August 30, 2013

じぇじぇじぇ叙々苑

従姉妹より差し入れお見舞い
叙々苑スペシャル だ〜〜っ!

いつもありがとう!


種市先輩の憂鬱

「携帯電話のなかった時代」という歌は、1973~1975頃のストーリーだ。
あまりにも書きたい事が多くて、未だにどう纏めるのか見えてこない。
そもそも纏まるのか?も疑問だけど(笑)。

男の子と女の子が
出会って
デートをするまでの
はっきりしない
微妙な時間

男の方がハッキリしない事が
多かった気がする
このハッキリしなくて悶々としている気持ちと
彼女のことが「スゴく好きで大事にしたい気持ち」が
渾然一体となって
心が張り裂けそうになっている

「あまちゃん」の「種市先輩」の気持ちは、
その時期を通ってきた男であれば
実に解りやすい。
解りすぎるらい解るはずだ (w)

当時は夜の公園の公衆電話から電話し
話が盛り上がったとしても、
「そこまで」で「寸止め」

なぜだったのか?
何故そんなに頑なだったのか?
未だに明確な答えがない(てか、どうでもいいこっちゃ)

そのころは、好き=したい ではなくて
discrepancyがあるわけだ。
頭の中はその事でいっぱいなのに、
実際の行動は全然違う

男ってバカだし、幼く拙くて不器用で
一所懸命で、今となっては可愛いとさえ思う。

ってことは、今の時代の(種市君とも)
考え方は基本的には変ってないってことだ。

当たり前だけど、腑に落ちた(笑)

戦いごっこ

男の子の戦いごっこについて

昔は、取っ組みあいのけんかも当たり前だったし、
ボディコンタクトの遊びが男の子の遊びの定番だった。
危なくなければ遊びじゃない、という意識さえあった(笑)

「おしくらまんじゅう」のような遊戯から
「水雷艦長」「缶蹴り」「馬跳び」などのゲームは
エネルギーの有り余った男児には定番の「遊び」だった。

怪我をするリスクがあるのは
スポーツでは当たり前なので、
最善最大の防護策をとるのは当然なのだが
怪我をするから、危ないから、
治安が悪くなったからと、
近所付き合いが希薄となって
いつのことからか
子供が外で遊ばなくなった

1975〜1980年頃が、境目か?

その頃までは
「〜ちゃん、あーそぼ」
と呼ばれたら、知らない子でも
とりあえず入れてあげる
年長の子供が仕切って
皆で遊ぶのが「全国共通」の
ルールだった

僕自身、何回も遊びに行ったところ(つまりアウェイで)
近所の子供達の仲間に入れてもらって遊んだ。
「あ〜そぼっ」と、初めて言う時の勇気、ドキドキ感。
そういう経験を通じて社会性を学ぶ

今、ふと思いだした

「あ〜と〜でっ」という断り方があった

今都合が悪いけど、今後機会があれば宜しくね、という
曖昧にして相手を慮る態度を、子供心に育んでいる
そういった伝統が日本的と云えるかもしれない。

その他、諸々の社会性や礼儀
トラブルシューティング
人間関係クレーム処理の仕方
さまざまな交渉と調整

子供同士の喧嘩に親は口を挟まないという
暗黙のルールがある

地域のしきたり 
ルールや掟

子供同士の関係
友達
兄弟姉妹
年長者
大人との関係

家庭、近所、学校、地域とだんだん世界が広がるつれて
視野が広がって、さまざまな事に興味が出てくる、その原体験。
そこでさまざまな事を学んだ

1975~1980年頃の
この子供社会の一大変化は
日本の高度成長期の社会の変化と
表裏対になっていて、
ファミコンや家庭へのインターネット普及で
拍車をかかかったのは確実だ

いつも大人も子供も
どんな事でも傍観者的で
誰でも評論家的になってしまう

痛みがわからないので
程度がわからない
自分が痛い思いや
辛い思いをしていないので
やさしくなれない

そんな情景も今はもうないんだろうな。。。と、
ノスタルジックに、古き良き時代の日本社会を
思いだす

バーチャルな体験ばかりで
リアルな体験をしていない
どこかに歪みが出て不思議ではない

だからといって
後戻りは出来ないのだけれど

August 29, 2013

王様の金庫(小説)

王様の金庫(寓話)
2007-9-25再掲載
2013-8-23 再々revised

昔々のある日の午後、王様が一番信頼できる家来達に言った。

「わしは、大切な宝物が一杯ある。我が王国の賢者達よ、その宝物をわしが安心して置いておける金庫を作って欲しい。絶対に開けられない金庫じゃ」

一番賢者アーサーが言った「恐れながら王様、{絶対に開けられない金庫}というのは矛盾しています。{王様だけが開けられる}という意味ならわかりますが。」

「うむ、なるほど。賢者アーサーの言う通りじゃ。わし以外の誰もが開けられない金庫を作って欲しい」

「御意・・・・」

賢者達は考えた。

ある天才数学者は、連続的な解答不能の問いを繰り返す迷路を考え始め、

ある天才地質学者は、世界中で一番地質の安定した場所を探して、巨大な穴を掘り始め

ある天才天文学者は、ブラックホールの向こう側にある場所をスーパーコンピューター使い計算し始め

ある天才心理学者は、万人の心の奥底にある「欲望」という名の「空洞」を世界で一番深いマリアナ海溝の底まで捜しに行き

ある天才物理学者は、素子の「ささやき」と我々の宇宙の果てにある「時間のねじれ」の違いを考え始めた

さらに、ある天才医学者は、完璧な金庫を開ける権利のある王様のための不老不死の薬を研究した。

 そして1週間後、賢者達の会議で、第一賢者のアーサー議長が言った。

 「賢者達よ、君たちの結論は出たか?」賢者全員が大笑いをした。

 「議長! 私達の求めているのは{真理}なのです。それが1週間で見つかるわけがありません!」
と、物理学者と医学者が言った。

 他の賢者達も頷いた。

 王様が聞いた。「賢者達よ、それなら、どのくらいの時間が必要なのだ?」

 一番賢者のアーサーが代表して王様に答えた。「私達にもわかりません。しかし賢者は賢者なりのベストを尽くし、年老いた{王様の生きているうち}に解を見つけるべく鋭意努力します。」

