ヘロヘロに疲れてしまい帰宅したのが24時を回っていたので、実はレトロスペクティブ投稿。
どんな組織でも、人が集まって居る限りは様々なフリクションや葛藤、場合によっては喧嘩別れや空中分解、分裂などのリスクがある。その発端はやはり人と人の関係で、その原因のほとんどが突き詰めれば「言葉」である。
初めから悪意を持って敵愾心をむき出しにした言葉(かの国から聴こえてくる言葉なんかがいい例だ)をいう人はいない。相手のことを自分なりに慮って出た言葉が、ちょっとだけ違ったニュアンスで受け取られ、その返信がさらに意図と違ったニュアンスをもって受け取られ、言葉に乗ったそれぞれの感情がどんどん増幅されて、悪い方向にデフォルメされていくと、されにその周囲の人間にまで影響を与えてしまう。
特に今の時代、メールでのやり取りは、いくらでも誤解曲解をされてしまうリスクがある。リアルの会話なら、言葉にも声のトーンや間、表情や相槌などの、様々な非言語的なコミュニケーションの要素であるので、その「空気」が緩衝材になっていて、コミュニケーションの破綻につながるような極端なことになることは比較的に少ないのだけれど。
1980年代のコンピュサーヴ・ニフティサーヴのパソコン通信時代から、僕はこの世界のいざこざを幾度となく見てきた。ソーシャルメディアの時代になって、コミュニケーションのスピード感が格段に上がったものの、それが故に言葉が先鋭化してトラブル(とまではいかないけれどインシデント)が急増している。今回のケースでも当事者は、本当に素晴らしいキャラの穏やかな人達なのだ。時代の最先端で走っているこの人たちでさえそうなのだから、僕みたいな「普通の人」は言わずもがな、なのだ。
そういう負のスパイラルが組織の中で始まると、誰が何をやっても「建設的で健全な」思考回路を維持するのが困難になる。最初は小さな亀裂であったものが、時間の経過とともに大きくなり、最後は修復困難な状態になる。これは困る。そんな時は大事な決定をするなんてナンセンスだ。
大人の喧嘩に中途半端な「仲直り」はありえない。それぞれのプライド(意地)の落ち着き場所を見つけられるかどうかなのだ。ということで、ここらでちょっとTime out, folks!