April 29, 2012

話しすぎ症候群

昨夜はわがままを言わせてもらって、20時まで外出。リラックスできた。貴重な時間。

病院への帰路、車で送ってもらいながら色々考える。入院してからこれまで、あまりにもいろんな事がありすぎて、僕が精神的にハイになりすぎていると指摘された。確かにそのとおりだと思った。自覚はしていたけれど、認めたくなかった。

これまでの経過そのものが奇跡みたいなもので、そのテンションのま走り続けてきたところがある。話ができる時に出来るだけ話がしたいし、残せるものは早く残しておきたいという思いがあって空回りしていた。だから、尚子に言わせれば僕はずーっと喋りっぱなし、ということになる。ここらでちょっと一区切り精神的にクールダウンするべきなんだろう。

もともとお喋り症候群なのに、それがさらに加速して自分を見失いかけてた。この連休は化学療法と放射線療法の休みもあり、クールダウンに最適のタイミング。言い難かっただろうに、有難い指摘。

時間は限られているけれど、まだ無くなったわけではない。

April 28, 2012

はじめてのがいしゅつ

朝からわくわく。初めての外出。尚子と加南子と自由が丘で待ち合わ。こんな簡単なことであっても、一苦労だった。病院の出発から到着までに1時間以上かかってしまった。健常な自分とは全然違って、混乱してしまうのだ。普通に話しているし行動も一見して普通なのだけれど、微妙に違いがあり、それをアジャストしながらなので異様に時間が掛かる。ざっくりいえば要領の悪い動き。高次の脳機能の問題なんだろう。もちろん修正機能と学習機能があるので「事なきを得ている」けれど。自分的には病院から自由が丘までひとりで移動することは大冒険だった。でもやってよかった。自分の今の状況がわかったから。

自由が丘を散策。日差しも初夏みたいで気持ちのいい天気だった。

記憶を刻印した。

入院してから念願だった鰻を八沢川さんにて。最高に美味しい鰻を堪能した。入院中ということを知り、そりゃ大変だ!とご主人から「とんでもない貴重なもの」を頂き恐縮する。さて、その効能やいかに(笑)。明日が楽しみ。後日報告します。

午後からぷらっと病院へ。自分の足で歩く幸せ。せっかく来たんだからカッコつけてないで正直に顔を出せばいいじゃないということなった。僕が愛してやまないスタッフたちと会えて幸せ。今日はあえて短い時間で我慢しておいた。ゆっくりたまプラーザまで戻り半月ぶりの自宅。特につらい症状も今はなく、自宅でご飯まで食べて帰宅。ああ幸せ。貴重な時間に感謝しつつ。

急遽変更して外出時間が長くなったことで、せっかくお見舞いに来られた何人もの方に失礼してしまいました。ごめんなさい!!
体調さえよければ明日と明後日も出られる時には外に出ようと思います。

今という時間を何にどう使うか?
別項、別記追補あり

April 27, 2012

かぜさんは永遠のヒーローだ!

普通の生活をすることの素晴らしさ。ふつうの生活を普通にすることが、いかに素晴らしいことなのか。朝目が覚めて、ご飯を食べて、一日中思い切り動きまわり、たくさん仕事をして、人と会い話をして、笑ったり怒ったりして、、、いつもの生活、そして気持ちよく眠りにつく。この素晴らしさを今痛感している。普段は思いもしないような、どこにでもある普通のことって、こんなにも大切なモノだっのかと。気づいてみれば、本当に愛おしい時間というか。

午前中は検査があり、忙しい(ちがうな、忙しくはない、落ち着かないだな)一日。検査も順調。

午後、かぜ耕士さんがお見舞いに来てくれた。大感激。かぜさんは、僕にとって永遠のスターなのだ。高校生のころ、ニッポン放送のラジオ番組の大スターだったかぜさん。その後もご縁をいただきつつ今日まで。本当に今日はお会いできて力を頂いきました。天気も悪く長時間の移動も大変だったでしょうに、本当にうれしいサプライズだった。

April 26, 2012

不思議な感覚

例の頭重感が時々あるくらいで、平穏無事な毎日。痛いとか苦しいとか目の前にあるわけではないので、わりと平々凡々な(あれ?使い方間違ってるか?)に入院生活の時間軸は流れている。お陰様で。

