December 31, 2011

2011大晦日

今年がこんな年になるなんて、一年前の大晦日には考えもしていなかった。忘れちゃいけない1年となった。 311の衝撃。自然の脅威を前にして僕らは言葉を失い茫然自失した。その後の怒濤のような日々。54歳。人生の折り返し地点をとうに過ぎて、世の中の事を何でもわかっているようなフリをして生きていた自分。実は何にも理解していなかった。謙虚さと感謝を忘れ、ぬくぬくとした毎日を過ごしエラそうに生きていた自分の未熟さと無力さを実感した年でもあった。今までの自分の人生で積み上げてきたもの(それはとても些細なものなのだけれど)を、どうしたら未来のために役立てる事が出来るのかも考えた。個人でやれる事はささやかな事だけれど、僕らオッサン世代が今こそ率先して動かなくてはいけないと感じた。俯いてどんよりと泣いている時間はない。人生の時間は限られているのだ。 日本と日本人にとって、これからもさらに厳しい現実が待っている。でも新しい仕組みや価値観を創るには、このピンチがチャンスになるかもしれない。 日暮れて道遠し。まだまだ精進が足りないんだけれど、進むべき方向は少し判った。 人生はエンジョイしなくては(とことん味あわなければ)いけない。
今年は助けあいジャパンの活動を初めとしたソーシャルメディアを通して、今年は本当に多くの素晴らしい人たちとの出会いがあった。有り難い事だと思う。 皆様、本年はお世話になりました。ありがとうございました。 2012年もどうぞ宜しくお願いします。 Marc

December 29, 2011

年の暮れに託す思い

世の中の多くの企業は昨日が仕事納めなんだろう、朝の通勤の電車はがらがら。だいたい通常の60%くらいだろうか。午後からは研究日。施設在宅はお休みなので有楽町で所用を済ます。正月を前にして何となく街が華やいでいる感じ。クリスチャンの宗教的な基盤がない日本人にとって、クリスマスは作られた商業的イベントではあるけれど、お正月は違う。年の暮れの正月を迎えるワクワク感はいくつになっても特別だ。2011年という年は僕にとって非常に大きな年だった。震災の体験は日本人としてのアイデンティティを見つめるきっかけになったし、未曾有の出来事に際して人生の儚さや自分の生きる意味みたいなもの、天命、運命を考えた。死ぬまでの限られた時間を意識したのも今年だ。人生はエンジョイしなくてはいけない。享楽的に生きるのではない、味わって(エンジョイ)して日々を過ごそうと思った。日本人にとって年越しは4月1日とともに「節目」であり、精神的なリセットのきっかけとなる。2012年をいかに生きるか。やるべき事、やりたい事がいっぱいある。そんなことを考えつつ、その後は板橋のオフクロのところに見舞いに顔を出した。

December 28, 2011

NHKオンデマンド

遅ればせながらNHKオンデマンドに登録して、さっそく番組を購入した。見逃した番組やアーカイブされた昔の名作などを見放題。これはスゴい。ドキュメンタリーの質の高さ、ドラマのお金のかけ方、ニュース番組の情報量など、やはりNHKの信頼度(情報のcredibility とかreliability)はダントツだと思う。まあ国営放送として「多少の胡散臭さ」とか「官僚的な固さ」もあるかれど、最近じゃサラリーマンNEOみたいなゆるゆるの番組なんかもあるし、この人たちは真面目なのか不真面目なのかよくわからない面白さがある。垣間見える衆愚主義のようなもの(ウチら優秀だもんね、いっぱい知っているもんね...という感じ)もあるんだけれど、それでも番組の質は民放と較べるまでもなく高いのだ。以前2008年に「NHKスペシャル」に出演して感じたのは、彼らのちょっと恣意的な編集方針で、意図する主義主張に誘導させられるコワさではあるけれど、その意味じゃ民放のほうはスポンサーやグループ本体の商業主義の縛りがあるわけで、マスコミというものはそういうものなんだろう。さはさりながら、NHKの番組がオンデマンドで見られるメリットは大きい。問題はそれを観る時間がないことだ(笑)。

December 27, 2011

Enoughということ

毎年この時期になると思い出すストーリー。メキシコ人の漁師とアメリカ人のビジネスマンの会話。 浮き世に生きるという事は、すなわち消費欲を最大限に肥大化させられることで、その中で「足るを知る」ということはなかなか難しい。でも、この歳になりそれなりの社会的な立場で世の中を多少なりとも俯瞰して見られるようになると、この寓話の真理に合点がいくようになる。その教訓として、「アメリカ人の資本家は愚かだ」というのも誤っているし、「だからメキシコの漁師であるほうがイイ」というのも安直過ぎる。というか、両方とも正しく、両方とも誤っている、というのが教訓だろう。そのくらい人がこの世の中で生きていくのは楽じゃなく、それぞれの価値観からしか見られない。コインの表裏。

December 26, 2011

僕らは何ができるんだろう?

