November 30, 2011

幸せの形


何の仕事をしているのか職業不詳(もしかしたら無職)で毎日遊んでいるようなのに、上品で愛想が良くて、いつも様子のいい格好をしていて、何不自由のない生活をしている様に見える人が居る。

日々の生活であくせくしていないし、些細な事では動じない。いつも微笑んでいられるから、例外なく「いい人」だ。他人から嫌われることも敢てやらないし、物腰は上品でそつがないから、どんな人も味方にはならないまでも敵にすることはなく、ふわりふわりと浮き世の流れを生きている。

でも、それほど親しくないから、彼・彼女の生活が実際にどのようなものかは判らないし、知る術もない。一見楽しそうにしているのだけれど、彼らが本当に幸せかどうかは僕には判らない。

やはり太陽が上がるとともに起きあがり、日が沈むまで労働し、豊かなハーヴェストを神様に感謝しながら、愛する家族と共に食べて、心穏やかに眠ることができる人間が、世界中で一番幸せなんだろうと思う。

今日の午後、ふと思った。


November 29, 2011

縦書きって面白い

FB友達のHさんの文章をいつも楽しませて頂いている。彼は毎日、鋭い視点で彼特有の軽妙な文章をアップしている。起承転結のハッキリした判りやすさも、文章の展開の意外性や柔軟性も、僕にはマネのできないものでとても勉強になる。僕はこのブログに毎日拙文を垂れ流しているわけだけれど、彼の文章に較べれば、小学生と大学生くらいの差だ。もう少し気配りして時間をかければ、もとマシなものを書けるかもしれないけど、基礎体力と力量(筆力というのか)が彼とは全然違いすぎる。。

先日のログによると、彼はまず縦書きで文章を書いてから横書きのFBに書き直しているとの事。考えてみれば当たり前なんだけれど、日本語の読み書きのデフォルトが縦書きなんだから、縦書きの方が日本語の発想が自然にできる。この縦書きの効用については、以前にココに書いた事がある。で、今夜それをちょっとやってみたら、実にオモシロいことに気がついた。考えて書くというより、ちょっと未来形の現在進行形で自分が読む文章を書いている感覚・・・というか。

November 28, 2011

ライブ終了後腑抜け状態の一日

「たかがライブ、されどライブ」なのだ。あんなこじんまりしたライブでも僕らにとっては 年に一度の大イベントで、それが終了すると毎年のことなんだけれど、へろへろ腑抜け状態になる。もちろん、本業の仕事はそつなくやっているんだけれど、頭のどこかが「まだあそこにいる」感覚というか。身体的には腑抜けでも精神的には昂揚した状態の一日だった。夜はジムに直行して20本1000mきっちりと伸びた。「くら寿司」に初めて行った。驚愕の値段。それでいてそれなりに「美味しい♡」と感じる自分。でもね、あれは「鮨」ではなくて「寿司のようなもの」だと思う。そうでなれば、日本の寿司文化がへんな方向に行ってしまうんじゃないか?なんて真剣に思ったりして。

B☆竹ライブvol.5, 2011

ライブ当日。すごいヘンな夢を観た。

海岸線を歩いている。たぶん朝の散歩。向こうから来た釣り人2人が親しげに声をかけてきた。「実はクエが釣れてしまったんです。大きすぎて持って帰れないので、貰ってくれますか?」と。「えええっ、幻の魚クエですか?」「ええ...」と当惑気味の人。ふと彼らの足許を観ると体長1m位の魚(たぶんクエなんだろう。釣った事ないけど)が確かに2尾。「有り難うございます!でも、僕これからライブがあるんですよね...」困惑気味の釣り人。ライブ会場にこんな大きな魚を持っていけないし、会場では捌けないし、だいいち僕らのライブに「クエの刺し身」似合わないし/w。。。なんて、へらへらと悩んでいる所で目覚めた。いい感じの夢見だった。

ということで、毎年恒例の秋のライブ。今年も楽しかった。ライブのことはいつも記録しておきたいと思いつつも、自分で文章にしたとたんに実際の楽しかった時間がどこか遠くに行ってしまうようで、書けない。実際にはミスも多かったし反省することも一杯あるんだけれど、当分の間は、この充実感と達成感も幸せの余韻に浸っていたいというか。そうこうしているうちに1年が経って次のライブになってしまうのだけれど(笑)。


B☆竹ライブ、2011@原宿クロコダイル

ハックル・アコースティック
小春日和
月光恋歌
ふたり
日曜日の午後の雨
風になりたい
流れ星


ハックル・バンド

CC タケダ
Take it Easy
テネシーワルツ

携帯電話のなかった時代
California Dreaming
ともしび
雨の日とパンプス
猫目地蔵
⑧DowntownDown
⑨(アンコール)未来への伝言


中学生のころ歌い始めたガキ達が、いい大人になっても一緒に歌を作って歌っていられる幸せ。そしてそれを聴きに来てくれる方々がいるということ。本当に僕らは幸せ者だと思う。

Thanks, God!