病人になってみて解ったことって、ものすごく多い。医師として30年経った。自分ではそれなりに積み上げて来たもあるし、それなりの自負とこだわりもあった。。。はずなのだけれど…。謙虚さ足りない傲慢な態度だったなあ、と。自分ではそれなりに経験を積んで、一人前のえらそうな口をきいていたけれど、本当の僕はまだまだ未熟で足りない所だらけだったんと。つくづくしみじみ思ったりする。優しいふりをしていただけの口先だけ達者な医師だったって言われても返す言葉もない。自分を卑下するわけでもなく、そういう傲慢な部分ついては、素直に認めます。ああ。

それから、おととい位からの空間認知のアジャストが修正されつつあるのは、このブログを読んでもらえるとわかってもらえるだろう。
じつは新たに数日前からなんとなく朧気に意識していたものが改めて認識できたのだ。
「脳の中の幽霊」だっけ。ちょっと前に話題になった本でたしか著者ばインド人だったと思う。今手元にないので後で確かめよう。難解なんだけれどすごく面白い本だ。言語にできない、すごく不思議な感覚がある(ことがある)。この体験についてはオカルト的でドン引きされるのを承知の上だけれど、何かが見える。というか、見えるわけではなく、気配を感じる、というか。なんとなく「自分以外の存在、気配」を一瞬だけれど、キラリと表現したらいいのか。ふわりと表現したらいいのか、一瞬感じて、すぐにいなくなってしまう何か。身体の右前の上前方。ふわりふわりと。それも一瞬。せいぜい数秒。幻覚とか勘違いではなく、自分だけに感じる何か。一瞬のメッセージというか。

大脳生理学的にはたぶん説明つくであろう感覚。正直、知らなかったらかなり不安になるかもしれないけれど、特に実害はないし面白がってる。
脳は本当に不思議だ

夕方から
けいいちろー、大橋先生
星野君、菅谷君、太田くん



April 25, 2012

キーボードの神様

多少の不便はあるもののコミュニケーション障害のみ。普通は全然気付かないだろう。いわゆるdyslectiaなのだ。会話は全然問題ない、文字も完璧に読める。しかし自分でうまく字を書くことができない。英語は読み書きともに全く問題ない。もしかしたら英語だけのほうが流暢かも(笑)。手術前からの予想通り(ほぼ完璧)の問題が生じているけど、まあなんとかなってる。はじめはちょっと戸惑ったけれど、自分をおもしろがれる余裕も出てきた。

ショックだったのはi-Padが突然液晶がおかしくなったことで、原因不明。なんでこの大事な時期なんだって感じ。昨夜の落雷のサージとかが関係あるかも?という話になった。そういえば病院の中のテレビもおかしくなってしまったし、これは本当に磁場異常かも(笑。

夜に、こーめい先生が来てくれて、21時過ぎまでもろもろ相談に乗ってもらって本当に感謝。マックのトラブルシューティングから人生相談まで。彼が指摘してくれた「僕の右半分の位置感覚の認知障害」。これに自分でアジャストできることに気づいたことですごく楽になった。格段の進歩。ああ、有難い。ここ数日キーボード感覚とは全然違う。

さくさく、とまではいかないまでも、とことこ&よちよち進んでいける。

ということて、とりとめなく今夜は一番慣れているマックのキーボードで書います。幸せ♡

April 24, 2012

薄皮饅頭みたいな

軽い頭痛がごく稀にある位で、全然ツライ症状も今のところなし。本当にありがたいことです。体調も悪くないし、この2週間の出来事が「何だか悪い夢でも見ていたかのような」非現実感覚。薄い皮膜のかかった感じ、というか。最悪の状況と言えなくもないけれど、見方を変えれば、これ以上ないくらいの幸運を体感している。この不思議な感覚については、必ず書いておかねば。

別稿、追浦 あり

ブログを読んでいただいたり、メールを頂いた方々。ありがとうございます。
入力に四苦八苦していますが、大丈夫です。何とかやってます。

試行錯誤出来るだけ僕は幸せだ

文字入力。実は昨日書いたものがどっかに行ってしまった。仕方ない。音声認識入力と併用する。のんびりやれば入力もそこそこでできてるし。細かい打ち間違いはあまりじ気にしない事にしよう。

すっと気らくになる。
見栄とか拘りとかもろもろ放り投げて、自分と自分にとって本当に大切なものって、削ぎ落としていけば、そんなにないものなのだ。芯というかコアというか核になるものなんて、たぶん誰だって掌にのってしまうくらいささやかで小さなものなのだろう。

