November 1, 2011

OH WOW. OH WOW. OH WOW.

初めて買ったパソコンはNECの8シリーズで、1983年だった。研修医の頃、お正月三ヶ日のアルバイト(結構いい額になる)でもらった給料を握りしめて秋葉原で買った。記憶装置はカセットテープでBasicのコマンドを書いて、トコトコ動いていた。当時はまだ「電子計算機」なんて言い方が一般的で、靴を脱いでスリッパに履き替えて入る大学の「電算室」には巨大なロッカーみたな「電算機」が並んでいた。Amiga とかAppleの扱いは当時の僕の周囲ではゲーム機だった。1985年にアメリカでの留学生活が始まり、LDOSのTandy-Radio・shakのPCがオフィスにあって、DOSの便利さとか巨大なHDの便利さに驚いたもんだ。でも世の中で何かが変わり始めているのは実感していた。何がどう変わり始めているのかが判ったのはその後随分経ってからだったけれど。ディスプレイと一体となった可愛いclassicと出会ったのは、UCLAに留学していた日系カナダ人の友人のラボを訪れた時だった。安月給のフェローであった僕には高嶺の花。小児がんの研究ファンドが審査に合格してそのお金で買ったのがTOSHIBAのMS-DOSマシンのラップトップT-3100。当時としては画期的なマシンだったけれど、僕のはアメリカ版で(日本版はたしかJ-3100)今では信じられない話だけれど日本語MS-DOSが入らなかった(笑)。当時からマックが多言語対応だったのはスマートで羨ましかった。そして帰国して初めて念願のマックを手にしたのは、1989年くらいでII CX(画像)だった。圧倒的な画像の解像度と速さには大満足したけれど、当時のマックはすぐに機嫌を損ねて止まってしまい、sad Mac(泣き虫マック)には泣かされた。KCMCのシニアレジデントの冬のボーナスすべてを使うくらい(高い!)の価格で、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったと記憶している。以後、当時ほとんどマックの使われていなかったニュージーランド時代で改宗してから2005年くらいまで約10年間Windows。Jobsの復帰とアップルの復活とともにその後は今に至るまでMacを使っている。Steven Jobsの死に関しては、時代の寵児の死としてたしかに感じ入るもののあるけれど、巷のJobs教信者の狼狽ぶりや悲嘆のくれる姿は、ちょっとヒステリくすぎるような気がして「なんとなくヤダなー」って思っていた。でも、今日この記事を読んで、ついにじわーーっとキテしまった。なんで泣いてるんだろ、オレ。この人と同じ時代に生きた事を誇りに思う。