February 28, 2013

タイ生命保険CM

タイ生命保険「Daddy」日本語訳付きCM 90秒
http://youtu.be/Gz8mCaOIRt8

限られた枠でこれだけのものを作るなんて素晴らしい!
号泣してしまった。

これも切ない。
http://youtu.be/WEe9Z0YagOA

どれも珠玉の作品

NEVERまとめ
http://matome.naver.jp/m/odai/2135757442714872801?page=1

日の丸お粥


入院してから朝ごはんはずっとパン食だったが、最近はお粥の朝食が美味しい。日本のご飯が最高だ!10クール目の今回も、副作用にうまく対応しながらご飯は食べられている。本当に有難いことだ。

 本日の朝食:
  お粥(全粥)半量
  おかず(卵焼き1/2)
  ヨーグルト1個 (アロエ入)
  プロテイン30g(ホエイ・カゼイン)
  牛乳200 
  フルーツ(オレンジ)

「日の丸弁当」って懐かしい響きだ。今でも幕の内弁当の白飯の真ん中には小梅干しがあるべきで、これがないと画竜点睛を欠く。日の丸の梅干しは、日本人の心象風景だ。

日本中の人たちが、「今日も元気に行ってらっしゃい、気をつけて!」という気持ちを篭めて、仕上げの日の丸シンボルを乗せる。これが日の丸弁当。気持ちのこもったお弁当は、美しく有難いものだ。

この、日本中の母たち妻たち(だけではないけれど)の祈りがこの国をこの国たらしめている。そんな気がする。写真のお粥に、毎朝日の丸に向かって心の中で手を合わせている。

写真は本日の朝食の一部。
食べ物ネタばかり書いてますね。そう、お陰様で調子がいいんです。

February 27, 2013

突然お見限り(おみかぎり)

僕は一旦気に入って、好きになると浮気はせず、ずっとそのお店に通いつめてしまう傾向がある。メニューもわりとパターンが決まっていて、同じ店の同じメニューを食べることが多い。つまり、そんなに冒険はしない。食に関しては保守的なんだと思う。通いつめるはずだった、お店のほうが無くなってしまった例も少なからずある。

高校時代からのファンである万世麺店の排骨ラーメンとの付き合いはかれこれ40年だ。ところが残念なことに、ここんちは最近味が明らかに落ちた。最近過去3回「これは何かの間違いではないか?」と思っていたら、ネットを見ていると同じ意見多数。うあっ、やっぱりね。そもそもザージャ(肉味噌)がメニューからなくなった頃からおかしくなった。かつての万世麺店の復活を祈るばかりだ。ああ、肉味噌排骨大盛りの復活を!!
サイト紹介記事より。今はなき肉味噌パーコー

さて、今日ポストしようと思ったのは、逆の話。

あれだけ通いつめていたのに、何となく行かなくなって、そのうちに行きづらくなって、本当に行かなくなってしまうようなこともある。近所のレストランだったり、バーだったり、床屋さんや美容室さんだったり。

数年前自宅のすぐ近くにセンスのいいオーセンティックなバーが出来て、気に入って週2から3で通っていた(今でもある)。ただ問題は、そのバーは自宅から近すぎた。近すぎて逆に不便。すなわち、行かない理由がないのが問題(ヘンな理由だけど)なのだ。その後、駅に隣接して出来たスポーツクラブに週2−3で通い出したら、家に帰る寄り道をしなくなり、そのバーとは疎遠になってしまった。気に入らないことや嫌な思いをしたわけではないのに、ちょっと行かないでいると行きづらくなってしまうのだ。本当に特別なきっかけがあるわけじゃない。

たぶん僕の自意識過剰なんだろう。お店の人は何とも思っていないのかもしれないけれど、気になりだすとダメなのだ。突然行かなくなったことに対して「申し訳なくて」さらに足が遠のいてしまうのだ。さら〜っと行ってしまえば、たぶん何の問題もワダカマリもないんだけど。

February 26, 2013

勉強しすぎて頭が爆発した人はいない

さとなおくんのブログ
身震いするくらい勉強したくなった記憶
http://www.satonao.com/archives/2013/02/post_3507.html

これすごくわかる。
勉強をしていくと、進めば進むほど自分のまだ知らない知の広大な世界が広がっていることを知る。自分の小ささを知り、これから進むであろう道について考える。

勉強は際限なく、幾らでもできる。
勉強をしすぎて死んだ人はいない。
脳が許容を越えて勉強しすぎて
発狂した人もいない

僕が今まで自分で一番勉強したと思う時期は、やはり医学部の卒業試験か。医学部では毎回の試験には追われていたけれど、卒業すれば国家試験には通るものなので、ある意味勢いで頑張れる。卒業試験の数ヶ月は、眠っている時以外は机に向かったけれど、ゴールがある闘いっていうのは頑張れる。