さはさりながら

iPhoneの調子が悪く不便だ。iPhone一台で生活の制限。どれだけ依存しているんだとことですね。。で、術後から身体的には本当にみんなびっくりされryほど元気。動きや感覚の不自由もないしみためは普通に話している。ところがディスクレシアがあることに気づいた。これが唯一の障害か。今のところの。でもなんとか適応中です。書字機能だけなのでコミュニケーションは制限がなんとかなってる。おしゃべりは僕の最大得意分野、凹んではいられない。

ということで、多少、てか、なり読みにくい文章となる可能性大ですが、何とかなるでしょ。
最高のプロフェッショナルがサポートしてくれる安心感。これ以上の心強いサポートはありえない。

April 22, 2012

元気です

音声認識ソフトのテスト続けます。。二日空いてしまい心配かけました。元気です。
今日は4月22日日曜日です。ほとんどストレスなく記録することが可能です。感覚的には入力がすごい早くなります。わかったことはこのままでは、文章としてロボットな印象になってしまうことです。もう少し慣れていけば、今後まとまった文章を書けるようになると思います。ある程度うまくまとまった文章書くこも練習することによって可能となると思います。術後として非常に順調です。ありがとう。

April 20, 2012

どんよりlow mood

抗がん剤と放射線療法と高圧酸素療法。盛りだくさんなだけでなく、実は精神的にかなり参ってる。

自分はまだいいのだ。
申し訳ない、情けない、残念無念な気持ちが、
こんな夜は最高最大級で押し寄せてくる。

らしくない、けど

かなり凹む
ああ、夜が長い

弱気な自分が悔しい
逆説的だけれど。

April 19, 2012

プロの仕事

いわゆる闘病記っていうのは大嫌い。というか、もともとその嘘くささとか偽善性を見て見ぬフリをしてた。でも実に勝手なことに、じぶんが「その立場」になってみて初めて、絶対に真実の魂の叫び的なものに向かい合うことになる。そういうのは一番の苦手科目なのだけれど。

でも僕は本当にラッキーだと思う。
なぜなら自分の言葉で自分を表現する猶予はまだ残されているから。

さて、術後2日経ち自力で歩く許可が出た。ちょっとだけふらつくけど大丈夫だ。午後から放射線療法の位置ぎめなど。放射線医の意見も納得のいくリーズナブルなもので安心した。メッシュにグルグル巻き状態で今日からさっそく開始することになった。これで、発見から手術、診断、放射線療法、化学療法、高圧酸素療法まで一気に進めることができた。たぶん世界最速。

April 18, 2012

中途半端でごめんなさい。

手術が終わってすぐ冷たいビールを飲みたいと言ったらしい。そのくらい順調にすべてのプロセスが予想通り。僕の置かれた状況を考えると、ありえないくらいのラッキーに恵まれているこ。これは本当に素晴らしいことなのだ。自分の希望する全てのことが望み通りになった
最高のスタッフ。

まだ術後で集中力がないので支離滅裂なのが申し訳ないのだけれど、信じられないくらいくらい多くの人たちからパワーを頂いた。
この素晴らしい不思議な体験については、いつか必ず書きます。本当に本当にありがとうございました
僕の闘いはじまったばかりですが、世界最大級の気持ちをいっぱい頂いてこの先も戦う勇気が湧いてきました。
本当に僕は幸せ者です。

ああ、書ききれないー もう少しでも時間が欲しい

April 14, 2012

神様プロデュース

5時過ぎに起床。夜明けとともに動き出してストレッチ。とくに不調はない。ただ終日何となく眠たい感覚がある。自分の意志を持って、自分の言葉で話すのはたぶん明日までのこと。その限られた時間で何を伝えられるのかを、僕自信が悩むまでもなく、一日中人が訪ねてきてくれた。それも全員話したかった人たち。もしかして誰かが裏でプロデュースしてんじゃないか?と思わせるような絶妙な構成と内容となった。さすが神様プロデュース(笑)。様々な偶然。素晴らしい出会いと時間を共有できる幸せ。