悲しい話を読んだ。「東日本大震災:67歳、仮設住宅で孤独死…9カ月の朝」(毎日新聞12-26-2011) =====  東日本大震災から9カ月の今月11日、津波で妻を亡くし福島第1原発事故で故郷を追われた福島県双葉町の男性(67)が、白河市の仮設住宅で亡くなった。独り暮らしで、冷え込んだ朝に風呂場で心臓発作を起こしたとみられる。(中略) 双葉町で生まれ育った男性は、左官業や農業で生計を立ててきた。3月11日、津波に流され一命を取り留めたが、一緒にいた妻は泥水を大量に飲んで亡くなった。4月上旬から避難生活を始めた。家族、自宅、故郷を一度に失い、初めは言葉少なだった。そのうち男性が中学にほとんど通えず字を書くのが苦手だと知った人たちが、災害弔慰金の申請などを手助けするようになった。避難住民は「お世話になっているお礼に」とホテルの庭や道の草刈りボランティアを始めた。男性はリーダーを任され、炎天下で率先して汗を流した。自治会長を務めた天野正篤さん(73)は「悲しみをのみ込み毎日ボランティアに打ち込む姿に、『自分も頑張らないと』と思った人は多かった」と振り返る。(中略) 周囲にはよく「春になったら、また草刈りに行かないと」と話していた。(中略)再会イベントを楽しみにしていた男性は、亡くなる前夜、仮設住宅の友人にこう話していたという。「ひげ生やしたままだとみんなに笑われっから、明日の朝に風呂さ入ってひげそんだ」===  彼がどんな状況で最期の時を迎えたかのかと思うと、悲しく、切なく、やりきれない気持ちになる。 先日の東北の旅で会った助け合いジャパンの仲間が、いかに仮設住宅が寒いかについて話してくれた。薄い壁、はっきり言って安普請。すきま風はガムテープを張って凌いでいるらしい。全戸にエアコンは付いているらしいが、東北の厳しい冬にはこれだけでは厳しい。ましてやお年寄りや幼いこども達にとっては厳しいだろう。石油ストーブや電気カーペットの支援もあるらしいけれど、電気代や灯油代を心配して我慢する人達もいるらしい。東北の人たちは我慢強いし、彼らにもプライドがあるだろう。医師として何かできることがないか?支援する方法として何かないか?を今考えている。仮設住宅とはいえ、仮の人生というのはないのだから。
画像は先日訪れた野蒜小学校のボランティア用の仮設住宅。この住宅は気密性が高く温かそうではある。さすが寒冷地のドイツ製。でも実際には寒いんだろうな。

すべて中途半端でダラダラと過ごした日曜日

昨夜遅くに東北から帰宅してから、妙に気持ちが昂ってしまい夜遅くまで駄文を書きながらちびちびと飲みつつ、被災地の事を考えていた。 久しぶりのアポなし日曜日の起床は8時すぎ。本来の予定では、年賀状を作る事と家の大掃除をすることだったんだけれど、ネットを見たり調べ物をしているうちに昼になってしまった。昼ご飯はパスタ。ちょっと閃いて頂きものの天然物の鰻白焼きを使ってペペロンチーノと和えてみたら、これが存外美味しかった。午後からちょっと外出し帰宅したら「報道の日」ということでTBSが震災の特集「記憶と記録で残す東日本大震災」。震災の起こった時間に記録された映像を時系列に流すという番組。昨日までの現地の体験もあって、テレビから離れられなくなってしまった。制作サイドの想いもあるし(視聴者を釘付けにするという意味で)秀逸な企画なのだけれど、さまざまな記憶が蘇ってきてちょっと辛い気持ちになった。けれど、現地の人はもっと辛いんだろうなと。ただ番組の構成上のCMでの中断が多すぎ。ま、これは仕方ないんだけれど。 夜はかみさんと神田小川町の「川菜館」へ。食事後は東北のボランティアツアー「クリエーティブの可能性」に行っていた末娘のさとちゃんを迎えに麻布十番へ。甘ちゃんの彼女にとっては今回で2回目の東北ボランティアなのだけれど、今回も色んな人とふれあい語り合って得るものが多かったようだ。これからも多くの若い世代にどんどん被災地のボランティアを体験してもらいたいと切に思った。 で結局、大掃除は殆ど出来ず、年賀状は完成せず。ジムにも行けず。すべて中途半端に終わった感じの最後の週末。やれやれ2011年らしい年の暮れだ(笑)。

December 24, 2011

東北行き2日目

6時すぎに起床して朝の散歩に出ようとしてあまりの寒さ(氷点下)にビビって退散して大浴場へ直行。この時間でも朝風呂のお客が結構いたのには驚いた。仙台は当分復興景気が続くのだろう。朝ごはんのバイキングも美味しく及第点。9時出発。今日は東北自動車道を北上して一ノ関から陸前高田へ。陸前高田の津波にのまれた広大な土地には今改めて驚いた。震災直後の瓦礫の山はキレイに分別されて、今はかなり撤去されている。今は静かな美しい海に面した街。かつては繁華街だったところや住宅街などの生活の場が「何もなくなってしまった」と表現するしかない広大な空間。 正午すぎに情報レンジャーのいしじゅんたちと助けあいジャパンのメンバー、さらにはぼボラツアの学生たちのグループと落ち合う。さとちゃんが参加しているけれど、「父兄参観」(笑)みたいなのはイヤだろうし、とくに声をかけず。
7万本あった高田松原でたった一本だけ残った「奇跡の一本松」を見るのは初。復興のシンボルとして一所懸命メインテナンスしていたにもかかわらず、力つきて枯れてしまったという。その松をクリスマスイブにライトアップするということで、ボランティアが動いてる。時間的に今夜のライトアップのイベントに立ち会うことは困難で断念。Ustreamで見ることにする。復興のシンボルの一本松は枯れてしまったとしても、その移植養殖で松林が再生するプロジェクトがあるのは素晴らしい。学生たちもそれに関与する事が出来て有意義な体験になっただろう。今夜のライトアップは様々な想いを込めたものになっただろう。
広田半島に寄ってから気仙沼を経由して仙台へ戻るロングドライブ。今回は星野夫妻とそのお友達のUさんとの4人で移動した。限られた時間ではあったけれど、被災地の今を心に焼き付けることができ有意義な旅になった。今年を一区切りの総括する意味で。