でも自分のために学ぶこと、
自分を高みに連れて行ってくれる
知への挑戦は限界がない
知の欲求には貪欲でありたい

ああ、勉強がしたいと思う
その気持ちが愛おしくなる昨今

じゃ今からでも、四の五の言わず
やればいいんだけど…(笑

February 25, 2013

ニンニクについて

昨日のエントリーは「だんみつ」今日は「にんにく」

だんみつなにんにく。
ちょっと似ている。

全然似ていないか(笑)

僕はにんにく(大蒜)が大好きだ!
にんにくは年代によって扱い方のぜんぜん違う食材。子供の頃はほとんど食べたことはなかったが、やはり1970年代には、ぐっと身近で一般的になった気がする。

逆に言えば、それまでは「非日本」的で、不当に差別的な意味合いがあったのだ。以前はにんにくを使った料理を口にすることはまずなかったはずだ。戦後も1970年代までは「特殊な食べ物」的な扱いを受けていたと思う。あんなに美味しいのに。

焼肉は高校生くらいまで食べたことがなかったし、美味しいキムチも食べたことがなかった。僕らの世代には食の偏見はないけれど、当時はまだ、にんにく臭には後ろめたさががあったのだ。今では考えられないけど。

その意味では、餃子だってにんにく差別的ではあったけれど、一般家庭に入るのは早かった。イタリアンなどでにんにくをふんだんに使うようになったのは、やはりバブル期以降のこと。つまり、日本の食卓がここまで、グローバル(というかユニヴァーサル」になったのは、つい最近のことなのだ。すごいね、日本。

February 24, 2013

だんみつ

壇蜜って何の事か、つい最近まで知らなかった。

淫猥で、物憂げで、
どろどろで、とろとろだと勝手に思ってた。
俗悪で、偽悪趣味
媚びることとの嘘臭さを知っている。

星の数ほどいる、いわゆるセクシー系モデルの一人だと思ってた。
ところが、昨夜のチューボーですよ!を観ていて、認識を新たにした。
ゴメンナサイ。完全に偏見だった。

単におっぱいの大きいだけのおばかさんではない。おバカ・セクシー系だと思っていたらテレビで普通の会話もできる。昨夜の番組での対応をみていて、ごく普通だと思った。

わざとらしいキャラの世界に浸れる熱狂的なファンがいて、それが虚構的であればあるほど、もしかしたらあのエッチさは「壇蜜」の実像そのものなのではあるまいか?
という妄想をかきたてられる(なわけないだろ)(笑)

スケベ心で喜んでいる男性陣
笑い飛ばせる男はいいけど、
女性からは総スカンをくう
リスクは必発必須
もちろん当然賢い彼女はわかってるだろう。

シャレとお笑いと紙一重のエロさ
そこがオカシイ&面白い
あとは壇蜜というキャラの名前が秀逸

ま、どーでもいいけどさ。

February 23, 2013

チュルチュル食べてはいけません

最近食い物ネタばかりですみません。
それだけ調子がいいってことで…(笑)

1970年代というのは、日本人の食生活が大きく変わった時期だ。それまでは「梅ちゃん先生」の時代で、家族揃って食卓で食事をしていたし、食事の内容のバリエーションもそれほどなかったのだ。終戦直後のコカ・コーラ文化と前後して、50年代から60年代にかけて、どっと入ってきたのがアメリカのケチャップ文化ということになる。

甘いケチャップでベタベタの「スパゲッティ・ナポリタン」と「スパゲッティ・ミートソース」。僕らは長い間あれが唯一無二のスパゲッティだと思っていたのだ。それがパスタの一種であることを知ったのもずっとその後のことであるし、アメリカ移民文化経由のイタリア文化である(つまりそういうフィルターがある)ことを知ったのは、ずっと後のことになる。高校生の時初めて食べた六本木のアントニオのアーリオ・オーリオは衝撃だった。

日本のパスタ文化が花開く素地となったのは、1970年代の日本独自の「喫茶店とスナック」文化がある。日本独自に発達した和風の日本のパスタの数々。納豆スパゲッティなんて絶対にイタリアンのシェフは発想できまい。

とくに1970年代だろうか?オリジナルではまずアリエナイような独創性のある、明太子、納豆パスタなどに度肝を抜かれたものだ。さらに様々な食材が入手できるようになったのもバブル期以降。様々な情報を得ることができるようになったのが大きい。さらに、ここ20年で変わった。その辺の事情については、まだまだ書いておきたいこともあるんだけど。

本来、食生活や食文化というものは、保守的なはずなのに、日本人は先進性もあるし貪欲で、本当に「食道楽」なんだと思う。これほどバラエティのある食事を摂っている「普通の人たち」がたくさんいる社会をボクは知らない。

画像は大好きなPICOのスープパスタ
これは絶対ちゅるちゅる食べたほうが美味しい!

