実はかなり躊躇したのだ。書き始めるまでに。文章にしてしまった瞬間から、「かもしれない」「もしかしたら」「であって欲しい」という曖昧な希望「一縷の)を自ら否定してしまう気がしたのだ。
その意味から何をどう書いていいものだか、悩んでいたのだ。伝えたいことがたくさんあり、伝えたい人がたくさんいるのだけれど、そして頭の中を整理している時間はどうもなさそうだということがわかった。だとすれば立ち止まっている時間はない。たぶん中途半端な文章だらけになるんだろうけれど、限られた時間で遺れせるものを残すことにする。十分に推敲している時間はたぶんないだろう。意味不明や支離滅裂な文章もあるはずだ。でもそれでも書き残さないよりはマシだと思い直した。
つまりそういうことだ。何がどういうことだ?というツッコミはなし。というか自分自身わかってないから。でも、あまりうまく動かせなくなりつつあるキーを自覚するに至って(ミスタイプが異様に多い)、かっこいい文章とか決めの文句のある文章は諦めた。というか肚を括った。思いのままをそのまま、つるられる限り書き連ねることにした。
所詮なるようにしかならないのだ
今まで病気らしい病気はしたことがない。今も元気だ。食欲もある。毎日アルコールを嗜んでいたしウォーキングだってかなりの距離を走破できる脚力もある。今年の冬のホノルルマラソンに家族で出られたらいいなあ、と漠然と思っていたくらいだ。
記録として書いておくのは、2月くらいからなんとなくいつも「眠い」。ちょっと座っているだけで電車の中とかで熟睡してしまったこともしばしば。それから腰痛。中殿筋のクランプと張り。首の凝り。メガネの側頭部の部分がキツイと思っていたんだけれど側頭部の頭痛。でもそんなものだ。大したことがないと高を括っていたのだ。
そして「たまたま撮影した」CTを見て愕然とした。専門外の僕がみてもこれは普通じゃない事態が起こっていることは判る。そのままD先生のところへ移動してMRIそのほかをやっていただいた。この時点で自分の置かれている状況はある程度理解した。というか非常に冷静に把握した。なんというんだろう、現実感のない冷徹な事実を前に、泣いている場合じゃないって思ったのだ。泣いたり喚いたりするのはたぶんもっと後で、みっともない姿を晒すことになる覚悟もそのとき朧気ながら自覚した。医学は科学なのだ。冷静に温かい目で医学的な事実を伝えてくれた先輩医師のD先生に感謝。
暴風雨のあとの河原に立って、流れる目の前の奔流濁流を呆然と眺めている感じ。医者を30年間やってくれば修羅場はそれなりに経験している。わりと斜に構えてクール、シニカルに見ているところがある。自分のことに関しては。仕方ない、しょうがない、自然のながれ。
病院に帰ってきてから病院での今後のことの相談。仕事上のさまざまなことがある。患者さんのこと。医師会や公的機関などの公的な立場の仕事など。手際よく動いてくれるスタッフに助けられる。
尚子は電話で聞いていたみたいだ。帰宅してから散歩に出ることにした。ゆっつんとかなも参加して夜桜を眺め散歩。全員に泣かれたけれど、今すぐじゃない、まだもう少しは時間がある。
考えなければならないこと、いま伝えたいこと、どうやってこれからの時間を過ごすか。悩んでいる暇はない。