December 23, 2011

東北に来ている

仙台でレンタカーをピックアップして三陸の海岸線を廻った。今日は石巻、女川、牡鹿半島、松島。海岸線の瓦礫の山もかなり片付けれれてはいるものの、津波で洗い流されてしまった広大な空間に人がいない。復興と一言でいっても、まだまだこれから。やっと片付けが済み、何かを始める準備ができた、という程度。この何もなくなってしまった土地で本当に人が戻って来て生活が出来るようになるまでには、ここまでも大変なことだが、これからの方がさらに何倍かの労力と精神力が必要になるのだろう。
画像は「復興2号」@野蒜小学校と再会。「赤べこプロジェクト」@横浜レンガ倉庫で中古の軽自動車を被災地に送る運動に些少ながら寄付させてもらって書いたメッセージ。一応記念撮影。
冬の夕暮れはつるべ落とし。あっという間に暗くなる。高い所にある(感じの)東北の空は一気に夜になる。夕日に向かって松島経由で仙台方面へ戻る。 仙台のアパヴィラホテルは、あのアパホテル系で実は正直あまり期待していなかったけれど、清潔快適で合理的な作りで値段もリーズナブルで驚いた。露天風呂なんかもあって、小さなビジネスホテルとは一線を画するレベル。あれはウケるだろう。晩御飯は、近藤商店というコメントがあったけれど、看板なしの一見さんお断りという情報にビビって断念。さとなお君のサイトから調べて牛タンの雅。地味な雑居ビルの地下一階にあって、ずいぶん道に迷ってしまった。さすがに、牛タンづくしでどれも美味&大満足。EXILEのメンバーのお気に入りのお店で、仙台に来ると食べにくるらしい。もう4回も来てくれたんです、とうれしそうにお店のおばちゃん。

December 22, 2011

極私的な今年の総括としての東北行き

今年もあと10日足らずで終わる。2011年という年は忘れられない年になった。1945年の太平洋戦争の敗戦を境とした「戦前戦後」という大きなパラダイムシフトが、近代日本の一つの区切りだとすれば、今年の311を境に日本の社会は「震災前、震災後」で確実に別のステージに移ったと思う。 最近15年の日本の経済の衰退と日本社会のシステムの制度疲労についてはすべての日本人が「同時代的な心象」として「なんだヘンだなー、やばいなー、このままでは・・・」と感じていたと思う。そこにあの巨大で破滅的な大震災と原発事故が起こった。まだまだ復興までには長い道のりが待っている。 311からの恐怖心と虚無感を皆で共有して、日本社会は確実に変わったと思う。それが日本人の「絆」という人もいるだろうし、「新しいシステム」という人もいるだろう。内側に向かうナショナリズムもあるかもしれないし、個人的な宗教的体験として自らの人生を考えた人も居るだろう。僕自身はどのように変わったのかはまだ総括できていないのだけれど。 個人的体験としては、4月に医療支援で現地に赴きやっと復旧の始まった被災地の姿を見たし、そこで微力ながら医療支援をおこなったことは大きな事だった。人生の折り返し地点をとうに過ぎて「もう世の中のほとんどの事がらがわかったような顔をして生きている」くせに(笑)、実際の自分がいかに小さな存在なのかも感じた年だった。 また、助け合いジャパンの活動を通して多くの素晴らしい人たちと出会えたし、SNSを通して世代や立場や職業など「個人の属性」を超えた人たちと、広くフラットな関係を作る事が出来たのも今年の大きな出来事だった。 ということで、明日からもう一度被災地を訪れてみようと思う。 今年を締めくくるためにもどうしてもやっておかなくてはならない事のような気がするから。

December 21, 2011

心優しき天使達

毎年恒例のキャンドルサービス。看護部が中心となって心のこもった手作りのカードを渡しにキャンドルを灯して入院中の患者さんのところにうかがう。患者さんの顔がぱーっと明るくなり微笑んで頂いた時、彼女たちの微笑みがさらに明るく輝く。病んだ人を癒し,喜んでもらえるために本当に彼らは献身的に仕事をする「看護」のプロ。それがナース。仕事は過酷で常に緊張を強いられる。体力的にも精神的にもタフでなければできない、ハードな職業だ。ナイチンゲール憲章を開くまでもなく、看護の基本の精神は博愛だ。ジェンダーの難しいことは置いておいてナースの本質は母性だと思う。医師が科学(理系)偏重の医学教育で医療を学び、「父性」的な立場で仕事(いうまでもなくそのパターナリズムには問題が多い)をするのに対し、ナースはまず文学(文系)とか(精神論や宗教や哲学)から学びに入り、技術としての科学的な看護を「実践する」ことでキャリアを積む。 「あなたはナースのことを理解しようとしていない。ハナから医師の方がエラいと思っている」云々と僕の発言に対して、ナースであるかみさんから指摘されて、それが引き金となって若い頃はよく喧嘩をしたものだけれど。
さはさりながら、うちの天使達は本当に素晴らしい。

December 20, 2011

ヌーベル京料理@Cafe de Isis

北朝鮮の金正日の死去。メディアで伝えられる北朝鮮の人たちの悲嘆にくれる姿。かなり異様だ。集団ヒステリーそのもの。トンデモナイ国のトンでもないシステムに翻弄される人たち。ただ、それを観ていて思った。先進諸国が北の人民が一方的に不幸だというのは真実とは的外れな気がする。彼らは独裁国家の鎖国の価値観の中で生まれ育ち生活しているので、自分を(もしかしたら)そんなに不幸だとは感じていないのではないか?と。外の世界を知ってしまった人たちにとっては地獄の世界だろうけれど。だから外から僕らが独善的に「あんたたちは可哀想だ」と思うのは誤っている。それにしても今後の朝鮮半島はどう変わるは要注意だ。
夜は医師会の移動理事会@Cafe de Isis. 自由が丘の一軒家レストラン。なんとヌーベル京料理。一品一品にサプライズのある料理だった。ランチの予約はなかなか取れないらしい。