November 26, 2011

ライブ前日練習

B☆竹ライブ vol.5  〜マジに噛むなよワニ!子猫に恋したシーサイドは千葉〜
原宿クロコダイル 開場12:00 開演12:30-
出演:ハックルベリーフィン1972, Submarine Sandwich Unit (SSU), GIFT

ライブ前日練習@巣鴨ホワイトロードスタジオにて。九州からCCタケダも駆けつけてくれて、リハーサル4時間みっちり。バンドとしての決め事も大体抑えてあるし、あとはライブを自分たちでいかに楽しめるか? 以前のライブではMCなんかも決め事をしていたけれど、今回はまあテキトウに...と全然考えていないけど、まあなんとかなるでしょう(笑)。昔からの仲間達とともに音楽を楽しめる幸せをしみじみ感じつつ、明日来て頂けるお客さん達にもその幸せ感を共有できでばいいなあ、と思う。成行きで参加予定(まだ全然打ち合わせしていない!)の「む・ちゅ・りみシスターズ」、昨日参加表明のあったギタリストSho Ohyamaとのコラボはどうなるのか??? ふふふ、楽しみだ。

練習終了後は駒込の中華料理屋さんで打ち合わせ食事会。紹興酒ボトルを2本空けてしっかりとエネルギー補給をした。ほろ酔い気分で帰宅。

November 25, 2011

ロバの耳に糸電話

紗高樓綺譚「糸電話」(浅田次郎)。この短編もぞっとする話だ。主人公は精神科医。幼少時に出会った薄幸の少女との「予期せぬ偶然の出会い」が繰り返される。統合失調症や人格障害という「病気」であればまだ救いがあるのだけれど、「そうではなかった」という設定のコワさ。底なしの暗黒を覗き込んだような読後感になる。小説の中でこまごまと状況設定の描写をしすぎないことが、さらにコワさを増すという技に、唸ってしまった。天才の技に翻弄される快感なのだな。

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「王様の耳はロバの耳」についてのメモランダム:

FB友達のHさんの文章で再認識したイソップ寓話。僕もそのあらすじを誤って憶えていた。

王様の耳がロバの耳で、その髪の毛を刈る床屋が口止めされているにも関わらず、どうしても誰かに話したくて井戸に向かって「王様の耳はロバの耳だ」と話す。するとその声が全ての井戸に通じていて街中に広がって聞こえてしまう。王様が困って、耳について「これは皆の意見を良く聞けるように ロバの耳になっている」と弁解する。噂の広がりのコワさと、切羽詰まったとしても、誤摩化すことは悪い事だ、正直であれ!という教訓を表していると僕は思い込んでいた。


しかし、正しくはもっと深い話らしい。


アポロンを侮辱したミダス王。アポロンに懲罰として、無理矢理その願いを叶えられるという罰を与えられる。手で触れるものすべてが黄金になってしまうのだ。黄金を得る代わりにすべてを失ってしまう、という過酷な罰。反省して許しを乞うミダス王。それでは...と、アポロンはミダス王の耳を「ロバの耳」にしてしまう寓話がベースにある。そして、前述した話に続くのだが、結末が全然違う。


ロバの耳の秘密をバラした床屋を殺そうとする王様。しかし、その時彼は気がつく。自分だってアポロンに殺されていたかもしれないくらいの罪を犯したではないか。それを寛容したアポロンの慈悲に気付くのだ。そこにアポロンが現れ、「よく気がついたな。お前の罪を解いてやろう!」とロバの耳を治してくれました、という結末。つまりこの寓話の教訓は、人間の寛容について述べたものだという。


ふーーむ。なるほど。たしかに子供の頃、そんな劇を観た気がする。

November 24, 2011

今週2回目の月曜日みたいな木曜日

水曜日が休日(勤労感謝の日)だったので、月曜みたいな気分で目覚めた研究日。週の真ん中のお休みは貴重だわ。午前は病棟回診、午後からいつもの施設在宅。スーパーウルトラエクセレント医療秘書のあいちゃんがいてくれるお陰で、今日も快適にすいすいと回診。その後は、たまプラーザの保育園の健康診断へ。かみさんも参加して、可愛い天使達とのひと時に癒された。かみさんは碑文谷のジムへ、僕はまたプラのジムへ。今日はがっつりと途中の休憩をいれて20+10本で1500m。後半は結構必死で泳ぎ切った。達成感あり。夜は二女ゆっつん&三女さあちゃんと3人で、お好み焼き「こぐま」へ。ここんちは人気店でや予約がなかなか取れない。今日はラッキーな事に時間が早かった事もあり即入店できた。うまし。

長女かなPがインド旅行より帰宅。彼女は世界中どこでもプラッと行ってしまう。1週間の旅行中、朝ご飯以外は「すべてカレー」だったそうな。お腹も壊さず歩き回ったらしい。娘ながらアッパレなヤツだ。アメリカで生まれた彼女は、日本に帰国してから小学校で今度はニュージーランドへ。英語がろくすっぽできない時期から学校で手を挙げちゃう「怖いもの知らず」で親はハラハラさせられた。大学生になってからは、ひとりでプラッと海外へ旅行してしまう楽しみを知るようになり、社会に出てからはその傾向が加速してるみたい。毎年休みになるとアメリカをバックパックで旅行した僕に似ているのかも。我が家では「かっとびかなP」と呼ばれてる。

November 23, 2011

勤労感謝の日

浅田次郎の短編集「紗高樓奇譚」(文春文庫)「小鍛冶」。稀代のストーリーテラーの技を堪能。読み初めてすぐにその世界に入り込んでしまった。この人は長編はもちろんだが短編の独自の空気感が好きだ。どんでん返しもいい形で読者を唸らせる。巧いなあ。

ライブの練習。今日はバンドバージョン。ある程度出来上がっているので決め事の確認など。あっという間の2時間だった。「でかんしょ」でクールダウンしてから原宿へ移動してクロコダイルで打ち合わせ。いいハコだと再認識。ライブ本番が楽しみだ。晩ご飯は渋谷「麗郷」にて。

充実の勤労感謝の日。

November 22, 2011

99%の不満について

以前にもここに書いた、最近の "Occupy Wall Street"運動について。
格差社会の問題が世界中で噴出している。世界中のいたるところで、公共の場所を占拠してデモンストレーションをする人たち。「1%のお金持ち」と「99%の非お金持ち(自分たち)」がいるのは不公平・不平等で「フェアじゃない!」と主張しているらしい。「らしい」というのは、もちろんマスコミからの受け売りで、正直な所彼らが何を主張してどうして欲しいのかが全然見えない。

彼らが主張する「正義」はどこか嘘っぽくて軽いのだ。単なる空虚な戯言として聞き流すには影響力があるようにも見える。でも、(こんなことは当たり前なんだけれど)正論が必ずしも正しいとは言えない。

今日の産經新聞の記事にあったように、ウォールストリートのどこかの企業のCEOが「よーし、わかった!君らの言う事は正論だ。ここにいる全員にひとり1億円あげるからデモを解散してくれ」と言ったとしたら、何が起こるだろう?

