February 4, 2013

褒め上手について

先日のログについて、実にわかりにくい書き方をしてしまった。自分でも何を書きたかったのか混乱していてわかってない。でも、そのままの状態では実に気持ちが悪い、というか座りが悪いので、言い訳がましく追記しておく。敬愛する高橋秀実さんだったら、どう書くんだろう。こんな時に。

人生を肯定的に受け取るということ。その過程で人は皆、自己実現には自己愛が必須なことに気づく。自分が自分を一番好きであるべきなんだ、という肯定の仕方だと思う。自分が愛せない人に人を愛せるわけがない。

だから昨今のいじめ問題にしても「それを声高に否定的な文脈で論じることの」是非について、もう一度みんなで考えてみましょう、ということだ。つまり、常識とか礼儀とか「しきたり」とかも含めて「世の中の大人たち」の良識にはfirst priorityで皆で従いましょうと言いたい。

体罰やいじめや非科学的で非人間的なシゴキを認めるわけではない。All or nothing的に反応する最近のヒステリックな論調には注意する必要があるということだ。前のログで僕が書いたように、何でもまず否定的に捉える論理の「悪意性」については、常に気をつけたほうがいいと思う。

あれ?さらに判りにくくなってしまったかも(w)

ここで言及したかったのが、ほめ上手&褒められ上手について。
以前に「幸せになるためには」褒めることだと書いた。
「男は褒めて育てろ」

褒められれば誰でも嬉しい。
ちょっと注意して人の表情を見ているといい。
だれでも褒められると口角を上げて微笑み、無防備になる。

もちろん、人に褒められたければ、人の何倍も褒めるべきだろう。
太鼓持ちには太鼓持ちなりの苦労(ワザ)があるのだろう。

気をつけるべきは、negativeな受け取り方
「どうせ私なんて」
「わかってもらえないだろう」
「うまくいくわけがない」
こういう人は自ら幸せを逃している。

一般に欧米人は褒め上手だ。
会話の中にいかに埋め込めるか。
上手な人は本当に巧い。日本でも欧米でも。

褒め上手は人だけでなく自分を幸せにできる。
それも自然に。
これもりっぱな才能のひとつだろう。