December 19, 2011

水風呂の正しい入り方

忙しい年の瀬の月曜日の仕事を終わり、いつものように8時すぎにジムへ。10本500m を軽めに気持ちよく流してお風呂エリアへ。ジャクージでまったりとしてから、いつもの様にぬるめのシャワーを浴びてから水風呂へ。僕は通常サウナの後ではなく、前に水風呂に入ることにしている。サウナ後は冷水シャワーのみ。水風呂の効用は泳ぎとお風呂で温まった身体をクールダウンすることで、僕はいつも後頭部まで漬かって頚を冷やす様にしている。というか、水風呂というものはそういうものだと思っている。本場の北欧やロシアではサウナからそのまま外に出て、プールに飛びこぶのが普通だというし。日本の場合、どこのジムやサウナに行っても水風呂の浴槽はそれ故に深いのだ。ところが、今日先に入っていたジジイが一言。「あんた、頭まで入るなんて非常識だ。やめてくれ」とのたまう。深く頚まで漬かっているだけで潜っている(笑)わけじゃない。初めはそのジジイが何を言っているのかわからなかったけれど、どうも水風呂をふつうの風呂の浴槽と同じように考えているらしい。ジジイとそこで議論する気はないし面倒くさいので「あ、すみませんねえ、へへへ(意味不明の笑い)」で先にでてサウナに向かった。たしかにサウナから出てシャワーも浴びずに水風呂に飛び込む輩や、水に潜っている輩もいて、僕もたまに「いやだなあ」と思うことがあるけれど。あの勘違い唯我独尊的なジジイの態度は思い出すとムカムカする。とまれ、人というのは「自分の常識が世間の常識だ」と思いがちなんだろうなあ。人のフリ見て我がフリ直さねば。

December 18, 2011

鳥精進酒精進だって

入院中の知人のお見舞いがてら伊豆の河津峰温泉へ。小学校の悪ガキ3人組だったトシピロとケイイチロー、中学から今に至るまでの親友じょうじの4人のオッサン道中。夜到着して河津駅の近くのお店で忘年会。わいわいがやがやと楽しくバカ話をしながら酒を酌み交わす。ガキの頃からの知り合いである彼らと、今でも(今こそ)仲良くツルんでいられる幸せ。 ところが、「鳥精進酒精進」という彼の地にとっては特別な夜ということが判明した。我々よそものにとっては関係ないといえば関係ないだけれど、24時過ぎたらお酒は飲めない(笑)。
以下Wikipedia=== 河津の鳥精進酒精進(かわづのとりしゅじんさけしょうじん)は、静岡県賀茂郡河津町田中の杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ、河津来宮神社とも)の氏子の間に伝わる風習。伊豆七不思議の1つである。昔、河津の郷に杉桙別命(すぎほこわけのみこと)という武勇に優れた男神がいた。 ある日のこと、命が酒に酔い野原の石にもたれ眠っていると、そこに野火が起こりあっという間に周りを囲まれてしまった。 そこに無数の小鳥が飛んできて河津川から水を運び火を消し、命は難を逃れた。 この出来事の後から杉桙別命は、酒を慎み村人にも一層慕われる事となった。 この伝習に由来して、河津では命が災難にあった12月18日から12月24日の間 鳥を食べない 卵も食べない お酒を飲まない という「鳥精進酒精進(とりしょうじんさけしょうじん)」が守られており、この禁を破ると火の災いに遭うと信じられている。 === 泊まったのは「菊水館」 ケイイチローの知り合いの紹介。カジュアルな温泉旅館で実にリーズナブル。気持ちのいい露天風呂と真冬でも泳げる屋外の温水プール(ニュージーランドみたいだ!)もあって、日頃から口うるさい僕らオッサンたちを唸らせた素晴らしさ。河津桜のころがピークらしい。
朝イチでご飯前にさらりと気持ちよく泳いで、ゆったりと朝ご飯の後、例の由緒ある「杉桙別命神社」。いい雰囲気の静かな佇まいの神社。この御神木(天然記念物の樹齢1000年以上といわれる)楠のパワーを気持ちよく感じた。訪ねて良かった。
熱川温泉病院にお見舞いをしてから東に向かい、真鶴小田原道路のいつもの渋滞にハマって2時間以上かかってケイイチロー推奨の鰻の名店「小田原・友栄」へ。ここで白焼きと鰻重。「青うなぎ」は脂が乗っていて肉厚で美味しかった。充実の週末。画像など。 神社の写真とプールの水面の写真はわりと上手く撮れている(自画自賛)/w

December 16, 2011

家ご飯の素晴らしさ

師走。この季節の典型的な忙しさ。それにしても今日は朝イチから帰宅まで凄まじく忙しかった。手術が長びいて行く筈だった歯科はキャンセル。ヘロヘロになった時はジムで泳ぐのが一番なんだけれど(アクティブレスト)、残念ながら金曜日は定休日。仕方なく直帰する事にした。

考えてみれば今週は家ご飯は一度もなかった。熱々のご飯、みそ汁、お漬け物、そめたか君から頂いた奥様の故郷の秋田の佃煮。秋田の佃煮は絶品で、ほんのりと優しい甘さと滋味溢れる上品な旨味が美味しい。昨年頂いてその美味しさに感激した。かみさんも娘たちも大好物で大喜び。メインは、これも頂き物の広島牡蠣。ゆっつんが鉄板でバター焼きを作った。こういうシンプルな「家ご飯」の素晴らしさを認識したのは最近で、50歳過ぎてから。銀行の役員で連日夜の接待だった亡父が、たまに家でご飯を食べると「ああ、こういう普通のメシが一番美味いんだ」と言っていたのを憶い出す。

December 15, 2011

Let it be! ということなんだね。般若心経

さとなお君のFBでシェアした「般若心経 新訳」。湯河原の家で、毎朝読経する曾爺さんの隣にちょこんと坐っていたら、いつの間にか般若心経を暗唱してしまったヘンな子供だった。大人になって般若心経を改めて読んでみて、読むたびに新しい発見があることに驚き、その深さと広がりにここ5年くらい、精神的に辛くなると写経をしている。先日の台湾でも台湾版の般若心経の写経本を買ったし。不思議と心が落ち着く字列と言葉の響き。で、この新訳(超意訳)はアリだと思う。読んでいるとハハハと笑いつつ、すーーと腑におちる力がある。