議長が言った。「賢者達よ。汝等のベストを尽くすが良い。王様は待っておられる。」

==========
賢者達は何を見つけ出した???
==========

「で、この話の教訓は?」と彼女は言った。

「何にもないさ、だたそれだけの話さ」と僕。

「えっ?そんなことないでしょう?そんな筈はないわ。だって世界中の最高峰の頭脳を持った賢者達が一所懸命考えたんでしょう?」

「そうさ、そうだよ。でも賢者達は解を見けられなかったんだ。」

「じゃあ、王様は{絶対に開けられない金庫}は得られなかったってこと?」

「そうだよ。でも、彼は意外なことに、すごく身近に「最適解」を見つけたんだ。

{絶対に開けられない金庫の鍵}を」

「絶対に開けられない金庫は、出来たのね!」

「答えはYESでもありNOでもある。{絶対に開けられない金庫}なんて、初めから世の中に存在しないのさ。でも、王様はそれを判っていて賢者に命令した。そして、彼(王様)はその鍵を見つけたのさ。」

「私には解らないわ、あなたの寓話は。起承転結の結が見えないわ。」

「どんな金庫にも鍵は開けるためにあるんだ。開けられない金庫が存在したとしたら、その金庫には鍵はないはずだ。誰にも開けられない金庫は、それ自体自己矛盾なんだ。それは紀元前1600年の殷の時代の象形文字に記されているという。つまり{真理}なわけだ。」

ということは、アーサー卿が言っていたように、王様以外には開けられない、というのが正しい?

いや違う
開けられたくない人がいるから金庫の意味があるんだ。
誰にも開けられない金庫は、誰にでも開けられる

つまりどんな複雑な金庫を作っても、鍵の意味がないことを悟り
王様は鍵を捨てたんだ。

さらに金庫だけでなく、王様は王国から全ての鍵をなくしたんだ

その結果、泥棒や盗賊や盗人や怪盗はいなくなり
王国の民は皆で富を共有して
賢者達は、さらに素晴らしい賢者達になり
国はさらに栄えて
すばらしい王国になったとさ

う〜〜ん。
ちょっと待って??
あなたの話は「出来過ぎじゃないかしら」

ははは。
さすがだ。鋭い指摘だ。

ポイントは、そこで賢者達はさらに考えたことなんだ。
人間は常に進歩し続けるために。

新たな新進気鋭の若い天才数学者は、誰にでも簡単に複雑系の解をみつけられるシークエンスを考え始め

さらに若い天才地質学者は、世界中で一番地質の不安定な場所も生活できる別の巨大な穴を掘り始め

新しい天文学者は、ブラックホールの向こう側にある場所を、別の方法で計算し始め。。。

ある心理学者は、万人の心の奥底にある「希望」という名の「空洞」を火星の底まで捜しに行き

新人の物理学者チームは、素子の「ささやき」と我々の宇宙の果てにある「時間のねじれ」の違いを検証し

医学者たちは、王様のための不老不死の薬の研究は意味のない事をはじめて議論するようになった。

王国中の皆がそう考えるようになって、
初めて国中の人々が
大人も子供も安心して、
幸せに暮らせるようになったんだ。

で、その国の名は???


to be continued

小説「キラーメッセージ」revised

キラー・メッセージ(小説)revised版 

 その手紙の封を開けた瞬間、僕の部屋の空気が揺れ、ごく微かな、乾いたポプリの香りがした。ポストで2ヶ月ぶりの彼女からの手紙を見つけて、僕は跳ぶように走って、アパートの3階にある自分の部屋に戻り、深い深呼吸をしてから、その手紙と向かい合ったのだった。

 カリフォルニアの熱く乾いた風が、一瞬シャツの襟元を通り過ぎたような気がした。

 ピンクの縁取りがある小型の便箋で、右肩アガリのすこし丸みがかった、彼女の懐かしい文字。用箋をあまり気にしないのは、いつものこと。本当は気が小さくて弱虫なくせに、時々周囲をびっくりさせるような大胆な行動をとったりする彼女の性格を表していて、大きめの文字が飛び跳ねている。

 きっと、走り書きみたいに急いで書いたんだろう。右側の文字のいくつかがインクで汚れている。インクの文字が乾ききる前に、気持ちが先走ってしまって、飛び出してくる言葉を追っかけるのに、きっと一所懸命だったんだろう。

 僕達が別々の場所で生活するようになってから、もう2ヶ月近く。別れた直後のお互いの気持ちの高まりは、波が寄せては返す運動を繰り返すごとに徐々に収束するように、今は落ち着いてはいたけど、心の深いところにある仄かな「灯火(ともしび)」のような温かさとなって存在していたのは真実だ。