(画像はお店のHPより)

February 22, 2013

不満確定申告

毎年この時期の悩みの種、確定申告。準備に時間がかかるし面倒くさくて、なかなか先に進まない。様々な伝票の処理とか税金関係の処理、記録関係の整理…etc. 終わってしまえばそんなに大変でない事柄でも、つまずくと時間と手間がかかるのだ。特に会社関連のモロモロと原価償却関連がわかりにくい。あ〜めんど。

ここ数年は税務署の様式のソフトで申告しているのだか、これがなかなかの曲者。実にuser-unfriendlyな作りなのだ。途中で止まってしまったり、プリントアウトが巧く行かなかったり、説明の文章があっても、それがわかりづらい。一昨年も昨年も苦労した。毎年のことなので、大変だったことは覚えているんだけれど、システムに全然進歩がないのも腹が立つ。だって税務署の申告の考え方そのものが、親方日の丸なんだもん。

特に今年は昨年来の病気の関係で、いつも以上にチェックすることや記録することが山ほどある。ということで、この週末で終わらせるようにするつもり。

追補:
本日一応すべての計算が終了し、さてプリントアウトを開始するも、ここで動かなくなってしまった。最悪なのは残っているはずのデータが無くなってること。データが壊れている可能性がある。あれほど注意してバックアップとったのに。ただテキストでメモをとっていたので、明日やり直すしかない。ひどい話だ。

February 21, 2013

入浴外交を推進すべし

温泉、大浴場、リラクセーション…は、殆どの人(日本人だけでなく日本で暮らす外国人も)が共有できる素晴らしいメンタリティだ。多くの日本人にとって「湯に浸かって全身をのばし温めてリラックスする」ことは、至福の時間。

ということで、先週混んでいて断念した「湯けむりの庄」宮前平に行ってきた。今まで機会がなく初訪問。清潔だし快適だし、設備も素晴らしい(全国温泉ランキング3年連続第1位!)し、至れり尽くせりのサービス。本当に素晴らしい。天然温泉なので湯冷めしない。快適なチェアがあって一眠りした。出てから2時間くらい汗をかくくらい温かかった。なお、外出してお風呂に行くのは、最近の「冒険シリーズ」のひとつ。外出先で立ちくらみでも起こしてはマズイのでちょっとドキドキではあったけど、お陰様でミッション・コンプリート(笑)。

天然温泉が日本の「湯治」文化の起源だろう。大昔から日本は火山列島としての宿命を背負って温泉と生活してきた。延々脈々と続くお風呂リゾート文化。老弱男女、身分の貴賎や差別の少ない、お風呂礼賛主義。素晴らしいのは、日本が入浴という習慣を文化にまで高めたことで、飛鳥薬王院時代から近代・現代まで遡れば日本のエンターテインメント論が展開できそうだ(どこかにあったなあ)。

その昔(昭和30年代)熱海の大旅館にあった「巨大ギリシャ風呂」は、裸で動きまわるのが憚られるくらい巨大で、豪華絢爛な装飾をした風呂だった。なんでわざわざ古代ローマ時代の公衆浴場を模して公衆浴場を作るのかは、多分絶対に日本人以外には理解不能だろう(笑)。テルマエ・ロマエは、だからこそ受けたんだけど。日本人のこだわりがおかしい。

台湾にも北投(ペイトウ)温泉とかあるし、韓国も温泉があるみたいだけど、やはり日本人のお風呂好きが飛び抜けてる。そういえばLA時代わざわざヴェンチュラ辺りまで温泉に入るためにドライブしたり、ニュージランド時代にはロトルアとか温泉郷まで車を飛ばしたり、懐かしい思い出。

日本では個人風呂が一般的になっても、まだお風呂文化が残っていてパブリックスペースで、皆が全裸になってリラックスするという習慣が残っている。素晴らしいことだと思う。皆が裸になって本音を話し合う。探りあいはなし。どこも隠すものはありません、なんて…素晴らしいことだ。まさに裸の付き合い。

サウナ文化があるフィンランドもあるし、我が先頭を切ってお風呂外交をすすめるべきだ。長い歴史の培った日本人特有のサービス精神と工夫が生んだ世界に冠たるお風呂文化が、日本人のDNAにはしっかりと組み込まれているのだ。日中韓との対話の緒は、ひと風呂浴びてビールで乾杯すれは絶対うまく行くはず。あ、こんどの韓国大統領は女性だった。竹島問題は別枠で。