たぶん、ほぼ全員が万歳して「ラッキー!」とか言いながら解散しちまうんじゃないか?
そんな志のない安っぽい革命は現実にはおこりえない。

つまり「ゴネ得」とか「あわよくば億万長者」みたいな風潮を助長したのがSNSというとこは言えるのかもしれない。SNSのようなソーシャルメディアの功罪。そして僕の大嫌いな「プロ市民」の存在。アラブの春やエジプト革命が、卓越したリーダーがいなかったにもかかわらずSNSで「民衆が連帯して」成功したことになってる。しかし、あの革命プロセスの場合には、そもそもバックグラウンドが全然違う。長年に渡り民衆を搾取し続けて倒れるべくして倒れた旧体制のシステムがあって、その崩壊は、市井の民衆にとっては「妥当な出来事」だったのだろう。つまりSNS はツールになったかもしれないけれど、きっかけにすぎない。世の中にきっかけとなるようなエネルギーがあるから、それかツールとして機能したんだろうな。

とにかく、「自分たちには99%の支持があるはずだ」といって、傍若無人に何をしてもいいというのは、違うよなあ。

November 21, 2011

マーフィーの法則の日

今日はマーフィーの法則そのまんまの一日。こんな日が年に3回くらいある。思い返してみて、今年はその倍くらいあったかもしれない。そのくらい2011年は僕にとって辛い事が多かった年だった。目覚めたのが5時過ぎ。「まだ夜」の感じで、実は目覚めた瞬間から嫌な予感がしたのだけど。ま、長い人生の中には、そんな日もある。

November 20, 2011

感覚的思考が優位な時間

気持ちのいい天気。ぽかぽかの小春日和。ライブまで1週間ということで、ちょっと準備しつつネットを観ていたら、embarrassするような出来事が進行中とのことで、ショックを受ける。が、今の僕の立場としてコミット出来る事は決まっているので、新たな展開について前向きに考えていくしかないという結論になった。

今日もまたとっとこ歩くことにした。来年秋の目標に向けて頑張るのだ。今日は南に向かい、目的地は横浜駅まで。港北ニュータウンの遊歩道は設計は素晴らしい。歩くたびに発見がある。アクティブウォーキングとはいえ、色んなことを考えながら歩いているはずなのだけれど、あまりその内容は覚えていない。論理的思考ではなく感覚的感情的な思考が圧倒的優位だからか。ここにはちょっと書けないような内容の出来事を憶い出し(すっかり忘れていた!)ウスラ思い出し笑いしながらウォーキングするおっさん。きっとかなり不気味だっただろう。CWーXは実に快適で、18kmを全然問題なく完歩。この機能的スポーツタイツは発明だな。Tシャツは2枚着替えた。距離的にはこの倍は行けそうな感じ(笑)。歩く事でリフレッシュできることを知ったのは大きいな。今更だけど/

帰路、ジムに寄り軽めに5本ストレッチ代わりに泳いでからジャクージでまったり。夜は自由が丘にて、いしじゅんと食事@笑門 。のどぐろの刺し身、のどぐろのカマ焼、白子焼き、地鶏焼き、天然鰻の白焼きなど。〆は新蕎麦。どれも美味しく大満足。
今日のコース 
時間 3:28:15, 18.75 km, マップ: http://j.mp/sxCZ3w, 平均 11:06 /km.





November 19, 2011

レンソイスに行ってみたい

レンソイス・マラニャンセス国立公園 世界にはまだこんな場所があったのか!
寡聞にして知らなかった場所。不思議なデジャヴがある。子供の頃から空を飛ぶ夢を見るたびに「こんな情景」を観ていた気がするのだ。この10m−20mくらいの超低空を飛ぶ夢。
骨の髄までシティボーイ(笑)なので、現地の過酷な気候には耐えられないかもしれないので、せめて空から観たいもんだ。ブラジルでめちゃくちゃアクセスが悪そうなのが、面白そう。ま、夢のような夢として夢見ておこう/w。

インテリジェンス後進国に忸怩たる思い

交渉術(佐藤優、文春文庫)。この人がただもんでないことは、彼が逮捕されて、外務省を去ってから発表したの数々の著作や記事、対談などでの発言で感じていたけれど、今回文庫本で出たこの本を読んで、その感を新たにした。やっぱりスゴイ人だ。逮捕当時はこの人にしても鈴木宗男氏にしても、日本外交をダメにした極悪人的な捉えられ方をされていた。当時のおバカなマスコミの報道は、完全に外務省からの情報を鵜呑みにしたもので、それに惑わされていたのだと思う。こういうメディア情報のリテラシーってレセプターの問題なのか。自らを振り返って反省しきり。この本を読んでいると、日本の貧弱なインテリジェンス(諜報)システムも、彼のような優秀な人材がいれば「世界標準」に変わっていたかもしれないのに、それが結局は出来なかったことに対して忸怩たる思いがする。省益とか国益とかって言葉にすること自体がおかしいのだけれど、結局はどんな組織でも人間が動かしている訳で究極的には「人間のエゴ」で動いている事になる。獄中に入った彼と鈴木宗男の蹉跌の原因のひとつとして、「他人の嫉妬を過小評価したこと」という記述は当たっているんだろう。北方領土問題の進展は当分は望めない状況になってしまっているのは事実だし、こういう世の中だからこそ「清濁併せ持つ政治家の丹力」が今こそ必要なのだろうけどね。