 彼女のことを愛していた、と思う。たしかに。でも、すごく正直に言えば、彼女のことを考えない「夜」はなかったけど、彼女のことを考えていない「昼間」は(少しずつだけれど)多くなっていたかもしれない。僕たちはそれぞれ新しい生活に慣れるのに必死だった。

 はじめのうちは、毎週やり取りしていた手紙も、突然凪いでしまった海のように、来なくなったし、僕も出さなくなっていた。彼女は新しいセメスターが始まって、毎日の講義のレポート作成に追われているという理由を言い訳にして、僕は僕で、新しい実習の実験結果をまとめるために連日学校に缶詰になっている、という理由で、自分と相手を納得させていたのだ。
 
 それは、初めのうちはお互い99%は真実だったけれど、残りの1%の比率が徐々に大きくなるのに、そんなに時間はかからなかった。今みたいに簡単かつ頻繁に国際電話をかけられる時代じゃなかったし、メールだってなかった。そんな時代の話なのだ。手紙を書くことは、遠く離れた相手に自分の心を届ける一番の方法だった。そして2ヶ月。

 結論を先に言えば、その手紙を読んで僕は即に航空会社に電話をし、翌日なけなしのお金をかき集めて、LA行きの飛行機に飛び乗った。でも、もっと先の結論までいえば・・・、その半年後に、僕らの絆は、凪ぎの海から沈没して、深い海の底に沈んでしまったのだけれど。

それはまた別のストーリーだ。


 彼女からの手紙の手紙は、一緒に暮らしたパサデナの街の変わらない様子や、学校のこと、友人達の近況など・・・ごくごく普通の彼女の生活が、意外なほどさりげなく書いてあった。「愛している」とか、「あなたに逢いたい」の一言もない手紙。久しぶりの彼女からの手紙で、こちらからも出していない引け目もあったりして、なんとなく「別れの手紙か・・・」という不安感と緊張感を持って読み始めた僕は、急に膝の下から力が抜けたような脱力感と同時に、妙な安心感と安堵を感じたのだった。


そして、彼女の書いた最後のページ


So long, XXXX(キスマーク)
(じゃあ、またね,XXXX)

その文字の隣にあった微かな便箋の乱れを見て、僕は居ても立ってもいられない気持ちが湧き上がってきた。心に響くというようなキレイなものじゃなくて、(今すごく正直に言えば)下半身を直撃するような衝撃だった。


「キラーメッセージ」と「滲んだ涙の痕」

惚れてる(ていた)女を前にして、男は哀しいくらいに弱くて単純だ。

居ても立ってもいられず、太平洋をひとっ飛びしたわけだ。


で、その結末は。。。
結局僕らは、太平洋を挟んで大騒ぎをした挙げ句、彼女は翌朝には来るものが来て、嘘のようにニコニコ顔となり、唖然とする僕を前に、パンケーキハウスに入ってご機嫌になった。


あとで彼女に聞いたら、あれは涙の痕じゃなくて、
くしゃみをして「ハナミズが垂れた」と
言い張っていたけど・・・。


真実だとすれば・・・ウソだとしても・・・
あえてここには書かないけど。



まさにキラーメッセージだった。


そして僕は素晴らしい週末を、
このちょっと情緒不安定で
美しい知能犯と過ごすことになった。


彼女は「愛すべき犯罪者」だったことになる。

(未校正 2013-8-22)

August 28, 2013

愚者は悩み、賢者は眠る

Bartland Russelの幸福論  Conquest of Happiness

『自分の関心を内へ内へ向けるのではなく、外界へと振り向けあらゆるあらゆる事に好奇心を抱く事。これこそが幸福の獲得条件であり、これは自己説得により可能になる』

高校の英語のリーダーテキストだった。この中で今でも憶えているフレーズがいくつかある。印象に残っているのは、かの知の巨人でさえコトナカレ主義の時があるのだということだった。まあ、我々凡人のそれとは次元が違うのだけれど。

「悩んだり行き詰まったらそのまま放っておけばいい。そうすると脳は自然に最も適切な方法を、捜して自ら結論を導き出すようになっているのだ。愚者は悩み、賢者は眠る」。

いくつかの人生の岐路
生きて行くという事は、
どちらの道を選ぶか
選択を迫られることだ。

右か左か?
楽な道か辛い道か?
真っすぐな道か
曲りくねっているか?

結論から言えば
迷ったら「困難な方」を選ぶ方がいい
さらに大きなチャンスを与えられたと
発想を転換してみるのだ

安易じゃない方法を
選んでいれば後悔しない
勝負しなければ
勝利はない

若いうちから、小賢しく
負けないように戦う方もあるが
セコい生き方は自分の首を絞める

そういうセコさは
ボクらのようなオッサン世代に
なってからでも
十分遅くない

いくら考えても解が見つからない場合には
ラッセル師曰く考えるだけ考えてあとは
「放っておけば」いいのだと教える。

学生時代の数学の問題
なかなか出てこない文章やフレーズ
諸事雑事の、いわゆる悩み事。。。etc.
目が醒めた時に、すっきりと
解決していることも何回となく経験した。

脳機能は多彩な問題解決能力があり、
眠っている間も思考しているのだ。

きっとあまり変わらない

今日が「この世の終わりの日」
だっだとしても

いつものように
朝日は昇り
時は時刻通りに流れ
地平線のかなたに
 希望の祈りを
  届けるだろう

鳥は空を飛び
 水に魚は躍り
花は咲き
 風に踊る

人は 懲りずに 
 愚かな間違いを犯し
清らかな子供達は
 まだ深い眠りに
  就いているはずだ

男も女も

怒りや
歓びや
失望や
歓喜の中で

辿り着けない
 道を歩みながら
緩やかな潮の満ち引きを
 繰り返して

特別な事もなく
変わった事もなく 
いつものように

最後の航海に出る
直前であったとしても
誰も何も
気づかない) 