February 20, 2013

ベッドサイドのメモ

気になるフレーズは、
ふと閃いたsomething
そこに敢えて目を向ける

感覚だったり、感情だったり

閃いて何か書こうとしても、
すぐ忘れてしまうものだ

想起したイメージを残しておきたい
キッカケになるフレーズだけでも留めておきたい

最近せっかく閃いたとしても
何を閃いたのかさえ
瞬間的に忘れててたり
一所懸命思い出していても、
何を思い出しているのかを忘ていたり

覚醒と睡眠の中間点で
寝ている時とか
目覚めた直後とか

ベッドサイドにポストイットを置いて
最近できるだけ記録をとるようにしてる

朝になり、全然記憶がないものも多くて、驚き焦ることも多い。
走り書きのメモを見てみると新たな発見も多い。

続けてみるつもり。

February 19, 2013

往なすアマモリズム

化学療法10クール目、無事終了。
調子は悪くないけど、終日眠くてちょっと油断すると直ぐ眠ってしまう。これは今までにも経験している副作用。集中感がなくて仕事が進まない。でもこの時期しょうがない。あとはしゃっくり。困るけど、これも症状を「往なす(いなす)」ことで対応しよう。
この「往なす」って、病気への対処の仕方としてすごく大切な何かを含んでいると思う。考察を続ける。

2355
アマモリズム (木村カエラ)
本日のタイムスタンプ参照。23:59:00
こういう言葉遊びは昔から好き。

February 18, 2013

叙々苑賛歌

従姉妹が来てくれて、お見舞いに何がいい?と。
はいはい、それはもう、アレしかない。ボクがいつもご飯を一粒も残さず食べてしまう、アレだ。

僕はこの叙々苑の焼肉弁当が以前から大好き。あ、これ美味しいなあって思ったのはたぶん10年は経ってないんじゃないか。わりに新しい。バブルの頃は随分豪華になったものだけれど、今は実質本位でコンパクトになった。いわゆる普通の焼肉とは別のジャンルとして「焼肉弁当」は素晴らしいと思う。

甘ダレで優しく焼いてある柔らかいカルビ。絶妙のバランス。これってあのバランスにまで高めるには大変な試行錯誤があったんだと思う。ただ焼肉してご飯にのせるだけではなかなかうまく行かないはずだ。弁当だから熱々の焼肉じゃなくて「ちょっとだけ冷めている」っていうのもポイントなんだろう。レンジでチンする構造の弁当箱も付属してる親切さ。ナムルや煮豆、キムチもそれぞれ美味しい。

食欲がない時期には、助かるのだ(今は絶好調だけど)。少し食べてみようかな?と思える。もしかしたら、叙々苑焼肉弁当は「崎陽軒シウマイ弁当」にまで進化できるかも。あ、今半のすきやき弁当も好きだし。。。本当に食いしん坊なんだと思う(笑)。

餃子Express

先日じょうじ君と話していて思いだした。

餃子を上手に作ることは素晴らしい(僕らは餃子&ラーメン・フリークだ)。ぱりぱりで香ばしい皮&もっちりの食感、ジューシーな餡、完璧な「焼き」…。どの店もどの家庭の餃子も、結局それなりの個性を持ち、それなりに美味しく、ホーム・アウェイ問わず、決して遜色なく美味しいことが多いのだ。

つまり僕らの結論としては、餃子ってどこで食べてもそこそこ美味しいし、極言すればどんなレシピでもあまり差がないってことだ。これは余程マズイという餃子じゃなければ、わりと懐深く許容するところがあるってこと。つまりプロとアマの差が出にくい。

引退後の第二の人生道として、例えば餃子屋さんなんてどうかね?GyozaExpressとかテイクアウトをうまくビジネスにしてしたりして…。けっこううまくいきそうに見える。
まあ場所と売り方がポイントであることは素人の僕にでもわかるけど。餃子の王将はひとつの究極だ。あ、でもコレ全然ちがう。あれは大量生産の大企業。

一昔前では脱サラしたあと「おいしい珈琲を淹れる喫茶店」とか、「こだわりの蕎麦屋」なんかが「ありがち」だけだったけれど、あまり成功してる例は知らない。これは、たぶん皆こだわり過ぎちゃうんだろう。2-3年で嫌になって撤退することが多い。

そこがアマチュアとプロの差なんだろう。これはどの世界でも同じはずだ。
どんなに餃子作りが好きだとしても、若いころと違って毎日毎日、店の準備をして仕込みをして、お店を経営していくのは絶対楽じゃない。好きだからとか、得意だからとかではとても、毎日数百個の餃子作りはできない。早晩嫌になってしまうはず。それまでは、客として観ていたお店は、ある時点から全然違った厳しいものに見えるはずだ。本当に厳しい世界。

やはり修行時代の大切さというか、仕事をするということの基本には「四の五の言わず働くことの尊さ」が大切って話で、まずは根性論にもどっちゃうんだけど。あとは師匠への信頼感かな。

チューボーですよ!の未来のシェフたちを観てたら思った。
ちなみに画像はお気に入りの宮崎台の「北京」(文章とは無関係です)

