとしている予感がする。さとなお君つながりで、僕も遅ればせながら「助けあいジャパン」の「情報発信本部」の末席に加えてもらう事になった。どれだけ貢献できるか全くわからないけれど、30年間海外も含めていろんな場所で医者をやってきたことを微力ながら役に立てられればいいかな、と思う。ボランティアとして何もやらないでぐじぐじと後悔するより、何かやって大失敗したほうが(しないにこした事はないけれど<笑)精神的に数倍心地よいし。

今日田園都市線に乗っていたら、足のご不自由なおばあさんに席を譲った若いにーちゃん、よろよろと乗ってきたじいさんに何も言わずすくっと立ち上がった女子高生の女の子二人。この大震災の後から社会が何かが変わった気がする。「震災後」の社会の価値観のパラダイム・シフトについては、今後注意深く観察して行こう。

Forest先輩からネットで教えてもらった、阪大総長の鷲田清一さんの卒業式式辞。この人の視点(臨床哲学)は前から興味をもっていたけれど、腑に落ちる内容でトンと膝を打った。難しい話をかんたん(そう)に話す事が出来るひとが、本当に頭のいい人なのだ。

今日は、かみさんと自由が丘「旬香」で大満足なランチ。帰路ジムへ寄り(彼女は別のジムのピラティスへ)、5kmラン>マシン2セット>TIスイムで5本。結構へろへろになったけれど、この疲労感がタマラナイ(笑)。

March 25, 2011

政治に未来が見えないとすればヤバい

金曜日。震災後2週間。この14日間も長く重く深く、僕ら一人一人にインパクトする時間だったと思う。記憶の深い所に刻まれたさまざまな感覚。震災から24日までのThe New York Timesの画像を見ていると、明らかに日本のメディアでは見られない視点。そこから深く感じるものがある。次のステップに僕らが進むためには、社会全体のグリーフを必要としている。それは確かだ。
この時期に統一地方選挙を強行するなんて、出来の悪いブラックジョークか?>民主党政権
ジョークをかます余裕があれば、まだ安心できるのだけれど、どうもそうではなさそうなので逆に心配。

March 24, 2011

「ぐじぐじ考えてるならさっさと動きたい」のだが。。。

水の放射性物質汚染の騒ぎで街からミネラスウォーターがなくなったらしい。まあ、あの発表とマスコミの報道のしかたでは、この巷の反応は当然だろう。科学的に判りやすい説明(例えば、長崎大学の山下先生の講演とか日本産婦人科学会のコメントとか)をもっと広く流して、どうしてみんなを安心させないんだろう?確率論で10万分の1の確率が10万分の5の確率になれば、発生頻度は5倍になるわけだけれど、99995人は大丈夫なのだという事をもっと強調するべきだろう。科学者は「科学的に明らかなこと」を語り「科学的に否定できないこと」は決して断定的には言わないので、「大丈夫だ」と明言しない(できない)。そしてこの確率論で一番問題なのは、個人の心情はそのリスクは1/2ということなのだ。科学的確率と感情的な確率を混同してはいけない。もっとも、だからこそ僕ら一般大衆は当たる確率のかなり低い宝くじを買ったり馬券を買ったりするのだけれど。今回は相手が目に見えない放射能ということで(中途半端な知識しかない)マスコミの連中が話をかき回してるということなんだろう。こんな状況だと、どうしてもネガティブな情報のほうがポジティブな情報より声が大きくなりがちで、そっちの方が「売れる」だろうし。

一昨日くらいから、被災地支援の医療チーム出動の要請がさまざまなセクターやセグメントから同時に来ている。僕としては「考えているより、今こそ動くべきだ」と思っているし、なんとか対応して行きたいとは思う。でも実際にはなかなか難しい。今日の午後にきた東京都医師会からの要請(唐突な事に来週の話だ)について、具体的に考えては見たものの、実際の活動内容についてはまだまだ判らない事ばかりで、現地でも行き当たりばったりになる可能性が高いみたいだ。自分だけで行けるならば楽なのだけれど。

夜はBDで「イングローリアス・バスターズ Inglourious basterds」タランティーノ監督の映画。ブラッド・ピット主演。メラニー・ロランは若い頃のカトリーヌ・ドヌーヴを彷彿とさせる魅力的な女優。彼の作品は人がやたらと殺されるんだけれど、この映画はかなり濃いめのブラックなアクションコメディー。目を背けたくなるようなシーンがありながら、コメディー的な味付け。ちょっとてんこ盛りすぎる感じもするものの、観終わった後には、不思議にハッピーエンド的な感じになるのが巧い。

March 23, 2011

AC食傷気味&ペットボトルでお茶濁し


さすがにAC公共広告機構のスポットばかりだと、いい加減飽きてくる。本来はそれぞれが素晴らしい意図なのに、逆効果になるんじゃないか?もっとも平時には低俗な企業広告CMばかりだと、逆にACの主張が清々しいんだけれど。その辺のバランスが難しい。

東京の水道のサンプルから、極少量の放射能(ヨウ素のベクレルで計測すると、乳幼児のみに影響があるかもしれない程度)が検出されたと大騒ぎしている。あーのーさー、福島の状況から考えて雨が降る訳だからこの状況は「この程度でよかった!」って歓ぶべき数値なんじゃないか?もちろん、乳幼児を予防的にプロテクトすることは大切ではあるけれど、あまり神経質になってしまうのは問題だと思う。人間そんなにヤワじゃないって、どうして責任ある立場の人たちがもっと情報発信しないんだろう。ますます不安になってしまうではないか?乳児ひとり当り3本の550mのペットボトルを配るのは、やらないよりはやったほうがいいけれど、行政的パーフォーマンスであることがミエミエだと思う。ああーああ、なんだかなあ。ダブルスタンダードは余計疑心暗鬼を助長するじゃないか!

被災地の子供達は、無邪気に明るく振る舞っているように見える。先日のパノラマ写真を見ていて僕は素直に喜んだんだけれど。児童心理学的には、子供の被災によるネガティブな感情は、このあとじんわりと長期間に渡り悪い影響を与える恐れがあるとのこと。大人は不安とか哀しみとか辛い思い出を「吐き出す」事が出来るけれど、子供はそれが出来ないそうだ。いい形で落ち着いてくれればいい、と切に願う。

March 22, 2011

Yes...,men! We should hang in here!

