February 5, 2013

ボクの死後ブログはどうなるのか?

エピタフについて
http://sandgem.blogspot.jp/2012/05/epitaph.html
以前から墓碑Epitaphに興味があった。いままでにいくつかのエントリーがある。

実はついこの間まで、大きな誤解というか、自分で都合のいい事を考えていたのだ。というのは、ネット上に拡散している情報は勝手に「無限大に」拡張していくものだと思い込んでいたのだ。つまり僕が書いたテキストや画像、動画や自分の生活のなかでクリップしているデータは「未来永劫ネット上のどこかに存在していて」検索しさえすれば簡単にアクセスできるはずだと思い込んでいた。

つまり、自分が死んでも何十年何百年先の未来の誰かが見たり読んだりするかもしれないとか考えていたわけだ。ナイーブなことに。

しかし現実にはそんなに甘くない。アタリマエだ。GoogleにしてもYahooにしてもどこも営利企業なわけで「死んだユーザー」は在る一定の期間が経過したら、その情報も匿名性を持って土に還るのだ。つまり死んだら「いつのまにか」ネット上の人格も無くなる。アーカイブされていない情報はもうそれだけで厳しい状況に置かれてしまう。

考えてみればアタリマエのことだ。
当然、筆者・執筆者・著作権者にとってはどうやってその権利を担保するのかが最大の問題だろう。その人がどんなことを考えて生きたのか?ベタな言い方をすれば「生き様」。
現実問題としてその人の事をリアルに知っている人(家族、親族、友人、知人)が全員死ぬまで(ってことは、せいぜい100年くらいか)データベース化できれば理想だと思う(もちろんビジネスとして)。

自分のブログなどの拙文駄文なども、ちゃんとアーカイブして保管しておかねば。ニフティーの頃のエントリーとかウェリントン通信とか散逸しているものもある。自分でオトシマエをつけておかないといけない(反省)。

現在ネット上では様々な議論がされている。サービスとして今後様々な展開をしていくんだろう。

死んだ後のエントリー
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1206/22/news005.html?fb_action_ids=476479935746663&fb_action_types=og.likes&fb_source=timeline_og&action_object_map=%7B%22476479935746663%22%3A10150888743393807%7D&action_type_map=%7B%22476479935746663%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D

まろまろ遺書
http://maromaro.com/archive/2003/07/07/post_117.php

死後アドレスはどうなる?
http://www.lifehacker.jp/2009/11/091121sns_mail.html