心配して頂いている方々からのメール。一つ一つに書ききれないほどの思いがあり胸が詰まる。

仕事関係の仲間、学校関係の仲間、友人たち、家族同然の付き合い、いつも心にかけているものの日頃はなかなか逢えなかった人たちとも。伊平先生、菅田先生、僕の大事な職場の仲間達、星くり君の優しさ、としぴろの心遣い、ともP&さとなおの二人のプロにはムリを承知で大切なことをお願いした。気の於けない幼馴染みの宮本君、ケイイチロー、大橋先生、木下先生。シビアでシリアスな話なのにそれをしっかりと受け止めつつ「笑い飛ばしてくれる」有り難さ、そういう心遣いの出来る人たちなのだ。僕は心の底から笑えた。そして笑いながら泣いた。大学同期の岡本君!駆けつけてくれた。気持ちのこもった握手。さらに斎田夫妻も来てくれて面会時間ぎりぎりまで別れ難く。

21時過ぎに病院を出て、さて夕食はどうしようということに。首から下は嘘みたいに元気。自由が丘のCIBOでがっつりイタリアンということになった。当初は白いご飯に御漬け物とみそ汁だな、なんて思っていたのに、僕らしいと言えば僕らしいディナー。予想外の外泊でリフレッシュできたし、明日は病院に戻り気持ちを切り替えること。

April 13, 2012

剃毛してオムツを穿いて寝ている僕

朝5時過ぎに起床。日当たりのいい部屋なの気持ちいい。朝焼けの写真を撮影。午前中は血管造影。手術のための機能的検査。数日前にテレビでやっていた番組と同じように一般の人たちはみえるんだろうな。それは仕方ない。検査は華麗なテクニックで無事終了。安心して任せられるプロのスタッフの仕事。やはりaffected areaは優位半球の側頭葉。ゲルストマンになって迷惑をかけるのが辛いのだが。そのあたりも含めて、すべてスタッフにお任せするつもりだ。

それにしても、発覚したのが月曜日午後。そして今日まで。

こんなに短い時間でどうしてそんなにすっきりと割り切れるのですか?と聞かれる。
うまく表現できないけれど、すっと腑に落ちるものがあるのだ。不思議なもので、何とも表現のしようがない、安やかな気持ちになったのだ。諦念でもなく納得でもなく受容するというか。

「いつなのか?小鳥さん」という、切実でささやかな問いは、その時を聞いているわけではない。
問題の本質は、小鳥はいつでもあなたにそばにいるのだという感覚とそれを全てを受け入れた後の「覚悟」について述べているのだ。

自分がそんな心境にこんなにすぐになるなんて思いもしなかった。

それはそれとして。別に残りの人生を諦めちゃって自暴自棄になっているわけではないので、誤解なきよう。
検査はのため剃毛して(自分で)若い看護師さんに剃り具合を確認してもらい、検査のために大人用のオムツを穿いて横たわっている自分。ついこの間までに自分だったら「舌を噛んで死んでしまいたくなる」のだけれど、ちょっとした拘りとか見栄を捨てちゃえば何てことはない、という発見。ええかっこしの僕にとっては今更だけれど、新しい発見ではあった。

午後から尚子が来てくれて食事を介助してくれた。アンギオなので仰臥位を3時間だから。今後もよろしくという予行演習みたいな感じ。夕方事務長と看護部長がお見舞い。僕は素晴らしいスタッフに恵まれて幸せだと心から感謝。これは別にカッコつけている訳ではなく本音だ。うちのスタッフは最高だとおもう。しっかりと話のできるうちに伝えられてよかった。

夜は家族全員集合、しょうちゃん&りえちゃんも参加。談話室にて。

写真の話とか就職の話とか付き合っている彼の話とか。
伝えたいことは山ほどあるのに、それがモドカシイのだけれど。


元気で会話できるうちにさとなお君の声も聞きたくなり電話。
話せて良かった。

ーーー

April 12, 2012

いろんな人の優しさに支えられて

快晴。朝は僕のリクエストを聞いてもらい、ロールキャベツ。大好きなレシピ。元気があればいくらでも食べられるんだけど/w 出がけにちょっとバタバタしてしまったけれど、これも我が家らしいといえば「らしい」か。入院手続きのあと主治医のD先生より説明。必要にして十分。尚子にもしっかりと事実を伝えてもらい、自分の思うところを話せたと思う。

本人以上に辛いんだろうなー。必死に笑顔を作ろうとするゆっつん。三人姉妹の真ん中で優しくて心が細やかな女性になってくれた。社会人として一人前になるまでもう少しサポートしてあげたいのだが。時間が限られている。伝えれたい事をできるかぎり伝えたい。