震災のショック、原発の問題、電力危機で、すべての出来事にネガティブなオーラが漂っているみたいで、社会全体がどんよりと元気がない。つーか、僕自身も「これじゃいかん」と自分を奮い立たせてはみるものの、いまいち「どよよん」なのだ。小説を読んだり、映画を見たり、ギターを弾いたり、音楽を聴いたりする気にもならない。心のある部分が硬直してしまって、「ハンドルのあそび」がない、というか、余裕がなかったな、この10日間。その意味からは、春分の日の休日は、世の中的にもいいクールダウンになったと思う。昨日、無理矢理ジムで身体を動かしたのが効いたみたいだ。ちょっと筋肉痛だったけれど、今日やっと精神的には8割方回復した感じ。とにかくルーティンの仕事をしている時が一番落ち着く、こんな時は。震災期の生活がどのように変わろうとも、僕のやるべき医療の仕事は普遍だから。

夜は今期最後の医師会理事会。4期を終了して一区切りで理事会の後は懇親会。次の5期目は「震災後」ということでいろいろあるんだろうなあ。その意味でも頑張って期待に応えなければ・・・。帰宅したら大学が春休み&震災騒ぎで当分休みの娘たちが大量にDVDを借りてきていて、2009年春のジム・キャリーの映画"YES MAN" 。「YESは人生のパスワード」。懐かしいLAの風景満載。なははははっ・・・と、久しぶりに笑った。YES! YES! YES! 今の時期、大正解のポジティブな映画なんだけれど、軽そうに見えて結構テーマ的には深くて、宗教的でもあるコメディ。ジム・キャリーって本当に達者な役者だわ。

March 21, 2011

暑さ寒さも彼岸まで・・・(なのか?)

産經ニュースのフォトサイトにあった、南三陸の避難所の子供達の笑顔(パノラマ写真)。過酷な避難所生活にあっても子供達は明るく健気に振る舞っている。この10日間で小さな心がどれだけ傷ついたかは知る由もないけれど、今見せてくれる彼らの無邪気な笑顔は確かに明るい希望へと繋がっていると信じよう。なんだかほっとする、そして力が湧いてくるいい写真だ。荒廃してしまった故郷を真に復興するのはまさに彼らの世代。おっさん達も蔭ながら最大限サポートするからね。

AERAの「放射能がくるぞ」号の広告(表紙と中吊り)を知って久しぶりにキレた。もともとA新聞社とそのグループ会社(たとえばこのA出版社)の、唯我独尊的な似非人権主義、衆愚主義と「正義の味方」的な態度は大嫌いだったけれど、今回のは雑誌を売らんがためのセンセーショナルなコピーは世の中の不安を煽り現場で頑張る人たちをバカにしたものだろう。「そんな意図はなかった」という彼らの白々しい陳謝コメントも反吐が出そうなイヤらしさ。もうさっさと退場していただきたい、と真剣に思った。潔く休刊するか、いっそのこと廃刊した方が日本のため。おお、そういえば、今週号の「週刊現代」(嗚呼、K談社)も、かなりイタいらしい。ダメだなあ、記事の程度が低い。表紙を見る限りでは「週間ポスト」(S学館)とは対照的ではある。どっちの方が今の日本社会のためになるかは、読まなくてもわかる。僕はどっちも買う気はないけれど。

今日は朝から冷たい雨だった。午前中は読書。ジムで2時間じっくりランとマシンで筋トレ。夏までに5Kgは絞りたいのだけれど、やっぱりパーソナル・トレーナーをお願いするかな・・・。その日のためにおっさんは身体を鍛えておかねばならないのだ。

March 20, 2011

この16歳の女の子の哀しみに、僕らはどう向き合うべきか?

大震災後10日目の奇跡。10日間、想像を絶する厳しい時間だったんだろう。でも神様はこの二人を見捨てなかった。Thanks, God!

3月18日の産經新聞ネット版で読んだ震災後1週間の被災者の声を集めている記事。それぞれがシンプルて淡々とした「つぶやき」だけに、どれも心傷むものなのだけれど、その中でもあるコメントが忘れられない。
保存できなかったので記憶をたどると・・・

陸前高田(だと思う)の16歳の高校1年生の女の子=====
はじめて男の子と付き合って2ヶ月。震災の前日の夜の「会いたい」「俺も会いたい」というのが、彼との最後のメールでした。突然の震災以来、彼とは連絡がつきません。彼も彼の家族も無事でいて欲しいと思います。彼との思い出のものもすべて、津波で流された私の家とともになくなってしまいました。今は涙が止まりません。

哀しみにくれる、この16歳の女の子のことを憶うと、胸が張り裂けそうになる。彼女はきっと一生この哀しさとともに生きていくのだろう。月並みな言い方である事は重々承知の上で、彼女に笑顔が戻る日か来る事を心から願う。でも、この16歳の女の子の哀しみに、僕らはどう向き合うべきか?今は答えは見つからない。

March 19, 2011

こちら側にいる僕らの申し訳ない気持ち

土曜日。午後に久しぶりにジムに立ち寄ったら、営業時間限定でオープンしていた。地震で被害を受けたプールは改修工事が終わる来週末まで開けられないとのこと。こんな時にぶんぶん筋トレをする気にもなれず、でもせっかく来たのだからとお風呂に入る事にした。サウナは休止中。大きなジャクージでぶくぶくしながら、被災地の人たち、それを支えて頑張っている役所の人たち、警察、消防、自衛隊・・・、それに同業の医療従事者たち、原発の現場で必死に踏み止まって頑張っている人たちのことを思って、「申し訳ないなあ・・・」と。「こちら側」にいる僕らは、停電や物資不足で苦労しているとはいうものの、「あちら側」に居る被災者の人たちの苦労からしてみれば、それを受容して余りある程度の「苦労」なのだ。

現実に僕は安全な建物の快適なベッドで寝て、暖かい室内で温かい食事をして、ひねればいくらでも出るお湯のシャワーと、たっぷりのお湯のお風呂でぬくぬくと快適な時間を過ごしている。うううっ、申し訳ない。そんな風に考えたらタマラナイ忸怩たる気持ちになって、早々にお風呂から上がってしまった。僕みたいに「今はそんなことしている場合じゃないだろう!」って自責したり自問したりしている人って、今スゴく多いと思う。大震災の日から、そしてたぶんこの先も当分の間、こういう「辛い」気持ちを持ち続けるんだろう。今は出来るだけ普通の生活を粛々と続けることが大切なことは重々承知なのだけれど、今現実的に何も出来ないもどかしさ。

March 18, 2011

ニッポンのおーでぃなりー・ぴーぽー Ordinary Peopleの底力


震災から1週間経った。いつもはあっという間に感じる一週間という時間が、スローモーションのように、すごく長い7日間だった気がする。それぞれの人生で一生涯語り継がれる「今」を、当事者として僕らは生きている。

