February 21, 2013

入浴外交を推進すべし

温泉、大浴場、リラクセーション…は、殆どの人(日本人だけでなく日本で暮らす外国人も)が共有できる素晴らしいメンタリティだ。多くの日本人にとって「湯に浸かって全身をのばし温めてリラックスする」ことは、至福の時間。

ということで、先週混んでいて断念した「湯けむりの庄」宮前平に行ってきた。今まで機会がなく初訪問。清潔だし快適だし、設備も素晴らしい(全国温泉ランキング3年連続第1位!)し、至れり尽くせりのサービス。本当に素晴らしい。天然温泉なので湯冷めしない。快適なチェアがあって一眠りした。出てから2時間くらい汗をかくくらい温かかった。なお、外出してお風呂に行くのは、最近の「冒険シリーズ」のひとつ。外出先で立ちくらみでも起こしてはマズイのでちょっとドキドキではあったけど、お陰様でミッション・コンプリート(笑)。

天然温泉が日本の「湯治」文化の起源だろう。大昔から日本は火山列島としての宿命を背負って温泉と生活してきた。延々脈々と続くお風呂リゾート文化。老弱男女、身分の貴賎や差別の少ない、お風呂礼賛主義。素晴らしいのは、日本が入浴という習慣を文化にまで高めたことで、飛鳥薬王院時代から近代・現代まで遡れば日本のエンターテインメント論が展開できそうだ(どこかにあったなあ)。

その昔(昭和30年代)熱海の大旅館にあった「巨大ギリシャ風呂」は、裸で動きまわるのが憚られるくらい巨大で、豪華絢爛な装飾をした風呂だった。なんでわざわざ古代ローマ時代の公衆浴場を模して公衆浴場を作るのかは、多分絶対に日本人以外には理解不能だろう(笑)。テルマエ・ロマエは、だからこそ受けたんだけど。日本人のこだわりがおかしい。

台湾にも北投(ペイトウ)温泉とかあるし、韓国も温泉があるみたいだけど、やはり日本人のお風呂好きが飛び抜けてる。そういえばLA時代わざわざヴェンチュラ辺りまで温泉に入るためにドライブしたり、ニュージランド時代にはロトルアとか温泉郷まで車を飛ばしたり、懐かしい思い出。

日本では個人風呂が一般的になっても、まだお風呂文化が残っていてパブリックスペースで、皆が全裸になってリラックスするという習慣が残っている。素晴らしいことだと思う。皆が裸になって本音を話し合う。探りあいはなし。どこも隠すものはありません、なんて…素晴らしいことだ。まさに裸の付き合い。

サウナ文化があるフィンランドもあるし、我が先頭を切ってお風呂外交をすすめるべきだ。長い歴史の培った日本人特有のサービス精神と工夫が生んだ世界に冠たるお風呂文化が、日本人のDNAにはしっかりと組み込まれているのだ。日中韓との対話の緒は、ひと風呂浴びてビールで乾杯すれは絶対うまく行くはず。あ、こんどの韓国大統領は女性だった。竹島問題は別枠で。