院内で着るパジャマに着替え、IDのバンドをつけたら、本当に病人になった気がした。あ、これー悪い意味ではなくて、ある意味覚悟ができたという意味。

午後からMRIのマッピング検査。開頭のための準備。ステロイドの点滴。体調はすこぶる快調。その後のご飯も完食。19時には何もやることがなくなってしまった。さてブログでも書くかなと思っていたら、部屋に斉田くんが見舞いに来てくれた。気を使いつつも来てくれた彼の優しさに涙した。本当に心の温かい人なのだ。心底から僕と僕の家族の事を思ってくれているのがわかった。痛いほど気を使いつつ駆けつけてくれたのだ。同じ医師として、何もかもわかっている信頼できる友がそばにいてくれるという幸せ。話せるうちに十分に話せてよかった。

荒井誠先生もお見舞いに来て頂いた。お花を置いただけでさっとお帰りになったようで、失礼しました。僕の尊敬する先輩臨床医でいつもおせわになりっぱなしだ。彼特有のスマートさ。ありがとうございます。

夜に加南子が仕事場の帰りに寄ってくれた。かっとびかなpも立派な薬剤師になった。プロジェクトとしてのキャリアはこれからだけれども、彼女なら世界中のっどこででも逞しく生きていけるだろう。女性として伝えたいことは別枠ブログにて書きます。

ということで、入院初日。多くの人たちからに温かい気持ちに感謝。

April 11, 2012

ひとつの区切りとして

当分病院を休む事になるので今後のことについて調整や連絡。僕は本当に恵まれていると思う。自分のもっとも信頼している医師に全てを託せられる幸せ。心から心配して僕と家族を支えてくれる友人たち、冷静沈着に事をすすめてくれる優秀なスタッフたち。改めて、ありがたいことだと思う。これからもどうぞよろしく。本当は院内を一回りして全員に挨拶をしたかったのだが、止める事にした。僕のポリシーに合わない。

体調も悪くないし、思いつく限りの連絡とさしあたりやるべきことをやってしまったら、何もやることがなくなっってしまった。帰宅して一人になったらムショウに掃除がしたくなった。もともと使わなくなったピアノ机とかOAデスクと学習机などを粗大ごみで出して「断捨離」する予定だったのだ。この家に越してから12年になるし、これからのことを考えて今年は差し当たりリビングダイニングの家具と配置を換えて大改修をして、。。。などと考えていたのだ。残念ながら大幅な予定変更になってしまったが。

大掃除と地下からテラス裏玄関までの家具移動は大事業ではあったけれど、これをなんとか一人で達成。やれるではないか、まだまだ(笑)。そのほかキッチンのフィルターを交換したりコンロ周りを磨いたり、一所懸命掃除したらとてもすっきりした。もともと掃除は大好きなのだ。いろんな事を考えつついろんな人の事を思いつつ。

昨日は家族そろって食事をした。みんなで普通の食事をワイワイがやがやと姦しいながらも楽しい「ふつうの」食事をした。みんな忙しく食事時間もバラバラになりがちなので、こうやって皆で食べるのはなかなか大変なのだ。僕のリクエストを聞いてもらい餃子。みんなで作ってくれた餃子は世界中のどこの店の料理より美味い。まあ、別に最期の晩餐でもあるまいし。でもこうやって皆でふつうに食事をしたことで、僕的にはひとつの区切りをつけられた感じがした。何も言わないみんなの心遣いがうれしかった。

これまでと明日からは明らかに違う。「医師」から「患者」になるのだ。

重く大きな鎧

いろいろと考えたのだけれど、結論からいえばシンプルにブログ公開する事にした。極私的な部分についてはさすがに公開できない(したくない)ので、その部分に着いては非公開(未公開)のものとして置いておく事にする。

ブログには自分以外に読んでくれている人が居る訳だから、本音で書いているとはいえそこには遠慮とかヨソイキのカッコつけとがある。全裸で路上に飛び出す人はいないだろう。僕のブログのスタンスは短パン&Tシャツの格好で寛いでいる姿か。今気付いたのだけれど、そうそう人間って本音を出せるものではないということだ。心の叫び!みたいなものって、そんなものをぶちまけられた日にはハタ迷惑だろう。そのくらい「切羽詰まった」状態におかれていても人間って(というか僕という人間は)カッコつけようとしている。