信じられないくらい凄惨な大災害の光景に言葉を失い、途方にくれる被災者たちの姿に心痛め、今まで盤石だと思っていた自分たちの日頃の生活が、いかに脆く不安定なものだったのか痛感しながら、僕らはただ呆然と立ち尽くしていた。僕らの社会がそんな危機的な状況で、自分に何が出来るのか、ずっと自問し続けた。あまりにも無力で、今すぐに何も出来ない、してあげられないもどかしさ。忸怩たる思い。それをみんなで共有しつつ1週間が過ぎた。そう、長い7日間だった。

セチガない世の中といわれ、無機質でドライで、自分の事ばかり考えている人たちばかりの無縁社会であると、自虐的になっていた日本の社会。でも、今のように最悪の状況であっても、秩序と礼節を保ち、困っている人を自分の家族のように慮り、一所懸命努力すればいつかまた明るい未来がくることを信じている「日本人の精神性の根っこ」は、昔となんら変わっていなかった、ということなのだ。それを今、皆が気付いたのではないか。

被災地で御苦労されている人たち、それを必死で支えている人たち、原発の修羅場で懸命に頑張っている人たち...et al に深く想いを馳せながら、これからの日本の未来のために、復興のためにそれぞれ頑張る決意に燃える・・・大多数の僕ら「おーでぃなりーぴーぽー ordinary people」。今こそ、その底力を結集する時だと思うのだ。

僕ら、日本の「おーでぃなりー・ぴーぽー」のレベル(教育程度、倫理観、協調性、勤勉さ、技術力、社会的常識と思いやり...etc)は間違いなくダントツ世界一だ。大丈夫、日本はくじけないし、決してこの状況に負けたりしない。そう信じるだけの器量と社会的な蓄積と、世界的な信用は、今までの先人たちの血の滲むような努力で十分に積み上げてきたではないか。今こそ、先人たちの努力に感謝し、それを信じて頑張っていこう。

そして震災後の新しい社会的価値への変換は、今までの生活の負の部分を正しい方向へ進むベクトルを生み出すきっかけになればいいと思う。災い転じて福となす。長いタームでみれば、すべてに塞翁が馬なのだ。真面目に、慎ましく、健康的に、自然と共生しながら生きていたかつての日本の良さをもう一度見直し、高い技術力と世界一の民度の高さで「より効率的」で「人間に優しい」社会を目指すのだ。これからが本当に長い道のりとなるけれど、その先にはきっと素晴らしい日本が待っている。

March 17, 2011

「おなかがいたくなった原発くん」



今こそ、子供達向けにこういうアプローチが必要だろう。このアニメを作成したクリエーターに最大限の敬意を表したい。ご苦労さま&ありがとう!子供達はすごく不安になっているハズだから。科学的な根拠のない悲観論は、今の僕らにはマイナスにこそなれプラスに働く事はない。悲観論のほうを信じたい人は、すぐにこの場を離れる方が精神衛生上いいと思うし、それは決して否定も非難もしない。みんな、それぞれの信じる方向に進めばいいのだ。でも子供に自分の人生を決める選択肢は選べないのだ。

今日は真冬並みの寒さで、夕方からの電力需要が供給を越えそうになり、大規模停電の可能性があったそうだけれど、皆が節電してそれは回避できたみたいだ。研究日の午後は瀬田の回診もなく、ある防災グッズを購入するべく南町田クランベリーモールに寄った。ところが、計画停電の真っ最中(町田も第5グループだったのだ!)で、モールは薄暗く人もまばら。仕方ないので二子玉川に戻って高島屋SCへ行き新しいLethermanを入手。本日オープン予定だったドッグウッドガーデン(だっけ?)駅ビルのオープニングイベントは中止(週末まで延期)で寂しい感じだったけれど、本家のSCの中は大盛況で、こちらは大震災どこ吹く風って感じだ。

ううーーむ、このインバランス。経済活動を停滞させるわけにはいかないし、この辺りのバランスをとる必要があるんだろう。
今日も思ったけれど、僕らは今現在進行形で「震災前」と「震災後」の大きな生活の価値観のパラダイムシフトを体験しているんだと思う。「無駄を省いた、シンプルだけれど質の高い効率的な生活」とか「みんなが優しい気持ちで人を慮る社会」とか「より安心で安全な社会」とか・・・復興プロセスとともに一気に進むんじゃないか?とも空想する。そんなグランドデザインを描ける政治家の出現を大望する。

March 16, 2011

人類の歴史上、お尻を拭く紙がなくて死んだ人はいない



いい絵だ。是非広く拡散していけばいいなあ。

昨日のエントリーの追加情報というか、アメリカのもっと詳細な福島原発の状況分析の記事 "Successful Failure"。これはMITの学者による解説。ふむふむなるほど、これを読めば事態の重大さはわかるものの、逆に最悪の事態にはならないことに安心はできる。さらに詳細とアップデートに関してはMIT NSE Nuclear Informationにある。なんで日本のマスコミはこういう科学的根拠のしっかりした情報を紹介しないんだろう。似非専門家とかセミプロみたいな批評家ばかり出して不安を煽るのか?本当のプロで第一線の人ならば、現場にいるべきで、テレビに出て眉間に皺を寄せて話しているヒマはないはずだもん。

科学的根拠のある楽観

科学的根拠と確信のある「楽観」は、科学的根拠のない不確実な「絶望」よりは、明らかに前向きの力になる。

アーバンのMLからの転載テキスト:
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これは遠矢先生の弟さんが原子核工学専門家としてまとめてくださったものです。
twitterで流れていましたので共有します。
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@toyayuji
一部の人にはメールで送ったのだけど、まとめてみました。報道から読み取れる少ない情報からの推測だけど、テレビに出てる怪しい「専門家」よりは正確だと思う。

(地震による福島第一原発の損傷状況について)

筆者は原子核工学を専門として大学で4年間、大学院で2年間学び、卒業後も原子力関連のメーカーで10年間仕事していた経験があります。

福島第一原発の状況について、正確でない情報と、素人による憶測が飛び交っている状態の方が危険だと思うので、一応の専門知識を持った専門家として、今把握している情報から推測した意見を述べておきます。

(1) 制御不能→核爆発 はありえない。

日本の原子炉は、核分裂の連鎖反応がワザと起こりにくいようにフェールセーフの思想で設計されています。すべての装置が正常に作動して、完璧に制御できている時は連鎖反応を維持してエネルギーを取り出せますが、装置に異常が発生して、一つでも正しい制御ができなくなると、連鎖反応は維持できなくなり、自然と核反応は停止します。