February 17, 2013

Martinが呼んでいる

Martin HD-28 VC (Vintage Custom)
Sound suppressor attached.
久しぶりにギターを奏でてみる気になった。

February 16, 2013

「そぐぜき」について

1984年。外科研修医として1年間の出張を命じられた。行き先は福島県郡山市。病院近くのアパートに住み、病院からの呼び出しが頻繁にあったものの、公私共に充実した素晴らしい日々だった。楽しい思い出の数々。本当に福島の人たちって、温かくて親切な人が多い。美人も多いし性格のいい人も多く最高だった。当時は独身でモテたし(笑)。

さて赴任して、困ったのはやはり言葉の問題だ。東京生まれ東京育ちの僕にとって、ある意味「いわゆる福島弁」が悩みの種だった。若い人たちはバイリンガルなので問題ないのだが、特にお年寄りは時々コミュニケーションが取れない場合があった。訛りは会津、中通り、浜通りの3種類があって全然ちがう。さらに一番困ったのが地方ごとの言い回し。ということで、外来についてくれるナースに「ねえねえ、どういう意味?」とか小声で聞いて対応していたのだ。いわゆる通訳。

たとえば、患者さんに外来で「傷がねばってきた」とか言われた場合、僕とすれば焦って、化膿したのか?と思ったら、患者さんは逆でニコニコして「キズが治ってきた」という意味だったりして。

さて夏前のある日の外来。高校生の男の子とその子の付添のばーちゃんが外来に来た。食欲不振で元気がないというのがその訴え。

一通り診察をして問診。
体重は減っていないという。
軽い貧血があるかな?という程度。
元気で大きな病気が隠れているように見えない。

「せんぜ、この子「そぐぜぎ」ばかり食べるんです」と、
ばあさんが訴える。

ん? そぐぜぎ? 何か僕の知らない食べ物なんだろうか?

と、男の子の方を観ると、うつむいて恥ずかしそうにしている。

特殊な食べ物かもしれないと思ってナースに、小さな声で…
ねえねえ、「そぐぜぎ」って何のこと?


それを聞いて、そのナースは大爆笑!
涙を流して笑っている。僕以外は爆笑〜苦笑
男の子もばあちゃんも「なははは…」と苦笑。

「即席ラーメン」のことですよ!と。
ナーステーションのスタッフ一同、ぎゃははは、と涙を流してる。

これには僕が脱力、
なーるほど、と納得
さらに大爆笑となった。

その後何ヶ月間、僕は「そぐぜき」というアダ名を頂いた(笑)。
懐かしい思い出だ。

NHK「八重の桜」を観ていて久しぶりに思いだした。

February 15, 2013

20130215メッセージ



 昨夜から本当に多くの皆さんから誕生日メッセージを頂きました。お陰様で56回目の誕生日を迎えることができました。今日という日は自分にとっても特別な意味のある誕生日となりました。皆様の温かいお気持ちを頂き、改めて御礼申し上げます。

昨年4月に脳腫瘍(悪性膠芽腫 grade4)が見つかり、手術、放射線治療、高圧酸素療法を施行しました。現在も抗癌化学療法を継続中です。これまで順調に治療ができているのも、ひとえに荏原病院の土居先生はじめ素晴らしいスタッフのご尽力によるものと心より感謝しております。現在は東大医科研病院(白金)の新しいウィルス療法の可能性も視野に入れ、外来に通院しております。お陰様で順調に化学療法中(現在10クール)で、安定している限り継続する方針ですので、まだ当分は奥沢病院にて入退院をしつつ治療を継続める所存です。

昨年9月に目黒パーシモンホールで行いましたレクチャーの写真を載せます。正直に告白しますと、僕はこの時このレクチャーは皆さんと話せる最後のチャンスになるかもしれないと思っていました。その後の経過と治療の反応がよく、今でも生活をエンジョイできています。本当に有難いことです。

今僕は、出来る範囲で「普通の生活」をするように努めています。少しづつですが往診や外来をするようにしたいと思っています。焦っても仕方ないし、毎日毎日を噛み締めながら生活して行きたいと思います。まだまだ道は長い。どうぞこれからも宜しくお願いします。

改めて、多くの温かい誕生日メッセージありがとうございました。
たくさんの力を頂きました。

2013−2−15
marc (松村光芳)


February 14, 2013

弱いから強い

自分が弱いことを知っている人は強い
人に隙を見せられる人は強い
何も失うものがないので
弱いから強いのだ

見栄を張る意味が無いので
意地を通して
人とぶつかることもない
強いから優しいのだ

人生の終末期を
日常的に意識して
生活してみると

僕らが究極的に
安寧の境地を求めた
現実の混沌とした
日々の生活は
それほど単純明快なものでない

これまでも、わかっていないことが
 たくさんあったことがわかる
これからも、わからないことが
 たくさんあることがわかる

死を前にしても
僕らはこんなに
揺れるものなのだ

諦めるのではない
人生は有限であることを
全身全霊で受け止めること

それを寛容することは
開き直ることと正反対の
考え方なんだと思う

開き直ってすべて「あなた任せ」とするか
向き合って自己実存と和解するか

いずれにしろ
自分が弱いことを知っている人は強い
人に隙を見せられる人は強いのだ

February 13, 2013

元祖ハックル

Wikipediaの記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)