今日が「世の中の終わりの日」
だっだとしても
ずっと、きっと
何も変らない

いつものように
朝日は昇り
 時は流れ
地平線のかなたに
 希望の祈りを
  届けるだろう

鳥は空を飛び
 水に魚は躍り
花は咲き
 風に踊る

人は 懲りずに 
 愚かな間違いを犯し
清らかな子供達は
 まだ深い眠りに
  就いているはずだ

August 27, 2013

いい声なんです〜(笑)

声がいいと、よく言われる(w)

自分の声は、日頃意識しないし
人にどんな風に聞こえているか
わからないものだ
マイクを通した自分の講演の声や、
自分のFM放送の番組録音を聞いて
へえ、ボクの声ってわりと良い声質かも?って(w)
思うくらいだ。

さすがにこの歳になれば
他人に認識されていることは
ある程度わかるのだが
未だに本当に自分が良い声かどうか
半信半疑なのだ

子供の頃はキンキンした
超高音だった。
さらにおしゃべりで
常にキンキンしゃべり続ける
五月蝿い(煩い)子供だった。

徐々にトーンが下がり
おっさんの年齢になって
さらにトーンは下がった

初めて指摘されたのは
高校生のころだ。
あなたの声は
とても特殊で
響き方が他の人と違うと。

その時、男女とも
年齢を問わずある音域に
波長の合う人がいて
話の内容より
声の方を褒められる
声に共感(共鳴?)する人が
いることを知った

その後、自分の声の成分に
特殊な倍音
あることを指摘された
http://sound.jp/nk_sounds/baion.html

倍音の理論は調べてもイマイチ解らなかったが、
ギターのハーモニクスという説明で
感覚的に腑に落ちた

コーラスや演奏やお経などで
倍音の中に浸っていると
何とも言えず落ち着く
身体全体が共鳴する
心地いい感じになる

それが倍音。
ボクのように
通常の会話発声時に自然に
ある周波数域が出るのは
希有なことらしい

数年前、ご縁が有って「NHKスペシャル」の
トーク番組に出演させて頂いた事がある。
「医療崩壊」がテーマの2時間のスペシャル番組だった

喧々諤々の論議になった。
たまたま、司会者と目が合った。

僕が指名された。

意識して出来るだけ
ゆっくりと間合いを取って
低音で話し始めた

他の聴衆が、それまで大声で怒鳴りあうくらいに
熱い議論をしていたところだったので
突然話し出したボクは

「おっ?誰だこいつは?」

と驚きをもって
注目されたのがわかった

『しめしめ』(笑)。してやったり

内容はprofessional freedom について
ごく普通のことを語ったに過ぎないのだが、
インパクトがあったのは確かだ。

聴衆(Nスペを観ていた視聴者)を
振り向かせたのは
「声と間」だった

コミュニケーションに
どれだけ大きなインパクトになるか
改めて痛感した
経験だった

逆に言うと
たいした事を話していなくても
テレビやラジオなどもマスメディアを
介して情報発信すれば
簡単に騙されてしまう
コワさを感じたのだけど。


August 26, 2013

びんびんチークタイム

チークタイム

括れた細い腰
抱き寄せた
暗くなったダンスフロア
彼女の瞳の奥が光った
潤む瞳
弾む吐息

びんびんに
固くなった純情は
もう嘘がつけない
彼女が気づかない
はずない

格好つけてないで
いい顔してないで
勇気を出して

お前に惚れたって
言えばいいのに
お前を落としたいって
(お前としたいって)
正直になればいいのに

ホールに響く
Whiter Shade of Pale
女も男も
かぶけ(歌舞)て
チークで盛り上がる

びんびんに
固くなった純情は
嘘がつけない
彼女が
気づかない訳ない

〜〜〜〜〜
業務連絡。大昔の「ディスコ」。「うれしはずかし」
随分前に書き散らかしていた歌詞プロット
原詩です〜イメージが湧けば

August 25, 2013

生意気だった頃のワタクシ


Children's Hospital of Los Angeles
Childrens Cancer Study Group
University of Southern Calfornia
U.S.A.
1985 ~1988

Wellington Hospital
University of Otago,
New Zealand
1993 ~ 1994

怖いもの知らず
尖っていた
若かりし頃

まだ毛があった(笑)

本当に大切なもの

週末は断捨離をした

今回のルールも前回同様
『迷ったら捨てる』

まずデスク周りから開始。
大事だと思って取っておいた書類も
本当に保存しておく必要のあるものは
ほとんどないことに気づく

捨ててきたはずなのに
澱のようにの溜まる
書類、モノの類い

それらを
ばっさばっさと捨てる
シュレッダーをして
すっきり気持ちいい

後生大事に取っておいた
書類とくに、パソコン関連の
マニュアルやさまざまな本、
雑誌の書籍類が
大きくかさ張る

手間がかかるのが
シュレッダーの必要な文書の数々
もう使わない銀行関係や学校関係など
個人情報が出ているので注意しつつ
どんどん捨てる

一気にばっさばっさと
捨てる
見直していたら
キリがない
見たり読んだりしたら
捨てられない

前半だけで大きなゴミ袋で3袋

いかに自分がこれらの書類とともに
生活していたか、
これらの柵(しがらみ)に
捕われていたのかが
よくわかる

さらにクローゼットの中を
断捨離していたらどんどん
エスカレートして
ごみ大袋3袋になった

多分着ないであろうスーツやジャケット
セーター、靴。。。
想い出のあるものも

一気に捨てた

残していても
将来、着たり使ったりする
可能性はほとんどない

この選択で残したものは
本当に大切なもの
ばかりなのだ

August 24, 2013

「それどころじゃない」

「それどころじゃない」という言い方
「それどころ」ってどんな所か?という疑問。

(あとに打消しや反語の表現を伴って)
とてもその程度ではないの意を表す。
例として「―の騒ぎではない」「君に文句などない。
―か感謝したい気持ちだ」

英語では
that's out of the question
it's just not possible
がニュアンス近いとされるが
ちょっと違う感じもある。