制御不能→暴走して核爆発 とは絶対になりません。

地震前の通常運転時には膨大なエネルギーを発生していたのに、突然冷却系がストップしたため、しばらくは温度が上昇が続き、炉心溶融が起こる可能性はあるけど、それもすべて「起こりうる事故」としてとして想定内です。たとえ炉心が溶けて燃料が崩れ落ちても、連鎖反応は止まるようにキチンと考えて設計されています。

(2) 「燃料棒がむき出し」とは何どんな状況か

マスコミが「燃料棒が完全にむき出しだ」とすぐにでも外に漏れてきそうな表現で報道していますが、正しくは「燃料棒が冷却水に浸っていない」です。

それでは、燃料棒が冷却水に浸かっていないと何が起こるでしょうか。

冷却水がないと核反応で発生した熱が除去されないので、燃料棒の温度が上昇して、最悪の場合は燃料棒の変形や溶融が起こります。
一方では、冷却水=減速材の減少は、核分裂の連鎖反応の停止を意味します。

ウラン原子は、熱中性子(低速の中性子)がぶつかると核分裂反応を起こして、高速の中性子と熱を発生します。ここで発生した高速中性子がそのまま次のウラン原子にぶつかっても核分裂反応はほとんど起こりません。中性子が減速して、低速の中性子(熱中性子)になって初めてウランの核分裂反応を引き起こす事ができるようになります。そのための減速材=冷却水がない状態では、連鎖核反応は停止します。

つまり、冷却水損失→温度上昇→炉心損傷と進む事はあっても、
それは爆発的な核連鎖反応には直結しません。
ちなみに、いくら燃料の温度が上昇しても、核分裂反応は促進されません。

(3) 何故水素爆発が起こったか

炉心では、高温になった金属部に接触した水が分解されて水素と酸素が生成されています。通常はこのような可燃性ガスを再結合する装置が作動しているので問題ないのですが、今は再結合器が動いていません。

温度上昇で内部の圧力が高まったので、圧力容器内から格納容器内に、格納容器内から建屋内にと蒸気を逃がしているけど、放射化した蒸気も若干含んでいるので、建屋の外に開放する事まではしていなかった。そこで建屋内の水素濃度が上昇して、何らかの原因で引火したために水素爆発が引き起こされ、建屋が壊れました。

建屋が壊れるくらいなら、水素濃度の高まった建屋内を換気して外に放出してしまえば水素爆発は起こらなかったのですが、
ちょっと放射線の計測値が上がっただけでマスコミが大騒ぎするので、わずかでも放射性物質を含んでいる蒸気の開放を躊躇してしまい、
水素濃度が高い状態を放置して、爆発が引き起こされたのでしょう。
結局建屋が壊れて、大気開放状態になってしまうくらいなら、もっと早い時点で外部への放出を決断するべきだったと思います。

今後は水素濃度が高まった時点で躊躇わずに大気開放すれば水素爆発はもう起こらないでしょう。

(4) 現在の損傷状況はどんなレベルか?

元々燃料であるウランは5重の壁で守られています。

(1)燃料ペレット: 酸化ウランの焼結体で、核分裂生成物は内部に留まる
(2)燃料被覆管: 燃料ペレットを束ねて、密閉された燃料棒とする。
(3)圧力容器: 炉心で発生した蒸気を溜めておく鋼製の圧力容器
(4)格納容器: 圧力容器以外の機器もまとめて密閉する鋼製の容器
(5)建屋: 格納容器を入れる建物

水素爆発により(5)は破壊されてしまいましたが、(1)~(4)は健全で、密閉性は保たれていると思います。炉心溶融が起こっているのであれば、(2)の燃料棒も変形したり、破れていたりすると思いますが、(1),(3),(4)はまだ健全でしょう。

チェルノブイリのように、核分裂の連鎖反応で炉心自体が爆発して、燃料ごと大規模に放出されるような事は起こりません。
今後も温度上昇で圧力が高まった際に、蒸気を逃がすと若干の放射化した蒸気は外に漏れる事になるけど、それは大きな問題にならないレベルです。

(5) 放射性物質・放射線による被爆について

一般人は放射性物質に対して潔癖で、少しでも外に漏れると大騒ぎするが、現実は日常生活でも放射線を浴びており、小線量の被爆は日常の出来事です。太陽などでの核融合反応で発生した宇宙線が、常に地上に降り注いでおり、一般生活でも年間数mSvは被爆しています。
宇宙線は大気によって減衰されるので、高地に住んでいる人は平地よりも何十倍も浴びているし、航空機の乗務員も1回の長時間フライトで0.2mSv程度浴びるとの報告もあります。

放射性物質は自然界に存在しない物ではなく、周囲にありふれています。ちゃんと知っている専門家は、毎日の仕事の中で普通に扱ってるし他の職種につく人よりも圧倒的に早死にしたりする訳ではありません。
知らないから怖いと思うのは仕方ないのだけど、マスコミはそれを煽るように過激に報道する事はやめなければいけないと思います。

今の原子炉は、地震で倒壊した瓦礫に足を挟まれている人と似たような状況だと思います。既に救助隊に発見されて、命に別状はない段階に来ているのだけど、早急に確実に命を救うには足を切断しなければならない。なるべくなら足も温存したいので、いろいろと策を模索している状態。

そんなレベルなのにマスコミは、完全な健康体でない事を大問題だと大騒ぎしたり、会見での発言の細かい矛盾点を指摘して揚げ足を取って、責任問題を追求したり、事態を複雑化しようとしている。

現地で作業に当たっている専門家は、まず自分の命を守るためにも、最善を尽くして、最も正しいと思える判断をしているのだから、余計な邪魔をせずに本来の仕事に専念させて欲しいです。

March 15, 2011

「震災前・震災後」の日本人の生活の変化を予感する

明朝は計画停電の開始が6:20からの予定だったので、病院に泊まって準備するつもりだったけれど、19時前に防災放送と東電からの連絡で停電は回避とのこと。その事自体は喜ばしいことではあるけれど、本当に電力事情は大丈夫なんだろうか?こんな綱渡りの日々がどこまで続くのだろう?でも、僕ら社会の中心で動いているおっさんたちが、オタオタしていたらマズい。先が見えない時こそ「ケ・セラセラ」と上を向いて進むしかないのだ。