ハックルベリーフィン(HUCKLEBERRY FINN)は、埼玉県草加市出身の3人編成のロックバンドなお、1970年代のラジオ番組『たむたむたいむ』で「流れ星」などを歌った「ハックルベリーフィン」とは全く別である。

ほほう、わざわざ記述してある。彼らがおむつしていたころからやってるんだよ。
光栄です(笑)。

ツボとは何か?再考

例えばレコーディングする時、ある「ツボ」にはまってしまうと、もう後から後から笑いの洪水がこみ上げてきて、止まらなくってしまうことがある。さあテイクを録ろう!という、その瞬間に起こるのだ。唐突に、何の脈絡もなく。このツボにハマると、もうダメ(笑)で、その嵐が過ぎ去るまでどうしようもない。そこにいる人達全員に伝染して、大のおとなが涙を流してゲラゲラ笑うことになる。

この「笑いのツボ」ってのは、何なんだろう?さすがに若い時ほどは頻繁ではなくなったけれど、今でもごくたまに起こることがある。涙を流しながら腹を抱えて笑ってしまう理由が自分たちでもわからず、「何がどうおかしいのか?」を人に説明できない。

とくに笑っちゃいけない時に、発作的に異様にオカシくなって、自制に苦労するので始末が悪い。何故なんだろう。不思議だ・・・

ちなみに、ツボとは経穴のことだ。刺激すると「痛気持ちいい場所」であることとが多い。いわゆる「急所」のことだ。そこから派生して「笑いのツボ」。「落としどころ」とか「決め技」みたいなニュアンスがある。

By the way,
「そんなことをすれば、彼らの思うツボだ・・・」なんていう時は「思う壷」だろう。

むむむ?この壷ってのは「ドツボにはまる」のツボだ。文章自体がそもそもあまりいい意味ではない受動的な内容。つまり、彼ら(敵)の「思う壷」に嵌められてしまう=良くない事態のこと。これは好ましくない事態だ。

他にも書きたいことがあるんだけれど…
あーあ、支離滅裂。そんな日もある。

revised 
Original, Sept.06, 2006

February 12, 2013

明日が来ることをお知らせします。


「2355が明日が来ることをお知らせします」

ちょっとだけ弱気になりそうな深夜の病棟
このメッセージが心に響いた。

この番組(と0655)を観ると「やっぱりNHK」ってしみじみ思う。

February 11, 2013

ささやかな冒険

化学療法前の連休週末。三重から大学の同級生のTくん(旧姓M君)が来てくれた。彼女とは大学6年間の仲間。厳しい試験や実習のある医学部には特別な同期意識がある。いつも心配してくれ、美味しいものを持って時々会いにきてくれる。今回も抜群に美味しい苺を頂いた。ありがとう!

週末は体調も良かったので午後から帰宅へ。
公開以来、ずっとチャンスがなくて諦めかけていたのだが、映画「レミゼラブル」に行く事にした。昨年病気になって以来、映画に行くのは初めて。時間も長いし、疲れて最後まで観れるかどうか自信がなかったのだ。かなり勇気を振り絞って行く事にしてよかった。尚子とゆっつんとともにグランベリーモールへ。 

映画はレミゼラブル。今さらだけど、ジャンバルジャン役のヒュー・ジャックマンは素晴らしい役者。アカデミーは当然。この人はキワものなのかと誤解してた。まったくの誤解でした。脇を固めるシャベール役のラッセル・クローも巧い役者。じつは彼もこんなに歌のうまい人だとは思っていなかった。すごいすごい。アン・ハザウェイの魅力はもちろん。特筆すべきはやはりコゼット役のアマンダ・セイフライド。以前からこの人のことはファン。マンマ・ミーアの娘役のイメージが強い。彼女の透明感のある声が素晴らしい。可愛いらしい人だ。さらにファンになってしまった。映画そのものは安心感のある重厚な作り。映画的にはちょっと長過ぎて冗長な印象だったけど、原作が書かれた時代を考えると仕方ないんだろうな。
久しぶりの映画を堪能した。ささやかな冒険。

休日朝。ゆっくり起床して、昼前に宮前平へ。宮前平のスーパー銭湯にここ半年くらい行きたかったのだ。ふつうなら何てことのない坂の上にあるのだが、この坂が大変。やっと坂を上り切ってみたら、なんと入場制限とのこと。受付で「最短でも1時間」と言われてしまい、さすがに断念。快晴の休日だから仕方ないか。久しぶりの長時間散歩でよしとしよう。
ささやかな冒険、その2。

帰宅してから午後はのんびりテレビを眺めたり昼寝をしたり。夕食はPICO風のスパイシースープ・パスタ(トマト味)を久しぶり急遽作ることにした。超弩級のにんにくを入れてしまった。うまし。ささやかな冒険、その3。