さて、身辺の整理というものは「わりとカンタンに済んでしまう」ということに気付いた一日だった。もちろん日々の柵が多数あるわけだからモロモロあるわけだけれど、自分と自分を取り巻いていた世界というものは(そう、まさに、柵:しがらみ)あっけないほどシンプルなものなのだ。かみしもがとれる、ということ。肩の荷が下りる、ということ。これまで自分があれほど苦労して、辛くてのたうち回ったり、歯を食いしばって頑張ってきた事、逆に大喝采や賞賛(ああ、アプローズ!の快感)をあびたりしたこと。あれほど拘ったり気にしてていたモロモロの事は「この期に及んでは」特別な意味を持たないものであることに気がついた。

すべてtolerateできるものなのだ。
うまくいえないけれど/
結局は「丸く収まる」ように物事はなっている。

自分は(自分では)とんでもなく重く大きな鎧をつけて闘ってきたということに気付き、それを脱いでみたらなんと心安らかなものだろうという発見。
たぶん神様がご褒美として最期(のほうに)とっておいた素晴らしい贈り物のひとつではないかと思う。

現在進行形で、頑張って苦労してのたうち回っている人には決して見えない仕組みになっているらしい。そこが面白い。

April 10, 2012

これから書くこと

実はかなり躊躇したのだ。書き始めるまでに。文章にしてしまった瞬間から、「かもしれない」「もしかしたら」「であって欲しい」という曖昧な希望「一縷の)を自ら否定してしまう気がしたのだ。

その意味から何をどう書いていいものだか、悩んでいたのだ。伝えたいことがたくさんあり、伝えたい人がたくさんいるのだけれど、そして頭の中を整理している時間はどうもなさそうだということがわかった。だとすれば立ち止まっている時間はない。たぶん中途半端な文章だらけになるんだろうけれど、限られた時間で遺れせるものを残すことにする。十分に推敲している時間はたぶんないだろう。意味不明や支離滅裂な文章もあるはずだ。でもそれでも書き残さないよりはマシだと思い直した。

つまりそういうことだ。何がどういうことだ?というツッコミはなし。というか自分自身わかってないから。でも、あまりうまく動かせなくなりつつあるキーを自覚するに至って(ミスタイプが異様に多い)、かっこいい文章とか決めの文句のある文章は諦めた。というか肚を括った。思いのままをそのまま、つるられる限り書き連ねることにした。

所詮なるようにしかならないのだ

今まで病気らしい病気はしたことがない。今も元気だ。食欲もある。毎日アルコールを嗜んでいたしウォーキングだってかなりの距離を走破できる脚力もある。今年の冬のホノルルマラソンに家族で出られたらいいなあ、と漠然と思っていたくらいだ。

記録として書いておくのは、2月くらいからなんとなくいつも「眠い」。ちょっと座っているだけで電車の中とかで熟睡してしまったこともしばしば。それから腰痛。中殿筋のクランプと張り。首の凝り。メガネの側頭部の部分がキツイと思っていたんだけれど側頭部の頭痛。でもそんなものだ。大したことがないと高を括っていたのだ。

そして「たまたま撮影した」CTを見て愕然とした。専門外の僕がみてもこれは普通じゃない事態が起こっていることは判る。そのままD先生のところへ移動してMRIそのほかをやっていただいた。この時点で自分の置かれている状況はある程度理解した。というか非常に冷静に把握した。なんというんだろう、現実感のない冷徹な事実を前に、泣いている場合じゃないって思ったのだ。泣いたり喚いたりするのはたぶんもっと後で、みっともない姿を晒すことになる覚悟もそのとき朧気ながら自覚した。医学は科学なのだ。冷静に温かい目で医学的な事実を伝えてくれた先輩医師のD先生に感謝。

暴風雨のあとの河原に立って、流れる目の前の奔流濁流を呆然と眺めている感じ。医者を30年間やってくれば修羅場はそれなりに経験している。わりと斜に構えてクール、シニカルに見ているところがある。自分のことに関しては。仕方ない、しょうがない、自然のながれ。
病院に帰ってきてから病院での今後のことの相談。仕事上のさまざまなことがある。患者さんのこと。医師会や公的機関などの公的な立場の仕事など。手際よく動いてくれるスタッフに助けられる。