彼が言うように、これは「失敗」の物語で、自分たちに都合の悪いことは決して書いていない。真実はコインの表と裏のようなものなのだと思う。この文庫本版の巻末にある東日本大震災直後に出された彼の言説やアドヴァイスが、じつに的確なものであることに感嘆した。

午後から職場の理事会@池袋サンシャイン文化会館。思わず笑っちゃうくらい「昭和の香り」のするビル建築とわさわさとした人混みに「アジアの雑踏」をみた。まるで1980年代にタイムスリップしてしまったみたいな気持ちになった。あと50年頑張れば、ここは世界遺産登録だわ/W。

帰路、ジムでがっつり1200m泳いでから、かみさん&さとちゃんと「月の音」にてご飯。創作おでんに舌鼓。ここんちの大根はすごいっ!感激してお代わりしてしまった。




November 18, 2011

蜘蛛の糸

ほぼ満員の朝の電車。ドアが閉まる直前に駆け込んでくる人が必ず居る。入る隙間はほとんどないけれど、すでに乗っている乗客を奥に押し込めば乗る事が出来る。僕だったら、余程の事がない限り次の電車まで待つのだけれど、彼らなりの理由があるんだろう。

必死の形相で駆け込んでくる人に、既に乗っている乗客の立ち位置として、①協力して乗せてあげる、②踏ん張って入れないように妨害する、③自分は意志をもって動かず、なるようにしかないと流れに任せる、という選択があるとしたら、③65%>①20%>②15%だろうな。まあ、どうでもいいけれど、みっともないことはするなよって、思わず今日呟いてしまった。

November 17, 2011

0歳から100歳まで

研究日。朝の病棟回診、消防署の産業医レクチャー、施設在宅往診と流れ、最後はセンター南の保育園の乳幼児の健康診断。日本広しといえども今日一日で、0歳から満100歳まで幅広く診察した医師は僕くらいじゃないか?(笑)。半年に一度の保育園の子供達の検診はかみさんと楽しみにしている。無邪気で天使のようにかわいい子供達。診察しながら癒されるっていうのもヘンな話ではあるけれど、彼らの「無垢な気」に接すると心が洗われる気がする。かみさんとも話したけれど、全員成人した我が家の娘たちのあの頃のことを忘れてしまっている。アメリカ>日本>ニュージーランド>日本と移動して、あの頃は子育てが大変だったけれど、ある意味至福の時間だったのだと今になって感じたりして。

終了後、かみさんはジムのイベントへ。僕とゆっつんは、センター南で買い物(セーターをおねだりされた)の後、「マネーボール」を観て帰宅。ブラピって役作りの幅の広い役者だと関心した。ストーリー自体は単純で2005年のオークランド・アスレティックスの破竹の20連勝の話。この騒ぎはリアルタイムで知ってはいたけれど、ふーんこういう事だったのだ。たしか日本へは辣腕監督の采配と神懸かり的な選手のプレーという形でシンプルに紹介されていた。メジャーリーグの知識があればもっと楽しめるのかも知れないけれど、素人としては「踏み込み」が足りないというか、最後にどんなクライマックスがるのかと思って観ているうちに終わってしまった感じ。映画としての質感は悪くないんだけどちょっと残念。夜ご飯はゆっつんと夢幻で小籠包。

November 16, 2011

田園都市線通勤者の会(田通会)

今夜はFBのお友達のなかで「田園都市線」というキーワードで繋がった人たちとの飲み会。僕の独断と偏見で選ばせて頂いた素晴らしい方々と溝ノ口の「海藤花(かいとうげ)」。知る人ぞ知る、すし割烹のお店。お刺身も焼き物もおいしかったけれど、特に感激したのは「特製山かけ」(画像)。ウニ、イクラ、鮪、お新香、黄身、万能葱&とろろ。これをぐちゃぐちゃにして頂く。美味しかったなあ。白いご飯にのっけて食べたら多分悶絶もんだろう。参加者はFBの論客揃いで魅力的な人たちとの楽しい時間は、あっという間に過ぎて名残惜しく11時前に解散。みなさん、有り難うございました。またお会いしましょう!

November 15, 2011

アポなし営業はお断り

仕事の立場上、いろんな業種の方達から面談を申し込まれる事が多い。製薬会社やら医療機器メーカー、問屋などの、直接的間接的に医療に関わる様々な業種が多い。これも大切な仕事の一つだ。でも、僕のポリシーとして基本的には事前のアポイントメントのない面談には一切応じない事にしている。今日もある製薬メーカーのアポなし面談をお断りする事にした。今日みたいに美人MRだからといって例外にはしない。でもこれ、別に偉ぶっているつもりは毛頭ないのだ。病院の中では殆ど「常に忙しい」し、そこにアポなしで割り込んでくる人たちと関わらないことが「(患者さんのために)本来の仕事」をする上で非常に大切な事だと思っている。それに、中途半端に飛び込み営業とかに関わってしまって、他のルールを守っている人たちに対して、不公平&不公正な態度をとりたくないのだ。一旦ルールを破ればなし崩し的になってしまうことが明らかだ。