しばしば、何かを「出来ない理由」の
excuseとして使われる。

人生の時間は
どの人にも限りがある、という
アタリマエの視点に立つと
すべてに優先すべきことは
「今現在やっている事」を
「生きているうちに」精一杯やりなさい
ということだろう

それも、あんまりのんびりしていると
「時間切れ」になる

誰もが「それどころ」じゃない状況なのに
みんなギリギリ精一杯、生きている

誰もが元気いっぱいニコニコと
太陽に手をかざさないまでも
一所懸命なのだ

死んでしまったら
「おしまい」
英語的に言えば
死ぬというのは
人生の「時間枠」が
expire (expired)した
と表現する

死に直面すると
残された時間が愛おしくなる
(負け惜しみではなく人は皆、死に直面しているのだから)

それどころでなくなる
「それ」とは何か?

人生には何が起るかわからない
だから面白い
「それどころじゃない」事態が
自分に起ってみて、
初めて自覚する(できる)ものなのだ

元気な時には
意識しないし
考えもしないけれど
何かをやると決意すれば
決して時間をムダにはできない

大それた事をしたいのではなく
淡々粛々と

邪魔とは何か?

日常的に使っている「邪魔」という言葉の意味は
なかなか深い意味がある
本来の意味は
仏道修行の妨げになること

だから、邪魔には万難を排して、
一途に修行しろということらしい。

勉強になった

じゃま 邪魔

障害〉 an obstaclean obstruction; a hindrance; 【形式ばった表現】 an impediment; 〈妨害〉 (a) disturbancetrouble; 〈干渉〉 interference; (aninterruption; (anintervention ⇒おじゃま
厄介な〉 cumbersome; 【形式ばった表現】 burdensome

じゃ‐ま【邪魔】

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    [名・形動](スル)3が原義》
     妨げること。また、妨げとなるものや、そのさま。「―な物をかたづける」「勉強を―する」
     (「お邪魔する」の形で)訪問すること。「今晩お―してよろしいでしょうか」
     仏語。仏道修行の妨げをする悪魔。

    August 23, 2013

    しゅるんぺる

    ドイツが多かった時代の名残で
    医者の使う慣用句や隠語には
    ドイツ語起源が多い
    (もともとはラテン語?)

    例えば

    空気の抜けた風船のような状態を
    「しゅるんぺる」という
    これもドイツ語が語源だろう

    英語で
    シュリンクshrinkとは、
    小さくなる事だ

    ぺしゃんこ
    へこむ(凹む)
    元気のない事
    萎縮すること

    例文として
    1)試験のヤマが外れて彼はシュルンぺってる。
    2)失恋してシュルンペった。
    3)いい雰囲気だったのに、種市先輩はシュルンペッた。

    ちぇ。


    口喧嘩する男達

    昨夜の『ART』

    3人の独身男が主人公。

    「真っ白な絵画」を巡って
    さまざまな会話が展開して進む

    怒鳴りあうような会話の応酬
    いわゆるオトナの口喧嘩
    口角を飛ばして
    容赦なく
    激しく罵倒しあう

    ああいうエキセントリックな
    会話はたしかに
    ほとんど日本にはない
    どうしてもドロドロしてしまい
    後に「禍根を残す」ことが多い

    だから日本の場合
    万事が穏やかなのだ
    予定調和
    バランスを是とする社会

    肚の中で何を考えているかを
    お互いが察して
    穏やかな落としどころを
    目指してゆく

    社会が平和で安全で
    安泰な時はいいのだ

    しかしそんな無防備な平穏が
    将来も続く保証なんてない

    実際、最近の日本のドラマや映画でも
    「キレる」のが普通に見られる

    ドラマの世界で普通に見られる
    ということは、普通の世界で
    普通に見られる事だ

    ARTで面白いのは
    最後の最後まで主人公の3人が
    怒鳴りあって空中分解しそうになるけれど
    最後は和解して(落とし所を見つけ)
    エンディングで観客をほっとさせることだ

    この着地の仕方が
    脚本の巧さだと思った。
    観客は芝居のほぼ全編続く
    喧嘩中に
    一緒になってイライラしたり
    笑ったりする

    喧嘩の距離感とか
    寸止めの
    力加減の違いが
    フランス人と異なる

    そこがとても面白く
    この芝居をみた

    和するのが
    日本だとすれば
    戦って自らを主張するのが
    彼らの文化なのだ

    August 22, 2013

    ART

    東京グローブ座 "ART"