できることをやる。やれないことを悔やんでも仕方がない。
このささやかな冒険が日々の糧になる。

また明日から化学療法再開の予定。

February 10, 2013

Behind the Scenes イーグルス

Behind the Scenes: History of The Eagles

(marc 意訳)
どうして俺たちが成功を掴んだかって?幸運なことにびしっとタイミングがあってた(right place, right time) 事だ。成功するってどういうことか、学校に行っても教えてもらえないし、どうやってそこに行くのか自分でわかる(figure out)しかない。俺達がどんな40年間を過ごしてきたのか今こそ語ろうと思う。年取ってボケちまって昔のことは忘れちまう前に。

かっけー!イーグルス(楽天ではない)

February 8, 2013

風吹ジュンの「ふふふ」について

この人のことは、高校生から今に至るまでずっとファン。その証拠に日比谷高校のクラス日誌に記事を書いているくらい(w)。余程好きだったんだろう。単なるグラビアアイドルというよりは、今でも思い入れのあるタレントさんなのだ。

僕は、この人の魅力は、本人が多分意識していない「ふふふ」という笑顔オーラだと思う。誰もを振り向かせる力のある笑顔。媚のない、自然な笑顔。これは多分、彼女が小さい頃から持って生まれた資質なんだろう。女性の「にこっ!」とか「むふ♡!」とかは、わりと「ある」けれど、この人のような「ふふふ〜オーラ」はタダモンではない。

そのキャラは「コケティッシュ」とか、「アンニュイな」とか、当時から形容されていたけれど、当時から単なる可愛い子ちゃんアイドルとはちょっと違ってた。ネットで経歴をみてみると、この人がかなりの苦労人なんだとわかる。底の浅いぶりっ子オーラなんて全然相手にならないくらいの苦労を背負っているのだ。

アイドル時代、事務所トラブルもあったし、スキャンダラスなこともあった。林真理子「アッコちゃんの時代」にあの時代のことは詳しい。

その昔、六本木のパブカーディナルで垣間見た姿は輝いていたなあ(遠い目)。

これだけ数多く女優がいる中で、強かに、この海千山千の芸能界で生き残っていくのは単なる才能だけではないと思う。特にここ10年くらいの活躍は、本当にいい感じで歳を重ねた役者さんだと思う(僕が云うのも変だけれど)。むしろ歳を取ってからのほうが魅力が増したと思う。

いくつになっても「ふふふ」って、これからも頑張ってね。

February 6, 2013

Bad news first, then good news.

Good news と bad news、どっちから先に知りたい?
欧米でよく聞かれる質問。通常は、オチがあるのはbad newsの方だけれど、イギリス系のジョークの場合、かなり高度な(w)反射神経が必要になる事が多い。大人の素養というか、まともに対応できないと大人として恥ずかしい。
この件、別稿にて追補しておこう。

どうせ知るならBad news firstであるべきだ。どうしても耳に心地いいGood newsのほうに気をとられてしまい、悪いニュースを後にしがちなのだけれど。組織を管理する立場からいえば、Bad newsこそ出来るだけ早く周知したい。risk managementの基本。

昨今のいじめ問題、体罰問題の柔道界など、ひどい場合には悪い情報は「もともとなかったことにしてしまう」という旧態依然とした古い体質があったのかもしれない。

February 5, 2013

ボクの死後ブログはどうなるのか?

エピタフについて
http://sandgem.blogspot.jp/2012/05/epitaph.html
以前から墓碑Epitaphに興味があった。いままでにいくつかのエントリーがある。

実はついこの間まで、大きな誤解というか、自分で都合のいい事を考えていたのだ。というのは、ネット上に拡散している情報は勝手に「無限大に」拡張していくものだと思い込んでいたのだ。つまり僕が書いたテキストや画像、動画や自分の生活のなかでクリップしているデータは「未来永劫ネット上のどこかに存在していて」検索しさえすれば簡単にアクセスできるはずだと思い込んでいた。

つまり、自分が死んでも何十年何百年先の未来の誰かが見たり読んだりするかもしれないとか考えていたわけだ。ナイーブなことに。

しかし現実にはそんなに甘くない。アタリマエだ。GoogleにしてもYahooにしてもどこも営利企業なわけで「死んだユーザー」は在る一定の期間が経過したら、その情報も匿名性を持って土に還るのだ。つまり死んだら「いつのまにか」ネット上の人格も無くなる。アーカイブされていない情報はもうそれだけで厳しい状況に置かれてしまう。

考えてみればアタリマエのことだ。
当然、筆者・執筆者・著作権者にとってはどうやってその権利を担保するのかが最大の問題だろう。その人がどんなことを考えて生きたのか?ベタな言い方をすれば「生き様」。
現実問題としてその人の事をリアルに知っている人(家族、親族、友人、知人)が全員死ぬまで(ってことは、せいぜい100年くらいか)データベース化できれば理想だと思う(もちろんビジネスとして)。