夜の街を歩いて帰宅したら、街が節電でいつもより随分暗い。たしかに暗いのだけれど、不便なほどじゃない。今までが異様に明るすぎたんだな、きっと。それに街が異様に静かだ。でも、それも世界の日本以外の大部分の国の都市からすれば「当たり前」の静けさだ。つまり、今までの「真夜中まで眠らない街」っていうのが異常だったのかも。夜は家に帰り夕食を食べて家族と静かに過ごす。そんな当たり前のことを僕らが忘れていただけなのかもしれない。この先、当分の間続くであろうこの状況がきっかけとなって、日本人の新しい生活が生まれる予感がする。きっと太平洋戦争の「戦前・戦後」のように、「震災前・震災後」みたいな、生活の価値観の大変換があるだろう。どっちがいいとか悪いとかではなく、「変わる」のだ。

今日、共感したブログ: 被災者の役に立ちたいと思っている若者たちへ
http://chodo.posterous.com/45938410
まったく同感だ。現地の人たちのために役に立ちたいと思っている医師や看護師を初めとした医療従事者はたくさんいる。でも、今はまだその時じゃない。まだまだ延々と続く復興の過程で僕らが出来ることは山ほどあるはずだ。焦らずじっくりと今は自分たちに出来る事をやり続けよう。

石原都知事の発言。リーダーたる者、こんな発言をしてしまってはいけない。鋭い分析だ。

クロアチアの人々


クロアチアの反政府デモ隊が日本大使館前で黙祷。有り難う!遠い国の人たちの気持ちが嬉しい(涙)。

ああ、日本という国の素晴らしさ

 東北の大災害で凹んだ心に響くCMだ。日本という国に生まれ、日本人でよかったなって思える。泣いた。

March 14, 2011

批判をしたり不満を言う前にやるべき事があるだろう


大震災から3日が経った。昨夜発表された「計画停電」の情報が二転三転して、現場は大混乱。病院にとって停電する事は死活問題なのだ。6時すぎにすでに満員になっている電車で出勤。朝からミーティングや打ち合わせなど。マニュアルにない対応にこそ、リーダーシップと日頃からのチームワークが問われる。前例のないことばかりだとすれば、皆でコミュニケーションをとりながら柔軟に動くしかない。

内田樹先輩のブログ(3/13)より部分引用:
(前略)いまはオールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、無能力をなじったりすることは控えるべきだ。彼らは今もこれからもその公的立場上、救援活動と復興活動の主体とならなければならない。不眠不休の激務にあたっている人々は物心両面での支援を必要としている。モラルサポートを惜しむべきときではない。
「安全なところにいる人間」と「現地で苦しんでいる人間」を差別化して、「苦しんでいる人間」を代表するような言葉づかいで「安全なところにいる人間」をなじる人間がいる。そういうしかたで自分自身の個人的な不満や攻撃性をリリースすることは、被災者の苦しみを自己利益のために利用していることに他ならない。(後略)

記者会見で、必死で頑張っている東電の職員を問いつめる「勘違いバカ記者」ども(卑怯な事に社名も名前も名乗らない!)!
コレ↑↑は、君たちの事だ!

それ以上に切実な問題なのは、必要な情報が必要な時に必要な場所にない、ということなのだ。それでも関西淡路大地震の時からすれば、まだましなのかもしれないけれど。これからまだまだこの苦難の道が続くとすれば、今後はそこが一番問題になるところだろう。先の見えない不安は極力小さくしておきたいものだ。現場で必死に頑張っている人たちや、被災地の人たちのご苦労を思えば、東京に居る僕らの苦労なんて取るに足らないものだろう。政府中枢の対応や東電の対応に問題はたしかにあるが、それを今これ見よがしに批判しても何も得る物はないだろう。枝野さんもへろへろだし、東電の連中も混乱の中で必死に頑張っているのだ。無責任はつぶやきは有害無益だ。この国難ともいえる事態に、僕ら一人一人が粛々と「前に進む力」を出していくこと。それが一番大切。

日本という国が潰れてしまうかもしれないこの危機に、(たまたま)遭遇してしまった僕らの世代の責任は大きい。僕ら「おっさん世代」は今、下を向いていていたり、俯いていているヒマなない。今こそ「ぐりぐり」と日々を過ごさずして、いつ頑張るのか!オッサン&オバサン達が、しぶとく元気であれば、大丈夫!、この苦難もいつかは必ず克服できるだろう。

頑張りましょうや、ご同輩!

March 13, 2011

Get Over It!!乗り越えられない苦難はない。


朝から東北の被災地の映像が繰り返しテレビに映されている。直接的な体験ではなくても、あんな悲惨な場面を繰り返して見せられる事で、日本中の人たちが精神的に傷めつけられて、擬似的なPTSDになるのは非常に問題だと思う。どんなに酷い災害だったかという過去を振り返るのはもういいだろう。とにかく今は最小限でいい。今必要なのは、現地の状況と問題点、過酷な状況でサバイブする人たちにとって必要な情報、非被災地の我々は今何をどうしたらいいのか?の情報、日本中の人たちが助け合うためにはどうしたらいいか?の情報を流すべきだろう。訳知り顔の「専門家の解説」とか「高みの見物的な批評」とか「興味本位のインタビュー」は不快なだけでなんの意味もない。何とかしてあげたい、でも、今は静観して待つしかない。忸怩たる想い。でもこれほどの超広域災害だと、被災者の人たちはこれから長期間の避難所生活が待っている。その支援と復興のために、僕らが出来る事はまだまだこれからたくさんあるだろう。とにかく、今まさに災害の現場で必死で頑張っている行政、自衛隊、警察、消防、水道や電気などのライフラインを支える人たちには頭が下がる。長い苦難の道のりだけれど、国民が皆で協力して乗り越えるしかない。この苦難と逆境を契機に、いい方向に向かえばいいのだけれど。

FMサルース「ポトラック・ガーデン」生放送で「おしえてまーく先生」のコーナーで今回の地震について。Eaglesの"Get Over it"をかけてもらった。日本中がGet overするまでには数年はかかるだろう。放送後ジムに行ったらプールはさしあたり3/25まで営業していないとのこと。ふむふむ節電と省エネルギーのためかな・・・と思っていたら、どうやら地震の直接の被害だそうな。営業時間はデパートやモールも含めてすべて18時まで。明日から仕事が始まるとが本格的な電力不足になるので、計画停電とのこと。

気象庁によると、M7.0以上の余震が起きる確率が75%とのこと。うううむ、うううううむ。

March 12, 2011

ニッポン、今こそ、上を向いて歩こう!


