March 18, 2011

ニッポンのおーでぃなりー・ぴーぽー Ordinary Peopleの底力


震災から1週間経った。いつもはあっという間に感じる一週間という時間が、スローモーションのように、すごく長い7日間だった気がする。それぞれの人生で一生涯語り継がれる「今」を、当事者として僕らは生きている。

信じられないくらい凄惨な大災害の光景に言葉を失い、途方にくれる被災者たちの姿に心痛め、今まで盤石だと思っていた自分たちの日頃の生活が、いかに脆く不安定なものだったのか痛感しながら、僕らはただ呆然と立ち尽くしていた。僕らの社会がそんな危機的な状況で、自分に何が出来るのか、ずっと自問し続けた。あまりにも無力で、今すぐに何も出来ない、してあげられないもどかしさ。忸怩たる思い。それをみんなで共有しつつ1週間が過ぎた。そう、長い7日間だった。

セチガない世の中といわれ、無機質でドライで、自分の事ばかり考えている人たちばかりの無縁社会であると、自虐的になっていた日本の社会。でも、今のように最悪の状況であっても、秩序と礼節を保ち、困っている人を自分の家族のように慮り、一所懸命努力すればいつかまた明るい未来がくることを信じている「日本人の精神性の根っこ」は、昔となんら変わっていなかった、ということなのだ。それを今、皆が気付いたのではないか。

被災地で御苦労されている人たち、それを必死で支えている人たち、原発の修羅場で懸命に頑張っている人たち...et al に深く想いを馳せながら、これからの日本の未来のために、復興のためにそれぞれ頑張る決意に燃える・・・大多数の僕ら「おーでぃなりーぴーぽー ordinary people」。今こそ、その底力を結集する時だと思うのだ。

僕ら、日本の「おーでぃなりー・ぴーぽー」のレベル(教育程度、倫理観、協調性、勤勉さ、技術力、社会的常識と思いやり...etc)は間違いなくダントツ世界一だ。大丈夫、日本はくじけないし、決してこの状況に負けたりしない。そう信じるだけの器量と社会的な蓄積と、世界的な信用は、今までの先人たちの血の滲むような努力で十分に積み上げてきたではないか。今こそ、先人たちの努力に感謝し、それを信じて頑張っていこう。

そして震災後の新しい社会的価値への変換は、今までの生活の負の部分を正しい方向へ進むベクトルを生み出すきっかけになればいいと思う。災い転じて福となす。長いタームでみれば、すべてに塞翁が馬なのだ。真面目に、慎ましく、健康的に、自然と共生しながら生きていたかつての日本の良さをもう一度見直し、高い技術力と世界一の民度の高さで「より効率的」で「人間に優しい」社会を目指すのだ。これからが本当に長い道のりとなるけれど、その先にはきっと素晴らしい日本が待っている。