    作:ヤスミナ・レザ 演出:千葉哲也 翻訳:徐賀世子
    出演: 萩原聖人 山崎裕太 須賀貴匡

    天声人語な人たち

    子供の頃は、
    親、教師、目上は
    間違った事は決して言わない
    「はず」だと思っていた。

    大手新聞やテレビ番組は
    ニュートラルで
    品行方正で
    「日本の良識」であり
    「サザエさん一家」は
    日本の家庭の基準だと
    普通のサラリーマン家庭で
    普通に育った僕は
    ナイーブに信じていた

    高校生になり、新聞各紙の
    読み比べをして驚いた
    各紙違う事が書いてある

    それまで『公明新聞』や『赤旗』なんて
    蛇蝎のごとく嫌って
    読む気もしなかったけれど
    これも負のバイアスなのかと
    考える余裕も出てきた。

    さらに驚いた事に、
    「割といい事」が
    書いてあるのだ(笑)

    考えてみればアタリマエのことで
    マスコミも企業である限り
    迎合主義はアタリマエ
    売れて、ウケて、なんぼの世界だろう

    大人になるにつれ
    マスコミの「衆愚主義」
    高みの見物の
    下々を見下している態度や
    「俺たちは知っている」
    教えてやろうという
    高飛車な態度が
    だんだん鼻につくようになる

    この年齢、立場になると
    いつのまにか
    知り合いが
    キャップや編集長など
    編集やプロデュースの
    「責任者」になっている

    ほんまに大丈夫かいな?

    わざわざ書くまでもなく
    新聞マスコミ主導の時代は
    とうの昔に終焉している

    反対にネット時代となり
    「え、お前こんな事も知らないの?」と
    声の大きい奴が威張っている気がする

    どの国も、政治システムも大変換期にあり、
    「皆が責任を持って、よく考える」世の中にしないと
    烏合の衆が混乱だけしている、何も創りだせない
    情けない国になってしまうだろう 

    もう後戻りはできないが、
    要はバランスなのだろう

    変態な人々

    世の中にはいろんな人がいる。
    自分では「ふつう」だと思っていても
    本当に「ふつうですか?」と問われると
    どんな人もちょっとだけ不安になるはずだ(笑)。
    他人と比較できないから
    何が「正常」で、どれが「異常」などと
    単純に分けられないでないか。

    先のエントリーで書いたように、
    インターネットの黎明期
    僕は医療相談をやっていた時期がある。

    当時はさまざまな相談があった。
    当時と状況がずいぶん変わったのだが
    あの時期
    極端な話、ネットで相談してくる人は
    約半数が「そういう人たち」や「へんな人たち」が
    集まってきたみたいだ。

    もしかしたら「はけ口」の欲しい人たちの
    受け入れ先として、
    口コミ?があったのかもしれない
    逆に、ある時期から
    ピタリとへんな相談がなくなった。

    本当にいろんな人がいた

    対人関係のうまく作れない人
    いわゆるクレーマー傾向の人
    攻撃的な人
    興奮、ケンカ腰 etc
    性格異常(パーソナリティ障害)

    これらのキャラの人がかなりの%含まれる。
    印象として1/3くらいか
    いわゆる「うつ」傾向の人はさらに多いだろう。

    さまざまな「変った人たち」がいた。

    包帯でぐるぐる巻きにして欲しい人 
    ギプスフェチ(わりと多い)
    拘束されたい人(さまざまな注文がある)

    手術されたい人(特殊な手術の希望、相談)
    痛い事が好きな人(自傷行為、妄想))
    恥ずかしい事をして欲しい人(空想?妄想構築)
    医療関係者(医師ナース、白衣)が特に好きな人
    匂いフェチ(薬品など)

    この人たちの特徴は思い込みが激しいことで、
    多くはネット上の、彼ら彼女らのか「妄想空間」にいるだけなのだ。
    「それでは、診察させて頂き話をお聞きしましょう」と書くと
    匿名性がある事をいい事に、
    殆どがどこかに逃げてしまう。

    ある時点から僕がネット上の医療相談に
    コミットしなくなったのは、
    ある意味で真面目にやるのが
    馬鹿馬鹿しくなったからだった。

    まあ、フィクションとして十人十色で
    面白いし、人間って深いなあ。。。と思うけど。

    August 21, 2013

    医療相談

    パソコン通信の1988年頃、
    いわゆる医療相談を始めた。
    当時はまだ珍しかった事もあり
    海外に住んでいる日本人(アメリカとは限らない)方達から
    さまざまな相談が届くことになった。

    その後、日本、ニュージーランドに移ってからは
    インターネットでの医療相談が中心となった。
    1995年頃から爆発的に質問や相談が増えたのには
    そういう時代背景がある。
    ネットでの医療相談が当時はまだ珍しく、
    新聞雑誌のメディアに紹介されたくらいだ

    患者を診ないで診療する事(無診察診察)は
    法的に禁じられているが
    多くの患者と家族が
    「医者なら解る筈だ」と
    広く誤解している。
    この点の誤解については別項にて述べた
    (拙文 "Father Knows the Best")

    いつでも(昼夜関係なく)、
    誰でも気軽に医療情報に
    アクセスでき、Wikiなどのデータベースや、
    ネットでの検索可能となったことで
    飛躍的に便利になった

    もちろん医学的に誤った内容ではいけないし
    学問的にcontroversial な内容でも
    相談では踏み込まないと意味がないことが多い。
    つまり多くの相談は「一筋縄でいかない」ことが多い。

    個々の相談に
    ボランティアの個人が
    「回答」をすることに
    さまざまな問題が出てきた。

    真摯に応えようとすほど
    求められる内容も複雑で
    深刻な相談が増えたのだ。

    その後、紆余曲折ののち、10年くらい前から
    ネット上の医療相談は「卒業引退」している。
    FMサルースの香月さんの番組で「教えてマーク先生」
    というコーナーを1年ちょっとやらせて頂いた位