何をどう書いたらいいんだろう。今まで生きてきた人生の時間の中で、これほどショックを受け、哀しく無力感を感じるような大災害を経験した事はない。関西淡路大震災の時とは違った茫然自失感。自分と家族、表参道の眼科のクリニックに一晩お世話になったオフクロ、岩手のかみさんの両親も、皆無事であったことは有り難い事なのだけれど。

画像は本当に多くを語っている。
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/massive_earthquake_hits_japan.html

昨夜の臨時当直は睡眠時間2時間くらいのバタバタ。無秩序な交通渋滞もあって一晩中東京の救急車は大混乱だった。さまざまな問い合わせと救急搬送。一晩中PCとテレビを付けっぱなしで情報収集していたけれど、夜が明けてヘリからの撮影画像を放送で改めて観て、愕然とした。突然、あの恐ろしい津波に巻き込まれてしまった人たちの事を思うと、本当に心が痛い。かみさんの生まれ育った釜石の街が、無惨にも津波に飲み込まれる画像を観て絶句する。午後、心身ともにヘロヘロで帰宅。15時過ぎに福島第一原発の一号炉でメルトダウンの可能性についての報道。さらに16時に外枠の建物の爆発。その現場で必死に頑張って食い止めようとしている東電や保安院のエンジニア、自衛隊、警察の人たちのご苦労を想い、東北の方向に向かって僕は手を合わせた。彼らだけじゃなくて、現場で必死になって頑張っている人たちが居るのだ。その後総理と官房長官の会見があって、彼らの言葉を信じれば、格納容器の破損がないことが確認できたということで、まずはほっとした。

アメリカ、イギリス、カナダ、ニュージーランドの知り合いからお見舞いのメールが届いた。

たとえば、イギリスの弟子Markから:
Your english family can not believe the pictures we are seeing
from your beautiful country. We pray you are all safe, we are thinking
about you. Every news station is talking about the calm and bravery of
the Japanese people. Marc-I know that you will be looking after the
injured. I hope that you have not lost friends or family.
The whole world admires you and stands with you,

皆とても心配してくれている。涙が出そうになった。世界中でトップニュースで報道されているみたいだ。アメリカ、ドイツ、韓国、フランス、中国、ロシア、、、世界の国々の気持ちが有り難い。このダメージから日本はどうやって立ち直っていくのか?そのために何をするべきなのか?自分としても、医師としてこの先何が出来るかを、自問しつつ。

さしあたり、さとなお君たちの運動に呼応共鳴して、自分と家族の節電運動に協力することにした。そーだよね、ジムで泳いだりサウナに入ったりする場合じゃないよあ。

March 11, 2011

What a disaster!

午前の外来が忙しく14時からの予定だったカテーテルの手術を、偶然遅らせて14:40ころから消毒を開始し手術を始めようとした時に、ぐらりと来た。ぐらりぐらりと捩じれるような大きな揺れが2−3分続いただろうか。東北の国内での観測史上最大のM8.8。本当にラッキーだったことに、手術を開始していなかったのですぐ中止し、患者さんに影響がなくてほっとした。その後はスタッフと院内を走り回る。皆いつもながらのチームワークで助け合って、迅速な対応をしてくれた。不気味な余震。幸い病院内は大きな被害はなかったことと、昼間の人的に豊富な時間帯なので助かった。横浜の自宅に帰れる訳もなく、結局今週2回めの当直となった(当直予定の医師が来られない)。今に至るまでなにかとバタバタが続いている。

それにしても16時ころの宮城の第一波の津波の映像にはぞっとした。。地震そのものの被害より、その後に起こる津波や火災の恐怖が大きい。震源地が点ではなく線なので広い範囲で被災する未曾有の大災害だ。現在進行形で被害はまだまだ大きくなるんだろう。被害地域から離れているというものの、東京も大混乱。地震そのものの被害というより、交通機関が動かないことや停電で機能不全になってしまったために、都心から自宅へ帰る人たちで大混乱していた。家族との連絡は携帯とメール。携帯や電話は回線制限でなかなか繋がらない。なんとか全員の無事を確認。一番信頼できる情報はNHK、局所的な情報源はTwitterなどのネット。

とんでもなく甚大な被害だ。復旧までにどれだけの時間とお金がかかることか・・・。国家的な災害復旧作業が必要だろう。

March 10, 2011

Active Restな一日。


当直明け。小児科外来の診察台の幅が狭く固いベッドで3時間の断続睡眠。さすがに体中の関節がばりばりで目醒めて、6時過ぎから救急対応。その時は動けるんだけれど、その後の集中力とか活動性が若い頃とは違うんだよなあ。哀しいかな。

朝の病棟回診のあと、疲れた体にむち打って消防署出張所の産業医レクチャーへ。はやぶさ号で移動したのだけれど、途中でショートカットしようと「スケベ心」を出してしまったのが裏目に出て大失敗。逆に15分遅刻してしまった。やっぱりナビを信じるべきだった。レクチャーの後は午後の施設在宅の往診へ。ウルトラスーパー医療秘書あいちゃんに助けられてスムーズな回診。がらがらの東名でふっと眠りそうになったけれど、なんとか無事帰宅。ソファに坐っていたら1時間ちかく爆睡してしまった。夜はジムにて6本軽めに。かみさんは仕事、ゆっつんはダイエット中ということで、晩ご飯は「九葉」で、さとちゃんとサムギョプサム。エネジーチャージ(笑)。

当直明けで、敢て動き回り「アクティブ・レスト」をした一日。さあて、今日は寝るぞ!今週末も忙しい。
画像は最近ハマっているNASAの画像より。この画像を観ていると力が出る。

March 9, 2011

シンプルにして有効な仕掛け絶賛

一昨年くらいからいわゆる花粉症。今日はかなり花粉が飛び交っているみたいだ。人に薬は処方するくせに基本的には薬嫌いなので、とことん自然に任せようとする(自己回復能力を過信している)ために、飲み薬の抗アレルギー薬は本当に辛い時にしか服用しないことにしている。やっかいなことに、僕の花粉症は、日によって場所によって時間によってさまざまなヴァリエーションがあってアレルゲンが特定できない(する気がない)。で、一昨年から時々使用しているのがBreatheRight。その昔アメリカのメージャーリーグの選手が枯草熱Hay Fever対策としてやっているのを見てへーーと思っていたのが、数年前に一般向けに発売になったので、早速使ってみる事にしたのだ。これが実によろしい。僕には合っている感じでしっくりとなじむのだ。それにしても、このシンプルな発想は素晴らしい。シンプルにして有効。それを製品化する構想力とビジネスセンスと戦略も素晴らしい。今年はこれから当分これを使用することになりそう(笑)。最近ではこんなのもあるらしい。欲しいな(爆)。