職場に直接かかってくる「営業」の電話に関してはほぼ100%応じる事はしない。彼らの仕事からすれば1000回電話して2−3回でも話を聞いてくれればソレでよしとしているんだろう。「アポなしの必死さとか熱心さ」だけで、その商品の味方になるだけの器量は、僕ははじめから持ち合わせていない。そもそも顔の見えない相手の職場に土足で踏み込んでくるような輩に使う時間はない。マンションやら投資信託やらFXやら、秘密クラブやら怪しい投資話やら(笑)の電話の相手が必死になっているのに、しらっと素っ気なく電話を切るのは(ある意味)心苦しいのだけれど仕方ないと思っている。不況が続くこの世の中で、小さいながらも病院のいんちょをやっていると、よっぽど無駄なお金が有り余っていると思っているらしい。その認識がそもそも間違っているわけだけれど、わかってないんだろうなあ/w。

今日も朝から夜21時まで超多忙な一日だった。


November 14, 2011

皺伸ばして擦るなんて気色悪すぎ

超絶多忙の月曜日だったけど19時過ぎには出てジムへ直行。そこで気持ちよく20本伸びていつものようにお風呂&サウナで「やれやれ・・・」とリラックス。気持ちよく上がって、脱衣コーナーで信じられない光景を見てしまった。僕よりちょっと年齢の上でたぶん60代前半のおっさんが、ごしごしと身体を拭いている。風呂上がりにまるで「乾布摩擦」をしているみたいにゴシゴシとタオルで擦っているのだ。ジムには時々「ええっ!」という「個人的な習慣」の人もいるから、このおっさんもその変わった一人なのかと思っていたら、さらにびっくりの展開に。そのおっさんが、やおらしゃがみ込んだかと思いきや、股間をゴシゴシと擦り始めるではないか!まるで局所の皺を伸ばしてゴシゴシしたいみたいな擦り方。げげ、きもちわりー。しかもジムのタオルじゃないか!いくら入念にタオルをクリーニングをするにしても、あれを観てしまったら、どんな人もタオルを共用するのを躊躇うぞ。共有タオルにそんなことする輩がいるとは思いもしなかった。ああ、今憶い出しても気色悪い。まあ、本人としては「長年の習慣」で「何がいけないの?」という感じで罪の意識は皆無なんだろうけど。行為そのものはやっちゃいけないとは言わないし勝手にすればいいんだけど、共有スペースじゃなくて自分の家でやんなよって感じ。で、今日はよっぽどクレーム箱に投書しようと思ったけれど、「この事実を何て書くのか?」が大問題で、それを考えるだけで憂鬱になってしまいクレームせず(できず)。文字通りコウガンムチのおっさん!

November 13, 2011

がっつり泳いでがっつり食べた

歯科に行ってから、午後オフクロのところへ立ち寄る。早いもので2009年暮れに亡くなったオヤジの3回忌が来月なのだ。オフクロを見舞いがてら、その準備と打ち合わせなど。もともと心配性というか非常に細かい人で「先の先の先」位まで考える人なので、年老いてさらにその心配性の傾向が強くなった気がする。ただ頭は明晰で記憶力も衰えていない。2007年にくも膜下出血の再発で倒れてから奇跡的に復活して(このシブトさは、さすが我が母だ)シャント手術するまでは認知障害もあったのだが、術後は順調で今に至っている。身体的にも精神的にも元気だし、まだまだ人生をエンジョイしそうな感じだ。ぽっくりと逝ったオヤジは幸せな死に方だったと思うけれど、オフクロが元気なのは草葉の陰で喜んでいるだろう。そんなこんなで来月は名古屋へ行く。

ジムに寄り今日はがっつりと泳いだ。レーンが空いていて(というかノンストップで泳いでいたら空けてくれたみたいで1ー2本泳いで別のレーンに移る人多し。土日は初心者が多い)、今日は久しぶりに気合をいれて泳いだ。たぶん30本1500m(20本以後は数えるのを止めたが泳いだ時間で判る)。夜はかみさんとゆっつんと根元先生に教えてもらった緑が丘の隠れ家的な家庭的洋食屋へ。


女性プロテニスプレーヤーのKDKさんとカウンターで遭遇。日本に居る時には必ずここんちに来るそうな。すごく爽やかで気さくな方だった。かみさんが彼女の大ファンで大感激。でも負けず嫌いで「子供の頃から、じゃんけんで負けるのも嫌い/w」なんだそうな。今日はパンプキンのスープ、サラダ(たっぷり)、冷たいトマト、牛肉フィレステーキ(焼加減もソースも絶品!)、メンチカツ(肉汁たっぷり)、ハンバーグ(定番)。どれも大満足。


今日は(も)カロリー消費より供給の方が確実に上回ったな(笑)。





November 12, 2011

揺れる「間」の気まぐれグルーヴ

ライブのバンドパートのリハ練習@巣鴨WRS。あっという間の充実の2時間だった。バンドとしての決まり事を確認しつつ、グルーヴの盛り上がりを高めていく作業。今日気付いたのは「グルーヴの揺れについて」で「抜けた後の揺らぎ」的な「間」揺れがあると楽しいなあと。単なるブレークじゃない揺れは狙ってでるものではないのだな。それがバンドパートの楽しさ。リズムセクションの背骨がしっかりしているからこそできる「遊び」なんだけれど。練習終了後は巣鴨の「とん平」でがっつりご飯。阿佐開のミニボトルを飲んだ。その後はさくらにて。CCタケダとかDANの日比谷高校のクラス会を赤坂でやっているということで連絡したら、すでに彼らはべろべろ状態で何を言っているのか意味不明(笑)。色っぽかったTさんネタで盛り上がる。明日の予定があるので僕は今度のライブでデビューするギター「あやちゃん」(重い!)を担いで22時半に退散した。楽しい週末。

November 11, 2011

Tucker!