尚子は電話で聞いていたみたいだ。帰宅してから散歩に出ることにした。ゆっつんとかなも参加して夜桜を眺め散歩。全員に泣かれたけれど、今すぐじゃない、まだもう少しは時間がある。

考えなければならないこと、いま伝えたいこと、どうやってこれからの時間を過ごすか。悩んでいる暇はない。


April 9, 2012

夜桜がきれいだった

人生一瞬先は闇だ。それを実感した一日。ある瞬間から目の前に見える世界がモノトーンになり様々なシーンがスローモーションでリフレインする。思考停止。それでも心の深く静かな底に意外なほど冷静な自分がいる。突きつけられた事実は運命なのだが、それがあまりにも現実感がなくて「笑ってしまう」ようなハリボテ感覚の違和感。夢の中の出来事を反芻する感覚に近いか。夜帰ってからかみさんとゆっつん、かなこと散歩して夜桜。今愛でる桜は泡沫か。

April 8, 2012

光のどけき春の日に。。。

恒例のソフトボール大会。第50回大会。50年も続けていることが希有でそれ自体がすごいことだと思う。さらに1部リーグ、2部リーグ、さらには3部のトーナメントもあり、その規模に初めて来た人はだいたい驚く。そういえば数年前にカナダ人の医学部の学生で研修にきていたPeter君を連れて参加したら。本当に目を丸くして驚いていた。欧米で日曜日のソフトボールといえば、男女混成でビールとか飲みながらわいわいがやがやと遊んで、〆はBBQというのがお約束。でも僕らの場合は皆真剣なのだ。それはそれで素晴らしい事だ思う。今朝は朝の試合が始まるまでに時間があったので彩湖という人造湖の周りを一周ウォーキング。素晴らしい環境でいい時間を過ごせた。家の近くにあればちょっとマジに自転車に乗ってみたいものだけれど、さすがに車の多い道路でロードバイクに乗る自信はない(言う割にはへなちょこなヤツ>自分)。試合は2勝1敗。僕らの規模の病院のあのスタッフであそこまでやれるのは本当にスゴい事だと思う。皆から力をもらって気持ちのいい日曜日。写真はバカ顔バージョンの集合写真(たぶん2/3くらいしか写っていない)。

何てことない写真シリーズ


何てことなく撮った写真なんだけれど、ちょっといじるとそれなりの意味があるみたいに見える(でもぜんぜん意味はない)写真ってわりと撮れるものだ。

April 7, 2012

こんな土曜日もある

寝違えたみたいだ。朝起きたときから首が痛い。動き出したらさらに痛くなってきた。これだけで折角の週末の貴重な午後が一日がドンヨリとなってしまうものだ。体調がよければ今日はマジにアクティブウォーキングをする予定だったのだが、即中止に。何となく風邪気味でふわふわ感覚もある。仕方ないので共栄堂でご飯を食べてから、神保町を徘徊することにした。Keenの新しいウォーキングシューズを捜したけれど集中力がないので迷った挙げ句に、ほんとうに何か欲しいのか自分でもわからなくなってしまった(笑)。要するに、今日買わなくてはならないものではないってことだ。結局は神保町界隈をふらふらしただけで終わってしまった。夜は山形牛サーロイン、ボウル1杯のシーザーサラダでエネジーチャージ。

April 6, 2012

桜の公園にて思った事



春の風が吹き始め、桜の蕾がほっこりと膨らみ、
季節の狭間の月が、中空で揺れてる
この自然の巧妙な「理」とか「科学」の不思議
今自分が今感じているこの「世界」
実はごくごく一部でしかないという
不思議な因果律に
僕らの舌足らずな言葉はいらない
みんな解ったような顔をして
訳知り顔に生きているけれど
実は誰も何にも解っていない
何を解っていないのかも解っていない
そんなものなのだ

April 5, 2012

春爛漫2012





当直明け。5時間くらいは仮眠が取れたけれど、明け方は肌寒くて何回か目覚めてしまったので、朝からバリバリに身体が凝っていた。ま、でもこういう「厳しさ」って嫌いじゃない。午後から施設在宅で回診と面談。終了後、あまりにも天気が良かったので砧公園まで歩いてみる事にした。瀬田からぶらぶら歩くにはいい距離だ。穏やかで静かな時間を過ごすことができた。春は「やって来るもの」なんだな。春爛漫ちょい手前って感じか。桜の写っていない春の写真があってもいい。

April 4, 2012

これは才能だ!


