August 17, 2013

彼岸のアルバム

誰にでもアルバムがある
僕らの世代だと、記録媒体は
まだ多くは写真であり
プリントされたものがアルバムに
保存されている事が多い

自分の写真
子供の頃から今までの
さまざまな記念写真
パートナーの写真
子供達との家族写真
友達との写真 etc

アルバムとは
人生のさまざまな瞬間の記憶が
切り取られている
膨大な画像情報

いい写真を見ると
その時代、その時に
身体ごと移動する。

大袈裟に言えば
シズル感に心が震える。

そしてその感覚に
新しい旧いの違いはない
何故なら写真はその人の
「個人的体験」だから

僕らの世代頃から、テクノロジーが急速に進化して
「写真を撮る」ことの敷居が下がり
バーチャルな世界とリアルな世界の
記憶そのものの境目も曖昧になった

自分が死んだ後
自分と自分にタグ付けされている
膨大なデータは
どこに行くのだろう?

以前書いたように、
http://sandgem.blogspot.jp/2013/02/blog-post_5.html
ボクの死後ブログはどうなるのか

生身のその人を
記憶しているのは
3世代(孫世代)までが
せいぜいだろう

どんなに立派な
偉業を達成しようが
市井の人間がごく普通の
人生を送ろうとも
実はたいした差はないのだ。

つまりそれ以上の
世代の広がりは
匿名性を持った
任意の個人として
記録されるに過ぎない

まだどこにも答えはなく
その未来をこの目で見る事は出来ないと思う

つまり浮き世のことすべてが泡沫の夢
全て土に還る

あらら、オチはいつもの話になっちゃった(笑)