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな。
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

羯諦ぎゃーてー行きて
羯諦ぎゃーてー行きて
波羅羯諦はーらーぎゃーてー悟りの彼岸に行きて
波羅僧羯諦はらそーぎゃーてー悟りの極みに行きて
菩提薩婆訶ぼーじーそわかー悟りよ幸あれ
般若心経

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

December 14, 2011

元赤坂 ながずみ

友人夫婦に、元赤坂「ながずみ」にお連れいただいた。
最年少でミシュランの☆を貰ったというオーナーの料理は、(朝からそれが楽しみで、ムフフフと一人笑いをする位)最大限に膨らんだ僕の期待にしっかりと応えてくれた。10席たらずのコの字形のカウンターはその若い料理人・小河さんのステージだった。手間ひまかけた下ごしらえと想像力をかき立てられるユニークな料理。客の期待にしっかりと応える誠実で真摯なオーナーの態度にも好感が持てたし、客に媚を売らない潔さも気持ちよかった。

写真を撮るなんて野暮なことはせず一品一品を楽しませて頂いた。ああ大満足。すべての品が美味しかったけれど、ここでは個々の感想は書くまい。僕の貧弱なボキャブラリーと文章ではあの素晴らしさを表現できないので。でも〆の鯛茶漬けの素晴らしさだけは書いておこう。今までの人生で経験した中で、最高の〆のお茶漬けだった。完璧に炊いた佐賀産のお米も秀逸。ダイエット中なので、初めはご飯2/3でお願いします!なんて言っていたのに、あまりの美味しさに恥ずかしげもなく「お代わり」をしてしまった位(笑)。あれだけでご飯3杯いける。

シャンパン、吟醸冷酒、焼酎(芋)と進んだのだけれど、酒に関するオーナーのサジェスチョンがまた絶妙で、これも特筆すべきだと思う。別れ際に話をしていたら、なんとかつてはウチの病院の近くに住んでいたとのことで、何回か僕も会った事があることが判明。ああ、そういえばあの時の!と大爆笑。本当に楽しく美味しく素晴らしい時間を共有できた夜だった。Thanks, God!

December 13, 2011

絆についての雑感

今年の文字は「絆」。大震災や原発事故という未曾有の危機の渦中にあって、今日本で生活している僕らはまさに国難に直面している。日本中、さらには世界中の人たちの気持ちが繋がった1年だったと僕は信じたい。ある意味照れくさい言葉ではあるけれども、今年は「絆」を感じ力付けられたと思っている。震災というパラダイムシフトを体験し、新しい「震災後の日本」のエンジンになるのは若い人たちだろう。

彼らをサポートする責任が僕らおっさん&おばさん世代にあるのだ。そう思っている。

そんなこんなで、今日のHさんのFBで紹介していた『「絆」連呼に違和感』(毎日新聞)という文章(斉藤某という精神科医&評論家)に腹が立って、僭越ながら反論した。

僕はこういう言葉の遊びを、したり顔でいう輩は大嫌い。ウチら左翼系知識人はちょっとオメーらとは違うのさっていう、上から目線の浅薄なニヒリズムというか。精神科医にいるんだよなあ、こういうタイプ。それでいて、自分達のことは「さておき」ってやるんだ、奴らは。

僕は本当にこういう「高見の見物」をする似非左翼が虫唾が走るくらい嫌いなのだ。久しぶりに本気で怒ってしまった。べつにHさんに楯突く訳ではないんは決してないのだけれど。

別件で、「ばんそうこう」の「ばん」は「絆」なんですよ、とFB友達から教えてもらった。商売道具なのに(笑)、寡聞にして知らなかった。ああ、確かに「絆創膏」だわ/w

December 12, 2011

感激した!素晴らしいパフォーマンス@忘年会

毎年恒例の職場の忘年会。今年は某ホテルの宴会場。実はあまり雰囲気とかサービスとか料理の味とかについては期待していなかったのだけれど、実際にはなかなかよかった。100人という規模にしては広めの会場も良かったし、いろんな人達と話ができたのがよかった。皆楽しんでくれたみたいだ。圧巻だったのは、看護部(幹部)の出し物で、内容を事前に誰も知らなかったこともあって、出席者全員が唖然として大感激。素晴らしいレベルのダンスに正直驚いた。あれは「余興」のレベルを遙かに超えてた。皆が「なりきっちゃている」のも素晴らしかった。この忙しい日々の生活のなかで、いつ準備をして練習してたんだろう?彼らの「皆を楽しませたい!」という気持ちがびしびしと伝わって本当にうれしかった。いんちょが大したことない分、素晴らしい人たちがスタッフとして集ってくれているという幸運に浸りながら、最終電車ラス前で無事今年は帰宅。

December 11, 2011

歩くために歩いた日曜日の午後

気持ちのいいスコーンと抜けた青空の冬の日曜日。名古屋から帰り、年末に向けてこれからが忙しい。今週は毎晩夜の用事が入っているので、ジムに行けそうもない。ということで歩く事にした。法事の用事でデパートの外商に行かねばならず、10時の開店とともに用事を済ませてから歩き始めた。今日の目標は30km。唯一のルールは日没まで立ち止まらないで歩き続ける事。

たまプラ〜溝の口〜二子玉川〜駒沢公園〜駒沢通り〜中目黒〜代官山〜青山通り〜赤坂〜麹町〜市ヶ谷〜九段〜神保町と歩いた。27.8km , 4時間35分。平均で6km/h, 9分30秒/km、今日はトータルで1990Kcal消費。全然楽勝。このペースならまだまだ行けると思った。休日に40kmなら全然問題なさそう。次は5時間40kmを目標で歩いてみよう。今日も何にも考えずに、いっぱい考えた。エンドルフィンがたくさん出たと思う。このナテュラルハイはくせになる。

僕の人生の不得意科目(たくさんある!)の一つに、実は長距離走があって、フルマラソンを走る連中を、羨望と嫉妬を感じつつ眺めていたのだけれど、もしかしたら、「やればできるかもしれない」という「希望の光」がうっすらと見えてきたかも(笑)。

神保町に到着し、三香園に直行。トイレを借りて着替えてから、朝からV8のジュースとタリーズのホットドックだけだったので、ビールと餃子で自分ご褒美(笑)。たまプラに電車で戻り、ジムのジャグージ&サウナでまったり。至福の時。

たまプラから渋谷まで/ 時間 3:21:41, 20.37 km, マップ: http://j.mp/u2DE2e, 平均 9:54 /km, 1402 カロリー.

