December 26, 2011
僕らは何ができるんだろう?
悲しい話を読んだ。「東日本大震災:67歳、仮設住宅で孤独死…9カ月の朝」(毎日新聞12-26-2011)
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東日本大震災から9カ月の今月11日、津波で妻を亡くし福島第1原発事故で故郷を追われた福島県双葉町の男性(67)が、白河市の仮設住宅で亡くなった。独り暮らしで、冷え込んだ朝に風呂場で心臓発作を起こしたとみられる。(中略) 双葉町で生まれ育った男性は、左官業や農業で生計を立ててきた。3月11日、津波に流され一命を取り留めたが、一緒にいた妻は泥水を大量に飲んで亡くなった。4月上旬から避難生活を始めた。家族、自宅、故郷を一度に失い、初めは言葉少なだった。そのうち男性が中学にほとんど通えず字を書くのが苦手だと知った人たちが、災害弔慰金の申請などを手助けするようになった。避難住民は「お世話になっているお礼に」とホテルの庭や道の草刈りボランティアを始めた。男性はリーダーを任され、炎天下で率先して汗を流した。自治会長を務めた天野正篤さん(73)は「悲しみをのみ込み毎日ボランティアに打ち込む姿に、『自分も頑張らないと』と思った人は多かった」と振り返る。(中略) 周囲にはよく「春になったら、また草刈りに行かないと」と話していた。(中略)再会イベントを楽しみにしていた男性は、亡くなる前夜、仮設住宅の友人にこう話していたという。「ひげ生やしたままだとみんなに笑われっから、明日の朝に風呂さ入ってひげそんだ」===
彼がどんな状況で最期の時を迎えたかのかと思うと、悲しく、切なく、やりきれない気持ちになる。
先日の東北の旅で会った助け合いジャパンの仲間が、いかに仮設住宅が寒いかについて話してくれた。薄い壁、はっきり言って安普請。すきま風はガムテープを張って凌いでいるらしい。全戸にエアコンは付いているらしいが、東北の厳しい冬にはこれだけでは厳しい。ましてやお年寄りや幼いこども達にとっては厳しいだろう。石油ストーブや電気カーペットの支援もあるらしいけれど、電気代や灯油代を心配して我慢する人達もいるらしい。東北の人たちは我慢強いし、彼らにもプライドがあるだろう。医師として何かできることがないか?支援する方法として何かないか?を今考えている。仮設住宅とはいえ、仮の人生というのはないのだから。
画像は先日訪れた野蒜小学校のボランティア用の仮設住宅。この住宅は気密性が高く温かそうではある。さすが寒冷地のドイツ製。でも実際には寒いんだろうな。