    インターネットが一般に普及してから約20年が経過し、
    相談する側もされる側も、成熟してきたのか?
    まだ解らない。

    全然別の事を書き出したのだが、長くなったので次項へ。

    August 20, 2013

    水路

    緩やかな
    カーブのある
    水路に沿って

    海岸線を
    どこまでも
    歩いて行きたかった

    ゆっくり
    ゆったりと
    流れる

    風の音(ね)に
    耳を澄ますと
    遠くで誰かが
    呼ぶ声が聞こえた

    反芻する波の音に
    かき消されないように
    あなたの言葉が
    消えてなくならないように

    淡い残像(おもかげ)が
    渚に長い
    影を曳いた
    夕暮れ時

    暑かった夏の日
    火照る肌
     
    胸騒ぎがした

    たぶんあのとき
    確実に
    あなたに
    恋をしていた

    時間の止まった夏 

    (2013)
    〜〜〜〜〜〜

    「初恋」かどうかさえ、あやふやな記憶。
    東京オリンピックは終わっていたので、1966年頃だと思う。
    当時大学生だった叔父の運転する車(日野コンテッサ)に乗せてもらって
    湯河原の家と湘南方面によくドライブした。
    ラジオか、あのガシャっと入れる
    「8トラック」が主流だった。
    ああそういえばエアコンも付いていなかった。
    車のクーラーが一般化するのは、もっと後だ。

    茅ヶ崎のホテルパシフィック
    当時の憧れの場所
    そこにいるだけで
    夢現つ(ゆめうつつ)に
    なってしまう場所だった

    西日の眩しい車の中
    ぼーっと外を眺めていたら
    突然、同級生の女の子のことが
    思いだされて、苦しくなった。

    何とも自分で表現できない
    「やるせない気分」
    「切ない想い」
    になったことを
    憶えている。

    あれが初恋だったのか?

    『夕日、湘南、ホテルパシフィック、スパイダーズ』で
    記憶に刻まれている。

    1966年
    「夕日が泣いている」スパイダーズ

    日本人らしい所作(しぐさ)

    立ち振る舞いや
    動きを見れば
    どんなバックグラウンドの人か
    推察できる

    例えば、日本人の場合、
    歌舞伎などの演芸文化
    武道の所作
    茶道などの「道」などの
    動きは特有で
    オフィシャルな「立ち振る舞い」がある

    本来の日本人としての生活習慣と
    この訓練修練の賜物だろう

    日常生活では、欧米人が戸惑うくらい
    やたらとぺこぺこお辞儀をしている
    そのお辞儀の仕方も
    日本特有のものだ。

    会話の時に目を合わせないのも
    不思議な感じがするみたいだ。
    日本の場合あまりじろじろ見る方が
    失礼なので遠慮している訳だけれど(笑)

    だから日本人同士は「なんとなくわかる」
    不思議なもので話さなくても雰囲気でわかるのだ。

    LAで生活していた時期、
    僕らの住んでいたアパートで
    エレベーターで一緒になると
    僕はほぼ100%
    韓国人には韓国語で話しかけられ
    中国人には中国語(多分広東語)で話しかけられ
    日本人には英語で話しかけられた
    僕は日本人には見られなかったみたいだ。
    尚子は一発で日本人と判って日本語で話しかけられるのに(笑

    韓流ドラマで驚いた事がある
    多くの共通点がある反面、
    微妙な違いもある

    我彼のお互いにしかわからない
    アジア人としての同胞感覚とか
    近いが為の「近親相姦的」な
    嫌悪感とかが混在していて、
    医学で云う「免疫学的不寛容」みたいな
    微妙な違いがあるみたいだ

    ま、それはそれとして

    ぺこりと頭を下げる仕草や
    挨拶の際の目上、年少者への目線など
    立場による違いなど
    日本以上に上下関係が
    ハッキリしている感じがする。

    年齢や立場に相応の所作は、現代の日本以上で、
    僕は礼儀正しく気持ちいい印象だと思う

    僕がドラマを観る限り、
    韓流ドラマには「溜め息」が多い気がする。
    は〜という「落胆の溜め息」が特徴的
    血族や因縁や怨恨など、どろどろの人間関係が
    ドラマの中(ばかりではないのだろうけど)では
    どんどん起る(だから女性達がハマるのがよくわかる)

    だから泣きもエキセントリックな印象だ。
    もちろんドラマの世界なので
    かなりデフォルメされるけれど
    啼きに関してはプロがいるらしい

    アメリカのドラマ
    欧米のドラマ
    インド系のドラマ
    ラテン系
    中東系。。。

    これらも分析するといろいろ面白いんだろう。

    August 19, 2013

    いつでも夢を♬

    「あまちゃん」つながりで、
    流行っていたあの曲を想起した。
    昭和30年代の大ヒット曲。
    「いつでも夢を」

    あの当時は日本中の大人も子供も
    同じ曲を聴いていた。
    演歌とは違う「歌謡曲」。
    曲想もメロディも展開も
    たぶん当時としては
    新しい感覚の楽曲だったんだろう

    吉永小百合のスター性は群を抜いていた。
    子供心に、美しい人だなあ。。。と思っていた。
    ゆきはしお じゃなくて、橋幸夫は
    「おまけ」みたいなものだった。