渋谷から神保町まで/時間 1:12:57, 7.37 km, マップ: http://j.mp/uLOLE9, 平均 9:54 /km, 588 カロリー.






December 10, 2011

三回忌&親孝行


三回忌。滞りなく無事終了。八事のお墓は曾爺さんの作った立派なお墓で、真南を向いている。お参りをしている間中、温かい陽光が背中側から当たりとても気持ちがよかった。このなんとも不思議な感覚は昨年も感じた。ご先祖様の温かい視線を感じるイメージというか。僕の貧弱なボキャブラリーで言語化すると陳腐になってしまうのだけれど。日頃不義理をしている親戚というのも有り難いものだと、こういう機会に認識する。御清めの席で、孫娘達4人に囲まれ幸せそうなゴッドマザーの図。これも親孝行だろう。

三周忌で名古屋に来ている

おやじの三回忌で名古屋に来ている。2009年の暮だったから、もう三回忌なのだ。亡くなる直前まで入っていた介護マンションのクリスマス会に出て、アルコールも飲んでタバコも吸って、入浴中に昏倒し救急搬送された。半年前から病気はわかっていたが手術は選択せず、いつかは来るその日がまさにその日だった。搬送された病院のICUで、家族と会話をして「少し疲れた。お前たちも少し休め」と言って目を瞑り、そのまま永眠した。苦痛もなく直前まで好きなように生活し、家族に看取られ別れを言って、静かに人生の幕を引く。理想的な死に方だと思う。暮れということもあり近親者のみでの密葬となるタイミングも彼らしい。正月休みで家族一同が精神的にリセットできるというタイミングも絶妙だった。さすが我が父、波乱万丈で特に晩年はいろいろあったけれど、あっぱれな人生。僕も人生の折り返し地点をとうに過ぎて、煩悩に惑わされまだまだ未熟な自分を痛感するとともに、どんな死に方をするか?について考えるようになった。今まででも十分幸運に恵まれた人生だとは思うけれど、まだまだ未熟で努力が足りないと思う。2011年は僕にとって残りの人生をどう生きるべきか?について内省するきっかけを作った年だった。法事の効用って現世の者たちに人生を顧みるキッカケを与える儀式なのだな。ふむ。

December 8, 2011

ステキな金縛りの安心感

当直明け。4時過ぎに来院した救急車に対応した後、固く狭い診察台の上で寝返りもできずに仮眠をとったので、身体ばりばりで目覚めた。いつもの事だけれど、身体的にはキツいわりには、当直明けはメンタル的には逆に妙にハイな感じの一日。

当直明けにはなぜか映画が観たくなる。今日は午後の施設在宅往診のあと、「ステキな金縛り」(三谷幸喜監督)へ。この映画は深津絵里のための映画っていう印象。彼女の魅力がキラキラと輝いている。キュートで、明るく活発で、ちょっと抜けていてドジな所もあって、彼女特有の親近感があって、そしてセクシーだと思う。三谷監督ってほんとに深津絵里という女優が好きなんだろうなって思った。思わず惚れそうになった(笑)。そのくらい彼女の魅力を引き出している。竹内結子も好きな女優だけれど、この映画のコミカルでエキセントリックな演技はちょっと新鮮だった(固くてちょっと痛かったけれど)。三谷作品の常連達が脇を固める安心感(というか予定調和)。ただ、西田敏行の演技はイマイチ好きじゃない。意見の分かれる所だろうけれど。

三谷監督の映画は、ちょっと(意識的に)古臭く、バタ臭く、芝居がかっていて、クサいギャグが満載で、観客はそれが判っていてその世界に浸りたくて観に来ている。ぎゃはは笑いではなく、クスっとかフフフっと軽く笑えるのがいい。三谷監督とは、以前あるご縁があって「有頂天ホテル」の医学監修をしたことがある。それ以来作品を観続けてきたけれど、この作品はある意味、三谷ワールドの集大成的な位置づけなんだろうと思う。笑ってちょっとだけ泣けた。この安心感安定感で☆☆☆。


December 7, 2011

性格は顔に出る

性格や考えていることってすごく正直に顔に出ている。

科学的にまだ解明されていないだけで、僕らが思っている以上にその人の生き方や価値観というものは実際の「顔」とか「雰囲気」とかに表出しているものなのかもしれない。昨日の出来事もあって、今日はそんな事をつらつらと考えていた。

多分我々は、言語的なコミュニケーションを一義的なものとしてその重さを信じているけれど、実際には言葉以外でその人が出している「もろもろの情報」のほうがプリミティブなもので、言葉はそれに付随しているだけのものなのかもしれないと仮定してみると、様々なことが見えてくる。

路上であった犬や猫が何か意味ありげにすっと視線を外したり、逆にこちらを見据えるような行動をするのは、たぶんを動物行動心理学の研究はどういう(意味のある)ことなのか?。などと考えていたら、いつもの空想の世界へ。

人間の脳科学や行動心理学や進歩すると、占いや人相などの分析が科学的もっと正確にできるようになるはずだ。静的な分析(というか非科学的な統計学)が従来のものだとすると、動的な分析が進むだろう。そうすると、「ある人のある表情やとった行動」などを逐次モニターして、高度な嘘発見器とか行動分析なんかもできるようになる。いくつのプロットを考えたのだけれど、これは相当にコワイ世界だ。

東京ルール当直中。以前は「Zip City」とか「月光恋歌」とか当直中に歌詞を書いたりしたんだけ、最近は忙しすぎてだめだな(笑)。そろそろ書こうとは思うけれど。

December 6, 2011

Time out, folks!