自分のブログなどの拙文駄文なども、ちゃんとアーカイブして保管しておかねば。ニフティーの頃のエントリーとかウェリントン通信とか散逸しているものもある。自分でオトシマエをつけておかないといけない(反省)。

現在ネット上では様々な議論がされている。サービスとして今後様々な展開をしていくんだろう。

死んだ後のエントリー
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1206/22/news005.html?fb_action_ids=476479935746663&fb_action_types=og.likes&fb_source=timeline_og&action_object_map=%7B%22476479935746663%22%3A10150888743393807%7D&action_type_map=%7B%22476479935746663%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D

まろまろ遺書
http://maromaro.com/archive/2003/07/07/post_117.php

死後アドレスはどうなる?
http://www.lifehacker.jp/2009/11/091121sns_mail.html






February 4, 2013

褒め上手について

先日のログについて、実にわかりにくい書き方をしてしまった。自分でも何を書きたかったのか混乱していてわかってない。でも、そのままの状態では実に気持ちが悪い、というか座りが悪いので、言い訳がましく追記しておく。敬愛する高橋秀実さんだったら、どう書くんだろう。こんな時に。

人生を肯定的に受け取るということ。その過程で人は皆、自己実現には自己愛が必須なことに気づく。自分が自分を一番好きであるべきなんだ、という肯定の仕方だと思う。自分が愛せない人に人を愛せるわけがない。

だから昨今のいじめ問題にしても「それを声高に否定的な文脈で論じることの」是非について、もう一度みんなで考えてみましょう、ということだ。つまり、常識とか礼儀とか「しきたり」とかも含めて「世の中の大人たち」の良識にはfirst priorityで皆で従いましょうと言いたい。

体罰やいじめや非科学的で非人間的なシゴキを認めるわけではない。All or nothing的に反応する最近のヒステリックな論調には注意する必要があるということだ。前のログで僕が書いたように、何でもまず否定的に捉える論理の「悪意性」については、常に気をつけたほうがいいと思う。

あれ?さらに判りにくくなってしまったかも(w)

ここで言及したかったのが、ほめ上手&褒められ上手について。
以前に「幸せになるためには」褒めることだと書いた。
「男は褒めて育てろ」

褒められれば誰でも嬉しい。
ちょっと注意して人の表情を見ているといい。
だれでも褒められると口角を上げて微笑み、無防備になる。

もちろん、人に褒められたければ、人の何倍も褒めるべきだろう。
太鼓持ちには太鼓持ちなりの苦労(ワザ)があるのだろう。

気をつけるべきは、negativeな受け取り方
「どうせ私なんて」
「わかってもらえないだろう」
「うまくいくわけがない」
こういう人は自ら幸せを逃している。

一般に欧米人は褒め上手だ。
会話の中にいかに埋め込めるか。
上手な人は本当に巧い。日本でも欧米でも。

褒め上手は人だけでなく自分を幸せにできる。
それも自然に。
これもりっぱな才能のひとつだろう。

February 3, 2013

さすがNHKスペシャル

ロバート・キャパの撮影したキャパのデビュー作の謎。沢木耕太郎のドキュメンタリー。NHKらしい科学的で緻密な謎解き。恋人ゼルダの存在。秘められたドラマ。あまり期待しないで見始めたのだけれど、さすがNHK。どんどん引き込まれてしまった。
 


1年前のボク

2012年2月11日 ほんの1年前のことだ。
http://sandgem.blogspot.jp/2012/02/blog-post_11.html
当時はパワーウォーキングにハマって、当時は山手線一周ウォーキングなんてマジにやってたのだ。エンドルフィンがドバドバに出てナチュラル・ハイ状態。体調は万全で特に悪いところもなく、どこまででも歩いていけそうな気分だった。平日は週3でスイム、週末はウォーキングを続けていたのだ。だから4月の病気発覚は、本当に青天の霹靂だった。

順風満帆な時ほど気をつけねばならないと、古今東西の先人賢人達は警告していた・・・たのに、僕も自分だけは例外であると思っていた。先がわからないのが人生なのだ。逆説的に言えば、仮に未来がわかっていたとしても、人間のすることには大差ないと思うけど。

あとは自分の人生を肯定的に受け取れるかどうか?
人生という限られた時間軸で自分を「どれだけ発揮できたのか?」「夢は実現できたのか?」という問い。

考察を進めていくうちに、自己実現には自己愛が必須なことに気づく。論理的に自分が自分を一番好きであるべきなんだ、というアタリマエの事実。それを声高に否定的な文脈で論じることの、世の中の「悪意性」について、そろそろ皆気づいたほうがいいと思う。

あわわ、話がまた脇に逸れた。
ほんの1年前には「何も考えずに歩いていた」という事なのだ。つまり。