December 2, 2011

グルメ大国ということ

日本がグルメ大国だということには異論を挟む人はいないだろう。特に東京は世界でダントツのレベルの多種多様な料理を楽しめる都市だ。一定の舌の肥えたポピュレーションがあることで各店が切磋琢磨して、たぶん世界中でもっとも美味しい料理が食べられる。


和食はもちろんのこと、フォーマルからB級までの中華、フレンチ、イタリアン。。。と、世界中の料理を食すことが出来て、これに比肩できるのはたぶんニューヨークくらいだろうと思う。欧米、特にイギリスやドイツの食生活の質素さ(単調さ)は、単に粗食(といってもカロリーは高い)というより、そのバリエーションのなさに閉口する


ニュージーランドで生活していた時、食生活に関して驚いたことがいくつかある。

娘たちの学校のランチに、日本風のごく普通のお弁当を持って行ったら、彼らのクラスメートの子供達に驚かれた。卵焼きやソーセージとかが入っている、日本ではごく普通のお弁当。向こうの子供達のランチは、リンゴとチーズとミルクくらい程度が一般的で、サンドウィッチなんかをランチに持って行っているのは、ごく少数派。よく誤解されるのだけれど、マックのハンバーガーだって彼らにとって「ご馳走」なのだ。その彼らからしてみれば「とんでもない豪華なご馳走を持ってくる日本人」という印象になる。

 日本の場合、だれでも今日の昼ご飯はお蕎麦にしようかとか、パスタにしようとかの「選択肢」があるのが普通だけれど、当時の僕の職場の同僚達にとっては奇異に感じだようだ。ボスのケヴィンは毎日チーズ・オン・トーストを食べていたし、部下のレジストラの女の子は毎日リンゴとサワークリームとクラッカーを食べていたし、手術室のテクニシャンの同僚は、毎日オフィスのキッチンで自分でチーズサンドウィッチを作って食べていた。僕はどんなに忙しくても昼休みには自宅に帰ってランチを摂るようにしていたんだけれど。

アメリカ人(ステレオタイプなアメリカ人)の場合には、今日のランチ何を食べようか?という話題になることもあるけれど、これもごく一部の豊かな人の話で、一般的にはマックを毎日食べていても何に疑問も感じない人たちなのだ。それが普通。アメリカ時代のボス(超お金持ちだ)が日本に来た時、彼の講演会で出た幕の内弁当に、素直に感激していたのが印象的だ。

 日本人の食生活は、ちょっと前までは「毎日蕎麦」とか「毎日おにぎり」とか「毎日のり弁」が普通だったのにいつの時代からか豊かになり、月並みな言い方をすれば「一億総グルメ」になった(させられた)わけだ。兎にも角にも、僕らは飽食の時代に生きている。
この考察は、そのうちにやろう。