ヘロヘロに疲れてしまい帰宅したのが24時を回っていたので、実はレトロスペクティブ投稿。

どんな組織でも、人が集まって居る限りは様々なフリクションや葛藤、場合によっては喧嘩別れや空中分解、分裂などのリスクがある。その発端はやはり人と人の関係で、その原因のほとんどが突き詰めれば「言葉」である。

初めから悪意を持って敵愾心をむき出しにした言葉(かの国から聴こえてくる言葉なんかがいい例だ)をいう人はいない。相手のことを自分なりに慮って出た言葉が、ちょっとだけ違ったニュアンスで受け取られ、その返信がさらに意図と違ったニュアンスをもって受け取られ、言葉に乗ったそれぞれの感情がどんどん増幅されて、悪い方向にデフォルメされていくと、されにその周囲の人間にまで影響を与えてしまう。

特に今の時代、メールでのやり取りは、いくらでも誤解曲解をされてしまうリスクがある。リアルの会話なら、言葉にも声のトーンや間、表情や相槌などの、様々な非言語的なコミュニケーションの要素であるので、その「空気」が緩衝材になっていて、コミュニケーションの破綻につながるような極端なことになることは比較的に少ないのだけれど。

1980年代のコンピュサーヴ・ニフティサーヴのパソコン通信時代から、僕はこの世界のいざこざを幾度となく見てきた。ソーシャルメディアの時代になって、コミュニケーションのスピード感が格段に上がったものの、それが故に言葉が先鋭化してトラブル(とまではいかないけれどインシデント)が急増している。今回のケースでも当事者は、本当に素晴らしいキャラの穏やかな人達なのだ。時代の最先端で走っているこの人たちでさえそうなのだから、僕みたいな「普通の人」は言わずもがな、なのだ。

そういう負のスパイラルが組織の中で始まると、誰が何をやっても「建設的で健全な」思考回路を維持するのが困難になる。最初は小さな亀裂であったものが、時間の経過とともに大きくなり、最後は修復困難な状態になる。これは困る。そんな時は大事な決定をするなんてナンセンスだ。

大人の喧嘩に中途半端な「仲直り」はありえない。それぞれのプライド(意地)の落ち着き場所を見つけられるかどうかなのだ。ということで、ここらでちょっとTime out, folks!

December 5, 2011

幼馴染み

幼馴染みのきみちゃんがLAから昨日帰国して、溝の口のディープな居酒屋でサシ呑み。幼稚園の同級生(笑)とこうやって楽しく飲める状況は有り難い事。アメリカで公認会計士として自分の事務所を経営している彼。一人息子の彼としては、日本の母親の介護のことでいろいろと悩むこともあって、このところ頻繁に相談に乗っている。

今日の話題は、まあ人生いろいろあるよね、というおっさん話題で、その意味じゃアメリカも日本もあまり変わりない。あと彼は、日本に居る僕ら以上に彼は日本人に対して危機感をもっていた。韓国、中国の台頭と日本の衰退は本当に顕著みたいだ。

Let it be! 色んな意味で。

December 4, 2011

アクティブ・ウォーキング 20km

 11時から歯科K先生の華麗なテクニックで1時間。微睡んでいるうちに終了。歯科治療っていうのは特殊で我々医師は全然その内容が判らないものなのだ。ましてや自分の口の中のことは判らない(笑)。信頼の於ける歯科医に任せるしかないのだ。幸い僕はいい歯科医に恵まれている。まだまだ治さなければならない部分があるみたいだけれど、美味しく食べられることは健康の基本で、歯は大切だと思う。

快晴。空気が澄んでいて気持ちのいい天気だ。カメラと着替えのTシャツとタオルをメッセンジャーバッグに詰めて、歯科の後、歩き始めることにした。今日の唯一の決め事は、信号以外、立ち止まらない事。たまプラから渋谷まで。渋谷からジムへ直行しジャクージとサウナでまったり。極楽極楽。瞬間最低体重で67kg。ふふふ。

Walkmeter ルート: たまプラから渋谷方面, 時間 3:51:26, 20.49 km, 32960歩、
マップ: http://j.mp/tZF5Ye, 平均 11:18 /km, 1403 カロリー.


一定時間歩き続ける間中、いろんな事を(まさに煩悩を抱えて)考えている。でも、矛盾するようだけれど、論理的なことは何にも考えていない。まさに無心無我の心境になる気持ちのいいエンドルフィンが出るみたいだ。宗教の修行だったら「行」。今日の20km程度だったら、ちょっとコツを掴むことと自分あった靴があれば、ふつうに歩く分には全然苦にならない。だから、24時間マラソンとかでタレントが100kmくらいジョッギングするのは半年くらいかけてトレーニングすればそこそこ可能なんだろう。これは新たな発見だった。次の目標は30kmウォーキング(距離)と、10km/1h(スピード)。このスピードになるとジョッギングとウォーキングを混ぜて走らざる得なくなる。スピードはある意味どうでもいい。時間内完走をめざすのだから。当分は時間を見つけてアクティブウォーキング続けようっと。

うまい・巧い・美味い!