日々確実に夜が長くなっている。夜の明けるのが遅くなり、目が醒めてからベッドの中でぬくぬくとしていたい誘惑を感じる季節。身体が冬に向かって(冬眠の準備するのか/w)なんだか眠いしお腹も減るし。

朝、田園都市線駒沢公園で人身事故があったらしく、たまプラーザから超満員の電車に押し込まれて最悪の状況でのろのろ運転。「電車の中の石ころルール」。車内に充満するイライラの空気は極限にまで高まって、本当に今にも爆発しそうだった。小学生が倒れて潰されそうになったり、女の子が悲鳴を上げたり、事故が起こらないのが不思議なくらいの混雑。のろのろ運転なので次の駅に到着するたびに、無理矢理乗ってくる乗客とそれを意識的無意識的に押し戻そうとする客のバトル。自分の足で踏ん張り倒れないようにする事はもはや不可能で、電車が揺れるたびにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。溝ノ口まで30分。そこからの大井町線もヘビーだった。1時間以上かかって自由が丘に到着した時には、正直へろへろだった。年に1ー2回偶発的に起こってしまう「超混雑電車」。やれやれ。

夜はウルトラ・エクセレント・スーパー医療秘書&ナースの美女3人とイタリアン。静香ちゃんの結婚お祝い食事会だった。今夜もがっつりとニュージーランドならさしずめ"Tucker!"って感じの美味しいイタリアン@トラットリア・チーボ。このところ通いつめてる/w . 今夜もどれも美味しかったけれど、今夜は「ウニのピリ辛トマトソースのパスタ」がとくに美味しかった。

November 10, 2011

晩秋の夕陽に心が締め付けられたこと

晩秋はいつのまにか通り過ぎて、ぐぐっと冬に近づいた感じがした。 今年は秋が短かった。様々なイメージが膨らむのかこの季節。 小学校低学年だったと思う。オジキの運転する車で茅ヶ崎あたりを走っている窓から見えた、つるべ落としの秋の夕焼けを眺めながら、胸が締め付けられるような切ない気持ちになった。ホテルパシフィックの影。その感情に自分でもどう対処したらいいのかずいぶん戸惑った事を鮮明に憶えている。BGMはグルーウサウンズ。スパイダーズ「夕焼け、海の夕焼け、真っ赤な 空と海の色」。そのまんまじゃないか!(笑)

前後の状況は全然記憶がないんだけれど、あれは何なんだったろう?たぶん初恋の女の子をことでも思っていたんだろう。誰にでもいくつかある人生の原体験のひとつか。 午後の施設往診の後、ジムに寄り20本1000m軽く流していたら、その情景を唐突に憶い出した。 

夜は自由が丘「べこ亭」にて会合。

November 9, 2011

助けあいジャパンチャリティ講演会

助けあいジャパンチャリティ講演会@楽天2号館。品川シーサイドに向かうりんかい線の車内で、さとちゃんとロボットの加藤さんと偶然遭遇して会場へ。ゆっつんが運営の手伝いボランティア。さとなお君とループスの斉藤徹さん(彼らは駒場東邦の同級生)のチャリティ講演会と懇親パーティ。時代の最先端で今が旬の二人の講演会で300人以上の人が集まり大盛況だった。僕の専門とはまったく異なったフィールドの話ではあるけれど、医者になっていなかったら多分僕は「この分野」に進んでいた筈で興味深く二人の話を拝聴した。

懇親パーティは職業や年齢やそれぞれの専門の全く異なる人たちが、漠然とした共感を共有して「繋がる」不思議な感覚の会。これはFBなどのソーシャルメディアの登場以来、急速に広がったもので、Something newな不思議感覚。色んな人とフラットにユルく繋がって自由に意見交換しつつ、それでいて結構具体的で建設的な議論が出来るというももで、その「何か」が(極端に言えば)世界を変えるかもしれないという「予感」や「期待」を感じさせてくれる。そんな高揚感に浸りながらタクシーで帰った。

November 8, 2011

めりめりハリハリ絞ってなんぼ

来年の311までに5kg減量を宣言した手前、食事と運動には気を使っている。炭水化物を控え一日2000カロリー。とはいえあまり節制しすぎるのは僕の主義に反するので、摂るときは摂り絞る時にはしぼろうというメリハリをつけた方針。でも、たった1ヶ月あまりで苦労せずに1.5kgの減量を達成ということは、いかに今までウェイトゲインの誘惑に負けていたかということなんだな。来年12月に向けて(ふふふ、まだ公表していない)目標が出来たので、それに向けて頑張ろう。若い頃から、イメージ優先で夢を膨らませられれば頑張れる単純なタイプなのだ。夜は医師会理事会。助けあいジャパンへの寄付支援がディスカッションののち満場一致で承認された。ばりばりの保守本流の医師会も、たまには粋なことをするではないか!素晴らしい!このGood newsを帰路早速FBにアップした。昨日とはうってかわったサクサクの一日だった。Thanks God!

November 7, 2011

いらいらいらいらいらは自業自得

一昨日の微妙にズレてた一日について述べたが、月曜日の今日はそんなもんじゃなく「さらにズレズレ」の一日であった。まったく「とほほ」な一日。朝一歩家を出たら、家の前の横断歩道(一時停止)を歩行者無視で猛スピードで通り過ぎようとする車に飛び退き、そのアホ女ドライバーと目が合って「ガンつけられた」ことから始まり、駅から乗った満員の通勤電車では、すぐ後ろに立ったヘッドフォンおやじが時々する「溜め息」がウザクて・・・・いらいらいらいらいらした。月曜日でただでさえ忙しいルーティンに加えて、サブルーティンやアクシデントも含めて、仕事場でもさまざまなズレズレと遭遇するはめになった。つまり一日中不機嫌度75点くらいで過ごしたみたい。さすがにへろへろに疲れた帰路、ジムに立ち寄り20本軽めに泳いで、ジャクージに入りながら「なぜに僕はこんなにイライラしているのか?」を自問した。このいらいらした原因の半分は、たぶん(いや絶対に)自分の行動がもとになっていて、ある意味「自業自得」なのだということに気付いた。ああ、まだまだ人間としての器が小さいのだな。久しぶりに写経でもするかな/w 写経本を台湾で買ってきたんだった。


FBで教えてもらった須藤元気のパフォーマンス。今度はメキシコ。Bravo!