東京ルール当直中。今のところ入院一件で落ち着いている。春特有のわさわさ・わくわく感がある。新年度が始まり、この時期特有の感覚。そんなこんなで当直しながら溜まった文献の整理や本を流し読みしたり原稿書きなど。当直も忙しくなければ(笑)結構いいリフレッシュの時間になる。もともとせっかちなので原稿を書いたらすぐに手元から離したくなる。出してしまってから誤りを発見したり校正を入れたりは日常茶飯事。熟成期間の大切さは判っていて以前よりは随分時間をかけるようにはなったけれど、基本的におっちょこちょいでせっかちなので、早く終わって「次に行きたい」のだな。その「次」っていうのが決まっていなくても「次」を求めてしまう性格。わかっちゃいるけどヤメラレナイ。

画像は放射線のK君(男子)の作品。以前から彼の作品をみてその素晴らしさに感心していたのだ。今日彼から頂いたアンパンマンとその仲間たち。

素人の域を遥かに越えた才能だ。巧いだけじゃなくて温かいし、手を抜いていない真面目さとか心配りが素晴らしい。この作品をみると作ったのが繊細で草食系の線の細い男の子を想像するけれど、実際には真逆でK君は筋骨隆々の筋肉マンなのだ。どこにあんな繊細さが潜んでいるのか(笑)と思わされる。見れば見るほどよくできていて、本当にすばらしい才能だと思う!

April 3, 2012

春の嵐の夜

午後から不穏な天気。風速25mを越える春の嵐になるとのことで、何となく浮き足立っている感じ。午後、このところ溜まりに溜まった(貯めに貯めた)様々なペーパーワークをしていたら、暴風雨の真っ盛りの時間になってしまった。やばいなー困ったなーとか口じゃ言いながら、じつは好きなんだ、こういう天候。土砂降りとか暴風雨とか不謹慎とは思いつつも子供の頃からわくわくしてしまう。

19時過ぎに一大決心をして自由が丘に向かったら、全然平気。電車も各停でスピードは落として走っているものの、そんなに混雑していないしあっさりと家に着いてしまった。拍子抜け。でも、これでいいのだ。大変だ大変だとみんなで準備してやり過ぎるということは全然ない。そのために社会の「あそび」とか「余裕」とか「安心」があるのだ。去年の大震災を経験して、日本社会がそういう視点を持つ事の大切さをみんな自覚したんじゃないかなと思う。

April 2, 2012

2012年が始まった

新年度初日っていう訳ではないだろうけれど、朝からルーティン、サブルーティン入り乱れてバダバタの一日だった。昼ご飯は10分、昼休みは実質10分くらいか。これは仕事だけの話で、それ以外でも様々な連絡、相談、報告、打ち合わせ日程の調整など。結局、ペーパーワークの区切りがついたのが19時半。スゴく長い間走り回ったようでいて、同時に一瞬みたいな感じ。こんな日にはジムへ直行して一泳ぎ10本 500m/いい感じで伸びた。お風呂の時間も入れて、in/outで1時間。

April 1, 2012

太っ腹で繊細で美味しい心遣いに惚れた

いしじゅん&ちえさん宅のホームパーティ。田園調布の多摩川沿いのLovelyなお宅に、のべ150人(もしかしたら200人越え?)の人たちが集まった。桜を愛でるのと蕎麦の会ということで
僕、かみさん、ゆっつん、さーちゃんの4人が参加。昨年はソフトボール大会で参加できなかったのだ。今回も助けあいジャパンで知り合いになった人たちも多数。様々な分野の人たち、学生、子供も。本当にワイワイがやがやと皆で楽しい時間だった。アメリカやニュージーランドで生活していた時に、こんな感じのポットラック・パーティには何回も参加した事があるけれど、これだけの規模のホームパーティは日本では初めてだ。いしじゅんの打った蕎麦、これもお世辞抜きで絶品だった。柚子きりもいい香りで素晴らしかった。鴨せいろも本格的。それにしても彼らの懐の深さというか器量の大きさはすごい!太っ腹でいて、繊細な気配り。その根底にあるやさしさとホスポタリティは感激ものだ。たぶん昨日あの場のいた人たちは皆感激して、全員がさらに大好きになった。ああ、楽しいパーティだった。