February 18, 2013

餃子Express

先日じょうじ君と話していて思いだした。

餃子を上手に作ることは素晴らしい(僕らは餃子&ラーメン・フリークだ)。ぱりぱりで香ばしい皮&もっちりの食感、ジューシーな餡、完璧な「焼き」…。どの店もどの家庭の餃子も、結局それなりの個性を持ち、それなりに美味しく、ホーム・アウェイ問わず、決して遜色なく美味しいことが多いのだ。

つまり僕らの結論としては、餃子ってどこで食べてもそこそこ美味しいし、極言すればどんなレシピでもあまり差がないってことだ。これは余程マズイという餃子じゃなければ、わりと懐深く許容するところがあるってこと。つまりプロとアマの差が出にくい。

引退後の第二の人生道として、例えば餃子屋さんなんてどうかね?GyozaExpressとかテイクアウトをうまくビジネスにしてしたりして…。けっこううまくいきそうに見える。
まあ場所と売り方がポイントであることは素人の僕にでもわかるけど。餃子の王将はひとつの究極だ。あ、でもコレ全然ちがう。あれは大量生産の大企業。

一昔前では脱サラしたあと「おいしい珈琲を淹れる喫茶店」とか、「こだわりの蕎麦屋」なんかが「ありがち」だけだったけれど、あまり成功してる例は知らない。これは、たぶん皆こだわり過ぎちゃうんだろう。2-3年で嫌になって撤退することが多い。

そこがアマチュアとプロの差なんだろう。これはどの世界でも同じはずだ。
どんなに餃子作りが好きだとしても、若いころと違って毎日毎日、店の準備をして仕込みをして、お店を経営していくのは絶対楽じゃない。好きだからとか、得意だからとかではとても、毎日数百個の餃子作りはできない。早晩嫌になってしまうはず。それまでは、客として観ていたお店は、ある時点から全然違った厳しいものに見えるはずだ。本当に厳しい世界。

やはり修行時代の大切さというか、仕事をするということの基本には「四の五の言わず働くことの尊さ」が大切って話で、まずは根性論にもどっちゃうんだけど。あとは師匠への信頼感かな。

チューボーですよ!の未来のシェフたちを観てたら思った。
ちなみに画像はお気に入りの宮崎台の「北京」(文章とは無関係です)