November 6, 2011

ピーチかぶのポトフ

一昨日Riseの地下にあった「ピーチかぶ」。お試しで梅酢のお漬け物を食べたらふくよかな甘さが素晴らしく、即買い。資料探しと原稿書きをしながら、午前中はそのカブを使って、ポトフを作った。冷蔵庫に残っていた玉葱と人参とセロリ、ベーコンとソーセージをル・クルーゼに容れてブイヨンでコトコトと煮込む。滋味深い甘さのカブが最高に美味しかった。身体に優しいポトフはこれからの季節の定番。午後からは巣鴨のスタジオでアコースティックパートの練習2時間。今日は根津さんが欠席で、3人だったけれど「むふふグルーヴ」を感じられて楽しい時間だった。家族で晩ご飯は神保町のきよしに行く予定だったけれど、日曜日で休みという事で急遽かなPのリクエストで自由が丘のチーボに変更となり移動。今日もがっつりと美味しく頂いた。まずい、否、美味しすぎて、よくない。今週も高カロリーの食事が連日続く予定。昼間の食事をセーヴして動かなければ。
てか、食い物と運動の話ばっかだな最近。

November 5, 2011

微妙にフォーカスのずれた一日

何かをやろうと画策すると、その前に別の何かが起こってしまい、結局断念して「そのままの予定」で動く日ってある。まさに今日がそんな感じ。6時過ぎに目覚めていつものルートで通勤。土曜日の朝は自由が丘のそば新で朝ご飯を食べることが多い。さて今日も入ろうかなと思ったら緊急のメールがあり断念した。午前中の仕事でも思惑と微妙にズレている現実。3時半の歯科の予約だったので、2時間半で自宅まで歩こうかなと思いたって歩き始めようとしたら、また病院から呼び出しなど。結局タイミングを逃してたまプラのモールで時間潰しをしてから歯科クリニックへ行く事になった。K先生の華麗なテクニックにお任せしているうちに、思わず睡魔で眠ってしまい、16時すぎ。歩けなかったので、ジムに寄って泳ごうかなと思っていたら、自宅でやることが出来てしまい、直帰。18時から曙町の荒井屋本店の会合へ。年に一度の会合。荒井屋はKCMCに居る時に一度行ったきりで20年ぶりの再訪。日本の牛鍋発祥のお店で、懐かしかった。

今日の星占い:水瓶座
少しくらい忙しくても、気合いと体力で何とかなる一日。人へ尽くすことに喜びを感じ、幸せな気持ちになれるでしょう。

むべなるかな 
あな おかし

40ドルのメロン

帰り道に二子玉川でかみさんとさとちゃんと合流して、ショッピングに付き合い散策。Riseが出来てから、このあたりも随分随分変わったんだけれど、人混みが好きじゃないので特別な用事がなければ自分から歩く事はない。つまり、どこに何があるのか、全然わからない。とまれ、通路は広いし、雰囲気もおしゃれでキレイで快適。特に地下の食品街の充実ぶりには驚いた。普段使いの食材から超高級食材まで幅広く取り揃えてある。マスクメロンが10000円なんて、今でも売っていてるんだ!と、懐かしい出来事を思い出した。

LAで生活していた1986年頃、当時いろいろとお世話になっていたドクターのカップルが東京に行く事になった。僕らは東京の両親に電話してホテルの部屋にフルーツをプレゼントしてもらうように頼んだ。いわゆる「ウェルカムフルーツ」だ。両親としては息子夫婦がお世話になっているアメリカ人夫妻ということで、彼らなりに奮発して千疋屋のメロンを帝国ホテルの彼らの部屋に送った。当時も(今も)最高級のマスクメロンは10000円。為替と貨幣価値からすれば今の2倍位の値段と考えていいだろう。彼らが喜んだのは言うまでもない。LAに戻ってきてからすぐに電話をくれて「マーク、メロンをありがとう!とてもおいしかった!」と感謝の言葉。そりゃそうだろう(笑)。でも、彼らは絶対にあのメロンが一個10000円(当時のレートで一個40ドル)するなんて、想像できなかったはずだ。当時のLAの値段はせいぜい1ドルだったから。最高級としても、まあ5ドルがいいとこ。つまり、この40倍の売値のメロンというのは、日本の社会特有の「記号」なのだ。送られる方も送る方も「この千疋屋のメロン」という記号の意味を知っていて初めて成り立つ。だから、アメリカ人の彼らに理解しろというのが無理で、送り手のミス(というか一方通行の気持ち)なわけだ。その記号が今でも成り立っている(らしい)のを発見して面白かった。だって今時自分のために10000円のメロンを買う人は居ないだろう(いるとしたら、物の価値のわからない可哀想な人だ)。晩ご飯は、台湾の有名店、鼎泰豊@玉川高島屋 にて。うまし。