東京ルール当直中。今日も日中から濃い一日。明朝まであと12時間。今夜はスライド作りもあるし・・・

March 8, 2011

夜の子供達

医師会の理事会からの帰路、22時すぎの電車に小学校4ー5年生の男の子と女の子の集団。NとかSとかEとかの進学塾帰り。まだあどけない子供達だ。放課後に集まって、夕食を挟んで21時過ぎまで授業があるんだろう。遊びを我慢して勉強する事や、競い合って高め合う事や、一所懸命頑張る事は、もちろんすごく大切なことだ。子供の頃から「皆がんばったので一等賞」とか「みんなで一緒にゴールしましょう!」みたいな、絶対にアリエナイような嘘をつくのは良くない。だとすれば、もっと日中の学校できっちりと勉強させて、公明正大に競争する(させる)べきだろう。正論を言えば。日○組主導の「ゆとり教育」に誰も反対できなかった政治の責任も大きい。僕らの時代、つまり40年以上前にも受験はあったし、むしろ人数から言えば今よりずっと多くて、競争はもっと過酷だったはずだ。でも当時の塾は夕食は自宅で食べられたし、もう少しのんびりしていた気がする。10歳で22時といえばベッドに入る時間だろう。今時、その年代の子供達が街をうろうろしているのは、日本、韓国、台湾、中国の都市部くらいかもしれない。むしろ早朝の塾にすればいいのに。そうだ!誰かやらないかな。

March 7, 2011

春の雪と謝恩会

3月の雪。この時期の関東に降る雪は大きめで重く揺れながら降りてくる感じ。気温が低かったのですぐにシャーベット状態になって積もるんだけれど、真冬のさらさらした雪とは違って、ぐちゃぐちゃで風情がない・・・というか汚い印象。昨日3月6日が啓蟄。三寒四温、春はもうすぐか。

今夜は講義をしている看護学校の卒業祝賀会&謝恩会。毎年、この時期に出席している。そして毎年寒いんだ、この時期。厳しい実習と試験に追われる学校生活のスライドとか観ていると、毎年の事だけれどジーーンとする。社会に旅立つナース達の初々しさ。今年ウチに入職する予定の新人3人が上手くテイクオフできるようにするのは、この世界の先輩としての僕らの役目だ。

土曜日のプレゼンの準備をしなくてはいけないのだけれど、あれやこれや話したい事が多くて、まだ全然出来上がっていない。ジョブズの本にもあったように、大切なことはいかに話す内容を削るか?っことなんだけれど、今の時点で逆に増え続けるコンテンツ。多分出来上がるのはよくて発表の前日か?今週は当直もあるし、本当やばいかも(笑ってる場合じゃない)。

インテル長友の初ゴール。「らしい」ゴールはインパクト大。素晴らしい!この人本当に「持っている」かも。

March 6, 2011

未確定だけど遅ればせながら確定申告

午前中はマンション理事会など。種々雑多な懸案事項あり。早いものでこのマンションに引っ越してきて10年なんだな。なんだかついこの前のことのような気がするけれど、10年経てば建物や設備もそれなりに傷んできていろんな不具合が出てきているみたい。管理会社がしっかりしているとはいうものの、それぞれの金額が大きいので「お任せ」というわけにはいかず2時間近く。

四国饂飩で温玉ぶっかけ「牛肉みぞれおろし」のせを頂いた後は、ジムで20本1000m。わりと空いていて気持ちよく伸びる。帰宅後ちょと午睡をとって、今週末の最大の懸案事項の確定申告。去年ちょっとした勘違い(というか見解の違いなんだけれど)で、修正申告を余儀なくされたので細心の注意を払いつつ、領収書や証明書の整理をしつつ、サイトに数字を入れる。今のところ計算上では、例年並みの還付があるみたいだけれど。それは去年だって同じだったわけで今年も予断を許さない。給与や講演料、顧問料など定期&不定期コンガラガって複数のところから所得がある僕らの仕事の場合、本当に確定するのは次年度に入ってからということも多いし。つまり今年も「未確定な確定申告」となるリスクがあるかも(笑)。

夜はかみさんと二人で「鮨さとう」へ行くことになり、鮨二連荘。さあ、充実の週末を終え来週も超多忙・・・ふうっ、頑張らねば。

March 5, 2011

EAGLES東京公演@ドーム


今日はさくちゃんとEAGLES東京公演@東京ドーム。前回2006年のライブの感激が忘れられなくて、今回のライブも先行予約でがっちりとチケットを押さえて、待ちに待ったライブ。一階席のほぼ正面、前から7番目でアリーナの後ろの方より断然いい席で今回は彼らのパフォーマンスをしっかりと観る事が出来た。ドームとしては最高のPAで、前回と同様に素晴らしかったし。セットリストは「ふふふ」な感じ(まだ明日の公演があるのでネタばれしちゃうので書かないけれど)。早い時点でHotel California出しちゃうのに、驚きつつ納得。休憩を挟んだ後半のノリはさすが。どの曲もさすがにきっちりと作り込んでいる。もともと政治的には保守的で再結成後はわりと政治的発言をしている彼らだけれど、今回はもろに「共和党支持」の曲を演奏したりしたのが興味深かった。今年は中間選挙の年だもんね。アメリカ本土のライブではインパクトがあるんだろうな。ドン・ヘンリーがぶくぶくに太っていたのと、グレン・フライが一段と老けたのには驚いたけれど、彼らの歌声とハーモニーはさすがに素晴らしかった。とにかく、どの曲もバンドとしての高い完成度で、おっさん&おばさん達がみんなニコニコで、安心して「ノリノリ」(死語<笑)できる状態で3時間、27曲(アンコール入れて)。やはり、すげーオッサン達だわ。個人的には一番好きな曲Take It Easyが生で聴けただけでも大満足。贅沢な不満だけど、彼らのライブのお約束のTxxxxx Sxxxxxxとか、復活第一弾のGxx Oxxx Ix は演って欲しかったな。それだけがちょっと残念だったけれど、大満足のライブだった。なんだか夢の中の出来事みたいな感覚。

ライブがはけた後は、さくちゃんと末広町「柳鮨」へ。久しぶりに大江君の握る鮨を頂いた。大満足のライブの余韻に浸りつつ、ほろ酔い加減で帰宅した。もう本当にこれが最後の来日公演なのかな。今回のツアーは日本の後、上海に行くらしい(えっ?)。
==========
セットリスト
  Seven Bridges Road
  How Long
  I Don't Want to Hear Anymore
  Hotel California
  Peaceful Easy Feeling
  I Can't Tell You Why
  Witchy Woman
  Lyin' Eyes
  Boys of Summer   
  In The City
  The Long Run

  No More Walks In The Wood
  Waiting in the Weeds
  No More Cloudy Days
  Love Will Keep Us Alive
  Best of My Love
  Take It To The Limit
  Long Road Out Of Eden
  Walk Away
  One Of These Nights
  Life's Been Good
  Dirty Laundry
  Funk #49
  Heartache Tonight
  Life In The Fast Lane

  Take It Easy
  Desperado

March 4, 2011

どうして人気があるんだろう?