    あの曲は、子供の頃から聴いていた歌であるか故に、
    誰でもある程度歌えるけれど、
    全て歌えることが少ない
    謎の多い歌詞である。

    1番だけでもさまざまな謎がある。
    (どーでも良い事だけど、トリビア的に)

    まず「星より密かに、雨より優しく」とは、一体どんな状態なのだろう?
    比較級で、星とか雨「〜より」っていわれてねえ(笑)。ここでまず困惑する。
    「星のように」とか「雨のように」だったら「ふつう」。
    逆言えば、そこが新しかった?
    判るようで解らないフレーズ

    で、愛しいあの娘の歌っている歌。
    歌に恋心が募る。恋しくて「涙で濡れる」わけだ。
    この辺りは、ごく普通で、ボクにでもわかる(w)

    しかし、ここから先が解らない
    というか、解らずに歌っていた

    言っているいる、お待ちなさいな

    はあ? あまりにも唐突ではないか?
    それも突然、小粋な「芸者言葉」みたいになっちゃう(w)
    そもそも「言っているいる」とは意味不明。ヘンな言葉だ
    「お待ちなさいな」とかわれてもね〜

    でも、なぜかここで心機一転しちゃって
    「いつでも夢を いつでも夢を」と続く

    これが絶妙に気持ちよく収まって
    どんどん盛り上がって行く〜
    すごいな、この展開

    2番なんてもっとスゴい(笑える)けれど、
    この昭和歌謡の名曲にケチを付ける気は全然ない。

    それにしても、吉永小百合は可憐で美しかったなあ

    いつでも夢を(橋幸夫、吉永小百合)
    作詞:佐伯孝夫
    作曲:吉田正

    星より密かに
    雨よりやさしく
    あの娘はいつも歌ってる
    声が聞こえる 寂しい胸に
    涙に濡れたこの胸に
     言っている いる
     お持ちなさいな
     いつでも夢を いつでも夢を
    星よりひそかに
    雨よりやさしく
    あの娘はいつも歌ってる

    August 17, 2013

    彼岸のアルバム

    誰にでもアルバムがある
    僕らの世代だと、記録媒体は
    まだ多くは写真であり
    プリントされたものがアルバムに
    保存されている事が多い

    自分の写真
    子供の頃から今までの
    さまざまな記念写真
    パートナーの写真
    子供達との家族写真
    友達との写真 etc

    アルバムとは
    人生のさまざまな瞬間の記憶が
    切り取られている
    膨大な画像情報

    いい写真を見ると
    その時代、その時に
    身体ごと移動する。

    大袈裟に言えば
    シズル感に心が震える。

    そしてその感覚に
    新しい旧いの違いはない
    何故なら写真はその人の
    「個人的体験」だから

    僕らの世代頃から、テクノロジーが急速に進化して
    「写真を撮る」ことの敷居が下がり
    バーチャルな世界とリアルな世界の
    記憶そのものの境目も曖昧になった

    自分が死んだ後
    自分と自分にタグ付けされている
    膨大なデータは
    どこに行くのだろう?

    以前書いたように、
    http://sandgem.blogspot.jp/2013/02/blog-post_5.html
    ボクの死後ブログはどうなるのか

    生身のその人を
    記憶しているのは
    3世代(孫世代)までが
    せいぜいだろう

    どんなに立派な
    偉業を達成しようが
    市井の人間がごく普通の
    人生を送ろうとも
    実はたいした差はないのだ。

    つまりそれ以上の
    世代の広がりは
    匿名性を持った
    任意の個人として
    記録されるに過ぎない

    まだどこにも答えはなく
    その未来をこの目で見る事は出来ないと思う

    つまり浮き世のことすべてが泡沫の夢
    全て土に還る

    あらら、オチはいつもの話になっちゃった(笑)

    August 16, 2013

    『春の嵐アルデンテ』

    春の嵐アルデンテ ←クリックするとYouTubeで御聴き頂けます

    ハックルベリーフィン1972
    作詞:松村光芳 作曲:篠根丈二 (2013)

    1)
    今日は 彼のバースデイ
    まだ憶えてる 彼のバースデイ
    春の嵐のあと
    桜の散った 
    カフェテラス

    ケーキでも食べようかと
    思ったけれど
    お腹が空いたので
    パスタにした

     私ってバカみたい
     小娘みたいに
     今日はなぜか
     センチメンタル

     私ってバカみたい
     小娘みたいに
     泣けたらどんなに
     いいでしょう

    2)
    移り行く 季節の中
    夢にさえ出てこない
    部屋の片隅や
    あちらこちらに
    いつまでも残る
    彼の切り抜き

    ちょっとだけ
    ワインを飲みたくなって
    口に含んでみたら
    苦笑いが
    泣き顔になった

     私ってバカみたい
     小娘みたいに
     今日はなぜか
     センチメンタル

     私ってバカみたい
     小娘みたいに
     泣けたらどんなに
     いいでしょう?

    <間奏>

    彼の誕生日だけは
    忘れられなくて
    全てを置き去りにして
    消えてしまったけど
    今でも彼のこと 
    気にしてる私の
    心のどこかで
    彼の切り抜き なぞっている

    3)
    今日は彼のバースデイ
    まだ憶えてる 彼のバースデイ
    春の嵐のあと
    桜の散った
    カフェテラス

    ケーキでも食べようかと
    思ったけれど
    お腹が空たので
    パスタにした

     私ってバカみたい
     小娘みたいに
     今日はなぜか
     センテメンタル

     私ってバカみたい
     小娘みたいに
     泣けたらどんなに
     いいでしょう

    http://youtu.be/JQpCk_56_Tg