November 3, 2011

とっとこ歩いた文化の日

当直明け。1時過ぎに診察ベッドの上で仮眠をとるべく横になってから、6時過ぎまで起こされずに眠れた。ただ、幅の狭い診察ベッドなので寝返りがうてないので眠りは浅くうつらうつらで目覚めたときは肩から腰にかけてダルい感じ。まあ、歳には敵わないなあ。若い頃は横になって寝られるだけで100%疲労回復できたんだけれど。あのころは患者搬送用のストレッチャーやら、事務椅子を並べて横になったり、ひどい時にはICUの床で眠ったものだ(遠い目)。7時頃来た救急車の対応をしてから、回診。昨夜の入院や面談をしているうちにあっという間に10時過ぎになってしまった。ふと思い立ち、都内中心部に向かってウォーキングすることに。ネットで検索すると神保町まで16kmくらい。2時間半くらいで歩くには丁度いい距離。奥沢から都立大を通り、駒沢通りを抜けて中目黒、代官山、渋谷をかすって246を抜け赤坂へ。弁慶橋を通って麹町を抜け靖国神社でお参りしてから神保町。ノンストップで2時間半。15kmくらいは全然楽勝で自信がついた。今日のコースは、子供の頃から土地勘のある場所で、あらためて歩いてみると、いかに東京という都市が複合的で文化的で魅力的な場所であるか実感できる。東京の持つ文化的な深さと厚みはアジアの他都市との比較するまでもなく圧倒的だ。ソウルや台北がどんなにがんばってもかなわない時間的空間的な「差」がある。彼らが憧れるのがこうやって歩いてみるとよくわかる。遅めの昼ご飯は神保町の共栄堂で、いつものスマトラカレー(チキン)とビール(最高!)。いつものように「カレー多め&ご飯控えめ&スープ追加」。ささやかな自分へのご褒美。ジムのサウナ&お風呂に寄ってから帰宅。夜はマッサージチェアに揺られながら、内田樹の「最終講義」再読。このおっさん(内田先輩)、やぱり視点の自由度と思索の深さがすごい。こういう人の考えることに政治家が耳を傾けるような「賢人政治」が実現する事はないのだろうか?

November 2, 2011

当直の夜の考察

休日前の「東京ルール」で当直中。わりと前半が忙しかったけれど深夜帯になり、今は静か。嵐の前なのかもしれないけれど。ということで、オフィスでデスク周りの整理と溜まったペーパーワークの処理など。

今朝の大井町線の僕の前に座っていた男性(50代か?)のかつらがすごくみっともなくて、以下のコメントをFBへ
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「かつら」っていうのは「禿げを他人に気付かれずに隠す」ためにある。つまり、「嘘をつく」ための道具だ。「他人にはたぶん気づかれてないだろう」と本人が思っているのに、ほとんどのケースで他人には「バレている」/w。たとえどんなに偽装技術が進んだとしても、本人の「後ろめたさ」と他人の「見て見ぬふり」という「虚構的関係性」は不変だろう。乙女が貧乳を上げ底するなら多少可愛げがあるんだけど、自分に自信がないのだな。男性ホルモンが人様より多めだという事を誇りにして(笑)潔く禿げようぜっ、ご同輩!(と、ハゲます)。
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そんなことを書いていたら、ふと「貧乳」というタームが気になって…追加


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今さっき「貧乳」というタームをつぶやいて、ふと思ったのだが、今普通に使われる「巨乳」などという劇画的かつ視覚的な言葉は昔はなかった。いつごろから誰が使ったのだろう?と素朴な疑問。GOROあたりの月刊誌のような気がする。
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「貧」の反対は「豊」だし、「巨」の反対は「微」だ。ということは、巨>豊>貧>微ってことなんだな。ま、どうでもいいけど/W。







November 1, 2011

OH WOW. OH WOW. OH WOW.

初めて買ったパソコンはNECの8シリーズで、1983年だった。研修医の頃、お正月三ヶ日のアルバイト(結構いい額になる)でもらった給料を握りしめて秋葉原で買った。記憶装置はカセットテープでBasicのコマンドを書いて、トコトコ動いていた。当時はまだ「電子計算機」なんて言い方が一般的で、靴を脱いでスリッパに履き替えて入る大学の「電算室」には巨大なロッカーみたな「電算機」が並んでいた。Amiga とかAppleの扱いは当時の僕の周囲ではゲーム機だった。1985年にアメリカでの留学生活が始まり、LDOSのTandy-Radio・shakのPCがオフィスにあって、DOSの便利さとか巨大なHDの便利さに驚いたもんだ。でも世の中で何かが変わり始めているのは実感していた。何がどう変わり始めているのかが判ったのはその後随分経ってからだったけれど。ディスプレイと一体となった可愛いclassicと出会ったのは、UCLAに留学していた日系カナダ人の友人のラボを訪れた時だった。安月給のフェローであった僕には高嶺の花。小児がんの研究ファンドが審査に合格してそのお金で買ったのがTOSHIBAのMS-DOSマシンのラップトップT-3100。当時としては画期的なマシンだったけれど、僕のはアメリカ版で(日本版はたしかJ-3100)今では信じられない話だけれど日本語MS-DOSが入らなかった(笑)。当時からマックが多言語対応だったのはスマートで羨ましかった。そして帰国して初めて念願のマックを手にしたのは、1989年くらいでII CX(画像)だった。圧倒的な画像の解像度と速さには大満足したけれど、当時のマックはすぐに機嫌を損ねて止まってしまい、sad Mac(泣き虫マック)には泣かされた。KCMCのシニアレジデントの冬のボーナスすべてを使うくらい(高い!)の価格で、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったと記憶している。以後、当時ほとんどマックの使われていなかったニュージーランド時代で改宗してから2005年くらいまで約10年間Windows。Jobsの復帰とアップルの復活とともにその後は今に至るまでMacを使っている。Steven Jobsの死に関しては、時代の寵児の死としてたしかに感じ入るもののあるけれど、巷のJobs教信者の狼狽ぶりや悲嘆のくれる姿は、ちょっとヒステリくすぎるような気がして「なんとなくヤダなー」って思っていた。でも、今日この記事を読んで、ついにじわーーっとキテしまった。なんで泣いてるんだろ、オレ。この人と同じ時代に生きた事を誇りに思う。