AKB48の前○敦○という女の子が、「一番人気」だった(今は違うらしいけど)という件。僕にはごく普通のどこにでもいる女の子にしか見えないし、少なくともオーラとかカリスマ性とか感じるタレントには思えない。それがどうしてそれほど人気があるのかが、すごく不思議。

でも、いろんな人に「あの子って、どうしてそんなに人気があるの?彼女のどこが魅力なの?」と聞いてみても、誰も答えられないしわからない。みんな「どうしてだろう?」と首を傾げるのだ。逆説的だけれど、この「わからなさ」が彼女の一番の特徴なのかもしれない。これまでにもいた「となりの○○ちゃん」的なアイドルは、可愛い「のだけれど」、どこか親近感とか親しみやすさがあるので、ふつうの人が「感情移入」しやすい・・・というのがポイントだったんだろうけれど。彼女に関しては、おっさんには理解不能だ。ま、どーでもいいことだけど(笑)、今後の考察の材料としてメモっておこう。

さあ、明日はEAGLESの東京公演だ!ぐふふ楽しみだなあ。ということで、今週はi-podでの予習に余念がない(笑)。
2005年の東京ドームのライブが音響も構成も最高だったので、明日も期待度120%。昨日の大阪公演に行った人たちのログを読んでも最高だったらしい。わくわく。

March 3, 2011

次世代に遺す「圧倒的な質量」のある作品

先日、建設中の東京スカイツリーが600m越えて世界一の自立型電波塔になったというニュースがあった。ま、それはそれとしてオメデタイ(のか?<笑)ことであるんだけれど、僕は以前から「圧倒的な質量をもって遺される建造物」を作った人たちに対する「無条件のレスペクト」があるのだ。圧倒的質量ある作品とは、今回のスカイツリーとかダムとかレインボーブリッジとか空港とか、だ。あんなに大きいものを作り上げた当事者って、完成の時の達成感は誇らしいものなんだろうな。設計や監査をする人たちだけでなく、汗を流した「名もなき」(といっては失礼であることが重々承知の上で)男達の生き様にシンパシーを感じる。今の時代だから50年とか100年は最低でも、確実にどっしりとした質量をもって「存在し続ける」作品なのだ。音楽とか文章のように、心に残ることで存在意義のある、現実では消えてなくなっちゃうような「やわ」なものとは対極をなすもの。

「あの電波塔の一番上のビスは俺が締めたんだ!」とか、「あの橋ゲタのワイアーを接続したのが俺だ」とか、いろんな思いがあるんだろうな。「あのビルの壁面は僕のじいちゃんが貼ったのだ」なんて子孫がいることになる。都市計画とか土木とか建築とか、なんて素晴らしい仕事なんだろう。

March 2, 2011

スピーチの文化について

先日のアカデミー賞のスピーチとか観ていると、本当にみんな上手だ。もちろんエンターテインメントの世界で名をなしている人たちばかりだから、そのレベルはもともと高いんだけれど、それにしてもみんな巧い。シンプルな言葉と声、間、目線、説得力などなど。アメリカの病院で仕事をしていた時代(1980年代)に、話すプロじゃないごくふつうの職場の人たち(先輩や同僚や学生)が皆、流れるように上手なプレゼン(症例報告や研究発表など)をするのには、本当に感心したものだ。

欧米のスピーチ文化というのもあるかもしれない。イギリス人の弟子のマーク・アシュトン君の結婚式に出席した時には、多くの出席者が実に上手に心のこもったスピーチをするに感銘を受けたし、当日の主人公である新郎のマークが本番直前まで一所懸命スピーチの練習をしているのを見て、僕は英語圏しかわからないけれど彼らのスピーチ文化の深さに驚いたものだ。

「スティーブ・ジョブス驚異のプレゼン(人々を惹きつける18の法則)」(日経BP社)については、去年10月にも感想を書いているけれど、やはり上手なスピーチをするには人知れず準備と練習をすることが大切なのだ。この本のあとがきで解説の外山仁さんが書いているけれど、アメリカの子供達は小さい頃から"Show & Tell"という教育を受けていて、自分のことや家族のこと、日常起こった出来事や、自分の考えた事を人前でクラスの皆に発表させる時間がある。たしかに、ウチの娘達も学校で「きょうのニュース」とかやっていた(英語なのでその準備が大変だった)。人前で自分のことを表現するのは、人生の大切な基礎能力であることを皆は認識しているのだろう。でも、そのポイントは「人前で話すテクニック」を高める訓練ということではなくて、「自分の事を人にわかってもらえる喜びや共感する楽しさ」を学ぶ事なのだ。日本の学校でも同じなわけで、たぶんその先の教育システムと文化が異なっているんだろう。ま、それはそれとして、そういう文化で育った彼らが、さらに訓練と練習で磨きをかけたスピーチは、やっぱり素晴らしいわけだ。 なるほどね。

March 1, 2011

うわっ、かっとび3月

おお、うわああ、今日からもう3月だあ。下四半期の〆をする一ヶ月。年度末のこの一ヶ月は会合が目白押しで何かと慌ただしい。時の流れの速さに驚き、自分の歩みの遅さを嘆くのは、毎年の事なのだけれど。それにしても今年は特別なスピード感。三寒四温で春本番にむかう季節。今日は午後から冷たい雨だった。

勘違いというか事実とは(かなり)異なった誤解と思い込みから、妄想と現実の区別がつかなくなってしまった人がいて、その対応に半日費やした一日だった。まあ、でも、結果的には、そして最終的にはこれで良かったんじゃないかなと。精神的にも身体的にも疲れたけれど、これはしかたない。医者の仕事は患者を助ける事だけではなく、そのご家族もケアすることなのだから。夜は医師会&行政の説明勉強会。