お昼に八◎川(◎は検索回避)へ鰻重を食べににうかがったら、ご主人からサービスで希少な「炙り鰤(あぶりぶり)」を頂いた。上品な脂が美味絶品だった。ご飯を少なめにしてもらったけれどさすがにカロリー摂り過ぎ(笑)なので、ジムへ直行してしっかりと1200m泳いだ。今日はがらがらで気持ちよく泳げた。

一休みしてから半蔵門線で微睡んで「瞬間移動感覚」で九段下へ。クラプトン&ウィンウッド@武道館のライブ。クラプトンが特に好きというわけではいけれど、やはり一度は生のプレイを観てみたいと思っていたところ、今回の講演は黒澤楽器presentsという御縁もあって行くことになった。イーグルスにしてもジェームステイラー&キャロルキングにしても、客層がばっちり僕達の世代で、おっさん&おばさんたちがみんなニコニコしている。同世代の連帯感と安心感の漂う空間。1階席の最前列正面やや上手という最高の席。ノセてくれる所は過不足なくしっかりとノセてくれるし、ブルースで泣かせてくれるところはしっかりと聴かせてくれるのは流石だ。今さらだけれど、巧いなあ・・・。構成も音響も照明も映像も完璧に「出来上がった」ショウで、予定通りきっちりと2時間プラスアンコール。

Had To Cry Todayから始まり、ブルース&ロックのクラシックともいえる懐かしい曲が多数。Hoochie Coochie Man, Georgia On My Mind(懐かし!),Wonderful Tonight(最高!), Voodoo Chile(ジミヘン!20分くらい演奏していた)が良かった。途中、ふとあっちの世界に行きそうになる気持ちよさというか。エリッククラプトンもいい感じの枯れたジジイになっていて「匠の技」を拝聴する、みたいな感じ。もちろん脇を固めるドラムス、ベース、キーボード、コーラスの黒人女性2人組も素晴らしいのだけれど。

終演後、神保町に歩き、かみさん&娘たちと合流して「くろぶたきよし」へ。流石の三清堂六白黒豚。脂が甘いのだ。和水してある焼酎で薩摩揚げなど。美味。大量の葱と昆布と椎茸のお出汁でいただく、絶品しゃぶしゃぶ。葱は徹底的に流水に晒してぬめりをとるんだそうな。〆は稲庭うどんと、さらにおじやも追加して今夜も大満足。ほろ酔いニコニコで帰宅。

December 2, 2011

グルメ大国ということ

日本がグルメ大国だということには異論を挟む人はいないだろう。特に東京は世界でダントツのレベルの多種多様な料理を楽しめる都市だ。一定の舌の肥えたポピュレーションがあることで各店が切磋琢磨して、たぶん世界中でもっとも美味しい料理が食べられる。


和食はもちろんのこと、フォーマルからB級までの中華、フレンチ、イタリアン。。。と、世界中の料理を食すことが出来て、これに比肩できるのはたぶんニューヨークくらいだろうと思う。欧米、特にイギリスやドイツの食生活の質素さ(単調さ)は、単に粗食(といってもカロリーは高い)というより、そのバリエーションのなさに閉口する


ニュージーランドで生活していた時、食生活に関して驚いたことがいくつかある。

娘たちの学校のランチに、日本風のごく普通のお弁当を持って行ったら、彼らのクラスメートの子供達に驚かれた。卵焼きやソーセージとかが入っている、日本ではごく普通のお弁当。向こうの子供達のランチは、リンゴとチーズとミルクくらい程度が一般的で、サンドウィッチなんかをランチに持って行っているのは、ごく少数派。よく誤解されるのだけれど、マックのハンバーガーだって彼らにとって「ご馳走」なのだ。その彼らからしてみれば「とんでもない豪華なご馳走を持ってくる日本人」という印象になる。

 日本の場合、だれでも今日の昼ご飯はお蕎麦にしようかとか、パスタにしようとかの「選択肢」があるのが普通だけれど、当時の僕の職場の同僚達にとっては奇異に感じだようだ。ボスのケヴィンは毎日チーズ・オン・トーストを食べていたし、部下のレジストラの女の子は毎日リンゴとサワークリームとクラッカーを食べていたし、手術室のテクニシャンの同僚は、毎日オフィスのキッチンで自分でチーズサンドウィッチを作って食べていた。僕はどんなに忙しくても昼休みには自宅に帰ってランチを摂るようにしていたんだけれど。

アメリカ人(ステレオタイプなアメリカ人)の場合には、今日のランチ何を食べようか?という話題になることもあるけれど、これもごく一部の豊かな人の話で、一般的にはマックを毎日食べていても何に疑問も感じない人たちなのだ。それが普通。アメリカ時代のボス(超お金持ちだ)が日本に来た時、彼の講演会で出た幕の内弁当に、素直に感激していたのが印象的だ。

 日本人の食生活は、ちょっと前までは「毎日蕎麦」とか「毎日おにぎり」とか「毎日のり弁」が普通だったのにいつの時代からか豊かになり、月並みな言い方をすれば「一億総グルメ」になった(させられた)わけだ。兎にも角にも、僕らは飽食の時代に生きている。
この考察は、そのうちにやろう。

December 1, 2011

釣瓶落としの夕暮れ時

昨日は縦書きで書いて、横書きに流し込んでみた。こうやって昨日のログを読み返してみると、むむむ、やはり縦書きだと何か違うな。ちょっと文章が硬くなったみたいな気がする。以前に考察した通りで、縦書きだと自然に(横にある)前後周囲の文字が目に入るので、自然に修正される感じがする。一番の違いは、思考の流れ方かな。うまく説明できないけれど。当然ながら文節や文章の切れ方も違ってくるのも面白い。ブログの文章はいつも大体15分くらいで書きなぐっているのだけれど、やっぱり見直しというか校正しないと、自分でも何を書いているんだか判らない文章ばかりになってしまう。ちょっと反省&計画。

ちなみに、この文章はオフィスで横書きで書いている。研究日の夕方、今日は映画「ステキな金縛り」でも観ようかなと南町田グランベリーモールに着いたところで緊急コール。映画が始まっていて携帯の電源を切っていなくてすんでのところで間に合ってよかった。急遽病院へ戻ることになって、現在待機中。

家でリラックスして書く文章は、当分の間は縦書きを楽しんでみるつもり。